土浦連続殺傷事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
土浦連続殺傷事件
場所 日本 茨城県土浦市
民家および東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線荒川沖駅
日付 2008年3月19日(民家)/ 同23日(荒川沖駅)
標的 民間人
攻撃手段 包丁サバイバルナイフ
死亡者 2人(19日、23日に各1人)
負傷者 7人(23日のみ)
動機 死刑にされて死ぬための手段として

土浦連続殺傷事件(つちうられんぞくさっしょうじけん)とは、2008年3月19日同23日に、茨城県土浦市で発生した通り魔事件。刃物を持った男が相次いで人を刺し、2人が死亡、7人が重傷を負った。

経緯[編集]

犯人である土浦市内に住んでいた当時24歳の無職の男Kは、2008年1月と2月に渡って凶器となる包丁とサバイバルナイフを購入した。

3月19日、土浦市内の住宅の玄関前で、当時72歳の男性が背後から刃物で刺され、死亡しているのが見つかる。犯行時間は同日午前9時20分頃とされ、現場に放置された自転車から被疑者としてKが浮上した。老夫が殺害された二日後の3月21日茨城県警はKを指名手配とした。当時Kは最寄りの荒川沖駅から常磐線の列車に乗り、東京秋葉原に向かった。Kは都内のホテルに宿泊し、髪を切るなどの変装を行った。

3月22日にKは携帯電話で茨城県警に電話し、「早く捕まえてごらん」などと挑発した。その後Kは土地勘のある常磐線ひたち野うしく駅から荒川沖駅に向かって歩いたが、殺害できそうな通行人がいないため断念、秋葉原に戻った。

3月23日午前11時ごろ、Kは黒い上着に黒いニット帽を被り、荒川沖駅付近のさんぱる(長崎屋)前、西口から東口にかけて、通行人と警察官の8人を刃物で刺した。5人は駅改札近く、2人はさんぱる前、1人は通路を降りた所で刺され、通路を降りた阿見町の27歳の男性が死亡した。Kは血の付いた包丁を持ったまま、駅からおよそ200m離れた荒川沖地区交番に行き、交番に備え付けてある呼び出し電話機から「私が犯人です」と自ら通報した。そして、駆けつけた警察官に現行犯逮捕された。

県警の対応[編集]

以下のような茨城県警のずさんな対応が浮き彫りになり、マスメディアを介して批判された。

  • 荒川沖駅の捜査員は、重点的に配置したはずだったが、互いに連絡を取り合う手段が用意されていなかった。
  • 同駅で警戒していた捜査員は、Kの写真を持っていなかった。
  • 駅側に対し、警戒に当たっていることを、まったく連絡していなかった。
  • 被害者の中には、管轄である土浦警察署の29歳の巡査も含まれていた。
  • 犯行後、Kが自首した交番は空き交番だった。K自らの通報で駆けつけた警察官がようやくKを現行犯逮捕した。

裁判[編集]

水戸地検9月1日、約4か月の精神鑑定の結果、Kを殺人などの罪で起訴した。

2009年5月1日より水戸地方裁判所にて初公判が開かれ、Kは「自殺したいために凶行に及んだ。」と述べた[1]。なお、Kは公判中に被害者の傷跡の画像を見て失神、30分間審理が中断された[2]。また、2009年7月3日の第5回公判では閉廷直前、裁判が長引くと知ったKは激高し、目の前の机をひっくり返して一部を破壊、2009年9月3日の第6回公判では傍聴席に向かって笑みを浮かべてピースサインをする場面もあった。

11月13日検察側の論告求刑と弁護側の最終弁論が行われて結審。弁護側は 「死刑を求める被告に死刑を与えるなら死刑が刑として機能しない。強盗に金をやるようなものだ」と減刑を求めたが、12月18日、求刑通り死刑判決となった。判決文は「犯行は人格障害によるもので、行為の是非の弁別性、行動制御能力には影響していない。完全な責任能力がある」と認定したうえで、「極めて残忍な犯行であり、死刑願望を満たすという動機は強く非難されなければならない。わが国の犯罪史上、まれな重大な事件。反省の態度も全くない。更生の可能性は極めて厳しい」と指摘した。

弁護人は即日控訴したが、Kは12月21日に行われた読売新聞社の取材に対し、「完全勝利といったところでしょうか。(死刑願望が)変わることはない」と話したうえで「常識に縛られている側から見てそう(そのように)見えてもしかたない」と述べ、「後は(死刑)執行までの時間をいかに短くするか。(国が執行に)動かなければ、裁判に訴える」と、死刑判決は望んだものであり死刑執行されなければ訴えると、自身の願望が成就した事に対し笑みを浮かべていたという。

なお、Kは12月28日に控訴を取り下げる手続きをし、一週間後の2010年1月5日に死刑判決が確定した。この行動に対し、土本武司は「『一刻も早く死刑で死にたい』という100年に1人しかいないような、普通では考えられない被告にとって、取り下げは当然の手続きなのだろう」と述べた。なお、自ら死刑判決を望んだ被告は、近年、附属池田小事件奈良小1女児殺害事件死刑囚ような前例がいくつかある[3]

2013年2月21日、当時の法務大臣である谷垣禎一の命令により、奈良小1女児殺害事件の死刑囚他1名と同日、東京拘置所でKの死刑が執行された。満29歳没。事件発生から5年となる直前に執行された[4]

犯人の人物像[編集]

Kは高校時代に弓道部に所属し、全国大会にも出場するほどの腕前だった。しかし高校卒業後は進学も就職もせず、テレビゲームをしたりマンガを読んだりして過ごしており、家族とも関わりを避けて食事もひとりでとっていたという。2003年8月に行われたゲームの関東地区の大会で準優勝となる。犯行後の取調べでは実の妹をはじめ、小学校や中学校、高校、そしてネットオークションで商品を送ってこなかった人物などを殺害対象にしていたと語っており、小学校襲撃はたまたまその日(3月19日)に標的にしていた小学校が卒業式で保護者がいたために断念、妹殺害も妹と会えなかったために断念し、「誰でもいいから殺したかった」として、たまたま外にいた近所の老人を襲ったという。

警察の取調べではKは携帯のメールで、「俺は神だ」「俺のやることが全てだ」などと記していたとされている。また部屋には「死」という文字と意味不明のロゴマークが壁じゅうに描かれていた。3月25日に送検のため、土浦署を出る際には舌を出すなどの行為が見られた[5]

Kは1審判決前の2009年6月に水戸拘置支所で産経新聞の取材に応じ、「死刑になりたい。生きるのがいやになった」という心中を述べた[6]。また、「自殺はどんな方法であれ、自分の体に痛みを加える。そんな勇気がなかったので殺人をした」と話し、最後まで反省の言葉はなかったという[6]。Kは接見室での取材に終始満面の笑みで応じ、遺族や被害者に謝罪はないのかという記者の問いに、「痛かったであろうことは常識で考えたら分かるが、特に謝罪や思いはない」と話し、さらに笑顔を見せたという[6]。Kは、拘置所内では「日々、殺すことしか考えていない」と断言し、「殺すこととは、もし外に出たら、どうやってまた殺しをするかということ。それは死刑になるため。『今解放されたら、また殺人をするか』と問われたら、答えは『します』しかない」と言い切った[6]。死刑になりたいと考えるようになった理由については、「親が悪いとか教育が悪いとかではない。こう育ったのも運命だ」と述べた[6]。接見終了後には「間にアクリル板があるから記者さんと握手もできない」とつぶやき、「こうして拘置所でメディアの方と会うのは暇つぶし。反省したというわけではない」と言い残し、接見室を後にしたという[6]

類似する事件[編集]

  • 2001年6月8日に発生した附属池田小事件の元死刑囚(2004年9月14日死刑執行)は大量殺人を行った理由について「死刑による死を望んだ」と述べている。また、上述のようにKも当初小学校を標的としていたため、小学校で凶行に及んだ点もKと類似している。
  • 2008年6月8日に発生した秋葉原通り魔事件の被告は、取り調べで「ナイフで人を襲うことについて、この事件を参考にした」と供述している。

参考文献[編集]

  • 『死刑のための殺人―土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録―』[7]

脚注[編集]

以下の出典において、記事名に被疑者の実名が使われている場合、その箇所をイニシャルとする

[ヘルプ]
  1. ^ “【8人殺傷初公判 (2)】「何人も殺せば死刑になる」…自殺は死ねなければ痛い(10:15 - 10:30) (1/4ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年5月1日). オリジナル2009年5月4日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20090504083046/http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090501/trl0905011159004-n1.htm 
  2. ^ “【衝撃事件の核心】魔法使えず死を決意? 法廷で「失神」した被告の精神状態は…8人殺傷通り魔公判 (1/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年5月10日). オリジナル2009年11月29日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20101129042520/http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090510/trl0905101300000-n1.htm 
  3. ^ 篠田博之 『ドキュメント死刑囚』 筑摩書房、2008年
  4. ^ “3人の死刑を執行 奈良女児殺害の○○死刑囚ら”. 日本経済新聞. (2013年2月21日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2101A_R20C13A2CC0000/ タイトルに奈良小1女児殺害事件の死刑囚の実名が使われているため、その箇所を伏字とした。
  5. ^ インタビューによると「1つの戦い(ゲーム)が終わったあとの癖」だという。
  6. ^ a b c d e f “【3人死刑執行】笑顔で「解放されてもまた殺人する」「特に謝罪の思いない」 取材に応じたK死刑囚、最後まで反省なし+”. MSN産経ニュース. (2013年2月21日). オリジナル2013年2月21日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20130221144433/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130221/trl13022114160006-n1.htm 
  7. ^ 読売新聞水戸支局取材班 『死刑のための殺人―土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録―』 新潮社、2014年ISBN 978-4-10-335431-4

関連項目[編集]