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「名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件」の版間の差分

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| 場所 = {{JPN}} [[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]4丁目<br>[[雑居ビル]]3階にあった[[スナックバー (飲食店)|スナックバー]]
| 場所 = {{JPN}}[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]4丁目
:[[雑居ビル]]3階にあった[[スナックバー (飲食店)|スナックバー]]<!--経度・緯度はおおよその位置-->
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| 日付 = [[2002年]]([[平成]]14年)[[3月14日]]<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>
| 時間 = 未明(午前3時頃)
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| 時間帯 = [[UTC+9]]
| 概要 = 刑務所暮らしを続けてきた男が金品を得ようとスナックバーで無銭飲食し、店主の女性を絞殺して金品を奪った。<br>男は1983年、[[長野県]][[諏訪市]]内で類似した経緯・手口の殺人事件を起こし、懲役15年の刑に処された[[前科]]があった。
| 概要 =
| 手段 = 首を絞める<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>
| 武器 =
| 攻撃人数 = 1人
| 攻撃人数 = 1人
| 標的 =
| 標的 =
| 死亡 = 1人
| 死亡 = 1人
:現場スナックの店主だった事件当時61歳女性<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-14"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-14"/><ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-22"/>
| 負傷 =
| 負傷 =
| 損害 = 現金約8000円<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>
| 犯人 = 男B(犯行当時52歳、後にKに改姓。殺人前科あり)
| 犯人 = 男B(本犯行当時52歳。1983年に殺人[[前科]]あり、上告中にイニシャル「K」に改姓)
| 動機 = [[強盗]]
| 動機 = [[強盗]]
| 謝罪 = あり
| 謝罪 = あり
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'''名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件'''(なごやしなかくさかえ スナックバーけいえいしゃ さつがいじけん)とは、[[2002年]]([[平成]]14年)[[3月14日]]未明、[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]4丁目の[[雑居ビル]]3階にあった[[スナックバー (飲食店)|スナックバー]]で発生した[[強盗致死傷罪|強盗殺人]][[事件]]である<ref name="chunichi20020314"/><ref name="asahi20020314"/><ref name="tokyo20131222"/>。
'''名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件'''(なごやしなかくさかえ スナックバーけいえいしゃ さつがいじけん)とは、[[2002年]]([[平成]]14年)[[3月14日]]未明、[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]4丁目の[[雑居ビル]]3階にあった[[スナックバー (飲食店)|スナックバー]]で、店主の女性(事件当時61歳)が殺人[[前科]]のある男(犯行当時52歳)に殺害され、金品が奪われた[[強盗致死傷罪|強盗殺人]][[事件]]である<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-14"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-14"/><ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-22"/>。


== 元死刑囚B ==
犯行当時52歳の男B([[1950年]][[3月12日]]<ref name="tokyo20131221"/> - [[2013年]][[2月21日]]<ref name="chunichi20130221"/>、[[長野県]][[須坂市]]出身<ref name="chunichi19991006"/><ref name="chunichi20020317"/>、62歳没<ref name="chunichi20130221"/>。上告中にKに改姓。殺人[[前科]]あり、[[日本における被死刑執行者の一覧|執行済み]]の[[死刑囚]])により<ref name="tokyo20131217">『中日新聞』2013年12月17日朝刊第二社会面30面「二月二十一日 ある死刑囚の記録(1)『ら』に埋もれた最期」<br>{{Cite news |date=2013-12-17 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902100063.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(1)「ら」に埋もれた最期 |newspaper=『[[東京新聞]]』 |publisher=[[中日新聞社]] |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133911/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902100063.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref><ref name="tokyo20131221"/>、店主だった当時61歳女性が殺害された<ref name="chunichi20020314"/><ref name="asahi20020314"/><ref name="tokyo20131222"/>。
本事件加害者の元[[死刑囚]]B(本犯行当時52歳)は<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-17"/>、[[1950年]]([[昭和]]25年)[[3月12日]]<ref group="書籍" name="命の灯">{{Harvnb|インパクト出版会|2009|pages=89-90}}</ref><ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2017 p.194">{{Harvnb|インパクト出版会|2017|pages=194}}</ref>、[[長野県]][[須坂市]]内の[[青果店]](小学生時代に廃業)を営んでいた実家で<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-18"/>、3人兄弟の次男として生まれた<ref group="新聞" name="中日新聞2013-12-17">『中日新聞』2013年12月17日朝刊第二社会面30面「二月二十一日 ある死刑囚の記録(1)『ら』に埋もれた最期」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-17">{{Cite news |date=2013-12-17 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902100063.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(1)「ら」に埋もれた最期 |newspaper=『[[東京新聞]]』 |publisher=[[中日新聞社]] |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133911/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902100063.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。


[[2013年]](平成25年)[[2月21日]]、[[法務省]]([[法務大臣]]:[[谷垣禎一]])の死刑執行命令により、収監先の[[名古屋拘置所]]で[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑が執行された]]({{没年齢|1950|3|12|2013|2|21}})<ref group="新聞" name="中日新聞2013-02-21"/><ref group="その他" name="法務省会見"/>。
== 事件の概要 ==
=== 犯人の事件前の動向 ===
Bは、[[青果店]](小学生時代に廃業)を営んでいた実家で<ref name="tokyo20131218"/>、3人兄弟の次男として生まれた<ref name="tokyo20131217"/>。幼少期のBは、生まれ、よく笑い、よく笑わせる快活な少年だったが、[[寿司屋]]に偽の出前を頼んだり、開くあてのない数十人の宴会を予約するなどのいたずらっ子だったという<ref name="tokyo20131218">{{Cite news |date=2013-12-18 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902100064.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(2)ウソつき きんごろー |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133916/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902100064.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。兄曰く「自分を大きく見せようとでたらめ言って、収拾がつかなくなる」性格だったというBは、[[落語家]]の[[柳家金語楼]]にちなんで「きんごろー」というあだ名で呼ばれていた<ref name="tokyo20131218"/>。Bは中学卒業後、実家を離れ、住まいや職を転々とし、20代半ばから食い逃げや盗みで、出ては戻りの[[刑務所]]暮らしが続くようになっていた<ref name="tokyo20131218"/>。


=== 生い立ち ===
Bは本事件の19年前(当時32歳)<ref name="tokyo20131218"/>、[[1983年]]([[昭和]]58年)[[2月5日]]、[[長野県]][[諏訪市]][[湖岸通り]]の、[[日本国有鉄道]](現・[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])[[中央本線]]・[[上諏訪駅]]付近、[[諏訪湖]]畔近くにある旅館で<ref name="tokyo20131218"/><ref name="tokyo20131219"/><ref name="yomiuri19830221"/>、当時64歳の女将を首を絞めて殺害し、帳場から現金2万円と預金通帳を盗んで逃走した<ref name="tokyo20131219"/>。この事件は2月9日、[[長野県警察]][[諏訪警察署]]に、女将の養子から「継母が行方不明になった」と届け出があり、旅館内を捜索した諏訪署員が遺体を発見したことで発覚した<ref>『[[読売新聞]]』1983年2月10日朝刊長野県版22面「旅館の女主人殺される【諏訪】」</ref>。この頃Bは有り金が尽き、東京都内で無銭飲食を繰り返しており、刑務所内で知り合った[[暴力団]]組員を頼って諏訪市付近に来ていたが、その組員からの仕事の口利きは受けられず、金に困った末の犯行だった<ref name="tokyo20131219"/>。
幼少期のBはよく笑い、よく笑わせる快活な少年だったが、[[寿司屋]]に偽の出前を頼んだり、開くあてのない数十人の宴会を予約するなどのいたずらっ子だったという<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-18">{{Cite news |date=2013-12-18 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902100064.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(2)ウソつき きんごろー |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133916/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902100064.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。


Bの実兄曰く、「自分を大きく見せようとでたらめ言って、収拾がつかなくなる」性格だったというBは、[[落語家]]の[[柳家金語楼]]に由来した「きんごろー」というあだ名で呼ばれていた<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-18"/>。
この事件から2週間後の2月19日<ref name="yomiuri19830221"/>、所持金がわずか39円しかなかったBは<ref name="tokyo20131219"/>、[[東京都]][[台東区]][[浅草]]の[[喫茶店]]にいたところを<ref name="tokyo20131219"/><ref name="yomiuri19830221"/>、諏訪署の捜査員に[[詐欺罪|詐欺]]([[無銭飲食]])容疑で[[逮捕 (日本法)|逮捕]]された<ref name="yomiuri19830221"/>。その後、諏訪署に連行されたBは同月20日になって、女将の殺害について「自分がやった」と容疑を認めたため、同日に殺人・死体遺棄容疑で逮捕された<ref name="yomiuri19830221">『読売新聞』1983年2月21日朝刊長野県版22面「女性旅館主殺し逮捕【諏訪】」</ref>。同年10月、Bは殺人、窃盗罪などで、[[長野地方裁判所]]から、[[懲役]]15年([[求刑]]懲役20年)の判決を受け、[[岐阜刑務所]]に服役していた<ref name="tokyo20131219">{{Cite news |date=2013-12-19 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902000277.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(3)殺人 はじめは反省… |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133918/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902000277.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。判決後の接見で、Bは[[国選弁護人]]から「刑務所で悪知恵を付けるんじゃないぞ。出てきて街で会ったら声を掛けてこい」と語りかけられた<ref name="tokyo20131219"/>。事件を知ったBの母は、被害者の女将の冥福を祈るため、[[四国八十八箇所]]を遍路し、月に1度、獄中の息子へ送った手紙に改心を願う母心をつづった<ref name="tokyo20131219"/>。


Bは中学卒業後に実家を離れ、住まいや職を転々とし、20歳代半ばからは[[食い逃げ]]・[[窃盗]]で、[[刑務所]]に出たり入ったりの生活が続くようになっていた<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-18"/>。
初めは強い反省の念の下、刑務所生活を送っていたBだったが、次第にそれも薄れていったという<ref name="tokyo20131219"/>。[[1998年]](平成10年)4月にBは岐阜刑務所を仮出所したが、その3か月後の7月22日には『[[中日新聞]]』岐阜総局への電話で、[[信用調査会社]]社員だと、自らを売り込み、「2年前(1996年、当時Bは服役中)の[[御嵩町長襲撃事件]]の情報を提供したい」として、同紙記者を[[岐阜駅]]付近の[[居酒屋]]に呼びつけ、延々と噂に毛の生えた程度の話をした<ref name="tokyo20131221"/>。その後、Bは「電車賃を出してくれ」「情報料は3000円だ」などと、記者にカネの無心をした<ref name="tokyo20131221">{{Cite news |date=2013-12-21 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122102000193.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(4)出所しては罪重ね |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133919/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122102000193.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。後日、その記者は旅行会社から身に覚えのない[[ヨーロッパ]]旅行の代金約70万円を請求され、旅行を申し込んだ者を調べるとBだったという<ref name="tokyo20131221"/>。仮出所の直後、Bは故郷・長野の母宛ての手紙に「[[愛知県]][[豊橋市]]の[[保護司]]に世話になり仕事をしている」と綴っており、実際にこの頃豊橋市に[[本籍]]地を移していたが、その住所は保護司ではなく暴力団組員の居宅で、まともに仕事を続けた形跡もなかった<ref name="tokyo20131221"/>。


[[陸上自衛隊]]在勤中の[[1974年]](昭和49年)、Bは寸借詐欺・同僚の財布窃盗などで懲戒免職になるとともに、その詐欺・窃盗の罪で[[懲役]]2年・[[執行猶予]]3年の刑に処された<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。
Bは岐阜刑務所を仮出所してからわずか1年半後の、[[1999年]](平成11年)9月14日午後10時頃、名古屋市中区のスナックバーで、大手[[ゼネコン]]の社名と「海外建設部次長・山本力」という架空の名前を印刷した名刺を使って、同店の女性経営者を信用させ、この女性がトイレに立った隙にカウンター内から現金2万円入りのバッグを盗んだ<ref name="chunichi19991006">『中日新聞』1999年10月6日夕刊社会面15面「ゼネコン偽装男逮捕 窃盗容疑 ニセ名刺で信用させ 中署」</ref>。Bは同年10月6日、この事件の窃盗容疑で[[愛知県警察]][[中警察署]]に逮捕された<ref name="chunichi19991006"/><ref name="tokyo20131221"/>。Bは大手ゼネコンの部長・次長と名乗る偽の名刺3種類を架空の電話番号・住所を入れて勝手に作っており、同年5月以降は名古屋市内の飲食店などで同様の手口による約30件、被害総額約100万円の被害届が提出されていた<ref name="chunichi19991006"/>。また、この他にもBは「[[中部国際空港]](セントレア)建設のため[[チリ]]から帰国し自宅を新築した」などと偽り、同市内の[[家具]]店に700万円分の家具、[[和菓子]]店に500個の「内祝い」[[まんじゅう]]などを偽の名刺を使って予約注文していた<ref name="chunichi19991006"/>。この2件はいずれも店側がゼネコンに電話確認して詐欺であることが判明し、実害はなかったが、ゼネコンには同様の問い合わせが約100件あったことから、中署は[[信用毀損罪・業務妨害罪]]でBの余罪を追及した<ref name="chunichi19991006"/>。Bはこれらの事件で[[名古屋地方裁判所]]で懲役2年2月の実刑判決を受けて服役し、2002年1月に5度目の刑務所暮らしを終えて出所したばかりだった<ref name="tokyo20131221"/>。


その執行猶予期間中、Bは商品詐欺などの詐欺5件・窃盗2件、そしてその確定判決前の余罪に当たる詐欺罪で、[[1975年]](昭和50年)2月に懲役8月+懲役2月の判決を受け、先の執行猶予も取り消されたために併せて刑務所に服役した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。
=== 事件発生 ===
刑務所を出所してから2か月後の3月13日、前日にBは52歳の誕生日を迎えていたが、いつものように所持金が尽き、夜の街をぶらついていた<ref name="tokyo20131221"/>。「盗みをしよう」と考えたBは「人が少ないところがいい」と考え、名古屋市中区栄4丁目<ref name="tokyo20131222"/>、雑居ビル3階に位置する現場スナックバーに入店した<ref name="tokyo20131221"/>。


Bは[[1977年]](昭和52年)4月に仮出所した後も、その仮出所中に建造物侵入・窃盗罪を犯し、1977年7月に懲役10月に処されたが、その刑の執行終了後に犯した窃盗8件と・詐欺6件により常習累犯窃盗罪などに問われ、[[1980年]](昭和55年)3月には懲役3年に処された<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。そして後者の刑の仮出所中に、後の殺人前科に至るまでには無銭飲食・宿泊などの詐欺4件を犯していた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。
このスナックバーの店主は当時61歳の女性で、Bが入店したのは閉店時間(午前零時)直前の午後11時だった<ref name="tokyo20131222">{{Cite news |date=2013-12-22 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122202000174.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(5)小さな幸せの城に… |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133922/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122202000174.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。いつもは遅くに一見客は入れなかったという女性だったが、当時[[IT不況]]が尾を引く中で売り上げの落ち込みが気にかかっていたのか、一見のBを店に招き入れた<ref name="tokyo20131222"/>。


=== 1983年2月、殺人前科 ===
Bは日付が変わるまで店内で飲み続け、金を盗む隙を窺っていたが、女性には全く隙がなく、Bがトイレに立ったときでさえドアを半開きにしてBの動きをうかがっていたという<ref name="tokyo20131223">{{Cite news |date=2013-12-23 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122302000155.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(6)2人目の命奪う |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134001/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122302000155.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。Bは「タバコがなくなった」として、女性にたばこを外へ買いに行くように仕向けても軽くいなされ、女性は腰を上げず、「仲間を迎えに行ってくる」と言って逃げようと表へ出ても、後をつけてきた女性に引き戻された<ref name="tokyo20131223"/>。
本事件の19年前となる[[1983年]]([[昭和]]58年)[[2月5日]]、当時32歳だったBは[[長野県]][[諏訪市]]内で<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>、人生で最初の殺人事件を起こした<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-18"/><ref group="新聞" name="読売新聞2013-02-22 長野">『読売新聞』2013年2月22日東京朝刊長野版31面「K死刑囚83年に長野で殺人 捜査員『執行、しかるべき判断』=長野」</ref>。。


Bは同事件3日前から<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>、諏訪市[[湖岸通り]]の旅館で<ref group="新聞" name="読売新聞1983-02-21"/>、1人で宿泊していた<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。現場旅館は[[日本国有鉄道]](現・[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])[[中央本線]]・[[上諏訪駅]]西口付近にあり<ref group="新聞" name="読売新聞2013-02-22 長野"/>、[[諏訪湖]]畔から徒歩5分の立地だった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。諏訪湖畔では同日、「[[諏訪湖#御神渡り|御神渡り]]」の具合を見て、[[八剱神社]]の神官が一年の吉凶を占う神事「御渡り神事」が執り行われていたが、Bはその神事を見に来た観光客ではなく、所持金が尽きて[[東京都]]内で無銭飲食を繰り返しており、刑務所内で知り合った[[暴力団]]組員を頼って諏訪市付近に来ていたのだが、その組員からの仕事の口利きを受けられず、金に困った末の犯行だった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。
同じ階でスナックを経営する別の女性経営者は「この日の午前1時頃に自分の店を閉めて帰る際、被害者の経営する店家からにぎやかなカラオケの歌声が漏れ、3,4人の男性客がまだ中にいる様子だった。被害者も店内にいたと思う」という<ref name="chunichi20020315m"/>。また被害者はこの女性に事件直前、「客が少なくて暇」「店を閉めようか」などと漏らしており、いつもは深夜零時に店を閉めることがほとんどだったが、事件が起きたこの日は珍しく遅かったという<ref name="chunichi20020315m"/>。


Bは同日昼過ぎ、旅館2階の居間でテレビを見ていたが、「テレビの映りが悪い」と旅館の女将(事件当時64歳)に申し出ると、「文句は代金を払ってから言って」と返されたために逆上し<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>、口論になった末に<ref group="新聞" name="読売新聞2013-02-22 長野"/>、女将を突き倒した<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。
翌3月14日午前3時頃、Bは所持金がなく、「このままでは無銭飲食で刑務所戻りになる」と恐れて強盗することを決意し、隣に腰かけていた女性の椅子を引っ張って女性を引き倒し、女性の首をカウンターの上にあったカラオケマイクのコードで絞めて殺害した<ref name="tokyo20131223"/>。Bは女性を殺害した後、グラスやカウンターの指紋を丁寧にぬぐい、性的暴行目的を装うため、女性の衣服の一部を脱がす偽装工作を行った上で、売上金8000円を奪って逃走した<ref name="tokyo20131223"/>。

女将は近くにあった靴べらを振り回して抵抗したが、Bは抵抗を交わして背後に回り、女将の首に手をかけ、首を絞めた<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。やがて女将はぐったりしたが、Bは電気こたつのコードで<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>首を二重に絞め直し<ref group="新聞" name="読売新聞2013-02-22 長野"/>、女将を殺害した後、遺体を押し入れに押し込んで隠匿・遺棄した上で<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>、帳場から現金2万円と預金通帳を盗んで逃走した<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。

この事件は1983年2月9日、女将の養子から[[長野県警察]][[諏訪警察署]]に「継母が行方不明になった」と届け出があったため、旅館内を捜索した諏訪署員が遺体を発見したことで発覚した<ref group="新聞">『[[読売新聞]]』1983年2月10日朝刊長野県版22面「旅館の女主人殺される【諏訪】」</ref>。事件発生当時から犯人は宿泊客の可能性が高いとみられていた<ref group="新聞" name="読売新聞2013-02-22 長野"/>。

この事件から2週間後の1983年2月19日<ref group="新聞" name="読売新聞1983-02-21"/>、所持金がわずか39円しかなかったBは<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>、[[東京都]][[台東区]][[浅草]]の[[喫茶店]]にいたところを<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/><ref group="新聞" name="読売新聞1983-02-21"/>、諏訪署の捜査員に[[詐欺罪|詐欺]]([[無銭飲食]])容疑で[[逮捕 (日本法)|逮捕]]された<ref group="新聞" name="読売新聞1983-02-21"/>。

その後、諏訪署に連行された[[被疑者]]Bは翌1983年2月20日、女将の殺害について「自分がやった」と容疑を認めたため、同日に殺人・死体遺棄容疑で逮捕された<ref group="新聞" name="読売新聞1983-02-21">『読売新聞』1983年2月21日朝刊長野県版22面「女性旅館主殺し逮捕【諏訪】」</ref>。

1983年10月28日<ref group="新聞" name="読売新聞2013-02-22 長野"/>、[[被告人]]Bは殺人・窃盗罪などで、[[長野地方裁判所]]から[[懲役]]15年([[求刑]]懲役20年)の判決を受け、[[岐阜刑務所]]に服役した<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19">{{Cite news |date=2013-12-19 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902000277.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(3)殺人 はじめは反省… |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133918/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013121902000277.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。

判決後の接見で、Bは[[国選弁護人]]から「刑務所で悪知恵を付けるんじゃないぞ。出てきて街で会ったら声を掛けてこい」と語りかけられた<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。

事件を知ったBの母は、被害者の女将の冥福を祈るために[[四国八十八箇所]]を遍路し、月に1度、獄中の息子へ送った手紙には改心を願う母心をつづった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。

=== 1998年4月、岐阜刑務所出所後 ===
初めは強い反省の念の下に刑務所生活を送っていた受刑者Bだったが、長期の服役生活を送る次第にその反省の念も薄れていったという<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。

[[1998年]](平成10年)4月、Bは岐阜刑務所を仮出所したが、その3か月後の1998年7月22日には『[[中日新聞]]』岐阜総局への電話で、自らを「[[信用調査会社]]社員だ」と売り込み、「2年前(1996年、当時Bは服役中)の[[御嵩町長襲撃事件]]の情報を提供したい」として、同紙の岐阜県警担当記者を[[岐阜駅]]付近の[[居酒屋]]に呼びつけた<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21"/>。

記者に延々と噂に毛の生えた程度の話をした後、Bは「電車賃を出してくれ」「情報料は3000円だ」などと、執拗に金の無心をした<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21">{{Cite news |date=2013-12-21 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122102000193.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(4)出所しては罪重ね |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133919/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122102000193.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。

後日、記者は旅行会社から身に覚えのない[[ヨーロッパ]]旅行の代金約70万円を請求されたため、旅行を申し込んだ者を調べると、金の無心をしてもらえなかったことを[[逆恨み]]して[[名刺]]を悪用したBの犯行であることが判明した<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21"/>。

仮出所の直後、Bは故郷・長野県の母宛ての手紙に「[[愛知県]][[豊橋市]]の[[保護司]]に世話になり仕事をしている」と綴っており、実際にこの頃は豊橋市に[[本籍]]地を移していたが、その住所は保護司ではなく暴力団組員の居宅で、まともに仕事を続けた形跡もなかった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21"/>。

Bは岐阜刑務所を仮出所してからわずか1年半後の<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21"/>、[[1999年]](平成11年)9月14日午後10時頃、名古屋市中区のスナックバーで、大手[[ゼネコン]]の社名と「海外建設部次長・山本力」という架空の名前を印刷した名刺を使って、同店の女性経営者を信用させ、この女性がトイレに立った隙に、店のカウンター内から現金2万円入りのバッグを盗んだ<ref group="新聞" name="中日新聞1999-10-06">『中日新聞』1999年10月6日夕刊第一社会面15面「ゼネコン偽装男逮捕 窃盗容疑 ニセ名刺で信用させ 中署」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞1999-10-06">『毎日新聞』1999年10月6日夕刊第一社会面7面「ゼネコン名刺で窃盗、無銭飲食 容疑の49歳無職逮捕--名古屋」</ref>。当時、Bは大手ゼネコン2社の社名入りの<ref group="新聞" name="毎日新聞1999-10-06"/>、部長・次長と名乗る偽の名刺3種類を、架空の電話番号・住所を入れて勝手に作っており<ref group="新聞" name="中日新聞1999-10-06"/>、1999年5月以降は名古屋市内の飲食店などで同様の手口による約30件・被害総額約100万円の被害届が提出されていた<ref group="新聞" name="中日新聞1999-10-06"/><ref group="新聞" name="毎日新聞1999-10-06"/>。

Bは1999年10月6日、同事件の窃盗容疑で[[愛知県警察]][[中警察署]]に逮捕された<ref group="新聞" name="中日新聞1999-10-06"/><ref group="新聞" name="毎日新聞1999-10-06"/><ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21"/>。また、この事件の他にもBは「[[中部国際空港]](セントレア)建設のため[[チリ]]から帰国し、自宅を新築した」などと偽り、同市内の[[家具]]店に700万円分の家具・[[和菓子]]店に500個の「内祝い」[[まんじゅう]]などを、偽の名刺を使って予約注文していた<ref group="新聞" name="中日新聞1999-10-06"/><ref group="新聞" name="毎日新聞1999-10-06"/>。

この2件はいずれも、店側がゼネコン2社に電話確認したことで詐欺であることが判明し、実害は発生しなかったが、ゼネコンには同様の問い合わせが約100件あったことから、中署は2社の信用を傷つけた[[信用毀損罪・業務妨害罪]]でBの余罪を追及した<ref group="新聞" name="中日新聞1999-10-06"/><ref group="新聞" name="毎日新聞1999-10-06"/>。

被告人Bはこれらの窃盗3件・詐欺1件の事件で1999年12月<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>、[[名古屋地方裁判所]]で懲役2年2月の実刑判決を受け<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21"/>、2002年1月14日<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15">[[#名古屋地裁判決(2003-05-15)|名古屋地裁判決(2003-05-15)]]</ref>、5度目の服役を終えて刑務所を出所したばかりだった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21"/>。しかしその後もBは定職に就かず、サウナ・カプセルホテルを転々とし、宿泊費・食費を得るために名古屋市内のスナックなどで無銭飲食などを繰り返していた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

== 事件発生 ==
=== 現場スナックに入るまで ===
Bは本事件前の2002年2月8日午後9時頃から2002年3月5日午後10時30分頃までの間、前後9回にわたり、名古屋市中区内のスナックバーなど計8か所で無銭飲食をし、店主らの隙を突いては売上金などを盗んで逃げるなどし、ビール22本ほか26点の飲食物(代金合計7万1300円相当)・席料・カラオケ使用などの利便(合計1万9000円相当)を騙し取った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

これに加え、2002年2月8日頃から2002年3月6日頃までの間の前後9回にわたり、前述のスナックなど計8か所で現金計約35万2300円・かばん5個ほか約159点(時価合計約16万650円相当)を窃取した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

刑務所を出所してから2か月後の2002年3月12日、Bは52歳の誕生日を迎えたが、翌2002年3月13日にはいつものように所持金が尽き、夜の繁華街をぶらついていた<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21"/>。そのため、これまでのように客を装い名古屋市[[東区 (名古屋市)|東区]]内の[[居酒屋]]に入ったが、売上金などを盗む隙を見い出せなかったため、結局は飲食代金を支払わないまま逃走するに止まった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

そこでBは、「さらに別の飲食店に入って売上金などを盗もう」と考え、ホテル・携帯電話販売店に立ち寄り、飲食店主らを信用させるための小道具にする名刺・サンプルの携帯電話を手に入れた上、適当な飲食店を物色していた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。その上で「人が少ないところがいい」と考えたBは、名古屋市中区栄4丁目の<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-22"/>、雑居ビル3階に位置する現場スナックバーに来店した<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-21"/>。

現場ビルは「[[女子大小路]]」「[[栄ウォーク街]]」と呼ばれる名古屋市中心部繁華街の一角に位置する地下1階・地上5階建てのビルで、約10軒の飲食店・スナックが入居していた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-14"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-14"/>。

=== スナック店内での凶行 ===
このスナックバーの店主は当時61歳の被害者女性で、Bが入店したのは閉店時間(午前0時)直前の午後11時だった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-22">{{Cite news |date=2013-12-22 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122202000174.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(5)小さな幸せの城に… |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619133922/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122202000174.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。Bが現場スナックを見掛けて店内を覗くと、客はおらず被害者1人がボックス席に座っていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。Bが被害者に営業時間を尋ねると、「12時まで」という答えが返ってきたため、Bは「隙を作らせて金を盗むには時間が足りない」と考えたため、一旦は店を出ようとした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。しかし、被害者に「時間は気にしなくていい」という旨を伝えられて引き留められたことから、店内に入りカウンター席に座った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。被害者女性は普段、閉店間際に一見客は入れなかったというが、当時は[[IT不況]]が尾を引く中、売り上げの落ち込みが気にかかっていたためか、一見のBを店に招き入れた<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-22"/>。

Bは日付が変わるまで店内で飲み続け、金を盗む隙を窺っていたが、女性には全く隙がなく、Bがトイレに立ったときでさえ、ドアを半開きにしてBの動きをうかがっていたという<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23">{{Cite news |date=2013-12-23 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122302000155.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(6)2人目の命奪う |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134001/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122302000155.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。被害者との会話もあまり気分のよいものと感じられなかったことから、Bは翌2002年3月14日午前1時頃には、「他の飲食店を狙った方がいいのではないか」と考え始めるようになり、被害者が「一見の客なんか入れないのに」と言う回数が増えてきたことから、嫌気が差したBは「無銭飲食だけで逃げよう」と考えるに至った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

途中、Bは「タバコがなくなった」として、被害者女性にたばこを外へ買いに行くように仕向けたが、女性は軽くいなし、腰を上げなかった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23"/>。Bが「仲間を迎えに行ってくる」と言い、店から逃げようと表へ出ても、後をつけてきた女性に引き戻された<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23"/>。

同じ階でスナックを経営する別の女性経営者は「この日の午前1時頃に自分の店を閉めて帰る際、被害者の経営する店から賑やかなカラオケの歌声が漏れ、3,4人の男性客がまだ中にいる様子だった。被害者も店内にいたと思う」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/>。また被害者は、この女性に事件直前、「客が少なくて暇」「閉店しようか」などと漏らしており、いつもは深夜0時に閉店することがほとんどだったが、事件が起きたこの日は珍しく遅かったという<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/>。

翌2002年3月14日午前3時頃、所持金がなかったBは「被害者に嵌められた」と感じ、いらだちを募らせていたところ、トイレから出てきた被害者がBの隣りに座り、またしても「うちは本当は一見さんは入れない」と言い始めたため、Bは「鍵も掛けられちゃったしなあ」と嫌味を言った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。しかし、被害者が「私は鍵なんて掛けていない」「私のこと、何とかしようと思って掛けたんじゃないでしょうね」などと答えたことを契機に、「このままでは無銭飲食で刑務所戻りになる」と恐れたBは強盗することを決意し<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23"/>、被害者を椅子ごと引き倒した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

床に仰向けに転倒した被害者は、「初めからおかしいと思ったんだ」などと大声で叫んで抵抗し、Bに左掌で口を押さえつけるように塞がれても、なおも暴れて抵抗した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

Bは被害者の犯行を抑圧しようと、被害者の口を塞いだまま立たせたが、左手親指・人差し指の付け根付近を思い切り噛みつかれ、その手を伸ばして引き抜くと、被害者が再び大声で叫び始めた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

そのためBは、被害者の背後からその首に左腕を回し、自身の左手首付近に右腕を十字に重ねて数分間思い切り引き、被害者の首を絞めた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。被害者は初めこそ叫んで抵抗していたものの、Bが首を絞め続け、さらにそのままの体勢で被害者の体を持ち上げて約1分間経過すると、おとなしくなったので、Bは被害者を床に寝かせた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

Bが被害者の息を確認したところ、息は感じられなかったが、被害者を確実に殺害しようとしたBは、その首に店内にあったカラオケのマイクコードを二重に巻き付けた上、コードの両端を思い切り引っ張り、被害者の首を再び強く絞め付けて殺害した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

Bは被害者を殺害後、指紋を消す証拠隠滅を図るため、グラス・カウンターなど<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23"/>、自らの手で触れたところをおしぼりでさっと拭き取ってから店内で現金を探した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。その際、カウンター内側の棚に置かれていたポシェットを見つけ、中の千円札8枚・小銭(現金計約8000円)を上着のポケットに入れた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

さらにBは、被害者がわいせつ目的の犯罪で殺されたと見せかけるため、被害者の遺体のスカートをまくり上げ、下着を途中まで引き下ろす偽装工作をした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。そして、被害者殺害後に飲んだトマトジュースの空き缶とその場にあったタオルを持ち、タオルで出入口ドアの取っ手等をつかみ、指紋を残さないようにして現場スナックを出た<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

=== 凶行後の余罪 ===
事件後、Bは同2002年3月14日午後8時30分頃から午後11時45分頃、名古屋市[[熱田区]]内の居酒屋でビール2本ほか7点の飲食物(代金合計5300円相当)を無銭飲食し、経営者所有の現金5万9000円・伝票9枚を窃取した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

事件翌日の2002年3月15日、Bは名古屋市熱田区内のスナックに客を装って来店し、その店の女性経営者が別の客を見送るために店外に出たのを見計らい、店内を物色したが、経営者に見つかってもみ合いになり、その直前にいったん退店した客も騒ぎに気付いて戻ってきたため、財布の入った上着を脱ぎ捨てて逃走した<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-18"/>。

さらにBは2002年3月16日頃、名古屋市熱田区内の病院地下1階男性職員用更衣室に侵入し、男性職員1名所有の作業着1着(時価約300円相当)を窃取した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

またBは同日頃、名古屋市熱田区内のビル2階にあった会社管理倉庫に侵入し、同社代表取締役が管理していた入浴剤2箱(時価合計約2000円相当)を窃取した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。

「(証拠隠滅の)後始末をうまくやれた」と思い込んでいたBは<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-25"/>、事件後も無銭飲食を繰り返しつつ名古屋市内に留まっており<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-24"/>、現場から逃走した直後も「早く遠くに逃げよう」とは思わず、まず[[タクシー]]で名古屋駅周辺に向かい、サウナで一泊した<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-25">{{Cite news |date=2013-12-25 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122502000188.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(8)900通余の最初の一通 |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134008/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122502000188.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。

しかし、ビール瓶に残ったBの指紋を証拠に愛知県警が目星をつけていたため、事件2日後の2002年3月16日夕方に[[金山駅 (愛知県)|金山駅]]前で捜索中の警官に呼び止められ、逮捕された<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-25"/>。当時52歳で、この時点で人生の半分近くの23年10カ月間を刑務所で暮らしていたBはこの日以降、二度と塀の外を歩くことはなかった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-25"/>。


== 捜査 ==
== 捜査 ==
=== 2002年3月14日、事件発覚、殺人事件として捜査開始 ===
女性の夫は事件発生時刻の午前3時頃、妻の帰りが遅いのを心配して、妻の携帯電話や店の電話に電話をかけたが、誰も出なかった<ref name="tokyo20131223"/>。このため、夫は午前7時半頃に現場スナックバーが入居する雑居ビルの管理者に連絡し、管理者の長女が午前8時40分頃に鍵を開けて店内に入ったところ、店内奥のカラオケコーナー付近の床で女性が倒れているのを発見して119番通報したが、女性は既に死亡していた<ref name="chunichi20020314">『[[中日新聞]]』2002年3月14日夕刊社会面15面「栄のスナック 女性経営者殺される 首にコードを巻かれ」</ref><ref name="asahi20020314">『[[朝日新聞]]』2002年3月14日夕刊社会面9面「栄のスナックに遺体 女性経営者、絞殺か 名古屋・中区【名古屋】」</ref>。現場ビルは「[[女子大小路]]」「[[栄ウォーク街]]」と呼ばれる名古屋市中心部繁華街の一角に位置する地下1階・地上5階建てのビルで、約10軒の飲食店・スナックが入居していた<ref name="chunichi20020314"/><ref name="asahi20020314"/>。ビル入居者によれば、女性は1人で店を営業しており、通常は午前0時頃に閉店していたという<ref name="asahi20020314"/>。遺体の首にコードが2,3回巻かれていたことから、愛知県警は中警察署に捜査本部を設置し、殺人事件として捜査した<ref name="chunichi20020314"/><ref name="asahi20020314"/>。
被害者女性の内縁の夫は事件発生時刻の午前3時頃、妻の帰りが遅いのを心配し、妻の携帯電話店の電話に電話をかけたが、誰も出なかった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23"/>。そのため夫は午前7時半頃、現場スナックバーが入居する雑居ビルの管理者に連絡した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-14"/>。


夫からの連絡を受け、ビル管理者の長女が午前8時40分頃に鍵を開けて店内に入ったところ、店内奥のカラオケコーナー付近の床で被害者女性が倒れているのを発見し、[[愛知県警察]]に119番通報したが、女性は既に死亡していた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-14">『[[中日新聞]]』2002年3月14日夕刊第一社会面15面「栄のスナック 女性経営者殺される 首にコードを巻かれ」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-14">『[[朝日新聞]]』2002年3月14日夕刊第一社会面9面「栄のスナックに遺体 女性経営者、絞殺か 名古屋・中区【名古屋】」</ref>。
遺体が発見された当時、第一発見者である管理者の長女は店が外から施錠されていたことを確認しており<ref name="chunichi20020314"/><ref name="asahi20020315"/>、店内にあったバッグにも複数本の鍵が残されていたことから、捜査本部は「犯人は合鍵などで施錠して逃走した」「合鍵を持つものなど顔見知りの者による犯行の可能性もある」とみて捜査したが<ref name="asahi20020315">『朝日新聞』2002年3月15日朝刊社会面31面「かぎ複数、店内に残る 栄のスナック経営の女性殺害【名古屋】」</ref>、実際に逮捕されたのは被害者とはそれまで面識のなかったBだった<ref name="asahi20020317"/>。また、司法解剖の結果、死因はコードで首を絞められたことによる窒息死<ref name="chunichi20020315m">『中日新聞』2002年3月15日朝刊社会面35面「栄のスナック経営者殺害 バッグ内に財布なし 窃盗目的から凶行?」</ref>、死亡推定時刻は午前3時頃から午前8時半までの間であると断定され<ref name="chunichi20020315m"/>、顔や首などには<ref name="asahi20020315"/>、壁や床にぶつけた際にできたとみられる内出血の痕跡もあったことが判明した<ref name="chunichi20020315m"/><ref name="asahi20020315"/>。雑居ビル周辺には、街頭などに多数の防犯カメラが設置されていたため、愛知県警はそれらの映像を記録したビデオの任意提出を受け、犯行時間帯とみられる14日未明から朝にかけて不審な人物が写っていないか解析を進めた<ref name="asahi20020316m">『朝日新聞』2002年3月16日朝刊第一社会面35面「防犯ビデオを解析 名古屋・栄のスナック経営女性殺害【名古屋】」</ref>。犯行後の店内には、客が使ったとみられるグラスがカウンターの上に遺されていたが、グラスから指紋は検出されなかったため、客として店を訪れた犯人が接客中の女性を襲い、犯行後にグラスの指紋を拭き取ったとみて捜査した<ref name="asahi20020316m"/>。店は月末に代金を振り込む会員制で、現金払いの客は少なく、レジスターはなかった<ref name="chunichi20020315m"/>。店内には洗う前の使用済みグラスが2個あり、女性は片付けをする前に襲われたと推測された<ref name="chunichi20020315m"/>。被害者は前年(2001年)夏に[[ひったくり]]の被害にあって以降、店のドアの鍵の種類を変えたり、大金を持ち歩かないよう用心していたというが<ref name="chunichi20020315m"/>、店内では女性のバッグが残されていた一方で<ref name="chunichi20020315m"/><ref name="asahi20020315"/>、現金や財布が見つからず<ref name="chunichi20020315m"/><ref name="asahi20020315"/><ref name="asahi20020316e"/>、小銭しか残っていなかったため<ref name="chunichi20020315m"/><ref name="chunichi20020315m"/>、窃盗目的の犯行の疑いが強まった<ref name="asahi20020316e"/>。遺体の着衣の一部には乱れがあったが、盗みに入った何者かが性的暴行目的と偽装するために工作したと推測された<ref name="chunichi20020315m"/>。


遺体の首にコードが2,3回巻かれていたことから、愛知県警は[[中警察署]]に捜査本部を設置し、殺人事件として捜査を開始した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-14"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-14"/>。
被害女性の夫は朝になって店へ駆けつけ<ref name="tokyo20131223"/>、既に通報を受けて駆け付けていた警察官らを押しのけて店に入り、妻の死を知った<ref name="tokyo20131224">{{Cite news |date=2013-12-24 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122402000174.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(7)奪った幸せ顧みず |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134005/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122402000174.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。夫は女性とは籍は入れていない事実婚の状況にあったが、前妻との間に生まれた2人の娘とともに幸せな家族生活を送っており、娘2人の独立を機に「夫婦でのんびり小料理屋でもやろうか」と話していた矢先の悲劇だった<ref name="tokyo20131224"/>。当時、[[名古屋市立大学]]で行われた被害者女性の[[司法解剖]]を担当した[[法医学者]]・[[長尾正崇]]はBがどうやって女性を絞殺したのかを再現した<ref name="tokyo20131223"/>。その結果判明したのは、コードを二重に首に回し、容易にほどけないように首の後ろでしっかりと結ばれており、女性の首の左側には自らの爪で引っかいたような傷が二つあったことから、コードを引きはがそうともがく女性を冷静に絞め続けたと分析した<ref name="tokyo20131223"/>。その上で、それまでに1000体以上の遺体の司法解剖を手掛けてきた長尾は経験則から犯人像について「殺そうとして殺している。人の命を奪うことに迷いがない」という結論を出した<ref name="tokyo20131223"/>。


遺体が発見された当時、第一発見者である管理者の長女は店が外から施錠されていたことを確認しており<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-14"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-15"/>、店内にあったバッグにも複数本の鍵が残されていたことから、捜査本部は「犯人は合鍵などで施錠して逃走した」「合鍵を持つものなど顔見知りの者による犯行の可能性もある」とみて捜査したが<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-15">『朝日新聞』2002年3月15日朝刊第一社会面31面「かぎ複数、店内に残る 栄のスナック経営の女性殺害【名古屋】」</ref>、実際に逮捕されたのは被害者とはそれまで面識のなかったBだった<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-17"/>。
その後の捜査で、残された使用済みグラスの表面には、指紋を拭き取ったような形跡が見られ、指紋の検出は困難になっていたことから、捜査本部は、客として店を訪れてグラスを手にした犯人が証拠隠滅を図ったと推測した<ref name="chunichi20020315e">『中日新聞』2002年3月15日夕刊社会面15面「グラス指紋ふき取る? 栄のスナック経営者殺害 外から施錠、逃亡か」</ref>。また、店内からは被害者の自宅・自転車の鍵のほか、ドア用の2種類の鍵が1本ずつ見つかった。ドアは上下2か所で施錠する仕組みで、施錠されていたのは1か所だったことから、捜査本部は、犯人が犯行の発覚を遅らせるために店内の別の場所にあったスペアキーを持ち出し、外から施錠して逃走した疑いもあると推測した<ref name="chunichi20020315e"/>。


また、司法解剖の結果、死因はコードで首を絞められたことによる窒息死<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊">『中日新聞』2002年3月15日朝刊第一社会面35面「栄のスナック経営者殺害 バッグ内に財布なし 窃盗目的から凶行?」</ref>、死亡推定時刻は午前3時頃から午前8時半までの間であることが断定され<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/>、遺体の顔や首などには<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-15"/>、壁や床にぶつけた際にできたとみられる内出血の痕跡もあったことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-15"/>。
事件翌日の3月15日、事件直前の3月上旬に現場近くの別のスナックを客として訪れ「タレントと付き合いがある」と名乗っていたBが、この店の女性経営者が目を離した隙に現金4000円を盗んで逃走する窃盗事件を起こしていたことが判明した<ref name="chunichi20020316m">『中日新聞』2002年3月16日朝刊1面「栄の女性殺害 50代の男関与か 付近で無銭飲食や窃盗」</ref><ref name="chunichi20020316e"/><ref name="asahi20020316e"/>。現場スナックで飲んでいたビールの瓶に指紋の拭き残しがあったこと<ref name="chunichi20020316m"/><ref name="chunichi20020316e"/><ref name="tokyo20131225"/>、客を装って店内にある金品を盗む手口など<ref name="chunichi20020316m"/><ref name="chunichi20020316e"/><ref name="asahi20020316e"/>、また1983年には無銭飲食などを繰り返した末に金に困り、殺人を犯して現場から金品を盗むという、類似性の強い経緯による殺人・窃盗事件を起こした前科があったことから<ref name="chunichi20020316e"/><ref name="chunichi20020317"/>、愛知県警は本事件との共通点に注目し、15日にBを窃盗容疑で指名手配して行方を追った<ref name="chunichi20020316e">『中日新聞』2002年3月16日夕刊社会面13面「栄の女性殺害 52歳男別の容疑で手配 店内に指紋、立ち寄る」</ref><ref name="asahi20020316e">『朝日新聞』2002年3月16日夕刊第一社会面11面「52歳男が立ち寄った形跡 スナック絞殺で愛知県警【名古屋】」</ref>。


雑居ビル周辺には、街頭などに多数の防犯カメラが設置されていたため、愛知県警はそれらの映像を記録したビデオの任意提出を受け、犯行時間帯とみられる14日未明から朝にかけて不審な人物が写っていないか解析を進めた<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-16 朝刊">『朝日新聞』2002年3月16日朝刊第一社会面35面「防犯ビデオを解析 名古屋・栄のスナック経営女性殺害【名古屋】」</ref>。
翌16日、[[金山駅 (愛知県)|金山駅]]や同駅周辺の繁華街などに重点を置いて捜査していたところ<ref name="chunichi20020317"/>、午後4時半頃に捜査員が金山駅付近の路上を歩いているBを発見し、特別捜査本部が設置された中署に任意同行した<ref name="chunichi20020317"/><ref name="asahi20020316e"/>。中署は既に前述の窃盗容疑での逮捕状も用意していたが、取り調べで殺人事件について追及したところ、Bが「金を奪う目的で客を装い店内に入ったが、口論となったことから女性を殺害した」と供述し、容疑を認めたため、強盗殺人容疑でBを逮捕した<ref name="chunichi20020317">『中日新聞』2002年3月17日朝刊社会面35面「女性店主強殺で男逮捕 栄のスナック 首絞め8000円奪う」</ref><ref name="asahi20020317">『朝日新聞』2002年3月17日朝刊第一社会面31面「52歳無職男を逮捕 名古屋・スナック経営者殺害事件【名古屋】」</ref>。取り調べに対し、Bは性的暴行目的を装うために着衣を工作したことを認めたため、捜査本部は「捜査を混乱させる狙いがあった」とみて取り調べた<ref name="asahi20020317"/>。逮捕された際Bの所持金は数十円しかなく、無銭飲食に使うための他人の名刺を数種類持っていた<ref name="chunichi20020317"/>。


犯行後の店内には、客が使ったとみられるグラスがカウンターの上に遺されていたが、グラスから指紋は検出されなかったため、愛知県警は「客として店を訪れた犯人が接客中の女性を襲い、犯行後にグラスの指紋を拭き取った」とみて捜査した<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-16 朝刊"/>。店は月末に代金を振り込む会員制で、現金払いの客は少なく、レジスターはなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/>。
逮捕後、Bは事件翌日にも窃盗目的で、熱田区内の別のスナックに客を装って訪れていたことが判明した<ref name="asahi20020318">『朝日新聞』2002年3月18日朝刊第一社会面29面「翌日も別スナック狙う 物色中に発覚 栄の強殺事件【名古屋】」</ref>。その店の女性経営者が別の客を見送るために店外に出たのを見計らい、店内を物色したが、経営者に見つかってもみ合いになり、その直前にいったん退店した客も騒ぎに気付いて戻ってきたため、財布の入った上着を脱ぎ捨てて逃走した<ref name="asahi20020318"/>。


店内には洗う前の使用済みグラスが2個あり、女性は片付けをする前に襲われたことが推測された<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/>。被害者は前年(2001年)夏に[[ひったくり]]の被害にあって以降、店のドアの鍵の種類を変えたり、大金を持ち歩かないよう用心していたが<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/>、店内では女性のバッグが残されていた一方で<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-15"/>、現金や財布が見つからず<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-15"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-16 夕刊"/>、小銭しか残っていなかったため<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/>、窃盗目的の犯行の疑いが強まった<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-16 夕刊"/>。
3月16日、名古屋市内の斎場で女性の葬儀が営まれ、夫は荼毘に付された妻の骨片の一部を「これからも一緒だ」と、自ら口に押し込んで飲み込んだ<ref name="tokyo20131224"/>。その直後、夫の携帯電話に愛知県警の捜査員から電話がかかり、犯人としてBが逮捕されたという一報を知った<ref name="tokyo20131224"/>。「後始末をうまくやれた」と思い込んでいたBは<ref name="tokyo20131225"/>、事件後も無銭飲食を繰り返しつつ名古屋市内に留まっており<ref name="tokyo20131224"/>、現場から逃走した直後も「早く遠くに逃げよう」とは思わず、まずタクシーで名古屋駅周辺に向かい、サウナで一泊した<ref name="tokyo20131225">{{Cite news |date=2013-12-25 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122502000188.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(8)900通余の最初の一通 |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134008/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122502000188.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。しかし、前述のビール瓶に残った指紋を証拠に愛知県警がBに目星をつけており、事件2日後の16日夕方に金山駅前で捜索中の警官に呼び止められ、逮捕された<ref name="tokyo20131225"/>。当時52歳で、この時点で人生の半分近くの23年10カ月間を刑務所で暮らしていたBは、この日以降二度と塀の外を歩くことはなかった<ref name="tokyo20131225"/>。

遺体の着衣の一部には乱れがあったが、「盗みに入った何者かが性的暴行目的と偽装するために工作した」と推測された<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 朝刊"/>。

被害者女性の夫は朝になって店へ駆けつけ<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23"/>、既に通報を受けて駆け付けていた警察官らを押しのけて店に入り、妻の死を知った<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-24">{{Cite news |date=2013-12-24 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122402000174.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(7)奪った幸せ顧みず |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134005/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2013122402000174.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。夫は女性とは籍は入れていない事実婚の状況にあったが、前妻との間に生まれた2人の娘とともに幸せな家族生活を送っており、娘2人の独立を機に「夫婦でのんびり小料理屋でもやろうか」と話していた矢先の悲劇だった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-24"/>。

当時、[[名古屋市立大学]]で行われた被害者女性の[[司法解剖]]を担当した[[法医学者]]・[[長尾正崇]]は、遺体の状況などから犯人が被害者女性を絞殺した手口を再現した<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23"/>。その結果判明したのは、「コードを二重に首に回し、容易にほどけないように首の後ろでしっかりと結ぶ」という手口だった上、女性の首の左側には自らの爪で引っかいたような傷が二つあったことから、長尾は「コードを引きはがそうともがく女性を冷静に絞め続けた」と分析した<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23"/>。その上で、それまでに1000体以上の遺体の司法解剖を手掛けてきた長尾は、経験則から犯人像について「犯人には明確な殺意があり、人の命を奪うことに迷いがない」という結論を出した<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-23"/>。

その後の現場検証で、現場に残された使用済みグラスの表面には、指紋を拭き取ったような形跡が見られ、指紋の検出は困難になっていたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 夕刊"/>。そのため捜査本部は、客として店を訪れてグラスを手にした犯人が証拠隠滅を図ったと推測した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 夕刊">『中日新聞』2002年3月15日夕刊第一社会面15面「グラス指紋ふき取る? 栄のスナック経営者殺害 外から施錠、逃亡か」</ref>。

また、店内からは被害者の自宅・自転車の鍵のほか、ドア用の2種類の鍵が1本ずつ見つかった<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 夕刊"/>。ドアは上下2か所で施錠する仕組みで、施錠されていたのは1か所だったことから、捜査本部は「犯人が犯行の発覚を遅らせるために店内の別の場所にあったスペアキーを持ち出し、外から施錠して逃走した疑いもある」と推測した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-15 夕刊"/>。

=== 2002年3月15日 - 16日、被疑者Bが捜査線上に浮上・逮捕 ===
事件翌日の2002年3月15日、事件直前の同年3月上旬に現場近くの別のスナックを客として訪れ「タレントと付き合いがある」と名乗っていた男Bが、この店の女性経営者が目を離した隙に現金4000円を盗んで逃走する窃盗事件を起こしていたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-16 朝刊">『中日新聞』2002年3月16日朝刊1面「栄の女性殺害 50代の男関与か 付近で無銭飲食や窃盗」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-16 夕刊"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-16 夕刊"/>。

事件現場スナックで飲んでいたビール瓶に指紋の拭き残しがあったこと<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-16 朝刊"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-16 夕刊"/><ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-25"/>、客を装って店内にある金品を盗む手口などに加え<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-16 朝刊"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-16 夕刊"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-16 夕刊"/>、Bは1983年に無銭飲食などを繰り返した末に金に困り、殺人を犯して現場から金品を盗むという、類似性の強い経緯による殺人・窃盗事件を起こした前科があったことから<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-16 夕刊"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-17"/>、愛知県警は本事件との共通点に注目し、同日に[[被疑者]]Bを窃盗容疑で指名手配し、その行方を追った<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-16 夕刊">『中日新聞』2002年3月16日夕刊第一社会面13面「栄の女性殺害 52歳男別の容疑で手配 店内に指紋、立ち寄る」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-16 夕刊">『朝日新聞』2002年3月16日夕刊第一社会面11面「52歳男が立ち寄った形跡 スナック絞殺で愛知県警【名古屋】」</ref>。

同日夜、名古屋市中区[[金山 (名古屋市)|金山]]のスナックで無銭飲食をして逃げた男の遺留品から被害者女性の名刺が発見されたため、捜査本部は「スナックで無銭飲食をした男はBで、金山周辺に潜伏している」として<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-03-17"/>、[[金山駅 (愛知県)|金山駅]]や同駅周辺の繁華街などに重点を置いて捜査した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-17"/>。

翌2002年3月16日午後4時半頃、金山駅北口付近の路上を捜索していた捜査員が路上を歩いているBを発見し<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-03-17"/>、特別捜査本部が設置された中署に任意同行した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-17"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-16 夕刊"/>。

中署は既に前述の窃盗容疑での逮捕状も用意していたが、取り調べで殺人事件について追及したところ、Bは「金を奪う目的で客を装い店内に入ったが、口論となったことから女性を殺害した」と供述し、容疑を認めたため、被疑者Bを強盗殺人容疑で逮捕した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-17">『中日新聞』2002年3月17日朝刊第一社会面35面「女性店主強殺で男逮捕 栄のスナック 首絞め8000円奪う」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-17">『朝日新聞』2002年3月17日朝刊第一社会面31面「52歳無職男を逮捕 名古屋・スナック経営者殺害事件【名古屋】」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2002-03-17">『毎日新聞』2002年3月17日中部朝刊第一社会面27面「名古屋・栄のスナック経営者強盗殺人 52歳容疑者を逮捕--中署捜査本部」</ref>。

取り調べに対し、Bは性的暴行目的を装うために着衣を工作したことを認めたため、捜査本部は「捜査を混乱させる狙いがあった」とみて取り調べた<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-17"/>。Bは逮捕された際、所持金はわずか10円しかなく<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-03-17"/>、無銭飲食に使うための他人の名刺を数種類持っていた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-17"/>。

逮捕後、被疑者Bは事件翌日(2002年3月15日)にも窃盗目的で、同市熱田区内の別のスナックに客を装って訪れていたことが判明した<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-03-18">『朝日新聞』2002年3月18日朝刊第一社会面29面「翌日も別スナック狙う 物色中に発覚 栄の強殺事件【名古屋】」</ref>。

被疑者Bが逮捕された2002年3月16日、名古屋市内の斎場で女性の葬儀が営まれ、夫は荼毘に付された妻の骨片の一部を「これからも一緒だ」と、自ら口に押し込んで飲み込んだ<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-24"/>。その直後、夫の携帯電話に愛知県警の捜査員から電話がかかり、被疑者としてBが逮捕されたという一報を知った<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-24"/>。

2002年3月17日までの捜査の結果、逮捕されたBは事件直前に現場周辺で無銭飲食を繰り返した際、19年前の1983年2月に[[長野県]][[諏訪市]]内で起こした殺人・死体遺棄事件の際や、1999年に詐欺容疑などで逮捕された際と同じ偽名を使用していたことが判明した<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-03-18">『毎日新聞』2002年3月18日中部朝刊第一社会面27面「名古屋・栄のスナック経営者殺害 B容疑者、83年強殺と同じ偽名--手口似る」</ref>。


== 刑事裁判 ==
== 刑事裁判 ==
2002年4月5日、[[名古屋地方検察庁]]はBを強盗殺人容疑で[[名古屋地方裁判所]]に[[起訴]]した<ref>『中日新聞』2002年4月6日朝刊第二社会面34面「栄の女性経営者 強殺で男を起訴」</ref><ref>『朝日新聞』2002年4月6日朝刊第一社会面31面「強盗殺人罪で容疑者を起訴 名古屋のスナック経営者殺害【名古屋】」</ref>。
=== 2002年4月5日、名古屋地検が被疑者Bを強盗殺人罪で名古屋地裁に起訴 ===
2002年4月5日、[[名古屋地方検察庁]]は被疑者Bを強盗殺人容疑で[[名古屋地方裁判所]]に[[起訴]]した<ref group="新聞">『中日新聞』2002年4月6日朝刊第二社会面34面「栄の女性経営者 強殺で男を起訴」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2002年4月6日朝刊第一社会面31面「強盗殺人罪で容疑者を起訴 名古屋のスナック経営者殺害【名古屋】」</ref>。


=== 第一審名古屋地裁 ===
=== 第一審名古屋地裁 ===
==== 2002年5月28日、第1回公判 ====
[[刑事裁判]]の初[[公判]]は[[名古屋地方裁判所]](三宅俊一郎裁判長)で2002年5月28日に開かれた<ref name="chunichi20020528">『中日新聞』2002年5月28日夕刊社会面11面「入店時から殺害意図 スナック経営者殺し 初公判で被告認める」「傍聴席の男性が被告に殴りかかる」</ref><ref name="asahi20020528">『朝日新聞』2002年5月28日夕刊第一社会面9面「初公判で被告、罪状認める 名古屋のスナック経営者強殺【名古屋】」</ref><ref name="tokyo20140113"/>。Bは「間違いありません」と起訴事実を認めた上で<ref name="chunichi20020528"/><ref name="asahi20020528"/>、その上で「取り調べでは殺してでも金を取ろうという意図は否定していたが、本当は入店した時点からそうしようと思っていた」と述べた<ref name="chunichi20020528"/>。この日、検察側の冒頭陳述朗読中に、傍聴席最前列で傍聴していた被害者の関係者とみられる中年男性が突然立ち上がり「てめえ、この馬鹿野郎。俺が殺してやる」と叫び<ref name="chunichi20020528"/><ref name="tokyo20140113"/>、傍聴席とBらを隔てる柵から身を乗り出し<ref name="chunichi20020528"/><ref name="tokyo20140113"/>、Bに背後から左顔面や背中に殴りかかった<ref name="chunichi20020528"/><ref name="asahi20020528"/><ref name="tokyo20140113"/>。男性はすぐに刑務官によって引き離され、三宅裁判長に退廷を命じられた<ref name="chunichi20020528"/><ref name="asahi20020528"/><ref name="tokyo20140113"/>。『[[東京新聞]]』([[中日新聞社]])朝刊社会面の連載特集記事(2014年1月13日付)によれば、この男性は被害者と事実婚関係にあった内縁の夫で、Bに怪我がなかったため不起訴処分になった<ref name="tokyo20140113">{{Cite news |date=2013-01-13 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011302000183.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(11)傍聴席から殴りつけ |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620174327/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011302000183.html |archivedate=2017-06-20 }}</ref>。
[[刑事裁判]]の初[[公判]]は2002年5月28日、[[名古屋地方裁判所]](三宅俊一郎裁判長)で開かれた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-05-28">『中日新聞』2002年5月28日夕刊第一社会面11面「入店時から殺害意図 スナック経営者殺し 初公判で被告認める」「傍聴席の男性が被告に殴りかかる」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-05-28">『朝日新聞』2002年5月28日夕刊第一社会面9面「初公判で被告、罪状認める 名古屋のスナック経営者強殺【名古屋】」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2002-05-28">『毎日新聞』2002年5月28日中部夕刊第二社会面6面「名古屋・栄のスナック経営者殺害 被告、殺意認める--地裁初公判」(記者:篠原成行)</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-13"/>。


検察側は冒頭陳述で、「被告人Bは本事件直前にもスナックなどで、生活費目的で約30件の窃盗を繰り返していた。Bは被害者を殺害した際、強盗目的を隠蔽するため、被害者の着衣を乱すことで性的暴行目的の犯行に見せかける偽装工作をした」などと主張した<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-05-28"/>。
10月8日の第4回公判で、Bは[[弁護人]]に相談もせず、それまでと一転して「被害者を殺した後に金を奪うことを考えた」と主張し、強盗殺人ではなく、単純殺人だという主張を展開した<ref name="tokyo20140114">{{Cite news |date=2013-01-14 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011402000101.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(12)左腕に残る感触自問 |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620211747/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011402000101.html |archivedate=2017-06-20 }}</ref>。逮捕から1週間後には強盗目的の犯行を認めていたが、これについてBは「夜遅くまでの取り調べが続き、もうどうでもいいと思った」と説明した<ref name="tokyo20140114"/>。


検察側の冒頭陳述朗読中、傍聴席最前列で傍聴していた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-05-28"/>、被害者と事実婚関係にあった内縁の夫<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-13"/>が突然立ち上がり、「てめえ、この馬鹿野郎。俺が殺してやる」と叫び<ref group="新聞" name="中日新聞2002-05-28"/><ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-13"/>、傍聴席と被告人Bらを隔てる柵から身を乗り出し<ref group="新聞" name="中日新聞2002-05-28"/><ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-13"/>、Bに背後から襲い掛かり、左顔面・背中に殴りかかった<ref group="新聞" name="中日新聞2002-05-28"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-05-28"/><ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-13"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2002-05-28"/>。
第一審は[[2003年]](平成15年)2月19日に結審し、同日の論告求刑公判で検察側は「Bは犯行手段が酷似した殺人事件で服役した前科があり、更生の機会を与えられながら再犯した」などとして死刑を求刑した<ref name="asahi20030219">『朝日新聞』2003年2月19日朝刊第一社会面29面「名古屋・中区のスナック経営者強殺、死刑を求刑【名古屋】」</ref>。弁護側は最終弁論で「大声を出して抵抗する被害者を黙らせようと首を絞めたが、この時点では金品を奪い取る決意はなかった」として殺人・窃盗などの併合罪が妥当と主張し、その上で死刑・無期懲役を回避し有期懲役刑に留めるよう主張した<ref name="asahi20030219"/>。第一審判決を前に、Bは収監先の[[名古屋拘置所]]に面会に訪れ続けていた牧師に対して「[[岐阜刑務所]]に入ると思います。20年近い務めに入ることは間違いない」と語っており<ref name="tokyo20140115">{{Cite news |date=2013-01-15 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011502000185.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(13)囚人に「先生」と呼ばれ |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134136/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011502000185.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>、この時は死刑になることは想定していなかった<ref name="tokyo20140116"/>。


夫はすぐに刑務官によって引き離され、三宅裁判長に退廷を命じられた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-05-28"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-05-28"/><ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-13"/>。この騒ぎにより公判は約5分間中断したが、被告人Bは公判再開後も動揺した様子はなく、正面を向いたまま冒頭陳述を聞き続けた<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-05-28"/>。
2003年5月15日に[[判決 (日本法)|判決]]公判が開かれ、名古屋地裁([[伊藤新一郎]]裁判長)は「強盗殺人罪の成立を否定する態度、1983年の殺人前科などから見て、反省、悔悟の情に乏しい。再犯の可能性を否定しがたい」「極刑も考えられる」と断罪した一方で<ref name="tokyo20140116"/>、Bが入店した当時「無銭飲食をした上で店の売上金などを盗む窃盗目的はあったが、検察側が主張するように当初から強盗殺人の犯意があったわけではなかった<ref name="asahi20030515"/>。Bはいったん売上金など金品を盗むことを諦めて逃走しようとしたが失敗し、女性に店の出入り口扉を施錠されたため、女性を殺害して売上金を奪って逃走するほかないと、心理的に追い詰められての犯行であり、現場にあったカラオケのマイクコードで首を絞めた手口からは計画性は認められない<ref name="asahi20030515"/>。命を奪う『究極の刑罰』に決めるには疑いが残る。終生贖罪に当たらせることが相当である」として<ref name="tokyo20140116"/>、検察側の死刑求刑に対し[[無期刑|無期]][[懲役]]の判決を言い渡した<ref name="asahi20030515">『朝日新聞』2003年5月15日夕刊第一社会面9面「強殺被告に無期 名古屋・中区の飲食店主殺害で地裁【名古屋】」</ref><ref name="tokyo20140116">{{Cite news |date=2013-01-16 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011602000148.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(14)一審「無期」判決に安堵 |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134139/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011602000148.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。


『[[東京新聞]]』([[中日新聞社]])朝刊社会面の連載特集記事(2014年1月13日付)によれば、内縁の夫はその後、被告人Bに怪我がなかったため不起訴処分になった<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-13">{{Cite news |date=2013-01-13 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011302000183.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(11)傍聴席から殴りつけ |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620174327/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011302000183.html |archivedate=2017-06-20 }}</ref>。
弁護人の勧めから、Bは有期懲役刑への減軽を求め、[[名古屋高等裁判所]]に[[控訴]]した<ref name="tokyo20140116"/>。その2日後、5月28日には、死刑を求めた名古屋地検も、量刑不当を訴え、名古屋高裁に控訴した<ref>『朝日新聞』2003年5月28日夕刊第一社会面9面「地検が控訴 名古屋・中区の店主殺害事件【名古屋】」</ref>。


同日の罪状認否で、被告人Bは「間違いありません」と起訴事実を認めた上で<ref group="新聞" name="中日新聞2002-05-28"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-05-28"/>、「取り調べでは『殺してでも金を取ろう』という意図は否定していたが、本当は入店した時点からそうしようと思っていた」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-05-28"/>。
=== 控訴審(名古屋高裁) ===
[[名古屋高等裁判所]]での控訴審の開始を控え、新たに[[国選弁護人]]として就任した弁護士は、2003年7月、有期刑への減軽を狙い、名古屋拘置所で面会したBに対し「強盗殺人の事実関係は争わず、反省の態度を示そう」と提案した<ref name="tokyo20140119"/>。これは、第一審での主張とは正反対のものではあったが、Bも同意した<ref name="tokyo20140119"/>。Bは控訴審公判直前、被害者の内縁の夫に謝罪の手紙を送ったが、法廷で「今でも考えることは妻のことばかり」「絶対に死刑に」と訴えた夫は、その手紙をちり紙に使って捨てていた<ref name="tokyo20140119"/>。


検察側は同日、「被告人Bは19年前にも殺人事件を起こしており、このようなむごい殺し方を2回もできる男がこの世にいること自体が理解できない」とする被害者の夫の供述調書を、名古屋地裁に証拠提出した<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-05-28"/>。
控訴審では特段に争点はなく、2003年秋にわずか2回の公判で結審した<ref name="tokyo20140119"/>。逆転死刑判決を目指す検察側は、被害者遺族の死刑を望む思いを文書にまとめて対抗し<ref name="tokyo20140119"/>、「Bは1983年にも手口の似た殺人事件を起こして服役した前科があり、スナック入店時点で強盗殺人の犯意があった」として、第一審の無期懲役判決を[[取消し|破棄]]して死刑を適用するよう求めた<ref name="asahi20040206"/>。弁護側は、Bが牧師に送った「死んで償いたい」などと記された手紙を証拠提出し、また被害者の内縁の夫への手紙を「贖罪の心の証」と主張した上で<ref name="tokyo20140119"/>、「犯行に計画性はなく、女性を静かにさせるために咄嗟に首を絞めた。逮捕後には贖罪の気持ちを深めており、有期懲役刑が相当である」と主張した<ref name="asahi20040206"/>。


==== 2002年10月8日、第4回公判、被告人Bが被告人質問で強盗殺人を否定 ====
[[2004年]](平成16年)2月6日に判決公判が開かれ、名古屋高裁([[小出錞一]]裁判長)は「冷酷残忍な犯行で、故意に人命を奪ったのがこれで2回目ということを留意せざるを得ない」「事前に強盗殺人の計画は立てていなかったが、女性に隙がなく、逃げられなかったため殺害した。悪事を働こうとした者が自ら招いたもので、追い詰められたとは言えない」「Bは無銭飲食や売上金窃盗などの事件を繰り返し、盗んだ金でサウナなどに宿泊する生活をしており、このような生活を続ければ、いずれは起こるべくして起きた事件である。殺人前科による長期の服役後に更生機会を与えられたにもかかわらず、その後も無為徒食な生活を続けた末に起こした事件であり、極刑は免れられない」などとして第一審の無期懲役判決を破棄し、検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した<ref name="asahi20040206">『朝日新聞』2004年2月6日夕刊第一社会面15面「飲食店主殺害に死刑判決 再犯留意、一審覆す 名古屋高裁」<br>『朝日新聞』2004年2月6日夕刊第一社会面9面「飲食店主絞殺に死刑 名古屋高裁『殺人2回目、冷酷』【名古屋】」</ref><ref name="tokyo20140119">{{Cite news |date=2014-01-19 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011902000168.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(15)二審極刑…ぼうぜん |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134145/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011902000168.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。判断の根拠こそ「犯行は身勝手、残忍で、被害者遺族の感情は悲痛極まりない」「被害者に隙がなく、もう逃げられないと追い詰められた故の凶行であり、事前の計画性はない」など、死刑を回避した第一審とほとんど変わらないものではあったが、高裁判決は殺人前科を重視し、出所後も無銭飲食などを繰り返したことを挙げ、「追い詰められたのは自業自得」として、死刑を回避する事情には当たらないと断罪した<ref name="tokyo20140201">{{Cite news |date=2014-02-01 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020102000123.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(22)厳罰化 生死分かつ |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134736/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020102000123.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。
2002年10月8日の第4回公判における被告人質問で、被告人Bは[[弁護人]]に相談もせず、それまでと一転して「被害者を殺した後に金を奪うことを考えた」と主張し、強盗殺人罪を否定し、単純殺人に相当することを主張した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-14">{{Cite news |date=2013-01-14 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011402000101.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(12)左腕に残る感触自問 |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620211747/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011402000101.html |archivedate=2017-06-20 }}</ref>。


被告人Bは逮捕から1週間後、強盗目的の犯行を認めていたが、これについては「夜遅くまでの取り調べが続き、もうどうでもいいと思った」と説明した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-14"/>。
2004年10月に[[日本弁護士連合会]]がまとめた、1983年に死刑適用基準として引用されている[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]の[[判例]]「[[永山則夫連続射殺事件#永山基準|永山基準]]」が示されて以降の、死刑求刑事件の判例を研究した報告書によれば、殺害被害者数が1人の殺人事件においては「[[身の代金|身代金]][[誘拐]]や[[保険金殺人|保険金目当て]]など計画性が高いか、以前に無期懲役刑で服役し、[[仮釈放]]中に起こした場合を除き、死刑を宣告された事例は1件もない」という調査結果が出ていた<ref name="tokyo20140131">{{Cite news |date=2014-01-31 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014013102000129.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(21)永山基準の例外に |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134734/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014013102000129.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。しかし、その調査期間は前年(2003年)までで、この高裁判決において「殺害被害者数1人、計画性は低い、無期懲役の前科なし」という条件で死刑を宣告された本件が初の「例外」となった<ref name="tokyo20140131"/>。


==== 2003年2月19日、論告求刑公判、検察側が被告人Bに死刑求刑 ====
Bは判決を不服として、2月17日までに[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]した<ref>『朝日新聞』2004年2月18日朝刊第二社会面28面「B被告が上告 名古屋市の女性経営者強殺【名古屋】」</ref>。
第一審は[[2003年]](平成15年)2月19日に結審し、同日の[[論告]][[求刑]]公判で検察側は被告人Bに死刑を求刑した<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-02-19">『朝日新聞』2003年2月19日朝刊第一社会面29面「名古屋・中区のスナック経営者強殺、死刑を求刑【名古屋】」</ref>。


検察側は論告で、「被告人Bは、犯行手段が酷似した殺人事件で服役した前科があり、更生の機会を与えられながら再犯した」などと主張した<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-02-19"/>。
=== 上告審(最高裁) ===
[[2007年]](平成19年)2月8日、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第一小法廷([[才口千晴]]裁判長)で上告審[[口頭弁論]]公判が開かれた<ref name="mainichi20070209">『[[毎日新聞]]』2007年2月9日中部朝刊社会面24面「名古屋のスナック女性強殺:最高裁で結審」</ref>。弁護側は「殺害された被害者が1人の事件で死刑にするのは許されない」と死刑判決の破棄を訴えた一方、検察側は「刑事責任は誠に重い」として上告[[棄却]]を求め、結審した<ref name="mainichi20070209"/>。


同日、弁護人側は最終弁論で「大声を出して抵抗する被害者を黙らせようと首を絞めたが、この時点では金品を奪い取る決意はなかった」として殺人・窃盗などの併合罪が妥当と主張し、その上で[[量刑]]選択においては死刑・無期懲役を回避し、有期懲役刑に留めるよう主張した<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-02-19"/>。
同年3月22日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)は「強固な殺意に基づく執拗、残忍な犯行で、被害者遺族の処罰感情も峻烈である」「Bは過去に同様の経緯で殺人・窃盗事件を起こし、懲役15年の有罪判決を受けて服役した前科があった。死刑とした控訴審の判断はやむを得ないとして是認せざるを得ない」としてB(上告からこの時点までにK姓に改姓)の上告を棄却し、死刑判決が[[確定判決|確定]]した<ref>『中日新聞』2007年3月23日朝刊社会面39面「栄のスナック女性店主強殺 被告の死刑確定へ 上告棄却」</ref><ref>『朝日新聞』2007年3月22日朝刊第一社会面31面「最高裁も死刑 名古屋・スナック経営者殺害の被告【名古屋】」</ref>。


第一審判決を前に、被告人Bは収監先の[[名古屋拘置所]]に面会に訪れ続けていた牧師に対し、「[[岐阜刑務所]]に入ると思います。20年近い務めに入ることは間違いない」と語っており<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-15">{{Cite news |date=2013-01-15 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011502000185.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(13)囚人に「先生」と呼ばれ |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134136/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011502000185.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>、この時は死刑になることは想定していなかった<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-16"/>。
== 死刑の執行 ==
[[2013年]](平成25年)2月21日、[[法務省]]の[[谷垣禎一]][[法務大臣]]による死刑執行命令により、[[名古屋拘置所]]でBの死刑が執行された<ref name="chunichi20130221">『[[中日新聞]]』2013年2月21日夕刊1面「3人の死刑執行 奈良女児誘拐殺人 土浦の無差別殺傷 栄のスナック強殺 第2時安倍政権で初」<br>『中日新聞』2013年2月21日夕刊社会面11面「3人死刑執行 栄のスナック強殺・B死刑囚 出所4年後に殺人」</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00397.html |title=法務大臣臨時記者会見の概要 |publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[谷垣禎一]]) |date=2013-02-21 |accessdate=2017-08-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170810155042/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00397.html |archivedate=2017-08-10 }}</ref>。この日には[[奈良小1女児殺害事件]]・[[土浦連続殺傷事件]]の各[[死刑囚]]も含め、計3人の死刑が執行されたが<ref name="chunichi20130221"/>、死刑執行を各マスメディアが速報した際には、社会を震撼させたこの2つの殺人事件の死刑囚らが注目された一方で、ある民放キー局のテロップでは「[[奈良小1女児殺害事件]]の死刑囚、[[土浦連続殺傷事件]]の死刑囚『ら』3人」と表記されたように、Bの死刑執行はその「ついで」のように報じられ、翌日以降の続報もほとんどなかった<ref name="tokyo20131217"/>。また、Bの実兄はテレビのニュース速報で弟の死刑執行を知ったが、そのニュースでは本来の旧姓の読み「B」ではなく、同じ漢字表記の「M」と読み間違えられていたという<ref name="tokyo20131219"/>。


==== 2003年5月15日、判決公判、被告人Bに無期懲役判決 ====
Bは執行前の[[2008年]](平成20年)、弁護士や識者らが死刑囚を対象に実施したアンケートで「私は『生きているうちに[[死刑存廃問題|死刑廃止]]はない』と思い、[[鳩山邦夫|鳩山]]法相(当時)に『死刑囚から願い出があった時は、臓器移植・検体ができる制度を法制化していただけるよう』昔でいう請願をしました。それから1年が経とうとしますが、未だ返信がありません」「死刑執行の際に死刑囚の実名が公表されると、死刑囚の親族の生活が穏やかでなくなります。私から鳩山さんを見ましたら違った意味で[[死神]]に見えます。『今日、何人の死刑が執行された』だけの発表でよいのではないでしょうか」と回答していた<ref name="chunichi20130221"/>。
2003年5月15日、[[判決 (日本法)|判決]]公判が開かれ、名古屋地裁([[伊藤新一郎]]裁判長)は被告人Bに[[無期刑|無期]][[懲役]]判決を言い渡した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2003-05-15">『朝日新聞』2003年5月15日夕刊第一社会面9面「強殺被告に無期 名古屋・中区の飲食店主殺害で地裁【名古屋】」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-16">{{Cite news |date=2013-01-16 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011602000148.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(14)一審「無期」判決に安堵 |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134139/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011602000148.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。


名古屋地裁は[[判決理由]]で、被告人Bの犯罪事実を検察側の主張通り、「金品を強取する目的で被害者を殺害した」と[[事実認定]]し、強盗殺人の犯意を否定した被告人Bの主張を退けた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2003-05-15"/>。
== 刑事裁判の判決文 ==

* '''{{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋地方裁判所]]刑事第5部 |事件番号=平成14年(わ)800号 |事件名=強盗殺人、詐欺、窃盗被告事件 |裁判年月日=2003年(平成15年)5月15日 |判例集= |判示事項= |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=007641 }}'''
その上で、「強盗殺人罪の成立を否定する態度、1983年の殺人前科など、さまざまな情状を吟味すればBは反省・悔悟の情に乏しい。再犯の可能性を否定し難く、極刑適用も考えられる」と断罪した一方で<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-16"/>、「Bは入店した当時、無銭飲食をした上で店の売上金などを盗む窃盗目的はあったが、検察側が主張するように当初から強盗殺人の犯意があったわけではなかった」として、犯行の計画性を否定した<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-05-15"/>。

加えて、[[量刑]]選択理由で「Bはいったん売上金など金品を盗むことを諦めて逃走しようとしたが失敗し、女性に店の出入り口扉を施錠されたため、『女性を殺害して売上金を奪って逃走するほかない』と心理的に追い詰められた末に犯行に及んだ。現場にあったカラオケのマイクコードで首を絞めた手口からは計画性は認められない」と認定した上で<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-05-15"/>、「命を奪う『究極の刑罰』に決めるには疑いが残る。終生贖罪に当たらせることが相当である」として<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-16"/>、検察側の死刑求刑を退けた。

===== 検察側・被告人側の双方が名古屋高裁に控訴 =====
弁護人の勧めから被告人Bは有期懲役刑への減軽を求め、[[名古屋高等裁判所]]に[[控訴]]した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-16"/>。被告人Bは判決後、面会に訪れていた牧師宛の手紙で、「万が一の死刑判決を恐れてはいたが、これでもう少し生き永らえることができそうです」と、判決直前の不安・判決直後の安堵の心情を綴った<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-16"/>。

被告人側控訴から2日後<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-16"/>、2003年5月28日には、死刑を求めた名古屋地検も量刑不当を訴え、名古屋高裁に控訴した<ref group="新聞">『朝日新聞』2003年5月28日夕刊第一社会面9面「地検が控訴 名古屋・中区の店主殺害事件【名古屋】」</ref>。判決公判時、傍聴席で被告人Bのみならず、死刑を回避した名古屋地裁の裁判官らへの怒りに震えた被害者の内縁の夫は、この時に担当の検察官から「絶対に死刑にしてみせます」と声を掛けられていた<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-16"/>。

=== 控訴審・名古屋高裁 ===
==== 控訴審判決までの検察側・被告人側双方の動き ====
[[名古屋高等裁判所]]における控訴審初公判を控え、新たに被告人Bの[[国選弁護人]]として就任した弁護士・太田寛は2003年7月、名古屋拘置所で被告人Bと面会した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-19"/>。

太田は有期懲役刑への減軽を狙い、被告人Bに対し「強盗殺人の事実関係は争わず、反省の態度を示そう」と提案した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-19"/>。

これは、第一審の被告人質問において被告人B自身が主張した「強盗殺人の意図はなかった」とする主張とは正反対のものではあったが、被告人Bも同意した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-19"/>。

被告人Bは控訴審公判直前、被害者の内縁の夫に謝罪の手紙を送ったが、第一審の法廷で「今でも考えることは妻のことばかり」「絶対に死刑にしてほしい」と訴えた夫は、その手紙をちり紙に使って捨てていた<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-19"/>。

弁護人側は、被告人Bが獄中から牧師に送った「死んで償いたい」などと記された手紙を証拠提出し、また被害者の内縁の夫への手紙を「贖罪の心の証」と主張した上で<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-19"/>、「被告人Bは犯行の計画性はなく、女性を静かにさせるために咄嗟に首を絞めた。逮捕後には贖罪の気持ちを深めており、有期懲役刑が相当である」と主張した<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06 名古屋"/>。

一方で逆転死刑判決を目指す検察側は、被害者遺族の死刑を望む思いを文書にまとめて対抗し<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-19"/>、「被告人Bは1983年にも手口の似た殺人事件を起こして服役した前科があり、スナック入店時点で強盗殺人の犯意があった」として、第一審の無期懲役判決を[[取消し|破棄]]して死刑を適用するよう求めた<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06 名古屋"/>。

控訴審では被告人Bが第一審から一転し、強盗殺人の犯意を認めたために特段の争点はなく、2003年秋にわずか2回の公判で結審した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-19"/>。

==== 2004年2月6日、控訴審判決、第一審の無期懲役判決破棄・被告人Bに死刑判決 ====
[[2004年]](平成16年)2月6日、判決公判が開かれ、名古屋高裁([[小出錞一]]裁判長)は第一審・無期懲役判決を[[取消し|破棄]]し、検察側の求刑通り被告人Bに死刑判決を言い渡した<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06">『朝日新聞』2004年2月6日夕刊第一社会面15面「飲食店主殺害に死刑判決 再犯留意、一審覆す 名古屋高裁」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06 名古屋">『朝日新聞』2004年2月6日夕刊第一社会面9面「飲食店主絞殺に死刑 名古屋高裁『殺人2回目、冷酷』【名古屋】」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-19">{{Cite news |date=2014-01-19 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011902000168.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(15)二審極刑…ぼうぜん |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134145/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014011902000168.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。

名古屋高裁は判決理由で、犯行計画性の否定・犯行の悪質性・被害者遺族の峻烈な処罰感情などの点について<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06 名古屋"/>、死刑を回避した第一審とほとんど同様の事実認定をなしたが、量刑理由では1983年の殺人前科を重視し、出所後も無銭飲食などを繰り返したことを挙げ、「追い詰められたのは被告人Bが自ら招いた自業自得の結果であり、死刑を回避する事情には当たらない」<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-01">{{Cite news |date=2014-02-01 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020102000123.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(22)厳罰化 生死分かつ |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134736/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020102000123.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>、「冷酷残忍な犯行で、故意に人命を奪ったのがこれで2回目ということを留意せざるを得ない。無銭飲食・売上金窃盗などの犯罪を繰り返し、その金でサウナなどに宿泊するような無為徒食の生活を続ければ、いずれは起こるべくして起きた事件である。被告人Bは殺人前科による長期の服役後に更生機会を与えられたにもかかわらず、その後も同様の生活を続けた末に起こした事件であり、極刑は免れられない」と断罪した<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06 名古屋"/>。

2004年10月、[[日本弁護士連合会]]が「死刑適用基準として引用されている[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]の[[判例]]「[[永山則夫連続射殺事件#永山基準|永山基準]]」が1983年に示されて以降の死刑求刑事件の判例を研究した報告書」を取りまとめたが、その報告書内容によれば、殺害被害者数が1人の殺人事件においては、「[[身代金]][[誘拐]]・[[保険金殺人|保険金目当て]]・[[JT女性社員逆恨み殺人事件|犯罪被害を届け出たことを逆恨みしてお礼参りした事例]]など計画性が高いか、以前に殺人事件を起こして無期懲役刑で服役したにも拘らずその[[仮釈放]]中に起こした事例<ref group="注釈">[[福山市女性強盗殺人事件]](1992年発生)など。</ref>を除き、死刑を宣告された事例は1件もない」という調査結果が出ていた<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-31">{{Cite news |date=2014-01-31 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014013102000129.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(21)永山基準の例外に |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134734/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014013102000129.html |archivedate=2017-06-19 }}</ref>。しかし、その調査期間は発表前年(2003年)までで、この控訴審判決において「殺害被害者数1人、計画性は低い、無期懲役の前科なし」という条件で死刑を宣告された本件が初の「例外」となった<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-31"/>。

===== 2004年2月17日まで、被告人Bが最高裁に上告 =====
被告人Bは判決を不服として、2004年2月17日までに[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]した<ref group="新聞">『朝日新聞』2004年2月18日朝刊第二社会面28面「B被告が上告 名古屋市の女性経営者強殺【名古屋】」</ref>。

=== 上告審・最高裁第一小法廷 ===
==== 上告中の被告人B周辺の環境 ====
最高裁上告中の2004年5月、被告人Bは手紙で知り合った[[兵庫県]]内在住の[[キリスト教]]信徒の主婦だった50歳代女性と名古屋拘置所内で初めて面会した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-26"/>。その2か月後の2007年7月、被告人Bは女性と養子縁組し、「B」から女性の姓「K」に改姓した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-26">{{Cite news |date=2014-01-26 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014012602000160.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(17)親子になった2人 |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620195327/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014012602000160.html }}</ref>。

2004年8月、控訴審で被告人Bの国選弁護人を担当していた太田が体調を崩したため、国選弁護人が湯山孝弘に交代した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-29"/>。湯山は、名古屋拘置所で被告人Bと初めて面会した際、その人物像を「普通のおじさん」と受け取っており、面会を重ねるにつれてしばしばBが、自身や養母に対し「もう上告を取り下げたい」「償いが一番つらいし、生きていくのが辛い」と漏らした際には、「反省が足りない。生きて償うように努力しろ」と叱咤した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-29"/>。湯山は、死刑囚Bの人物像を「平気で嘘を言うやんちゃなワルだ。面会で彼に振り回されたこともある」と評しつつも、死刑執行直前まで面会・文通を続け、面会の度に「自分の犯した罪を真正面から受け止めろ」と諭すなど、最後まで1人の人間として向き合おうとし続けていた<ref group="新聞" name="東京新聞2014-03-01"/>。

2004年の秋から冬頃、湯山は被告人Bとの面会中、持論の死刑廃止論を語ったが、これに対しBは「死刑制度はあった方がいい」と返した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-02">{{Cite news |date=2014-02-02 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020202000097.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(23)極刑は遺族のため |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620184746/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020202000097.html }}</ref>。その根拠は、人生の大半を獄中で過ごしてきた自身の体験を重ね合わせた「仮釈放のない終身制を死刑の代替手段として導入すれば、希望のない生活を続けることになるし、それは耐えられない」という考えに加え、「加害者は一日も早く事件を忘れたいが、被害者遺族は一生忘れられない。被害者・遺族の無念を晴らすためには死刑制度は必要だ」という理由だった<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-02"/>。これはB自身、初公判の際に被害者遺族の内縁の夫に殴られた経験があることに加え、1994年に発生した[[少年犯罪]]・[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]]で自身と同じく名古屋拘置所に収監され、後に死刑が確定した3被告人のうち1人と文通しており、その被告人も同事件の被害者遺族から峻烈な怒りを浴びていることを知っていたためだった<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-02"/>。

死刑制度を是認するBの考えを知り、養母は湯山に宛てた相談の手紙で「死刑廃止の願いは被害者遺族のことを考えた上で始まる」と綴っており、後述のように病魔に侵されたために実現しなかったが、Bに殺された被害者女性の遺族と直接対面した上で謝罪することも希望していた<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-03">{{Cite news |date=2014-02-03 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020302000111.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(24)希望は「目には目を」 |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620192446/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020302000111.html }}</ref>。

養母の女性は2005年12月、それまで住んでいた[[大阪府]]内([[新大阪駅]]の隣駅)近くのワンルームマンションを離れ、名古屋拘置所から約1kmの近場にあるマンションへと引っ越し、それ以降は頻繁に被告人Bと面会するようになった<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-28">{{Cite news |date=2014-01-28 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014012802000189.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(19)弱い者同士と願って |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620204427/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014012802000189.html }}</ref>。しかし、Bの上告審口頭弁論公判直前となる2007年1月に体調を崩したため検査入院した結果、[[乳癌]]が肝臓に[[転移 (医学)|転移]]し、病状が深刻な状態に陥っていることが判明したため大阪に戻った<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-28"/>。その後も養母は医師から余命宣告を受けつつも、被告人・死刑囚Bと頻繁に文通・面会を続けていたが<ref group="新聞" name="東京新聞2014-01-29">{{Cite news |date=2014-01-29 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014012902000125.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(20)生きて償いましょう |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620190238/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014012902000125.html }}</ref>、Bの死刑確定後の2008年5月に末期癌で死去した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-06"/>。

また被告人Bは、「養母」の女性と知り合った頃、養母以外にも名古屋市のミッション系短大の学校付き牧師を務める男性夫婦と知り合い、面会・文通をするようになった<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-11"/>。この夫婦はBの死刑が確定した直後の2007年4月、第一子の女児を授かった<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-11"/>。死刑囚Bの養母は生前、自分の死後の死刑囚Bの身元引受をこの夫婦に依頼しており、死刑囚Bは獄中で面会を重ねるうち、幼い夫婦の娘とはあだ名で呼び合うようになっていた<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-11">{{Cite news |date=2014-02-11 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014021102000108.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(28)むうちゃんと出会う |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619134903/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014021102000108.html }}</ref>。

==== 2007年2月8日、上告審口頭弁論公判開廷 ====
[[2007年]](平成19年)2月8日、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第一[[小法廷]]([[才口千晴]]裁判長)で上告審[[口頭弁論]]公判が開かれ、結審した<ref group="新聞" name="毎日新聞2007-02-09">『[[毎日新聞]]』2007年2月9日中部朝刊第二社会面24面「名古屋のスナック女性強殺:最高裁で結審」(記者:木戸哲)</ref>。

被告人Bの弁護人側は、「殺害された被害者が1人の事件で死刑にするのは許されない」などと主張し、死刑判決の破棄を訴えた<ref group="新聞" name="毎日新聞2007-02-09"/>。

一方、検察側は「刑事責任は誠に重い」として、被告人B・弁護人側の上告を[[棄却]]するよう求めた<ref group="新聞" name="毎日新聞2007-02-09"/>。

==== 2007年3月22日、上告審判決公判、上告棄却判決により死刑確定 ====
2007年3月22日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)は控訴審の死刑判決を支持し、被告人Bの上告を棄却する判決を言い渡した<ref group="新聞">『中日新聞』2007年3月23日朝刊第一社会面39面「栄のスナック女性店主強殺 被告の死刑確定へ 上告棄却」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2007年3月22日朝刊第一社会面31面「最高裁も死刑 名古屋・スナック経営者殺害の被告【名古屋】」</ref>。

この判決により、被告人Bの死刑判決が[[確定判決|確定]]した。

== 死刑執行 ==
=== 死刑囚Bの死刑執行まで ===
2007年9月、当時の[[法務大臣]]・[[鳩山邦夫]]は「[[刑事訴訟法]]では死刑確定から半年以内の死刑執行が規定されているが、実際には履行されていない{{Refnest|group="注釈"|2008年当時、死刑確定から死刑執行までの平均期間は約7,8年だった<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-14"/>。これより早い著名な事例は[[附属池田小事件]]・宅間守元死刑囚(2003年9月に控訴取り下げで死刑確定、1年0か月後の2004年9月死刑執行)や[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]・[[宮崎勤]]元死刑囚(2006年2月に最高裁上告棄却で死刑確定、2年4か月後の2008年6月に死刑執行)がある反面、[[市川一家4人殺人事件]]の[[少年死刑囚]](2001年12月に最高裁上告棄却で死刑確定、16年0か月後の2017年12月に死刑施行)のように死刑確定から死刑執行まで長期間を要した事例もある。}}。その現状は正義に反する」という考えから、「死刑を自動的に執行できる方法はないか」という、いわゆる「ベルトコンベヤー発言」をし、物議を醸した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-14">{{Cite news |date=2014-02-14 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014021402000117.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(31)流れ作業のようには |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619135252/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014021402000117.html }}</ref>。

死刑囚Bは死刑執行前の[[2008年]](平成20年)春、鳩山宛に苦情を申し立てた上で、「(自らの[[臓器提供]]などで)救ってあげられる人がいたら、自分の贖罪にもなる」として、死刑囚が執行後に臓器提供をできる制度の制定などを求めた<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-14"/>。しかし鳩山はBの死刑執行後、『東京新聞』の取材に対し「Bの名前に覚えはない」と回答した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-14"/>。

同年、参議院議員・[[福島瑞穂]]ら弁護士・識者らが死刑囚を対象に実施したアンケートで、死刑囚Bは「私は『自分が生きているうちに[[死刑存廃問題|死刑廃止]]はない』と思い、[[鳩山邦夫|鳩山]]法相(当時)に『死刑囚から願い出があった時は、臓器移植・検体ができる制度を法制化していただけるよう』、昔でいう請願をしました。それから1年が経とうとしますが、未だ返信がありません」、「死刑執行の際に死刑囚の実名が公表されると、死刑囚の親族の生活が穏やかでなくなります。私から鳩山さんを見ましたら違った意味で[[死神]]に見えます。『今日、何人の死刑が執行された』だけの発表でよいのではないでしょうか」と回答した<ref group="書籍" name="命の灯"/><ref group="新聞" name="中日新聞2013-02-21"/>。

死刑確定から1年となる2008年5月1日、死刑囚Bと養子縁組していた「養母」の支援者女性が末期癌のため、入院先の病院で死去した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-06">{{Cite news |date=2014-02-06 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020602000176.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(27)亡くした辛さ知る |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620183925/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014020602000176.html }}</ref>。

「Bは『もう死刑でいい』と発言してはいるが、本心では死刑執行を恐れている」と感じ取った上告審の国選弁護人・湯山孝弘は、養母の死去から半年後の2008年12月、死刑囚Bの[[恩赦]]を出願した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-03-01">{{Cite news |date=2014-03-01 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014030102000112.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(40)罪と向き合ったのか |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619135533/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014030102000112.html }}</ref>。その後、翌[[2009年]](平成21年)5月には死刑囚Bから湯山宛に[[再審]]請求を望む趣旨の内容の手紙が届いたが、湯山が「まだ恩赦の結果が出ていないし、再審請求となれば新証拠が必要となるため軽々には踏み切れない」として、面会でBから真意を尋ねたところ、Bは「一時の気分で言っただけで本心から望んではいない」と回答した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-03-01"/>。

[[2010年]](平成22年)9月に「恩赦不相当」の結果が出たため、湯山は死刑囚Bと面会を続けていた牧師の「Bは事件当時とは別人と言ってよいほど更生している」とする上申書を添え、直ちに2度目の恩赦出願をしたが、死刑執行の5カ月前となった[[2012年]](平成24年)9月に棄却された<ref group="新聞" name="東京新聞2014-03-01"/>。

=== 2013年2月21日、死刑囚Bの死刑執行 ===
[[2013年]](平成25年)2月21日、[[法務省]]([[法務大臣]]:[[谷垣禎一]])が発した死刑執行命令により、[[名古屋拘置所]]で死刑囚Bの[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑が執行された]]<ref group="その他" name="法務省会見">{{Cite web |url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00397.html |title=法務大臣臨時記者会見の概要 |publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[谷垣禎一]]) |date=2013-02-21 |accessdate=2017-08-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170810155042/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00397.html |archivedate=2017-08-10 }}</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2013-02-21">『[[中日新聞]]』2013年2月21日夕刊1面「3人の死刑執行 奈良女児誘拐殺人 土浦の無差別殺傷 栄のスナック強殺 第2時安倍政権で初」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2013-02-21 no.2">『中日新聞』2013年2月21日夕刊第一社会面11面「3人死刑執行 栄のスナック強殺・B死刑囚 出所4年後に殺人」</ref>。{{没年齢|1950|3|12|2013|2|21}}、死刑確定から5年10カ月が経過していた<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-21"/>。

死刑囚Bの遺体は[[無縁仏|引き取り手となる親族がいなかったため]]名古屋拘置所が[[火葬]]し、遺骨は所属した名古屋市[[昭和区]]内のキリスト教会に引き取られた<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-27">{{Cite news |date=2014-02-27 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014022702000118.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(39)出会った人々追憶 |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619135546/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014022702000118.html }}</ref>。

名古屋拘置所関係者によれば、死刑囚Bは死刑執行時、特に取り乱すことはなく、「死を待ち続ける生活に疲れました」と言い残した上で、亡き養母が生前に差し入れた現金の使い道について、「死刑執行まで面会を続けてきた牧師一家の一人娘が小学校入学を控えているので、そのランドセル代3万円を渡してほしい」とも遺言した<ref group="新聞" name="東京新聞2014-02-21">{{Cite news |date=2014-02-21 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014022102000126.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(37)迎えた最期のとき |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619135530/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014022102000126.html }}</ref>。

同日には[[奈良小1女児殺害事件]]([[大阪拘置所]])・[[土浦連続殺傷事件]]([[東京拘置所]])の各[[死刑囚]]も含め、計3人の死刑が執行されたが<ref group="新聞" name="中日新聞2013-02-21"/>、死刑執行を各マスメディアが速報した際には、社会を震撼させたこの2つの殺人事件の死刑囚らが注目された一方で、ある民放キー局のテロップでは「[[奈良小1女児殺害事件]]の死刑囚、[[土浦連続殺傷事件]]の死刑囚『ら』3人」と表記されたように、Bの死刑執行はその「ついで」のように報じられ、翌日以降の続報もほとんどなかった<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-17"/>。

また、Bの実兄はテレビのニュース速報で弟の死刑執行を知ったが、そのニュースでは本来の旧姓の読み「B」ではなく、同じ漢字表記の「M」と読み間違えられていたという<ref group="新聞" name="東京新聞2013-12-19"/>。

=== 死刑執行を受けた関係者の反応 ===
事件の初公判で被告人Bに殴り掛かり、その後もBの死刑を望んでいた被害者の内縁の夫は、死刑囚Bの死刑執行後に『[[東京新聞]]』の取材に対し、「死刑執行は当然だとは思うが、最近は事件を振り返るのがつらい」と語った<ref group="新聞" name="東京新聞2014-03-03">{{Cite news |date=2014-03-03 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014030302000140.html |title=【特集・連載】「二月二十一日 ある死刑囚の記録」(42)望んだ結末なのに |newspaper=『東京新聞』 |publisher=中日新聞社 |accessdate=2017-06-20 |archivedate=2017-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620194729/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/feb21/list/CK2014030302000140.html }}</ref>。

死刑囚Bが1983年に諏訪市で起こした殺人事件の捜査時、事件現場付近で聞き込みなどを担当した当時の長野県警捜査員は、『[[読売新聞]]』取材に対し、「Bが名古屋市で再び殺人を犯したと聞いたときは『またか』と思った。犯罪抑止の観点からも死刑制度は存続すべきだ」と語った<ref group="新聞" name="読売新聞2013-02-22 長野"/>。

また、諏訪市の事件現場付近で旅館を経営していた70歳代女性も、「事件はおぼろげに記憶している程度だが、被害者とは同じ旅館組合で付き合いがあり、『しっかりした感じの人』という印象だった。(Bの死刑執行については)殺人を再び繰り返した罪は重いとは思うが、死刑とは別の形で償ってほしかった」と語った<ref group="新聞" name="読売新聞2013-02-22 長野"/>。

== 参考文献 ==
=== 刑事裁判の判決文 ===
* {{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋地方裁判所]]刑事第5部 |事件番号=平成14年(わ)第800号 |事件名=強盗殺人、詐欺、窃盗被告事件 |裁判年月日=2003年(平成15年)5月15日 |判例集= |判示事項= |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=007641 |ref=名古屋地裁判決(2003-05-15) }}
** 判決内容:無期懲役(求刑死刑、検察・被告人側控訴)
** 判決内容:無期懲役(求刑死刑、検察・被告人側控訴)
** 裁判官:伊藤新一郎(裁判長)・後藤眞知子・高橋信幸
** 裁判官:伊藤新一郎(裁判長)・後藤眞知子・高橋信幸
* '''{{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋高等裁判所]]刑事第1部 |事件番号=平成15年(う)308号 |事件名=強盗殺人、詐欺、窃盗被告事件 |裁判年月日=2004年(平成16年)2月6日 |判例集= |判示事項= |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=003144 }}'''
* {{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋高等裁判所]]刑事第1部 |事件番号=平成15年(う)308号 |事件名=強盗殺人、詐欺、窃盗被告事件 |裁判年月日=2004年(平成16年)2月6日 |判例集= |判示事項= |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=003144 }}
** 判決内容:原審破棄・死刑判決(被告人側上告)
** 判決内容:原審破棄・死刑判決(被告人側上告)
** 裁判官:小出錞一(裁判長)・久保豊・手﨑政人
** 裁判官:小出錞一(裁判長)・久保豊・手﨑政人
* '''{{Cite 判例検索システム |法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第一小法廷 |事件番号=平成16年(あ)583号 |事件名=強盗殺人、詐欺、窃盗被告事件 |裁判年月日=2007年(平成19年)3月22日 |判例集=[[判例集|最高裁判所裁判集刑事編(集刑)]]第291号235頁 |判示事項=死刑の量刑が維持された事例(名古屋のスナック店主強盗殺人等事件) |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=080498 }}'''
* {{Cite 判例検索システム |法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第一小法廷 |事件番号=平成16年(あ)583号 |事件名=強盗殺人、詐欺、窃盗被告事件 |裁判年月日=2007年(平成19年)3月22日 |判例集=[[判例集|最高裁判所裁判集刑事編(集刑)]]第291号235頁 |判示事項=死刑の量刑が維持された事例(名古屋のスナック店主強盗殺人等事件) |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=080498 }}
** 判決内容:被告人側上告棄却
** 判決内容:被告人側上告棄却・死刑判決確定
** 裁判官:[[才口千晴]](裁判長)・[[横尾和子]]・[[甲斐中辰夫]]・[[泉徳治]]・[[涌井紀夫]]
** [[最高裁判所裁判官]]:[[才口千晴]](裁判長)・[[横尾和子]]・[[甲斐中辰夫]]・[[泉徳治]]・[[涌井紀夫]]

=== 関連書籍 ===
* {{Cite book |和書 |author= |title=命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び |publisher=[[インパクト出版会]] |date=2009-09-10 |pages=89-90 |isbn=978-4755401978 |ref={{Sfn|インパクト出版会|2009}} }}
* {{Cite book |和書 |author=年報・死刊廃止編集委員会 |title=ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017 |publisherインパクト出版会 |date=2017-10-15 |pages=200,205 |isbn=978-4755402807 |ref={{Sfn|インパクト出版会|2017}} }}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}

=== 判決文出典 ===
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=== 新聞報道出典 ===
;以下の出典において、記事名に死刑囚の実名が使われている場合はその箇所を「B」(旧姓のイニシャル)とする。
;以下の出典において、記事名に死刑囚の実名が使われている場合はその箇所を「B」(旧姓のイニシャル)とする。
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{{Reflist|group="新聞"}}

=== 書籍出典 ===
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=== その他出典 ===
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== 関連リンク ==
== 関連リンク ==
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=== 「永山基準」以降、最高裁で死刑判決が確定した、殺害された被害者数が1人の事件 ===
=== 「永山基準」以降、最高裁で死刑判決が確定した、殺害された被害者数が1人の事件 ===
※無期懲役刑に処された前科があるもの、[[身代金]][[誘拐]]・[[保険金殺人]]は含まない。
※無期懲役刑に処された前科があるもの、[[身代金]][[誘拐]]・[[保険金殺人]]は含まない。
* [[JT女性社員逆恨み殺人事件]](殺人前科あり。その出所後、強姦した女性を恐喝したことで被害届を出されて逮捕され、その[[逆恨み]]から[[お礼参り]]に及んだ)
* [[JT女性社員逆恨み殺人事件]](殺人前科あり。その出所後、強姦した女性を恐喝したことで被害届を出されて逮捕され、その[[逆恨み]]から[[お礼参り]]に及んだ高度な計画性に基づく犯行
* [[三島女子短大生焼殺事件]](殺人前科利欲目的のいずれもなし)
* [[三島女子短大生焼殺事件]](殺人前科利欲目的・高度な計画性のいずれもなし)
* [[渋谷駅駅員銃撃事件|横浜中華街料理店主射殺事件]](殺人前科なし。強盗殺人1件以外にも強盗殺人未遂、放火の余罪あり、[[銃犯罪|銃を使用した犯行]])
* [[渋谷駅駅員銃撃事件|横浜中華街料理店主射殺事件]](殺人前科なし。強盗殺人1件以外にも強盗殺人未遂、放火の余罪あり、[[銃犯罪|銃を使用した犯行]])



2018年7月29日 (日) 14:28時点における版

名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件
場所

日本の旗 日本愛知県名古屋市中区4丁目

雑居ビル3階にあったスナックバー
座標
北緯35度9分59.855秒 東経136度54分39.522秒 / 北緯35.16662639度 東経136.91097833度 / 35.16662639; 136.91097833座標: 北緯35度9分59.855秒 東経136度54分39.522秒 / 北緯35.16662639度 東経136.91097833度 / 35.16662639; 136.91097833
日付 2002年平成14年)3月14日[判決文 1]
未明(午前3時頃)[判決文 1] (UTC+9)
概要 刑務所暮らしを続けてきた男が金品を得ようとスナックバーで無銭飲食し、店主の女性を絞殺して金品を奪った。
男は1983年、長野県諏訪市内で類似した経緯・手口の殺人事件を起こし、懲役15年の刑に処された前科があった。
攻撃手段 首を絞める[判決文 1]
攻撃側人数 1人
死亡者

1人

現場スナックの店主だった事件当時61歳女性[新聞 1][新聞 2][新聞 3]
損害 現金約8000円[判決文 1]
犯人 男B(本犯行当時52歳。1983年に殺人前科あり、上告中にイニシャル「K」に改姓)
動機 強盗
対処 逮捕起訴
謝罪 あり
刑事訴訟 死刑執行済み
管轄 愛知県警察中警察署名古屋地方検察庁
テンプレートを表示

名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件(なごやしなかくさかえ スナックバーけいえいしゃ さつがいじけん)とは、2002年平成14年)3月14日未明、愛知県名古屋市中区4丁目の雑居ビル3階にあったスナックバーで、店主の女性(事件当時61歳)が殺人前科のある男(犯行当時52歳)に殺害され、金品が奪われた強盗殺人事件である[新聞 1][新聞 2][新聞 3]

元死刑囚B

本事件加害者の元死刑囚B(本犯行当時52歳)は[新聞 4]1950年昭和25年)3月12日[書籍 1][書籍 2]長野県須坂市内の青果店(小学生時代に廃業)を営んでいた実家で[新聞 5]、3人兄弟の次男として生まれた[新聞 6][新聞 7]

2013年(平成25年)2月21日法務省法務大臣谷垣禎一)の死刑執行命令により、収監先の名古屋拘置所死刑が執行された(62歳没)[新聞 8][その他 1]

生い立ち

幼少期のBはよく笑い、よく笑わせる快活な少年だったが、寿司屋に偽の出前を頼んだり、開くあてのない数十人の宴会を予約するなどのいたずらっ子だったという[新聞 5]

Bの実兄曰く、「自分を大きく見せようとでたらめ言って、収拾がつかなくなる」性格だったというBは、落語家柳家金語楼に由来した「きんごろー」というあだ名で呼ばれていた[新聞 5]

Bは中学卒業後に実家を離れ、住まいや職を転々とし、20歳代半ばからは食い逃げ窃盗で、刑務所に出たり入ったりの生活が続くようになっていた[新聞 5]

陸上自衛隊在勤中の1974年(昭和49年)、Bは寸借詐欺・同僚の財布窃盗などで懲戒免職になるとともに、その詐欺・窃盗の罪で懲役2年・執行猶予3年の刑に処された[判決文 1]

その執行猶予期間中、Bは商品詐欺などの詐欺5件・窃盗2件、そしてその確定判決前の余罪に当たる詐欺罪で、1975年(昭和50年)2月に懲役8月+懲役2月の判決を受け、先の執行猶予も取り消されたために併せて刑務所に服役した[判決文 1]

Bは1977年(昭和52年)4月に仮出所した後も、その仮出所中に建造物侵入・窃盗罪を犯し、1977年7月に懲役10月に処されたが、その刑の執行終了後に犯した窃盗8件と・詐欺6件により常習累犯窃盗罪などに問われ、1980年(昭和55年)3月には懲役3年に処された[判決文 1]。そして後者の刑の仮出所中に、後の殺人前科に至るまでには無銭飲食・宿泊などの詐欺4件を犯していた[判決文 1]

1983年2月、殺人前科

本事件の19年前となる1983年昭和58年)2月5日、当時32歳だったBは長野県諏訪市内で[新聞 9]、人生で最初の殺人事件を起こした[新聞 5][新聞 10]。。

Bは同事件3日前から[新聞 9]、諏訪市湖岸通りの旅館で[新聞 11]、1人で宿泊していた[新聞 9]。現場旅館は日本国有鉄道(現・JR東日本中央本線上諏訪駅西口付近にあり[新聞 10]諏訪湖畔から徒歩5分の立地だった[新聞 9]。諏訪湖畔では同日、「御神渡り」の具合を見て、八剱神社の神官が一年の吉凶を占う神事「御渡り神事」が執り行われていたが、Bはその神事を見に来た観光客ではなく、所持金が尽きて東京都内で無銭飲食を繰り返しており、刑務所内で知り合った暴力団組員を頼って諏訪市付近に来ていたのだが、その組員からの仕事の口利きを受けられず、金に困った末の犯行だった[新聞 9]

Bは同日昼過ぎ、旅館2階の居間でテレビを見ていたが、「テレビの映りが悪い」と旅館の女将(事件当時64歳)に申し出ると、「文句は代金を払ってから言って」と返されたために逆上し[新聞 9]、口論になった末に[新聞 10]、女将を突き倒した[新聞 9]

女将は近くにあった靴べらを振り回して抵抗したが、Bは抵抗を交わして背後に回り、女将の首に手をかけ、首を絞めた[新聞 9]。やがて女将はぐったりしたが、Bは電気こたつのコードで[新聞 9]首を二重に絞め直し[新聞 10]、女将を殺害した後、遺体を押し入れに押し込んで隠匿・遺棄した上で[判決文 1]、帳場から現金2万円と預金通帳を盗んで逃走した[新聞 9]

この事件は1983年2月9日、女将の養子から長野県警察諏訪警察署に「継母が行方不明になった」と届け出があったため、旅館内を捜索した諏訪署員が遺体を発見したことで発覚した[新聞 12]。事件発生当時から犯人は宿泊客の可能性が高いとみられていた[新聞 10]

この事件から2週間後の1983年2月19日[新聞 11]、所持金がわずか39円しかなかったBは[新聞 9]東京都台東区浅草喫茶店にいたところを[新聞 9][新聞 11]、諏訪署の捜査員に詐欺無銭飲食)容疑で逮捕された[新聞 11]

その後、諏訪署に連行された被疑者Bは翌1983年2月20日、女将の殺害について「自分がやった」と容疑を認めたため、同日に殺人・死体遺棄容疑で逮捕された[新聞 11]

1983年10月28日[新聞 10]被告人Bは殺人・窃盗罪などで、長野地方裁判所から懲役15年(求刑懲役20年)の判決を受け、岐阜刑務所に服役した[新聞 9]

判決後の接見で、Bは国選弁護人から「刑務所で悪知恵を付けるんじゃないぞ。出てきて街で会ったら声を掛けてこい」と語りかけられた[新聞 9]

事件を知ったBの母は、被害者の女将の冥福を祈るために四国八十八箇所を遍路し、月に1度、獄中の息子へ送った手紙には改心を願う母心をつづった[新聞 9]

1998年4月、岐阜刑務所出所後

初めは強い反省の念の下に刑務所生活を送っていた受刑者Bだったが、長期の服役生活を送る次第にその反省の念も薄れていったという[新聞 9]

1998年(平成10年)4月、Bは岐阜刑務所を仮出所したが、その3か月後の1998年7月22日には『中日新聞』岐阜総局への電話で、自らを「信用調査会社社員だ」と売り込み、「2年前(1996年、当時Bは服役中)の御嵩町長襲撃事件の情報を提供したい」として、同紙の岐阜県警担当記者を岐阜駅付近の居酒屋に呼びつけた[新聞 13]

記者に延々と噂に毛の生えた程度の話をした後、Bは「電車賃を出してくれ」「情報料は3000円だ」などと、執拗に金の無心をした[新聞 13]

後日、記者は旅行会社から身に覚えのないヨーロッパ旅行の代金約70万円を請求されたため、旅行を申し込んだ者を調べると、金の無心をしてもらえなかったことを逆恨みして名刺を悪用したBの犯行であることが判明した[新聞 13]

仮出所の直後、Bは故郷・長野県の母宛ての手紙に「愛知県豊橋市保護司に世話になり仕事をしている」と綴っており、実際にこの頃は豊橋市に本籍地を移していたが、その住所は保護司ではなく暴力団組員の居宅で、まともに仕事を続けた形跡もなかった[新聞 13]

Bは岐阜刑務所を仮出所してからわずか1年半後の[新聞 13]1999年(平成11年)9月14日午後10時頃、名古屋市中区のスナックバーで、大手ゼネコンの社名と「海外建設部次長・山本力」という架空の名前を印刷した名刺を使って、同店の女性経営者を信用させ、この女性がトイレに立った隙に、店のカウンター内から現金2万円入りのバッグを盗んだ[新聞 14][新聞 15]。当時、Bは大手ゼネコン2社の社名入りの[新聞 15]、部長・次長と名乗る偽の名刺3種類を、架空の電話番号・住所を入れて勝手に作っており[新聞 14]、1999年5月以降は名古屋市内の飲食店などで同様の手口による約30件・被害総額約100万円の被害届が提出されていた[新聞 14][新聞 15]

Bは1999年10月6日、同事件の窃盗容疑で愛知県警察中警察署に逮捕された[新聞 14][新聞 15][新聞 13]。また、この事件の他にもBは「中部国際空港(セントレア)建設のためチリから帰国し、自宅を新築した」などと偽り、同市内の家具店に700万円分の家具・和菓子店に500個の「内祝い」まんじゅうなどを、偽の名刺を使って予約注文していた[新聞 14][新聞 15]

この2件はいずれも、店側がゼネコン2社に電話確認したことで詐欺であることが判明し、実害は発生しなかったが、ゼネコンには同様の問い合わせが約100件あったことから、中署は2社の信用を傷つけた信用毀損罪・業務妨害罪でBの余罪を追及した[新聞 14][新聞 15]

被告人Bはこれらの窃盗3件・詐欺1件の事件で1999年12月[判決文 1]名古屋地方裁判所で懲役2年2月の実刑判決を受け[新聞 13]、2002年1月14日[判決文 1]、5度目の服役を終えて刑務所を出所したばかりだった[新聞 13]。しかしその後もBは定職に就かず、サウナ・カプセルホテルを転々とし、宿泊費・食費を得るために名古屋市内のスナックなどで無銭飲食などを繰り返していた[判決文 1]

事件発生

現場スナックに入るまで

Bは本事件前の2002年2月8日午後9時頃から2002年3月5日午後10時30分頃までの間、前後9回にわたり、名古屋市中区内のスナックバーなど計8か所で無銭飲食をし、店主らの隙を突いては売上金などを盗んで逃げるなどし、ビール22本ほか26点の飲食物(代金合計7万1300円相当)・席料・カラオケ使用などの利便(合計1万9000円相当)を騙し取った[判決文 1]

これに加え、2002年2月8日頃から2002年3月6日頃までの間の前後9回にわたり、前述のスナックなど計8か所で現金計約35万2300円・かばん5個ほか約159点(時価合計約16万650円相当)を窃取した[判決文 1]

刑務所を出所してから2か月後の2002年3月12日、Bは52歳の誕生日を迎えたが、翌2002年3月13日にはいつものように所持金が尽き、夜の繁華街をぶらついていた[新聞 13]。そのため、これまでのように客を装い名古屋市東区内の居酒屋に入ったが、売上金などを盗む隙を見い出せなかったため、結局は飲食代金を支払わないまま逃走するに止まった[判決文 1]

そこでBは、「さらに別の飲食店に入って売上金などを盗もう」と考え、ホテル・携帯電話販売店に立ち寄り、飲食店主らを信用させるための小道具にする名刺・サンプルの携帯電話を手に入れた上、適当な飲食店を物色していた[判決文 1]。その上で「人が少ないところがいい」と考えたBは、名古屋市中区栄4丁目の[新聞 3]、雑居ビル3階に位置する現場スナックバーに来店した[新聞 13]

現場ビルは「女子大小路」「栄ウォーク街」と呼ばれる名古屋市中心部繁華街の一角に位置する地下1階・地上5階建てのビルで、約10軒の飲食店・スナックが入居していた[新聞 1][新聞 2]

スナック店内での凶行

このスナックバーの店主は当時61歳の被害者女性で、Bが入店したのは閉店時間(午前0時)直前の午後11時だった[新聞 3]。Bが現場スナックを見掛けて店内を覗くと、客はおらず被害者1人がボックス席に座っていた[判決文 1]。Bが被害者に営業時間を尋ねると、「12時まで」という答えが返ってきたため、Bは「隙を作らせて金を盗むには時間が足りない」と考えたため、一旦は店を出ようとした[判決文 1]。しかし、被害者に「時間は気にしなくていい」という旨を伝えられて引き留められたことから、店内に入りカウンター席に座った[判決文 1]。被害者女性は普段、閉店間際に一見客は入れなかったというが、当時はIT不況が尾を引く中、売り上げの落ち込みが気にかかっていたためか、一見のBを店に招き入れた[新聞 3]

Bは日付が変わるまで店内で飲み続け、金を盗む隙を窺っていたが、女性には全く隙がなく、Bがトイレに立ったときでさえ、ドアを半開きにしてBの動きをうかがっていたという[新聞 16]。被害者との会話もあまり気分のよいものと感じられなかったことから、Bは翌2002年3月14日午前1時頃には、「他の飲食店を狙った方がいいのではないか」と考え始めるようになり、被害者が「一見の客なんか入れないのに」と言う回数が増えてきたことから、嫌気が差したBは「無銭飲食だけで逃げよう」と考えるに至った[判決文 1]

途中、Bは「タバコがなくなった」として、被害者女性にたばこを外へ買いに行くように仕向けたが、女性は軽くいなし、腰を上げなかった[新聞 16]。Bが「仲間を迎えに行ってくる」と言い、店から逃げようと表へ出ても、後をつけてきた女性に引き戻された[新聞 16]

同じ階でスナックを経営する別の女性経営者は「この日の午前1時頃に自分の店を閉めて帰る際、被害者の経営する店から賑やかなカラオケの歌声が漏れ、3,4人の男性客がまだ中にいる様子だった。被害者も店内にいたと思う」と証言した[新聞 17]。また被害者は、この女性に事件直前、「客が少なくて暇」「閉店しようか」などと漏らしており、いつもは深夜0時に閉店することがほとんどだったが、事件が起きたこの日は珍しく遅かったという[新聞 17]

翌2002年3月14日午前3時頃、所持金がなかったBは「被害者に嵌められた」と感じ、いらだちを募らせていたところ、トイレから出てきた被害者がBの隣りに座り、またしても「うちは本当は一見さんは入れない」と言い始めたため、Bは「鍵も掛けられちゃったしなあ」と嫌味を言った[判決文 1]。しかし、被害者が「私は鍵なんて掛けていない」「私のこと、何とかしようと思って掛けたんじゃないでしょうね」などと答えたことを契機に、「このままでは無銭飲食で刑務所戻りになる」と恐れたBは強盗することを決意し[新聞 16]、被害者を椅子ごと引き倒した[判決文 1]

床に仰向けに転倒した被害者は、「初めからおかしいと思ったんだ」などと大声で叫んで抵抗し、Bに左掌で口を押さえつけるように塞がれても、なおも暴れて抵抗した[判決文 1]

Bは被害者の犯行を抑圧しようと、被害者の口を塞いだまま立たせたが、左手親指・人差し指の付け根付近を思い切り噛みつかれ、その手を伸ばして引き抜くと、被害者が再び大声で叫び始めた[判決文 1]

そのためBは、被害者の背後からその首に左腕を回し、自身の左手首付近に右腕を十字に重ねて数分間思い切り引き、被害者の首を絞めた[判決文 1]。被害者は初めこそ叫んで抵抗していたものの、Bが首を絞め続け、さらにそのままの体勢で被害者の体を持ち上げて約1分間経過すると、おとなしくなったので、Bは被害者を床に寝かせた[判決文 1]

Bが被害者の息を確認したところ、息は感じられなかったが、被害者を確実に殺害しようとしたBは、その首に店内にあったカラオケのマイクコードを二重に巻き付けた上、コードの両端を思い切り引っ張り、被害者の首を再び強く絞め付けて殺害した[判決文 1]

Bは被害者を殺害後、指紋を消す証拠隠滅を図るため、グラス・カウンターなど[新聞 16]、自らの手で触れたところをおしぼりでさっと拭き取ってから店内で現金を探した[判決文 1]。その際、カウンター内側の棚に置かれていたポシェットを見つけ、中の千円札8枚・小銭(現金計約8000円)を上着のポケットに入れた[判決文 1]

さらにBは、被害者がわいせつ目的の犯罪で殺されたと見せかけるため、被害者の遺体のスカートをまくり上げ、下着を途中まで引き下ろす偽装工作をした[判決文 1]。そして、被害者殺害後に飲んだトマトジュースの空き缶とその場にあったタオルを持ち、タオルで出入口ドアの取っ手等をつかみ、指紋を残さないようにして現場スナックを出た[判決文 1]

凶行後の余罪

事件後、Bは同2002年3月14日午後8時30分頃から午後11時45分頃、名古屋市熱田区内の居酒屋でビール2本ほか7点の飲食物(代金合計5300円相当)を無銭飲食し、経営者所有の現金5万9000円・伝票9枚を窃取した[判決文 1]

事件翌日の2002年3月15日、Bは名古屋市熱田区内のスナックに客を装って来店し、その店の女性経営者が別の客を見送るために店外に出たのを見計らい、店内を物色したが、経営者に見つかってもみ合いになり、その直前にいったん退店した客も騒ぎに気付いて戻ってきたため、財布の入った上着を脱ぎ捨てて逃走した[新聞 18]

さらにBは2002年3月16日頃、名古屋市熱田区内の病院地下1階男性職員用更衣室に侵入し、男性職員1名所有の作業着1着(時価約300円相当)を窃取した[判決文 1]

またBは同日頃、名古屋市熱田区内のビル2階にあった会社管理倉庫に侵入し、同社代表取締役が管理していた入浴剤2箱(時価合計約2000円相当)を窃取した[判決文 1]

「(証拠隠滅の)後始末をうまくやれた」と思い込んでいたBは[新聞 19]、事件後も無銭飲食を繰り返しつつ名古屋市内に留まっており[新聞 20]、現場から逃走した直後も「早く遠くに逃げよう」とは思わず、まずタクシーで名古屋駅周辺に向かい、サウナで一泊した[新聞 19]

しかし、ビール瓶に残ったBの指紋を証拠に愛知県警が目星をつけていたため、事件2日後の2002年3月16日夕方に金山駅前で捜索中の警官に呼び止められ、逮捕された[新聞 19]。当時52歳で、この時点で人生の半分近くの23年10カ月間を刑務所で暮らしていたBはこの日以降、二度と塀の外を歩くことはなかった[新聞 19]

捜査

2002年3月14日、事件発覚、殺人事件として捜査開始

被害者女性の内縁の夫は事件発生時刻の午前3時頃、妻の帰りが遅いのを心配し、妻の携帯電話店の電話に電話をかけたが、誰も出なかった[新聞 16]。そのため夫は午前7時半頃、現場スナックバーが入居する雑居ビルの管理者に連絡した[新聞 1]

夫からの連絡を受け、ビル管理者の長女が午前8時40分頃に鍵を開けて店内に入ったところ、店内奥のカラオケコーナー付近の床で被害者女性が倒れているのを発見し、愛知県警察に119番通報したが、女性は既に死亡していた[新聞 1][新聞 2]

遺体の首にコードが2,3回巻かれていたことから、愛知県警は中警察署に捜査本部を設置し、殺人事件として捜査を開始した[新聞 1][新聞 2]

遺体が発見された当時、第一発見者である管理者の長女は店が外から施錠されていたことを確認しており[新聞 1][新聞 21]、店内にあったバッグにも複数本の鍵が残されていたことから、捜査本部は「犯人は合鍵などで施錠して逃走した」「合鍵を持つものなど顔見知りの者による犯行の可能性もある」とみて捜査したが[新聞 21]、実際に逮捕されたのは被害者とはそれまで面識のなかったBだった[新聞 22]

また、司法解剖の結果、死因はコードで首を絞められたことによる窒息死[新聞 17]、死亡推定時刻は午前3時頃から午前8時半までの間であることが断定され[新聞 17]、遺体の顔や首などには[新聞 21]、壁や床にぶつけた際にできたとみられる内出血の痕跡もあったことが判明した[新聞 17][新聞 21]

雑居ビル周辺には、街頭などに多数の防犯カメラが設置されていたため、愛知県警はそれらの映像を記録したビデオの任意提出を受け、犯行時間帯とみられる14日未明から朝にかけて不審な人物が写っていないか解析を進めた[新聞 23]

犯行後の店内には、客が使ったとみられるグラスがカウンターの上に遺されていたが、グラスから指紋は検出されなかったため、愛知県警は「客として店を訪れた犯人が接客中の女性を襲い、犯行後にグラスの指紋を拭き取った」とみて捜査した[新聞 23]。店は月末に代金を振り込む会員制で、現金払いの客は少なく、レジスターはなかった[新聞 17]

店内には洗う前の使用済みグラスが2個あり、女性は片付けをする前に襲われたことが推測された[新聞 17]。被害者は前年(2001年)夏にひったくりの被害にあって以降、店のドアの鍵の種類を変えたり、大金を持ち歩かないよう用心していたが[新聞 17]、店内では女性のバッグが残されていた一方で[新聞 17][新聞 21]、現金や財布が見つからず[新聞 17][新聞 21][新聞 24]、小銭しか残っていなかったため[新聞 17][新聞 17]、窃盗目的の犯行の疑いが強まった[新聞 24]

遺体の着衣の一部には乱れがあったが、「盗みに入った何者かが性的暴行目的と偽装するために工作した」と推測された[新聞 17]

被害者女性の夫は朝になって店へ駆けつけ[新聞 16]、既に通報を受けて駆け付けていた警察官らを押しのけて店に入り、妻の死を知った[新聞 20]。夫は女性とは籍は入れていない事実婚の状況にあったが、前妻との間に生まれた2人の娘とともに幸せな家族生活を送っており、娘2人の独立を機に「夫婦でのんびり小料理屋でもやろうか」と話していた矢先の悲劇だった[新聞 20]

当時、名古屋市立大学で行われた被害者女性の司法解剖を担当した法医学者長尾正崇は、遺体の状況などから犯人が被害者女性を絞殺した手口を再現した[新聞 16]。その結果判明したのは、「コードを二重に首に回し、容易にほどけないように首の後ろでしっかりと結ぶ」という手口だった上、女性の首の左側には自らの爪で引っかいたような傷が二つあったことから、長尾は「コードを引きはがそうともがく女性を冷静に絞め続けた」と分析した[新聞 16]。その上で、それまでに1000体以上の遺体の司法解剖を手掛けてきた長尾は、経験則から犯人像について「犯人には明確な殺意があり、人の命を奪うことに迷いがない」という結論を出した[新聞 16]

その後の現場検証で、現場に残された使用済みグラスの表面には、指紋を拭き取ったような形跡が見られ、指紋の検出は困難になっていたことが判明した[新聞 25]。そのため捜査本部は、客として店を訪れてグラスを手にした犯人が証拠隠滅を図ったと推測した[新聞 25]

また、店内からは被害者の自宅・自転車の鍵のほか、ドア用の2種類の鍵が1本ずつ見つかった[新聞 25]。ドアは上下2か所で施錠する仕組みで、施錠されていたのは1か所だったことから、捜査本部は「犯人が犯行の発覚を遅らせるために店内の別の場所にあったスペアキーを持ち出し、外から施錠して逃走した疑いもある」と推測した[新聞 25]

2002年3月15日 - 16日、被疑者Bが捜査線上に浮上・逮捕

事件翌日の2002年3月15日、事件直前の同年3月上旬に現場近くの別のスナックを客として訪れ「タレントと付き合いがある」と名乗っていた男Bが、この店の女性経営者が目を離した隙に現金4000円を盗んで逃走する窃盗事件を起こしていたことが判明した[新聞 26][新聞 27][新聞 24]

事件現場スナックで飲んでいたビール瓶に指紋の拭き残しがあったこと[新聞 26][新聞 27][新聞 19]、客を装って店内にある金品を盗む手口などに加え[新聞 26][新聞 27][新聞 24]、Bは1983年に無銭飲食などを繰り返した末に金に困り、殺人を犯して現場から金品を盗むという、類似性の強い経緯による殺人・窃盗事件を起こした前科があったことから[新聞 27][新聞 4]、愛知県警は本事件との共通点に注目し、同日に被疑者Bを窃盗容疑で指名手配し、その行方を追った[新聞 27][新聞 24]

同日夜、名古屋市中区金山のスナックで無銭飲食をして逃げた男の遺留品から被害者女性の名刺が発見されたため、捜査本部は「スナックで無銭飲食をした男はBで、金山周辺に潜伏している」として[新聞 28]金山駅や同駅周辺の繁華街などに重点を置いて捜査した[新聞 4]

翌2002年3月16日午後4時半頃、金山駅北口付近の路上を捜索していた捜査員が路上を歩いているBを発見し[新聞 28]、特別捜査本部が設置された中署に任意同行した[新聞 4][新聞 24]

中署は既に前述の窃盗容疑での逮捕状も用意していたが、取り調べで殺人事件について追及したところ、Bは「金を奪う目的で客を装い店内に入ったが、口論となったことから女性を殺害した」と供述し、容疑を認めたため、被疑者Bを強盗殺人容疑で逮捕した[新聞 4][新聞 22][新聞 28]

取り調べに対し、Bは性的暴行目的を装うために着衣を工作したことを認めたため、捜査本部は「捜査を混乱させる狙いがあった」とみて取り調べた[新聞 22]。Bは逮捕された際、所持金はわずか10円しかなく[新聞 28]、無銭飲食に使うための他人の名刺を数種類持っていた[新聞 4]

逮捕後、被疑者Bは事件翌日(2002年3月15日)にも窃盗目的で、同市熱田区内の別のスナックに客を装って訪れていたことが判明した[新聞 18]

被疑者Bが逮捕された2002年3月16日、名古屋市内の斎場で女性の葬儀が営まれ、夫は荼毘に付された妻の骨片の一部を「これからも一緒だ」と、自ら口に押し込んで飲み込んだ[新聞 20]。その直後、夫の携帯電話に愛知県警の捜査員から電話がかかり、被疑者としてBが逮捕されたという一報を知った[新聞 20]

2002年3月17日までの捜査の結果、逮捕されたBは事件直前に現場周辺で無銭飲食を繰り返した際、19年前の1983年2月に長野県諏訪市内で起こした殺人・死体遺棄事件の際や、1999年に詐欺容疑などで逮捕された際と同じ偽名を使用していたことが判明した[新聞 29]

刑事裁判

2002年4月5日、名古屋地検が被疑者Bを強盗殺人罪で名古屋地裁に起訴

2002年4月5日、名古屋地方検察庁は被疑者Bを強盗殺人容疑で名古屋地方裁判所起訴した[新聞 30][新聞 31]

第一審・名古屋地裁

2002年5月28日、第1回公判

刑事裁判の初公判は2002年5月28日、名古屋地方裁判所(三宅俊一郎裁判長)で開かれた[新聞 32][新聞 33][新聞 34][新聞 35]

検察側は冒頭陳述で、「被告人Bは本事件直前にもスナックなどで、生活費目的で約30件の窃盗を繰り返していた。Bは被害者を殺害した際、強盗目的を隠蔽するため、被害者の着衣を乱すことで性的暴行目的の犯行に見せかける偽装工作をした」などと主張した[新聞 34]

検察側の冒頭陳述朗読中、傍聴席最前列で傍聴していた[新聞 32]、被害者と事実婚関係にあった内縁の夫[新聞 35]が突然立ち上がり、「てめえ、この馬鹿野郎。俺が殺してやる」と叫び[新聞 32][新聞 35]、傍聴席と被告人Bらを隔てる柵から身を乗り出し[新聞 32][新聞 35]、Bに背後から襲い掛かり、左顔面・背中に殴りかかった[新聞 32][新聞 33][新聞 35][新聞 34]

夫はすぐに刑務官によって引き離され、三宅裁判長に退廷を命じられた[新聞 32][新聞 33][新聞 35]。この騒ぎにより公判は約5分間中断したが、被告人Bは公判再開後も動揺した様子はなく、正面を向いたまま冒頭陳述を聞き続けた[新聞 34]

東京新聞』(中日新聞社)朝刊社会面の連載特集記事(2014年1月13日付)によれば、内縁の夫はその後、被告人Bに怪我がなかったため不起訴処分になった[新聞 35]

同日の罪状認否で、被告人Bは「間違いありません」と起訴事実を認めた上で[新聞 32][新聞 33]、「取り調べでは『殺してでも金を取ろう』という意図は否定していたが、本当は入店した時点からそうしようと思っていた」と述べた[新聞 32]

検察側は同日、「被告人Bは19年前にも殺人事件を起こしており、このようなむごい殺し方を2回もできる男がこの世にいること自体が理解できない」とする被害者の夫の供述調書を、名古屋地裁に証拠提出した[新聞 34]

2002年10月8日、第4回公判、被告人Bが被告人質問で強盗殺人を否定

2002年10月8日の第4回公判における被告人質問で、被告人Bは弁護人に相談もせず、それまでと一転して「被害者を殺した後に金を奪うことを考えた」と主張し、強盗殺人罪を否定し、単純殺人に相当することを主張した[新聞 36]

被告人Bは逮捕から1週間後、強盗目的の犯行を認めていたが、これについては「夜遅くまでの取り調べが続き、もうどうでもいいと思った」と説明した[新聞 36]

2003年2月19日、論告求刑公判、検察側が被告人Bに死刑求刑

第一審は2003年(平成15年)2月19日に結審し、同日の論告求刑公判で検察側は被告人Bに死刑を求刑した[新聞 37]

検察側は論告で、「被告人Bは、犯行手段が酷似した殺人事件で服役した前科があり、更生の機会を与えられながら再犯した」などと主張した[新聞 37]

同日、弁護人側は最終弁論で「大声を出して抵抗する被害者を黙らせようと首を絞めたが、この時点では金品を奪い取る決意はなかった」として殺人・窃盗などの併合罪が妥当と主張し、その上で量刑選択においては死刑・無期懲役を回避し、有期懲役刑に留めるよう主張した[新聞 37]

第一審判決を前に、被告人Bは収監先の名古屋拘置所に面会に訪れ続けていた牧師に対し、「岐阜刑務所に入ると思います。20年近い務めに入ることは間違いない」と語っており[新聞 38]、この時は死刑になることは想定していなかった[新聞 39]

2003年5月15日、判決公判、被告人Bに無期懲役判決

2003年5月15日、判決公判が開かれ、名古屋地裁(伊藤新一郎裁判長)は被告人Bに無期懲役判決を言い渡した[判決文 1][新聞 40][新聞 39]

名古屋地裁は判決理由で、被告人Bの犯罪事実を検察側の主張通り、「金品を強取する目的で被害者を殺害した」と事実認定し、強盗殺人の犯意を否定した被告人Bの主張を退けた[判決文 1]

その上で、「強盗殺人罪の成立を否定する態度、1983年の殺人前科など、さまざまな情状を吟味すればBは反省・悔悟の情に乏しい。再犯の可能性を否定し難く、極刑適用も考えられる」と断罪した一方で[新聞 39]、「Bは入店した当時、無銭飲食をした上で店の売上金などを盗む窃盗目的はあったが、検察側が主張するように当初から強盗殺人の犯意があったわけではなかった」として、犯行の計画性を否定した[新聞 40]

加えて、量刑選択理由で「Bはいったん売上金など金品を盗むことを諦めて逃走しようとしたが失敗し、女性に店の出入り口扉を施錠されたため、『女性を殺害して売上金を奪って逃走するほかない』と心理的に追い詰められた末に犯行に及んだ。現場にあったカラオケのマイクコードで首を絞めた手口からは計画性は認められない」と認定した上で[新聞 40]、「命を奪う『究極の刑罰』に決めるには疑いが残る。終生贖罪に当たらせることが相当である」として[新聞 39]、検察側の死刑求刑を退けた。

検察側・被告人側の双方が名古屋高裁に控訴

弁護人の勧めから被告人Bは有期懲役刑への減軽を求め、名古屋高等裁判所控訴した[新聞 39]。被告人Bは判決後、面会に訪れていた牧師宛の手紙で、「万が一の死刑判決を恐れてはいたが、これでもう少し生き永らえることができそうです」と、判決直前の不安・判決直後の安堵の心情を綴った[新聞 39]

被告人側控訴から2日後[新聞 39]、2003年5月28日には、死刑を求めた名古屋地検も量刑不当を訴え、名古屋高裁に控訴した[新聞 41]。判決公判時、傍聴席で被告人Bのみならず、死刑を回避した名古屋地裁の裁判官らへの怒りに震えた被害者の内縁の夫は、この時に担当の検察官から「絶対に死刑にしてみせます」と声を掛けられていた[新聞 39]

控訴審・名古屋高裁

控訴審判決までの検察側・被告人側双方の動き

名古屋高等裁判所における控訴審初公判を控え、新たに被告人Bの国選弁護人として就任した弁護士・太田寛は2003年7月、名古屋拘置所で被告人Bと面会した[新聞 42]

太田は有期懲役刑への減軽を狙い、被告人Bに対し「強盗殺人の事実関係は争わず、反省の態度を示そう」と提案した[新聞 42]

これは、第一審の被告人質問において被告人B自身が主張した「強盗殺人の意図はなかった」とする主張とは正反対のものではあったが、被告人Bも同意した[新聞 42]

被告人Bは控訴審公判直前、被害者の内縁の夫に謝罪の手紙を送ったが、第一審の法廷で「今でも考えることは妻のことばかり」「絶対に死刑にしてほしい」と訴えた夫は、その手紙をちり紙に使って捨てていた[新聞 42]

弁護人側は、被告人Bが獄中から牧師に送った「死んで償いたい」などと記された手紙を証拠提出し、また被害者の内縁の夫への手紙を「贖罪の心の証」と主張した上で[新聞 42]、「被告人Bは犯行の計画性はなく、女性を静かにさせるために咄嗟に首を絞めた。逮捕後には贖罪の気持ちを深めており、有期懲役刑が相当である」と主張した[新聞 43]

一方で逆転死刑判決を目指す検察側は、被害者遺族の死刑を望む思いを文書にまとめて対抗し[新聞 42]、「被告人Bは1983年にも手口の似た殺人事件を起こして服役した前科があり、スナック入店時点で強盗殺人の犯意があった」として、第一審の無期懲役判決を破棄して死刑を適用するよう求めた[新聞 43]

控訴審では被告人Bが第一審から一転し、強盗殺人の犯意を認めたために特段の争点はなく、2003年秋にわずか2回の公判で結審した[新聞 42]

2004年2月6日、控訴審判決、第一審の無期懲役判決破棄・被告人Bに死刑判決

2004年(平成16年)2月6日、判決公判が開かれ、名古屋高裁(小出錞一裁判長)は第一審・無期懲役判決を破棄し、検察側の求刑通り被告人Bに死刑判決を言い渡した[新聞 44][新聞 43][新聞 42]

名古屋高裁は判決理由で、犯行計画性の否定・犯行の悪質性・被害者遺族の峻烈な処罰感情などの点について[新聞 43]、死刑を回避した第一審とほとんど同様の事実認定をなしたが、量刑理由では1983年の殺人前科を重視し、出所後も無銭飲食などを繰り返したことを挙げ、「追い詰められたのは被告人Bが自ら招いた自業自得の結果であり、死刑を回避する事情には当たらない」[新聞 45]、「冷酷残忍な犯行で、故意に人命を奪ったのがこれで2回目ということを留意せざるを得ない。無銭飲食・売上金窃盗などの犯罪を繰り返し、その金でサウナなどに宿泊するような無為徒食の生活を続ければ、いずれは起こるべくして起きた事件である。被告人Bは殺人前科による長期の服役後に更生機会を与えられたにもかかわらず、その後も同様の生活を続けた末に起こした事件であり、極刑は免れられない」と断罪した[新聞 43]

2004年10月、日本弁護士連合会が「死刑適用基準として引用されている最高裁判所判例永山基準」が1983年に示されて以降の死刑求刑事件の判例を研究した報告書」を取りまとめたが、その報告書内容によれば、殺害被害者数が1人の殺人事件においては、「身代金誘拐保険金目当て犯罪被害を届け出たことを逆恨みしてお礼参りした事例など計画性が高いか、以前に殺人事件を起こして無期懲役刑で服役したにも拘らずその仮釈放中に起こした事例[注釈 1]を除き、死刑を宣告された事例は1件もない」という調査結果が出ていた[新聞 46]。しかし、その調査期間は発表前年(2003年)までで、この控訴審判決において「殺害被害者数1人、計画性は低い、無期懲役の前科なし」という条件で死刑を宣告された本件が初の「例外」となった[新聞 46]

2004年2月17日まで、被告人Bが最高裁に上告

被告人Bは判決を不服として、2004年2月17日までに最高裁判所上告した[新聞 47]

上告審・最高裁第一小法廷

上告中の被告人B周辺の環境

最高裁上告中の2004年5月、被告人Bは手紙で知り合った兵庫県内在住のキリスト教信徒の主婦だった50歳代女性と名古屋拘置所内で初めて面会した[新聞 48]。その2か月後の2007年7月、被告人Bは女性と養子縁組し、「B」から女性の姓「K」に改姓した[新聞 48]

2004年8月、控訴審で被告人Bの国選弁護人を担当していた太田が体調を崩したため、国選弁護人が湯山孝弘に交代した[新聞 49]。湯山は、名古屋拘置所で被告人Bと初めて面会した際、その人物像を「普通のおじさん」と受け取っており、面会を重ねるにつれてしばしばBが、自身や養母に対し「もう上告を取り下げたい」「償いが一番つらいし、生きていくのが辛い」と漏らした際には、「反省が足りない。生きて償うように努力しろ」と叱咤した[新聞 49]。湯山は、死刑囚Bの人物像を「平気で嘘を言うやんちゃなワルだ。面会で彼に振り回されたこともある」と評しつつも、死刑執行直前まで面会・文通を続け、面会の度に「自分の犯した罪を真正面から受け止めろ」と諭すなど、最後まで1人の人間として向き合おうとし続けていた[新聞 50]

2004年の秋から冬頃、湯山は被告人Bとの面会中、持論の死刑廃止論を語ったが、これに対しBは「死刑制度はあった方がいい」と返した[新聞 51]。その根拠は、人生の大半を獄中で過ごしてきた自身の体験を重ね合わせた「仮釈放のない終身制を死刑の代替手段として導入すれば、希望のない生活を続けることになるし、それは耐えられない」という考えに加え、「加害者は一日も早く事件を忘れたいが、被害者遺族は一生忘れられない。被害者・遺族の無念を晴らすためには死刑制度は必要だ」という理由だった[新聞 51]。これはB自身、初公判の際に被害者遺族の内縁の夫に殴られた経験があることに加え、1994年に発生した少年犯罪大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件で自身と同じく名古屋拘置所に収監され、後に死刑が確定した3被告人のうち1人と文通しており、その被告人も同事件の被害者遺族から峻烈な怒りを浴びていることを知っていたためだった[新聞 51]

死刑制度を是認するBの考えを知り、養母は湯山に宛てた相談の手紙で「死刑廃止の願いは被害者遺族のことを考えた上で始まる」と綴っており、後述のように病魔に侵されたために実現しなかったが、Bに殺された被害者女性の遺族と直接対面した上で謝罪することも希望していた[新聞 52]

養母の女性は2005年12月、それまで住んでいた大阪府内(新大阪駅の隣駅)近くのワンルームマンションを離れ、名古屋拘置所から約1kmの近場にあるマンションへと引っ越し、それ以降は頻繁に被告人Bと面会するようになった[新聞 53]。しかし、Bの上告審口頭弁論公判直前となる2007年1月に体調を崩したため検査入院した結果、乳癌が肝臓に転移し、病状が深刻な状態に陥っていることが判明したため大阪に戻った[新聞 53]。その後も養母は医師から余命宣告を受けつつも、被告人・死刑囚Bと頻繁に文通・面会を続けていたが[新聞 49]、Bの死刑確定後の2008年5月に末期癌で死去した[新聞 54]

また被告人Bは、「養母」の女性と知り合った頃、養母以外にも名古屋市のミッション系短大の学校付き牧師を務める男性夫婦と知り合い、面会・文通をするようになった[新聞 55]。この夫婦はBの死刑が確定した直後の2007年4月、第一子の女児を授かった[新聞 55]。死刑囚Bの養母は生前、自分の死後の死刑囚Bの身元引受をこの夫婦に依頼しており、死刑囚Bは獄中で面会を重ねるうち、幼い夫婦の娘とはあだ名で呼び合うようになっていた[新聞 55]

2007年2月8日、上告審口頭弁論公判開廷

2007年(平成19年)2月8日、最高裁判所第一小法廷才口千晴裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、結審した[新聞 56]

被告人Bの弁護人側は、「殺害された被害者が1人の事件で死刑にするのは許されない」などと主張し、死刑判決の破棄を訴えた[新聞 56]

一方、検察側は「刑事責任は誠に重い」として、被告人B・弁護人側の上告を棄却するよう求めた[新聞 56]

2007年3月22日、上告審判決公判、上告棄却判決により死刑確定

2007年3月22日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)は控訴審の死刑判決を支持し、被告人Bの上告を棄却する判決を言い渡した[新聞 57][新聞 58]

この判決により、被告人Bの死刑判決が確定した。

死刑執行

死刑囚Bの死刑執行まで

2007年9月、当時の法務大臣鳩山邦夫は「刑事訴訟法では死刑確定から半年以内の死刑執行が規定されているが、実際には履行されていない[注釈 2]。その現状は正義に反する」という考えから、「死刑を自動的に執行できる方法はないか」という、いわゆる「ベルトコンベヤー発言」をし、物議を醸した[新聞 59]

死刑囚Bは死刑執行前の2008年(平成20年)春、鳩山宛に苦情を申し立てた上で、「(自らの臓器提供などで)救ってあげられる人がいたら、自分の贖罪にもなる」として、死刑囚が執行後に臓器提供をできる制度の制定などを求めた[新聞 59]。しかし鳩山はBの死刑執行後、『東京新聞』の取材に対し「Bの名前に覚えはない」と回答した[新聞 59]

同年、参議院議員・福島瑞穂ら弁護士・識者らが死刑囚を対象に実施したアンケートで、死刑囚Bは「私は『自分が生きているうちに死刑廃止はない』と思い、鳩山法相(当時)に『死刑囚から願い出があった時は、臓器移植・検体ができる制度を法制化していただけるよう』、昔でいう請願をしました。それから1年が経とうとしますが、未だ返信がありません」、「死刑執行の際に死刑囚の実名が公表されると、死刑囚の親族の生活が穏やかでなくなります。私から鳩山さんを見ましたら違った意味で死神に見えます。『今日、何人の死刑が執行された』だけの発表でよいのではないでしょうか」と回答した[書籍 1][新聞 8]

死刑確定から1年となる2008年5月1日、死刑囚Bと養子縁組していた「養母」の支援者女性が末期癌のため、入院先の病院で死去した[新聞 54]

「Bは『もう死刑でいい』と発言してはいるが、本心では死刑執行を恐れている」と感じ取った上告審の国選弁護人・湯山孝弘は、養母の死去から半年後の2008年12月、死刑囚Bの恩赦を出願した[新聞 50]。その後、翌2009年(平成21年)5月には死刑囚Bから湯山宛に再審請求を望む趣旨の内容の手紙が届いたが、湯山が「まだ恩赦の結果が出ていないし、再審請求となれば新証拠が必要となるため軽々には踏み切れない」として、面会でBから真意を尋ねたところ、Bは「一時の気分で言っただけで本心から望んではいない」と回答した[新聞 50]

2010年(平成22年)9月に「恩赦不相当」の結果が出たため、湯山は死刑囚Bと面会を続けていた牧師の「Bは事件当時とは別人と言ってよいほど更生している」とする上申書を添え、直ちに2度目の恩赦出願をしたが、死刑執行の5カ月前となった2012年(平成24年)9月に棄却された[新聞 50]

2013年2月21日、死刑囚Bの死刑執行

2013年(平成25年)2月21日、法務省法務大臣谷垣禎一)が発した死刑執行命令により、名古屋拘置所で死刑囚Bの死刑が執行された[その他 1][新聞 8][新聞 60]。62歳没、死刑確定から5年10カ月が経過していた[新聞 61]

死刑囚Bの遺体は引き取り手となる親族がいなかったため名古屋拘置所が火葬し、遺骨は所属した名古屋市昭和区内のキリスト教会に引き取られた[新聞 62]

名古屋拘置所関係者によれば、死刑囚Bは死刑執行時、特に取り乱すことはなく、「死を待ち続ける生活に疲れました」と言い残した上で、亡き養母が生前に差し入れた現金の使い道について、「死刑執行まで面会を続けてきた牧師一家の一人娘が小学校入学を控えているので、そのランドセル代3万円を渡してほしい」とも遺言した[新聞 61]

同日には奈良小1女児殺害事件大阪拘置所)・土浦連続殺傷事件東京拘置所)の各死刑囚も含め、計3人の死刑が執行されたが[新聞 8]、死刑執行を各マスメディアが速報した際には、社会を震撼させたこの2つの殺人事件の死刑囚らが注目された一方で、ある民放キー局のテロップでは「奈良小1女児殺害事件の死刑囚、土浦連続殺傷事件の死刑囚『ら』3人」と表記されたように、Bの死刑執行はその「ついで」のように報じられ、翌日以降の続報もほとんどなかった[新聞 7]

また、Bの実兄はテレビのニュース速報で弟の死刑執行を知ったが、そのニュースでは本来の旧姓の読み「B」ではなく、同じ漢字表記の「M」と読み間違えられていたという[新聞 9]

死刑執行を受けた関係者の反応

事件の初公判で被告人Bに殴り掛かり、その後もBの死刑を望んでいた被害者の内縁の夫は、死刑囚Bの死刑執行後に『東京新聞』の取材に対し、「死刑執行は当然だとは思うが、最近は事件を振り返るのがつらい」と語った[新聞 63]

死刑囚Bが1983年に諏訪市で起こした殺人事件の捜査時、事件現場付近で聞き込みなどを担当した当時の長野県警捜査員は、『読売新聞』取材に対し、「Bが名古屋市で再び殺人を犯したと聞いたときは『またか』と思った。犯罪抑止の観点からも死刑制度は存続すべきだ」と語った[新聞 10]

また、諏訪市の事件現場付近で旅館を経営していた70歳代女性も、「事件はおぼろげに記憶している程度だが、被害者とは同じ旅館組合で付き合いがあり、『しっかりした感じの人』という印象だった。(Bの死刑執行については)殺人を再び繰り返した罪は重いとは思うが、死刑とは別の形で償ってほしかった」と語った[新聞 10]

参考文献

刑事裁判の判決文

関連書籍

  • 『命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び』インパクト出版会、2009年9月10日、89-90頁。ISBN 978-4755401978 
  • 年報・死刊廃止編集委員会『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』2017年10月15日、200,205頁。ISBN 978-4755402807 

脚注

注釈

  1. ^ 福山市女性強盗殺人事件(1992年発生)など。
  2. ^ 2008年当時、死刑確定から死刑執行までの平均期間は約7,8年だった[新聞 59]。これより早い著名な事例は附属池田小事件・宅間守元死刑囚(2003年9月に控訴取り下げで死刑確定、1年0か月後の2004年9月死刑執行)や東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件宮崎勤元死刑囚(2006年2月に最高裁上告棄却で死刑確定、2年4か月後の2008年6月に死刑執行)がある反面、市川一家4人殺人事件少年死刑囚(2001年12月に最高裁上告棄却で死刑確定、16年0か月後の2017年12月に死刑施行)のように死刑確定から死刑執行まで長期間を要した事例もある。

判決文出典

新聞報道出典

以下の出典において、記事名に死刑囚の実名が使われている場合はその箇所を「B」(旧姓のイニシャル)とする。
  1. ^ a b c d e f g 中日新聞』2002年3月14日夕刊第一社会面15面「栄のスナック 女性経営者殺される 首にコードを巻かれ」
  2. ^ a b c d e 朝日新聞』2002年3月14日夕刊第一社会面9面「栄のスナックに遺体 女性経営者、絞殺か 名古屋・中区【名古屋】」
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書籍出典

その他出典

  1. ^ a b 法務大臣臨時記者会見の概要”. 法務省法務大臣谷垣禎一) (2013年2月21日). 2017年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月10日閲覧。

関連リンク

関連項目

「永山基準」以降、最高裁で死刑判決が確定した、殺害された被害者数が1人の事件

※無期懲役刑に処された前科があるもの、身代金誘拐保険金殺人は含まない。

  1. ^ インパクト出版会 2009.
  2. ^ インパクト出版会 2017.