永友洋司

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永友 洋司 Rugby union pictogram.svg
基本情報
生年月日 (1971-03-14) 1971年3月14日(47歳)
出身地 日本の旗 宮崎県都農町
大学 明治大学
選手情報
ポジション スクラムハーフ
アマチュア
チーム
都城高校
明治大学
クラブ
チーム 出場 得点
1993-2002 サントリー
国代表
チーム 出場 得点
 日本 8
更新日 2015年9月
コーチ歴
■テンプレート

永友 洋司(ながとも ようじ、1971年3月14日 - )は 日本の元ラグビー選手、指導者。

プロフィール[編集]

略歴[編集]

都城高校入学後にラグビーを始める[1]。兄がラグビーをやっていたこと、1985年日本代表vsフランス代表を見て、同じ宮崎県出身の小西義光が活躍しているのに触発されたことが、ラグビーを始めたきっかけだった[1]。高校入学後はめきめきと実力を発揮し、1987年全国高校ラグビー選手権ではベスト4[2]まで進出した。この活躍が認められ、高校日本代表に選出された。

1989年明治大学に進学。1年次から試合に出場[3]し、対抗戦グループ3連覇(1990年 - 1992年)、大学選手権連覇(1990年 - 1991年)に貢献。4年次(1992年)には主将も務めた[3]。大学在学中にも各年代の日本代表(Under23代表、学生日本代表、日本A代表)に選出された。

明大卒業後は、サントリーに入社。これも小西への憧憬の念があったからである[1]。入社1年目の1993年に、エディンバラスコットランド)で開催された第1回ラグビーワールドカップセブンズ日本代表に選出された。

サントリー(現・サントリーサンゴリアス)でもレギュラーを獲得し、清宮克幸の後を継いで1995年から4年間、第8代目主将を務めた[1][3]

現役時代最大のハイライトは、第48回全国社会人大会で、神戸製鋼の連覇を阻んだ事である。1996年1月28日の決勝トーナメント1回戦で、17-20でリードされていた終了間際に永友はペナルティゴール(PG)を決め、20-20の同点に持ち込んだ。トライ数の差(サントリー3、神戸製鋼2)により、サントリーが準決勝に進出。神戸製鋼の8連覇の夢は潰えた[4][5]2月11日決勝三洋電機(現・パナソニック ワイルドナイツ)戦では、序盤に三洋電機に主導権を握られるが、20-27で迎えた終了間際のトライにより2点差とし、その後のコンバージョンゴールを永友が決め、27-27で試合終了[4]。そしてまたもトライ数の差(サントリー4、三洋電機3)により、遂にサントリーの全国社会人ラグビーフットボール大会初優勝を成し遂げた[4]。同年の日本選手権でも母校の明大に49-24で圧勝し、同大会初優勝。

以後、サントリー在籍中に3度の全国社会人大会優勝、日本選手権優勝を達成し、サントリーの黄金時代を築いた。2002年度シーズンで現役引退した。

2003年より指導者の道に転じ、2006年までサントリーサンゴリアス監督を務めた。

その後、仙台ラグビースクールのコーチ[6]、日本A代表アシスタントコーチを経て、2012年より2017年1月までキヤノンイーグルス監督を務める[7]。2017年3月、日本ラグビー協会の15人制日本代表強化部長兼強化副委員長に就任。2017年9月キャノンイーグルスのGMに就任[8]。また東日本大震災復興プロジェクト「スポーツこころのプロジェクト」の夢先生にも登録し、ラグビーの啓蒙活動も行っている。

ラグビーを始める前はサッカーをやっていた事もあり、キック力や正確さに定評があった[1]。全国社会人ラグビーフットボール大会での2度の同点劇に見られるように、ここ一番での精神力も強かったと伝わっている。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]