コンテンツにスキップ

立教大学大学院文学研究科・文学部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立教大学 > 立教大学大学院文学研究科・文学部
立教大学池袋キャンパスにあるチャペル

立教大学文学部(りっきょうだいがくぶんがくぶ)は、立教大学が設置する文学部立教大学大学院文学研究科(りっきょうだいがくだいがくいんぶんがくけんきゅうか)は、文学を研究する立教大学の大学院文学研究科

概要

[編集]

創成期から立教大学校の開設

[編集]

立教大学文学部は、1907年(明治40年)の専門学校令を受けて立教大学として発足した時に設置された文科をルーツとし[1]商科として設置された経済学部と共に学部としては立教大学最古の歴史を持つ[2]。さらに、その歴史は、1859年(安政6年)に初代米国総領事タウンゼント・ハリスの支援によって、プロテスタント初の宣教師・米国聖公会ジョン・リギンズ江戸幕府岡部駿河守長常の要請から長崎に私塾を開設し、チャニング・ウィリアムズとともに日本の先駆けとなる英学教育を創始したことまで遡ることができる。リギンズは『聯邦志略』を始めとする外国書籍の頒布や日本の嚆矢となる英学会話書である『英和日用句集』を執筆し[3][4]、ウィリアムズは立教大学の源流となる私塾に加え、長常が創設した日本初の系統的な英語教育機関である『長崎英語伝習所』でも教えた[5][6]
1881年(明治14年)には、在日米国聖公会宣教師会議が東京で開かれ、テオドシウス・ティング東京大学の文学コースと並ぶ学習課程を持つ米国式のカレッジを日本に創設することを訴えて大学校の設立が決定し、1883年(明治16年)に立教大学校が創設された[7]。これは後の帝国大学令大学令に先駆けて教育令により認可された大学(旧制大学)であり、校長にはハーバード大学出身のジェームズ・ガーディナーが就任した。その間、1882年(明治15年)には、後に明治期の文壇を代表する評論家となった内田魯庵が学んだ[8][9]

明治期の英米文学

[編集]

英米文学においては、1883年(明治16年)に東京・築地の立教学校卒業生で大阪・英和学舎(立教大学の前身の一つ)教授の河島敬蔵が日本初となるシェイクスピア劇の翻訳(『ジュリアス・シーザー』の逐語訳)を発表し、1886年(明治19年)には、日本で初めて『ロミオとジュリエット』の翻訳書を出版し、日本の英米文学史に名を残す功績を上げている[10]。また、1889年(明治22年)には、立教学校在学中の水田南陽は、シェイクスピア劇の翻訳を誌面に掲載し、1899年(明治32年)に日本へ『シャーロック・ホームズ』を紹介した先駆者である[11]。立教学校出身でスタンフォード大学に留学したジャーナリスト長沢別天は、1893年(明治26年)にエドガー・アラン・ポーの詩を日本に初めて紹介し、翌年にはジョン・ミルトンの評論を著すなど、明治期に英文学の普及に努めた。
1903年(明治36年)には、ハリー・ポッターシリーズの原型であるトマス・ヒューズの『トム・ブラウンの学校生活』の訳書を立教生の岡本鶴松が『英国学校生活』として出版した。発行は鶴松の号から名付けた九皐社で、印刷は築地・明石町にあった立教学院活版部で行われ、本訳書の序文を立教学院総理であったヘンリー・タッカーが寄稿した[12]。この作品はヒューズが在学した聖公会ラグビースクールを舞台としており、イギリスアメリカで大人気の作品となったが、日本でも明治時代の高校生に最も人気のある英語圏生まれの教科書となった[13][14]

英語部の設置と東京英語専修学校の開設

[編集]

1896年(明治29年)には、築地の立教学校(第2次立教学校)は立教専修学校と立教尋常中学校に改組され、同年、築地の学内に英語部が設置された。次いで1897年(明治30年)6月に、英語部は築地から神田錦町へ移転し、同年9月に東京英語専修学校として開校する[15]。教師陣として開設者の大倉本澄旧制第六高等学校教授、ハーバード大学の外国人初の舎監)、増田藤之助早稲田大学名誉教授、坪内逍遙と双璧をなした日本の英文学の権威)、左乙女豊秋(立教学校主監、立教中学校初代校長)らの日本人教師ほか、テオドシウス・ティング(立教学校校長、大阪・英和学舎創設者)やアーサー・ロイド(立教学院総理)らの外国人教師が教鞭を執った。東京英語専修学校は、英学英語教育に注力した学校で、外事専門家や英学者を多く輩出したが、海外へ赴く者や実業家などが文部省検定試験に備える受験科も開設していた。同時に、東京専門学校(現・早稲田大学)からイェール大学に留学した関和知渡部善次郎らも学ぶなど、多い時で500人を超える学生を擁した[16][17][18][19]。立教学校や東京英語専修学校は米国聖公会の海外伝道局が創設した学校であり、開設当初から外国人教員を主に英語教育を伝統的に精励してきたことから、立教が属する聖公会が創設したペンシルベニア大学コロンビア大学を始め、海外へ留学するために学ぶものが多かった。1900年(明治33年)には築地の立教学院においてペンシルベニア大学の入学試験が行われるなどの連携もなされて、同大学へ多くの学生を送り出した[20]
東京英語専修学校は校舎設備の問題など多くの問題が生じたことから、1903年(明治36年)春に閉校となるが、組織は築地へ移り、1907年(明治40年)に創設された立教大学(専門学校令による)の文科や、その後の立教大学文学部英文学科(現・文学部文学科英米文学専修)の礎になっている[16][17][18][19]

文芸雑誌『塔』の創刊

[編集]

1920年(大正9年)3月に、英文学科に在学中の加藤まさを(大正期の代表的な抒情画家で『月の沙漠』の作詞家)が中心となって立教大学の文芸雑誌『塔』が創刊される。装幀口絵、カットのすべてを加藤が手掛け、装紙には、アーチ型の星空に聳え立つ立教の塔(関東大震災で崩れる前のモリス館の自由の塔)と、その頂上に高く翻る校旗が、シルエット風にペン画で印象的に描かれた。創刊号では加藤による詩「失はれし宝石」と童謡2編も発表された[21]

文学部の設置と立教史学の創生

[編集]

1922年(大正11年)、大学令を受けて再び大学に昇格した際に文学部が設置され、英文学科哲学科宗教学科[注釈 1]の3学科を置いた。1925年(大正14年)には史学科を置き4学科体制となる。同年、日本の英語教育の第一人者で、日本初のラジオ英語講座(現・NHKラジオ英語講座)を担当した岡倉由三郎岡倉天心の実弟)が教授に就任し、英文学科長を務める[22]。岡倉の推薦により言語学の権威である金田一京助も教授に就任し、言語学講座を担当した[23]。学科長の岡倉に加え英米文学の教授としては、卒業生の根岸由太郎や後述の高垣松雄アメリカ文学研究の権威)のほか、井手義行東京外事専門学校第10代校長、東京外国語大学学長事務取扱)、峰尾都治東京外国語学校教授、後の旧制東京高等学校校長)が教鞭を執るなど充実した教授陣を擁した。1929年(昭和4年)には、明治期にウォルター・ウェストン及びH.J.ハミルトン(日本聖公会中部教区初代主教)とともに日本アルプス連山の初登頂を行った浦口文治一橋大学教授)も教授に就任し、同年予科教授に就いた金子尚一(立教大学名誉教授、立教大学英語会/ESSの支援者)も後に文学部教授として英文学を講じた[24][25][26]。立教大学文科を卒業後、東京帝国大学英文学科で学んだ長沢英一郎学習院教授、東京学芸大学教授)も英文学史を教えた[25]

創設された史学科の教授陣としては、西洋史小林秀雄(後の文学部長)、東洋史原田淑人(日本近代東洋考古学の父)、白鳥清白鳥庫吉の嗣子)、日本史竹岡勝也九州帝国大学法文学部長)、辻善之助東京帝国大学史料編纂所初代所長、実証的な日本仏教史の確立者)、藤本了泰仏教学者僧侶天徳寺住職)、中村勝麻呂(東京帝国大学史料編纂官)、日本美術史に石白村治(博物館顧問)という陣容で始まり、1年後には、西洋史に野々村戒三、東洋史に市村瓚次郎(日本の東洋史学の開拓者)が教授陣に加わった。当初史学科の専任教授は初代史学科長を務めた小林だけで、その他は兼任教授であったが、いずれも後年、各分野の第一人者となった人物であり、充実した陣容であった[3][27]。また、当時の立教大学新聞第9号(1925年1月5日)によると、上記の教授陣に加え史学科開設当初の教授として、地理学内田寛一(日本における歴史地理学の開拓者)の就任も決まり、近代世界史が開講となれば米田實歴史哲学が開講となれば米田庄太郎京都帝国大学教授)が講じる予定となっていることを伝えている[28]。 1929年(昭和4年)には、小林秀雄の紹介から早稲田中学校教諭の十河佑貞早稲田大学教授、同大学史学会会長)が西洋史を担当する教授に就任して予科で教えたのち[29]、文学部教授となり西洋史と獨乙語を講じた[30]

立教大学の史学教育の歴史の起源は先述の1925年(大正14年)に開設した史学科よりもさらに古く、1859年に(安政6年)長崎で創設された立教大学の源流である私塾では、ジョン・リギンズが持ち込んだ書籍のうち、ブリッジマンの『聯邦志略』、ウィリアム・ミュアヘッド英語版の『大英国志』、シルナーの『英国歴史』などによってアメリカ合衆国の歴史や、イギリスの歴史も教えられ、日本の志士たちに大きな影響を与えた[3][31]。 その後、1874年(明治7年)に東京・築地で開設された立教学校では、1876(明治9年)6月の年次報告によるとウィリアム・クーパー(William B. Cooper)が歴史・地理を教授したという。また立教学校1期生の貫元介によるとチャニング・ウィリアムズから英国史文明史などを学んでおり、1879(明治12年)6月に東京府知事宛に貫から提出された私学開業届によると、教則には万国史、英国史、仏国史米国史、近世史とあり、史学科目が全科目の半数を占めた。この初期立教学校において、これらの各西洋諸国史は英語で教授された[3]。 1890年(明治23年)には、立教大学校の後を受けて立教学校(第2次)が発足するが、9月からの新学年のカリキュラム変更がなされ、外国人が担当する科目は英語、英文学、西洋史に限り、他は日本人教授が担当することとなった[3]。 この明治期の立教学校(第2次)では、岩倉使節団の一人として『米欧回覧実記』を著し、歴史学の先駆者として知られる久米邦武が1894年(明治27年)9月から専修科の教授として史学を講じている[32][33]

アメリカ文学と教育心理学の展開

[編集]

1890年(明治23年)頃、日本における英文学の権威で坪内逍遥と双璧をなした増田藤之助早稲田大学名誉教授)が立教学校(現・立教大学)教授として英文学を講じ、その後も東京英語専修学校(立教大学の前身の一つ)などで多年に渡り教え、立教大学文学部英文学科においても教授した。1922年(大正11年)には、日本のアメリカ文学研究の第一人者である高垣松雄が教授に就き、1926年(大正15年)からは同分野の先駆者である富田彬(立教大学名誉教授)も教授に就き、立教大学においてアメリカ文学研究の基盤を築いた。高垣は後進の育成にも注力し、教え子には杉木喬(立教大学名誉教授)や細入藤太郎(立教大学教授)がいる。高垣は、1936年(昭和11年)に文学部英文学科長となり、1939年(昭和14年)には日本で最初のアメリカ研究所となる「立教大学アメリカ研究所」を創設した[34][35]。同時期に、先述の長沢英一郎も米国文学を教えている[36]

教育学心理学の分野では1930年(昭和5年)から幼少教育の先駆者であり、教育心理学の分野で活躍した岡部弥太郎が教授として、教育学や教育史を講じ、心理学演習を担当した[37]

戦時中から戦後の進展

[編集]
キリスト教学科を創設した菅円吉、大学チャプレンと教授を務めた高松孝治(立教大学1期生)が学んだハーバード大学神学大学院(Harvard Divinity School[注釈 2]

1943年(昭和18年)には、太平洋戦争の影響で国による私立の文科系大学・専門学校の整理統合により、文学部およびチャペルを閉鎖し、文学部の学生は慶應義塾大学文学部に移籍した[38]。戦後の1946年(昭和21年)に文学部は復活し、キリスト教学科と英米文学科を設置する。キリスト教学科はハーバード大学神学大学院(Harvard Divinity School)で神学を修めた菅円吉(立教大学名誉教授・文学部長)によって創設された[注釈 2]。戦前には同じくハーバード大学神学大学院に学んだ高松孝治(立教大学1期生)もギリシア哲学を教えた[41]1947年(昭和22年)には社会学科が設置され、1949年(昭和24年)、新制大学として認可を受けて文学部、経済学部理学部を開設すると、文学部にはキリスト教学科、英米文学科、社会学科、史学科、心理教育学科が置かれた[42]1956年(昭和31年)に日本文学科を設置、1958年(昭和33年)には社会学部設置にともない社会学科を廃止した。1962年(昭和37年)、心理学科および教育学科の設置にともない心理教育学科を廃止、1963年(昭和38年)にはフランス文学科、ドイツ文学科が設置された。

考古学では、1934年(昭和9年)から1945年(昭和20年)まで東アジア考古学の権威である駒井和愛東京大学名誉教授)が教えたほか、1957年(昭和32年)から博物館学の第一人者である中川成夫が講じ、長く研究に従事し、学芸員の養成にも尽力した。中川は、近世考古学の開拓者としても知られ、立教大学博物館学研究室の加藤晋平(後の筑波大学教授、モンゴル国考古研究所名誉教授)とともに、近世における考古学的研究に道を開いた。中川の教えを受けた森川昌和は、後に鳥浜貝塚において「縄文のタイムカプセル」と呼ばれる遺物を発掘するなど、考古学界に新見地を開く功績を上げた。

1959年(昭和34年)には大久保利通の孫である大久保利謙が教授に就任し、日本近代史研究を学問分野として確立した。佐々木克京都大学名誉教授)も、当時の大久保の教え子である[43]。大久保の1万2千冊を超える蔵書は「大久保利謙文庫」として大学図書館に所蔵されているが[44][45]、貴重な資料が多く、学内外からの利用が絶えない第一級の文庫である[46]。資料の中には、日本初の英和辞書とされる堀達之助阿蘭陀通詞ペリー艦隊来航時の通訳)が著した『英和対訳袖珍辞書』(英名:A Pocket Dictionary of the English and Japanese Language)もあり、立教大学図書館により初版本がデジタル化されている[47]。 大久保は大学史の編纂でも先駆者として知られるが、近年では寺崎昌男(立教大学名誉教授)も日本の大学史研究の進展に大きく貢献した。
キリスト教史学では海老沢有道が活躍し、多くの関連書籍を著すとともに、キリスト教史学会の創設にも尽力して理事長も務めた。日本キリスト教史関連資料からなる6千冊を超える蔵書が「海老澤有道文庫」として大学図書館に所蔵されている[48]

1960年代後半、立教大学を含む日本の各大学での学園紛争が収束に向かった頃、新カリキュラムの導入が進められ、吉田新一(立教大学名誉教授)によって英米児童文学の授業も新たに設けられた。英米文学科(現・英米文学専修)で講じた吉田は日本における『ピーターラビット』とビアトリクス・ポター研究の第一人者であり、海外児童文学作品の翻訳も精力的に行うとともに、桂宥子岡山県立大学名誉教授)や北野佐久子(児童文学研究家)らを育てた[49]。また、児童文学作家、文芸評論家として日本文学界に貢献した福田清人日本児童文芸家協会理事長・会長)も教授を務めている[50]

2006年(平成18年)、学内で大規模な学部・学科編成が行われ、現代心理学部設置にともない心理学科は廃止された。また、文学部には新たに文学科英米文学専修日本文学専修ドイツ文学専修フランス文学専修文芸・思想専修)が設置され、既存の英米文学科、日本文学科、ドイツ文学科、フランス文学科は廃止された。これにより、文学部はキリスト教学科文学科史学科教育学科の4学科体制となる。

沿革

[編集]
  • 1859年 - タウンゼント・ハリスの支援のもと江戸幕府長崎奉行の要請でジョン・リギンズチャニング・ウィリアムズ長崎に私塾を創設。
  • 1860年 - リギンズが日本の先駆けとなる英学会話書を執筆し、現行のローマ字綴りを編み出す。
  • 1869年 - ウィリアムズが大阪・川口の与力町の自室に小礼拝堂(ミッション・チャペル)と私塾(翌年、英学講義所となる。後の大阪・英和学舎)を開き、英語礼拝と英語教授を開始。
  • 1870年 - ウィリアムズが同じく大阪・川口の与力町で英学講義所(後の大阪・英和学舎)を設立。
  • 1874年 - ウィリアムズにより東京・築地に立教学校が設立。
  • 1883年 - 教育令による立教大学校を設立(旧制大学)。
  • 1887年 - 大阪・英和学舎が立教大学校と合併。
  • 1896年 - 英語部を設置。
  • 1897年 - 東京・神田錦町東京英語専修学校を設立。
  • 1907年 - 専門学校令により立教大学と改称、文科・商科を設置。
  • 1920年 - 英文学科に在学中の加藤まさを(大正期の代表的な抒情画家)が中心となり立教大学の文芸雑誌『塔』を創刊。
  • 1922年 - 大学令により再び旧制大学に昇格、文学部・商学部を設置、文学部に英文学科、哲学科、宗教学科が置かれる。
  • 1925年 - 史学科を設置。
  • 1928年 - 立教大学史学会設立。
  • 1943年 - 文学部廃止、文学部生7名は慶應義塾大学文学部に移籍[51]
  • 1946年 - 文学部復活、キリスト教学科、英米文学科を置く。
  • 1947年 - 社会学科を設置。
  • 1949年 - 新制大学として認可、文学部・経済学部・理学部を設置、文学部にキリスト教学科、英米文学科、社会学科、史学科、心理教育学科が置かれる。
  • 1956年 - 日本文学科を設置。
  • 1958年 - 社会学部の設置に伴い社会学科を廃止。
  • 1962年 - 心理学科、教育学科を設置、心理教育学科を廃止。
  • 1963年 - フランス文学科、ドイツ文学科を設置。
  • ?年 - ?年 8学科を横断した文芸思想コースを設置。コースは10年ほど続いた[52]
  • 2006年 - 現代心理学部設置に伴い心理学部廃止、文学科(英米文学専修、フランス文学専修、ドイツ文学専修、日本文学専修、文芸・思想専修)を設置、英米文学科、フランス文学科、ドイツ文学科、日本文学科を廃止。
  • 2007年 - 文学部開設100年を迎える。

学部・学科

[編集]
  • 文学部
    • キリスト教学科
    • 文学科
      • 英米文学専修
      • フランス文学専修
      • ドイツ文学専修
      • 日本文学専修
      • 文芸・思想専修
    • 史学科
    • 教育学科

大学院

[編集]
  • 文学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
    • 日本文学専攻
    • 英米文学専攻
    • ドイツ文学専攻
    • フランス文学専攻
    • 史学専攻
    • 超域文化学専攻
    • 教育学専攻
    • 比較文明学専攻

組織

[編集]

主な教職員

[編集]

(五十音順)

著名な出身者

[編集]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. 「神学科」と名乗らなかったのは日本聖公会の聖職者養成を行う聖公会神学院に配慮したためとされる(立教学院百五十年史編纂委員会 『立教学院百五十年史』 第一巻、立教大学立教学院史資料センター、2023年、342-345頁)。
  2. 1 2 キリスト教学科を創設した菅円吉が学んだハーバード大学神学大学院/神学校(Harvard Divinity School)は、ハーバード大学の構成校の1つで、ハーバード大学の専門職大学院としては1782年に設立された医学部(ハーバード大学医学大学院/Harvard Medical School)に次いで、1816年に2番目に設立された。ハーバード大学神学大学院/神学校とハーバードにおける神学研究の起源はハーバード大学の創立時の1636年に遡り、当初清教徒会衆派教会の学校として設立されたハーバード大学は、長年にわたって牧師を養成してきた。1816年に国内初の無宗派の神学部として独立した専門機関となり、「キリスト教の真理を真剣に、公平に、偏りなく研究することを奨励する」ことを目的としてハーバード大学神学大学院/神学校が設立された[39][40]

出典

[編集]
  1. 学校法人 立教学院 沿革”. 2021年6月8日閲覧。
  2. 立教大学 経済学部 学部長メッセージ”. 2019年8月10日閲覧。
  3. 1 2 3 4 5 海老沢 有道,大久保 利謙,森田 優三(他)「立教大学史学会小史(I) : 立教史学の創生 : 建学から昭和11年まで (100号記念特集)」『史苑』第28巻第1号、立教大学史学会、1967年7月、1-54頁、ISSN 0386-9318
  4. 常盤智子『英学会話書による近代語研究』東京大学〈博士(文学) 甲第21761号〉、2006年。 NAID 500000427902国立国会図書館書誌ID:000009280068
  5. 株式会社みろく屋 『第88号【時代の要請で生まれた英語伝習所】』 2002/05/15
  6. 杉本つとむ「続・幕末の洋学事情--近代の発信地,長崎と蘭医と近代教育」『早稲田大学図書館紀要』第42号、早稲田大学図書館、1995年12月、1-55頁、ISSN 0289-2502NAID 40003930216
  7. 小川智瑞恵「立教大学の形成期における大学教育理念の模索 : 立教学院ミッションに着目して」『キリスト教教育研究』第32巻、立教大学、2015年6月、33-62頁。
  8. 『内田魯庵伝』野村喬 著,リブロポート,1994年5月
  9. 『内田 魯庵』 新宿区ゆかりの人物データベース,新宿区
  10. 吉武好孝「紀州出身の英学者 Shakespeare学者 河島敬蔵と鷲山第三郎」『英学史研究』第1969巻第1号、日本英学史学会、1969年、15-22頁、ISSN 1883-9282
  11. 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
  12. 国文学研究資料館 近代書誌・近代画像データベース 『英国学校生活 前編』
  13. Ikuo Abe (2006). “Muscular Christianity in Japan: The growth of a hybrid”. The International Journal of the History of Sport (Routledge) 23 (5): 714-738. doi:10.1080/09523360600673104. Reprinted in: Macaloon, John J. (ed). Muscular Christianity and the Colonial and Post-Colonial World. Routledge, 2013. pp. 16-17.
  14. 「トマス ・ヒューズ『トム ・ブラウンの学校生活』再読」 大井靖夫,立命館大学経済学会編,立命館経済学,46(5),490-506,1997-12
  15. 『立教学院百五十年史』 第一巻、113頁-114頁
  16. 1 2 『立教学院百五十年史』 第一巻、155-159頁
  17. 1 2 近代文献人名辞典(β) 『大倉本澄』
  18. 1 2 立教史データベース 『校友会・立教学院英語専修学校出身者』 『立教学院学報』第8号,1915年10月
  19. 1 2 小川原 正道「東京専門学校とイエール大学 -朝河貫一を中心に-」『早稲田大学史記要』第54巻、早稲田大学歴史館、2023年3月、27-45頁、ISSN 0511-1919
  20. 立教史データベース 基督教週報第1巻第19号 『日本監督基本金会計報告 従三十二年一月至三十三年六月』 1900年7月6日
  21. 千葉県御宿町役場 おんじゅく 広報 月の沙漠の作者を語る『一世を風びした抒情詩人 加藤まさを氏』 楜沢龍吉,10頁-11頁,No.74,1969年5月 (PDF)
  22. 柾木 貴之「国語教育と英語教育の連携前史―岡倉由三郎の「連絡」の提言を中心に―」『全国大学国語教育学会国語科教育研究:大会研究発表要旨集』第131号、全国大学国語教育学会、2016年10月、385-388頁、ISSN 2432-2504
  23. 『立教大学新聞 第12号』 1925年(大正14年)2月20日
  24. 『立教大学新聞 第29号』 1926年(大正15年)3月15日
  25. 1 2 国立国会図書館デジタルコレクション 『立教大学一覧』昭和8年3月版 40頁,昭和8年3月
  26. 『キリスト教各宗派と日本の避暑地の関わりについて ─「日本聖公会人物史」等による新たなアプローチ─』 上田 卓爾, 金沢星陵大学, 星稜論苑, 第48号, 2019年12月 (PDF)
  27. 『立教大学新聞 第14号』 1925年(大正14年)4月5日
  28. 『立教大学新聞 第9号』 1925年(大正14年)1月5日
  29. 『立教大学新聞 第77号』 1929年(昭和4年)5月15日
  30. 国立国会図書館デジタルコレクション 『立教大学一覧 昭和8年3月』 40頁,1933年
  31. 劉 建輝「もう一つの「近代」ロード : 19世紀の日欧交流における広東、上海の役割」『「日本研究」再考 : 北欧の実践から』、国際日本文化研究センター、2014年3月、215-228頁。
  32. 品川区・品川人物伝 第30回 『歴史学の先駆け 久米邦武(くにたけ)』 平成24年8月17日
  33. 山本哲也「久米邦武と岩倉使節団報告『米欧回覧実記』」『新潟県立歴史博物館研究紀要』第13巻、新潟県立歴史博物館、2012年3月、95-100頁、CRID 1390292859814308096doi:10.24484/sitereports.123426-75423ISSN 1345-4862
  34. 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」 『高垣 松雄』 コトバンク
  35. 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 『高垣松雄』 コトバンク
  36. 国立国会図書館デジタルコレクション 『立教大学一覧 昭和14年』 45頁,昭和14年
  37. 国立国会図書館デジタルコレクション 『立教大学一覧 昭和8年3月』 1933年
  38. 『慶應義塾百年史』 中巻(後)、852頁)
  39. HARVARD DIVINITY SCHOOL 『History and Mission』
  40. HARVARD MEDICAL SCHOOL 『The History of HMS』
  41. 松平 信久「佐々木順三の立教への赴任および大学・学院運営に関する二三の考察」『キリスト教教育研究』第36巻、立教大学総合研究センター、2019年3月、111-128頁。
  42. 立教大学 立教大学の歴史・沿革”. 2020年12月16日閲覧。
  43. PRESIDENT ONLINE『奈良大学教授 佐々木 克「正義感」 PRESIDENT 2009年12月14日号』2011/07/12
  44. 立教大学『公開シンポジウム「大久保利謙と日本近代史研究 家族・学問・教育」』
  45. 立教大学・個人文庫『大久保利謙文庫』
  46. 小関昌男「大久保利謙先生をかこんで」『史苑』第62巻第2号、立教大学文学部、2002年3月、120-135頁。
  47. 立教大学図書館 堀達之助『英和対訳袖珍辞書』デジタルライブラリ
  48. 立教大学図書館 特別収集資料・個人文庫・哲学・倫理・宗教関係『海老澤有道文庫』
  49. 朝倉書店 学校図書館速報版 こどもの本 この人に聞く『絵本作家や作品世界の魅力を伝える子どもと絵本の幸せな出会いを』吉田新一さん 第2026号 2019年3月1日
  50. 実践女子大学・実践女子大学短期大学部図書館 『福田清人文庫』
  51. 慶應義塾 『慶應義塾百年史』 中巻(後)、1964年、852頁
  52. 冨安敬二「芸術教育のユートピアを求めて : ドイツ・オランダ調査の旅 (冨安敬二教授退任記念特集)」『立教大学教育学科研究年報』第58巻、2015年2月、11-32頁、NAID 1200056955362022年5月25日閲覧
  53. “[https://spirit.rikkyo.ac.jp/parents/greeting/SitePages/dean.aspx#:~:text=文学部長%20金子%20明雄%20文学部のサイトはこちら 保護者の皆さまへのご挨拶 各学部長・GLAP運営センター長・全学共通カリキュラム運営センター部長のご挨拶]”. 2023年5月12日閲覧。

外部リンク

[編集]