村田亙

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村田 亙 Rugby union pictogram.svg
基本情報
生年月日 (1968-01-25) 1968年1月25日(50歳)
出身地 日本の旗 福岡県福岡市城南区
身長 1.72 m (5 ft 7 12 in)
体重 75 kg (11 st 11 lb)
大学 専修大学
選手情報
ポジション スクラムハーフ
アマチュア
チーム
城南中学校
東福岡高等学校
専修大学
クラブ
チーム 出場 得点
東芝府中
バイヨンヌ
ヤマハ発動機
国代表
チーム 出場 得点
 日本 41
更新日 2015年7月
国セブンズ代表
チーム 出場 得点
 日本
コーチ歴
7人制日本代表
専修大学
■テンプレート

村田 亙(むらた わたる、1968年(昭和43年)1月25日 - )は日本の元ラグビー選手、現専修大学監督

プロフィール[編集]

経歴[編集]

小学1年時にラグビーを始めた。専修大学ラグビー部4年時には主将として関東大学リーグ優勝に貢献。その後チームは関東大学交流試合明治大学と対戦し、13-13で引き分ける。試合直後、大学選手権出場をかけた抽選に臨むも、はずれくじを引き涙を呑む。

大学卒業後、東芝府中に入社。向井昭吾監督(当時)が掲げた「PからGO」の戦術にマッチしたプレースタイルをいかんなく発揮し、1996年(平成8年)度からの日本選手権3連覇に貢献した。

1990年(平成2年)にはU23日本代表としてアメリカ代表に勝利。1991年(平成3年)のアメリカ代表戦で日本代表初キャップを得る。ラグビーワールドカップには第2回大会(1991年)スコットランド代表戦、第3回大会(1995年)ニュージーランド代表戦、第4回大会(1999年)ウェールズ代表戦の3度出場している。日本代表キャップ数は41。

1999年(平成11年)、フランスリーグのアビロン・バイヨンヌとプロ契約し、日本人初のプロ選手となった。デビュー戦でいきなり2トライを挙げるなど、フランスリーグでは44試合出場し7トライを挙げ、チームの中心選手として活躍した。また、この時からラグビーマガジンと自身の公式サイトとで、フランスでの生活を報告するようになる。

2001年(平成13年)にヤマハ発動機ジュビロに移籍。円熟味を増したプレーでチームを引っ張り、2002年(平成14年)度には関西社会人リーグ初優勝を果たす。

2005年(平成17年)には37歳で日本代表に復帰し、ロス・トンプソンが持っていた最年長出場記録を更新した。(この記録は、2019年のラグビーW杯で、大野均に更新されている。)またトップリーグにおいても最年長出場記録を持っている(40歳)。

月刊VS.(バーサス)」の記事では、「トップリーグなら40歳までプレーできる」とコメントしている。2007-08シーズンも現役続行が決まったため40歳を現役で迎えた。

2008年(平成20年)1月、2007-08シーズンをもって現役引退することを表明。2月2日東芝戦後に引退セレモニーが行われ、同い年の親友で、同じ磐田市をホームとするジュビロ磐田中山雅史選手から花束を贈呈され、お互いのユニフォームを交換した。

2008年(平成20年)2月、日本ラグビー協会より7人制日本代表監督の要請を受け就任。同年3月の香港セブンズで初指揮を執った。同年の10月には、やはり香港で行われたラグビーワールドカップセブンズ予選で、日本代表を、2009年(平成21年)3月ドバイで行われる本大会への出場に導いた。

2012年(平成24年)からOBである専修大学ラグビー部の監督を務め、同大学は2014年に13年ぶりの1部復帰を果たした。 同い年には中山雅史のほか、ラグビー界には清宮克幸がいる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]