米田庄太郎

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米田 庄太郎
人物情報
生誕 1873年2月1日
日本の旗 日本 奈良県奈良市
死没 (1945-12-18) 1945年12月18日(72歳没)
日本の旗 日本 大阪府豊能郡東郷村
国籍 日本の旗 日本
出身校 コロンビア大学大学院、コレージュ・ド・フランス
学問
研究分野 社会学
研究機関 京都帝国大学
特筆すべき概念 ガブリエル・タルドゲオルク・ジンメルたちの学説を日本に紹介し、心理学的社会学を導入
影響を
受けた人物
アイザック・ドーマンガブリエル・タルド
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米田 庄太郎(よねだ しょうたろう、1873年2月1日 - 1945年12月18日)は、日本社会学者

経歴[編集]

奈良県奈良市杏町の被差別部落に生まれる。

ガブリエル・タルドゲオルク・ジンメルたちの学説を日本に紹介し、心理学的社会学を導入。社会思想研究の分野でも業績がある。門人に高田保馬、大阪市の社会調査を主導した山口正などがいる。また社会問題研究も行い、大原社会問題研究所の設立に助力し、社会福祉分野を担当した。大杉栄賀川豊彦などにも影響を与えた。


著書に『現代人心理と現代文明』『輓近社会学論』など単著33冊、論文は278本、新聞などに寄稿したものは157余がある。

現在、奈良市杏町の生家跡には「米田庄太郎生誕の碑」がある。

その他[編集]

学問的に極めて優れた業績を持っていたにもかかわらず京都帝国大学教授への昇進が遅れたのは被差別部落出身だったためという説もあるが、『解放新聞』(2009年5月11日)は「事実はどうやらそうではなかったようだ。かの有名な喜田貞吉ですら、教授就任までは米田と同じ年月を要したという」と評している[1]

参考文献[編集]

  • 中久郎 『米田庄太郎―新総合社会学の先駆者』 東進堂、2002年

脚注[編集]