大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件
3府県連続リンチ殺人事件
木曽川・長良川連続リンチ殺人事件
場所 日本の旗 日本
大阪府大阪市中央区島之内2丁目のマンション一室
愛知県尾西市(現・一宮市)内の木曽川河川敷
岐阜県安八郡輪之内町内の長良川河川敷
標的 男性5人(うち1人はグループの仲間、残り4人は面識なし)
日付 1994年平成6年)
9月28日午前1時頃 – 10月8日未明
概要 3人の暴力団組員の少年を中心とした不良少年グループ計10人が、11日間に強盗目的などで、グループの仲間を含めた計5人の男性を集団リンチし、うち4人を殺害して残る1人にも怪我を負わせた。
攻撃側人数 10人(主犯格は3人)
武器 アルミニウムパイプなど
死亡者 4人
負傷者 1人
犯人 不良少年グループ(主犯格3人は事件当時18歳及び19歳の暴力団組員)
動機 強盗仲間割れなど
対処 主犯格3人は死刑少年死刑囚未執行
その他起訴された5人は最高で懲役4-8年の不定期刑など懲役刑の有罪判決(一部は執行猶予付き)
2人は少年院送致
謝罪 あり
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最高裁判所判例
事件名 木曽川長良川等連続リンチ殺人事件
事件番号 平成17年(あ)2358号
2011年(平成23年)3月10日
判例集 最高裁判所裁判集刑事編(集刑) 第303号133頁
裁判要旨
  • 本件上告を棄却する。
  • 僅か11日間という短期間のうちに3回にわたってその都度新たな殺意を形成しながら殺人、強盗殺人の犯行を重ねており、その間いささかのためらいすらもうかがえない。
  • 19歳から26歳までの4名もの青年の生命を次々と奪い去った結果は誠に重大であって、被害者らの恐怖、無念は言うに及ばず、遺族らの被害感情も極めて厳しい。連続リンチ殺人事件として、地域社会に与えた衝撃も計り知れない。
第一小法廷
裁判長 桜井龍子
陪席裁判官 宮川光治金築誠志横田尤孝白木勇
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
参照法条
強盗殺人殺人死体遺棄強盗致傷傷害逮捕・監禁(以上いずれも全3名)、恐喝(KM)、暴力行為等処罰に関する法律違反(KM・KA)
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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(おおさか・あいち・ぎふ れんぞくリンチさつじんじけん)とは、1994年平成6年)9月28日から10月8日の11日間に大阪府愛知県岐阜県の3府県で発生し、同10月8日以降に相次いで発覚した、不良行為少年グループによる連続殺人事件である。

暴力団に所属した当時未成年不良行為少年らによる凄絶なリンチの末の凶行として社会を震撼させ、戦後史に残る少年犯罪となったこの事件では計10人が逮捕された[新聞報道 1]。このうち主犯格3人は全員が犯行当時少年でありながら死刑判決確定した(少年死刑囚[新聞報道 2]

警察庁から中部管区警察局第3号事件に指定されたこの事件は[新聞報道 3][雑誌報道 1]、3府県にまたがって発生したことから3府県連続リンチ殺人事件(3ふけん れんぞくリンチさつじんじけん)、名古屋市近郊(中京圏)を流れる木曽川長良川河川敷が事件現場となったことから地元紙『中日新聞』を中心に木曽川・長良川連続リンチ殺人事件(きそがわ・ながらがわ れんぞくリンチさつじんじけん)や木曽川・長良川事件とも呼ばれ、また単に連続リンチ殺人事件(れんぞくリンチさつじんじけん)とも呼ばれる。

事件の概要[編集]

前述のように、この事件は事件から23年後の地元紙『中日新聞』2017年3月30日朝刊に掲載された特集記事にて「戦後史に残る少年犯罪として社会を震撼させた」と表現されたが[新聞報道 1]、事件発覚当時は品川医師射殺事件つくば母子殺人事件などが発生して社会を震撼させた時期と重なる一方[雑誌報道 1]、一連の事件のうち最初に長良川事件が発覚した日の『中日新聞』1994年10月8日夕刊社会面や翌10月9日朝刊社会面でも、ナゴヤ球場で同日開催された10.8決戦が大きく取り上げられる一方で、このニュースの扱いは小さかった。その後、少年による残虐な犯行が明らかになると『中日新聞』など中京圏の新聞各紙では大きく扱われるようにはなったが、年を越して1995年を迎えてからは新聞報道は少なくなっていった。その一方で、主犯格の最後の1人が逮捕されたのは阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)が発生した翌日の1995年1月18日[雑誌報道 1]、それからほどなくして地下鉄サリン事件などオウム真理教による一連の重大事件と、同時期に大事件が続出した[雑誌報道 1]。それ故、この事件は大震災やオウム事件などの陰に隠れたためすっかり見過ごされた形となり、当時はマスメディアで取り上げられることは少なかった[雑誌報道 1]。『週刊文春』(文藝春秋)1995年7月6日号では「オウム真理教の出現が世紀末現象であるとするならば、この少年らによる犯罪は、21世紀型ともいえそうなのである」と綴られた[雑誌報道 1]

3府県にまたがって発生したこの一連の連続殺人事件は、最初の事件から順にそれぞれ、9月28日に発生し男性1人が殺害された殺人・死体遺棄事件の「大阪事件[判決文 1]、10月6日深夜に発生し、犯行グループの仲間だった男性1人が死亡した「木曽川事件[判決文 1]、翌10月7日深夜に発生し男性2人が殺害され、1人が負傷させられた強盗殺人・強盗致傷事件の「長良川事件」と[判決文 1]、3つの事件に分かれる。このうち、木曽川事件は第一審では傷害致死事件と認定され、主犯格3人のうち2人への死刑が回避されたが[判決文 1]、控訴審・上告審では殺人事件として認定され、主犯格3人全員に死刑判決が言い渡され、確定することとなった[判決文 2][判決文 3]

第一審判決では「いずれの犯行も、経緯などを見ると、自らの欲望、感情の赴くまま行動して傷害や強盗などを犯した少年たちが、被害者らを解放すれば警察に捕まるなどと考え、自らの行動によって生じた結果の処置に困惑し、その際、虚勢を張る心理も混じって声高に激化した言動をする者に影響され、相手に弱みを見せられないという少年期特有の心理状態も手伝い、これに同調し、お互いが適切に事態を収束させることができないまま、最悪の結果を招いた」と認定された[判決文 1]。また、成田青央は著書『壊れた少年』にて犯行の残虐性・犯行の連続性・集団事件特有の心理状況・犯行グループ内の関係の希薄さ・安易さや無責任さといった観点から、この事件の6年前(1988年)に発生した少年集団らによる凶悪犯罪である女子高生コンクリート詰め殺人事件名古屋アベック殺人事件との共通性を指摘している[書籍 1]

死刑囚[編集]

一連の事件では未成年者7人を含めた男女計10人(うち成人は暴力団組員1人を含めた3人)が犯行に関与したと認定されて8人の有罪判決が確定、2人が少年院送致された[新聞報道 4]。このうち、確定判決となった控訴審・上告審判決で主犯格と認定され、求刑通り死刑判決を受け確定した少年死刑囚は一連の3事件すべてに関与した、以下の犯行当時18歳及び19歳の少年3人(KM・KA・HM)である[判決文 2][判決文 3]。主犯格3人は犯行当時、いずれも自ら暴力団に加わるなど反社会的な生活を送っていた[判決文 1][判決文 2][判決文 3]。主犯格3人を含め、犯行グループには親兄弟から見放された劣悪な家庭環境で育った者が多く[雑誌報道 2]、社会の底辺を這うような少年期の中で、冷酷で非情な人間性が形成されていった[雑誌報道 3]

なお、死刑囚らの本記事中での表記は、最高裁での死刑判決確定を受けて実名報道に切り替えた各新聞記事に記載された実名が知られているが[新聞報道 5][新聞報道 6][新聞報道 7][新聞報道 8]、実名そのものの記載は削除の方針#B-2にて原則禁じられている。このため、本記事中では最高裁判決時点の実名に基づくイニシャルで表記する。実名報道切り替え以前は、KMから順にそれぞれ「A」「B」「C」と表記されることが多かった[新聞報道 9][新聞報道 10]

少年KM(犯行当時19歳)[編集]

少年KA(犯行当時19歳)[編集]

少年HM(犯行当時18歳)[編集]

一連の事件前の動向[編集]

KMは1994年8月10日午後9時過ぎ[雑誌報道 1]、愛知県津島市杁前町パチンコ店駐車場[新聞報道 19]岐阜県海津郡の当時18歳の少年(一連の事件とは無関係、保護観察処分)と共謀し[新聞報道 19]、当時22歳の会社員から現金3万円を奪い[雑誌報道 1]、会社員の顔を殴って顔に2週間の怪我を負わせた事件を起こし[雑誌報道 1]、強盗致傷容疑で愛知県警察から指名手配された[新聞報道 3][新聞報道 20]

KMは奪った金をもとに大阪府に逃亡したが、漠然と「暴力団に入りたい」とは思っていたものの、当てがあったわけではなかった[雑誌報道 1]。大阪市内のパチンコ店で遊び、店内をうろついていたKMは、そこでKAと出会った[雑誌報道 1]。KAは初対面のKMに対し「山口組に所属している」と打ち明け、これを聞いたKMは「俺もヤクザになりたい」と要望した[雑誌報道 1]。KAはKMの要望を聞き入れ、KMを千日前スナックバーに案内した[雑誌報道 1]

KAはスナックバーでKMに、当時山口組系暴力団山健組内にある山本組の現役構成員だった[雑誌報道 1]大阪市生野区在住、徳島県出身の当時45歳の元暴力団組員の男Uを[新聞報道 21][新聞報道 22][注釈 4]、「Uさんは殺人罪で13年間も懲役に入っていた。2年前(1992年)に刑務所を出所し、今はこのスナックのママが奥さんだ」と紹介した[雑誌報道 1]。KAは出所直後のUと知り合って子分にしてもらったという[雑誌報道 1]。Uは刑務所を出所してからまだ日が浅く、手下も少ない状態であったため、KMに「自分も舎弟にしてください」と頭を下げられるとすぐに了承した[雑誌報道 1]。Uの配下には他に当時18歳の少年T(大阪市出身[新聞報道 23]東大阪市在住の暴力団組員[新聞報道 24]生野区在住との報道あり[新聞報道 25])がおり[雑誌報道 1]、またKMの他に、HMもUの配下に加わった[雑誌報道 1]

KM・KA・HMの3人は同学年であったが、杯を交わした順番でKA>KM>HMの序列ができた[雑誌報道 1]。KAはKMを、自分たちのたまり場だった大阪市中央区島之内2丁目の[新聞報道 25]、1階にブティックなどの店舗があったマンションの4階408号室にある2LDKの「事務所」へと案内し[雑誌報道 1]、この部屋が暴力団配下の4人組の「アジト」と化した[新聞報道 20]。『週刊文春』では408号室の借主はUの知人だと報道されたが[雑誌報道 1]、判決ではU自身と認定された[判決文 1]

新米ヤクザとなったKM・KA・HM・Tの4人組は大阪市内で「シノギ」としてカツアゲ恐喝)を繰り返していた[雑誌報道 1][新聞報道 20]。警察関係者によれば、標的にするのはは真面目そうな社会人などは「すぐに警察に通報される」として避け、自分たちに似た相手である暴走族風やヤンキー不良学生などに絞っていたという[雑誌報道 1]。手口は橋のたもとや路上で標的に声をかけ、最初は和気あいあいと話を合わせているが、ちょっとしたことで「なんやと?」「もういっぺん言うてみい」などと態度を豹変させて詰め寄り、小突く、殴る蹴るなどの暴行を加えて金品を巻き上げるというものであった[雑誌報道 1]

最初の事件(大阪事件)[編集]

最初の事件となった大阪事件は1994年9月28日午前1時頃に幕を開けた[新聞報道 26][雑誌報道 1]

KM・HMの2人は[判決文 3]、自分たちの「シマ」であった大阪市中央区の道頓堀繁華街[雑誌報道 1]、大阪府柏原市在住[新聞報道 26]、元寿司店店員で[新聞報道 24]、当時無職の男性A(当時26歳)と、Aの友人男性(同26歳)の2人に因縁をつけた[新聞報道 26]。KM・HMは2人を小突きながら事務所前まで来たが、そこで友人男性が逃げたため[雑誌報道 1]、A1人をたまり場のマンションの一室に連れ込んで監禁し、KAを加えた主犯格3人とTの計4人で、裸にしたAの両手首、両足首を縛り、Aの顔面にガムテープを巻き付けるなどして身動きできない状態にした[判決文 3]。その上で、Aに対し19時間にわたって殴る蹴るなどの暴行を繰り返した[新聞報道 26][判決文 1]

身長160cm前後で童顔、染髪はしておらず、前を少し立たせたような長髪であったKMはAに住所氏名を明かせと強要したが、Aにしてみれば明らかに自分よりも年下の少年らに生意気な口を利かれていたため、Aは素直に従う気にはなれず、反抗的な態度を取った[雑誌報道 1]。これに対し逆上したKMはAを拳で殴りつけたが、見ていたKAが「(お前の生まれた)名古屋ではそういうやり方か[注釈 5]、甘いのう。ほな、大阪のどつき方を教えたるわ」と。地元意識から競争心を燃え上がらせたかのようにAを殴りつけ、名古屋と大阪が張り合う格好で暴行がエスカレートした[雑誌報道 1]。これを見たTもAの背中を殴る蹴るなどの暴行を加え、HMも加えて計4人でAを袋叩きにした[雑誌報道 1]。そのすさまじさをマンションの住民は「真夜中にドスン、バタンと物音が響いてきた。『ぐえーっ』とカエルでも踏んだかのような声が聞こえ、薄気味悪かったが、まさか人がリンチされているとは思わなかった。事件から1か月後ぐらいに刑事が来て、事情を知りぞっとした」と語った[雑誌報道 1]

KMら4人は凄惨な暴行の末にぐったりとしたAの衣服をはぎ取ってトランクス1枚にし、所持していた携帯電話指輪を強奪してAを押し入れに閉じ込めた[雑誌報道 1][新聞報道 26]。KMらはAを土木作業場(飯場)に売り飛ばそうと相談したが、取引相手が都合で来られなくなり、Aが抵抗した[新聞報道 27]。このためKMらはAの処置に困り、「生かしておくと警察に通報される」として犯跡を隠蔽するために殺害を決意した[判決文 3][判決文 1]。当初カツアゲをするつもりが、いつの間にか殺人にエスカレートするというあまりにも異様な状況だったが、4人の中に「待った」をかける者は誰もいなかった[雑誌報道 1]

同日午後8時頃、KMらは虫の息のAを押し入れから引きずり出した[雑誌報道 1]。KM・KA・Tの3人は脱がせたAのズボンからベルトを抜き、命乞いをし、体を痙攣させて苦悶するAの首に[判決文 1]、Aが着けていたベルトを巻き付けた[雑誌報道 1]。最初はHMが両端を両手で持って引っ張り上げて絞め付け、抵抗できずに苦しむAに構わず、4人で執拗にベルトの両端を力いっぱい引き合うなどして、Aを絞殺した[判決文 3][判決文 1][判決文 2][判決文 3][雑誌報道 1]。Aがの混じった鼻水を出したり失禁した後も、確実に死亡させるためにさらに首を絞め、その後、たばこの火をAの身体に押し付けてその死亡を確認するという非情、残忍な犯行であった[判決文 1]

4人はその後、同じビルにある中華料理店で平然と食事をした[雑誌報道 3]。その後、翌9月29日未明になってUが事務所に顔を出したため、KAが事情を説明した[雑誌報道 1]。KMらは前述の取引に関与した、マンションの部屋の借主であるUにAの遺体の処分を相談し[雑誌報道 1][判決文 1]、遺体の口から血や体液が流れ出すのを封じるためにガムテープを貼り、遺体を布団で包んで二重巻きにしてロープで縛り[雑誌報道 1][判決文 4]、4人がかりで外へと運び出してUの乗用車のトランクに押し込んだ[雑誌報道 1]

徳島県出身のUは四国山中の人目に付かない場所、それも足が付かないように大阪からなるべく離れた場所に遺体を遺棄しようと考えた[雑誌報道 1]。KA・Tが事務所に残った上でKM・HMの2人がUとともに遺体を積んだ車に乗り、神戸市六甲アイランドフェリーターミナルから徳島港行きのカーフェリーに乗船して四国に渡った[雑誌報道 1][新聞報道 26][注釈 6]。翌30日午前4時頃[判決文 4]国道55号を南下して辿り着いた[雑誌報道 1]高知県安芸郡奈半利町須川甲の国道55号から山中に入った林道沿い、室戸岬夫婦岩近くに到着した[新聞報道 26]。KM・HMの2人はAの遺体を林道のガードレール越しに、林道の約50m下の斜面めがけて放り投げ、遺体をゴミ同然に遺棄した[雑誌報道 1][判決文 1]

11月22日に発見されたAの遺体はわずか9.1kgしかなく[雑誌報道 3]腐敗が進行して多数のが発生し、全身がほぼ白骨化した無惨な状態だった[判決文 1]司法解剖の結果、Aの遺体は内臓破裂、左鎖骨・左第3肋骨・第4肋骨の骨折が確認された[雑誌報道 1]

KMは取り調べの中で、行きずりの何の恨みもない人を惨殺した挙句遺体をゴミのように捨てた当時の状況について「明け方の海(土佐湾)がきれいで印象深かった」と答えており、『週刊文春』1995年7月6日号では「凶行への呵責はそこにはない。むしろ一仕事終えた爽快感さえ漂っている」と綴られた[雑誌報道 1]

第2の事件(木曽川事件)[編集]

大阪事件から2日後の10月1日、KMら4人はまたも道頓堀で高校生3人組を恐喝して現金、ネックレスなどを強奪し、うち1人を事務所に拉致、監禁した[雑誌報道 1]。殺害には至らなかったが、逃げた被害者らが親に被害を打ち明け、警察に通報した[雑誌報道 1]。翌2日、パトロール中の大阪府警察南警察署署員によりTが逮捕され、それを聞いたKMら3人は直ちに逃走にかかった[雑誌報道 1][新聞報道 20][新聞報道 28]。10月4日[新聞報道 29]、3人は兄貴分のKAの提案で、近鉄南大阪線でKAの育った松原市に向かい、同市内のパチンコ店に遊びとカツアゲを目的に入店した[雑誌報道 1]。暴走族風の男に狙いを定めて当たり障りのない会話を振った相手は、福岡県生まれの当時20歳の男Vだった[新聞報道 30][新聞報道 29][雑誌報道 1]。Vは自家用車の白いホンダ・シビックを持っていた一方、定職を持たずにぶらぶらしており、3人の仲間に入れてほしいと頭を下げた[雑誌報道 1]。KAはVに「運転手をやれ。俺たちに従うなら飯はただで食わせてやる。女も紹介してやろう。給料も払ってやる」と条件を提示し、Vはこれを快諾し仲間に加わった[雑誌報道 1]

4人はVのシビックに乗り、八尾市高槻市と府内をドライブした[雑誌報道 1]。その途中HMは少年時代に所属していた大阪市内の少年野球チームが活動していたグラウンドを訪れ、兄同然に慕っていた恩師であるコーチに会った[新聞報道 1]。フェンスの向こうから数年ぶりに現れたHMはコーチから「子供らにジュースでも」と千円札を数枚手渡され、「僕、こんな道しか行かれへんねん」というつぶやきを残し、事件について語ることはなく5分ほどでKMらの待つ車に消えたという[新聞報道 1]。このチームには小学2年生の時に当時中学入学直後のHMに誘われてチームに入り、HMの使っていたユニフォームをお下がりとして使い、同じコーチの手ほどきを受けた後中学入学後に硬式野球に転向、野球の強豪校を経てプロ野球パ・リーグで強打者として活躍した元プロ野球選手も所属していたという[新聞報道 1]

その後、深夜になって「女を紹介するという約束はどうなったんだ」と半信半疑でVがKAに尋ねてきた[雑誌報道 1]。Vを信用させるため、KMはかつてシンナー仲間だった愛知県一宮市在住の家事手伝いの当時18歳の少女W子に[新聞報道 30]、電話を掛けて「シンナーパーティーをやろう」と持ち掛け[雑誌報道 1]、W子も快諾した[雑誌報道 1]。Vは夜通しで車を走らせ、10月5日午前7時半頃に一宮市内にあるW子宅に到着した[雑誌報道 1]。W子はシンナー仲間であり、KMとも面識があった同市在住の当時19歳の少年Xを誘い[雑誌報道 1][新聞報道 30]、この時点でグループは計6人となった[雑誌報道 1]。6人は後述の長良川事件の現場となった稲沢市内のボウリング場「稲沢グランドボウル」、愛知県葉栗郡木曽川町(現・一宮市)内のパチンコ店を回って時間を潰した[雑誌報道 1]

翌10月6日午前1時頃、W子が仲間の少女Y子(一宮市内在住の当時16歳)[新聞報道 30]を呼び出し、名古屋市内にシンナーの買い出しに向かった[雑誌報道 1]。シビックにはY子を加えて7人が乗り込み、名古屋市中区でシンナーを入手して一宮市にUターンした[雑誌報道 1]。一宮市内の名神高速道路一宮インターチェンジ(IC)付近にあるラブホテルに入ると[新聞報道 31][雑誌報道 1]、7人は午前3時40分頃からシンナーを吸い、カラオケを歌い、酒を飲むなどの乱痴気騒ぎをし、午後1時10分頃にチェックアウトした後もその日の午後をパチンコなどで過ごした[雑誌報道 1]。午後6時頃になってシンナーを吸いたくなったKMがXに「落ち着いて(シンナーを)吸える場所はないか」と尋ね、Xはシンナー仲間の古株である愛知県稲沢市在住の当時21歳の男Z宅を提案した[雑誌報道 1][新聞報道 30]。Vの運転で寿司詰め状態の車は午後6時半頃にZ宅に到着し[雑誌報道 1]、たまり場となっていた平屋建ての離れにある4畳半の和室でV以外の6人と、家の住人であるZ、Zの妹とその女友達の計9人でシンナーを吸い始め、シンナーパーティーが始まった[新聞報道 29]。しばらくして突然KMが「Zが睨んだ」と言いがかりをつけ、場所を提供している家人のZに襲い掛かった[雑誌報道 1]。KMがZの顔面を3発続けて殴りつけ、よろけたZをKAが掴んで右目に集中打を浴びせ、KMが腹部めがけて蹴りつけようとしたところでZの妹が割って入り、Zへの暴行は中断した[雑誌報道 1]。家人のZにしてみれば「場所を提供しているのに感謝されないどころか、因縁を付けられて暴行まで受ける」という踏んだり蹴ったりの有様であった[雑誌報道 1]。Zの両親は不在がちで、近所の話ではZ宅は5年ほど前からKMらのたまり場になっていたという[新聞報道 29]

シンナーパーティーが始まってから1時間後、シンナーが足りなくなったため[新聞報道 31]、Zが近くに住む不良グループの仲間の1人である土木作業員の男性B(当時22歳)に「シンナーを持ってきてくれ」と電話した[雑誌報道 1][新聞報道 31]。Bはジュースの空き瓶に小分けされたシンナーを2500円で購入して持参し、Z宅を訪れた[雑誌報道 1][新聞報道 31]。BはKMとともによくシンナーを吸った中であったが、KMに交際していた女性を強姦同然で奪われた過去があった[雑誌報道 1]。家に来たBはKMに女友達を強姦された恨みからKMを睨み付け[雑誌報道 1]、逆上したKMがBに掴みかかった[雑誌報道 1]。BはKMを牽制しようと「お前のしたことを刑事に言うぞ」と言い放ったが、殺人を犯して警察に追われていると思い込んでいたKMはその言葉に逆上してBに殴り掛かった[雑誌報道 1][新聞報道 31]。KAも「刑事」という言葉に対して弟分のKM同様過剰反応し「誰の下の者に文句をつけている」と殴り掛かった[雑誌報道 1]。Zの時と違い、シンナー仲間たちは「せっかくいい気分で楽しもうとしているのにBが水を差した」と受け取ったために誰もBへの暴行を止めようとせず、大阪事件とは無関係のXまでもBへのリンチに加わった[雑誌報道 1]

逆上したKMはBの血を見てますます興奮したらしく[雑誌報道 1]、これに加えて「(Bが邪魔で)テレビが見えにくい」「(Bが)にらむような目つきをする」という理由で、KA・HMら仲間5人[判決文 1]を加えた計6人で、Bの頭や身体をビール瓶鉄パイプほうきなどで数百回殴る[新聞報道 20]フォークで傷口をつつく[新聞報道 20]、頭から醤油ウィスキー、シンナーをかける[新聞報道 20][新聞報道 32]、目の前に包丁を突き付けるなど[新聞報道 20]、約7時間にわたって激しく暴行した[判決文 1][新聞報道 31][新聞報道 32][雑誌報道 5]。BがKMらの従った行動をとらなかったため、KMらは更に逆上しさらなる暴行に発展した[判決文 1]。Bは「ごめんなさい。許してください」と懇願したが、KMらは手加減しなかった[雑誌報道 1]。Bに対して残虐な集団リンチが繰り広げられている中、少女らは我関せずといった態度であり、W子はZ宅の電話を使って宅配ピザを注文した[雑誌報道 5]。畳に伏せ、血を流し呻いているBを目の前にして、KMら10人は午後9時20分頃に配達された宅配ピザを食べ、ウィスキーを飲んだ[雑誌報道 5]。ピザを食べ終わった後再びBへの暴行が始まり、KMはピザを食べるのに使ったフォークをBの頭部の傷口に突き刺し、その上からウィスキーを注ぐという暴行を加え、仲間たちもニヤニヤと笑いながら見物していた[雑誌報道 5][新聞報道 20]。調子に乗ったKMは台所から包丁と醤油さしを持ち出し、恐怖におののくBの目の前に包丁を突き付け、Xが醬油をBの頭にかけた[雑誌報道 5]。W子も座敷ほうきでBの背中をたたいて面白がっており、弱い者に対して情け容赦なく攻撃するこの陰惨な「いじめ」に対して誰もストップをかける者はいなかった[雑誌報道 5]。午後10時半頃、Zが「そろそろ父親が帰宅する時間だ」と告げると、KMは無抵抗のBを立ち上がらせて歩くように促した[雑誌報道 5]。Bは玄関を出たところで、足を引きずりながら懸命に脱走を試みたが、20mも行かないうちにすぐにXらに追いつかれて捕まり、連れ戻された[雑誌報道 5]。もはや誰もBへの暴行を止めようとせず、Xの「木曽川べりの緑地公園なら人気がない」との一言でリンチの場所が決まった[雑誌報道 5]

午後11時過ぎ、Vが2手に分かれてBと、KMら仲間を木曽川堤防まで運び[新聞報道 20]、緑地公園駐車場でリンチを再開した[雑誌報道 5]。ここでHMはカーボン製のパイプを拾い、これを凶器にBを殴りつけた[雑誌報道 5]。KMもZ宅から持参したほうきを使ってBを殴りつけた[雑誌報道 5]。そのリンチの最中、突然付近を走行中の自動車のヘッドライトが点灯して走り去ったのに気付いたKMらは「警察に垂れ込まれるかもしれない」と恐れ、BをVのシビックに押し込んで、愛知県尾西市(現・一宮市)の尾西文化広場駐車場へと移動した[雑誌報道 5]。この時点ではBは重傷を折ってはいたものの、死に至るほどではなく、最悪の事態を避ける機会はあったが、KMらは誰一人として病院で治療を受けさせるなどの適切な措置を取ろうとしなかった[雑誌報道 5]

翌10月7日未明(午前1時頃)、KMらは同県中島郡祖父江町(現・稲沢市)の愛知県木曽川の祖父江緑地公園駐車場で、Bの頭を殴打し、腹部を蹴るなどの暴行を加えた[判決文 4][雑誌報道 5]。さらに午前2時頃にKMらは尾西市祐久の[新聞報道 33]、翌日の長良川事件の現場から直線距離で約7km離れた[新聞報道 34]、木曽川左岸河川敷にある尾西文化広場テニスコート付近で、Bの頭や背中をカーボン製パイプで殴りつけて瀕死の重傷を負わせた[判決文 4]。KMは「死ね」と叫びつつBを乱打しており、それを見たW子が「本当に殺してしまう」と制止したが、KMらは聞き入れなかった[雑誌報道 5]

Bは瀕死の重傷を負い、自力で立ち上がることさえも困難となり、地面に横たわった状態で首筋や腹に置かれたシンナー入りビニール袋をライターで点火して燃やされても、緩慢で微弱な反応しかできないほどに重篤な状態に陥っていた[判決文 3]。KMらはBを堤防から蹴って突き落とし、更に雑木林へ両手足を持って引きずり[判決文 4]シンナーをかけた上でライターで火をつけ、河川敷雑木林に放置して殺害した[新聞報道 20][新聞報道 31][新聞報道 32][雑誌報道 5]。KMらはBを木曽川に流すつもりだったが[雑誌報道 5]、河川敷を引きずってBを移動させている途中でKMが「もうそこらへんでいいわ。そこなら見えん」と指示し、まだかすかに息のあったBを堤防から10mほど離れた雑木林の茂みに放置した[新聞報道 20][雑誌報道 5]

10月13日に発見されたBの遺体はわずか12.5kgしかなく[雑誌報道 3]、A同様腐敗が進行して大量のが発生し、皮膚は蛆に食い破られ、筋肉、内臓などもほとんど食い尽くされてほぼ白骨化し、頭蓋骨脊椎から分断されて死因すら断定できないほどの惨状だった[雑誌報道 5][判決文 1]。確定判決ではBの死因は硬膜下血腫、内臓損傷又は全身打撲による外傷性ショック死のいずれかと推定された[判決文 3]

木曽川事件の凄惨な犯行の直前、KMらは友人のネコ獣医師のところに連れて行き診察を受けさせていた[新聞報道 20]。本事件の犯行グループ6人は主犯格3人を含めた全員が翌日の長良川事件にも関与した[新聞報道 3]。部屋には他にも男1人と女2人の計3人がいたが、いずれもリンチが始まった際には姿を消していた[新聞報道 31]

第3の事件(長良川事件)[編集]

Bを殺害した後8人のうち男女2人(後述するX・W子)がグループから分かれて帰宅し[雑誌報道 5]、KMら残る6人は前述のラブホテルの一室で雑魚寝をした[雑誌報道 5][新聞報道 31]

翌日10月7日午後4時頃にKMらはホテルを立ち去り[雑誌報道 5]、パチンコなどで時間潰しをした後、午後8時頃に週末で込み合う稲沢市内のボウリング場・稲沢グランドボウルに現れた[判決文 4][雑誌報道 5][新聞報道 31]

同日午後10時頃[雑誌報道 5][判決文 4]、KM・KA・HMと仲間5人(うち2人は前日の木曽川事件にも関与)の計8人は[新聞報道 3]、遊ぶ金を得るために恐喝する「カモ」を、「誰でもよかった」(検察側主張及び判決の認定)と通り魔同然に物色していた[雑誌報道 4]。その中で、偶然ボウリングの球を選んでいた当時20歳の男性2人(会社員の男性Cと大学生の男性D)、アルバイトの男性E(当時19歳)の3人組を見つけた[雑誌報道 5][新聞報道 31][判決文 1]。殺害されたCとEは中学時代の同級生で親しい間柄にあり[新聞報道 35]、Dも含めて3人で偶然ボウリング場に遊びに来ていた[雑誌報道 5][新聞報道 31][判決文 1]。KMは3人を「お前ら、どこの者や」と脅し、KA・HMらも加勢してボウリング場の外に連れ出し、金品を強奪する目的でCら3人を約3時間にわたり、Dから強奪した軽自動車を含めた自動車2台の車内に監禁し[新聞報道 30]、金品を奪って拉致した[新聞報道 31][判決文 1][判決文 2][判決文 3]。動機はKM・KAがすれ違ったCらを見て、自分たちが笑われたと感じて腹を立てたことであり[新聞報道 31][雑誌報道 5]、またKMらは「髪の毛が赤っぽかったから」「服装が派手だったから」と因縁をつけたと供述したが[新聞報道 31][雑誌報道 5][書籍 1]、Eの母親は「Eが髪を染めたのは夏頃で、この時点ではもう2か月が経過しており、染めた部分は先っぽの2cmぐらいだった。髪が赤いというのは言いがかりだ」と反論している[雑誌報道 2]

Dの軽自動車後部座席にC・Eを監禁してKA・HMが乗り込み、Vのシビックの後部座席にDを監禁してKMらが乗った[雑誌報道 5]。DはKMらに襲われた際、とっさに財布から現金1万1000円とキャッシュカードを抜き取り、トレーナーの袖口の中に隠したが、KMはDの顔を車内で殴りつけて金銭を要求した[雑誌報道 5]。ここで出し渋っては更に暴行されると判断したDは言われるがままに現金3000円が入った財布を渡したが、KMはうち2000円を奪い「キャッシュカードは」と聞いた[雑誌報道 5]。Dが首を横に振るとKMは「他の2人(C・E)はいくらぐらい持っているんだ」と聞いたが、Dは「知らない」と答えた[雑誌報道 5]。KMらは午後11時半頃に津島市内のコンビニエンスストアに立ち寄り、そこで弁当などを購入したが、この店のフェンスにあった長さ約70cmの、凶器に用いられた四角い鋼管を発見し、KMが4本、HMが2本盗んで車内に持ち込んだ[雑誌報道 5]

KMらはC・E両名から現金8000円を奪った上に両名に監禁した車内で顔を殴るなどの暴行を加え、ボウリング場駐車場から江南緑地公園木曽川左岸グランド駐車場、養老公園(岐阜県こどもの国)駐車場などを経て、岐阜県安八郡輪之内町楡俣の長良川右岸堤防まで車内に監禁して連れ回し[雑誌報道 5][判決文 4]、またDに対しても顔を殴る蹴るなどして全治1週間の怪我を負わせ、監禁した車内で現金3000円と財布を奪うなどした[判決文 4][判決文 1]。KAは金を奪った直後3人を解放しようと提案したが、KMが「こんな(怪我を負った)顔で帰したら絶対に通報される」と反対し、殺害を暗に促すとKAもHMに対し「KMはやる気やで」と暗示した[新聞報道 1]。HMは「昨日も(木曽川事件を)やって今日もか」という躊躇いもあったが、結局警察への通報を恐れて口封じのためにもC・E両名の殺害を決意した[新聞報道 36][新聞報道 1]

KMらはCらの口封じをして犯行を隠蔽するため、日付が変わった翌10月8日午前1時頃に輪之内町楡俣の長良川右岸河川敷で、命乞いをするC・Eの計2人の全身を農機具小屋から盗んだ太いアルミニウムパイプや角材などで頭部や胸部をめった打ちにするなど執拗に暴行し、多発損傷による組織間出血により失血死させた[判決文 4][新聞報道 31][判決文 1][判決文 2][判決文 3]。2人は頭蓋骨陥没、左肩や両腕などの全身骨折と、体中の血管が裂けたことによる大量出血により失血死するというあまりにも無惨な死を遂げた[雑誌報道 3]。KMらは2人を遺棄して立ち去った後も「つるはしでとどめを刺しておけばよかった」とUターンして現場に2人が死亡したことを確認しに戻っており[雑誌報道 3]、またKM・HMは2人がぐったりした後も、たばこの火を押し付けてみたり、ダメ押しするかのようにさらに殴打した[判決文 1][雑誌報道 3]

Dは殺害された2人とは異なり身を守ろうとするなどの抵抗をせず、殴られるまま無抵抗だったため[新聞報道 37]、殺害せずに同県江南市の江南緑地公園木曽川左岸グランド駐車場、輪之内町の長良川右岸堤防(前述のCらの殺害現場)などを経て大阪市中央区内まで車内に監禁して連れ回した[判決文 4][雑誌報道 5]。その間HMはDを「琵琶湖に沈めてやろうか、それとも瀬戸大橋から突き落としてやろうか」などと執拗に脅したが[雑誌報道 5]、この時点で後述のように既にC・E両名の遺体が発見されていた翌8日午前8時30分頃[雑誌報道 5]、KAが奪った現金のうち近鉄名古屋駅までの電車賃として現金3000円を返した上で、Dを近鉄難波駅(現・大阪難波駅)近くで解放した[雑誌報道 5][新聞報道 31][判決文 2][判決文 3][注釈 7]

翌10月8日、一宮IC付近にある一宮市役所丹陽町出張所の駐車場でDの車がエンジンをかけたまま乗り捨てられているのが発見され、車は消火器を噴射して指紋を消そうとしたためか車内まで消火剤にまみれていたが、消火剤は逆に窓ガラスに付着していたKMの指紋を鮮明に浮かび上がらせていた[新聞報道 39][新聞報道 31]。KMらは犯行直後にコンビニエンスストアに立ち寄り、防犯カメラがその姿を捉えていた[新聞報道 31]

事件の発覚・検挙[編集]

長良川事件の翌日の10月8日午前6時15分頃、現場付近の長良川堤防道路を通りかかったトラック運転手が、車を整備しようと路肩に停車したところ、堤防道路の駐車帯から約30m下ったところの雑草地で頭から血を流してうつぶせに倒れ死亡しているC・E2人の遺体を発見し、近くの民家を通じて110番通報した[雑誌報道 5][新聞報道 40]。現場は安八郡安八町との境界の名神高速道路から南に約2kmの地点で、堤防の外側は水田や民家が点在している[新聞報道 40]。普段は夜間、この駐車帯にトラックが何台も停まっているが、事件発覚当時は週末のせいかほとんど車は停まっていなかったという[新聞報道 40]。また、警察に通報した近隣住民によれば現場一帯は自動車の転落事故が多発していたが、現場に車がないことから不審に思ったものの、これが殺人事件によるものだとは思わなかったという[雑誌報道 5]

C・Eの遺体は激しい暴行により頭部がべっとりと血に染まり、衣服はズタズタに裂けていた[雑誌報道 5]。現場で発見されたC・Eの遺体の両腕は、振り下ろされる凶器を必死で防ごうとしたためか傷でボロボロになっていた[新聞報道 31]。その後の調べで、現場一帯に多くの足跡や車のわだちが見つかり、近くの堤防法面の雑草の上や、遺体の足元から約3m離れた直径10cmほどの石の上に少量の血痕があり、堤防道路上に中央線をまたぐ形で乗用車より幅の広いスリップ痕が長さ5、6mにわたり確認された[新聞報道 40]。このため岐阜県警察捜査一課などはC・Eは殺人、もしくはひき逃げなどにより死亡し、何者かが遺体を運んで遺棄したとみて捜査した[新聞報道 40]

Dが警察に通報したためにKMらの犯行が明らかとなり、[要出典]岐阜県警は不良グループ6人のうち、KMら男3人、女1人の計4人を特定した[新聞報道 41]。このうち、既に愛知県警に指名手配されていたKMは関係者への事情聴取から真っ先に長良川事件への関与が浮上した[新聞報道 3]

事件発覚翌日の10月9日には大阪から運転手役のVが一宮市に戻り、X・W子・Y子らと合流して車内でシンナーを吸っていたが、その現場を一宮警察署の署員に押さえられた[雑誌報道 5]。10月13日に稲沢市在住の当時21歳の男Zと、一宮市内在住の当時16歳の少女Y子の2人が岐阜県警捜査一課大垣警察署捜査本部に長良川事件での殺人逮捕・監禁強盗などの容疑で逮捕され、KMや福岡県生まれの当時20歳の男Vら4人も含めて指名手配された[新聞報道 30]。また、事件の参考人として聴取していた一宮市在住の当時19歳の少年Xと家事手伝いの当時18歳の少女W子が「仲間数人で友人を暴行して木曽川に捨てた」と自供し、供述通りに尾西市の木曽川河川敷でBの遺体が発見されたため、愛知県警は同日夜にX・W子を殺人容疑で逮捕した[新聞報道 30]。X・W子は木曽川事件直後にグループから分かれており[新聞報道 31]、長良川事件には関与していなかった[新聞報道 42]

KMは事件発覚後も一宮市周辺に潜伏してシンナー仲間や少年院に入所していた際の知人を頼りに転々としつつ、逃亡を続けていた[雑誌報道 5]。その際の知人男性XXによれば「KMは10月10日夜に自分の知り合いの女の子の紹介で自分の家に『人を殺してしまったので逃げる場所を教えてほしい』と相談に来た。別に動転しているようでもなかった。自分も人を殺した者と会うのは初めてじゃなかった」といい、KMはこの知人宅に泊まった後いったん外出したが、仲間(後輩の男)とともに戻ってきたが、KMはその後輩を「自分の前を横切った」などの些細な理由で殴っていたという[雑誌報道 5]

KMは逃走中に「第3の事件」(厳密には逮捕時点では発覚していなかった大阪事件を含めて「第4の事件」)を起こしていた可能性もあった[新聞報道 3]。10月13日深夜、KMは一宮市内のコンビニエンスストア前に駐車して車内で弁当を食べていた18歳の若者の車にいきなり乗り込み、車の鍵を奪って仲間とみられる男女2人(XXと友人の少女)とともに若者を拉致して江南市方面へと走行した[雑誌報道 5][新聞報道 3]。被害者の若者によれば、KMは関西弁を用いて脅したため「大阪のヤクザだ、逆らうとまずい」と直感してKMの言いなりになったといい、またKMとともに乗り込んできた男女はどちらもシンナー臭かったという[雑誌報道 5]。この様子を若者の知人が目撃しており、若者の家族が連絡を受けて110番通報したためにパトカーが出動、KMが奪った乗用車を追跡する騒ぎとなった[雑誌報道 5][新聞報道 3]。約3時間後の10月14日午前零時過ぎ、KMが運転していた乗用車は江南市東野郷前で街路樹に衝突し、乗っていた4人(KM・XX・仲間の少女の計3人と、連れ去られた若者1人)全員が負傷し[新聞報道 3]、このうち助手席に乗っていたXXがフロントガラスを割って前方に投げ出され、右大腿骨骨折の重傷を負い入院したが[雑誌報道 5]、KMは再び逃げ去った[新聞報道 3]。KMはその後、相談に行った先で説得され、この日の深夜愛知県警一宮警察署に出頭し、指名手配容疑である木曽川事件での殺人容疑で逮捕された[雑誌報道 5][新聞報道 3]。中部管区警察局はこの日、本事件を管区第3号事件に指定した[新聞報道 3]。逮捕当時KMは前述の衝突事故による怪我のため、右足を引きずっていた[新聞報道 33]。その後、KMは11月4日には長良川事件での殺人容疑で[新聞報道 43]、11月26日にも一連の事件前の指名手配容疑である津島市の強盗致傷事件でも愛知県警捜査一課と津島警察署にそれぞれ再逮捕された[新聞報道 19]

KMが逮捕された翌日の10月15日、前述の福岡県生まれ(大阪市平野区在住)の当時20歳の男Vが岐阜県警捜査一課と大垣署に殺人、逮捕・監禁致傷などの容疑で逮捕された[新聞報道 44]

岐阜県警の長良川事件捜査本部は10月15日、同事件の犯行グループ6人のうち行方不明になっていたKAを殺人容疑で指名手配したが、KAは既に別の事件で大阪府警に逮捕されていることが判明した[新聞報道 14]。10月23日に大垣署にKAの身柄が移され、KAは殺人と逮捕・監禁致傷の疑いで逮捕された[雑誌報道 5][新聞報道 15]。その後KAは11月14日に木曽川事件の殺人容疑で再逮捕された[新聞報道 16]

また、KMがグループの仲間である2人の少女(W子・Y子)の殺害も他の仲間に対して漏らしていたことが11月1日までの愛知・岐阜両県警の共同捜査本部による捜査で判明した[新聞報道 45]。犯行グループは木曽川事件が男6人、少女2人の合計8人が犯行に関与したが、少女1人を含め6人が長良川事件にも関与した[新聞報道 45]。少女は主犯格のKMらがBらにリンチを加えている時も手を出さず、苦しんでいるBらを見かね「もう死んでしまうからやめて」などと犯行を阻止しようとする態度も見せていた[新聞報道 45][新聞報道 29]。グループ内の仲間によると、KMは少女らが被害者に同情的だったことから「警察に通報されるかもしれない」と恐れ、リーダーとしての虚勢及び仲間割れを防ぐための脅しなのか、本気なのかは不明だが「あとで殺すつもりだ」「1人殺すのも100人殺すのも同じだ」などと発言していたという[新聞報道 45]。両事件で計3人を殺害した上に犯行を隠蔽するために仲間までも抹殺しようとエスカレートしていくKMに、比較的絆が強かったという仲間たちでさえ「もうついていけない。今度は自分たちがやられるかも」と恐れ、身の危険を感じ自ら警察に通報して逮捕されるに至った[新聞報道 45]

さらに11月18日までにKMが「9月下旬、大阪市内でも男性を殺害し高知県内に捨てた」と自供し、翌11月19日に報じられた[雑誌報道 5][新聞報道 17][新聞報道 46]。木曽川・長良川事件の愛知・岐阜両県警共同捜査本部は11月21日までに被害者男性の身元を男性Aと断定した[新聞報道 46][新聞報道 26]。Aは当初23歳の大阪市在住と報じられたが[新聞報道 46]、正しくは大阪府柏原市在住の当時26歳だった[新聞報道 26]。岐阜・愛知両県警の合同捜査本部と大阪府警察高知県警察はKMの供述に基づきAの遺体捜索のため捜査員を派遣し、岐阜県警もKMを捜査に立ち会わせるため高知県に移送した[新聞報道 22]。遺体捜索は11月23日朝からの予定であったが、岐阜県警がKMを高知県警安芸警察署に移送する途中、KM本人が希望したため捜査員が遺棄場所を案内させて大阪府警、高知県警とともに捜索に入ったところ、11月22日午後7時過ぎに室戸岬北西の高知県安芸郡奈半利町の山中で布団に巻かれた裸の男性の遺体を発見した[新聞報道 26]。これを受けて4府県警は広域連続強盗殺人・死体遺棄事件として共同捜査本部を設置した[新聞報道 26]。翌11月23日、岐阜・愛知・高知各県警及び大阪府警の共同捜査本部は大阪大学医学部で遺体を司法解剖[新聞報道 26]、歯形から遺体の身元をAと断定した[新聞報道 27]。このように大阪事件を自供したことについてはKMの自首が成立していると確定判決でも認定されている[判決文 2][判決文 3]。なお、大阪事件に関与したTは10月2日[新聞報道 25]、別の強盗致傷事件で大阪府警南警察署に逮捕され、大阪家庭裁判所送致を経て保護観察処分になり[新聞報道 26][新聞報道 25]、その後行方を晦ましていたが、11月26日午前に両親に付き添われて南署に出頭し逮捕された[雑誌報道 5][新聞報道 23][新聞報道 25]。大阪事件においてKM・KA両名は殺人と死体遺棄の容疑で12月5日に大阪府警南署捜査本部により殺人、死体遺棄容疑で再逮捕された[新聞報道 47]。KM・KA・Tの3人は大阪地方検察庁により、12月27日までに「刑事処分相当」の意見付きで大阪家庭裁判所に送致された[新聞報道 48]

HMは一連の事件の容疑者の中で最後まで逃亡していたが、翌1995年(平成7年)1月17日に発生し、出身地の神戸市に甚大な被害をもたらした兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)の混乱の中で和歌山市内に逃走した[雑誌報道 5]。翌1月18日和歌山市内のラブホテルに女性とともにいたところ、HMは大阪事件の殺人容疑で大阪府警南署に逮捕された[新聞報道 49][雑誌報道 5]。大阪事件の死体遺棄容疑で指名手配されていたUも同日までに大阪府警南署に逮捕された[新聞報道 49]。HMは長良川事件についても強盗殺人、強盗致傷、逮捕・監禁容疑で2月9日に大垣署に[新聞報道 50]、木曽川事件についても殺人容疑で3月3日に愛知県警捜査一課と一宮署にそれぞれ再逮捕された[新聞報道 51]

KMら犯行グループと被害者らの接点は前述のようにボウリング場で偶然出会ったCらにKMらが因縁をつけたことであり、また最初に逮捕された当時16歳の少女W子は「6人の犯行グループのうち、3,4人は当日まで顔を見たこともない」と供述した[新聞報道 30]。些細なことで面識のない6人の非行グループが出会い頭的に見も知らぬ相手を襲い、鉄パイプ(厳密には前述のようにアルミニウム製)で滅多打ちにして殺害するという凶行に、捜査員は「昔の殺しには必ず目的や動機があった。こんな理由なき殺しはしなかった。何がいったい彼らを駆り立てたのか」とその異常さにショックを受けた[新聞報道 30]。別の捜査関係者は「最近、20歳前後の若者でこうしたタイプの犯罪が増えている」と指摘し、『中日新聞』1994年10月14日朝刊では同年7月に岐阜市内で起きた別の少年らによる殺人事件についても「『むしゃくしゃして誰かに当たりたかった』という理由にもならない理由で殺人が起きた」と言及された[新聞報道 30]。また、合同捜査本部の幹部は「本当の動機なんてないじゃないか。結果を考えず衝動任せ。人を殴ったり、金を奪ったりということを悪いと思う意識が欠落している。まるでゲーム感覚だ」と憤った[新聞報道 29]。『週刊文春』1995年7月13日号では「(KMら)少年ヤクザは殺害した4人を、いずれもゴミのように乱雑にうち捨てた。死者の尊厳も何もあったものではない」「一般的な価値観さえ備えていれば、なにも生命まで奪わなくてもすむような単純な『動機』である」と綴られた[雑誌報道 5]。その凶悪さについて、『週刊新潮』(新潮社)2005年10月27日号にて小田晋(当時・帝塚山学院大学教授)は「他人に対して一切の同情や憐みの感情を抱くことなく、ひたすら冷酷に、非道な行為を続けることができる残忍極まりない人種、つまり冷情性精神病質の持ち主たちの犯罪に他ならない」とコメントした[雑誌報道 3]

主犯格らの刑事裁判[編集]

主犯格らは、KM・KAは1995年1月18日に名古屋家庭裁判所猪瀬俊雄裁判官)の審判により「刑事処分が相当」として名古屋地方検察庁逆送致され[新聞報道 49]3月24日に名古屋地検により強盗殺人や逮捕・監禁などの容疑で名古屋地方裁判所起訴された[新聞報道 52][新聞報道 53]

HMは1995年3月24日に名古屋地検から名古屋家裁に送致され[新聞報道 52][新聞報道 53]、その後名古屋地検への逆送致を経て、4月28日に名古屋地検により木曽川・長良川事件の強盗殺人容疑などで起訴された[新聞報道 54][新聞報道 55]

第一審(大阪地裁→名古屋地裁)[編集]

刑事裁判の初公判はKMは1995年5月29日に、KAは同年6月8日に大阪地方裁判所で、いずれも大阪事件について開かれた[新聞報道 10]

その後、同年6月26日に名古屋地裁で3被告人が揃った木曽川・長良川事件の初公判が開かれた[新聞報道 18][新聞報道 56][新聞報道 4][新聞報道 10]。この時点では弁護側が「被告人らとの打ち合わせが不十分」などと主張したために罪状認否は8月21日の次回公判に持ち越され[新聞報道 18][新聞報道 56]、検察側も予定していた冒頭陳述を次回公判に持ち越した[新聞報道 56]

1995年8月21日に開かれた第2回公判で、冒頭陳述や、初公判では留保された罪状認否が行われた[新聞報道 36][新聞報道 57]。木曽川・長良川事件の起訴事実について[新聞報道 57]、3人とも各事件の被害者3人への暴行などの事実関係は大筋で認めたが[新聞報道 57]、一方で「殺す気はなかった」として殺意はすべて否認し、強盗についてもそれぞれ犯行や犯意を否定した[新聞報道 36][新聞報道 57]。KMは公判中に陳述書を朗読し、暴行については「仲間の前で弱いところを見せたくなかった」と供述し、KAも裁判長の質問に対し「1人がやったらみんながやる、いつものカツアゲのつもりだった」と供述した[新聞報道 57]。3人の弁護人も殺意の有無について争うとともに、事件の特殊性や少年法の趣旨から、精神鑑定などを含めた多角的な情状を訴える方針を明らかにした[新聞報道 36]。検察側は冒頭陳述で「3人は大阪で知り合って暴力団に入り恐喝行為を繰り返し、その結果引き起こした大阪事件の発覚を恐れて愛知県に逃走してきた」「3人の間にはKA>KM>HMの序列があり、木曽川・長良川事件も初めはいつもの”カツアゲ”のつもりだったが、『兄貴』分の俺が、あるいは『兄貴』より格下の自分がやらねば、などとの思いが犯行をエスカレートさせた。特に長良川事件では、ある1人は『昨日やって(木曽川事件)今日もか」と躊躇いもあったが、結局警察への通報を恐れて口封じのためにもC・E両名を殺害した」などと述べた[新聞報道 36]

犯行当時少年であるが故に事件の被害者遺族らは報道では犯人らの実名さえも知ることは叶わず、自分の家族が殺された理由どころかどこの誰を恨んだらいいかさえも、刑事裁判公判の日程も分からないという苦悩を抱えており、Eの両親は岐阜県警に話を聞きに行った翌日に新聞記事で名古屋地裁での初公判が終わったことを知ったという[新聞報道 1]。そんな中で9月6日に第3回公判が行われることを知り、Eの父は法廷前の廊下に貼り出されていたKMら3人の実名が記された紙を見てすぐに書き写した[新聞報道 1]。この日からEの両親は月2回ほどの法廷通いを始め、Eの父は営業回りの仕事を終えた後背広姿のまま傍聴席に座ったこともあった[新聞報道 1]。傍聴する度に「剣道の要領で殴った」「パイプに付いた血が手にベタッと」などのKMらの一言一句を傍聴席で手帳に記し続けるようになり、一・二審での公判の回数は150回近くに上った[新聞報道 1]

1998年(平成10年)5月13日に名古屋地裁(佐藤学裁判長)にて開かれた第54回公判で[新聞報道 4]、裁判官の交代に伴う更新手続きが行われ、木曽川事件・長良川事件について、それまで共謀や殺意を否定してきたHMが[新聞報道 58][新聞報道 4]、一転して「法的な理解ができていなかったため、意に反する認否をした。確定的な殺意や殺害の企てはなかったが、このまま(被害者らを)放置すれば死んでしまうかもしれないと思った」「自分の暴行により重傷を負わせて放置したことで死亡したのだから責任があると思う。兄貴分だった2人の指示に従えず従ったもので、共謀したと言われてもやむを得ない」などと、共謀や未必の故意による殺意などを認める供述をした[新聞報道 59][新聞報道 60][新聞報道 58]。次回公判の5月27日[新聞報道 4]、第55回公判ではKAも[新聞報道 4]、それまで否定していた他の被告人との共謀を認め、殺意についても積極的なものではなかったとしつつも「放置すれば亡くなってしまうかもしれないとは思ったが、仕方ないと思った」「殺してしまうことについて後戻りできないと思うようになった」として未必の故意を認める意見陳述をした[新聞報道 61][新聞報道 62][新聞報道 63]。KMは2人と異なり、これまで通り共謀や殺意を否認した[新聞報道 62][新聞報道 63]

1998年8月13日までに、名古屋地裁(佐藤学裁判長)はそれまで大阪地検によって起訴され、大阪地裁で開かれてきた大阪事件の審理について、木曽川・長良川事件の審理に併合して3事件を一括して審理することを決めた[新聞報道 28]。大阪事件についての審理は3人のうち、木曽川・長良川事件の初公判時点までに名古屋地裁に併合されたKAを含め[新聞報道 57]、2人については1995年に名古屋地裁に移されたが審理は中断、残り1人は大阪地裁で審理が続いていた[新聞報道 28]。手続きは次回公判の9月21日に行われ[新聞報道 28][新聞報道 64]、次回公判の10月5日で開かれた更新手続きの意見陳述では同事件についてKAが事実関係を認めたが、KM・HM両名は殺意や共謀について否認した[新聞報道 65]

刑事裁判の当初、主犯格3人は反省のない態度を見せ、入廷したKMが傍聴席にいる知り合いに笑みを浮かべる、入廷するたびにわざとらしくため息をつく[雑誌報道 3]、無意味にきょろきょろするなど傍若無人な態度を繰り返した[雑誌報道 6]。この時点で既に永山則夫連続射殺事件以降にも、名古屋アベック殺人事件市川一家4人殺人事件で犯行当時少年の被告人に第一審で死刑判決が出ているにも関わらず[注釈 8]「自分は未成年だから死刑にはならない」「俺の刑はどれくらいなの」と発言したり、被害者遺族に対して笑みを見せるなどの行動もあった。[要出典]また、証人陳述の際に、自分たちが有利になるように、凶器の鉄パイプが左右どちらに置いてあったか、どちらが凶器を持っていたかなど[雑誌報道 4]、どうでもよいことにこだわる者までいたという[雑誌報道 6]。刑事裁判の傍聴を続けてきた司法記者曰く「裁判の途中で3人が仲違いし、誰が主導的に犯罪を行ったかで被告人らの主張が異なってきた。1人は合同の審理から分離され、別々に裁判が進行した」という[雑誌報道 3][注釈 9]。第一審の実質審理は初公判から、2000年12月11日までの5年半にわたって計105回行われたが[新聞報道 66]、3人は事件の事実関係については認めつつも[新聞報道 4]、KMは各事件の外形的事実は認めるも殺意は否認し、HMは大阪事件で殺人罪の成立を否認し[新聞報道 67]、そして互いに「木曽川・長良川事件はHMが主犯」(KM)「KMが最初に殴った」(HM)などのように、首謀者は自分ではないと仲間に責任を押し付け合っていた[新聞報道 4]。HMは獄中で死刑廃止を求める市民団体のメンバーとなり、後述のように自分の実名が類推される仮名を使用した『週刊文春』の記事をめぐり「少年法の趣旨に反する」と発行元の文藝春秋に対して民事訴訟を起こしたが、この訴訟は被害者遺族の感情を逆撫でする結果となり、遺族は「自分に対する挑戦と感じた」と公判で証言したが、HMは「実名を推測できる報道により、触法少年がどう更生していくか、心のやり場がなくなる。少年法が守られないのはおかしい」と反論した[新聞報道 4]

名古屋地裁(石山容示裁判長)で2000年(平成12年)12年27日に開かれた第106回目公判(論告求刑公判)は5時間半にわたる異例の長時間の論告となり、このような反省なき態度、あまりに残虐な犯行から、検察側は「人間の顔を被ったけだもの」「人間性のかけらもない」「むしろ楽しんで殺した」と3人を激しく断罪した上で「(各事件での3人の関与の度合いについて)それぞれの事件で果たした役割に軽重を見出すことはできず、刑事責任は同等」との判断を示した上で「犯行は、場当たり的に何の落ち度もない4人を殺害したもので、命乞いをしながら嬲り殺された被害者もおり、遺族の悲嘆も強烈」と断罪し、「わずか10日間で4人を殺害した少年犯罪史上、まれに見る凶悪かつ残虐な事件。犯行当時少年とはいえ、3人の反社会性は極めて顕著で、矯正可能性はまったくなく、極刑をもって臨むしかない」「(永山則夫連続射殺事件の第一次上告審で最高裁から示された死刑適用基準「永山基準」を示し)少年による未熟で無軌道な犯行の側面はあるが、それは刑事責任を軽減させられる理由にはできず、3人はすべての条件において死刑選択が許される基準に合致している」として、3人全員にいずれも死刑を求刑した[新聞報道 4]。公判後、Eの父親は「求刑は私の希望した通り。凶悪な少年犯罪が多発する中、適切な判断だ」とコメントし、法廷での3人の姿について「論告を真面目に聞いていない。許せない思いが募る」と怒りを隠さず「死刑になってほしい気持ちは被害者にならないと絶対にわからない。判決も求刑通りになってほしい」と語った[新聞報道 4]

一番の兄貴分とされたKAは公判の途中から3事件すべてについて全面的に容疑を認め、「恥ずかしいほど無知だった。本当に申し訳なく思う。自分は死刑になっても仕方がない」と涙を流しつつ反省の言葉を繰り返していた[新聞報道 4]。また、論告求刑の頃から3人の態度は変化し、後の最終弁論の際には「生きて償いたい」「宗教に帰依」「キリスト教の洗礼を受ける」などの発言がなされるようになったが、被害者遺族にはかつて命乞いをする被害者らを惨殺しておきながら、いけしゃあしゃあと命乞いしているようにしか聞こえず、反省と謝罪の態度を示すことで刑の減軽を勝ち取ろうとする露骨な態度に、ますます嫌悪感が増幅していったという[雑誌報道 3]。長良川事件の被害者Cの遺族の下には、Cの命日の10月8日が近づくたびにKM・KAから手紙が届くようになったが、Cの兄曰く「一体こういうものを誰が書かせるのか。とても自発的に書いているとは思えない」という[雑誌報道 3]

2001年(平成13年)2月28日には弁護側による最終弁論が開かれ、午前に開廷してから約10時間という異例の長時間となり、3回の休憩を挟みながら午後9時まで続いた[新聞報道 68]。KMの弁護人は冒頭で「10日間に4人を死亡させた刑事責任の重さは本人が誰よりも痛感している。矯正教育を図るという少年法の精神は最大限に尊重されるべきだ」として、犯行当時少年だった点を踏まえ、死刑判決の回避を求め、一連の事件を理解するには被告人らの人格理解が不可欠だと強調し「3人は未成熟で深い思慮がなく、意志とは裏腹に暴力に対する歯止めが効かなかった」と背景事情を説明するなどして情状酌量を訴え、木曽川事件では「KMには動機がなく殺意もなかった。被害者の放置と死亡の因果関係はなく、傷害罪しか成立しない」、長良川事件については「傷害致死罪に当たる」、大阪事件については「殺害には消極的で未必の故意しかなかった。自発的な自供は自首に当たる」と主張した[新聞報道 68]。KAの弁護人は「形式的な兄貴分で、統率力はなく、事件関与の度合いは低い。遺族に謝罪の手紙を書くなど反省している」と、HMの弁護人も「捜査段階の自白調書や殺意認定には疑問がある。人間的に成長しており、更生の余地はある」として、それぞれ死刑判決の回避を訴えた[新聞報道 68]。3人は弁論後の最終陳述で「大切な命を奪いながら生かしてほしいというのは虫がよすぎる。それでも生きたい気持ちを隠せない。(懲役刑で)刑務所で働き、慰謝料を被害者遺族に送りたい」(KM)「重大事件を起こし、本当に申し訳ない。二度と事件を起こさないよう精一杯努力します」(KA)「拘置所でキリスト教を信仰するようになり、被害者の冥福を祈ってきた。教えに従いやり直せると思う。許されるなら生きて罪を償いたい」(HM)と述べ、初公判から5年8か月ぶりに結審した[新聞報道 68]。傍聴後、Eの父親は「反省していると言っているが、少年院でも更生できなかったのに無理だと思う」とコメントし、Cの親族も「反省の言葉を聞いても心にひっかかり信用できない。終身刑がない以上、死刑を望む」と、死刑判決を望む気持ちに変わりはなかった[新聞報道 68]

同年7月9日、名古屋地裁(石山容示裁判長)で判決公判が開かれ、3事件いずれについても3人の殺意は認めたものの、木曽川事件だけは「暴行後、殺すつもりでBを河川敷雑木林に放置したが、放置と死亡の因果関係が立証されていない」として殺人罪を認めず、傷害致死罪の成立にとどまると判断した上で、特に長良川事件で「強固な殺意」があったとされたKMは「中心的な立場で、重要で不可欠な地位にあり、集団の推進力になった」(事件を主導した)「KMが居なければ一連の事件は起きなかった。少年だった点を考慮しても極刑はやむを得ない」として死刑[注釈 10]、KA・HM両名は無期懲役[注釈 11]判決が言い渡された[判決文 1][新聞報道 9]。少年事件での死刑判決は1983年永山則夫連続射殺事件の最高裁判決以降では、第一審では1989年の名古屋地裁・名古屋アベック殺人事件判決と、1994年の千葉地裁市川一家4人殺人事件判決に続き3件目で[注釈 8]平成の事件では市川一家4人殺人事件に続き2件目であった[新聞報道 9]

3人全員を死刑としなかったこの判決に被害者遺族からは「何だ、これは」との不満の声が上がり、「墓前にどう報告していいのか」という怒りとやりきれない思いが口にされた[新聞報道 9]

3人の弁護側は死刑及び無期懲役判決を事実誤認及び量刑不当を理由に不服として、唯一死刑判決を受けたKMは弁護人とともに翌7月10日付で[新聞報道 69]、HMも後述の検察側の控訴に対抗して7月23日付で[新聞報道 70]、KAも控訴期限までにそれぞれ名古屋高等裁判所控訴した。

また、検察側もKA・HMの無期懲役判決は量刑不当である上に、殺人罪ではなく傷害致死罪とされた木曽川事件についての事実誤認を理由に不服として、それぞれ3人全員について名古屋高裁に控訴した[新聞報道 70]。求刑通り死刑判決を受けた被告人について検察側が控訴したのは史上初だが、名古屋地検は「(KMを含めた)全員について控訴しなければ、犯罪事実が被告人によって異なることになる。放置することはできない」として、求刑通り死刑判決を受けたKMも含めて控訴期限の7月23日に控訴に踏み切った[新聞報道 70]

控訴審(名古屋高裁)[編集]

名古屋高等裁判所は2002年7月2日までに、3被告人の控訴審初公判を翌2003年5月26日に行うことを決めた[新聞報道 71][新聞報道 72]

名古屋高裁(川原誠裁判長[注釈 12])での控訴審初公判は2003年(平成15年)5月26日に開かれた[新聞報道 73]。検察側は第一審で傷害致死と認定された木曽川事件について「Bを激しい暴行の末に雑木林内に遺棄した結果、頭内の出血が促されて死期が早められたのは明らか」として殺人罪の適用を求め、2人を無期懲役とした第一審判決の量刑について「KAは主体的・積極的に集団暴行に関与しており、HMもあらかじめ凶器を準備し、実行行為にも積極的に加わった。量刑は著しく軽く不当で、矯正はもはや不可能」と第一審の求刑通り改めて3人全員への死刑を求めた[新聞報道 73]。KMの弁護側は「長良川事件で被害者から金品を奪った行為は、暴行とは別の機会に行われており、強盗殺人罪は成立しない。一連の暴行は居合わせた女性を巡る対抗意識や、互いに虚勢を張る『強気の論理』が原因であり、KMには殺意もなかったため傷害致死罪とされるべきである。『KMが主犯』という話は、KMに反感を持った事件関係者らが事故弁解のために作り上げたもので、主犯ではなく、3人の罪責に差はない」と首肯した上で死刑制度違憲論も展開し、KA側は「形式上兄貴とされていたが、KMに追随しており、殺意もなかった」と、HM側は「長良川事件は連続した金品喝取の後の集団リンチであり、強盗あるいは恐喝と、傷害致死あるいは殺人と、2つの犯行に分かれる」「大阪事件では最初に首を絞めるふりをしただけで、すぐにその場から離れており、殺害の実行行為や共謀は成立しない」「他の被告人の手下に過ぎない」とそれぞれ強調し、3被告人側はいずれも長良川事件の強盗殺人罪を否定した上で「社会的適応能力がなく、即成的な未成年の集団による犯行や、少年特有の心理を事実認定・量刑に反映させるべき」と主張し、矯正可能と訴えた[新聞報道 73]

2003年6月30日、名古屋高裁の公判で木曽川事件の被害者Bの司法解剖を行った医師が検察側証人として出廷し「第一審判決ではBの死因は特定できず、遺棄と死亡の因果関係も立証できないとされたが、暴行の態様から、死因は検察側の主張通り硬膜下血腫で、遺棄により死期が早まった可能性が高い」と証言した[新聞報道 74]

控訴審の公判は計36回開かれ、長良川事件の被害者Eの遺族夫妻は高齢の身を押してほぼ全てを傍聴し[新聞報道 75]2005年(平成17年)3月15日の公判では父親が被害者遺族の代表として意見陳述した[新聞報道 76]。父親はそれまでに1ヶ月かけて練った原稿を意見陳述の場で読み上げ「貴様らは生きて償いたいと言っている。ぜひ聞かせてほしい。具体的にどのような償いをしようとしているのか。私はまだ聞いていない」「私は貴様らが社会に出てくるのを望んでいない」などと3人に対して憤りを隠さずに訴え、初公判から約10年にわたった事実審証拠調べがこの日で終わった[新聞報道 75][新聞報道 76]

2005年8月19日に検察側と弁護側が双方意見を述べ合う最終弁論が開かれ、検察側は「何ら落ち度のない4人の若者に激しい集団暴行を加え、犯行を隠すために次々と殺害した自己中心的な犯行で、結果はあまりにも悲惨で重大。木曽川事件は殺人罪が成立する。3被告人の役割に差はなく、死刑以外に選択肢はない」として改めて3人全員への死刑適用を求めた[新聞報道 77][新聞報道 78]。弁護側はKMの弁護人が量刑不当を訴え、KAの弁護人は「従属的な役割だった」と述べて3事件のうち2事件の殺意を否認し、HMの弁護人は大阪事件への関与を否定し、木曽川事件・長良川事件の殺意を否認した[新聞報道 78]。その上で弁護側は「(各被告人の事件での主体的役割を否定し)『死刑や無期懲役は重すぎる』、(一連の犯行について殺意や計画性を否定し)『未成年者の未熟な集団が引き起こした最悪の結果』」とそれぞれ主張し、その上で「十分に反省している」として有期懲役刑を求め、初公判から10年2か月の長期間に及んだ事実審が結審した[新聞報道 77][新聞報道 78]

同年10月14日、名古屋高裁で控訴審判決公判が開かれ、川原誠裁判長は「犯行は極めて悪質で残虐。非道さは言うべき言葉を見いだせない」「4人の生命が無残にも奪われた結果は誠に重大。3被告人の役割には大差はなく、犯行時少年だったことを考慮しても極刑はやむを得ない」と断罪して第一審判決で傷害致死罪とされた木曽川事件を含めすべての事件について殺人罪を認定、死刑積極適用に動き、KMのみを死刑、KA・HMの2人を無期懲役とした第一審判決を破棄し、一転してKM[注釈 13]・KA[注釈 14]・HM[注釈 15]の全3名にいずれも死刑判決を言い渡した[新聞報道 10]。高裁で犯行当時少年の被告人に死刑判決が言い渡されたのは1996年の東京高裁における市川一家4人殺人事件(1992年発生、2001年最高裁で判決確定)控訴審判決以来であり、日本における同じ少年犯罪で複数の被告人に死刑判決が下された初めての判例でもあった[新聞報道 10]

死刑判決宣告の瞬間3人は青ざめた顔で体をこわばらせ、一方で全員の極刑を求めていた遺族らは涙を拭い頷き、被害者遺族のうち2人(長良川事件被害者Eの両親)は閉廷後の記者会見で「裁判所は実態をきっちり見分けてくれた」「これでやっと息子に報告できる。今日の判決のありのままを(墓参りで)伝えてやりたい」と判決を評価しながらも「判決が1つの区切りになったとしても、彼らを許すかどうかは別問題」と語り、別の被害者遺族(長良川事件の別の被害者Cの兄)は「極刑が下っても弟は帰ってこない。私達の苦しみ、悲しみは一生癒やされない」「被告人らは『生きて償いたい』と言う。だが、殺された弟たちはもっと『生きたい』という思いが強かったはず」と、晴れることのない胸の内を語った[新聞報道 10]

3被告人側は判決を不服としてKAは10月18日付[新聞報道 79]、HMは10月24日付[新聞報道 80]、KMは10月26日付で、全員が最高裁判所上告した[新聞報道 81]

上告審(最高裁)[編集]

2010年(平成22年)7月8日までに最高裁判所第1小法廷(桜井龍子裁判長)は上告審口頭弁論公判の日程を翌年2月10日に指定した[新聞報道 82][新聞報道 83]

2011年(平成23年)2月10日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護側は「控訴審判決は少年の精神的未熟さを考慮していない」などとして死刑回避を、検察側は「動機や結果の重大性、遺族の処罰感情に照らし、死刑を回避すべき事情は認められない」と上告棄却を求めた[新聞報道 84][新聞報道 85]。被害者遺族の一人(Eの父親)は傍聴後、『中日新聞』の取材に対し「責任転嫁が多い。自分さえよければ、という主張は今回も変わらなかった」と被告人らを批判した上で、「被告人からの(謝罪の)手紙を受け取るのも、法廷での主張との違いを見つけるため」と断言し、未熟な少年には死刑を適用すべきではないとの主張には「法律(少年法)で18歳以上の死刑はあり、回避の理由に当たらない。犯した行為で裁かれるべきだ」と一蹴した[新聞報道 84]

最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は同月21日までに、判決期日を3月10日に指定した[新聞報道 86]

同年3月10日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は「11日間という短期間に犯行を重ねており、執拗で残虐。地域社会に与えた影響は大きい」として上告を棄却し、初公判から16年にわたった刑事裁判は犯行当時少年だったKM・KA・HMの3人に控訴審で言い渡された死刑判決が確定することで終結した[判決文 3][新聞報道 2]。事件当時、18歳・19歳の少年だったKM・KA・HMはいずれも35歳になっていた[新聞報道 2]。少年事件で死刑判決が確定するのは1992年に発生した市川一家4人殺人事件の犯行当時19歳の少年死刑囚(2001年判決確定、2017年現在東京拘置所収監中)以来、平成の少年事件では2件目(4人目)、最高裁判所が把握している1966年以降では10件目だった[新聞報道 2]。戦後の少年事件で複数の被告人の死刑が同時に確定するのは史上初のケースとなった[新聞報道 2][新聞報道 5][新聞報道 6][新聞報道 7][新聞報道 8][新聞報道 87]

主文言い渡し後すぐに閉廷すると、傍聴席の最前列で判決を聞いた長良川事件被害者Eの父親は起立して法廷に深々と一礼し、母親も溢れ出る涙をハンカチで何度も抑えた[新聞報道 2]。その後記者会見で父親は「死刑の二文字をずっと頭に描いてきた」「判決を息子も一緒に聞いてくれたと思う。これで私たちも新たな一歩を踏み出せる」と、母親も「無念を晴らすために16年間を費やしたようなもの。頑張ってよかった。息子は安らかに眠れる」と語った[新聞報道 2]

KMは所内のラジオ放送で判決内容を知り、判決翌日の2011年3月11日午前、名古屋拘置所で弁護人の山下幸夫[新聞報道 88]と面会した[新聞報道 11]。弁護人が判決要旨を読み上げるとKMは「少年事件への厳罰化と受け止めた。判決は政治的な判断」という趣旨の感想を伝え、再審請求の希望を口にした[新聞報道 11]。判決に動揺した様子はなく、今回の判決で事件当時未成年だった自分たち3人を実名報道するか匿名報道を続けるかで各報道機関の対応が分かれた(後述)点にも関心を示していたという[新聞報道 11]。また、同日午前にKAと面会した別の弁護人によれば、KAはこの判決について「重く受け止めている」と話したという[新聞報道 11]

弁護側は3月22日付で判決を不服として最高裁に判決訂正を申し入れたが[新聞報道 89][新聞報道 90]、申し立ては同30日付で棄却され、3人の死刑判決が正式に確定した[新聞報道 91][新聞報道 92]

死刑囚らのその後[編集]

2017年(平成29年)現在、収監先は全員が同一ではない。第一審から一貫して死刑判決を受けたKMは名古屋拘置所に収監されていたが[新聞報道 11]、2017年現在は東京拘置所に移送されており[書籍 2][新聞報道 1]、控訴審で初めて死刑判決を受けたKA・HMは名古屋拘置所に収監されている[書籍 2][新聞報道 1]

3人の弁護人は2011年5月28日、東京都新宿区内で開かれた市民団体の集会で「互いに虚勢を張りながら暴行をエスカレートさせた少年事件の特質に触れず、第一審で傷害致死罪認定された木曽川事件を殺人罪と認定した最高裁判決は不当」として、いずれの死刑囚も再審を望んでいるとして、近く再審請求する方針を明らかにした[新聞報道 93]

2016年(平成28年)12月、KM・KA両名は第1次再審請求が最高裁の特別抗告審で棄却されたことを受けて直ちに名古屋高裁に第2次再審請求を行い、またこれまで再審請求をしてこなかったHMも同じく名古屋高裁に初の再審請求を起こした(いずれも後述)ことが、2017年(平成29年)3月3日に報じられた[新聞報道 94]

KM
KMは2011年12月16日付で精神科医による精神鑑定の内容を新証拠として提出し「各犯行時は離人症の症状を伴う慢性化した解離性障害であり、心神喪失もしくは心神耗弱状態だった疑いがある」として[新聞報道 95]、名古屋高裁に再審請求した[新聞報道 96][新聞報道 97]。これについては2013年(平成25年)2月4日付で名古屋高裁刑事2部(柴田秀樹裁判長)で「再審請求にはこれまでの公判で明らかにならなかった新証拠が必要だが、今回の精神鑑定は新規性を欠く上、証拠価値としても信用性に乏しい」などとして請求棄却の決定がなされた[新聞報道 95][新聞報道 98]。KMは棄却を不服として異議申し立てしたが、2015年(平成27年)12月24日付で名古屋高裁(石山容示裁判長、本事件でかつて第一審判決を担当した)は「証拠は新規性を欠き、価値も乏しい。再審請求の棄却決定に事実誤認や判断の誤りはない」と指摘してKAとともに異議申し立てを棄却した[新聞報道 99]。KMは最高裁に特別抗告するも2016年12月にKA同様棄却され、木曽川事件の被害者Bの死因について事実誤認を主張して直ちに名古屋高裁に第2次再審請求を行った[新聞報道 94]
この再審請求の際、2005年(当時控訴審公判中)に当時KMが収監されていた名古屋拘置所が、KMから預かった公判記録を廃棄していたことが判明した[新聞報道 100][新聞報道 101]。KMは「必要不可欠な資料を廃棄され精神的苦痛を受けた」として2011年5月、国に約600万円の損害賠償を求めて名古屋地裁に提訴した[新聞報道 100][新聞報道 101]。訴状によると、拘置所は2005年4月に公判記録などを入れた段ボール10箱を預かり、うち3箱を廃棄した[新聞報道 101]。廃棄された段ボール箱の中には少なくともA4用紙8400枚分の資料が入っていたという[新聞報道 100]。その直後名古屋拘置所はKMから閲覧を求められたため、廃棄に気付いて謝罪した[新聞報道 100]。KMはその際にコピー代の負担などを申し出たが話はまとまらなかった[新聞報道 100]。KM側は「記録には自分の意見なども書き込んでいたため、復元はできない」と主張した[新聞報道 100][新聞報道 100][新聞報道 101]。名古屋拘置所は「廃棄は事実だが、裁判中なので詳細は答えられない。当時、その件で処分が出たかどうかも、記録が残っていないため分からない」とした[新聞報道 100][新聞報道 101]
KMとその弁護人は死刑確定後の2011年9月から2014年(平成26年)6月にかけて名古屋、東京両拘置所で、再審請求や民事訴訟の打ち合わせの際に職員が立ち会わないよう求めたが認められなかった[新聞報道 102]。このためKMと弁護士2人は、職員の立ち会わない面会を拘置所が拒んだのは違法として国に630万円の損害賠償を求め[新聞報道 103]東京地方裁判所谷口豊裁判長)は2016年(平成28年)2月23日、「弁護士との『秘密面会』を拒否できるのは、死刑囚が拘置所の秩序を乱したり動揺したりする恐れがある場合に限られる」と指摘した上で「今回はその恐れはなく、裁量の範囲を逸脱している。秘密で面会する利益を侵害した」として国に対し損害賠償計約53万円の支払いを命じた[新聞報道 102][新聞報道 104]。控訴審・東京高等裁判所では同年11月24日、約60万円の支払いが命じられた[新聞報道 103]。また、2012年から2015年にあった計32回の面会についても拘置所職員の立ち合いは違法だとして国に計672万円の損害賠償を求めた訴訟を東京地裁に起こし、東京地裁(林俊之裁判長)は2017年4月13日に「死刑囚が再審請求や国家賠償請求訴訟の打ち合わせで、職員の立ち会いなしに弁護士と面会ができるよう、尊重すべき義務が国にある」と指摘した上で「死刑囚側が立ち会いなしの面会を文書などで求めたにもかかわらず、32回のうち職員が立ち会った6回には国に賠償責任がある」と判断し、国に約23万円の支払いを命じた[新聞報道 105]
KMは上告中の2010年12月、名古屋拘置所の職員に対し、他の収容者の面会情報の漏洩を唆した容疑により国家公務員法違反で書類送検されたが、死刑確定後の2011年8月に不起訴処分となった[新聞報道 106][新聞報道 107]。この際、被疑者として捜査を受けたKMが[新聞報道 107]、2011年4月から8月に容疑者として弁護士2人と計8回接見を申し込んだ際、拘置所側が接見を認めなかったり、職員が立ち会うなどしたため、刑事訴訟法で認められた接見交通権などを侵害されたとして、国に計776万円の損害賠償を求めた民事訴訟を弁護士2人とともに起こした[新聞報道 106][新聞報道 107]。事件の被疑者は職員の立会いなしで弁護人と接見できるが、国側は「死刑囚であるKMを被疑者として扱う意思は拘置所側にはなかった」と主張した[新聞報道 106][新聞報道 107]。2014年8月28日、名古屋地裁(福井章代裁判長)は「事情聴取なども行われ、KMは事件の被疑者として扱われていた」として「接見交通権を侵害されて精神的苦痛を受けたのは明らか」として国に63万円の支払いを命じた[新聞報道 106][新聞報道 107]
KA
KAは2013年1月8日付で、捜査段階での自白を「捜査官に迎合することで全く虚偽の事件が作られた」と否定するKA本人の上申書と、木曽川事件の被害者Bの死因について「BはKAが暴行を加える以前に他の共犯者らによる暴行によって既に致命傷を負っていた」とする法医学者の鑑定書を新証拠として提出し、名古屋高裁に再審請求した[新聞報道 108]。弁護人は会見の中で「本人の思いは『とにかく事実をもって裁いてほしい』の一点に尽きる。暴行自体に関与したことは争わないが、共謀はなく、殺意もなかった。無罪を言い渡すべき明らかな証拠だ」と述べた[新聞報道 108]。2013年8月19日、名古屋高裁(柴田秀樹裁判長)は「上申書や鑑定書は新規性を欠き、証拠価値についても信用性が乏しい。確定判決は自白調書のみによって認定したものではない。自白調書の信用性を否定する理由は具体的根拠に乏しく、一般論にすぎない」などとして再審請求を棄却した[新聞報道 109]。KAは棄却を不服として異議申し立てしたが、2015年12月24日付でKM同様名古屋高裁(石山容示裁判長)に棄却された[新聞報道 99]。KAは最高裁に特別抗告するも2016年12月にKM同様棄却され、「大阪事件・木曽川事件の当時はシンナーを吸引しており心神喪失状態だった」とする自身の上申書を新証拠として直ちに名古屋高裁に第2次再審請求を行った[新聞報道 94]
HM
HMは控訴中の2003年、閲読後のディズニー雑誌3冊を親族に送ることを認められず、その雑誌を廃棄されたことで精神的苦痛を受けたとして[新聞報道 110]、この行為を不服として弁護士会に人権救済の申し立てを行った[新聞報道 111]。その際、HMはその雑誌を証拠物として提出しようとしたが「閲読後の雑誌は廃棄するのが原則で、既に廃棄済みである」と当時収監されていた名古屋拘置所から告知され、「人権救済の申し立てを侵害された」と主張、国などを相手に約30万円の損害賠償支払いを求めた民事訴訟を起こした[新聞報道 111][新聞報道 110]。上告中の2006年(平成18年)10月27日、名古屋地裁(松並重雄裁判官)は「裁量権を逸脱し、原告(HM)に精神的苦痛を与えた」として名古屋拘置所所長らの過失を一部認め、国に賠償金5000円の支払いを命じた[新聞報道 111][新聞報道 110]
死刑確定後の2011年4月から2013年1月にかけて計17回、HMは弁護士や支援者との手紙のやり取りを試みたが、名古屋拘置所により不許可にされた[新聞報道 112]。HMはこれを違法と訴え、国に対し90万円の損害賠償請求訴訟を起こした[新聞報道 112]。2016年(平成28年)2月16日、名古屋地裁(倉田慎也裁判長)は「不許可の判断は権限のある拘置所長ができるが、これを所長ではなく一般職員がした。また、第三者機関からのHMに対する寄付に関する内容で必要性があった」などとして全17回のうち一部の4回を違法だと認め、国に対し3万円の損害賠償を命じた[新聞報道 112]。2017年3月9日付で控訴審・名古屋高裁(藤山雅行裁判長)は弁護士への年賀状など9件の不許可を新たに違法と認定し、一審判決から10万円増額して13万円の賠償を命じた[新聞報道 113]
HMは上告中の2008年(平成20年)8月から2010年2月、計26回にわたって面会者の氏名や面会の日付、手紙や差し入れの内容などの情報を名古屋拘置所の職員(副看守長と看守の2人)によって収容中の共犯者(KM)に漏らされたなどとして、名古屋地裁に対し国に慰謝料160万円の支払いを求める訴訟を起こした[新聞報道 114]。名古屋地裁(堀内照美裁判長、判決は朝日貴浩裁判長が代読)は2014年4月18日「原告(HM)は事件で共犯者と主従関係を争っており、HMが特に情報提供を望まないことは容易に推測できる」「職員の行為は精神的苦痛を与えるものであると言わざるを得ない」として訴えの一部を認め、国に慰謝料10万円の支払いを命じた[新聞報道 114][新聞報道 115]。また、HMは名古屋拘置所の職員2人が2007年(平成19年)から2009年(平成21年)の計21回、当時上告中のHMの手紙や面会の相手・日付、差し入れの内容のほか、事件の鑑定や提訴に関する会話の内容を共犯者に漏らしたとして国に180万円の損害賠償を求め、2016年9月2日に名古屋地裁(加島滋人裁判長)は「情報漏洩はプライバシーの権利や通信の秘密、死刑囚の防御権を侵害しており違法だ」と指摘して国に慰謝料39万円の支払いを命じた[新聞報道 116]
また、これとは別に名古屋拘置所の職員が2008年8月から9月にかけて、当時上告中のHMの旧姓(K)・名前や起こした事件の内容などの個人情報を別の収容者に漏らしたとして、HMが国に60万円の損害賠償を求めた民事訴訟を起こした[新聞報道 117]。国側は第一審(名古屋地裁)から職員による情報漏洩を否定し、第一審では「収容者が報道から情報を入手した可能性は否定できない」として請求が棄却されたが、HMが控訴した[新聞報道 117]。2015年2月5日の控訴審判決で、名古屋高裁(木下秀樹裁判長)は「HMの旧姓は当時、既に週刊誌で報じられていたが、収容者は当時別の刑事施設に入っており、報道で情報を得ることは困難だった。職員から情報を聞いたと認めるのが相当だ」と認定し、その上で「HMが事件当時18歳の少年だったことに照らすと、情報漏洩の違法性は重大だ」と指摘し、第一審判決を破棄して国に30万円の支払いを命じた[新聞報道 117]。HM側は拘置所長が適切な内部調査を怠ったことなども請求内容に含めていたが、これらはいずれも退けられた[新聞報道 117]
HMは2013年及び2014年の計2回、死刑の執行方法(絞首刑)が記された書籍計6冊のコピーを名古屋地裁に郵送するよう名古屋拘置所に願い出た[新聞報道 118]。これは自身が起こしている国家賠償訴訟の証拠として提出するためだったが、所長は死刑執行方法を記した内容を閲覧させないため不許可処分にした[新聞報道 118]。HM側は裁量権の逸脱を訴えて国に20万円の損害賠償を求めた一方、国側は「証拠となれば死刑の執行方法を閲覧でき、精神的に不安定な死刑囚が拘置所の規律や秩序を害する恐れがあった」と反論していた[新聞報道 118]。2016年1月19日に名古屋地裁(倉田慎也裁判長)は「書籍の閲覧制限が許されるのは、刑事施設内の規律や秩序の維持のため放置できない程度の障害が生ずる蓋然性が必要だが、今回は認められない。所長は裁量の判断を誤った過失がある」と指摘して国に1万円の支払いを命じた[新聞報道 118]。またこれとは別に、HMは2010年から2013年の計13回、死刑執行状況を描写した記事や刑場の写真が掲載された新聞記事や雑誌記事、書籍を読もうとしたが、拘置所がこれらを隠して閲覧させたのに対して国に100万円の損害賠償を求めた訴訟を起こし、2016年8月30日に名古屋地裁(倉田慎也裁判長)「閲覧制限は必要な限度内と法律で定められており、死刑囚が閲覧しても逃走や自殺に及び、拘置所の規律や秩序が維持できなくなる恐れがあったとは認められない」と指摘して国に慰謝料65000円の支払いを命じた[新聞報道 119]
HMはさらに2011年から2014年、弁護士に訴訟の助言や証拠収集などの協力を依頼する文書を送付しようとしたり、死刑執行の状況を記した書籍のコピーを閲覧しようとしたが、名古屋拘置所がいずれも認めなかったのを不服として国に慰謝料70万円の損害賠償請求訴訟を起こし、名古屋地裁(朝日貴浩裁判長)は2017年(平成29年)1月14日に「これらの処分は刑事収容施設法に違反する。HMは権利侵害により精神的損害を被った」として国に慰謝料5万円の支払いを命じた[新聞報道 120]
HMは2016年12月、判決確定前に作成された医師や専門家らの鑑定書を新たな証拠に「一連の事件当時はてんかんの影響で心神喪失状態だった疑いがある。木曽川事件の被害者Bの死因についても確定判決の前提事実に誤りがあり、殺人罪は認定できない」として、名古屋高裁に初の再審請求を行った[新聞報道 94]。HMは関係者への手紙の中で「確定判決の事実認定には誤りがある」などと主張している[新聞報道 94]

実名報道[編集]

主犯格の被告人であるKM・KA・HMの3人全員に控訴審判決で死刑判決が言い渡された直後の10月20日に発売された『週刊新潮』(新潮社)2005年10月27日号は「史上最凶『リンチ殺人』で死刑判決なのに新聞が載せない元少年3人の『実名と顔写真』」と題した記事でKM・KA・HMの3人を実名報道し、うちKM・KAの2人については顔写真も掲載した[雑誌報道 3][新聞報道 121][新聞報道 122]。同誌編集部はこの事件について『3人が死刑判決を受けるほどの凶悪無比な犯罪であり、被害者遺族の被害感情も峻烈であることを考慮し、実名報道すべきと判断した」とコメントし[新聞報道 121][新聞報道 122]、誌上でも同様の説明を入れた[雑誌報道 3]。これに対し、日本弁護士連合会(日弁連)は「少年法の精神を守って同様の報道がないよう強く要望する」との声明を出した[新聞報道 122]。この時点では在京の新聞・テレビ各社は「少年の更生を目的とする少年法の精神を尊重した」として匿名報道を継続したが、一方で『朝日新聞』、テレビ朝日は死刑が確定した場合は実名報道する方針を既に決めていた[新聞報道 122][注釈 16]。またTBS堺市通り魔事件に関連して触法少年の実名報道を合法とした大阪高裁判決以降、社内で少年犯罪と実名報道について議論を重ねており、テレビ東京日本テレビNHK、『読売新聞』、『毎日新聞』もそれぞれ「今後も検討を続けていく」とした[新聞報道 122]

そして最高裁判決により、「死刑が確定して更生や社会復帰の可能性が事実上なくなった」(読売産経日経)「国家によって人命が奪われる死刑の対象は明らかにされるべき」(読売・朝日)「事件の重大性を考慮」(産経・日経)などの理由から、『毎日新聞』を除く各全国報道機関はKM・KA・HMの3人を実名報道した[注釈 17]。地元紙の『中日新聞』(『東京新聞』)は最高裁での死刑判決が覆る可能性がほぼないことから実名報道への切り替えも検討したが、「少年法が求める更生への配慮の必要性はなお消えていない」として結局匿名で報じた[新聞報道 2]。なお、『朝日新聞』は市川一家4人殺人事件の判決確定後の2004年に少年死刑囚については「国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにされているべきだとの判断」から原則実名報道する方針を決めており[新聞報道 123][書籍 3][新聞報道 6]、『読売新聞』や『産経新聞』、『日本経済新聞』もそれぞれ「死刑が確定すれば、更生(社会復帰)の機会はなくなる一方、国家が人の命を奪う死刑の対象が誰なのかは重大な社会的関心事」[新聞報道 5]「死刑が事実上確定し、社会復帰などを前提とした更生の機会は失われます。事件の重大性も考慮」[新聞報道 7]「犯行当時少年だった被告に死刑判決が下された重大性に加え、被告の更生の機会がなくなることも考慮」[新聞報道 8]と実名報道切り替えの理由をそれぞれ紙面で説明している[新聞報道 125]。一方、全国メディアで唯一匿名報道を続けた『毎日新聞』は「4人の命が奪われた残虐極まりない事件ですが、事件当時は少年だった被告の名前は少年法の理念を尊重し匿名で報道するという原則を、最高裁判決が出たからといって変更すべきではないと判断しました」「死刑確定後も再審恩赦が認められて社会復帰する可能性が全くないとは言い切れません」[注釈 19]とした上で、「死刑が執行されるような事態になれば、更生可能性はその時点で消えたと解釈することができ、実名報道に切り替えることも改めて検討します」とも補足した[新聞報道 87]

日弁連の宇都宮健児会長は同日、「少年の更生・社会復帰を阻害する実名報道を禁止した少年法の理念は死刑判決でも変わらず、それに反する事態で極めて遺憾。再審や恩赦で少年が社会復帰する可能性は残っており、実名が報道に不可欠な要素とも言えない。今後、実名報道することがないよう強く要望する」との声明を出した[日弁連声明 1][新聞報道 2][新聞報道 5]。また、愛知県弁護士会の斎藤勉会長も翌3月11日、「実名報道した社が示した『更生の可能性がなくなった』という理由は、死刑囚となっても更生の可能性を失うものではなく、罪の意味を内省することもあり不適切である。実名報道は少年法に違反する」として厳重に抗議する声明を出した[新聞報道 126]

なお、名古屋拘置所は「撮影はできない」との拘置所長名の注意書きを面会室に掲示している[新聞報道 12]法務省矯正局刑事収容施設法に基づく拘置所長の施設管理権で拘置所面会室への撮影機器の持ち込みを認めていない[新聞報道 127])が、写真週刊誌フライデー』(講談社)2011年5月12日号はKA(当時O姓)と名古屋拘置所で面会した際に撮影したとする写真(KAが面会室で涙をぬぐう様子などを写した3枚)を掲載した[新聞報道 127][新聞報道 12]。フライデー編集部は「本人の同意があったかや撮影方法はコメントしない。編集部独自の判断で、報道に意義があると考えている」としている[新聞報道 12][新聞報道 127]。これを受けて矯正局成人矯正課は「調査結果を踏まえて対処する』とコメント、KAの弁護人の村上満宏は「写真掲載に少年法上の問題はあるが、写真を掲載することで、この死刑囚(KA)を死刑にしてよいのかとの是非を問う意味では理解できる」とコメントした[新聞報道 127]

HMによる文藝春秋への訴訟[編集]

HM(当時K姓)は第一審公判中の1997年(平成9年)、『週刊文春』1997年7月24日号[雑誌報道 6]・8月7日号にて[雑誌報道 4]、前述の通り高知県はAの遺体が遺棄された場所であり同県内では殺人は犯しておらず、また強盗殺人罪で起訴されたのは長良川事件のみであるのに反して「愛知、岐阜、大阪、高知にまたがる連続強盗殺人」などと題した本事件を報じる記事の中で、実名にある字と同じ読みの字などを使った仮名[注釈 20]で報じられた[新聞報道 129]。これに対しHMは「仮名は関係者が見て容易に本人を推測でき、(本人とわかるような記事や写真の報道、出版を禁じた)少年法第61条に違反している。連続した複数の強盗殺人犯と断定され、全く反省がないかのような記述もされた」として[新聞報道 129]プライバシー権の侵害と名誉毀損で大変な精神的苦痛を受けたとし[新聞報道 130]、代理人の弁護士を付けずに[新聞報道 129]同年12月25日付で[新聞報道 4]『週刊文春』の発行元である文藝春秋を相手取り100万円の損害賠償を訴える民事訴訟を名古屋地裁に起こした[新聞報道 130]

文藝春秋側は「仮名は実名を隠すために使われており、容易に本名は分からない。起訴事実から連続の強盗殺人は明らかで、反省がないのは事実」と反論していたが、1999年(平成11年)6月30日、名古屋地裁(水谷正俊裁判長)は「(少年法第61条の趣旨について)たとえ仮名を用いたとしても、本人が容易にわかるような記事の掲載は、将来の更生の観点から実名報道と同様に大きな障害になり、少年法に違反する」「(今回の仮名記事について)仮名は氏及び名ともに全体として音が実名と類似している上、本人の経歴に合う内容が詳細に記述されており、面識のある不特定多数の読者は容易に本人と推知できる」としてHMの訴えの一部を認め、文藝春秋側に30万円の損害賠償を支払うよう命じた[新聞報道 129]。これに対し、文藝春秋の雨宮秀樹社長室長(当時)は「少年法の精神を遵守し、加害少年の氏名を仮名として一般読者からプライバシーの推知ができないようにした。判決は極めて心外」「少年事件をめぐる裁判はこのところ、当たり前の市民感覚とかけ離れてきているのではないか」と批判し[新聞報道 129]、文春側が名古屋高裁に控訴した。文藝春秋側の代理人の古賀正義弁護士は「仮名が実名に似ていたとしても、それが加害少年を指すとわかるのは少年の知り合いだけ。その人たちは既に(HMが)犯人と知っている」と指摘し、「仮名報道で賠償を認めた例など聞いたことがない。驚くべき判決だ」「19歳と成人に限りなく近い少年の実名を出すことにあまりに神経質になるのはどうなのか。公益性がある場合なら、少年でも実名報道があってもいいのでは」と指摘した[新聞報道 129]。この判決の約1か月前の6月9日には堺市通り魔事件の少年被告人の実名・顔写真を新潮社月刊誌新潮45』が報じたことに対し「実名や写真を掲載する特段の公益上の必要性はなかった」として、大阪地裁から新潮社に対し損害賠償を命じる初判断が示されていた[新聞報道 129](その後破棄、2000年2月の大阪高裁控訴審では実名報道を容認する判決)。

2000年(平成12年)6月29日、名古屋高裁(宮本増裁判長)は「仮名は氏・名ともに音が実名と類似しており、面識のある不特定多数の読者は容易に本人と分かるとしてプライバシー侵害を認定、記事掲載は「少年法に基づいたHMの法的利益より、社会的利益が強く優先される特段の事情があったとは言えない」と結論付け、第一審判決を支持して控訴を棄却した[新聞報道 131]。少年による凶悪犯罪が多発していた当時[注釈 21]の現状に触れ、刑事裁判を受けている少年まで匿名で保護する必要があるか否かについては「この問題は高度の立法裁量に属する事柄」とし「保護の必要性については、少年の権利などを総合的に検討し、慎重に決定されるべきだ」とした[新聞報道 131]。判決の中では日本国憲法第13条個人の尊厳)のほか国連子どもの権利条約」も引用し、実名報道などを禁じた少年法第61条について「少年の人権を守るための制約であり、国民の知る権利も一定の限度で譲歩すべきだ」と総合的に判断した一方「少年の利益よりも社会的利益を擁護する要請が強く優先されるなど、特段の余地がある場合には実名報道などの違法性が免責される」と認定し、少年事件でも実名報道が許される余地を認めた[新聞報道 131]。文藝春秋側は判決についてのコメントで「仮名にしてさえ、少年殺人犯の名誉が傷つくというのか。同じことなら、いっそ実名報道すればよかったとすら思わせかねない。判断は根本的に間違っている」と反発し[新聞報道 131]、最高裁に上告した。

2003年(平成15年)2月7日、最高裁第2小法廷(北川弘治裁判長)は上告審口頭弁論を開き、文藝春秋側は「(控訴審の)名古屋高裁判決は、少年法の規定は公益目的でも一律に報道を禁止するものだと解釈しているが、表現の自由を謳った日本国憲法第21条を優先すべきだ」と主張した[新聞報道 132]。同年3月14日、最高裁は「本人と分かる報道を禁じた少年法に違反するのは、面識のない不特定多数が推測できる場合」とする最高裁としての初判断を示し、その上で、記事がHMのプライバシー権を侵害していることは認めたが「使用された仮名では不特定多数の人が本人だと推し量ることはできない」と述べ、少年法に違反しないと判断した[新聞報道 128]。そして、仮に名誉を毀損する内容の記事であったとしても、違法となるかどうかは「公益性などとの比較で個別・具体的に判断すべきだ」と述べ、文藝春秋側への損害賠償を命じた控訴審判決を破棄して審理を名古屋高裁に差し戻しした[新聞報道 128]。少年法第61条の規定が、少年の「報道されない権利」まで認めたものかどうかは判断しなかった[新聞報道 128]

2003年5月30日、名古屋高裁(熊田士郎裁判長)で差し戻し控訴審第一回口頭弁論が開かれ、HM側は「記事掲載によって名誉毀損やプライバシー侵害、成長発達権の侵害という不法行為が成立する」との準備書面を陳述した[新聞報道 133]。文藝春秋側は9月12日の口頭弁論で反論した[新聞報道 133]

2004年(平成16年)5月12日、名古屋高裁(熊田士郎裁判長)は本事件の刑事裁判を傍聴した被害者遺族の両親の手記で構成した記事の内容に触れ「記事に私利私欲を追及する意図はない。少年犯罪に対する国民の関心が高まっていたことを考慮すると、記事を公表する理由は公表されない法的利益より優越する」(ただし、記事中で刑事裁判を傍聴したことになっている筆者が実は一度も傍聴に行っていなかったという虚偽を認定した)「極めて凶悪かつ重大な犯罪であり、少年犯罪に関心が高まっていたことや社会への影響を考慮すると、HMは犯罪事実などの公表を受認しなければならない。将来の更生に妨げになる可能性を否定できないとしても、HMの経歴を含めて公表の必要性は認められ、社会的な意義がある」とし、文藝春秋側が逆転勝訴した[新聞報道 134]。文藝春秋側は「我々は少年法の精神を遵守し、かつ加害者のプライバシーにも十分配慮して仮名報道とした。今回(HM側の)訴えがすべて退けられたのは当然のことだ。これを機に、迷走する司法という昨今の悪い風潮への歯止めとなることを願っている」とコメントした[新聞報道 134]

HM側は上告したが、2004年11月2日付で最高裁第3小法廷(上田豊三裁判長)は『記事に書かれたプライバシーの範囲は限定的でHMの被害は小さく、更生の妨げとなる可能性はあるが記事を公表する社会的意義が勝る」としてHMの上告を棄却し、文藝春秋側逆転勝訴とした差し戻し控訴審判決が確定した[新聞報道 135]

被害者遺族の動向[編集]

長良川事件の被害者遺族夫妻(同事件で殺害された当時19歳のEの両親)は事件当初、息子を殺害したKMらの実名さえも報道では知ることができないという苦悩を[雑誌報道 2]、第3回公判で初めて公判を傍聴するまでの約1年にわたって抱え続けた[新聞報道 1]。また、事件当時は犯罪被害者に対する支援制度がなく、人々から「殺される側にも理由がある」と冷たい言葉を浴びせられることもあった[新聞報道 2]。Eの父親は1995年、『週刊文春』の取材に対し「犯人らは少年とはいえ、息子たちと同年代で、半年以内には20歳になっているような年齢だったが、あれでも少年だというのか。百歩譲って子供だとしても、せめて犯人らの親たちが謝罪し、線香の1本でもよこすのが筋だろう。しかし、無責任なことに親たちは何も言ってこない。一体誰が息子たちの死に責任を取るのか」と、被害者遺族の「殺され損」へのやり場のない怒りを口にしていた[雑誌報道 2]。3人全員の死刑を望んだEの両親は月2回ほどの公判に通い続け[新聞報道 1]、2003年には長良川河川敷で発見された息子の遺体の写真を初めて名古屋高等検察庁で閲覧した[新聞報道 75]。高検検事からは「見ないほうがいい」と注意されたが、控訴審での証人尋問を前に「息子がどう息を引き取ったのか確認しておきたかった」(母親)ために閲覧を決意したという[新聞報道 75]。控訴審では3人は傍聴席の被害者遺族に会釈するようになったが、夫妻からは裁判官の心証をよくするための演技にしか見えなかったという[新聞報道 75]。父親は控訴審では前述のように意見陳述で「私は貴様らが社会に出てくるのを望んでいない」などと3人を厳しく問い詰め、母親も「私たちは息子を殺されるために育てたのではない。私の大事な宝物を元気な姿で返してもらいたい」と訴えた[新聞報道 75]。控訴・上告中のKMら3人や弁護人からの謝罪の手紙の申し出に対しても「誠実な理由が伝わってこない」として受け取りを拒否した[新聞報道 75][新聞報道 82][新聞報道 136]。3人が控訴審での死刑判決を不服として上告した4日後、父親は中日新聞社に「判決翌日の『中日新聞』朝刊紙面に掲載された、被告人の『遺族への謝罪文』(3人のうち1人が判決前に中日新聞社に寄せた手紙)を見せていただけないでしょうか」とメールを送り、その1か月後に同社司法担当記者の後藤厚三が被告人から許可を得て、原稿用紙3枚分になる謝罪文全文のコピーをEの両親に閲覧させた[新聞報道 137]。その後、後藤から謝罪文の感想を尋ねられたEの父親は「(判決を不服に)上告したという事実が全てを打ち消している。結局、すべてが綺麗事でしょう」と語り、被告人らの謝罪に対しても「あの(死刑)判決が真実なのです。死刑という思い判決の中に、すべての謝罪・贖罪が含まれているのだと受け止めています。これ以上のものは何も必要ありません」と厳しく述べ、応じる気持ちはないと語った[新聞報道 137]。控訴審判決後の12月21日、事件の証拠品として検察側が保管していた、Eが事件当時身につけていた遺品の衣服や靴、腕時計などが「事実審が終わり、証拠調べを行う必要がなくなった」ことから、C・Eそれぞれの遺族の要望を受け、事件から11年ぶりに名古屋高検から遺族のもとへ返却された[新聞報道 138]。上告審口頭弁論期日決定後の2010年10月初旬、夫妻は息子が殺害された輪之内町の長良川河川敷を含め、事件の経過と同じ時刻に息子がKMらに連れ回された5つの現場を「追悼というより、上告審の前に気持ちを再確認したい」として初めて巡った[新聞報道 139]。上告審口頭弁論直前や判決直後には『中日新聞』『朝日新聞』の取材に対し「私たちの気持ちは事件当時と少しも変わらない。この16年間は長く、負担でした。(死刑)判決が確定しなければ、新しい一歩を踏み出せないのです」(母親)[新聞報道 139]、「(控訴審で死刑の)判決が出た以上、(謝罪の)手紙はいらない。謝罪も贖罪も死刑の二文字にすべて含まれる」(父親)と語っていた[新聞報道 2][新聞報道 136]。Eの父親は2008年に定年退職していたが、KMら3人の死刑が確定したことを機にこの事件に区切りを付け、「新しい一歩を踏み出そう」と中野の渡し(事件現場の一つである木曽川で今も続く渡し船)の船頭として、3年ぶりに仕事を始めた[新聞報道 91]。後述のように3人が再審請求を起こしたことについても、Eの父親は『中日新聞』の取材に対し「死刑判決の確定から6年近く経ち、新しい視点や証拠があるとは考えられない。再審請求は、遺族を苦しめるだけで、これまでの反省の言葉は信用できない」と話した[新聞報道 94]。Eの父親は健全育成をうたう少年法の理念には理解を示した上で、『中日新聞』の取材に対し「被害者や遺族にとって犯人が何歳だろうと苦しみに変わりはない」と語っている[新聞報道 1]

一方で木曽川事件で弟であるBを失った被害者遺族男性(Bの兄)は、上告中の2009年4月から弁護人の勧めをきっかけにKAとの面会を重ねるようになり、最高裁に3人の減軽を求める嘆願書も提出していた[新聞報道 139][新聞報道 136]。男性はKAの言動に直接触れ「その場の雰囲気に流されて犯行に及んだのではないか」と考え始め「自分が助けなくては、(KAは)独りぼっちだ」と思うようになったという[新聞報道 139]。男性は面会の度に、分厚いアクリル板越しにKAと手を合わせる「握手」をし、「体温を感じるか」「人を信じろ」と言葉をかけたこともあった[新聞報道 139]。最高裁判決直前の3月4日に面会し、『朝日新聞』記者が同席する中で男性は「お前は一人じゃないよ。俺の友人だと思っているから」と語りかけた[新聞報道 136]。KAが「最高裁判決の後は会えなくなります」と説明すると、男性は「手紙、待っとるわ。元気でな」と伝えた[新聞報道 136]。KAは「(男性からの)言葉が重い。しっかり反省して償わないといけない。それを少しでも形にしたい」と『朝日新聞』記者に語った[新聞報道 136]。最高裁判決でKAらの死刑が確定することとなった際、男性は『朝日新聞』記者に対し「やるだけのことはやったので仕方ない」と語った[新聞報道 136]。その後、判決訂正申し立て棄却によりKAら3人の死刑判決が正式に確定した翌日に男性は『中日新聞』記者同席の下でKAと最後の面会をし、「なんでやったんだ」とKAを厳しく問いただした[新聞報道 91]。男性はKAの態度に反省を感じ「生きて償ってほしい」と願い交流を続けてきた一方「犯した罪は意識し続けてほしい」とも語っており、死刑確定を知り涙をこぼした[新聞報道 91]

共犯者らの刑事裁判[編集]

共犯者の少女2人(W子・Y子)は少年院送致された[新聞報道 4][新聞報道 140][新聞報道 141]。その他5人の共犯者らは主犯格3人同様に起訴され、主犯格3人の第一審結審までに刑事裁判でいずれも有罪判決が確定した[注釈 22][新聞報道 4]

T(大阪事件)
Tは1995年9月12日、大阪地裁(谷口敬一裁判長)で「遊び仲間にバカにされたくないため、直視しがたいほど残忍な犯行に加わった。身勝手な犯行だが、反省しており更生の可能性もある」として懲役4年以上8年以下の不定期刑(懲役5年以上10年以下求刑)を受けた[新聞報道 24]
U(大阪事件)
Uは大阪事件の死体遺棄罪で1995年4月21日に大阪地裁(竹田隆裁判官)から「遺体を廃棄物のように捨てるなど刑事責任は重いが、反省もしている」として懲役1年8月(求刑懲役2年6月)の実刑判決を受けた[新聞報道 145]
Z・Y子・V(木曽川事件・長良川事件)
1994年11月3日、木曽川事件での殺人容疑で愛知県警捜査一課と一宮署はZ、X両名(同日、長良川事件の逮捕・監禁、強盗致傷罪で起訴)とY子(同日、長良川事件については処分保留)の3人を再逮捕した[新聞報道 146]
Y子は12月16日に名古屋家裁一宮支部(寺本嘉弘裁判官)での審判で少年院に送致する決定が下された[新聞報道 140]
1994年12月5日、名古屋地検はZを木曽川事件での殺人罪で、Vを同事件での傷害致死ほう助罪(現場には居合わせたが殺害には加担しなかったため)でそれぞれ名古屋地検に起訴した[新聞報道 147]
1995年1月31日に木曽川・長良川事件で殺人、強盗致傷の罪に問われたZと逮捕・監禁、傷害致死ほう助の罪に問われたVの初公判が名古屋地裁で開かれ、検察側は木曽川事件について「Bへの集団リンチや殺害の際、Zはシンナーを吸っていて暴行を止めず、KMらと共にぐったりしたBを河川敷の雑木林に引きずり、放置して殺害した。Vは車を運転し、BやKMらを犯行現場に運んだ」と、長良川事件については「両名はKMらと行動を共にした上、Dを車内に監禁して連れ回した際に逃げ出さないように監視していた。CとEが暴行を受けて殺害される際、パイプで殴る音が聞こえると、Vが『あの音、なんの音かわかるか』『あの人たちはヤクザだ』と言ってDを脅していた」とそれぞれ冒頭陳述で述べ、Vは「両事件とも犯行現場には同行したが、共謀も含め犯行には加わっていない」として無罪を主張した一方、Xは「実行犯ではないが、事件への関与は間違いない」と大筋で容疑を認めた[新聞報道 38]。12月8日、Vに対し名古屋地検は「犯行の態様は執拗で冷酷、非情で、結果は重大。被害感情も厳しい。Vの犯行は事件で必要不可欠だった」として懲役7年を求刑した[新聞報道 148]
1996年(平成8年)3月19日、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)「Vは加害者側の立場にあった反面、KMらに脅されるなど同情すべき点があり(最も罪の重い)強盗致傷罪での共謀は認められない」「(捜査当局の取り調べについて)誘導的な理詰めの取り調べで、犯行を認める供述を引き出した面がある」としてVに懲役3年執行猶予4年(保護観察付)の有罪判決を言い渡した[新聞報道 143]。控訴せず確定[新聞報道 149]
Zについては1996年11月15日、「共犯者の暴行で重傷を負ったBを木曽川河川敷の雑木林に引きずり込み放置して死亡させるなど、犯行は冷酷、非情で、被害者感情も厳しい。刑事責任は厳しく追及されるべきだ」として検察側から懲役7年が求刑されたのに対し弁護側は「共謀も含め犯行には関わっていない」と無罪を主張した[新聞報道 149]1997年(平成9年)3月5日、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)は「Zは加害者側の立場にあった反面、KMらに脅されるなど同情すべき点があり、殺人や強盗の共謀は認められない」「殺害の動機はなく、Bを遺棄しKMらの殺人行為を容易にしたに過ぎない」として、殺人ほう助などでZに対し懲役3年執行猶予4年の有罪判決を言い渡した[新聞報道 144]
X・W子(木曽川事件)
1994年11月2日、名古屋地検一宮支部は木曽川事件についてXを殺人、W子を傷害致死の容疑で名古屋家裁一宮支部に送致した[新聞報道 150]
その後、名古屋家裁一宮支部(寺本嘉弘裁判官)は11月25日に審判を開き、Xを殺人罪で刑事処分相当として名古屋地検に逆送致し、W子を傷害致死罪で少年院に送致する決定を下した[新聞報道 141]。Xは12月2日、名古屋地検により殺人、傷害の罪で名古屋地裁に起訴された[新聞報道 151]
Xの初公判は1995年1月31日に名古屋地裁で開かれ、罪状認否でXは起訴事実を大筋で認めたものの「殺人に当たるかどうかわからない」と述べ、弁護人は「未必の故意の限度で殺人罪の成立を認める」と述べた[新聞報道 32]。5月18日の論告求刑公判で、検察側は「事件はシンナー吸引癖との関連を否定できず、厳重な更生教育が必要」「些細な動機から無抵抗の被害者に執拗な集団暴行を加え、重大な結果をもたらした。追従的立場であっても刑事責任は重い」としてXに懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑(当時、少年に対する有期懲役としては上限の求刑)、弁護側は最終弁論で「Xの犯罪行為への関与は従属的で、深く反省している」として寛大な判決を求めた[新聞報道 152]
7月6日の判決公判で名古屋地裁(油田弘佑裁判長)は「Yの加えた暴行はKMらと暗黙の共謀関係があった。殺意も確定的だった」「執拗かつ残忍な暴行の上、落ち度のない被害者を理由もなく殺害した刑事責任は重い」などとし、情状面では「Xの暴行は致命傷を与えたとはいえず更生の可能性もある」としてXに懲役4年以上8年以下の不定期刑を言い渡した[新聞報道 142]。控訴せず確定[新聞報道 149]

参考文献[編集]

刑事裁判の参考判決文[編集]

  • 名古屋地方裁判所刑事第2部判決 2001-7-9 D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28019082、平成7年(わ)459号/平成7年(わ)460号/平成7年(わ)629号/平成7年(わ)1035号/平成7年(わ)2078号/平成7年(わ)535号。
    • 判決内容:KMは死刑、KA・HM両名は従犯認定により減軽し無期懲役(求刑同)
    • 裁判官:石山容示(裁判長)・島田一・右田晃一
  • 名古屋高等裁判所刑事第2部判決 2005-10-14 高等裁判所刑事裁判速報集〈平17〉号270頁、D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28115419、平成14年(う)27号。
    • 判決内容:破棄自判。KM・KA・HMをいずれも死刑
    • 裁判官:川原誠(裁判長)・村田健二・堀内満
  • 最高裁判所第一小法廷判決 2011-3-10 最高裁判所裁判集刑事編(集刑)第303号133頁、平成17年(あ)2358号、『被告人A(KM)に対する強盗致傷、傷害、殺人、監禁、強盗殺人、死体遺棄,恐喝、暴力行為等処罰に関する法律違反・被告人B(KA)に対する傷害、殺人、監禁、強盗致傷、強盗殺人、死体遺棄、暴力行為等処罰に関する法律違反・被告人C(HM)に対する傷害、殺人、監禁、強盗致傷、強盗殺人、死体遺棄各被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(木曽川長良川等連続リンチ殺人事件)」。

HMによる文藝春秋への民事裁判の参考判決文[編集]

  • 京都産業大学法学部憲法学習用基本判決集主題別判決一覧の「#表現の自由」節「長良川リンチ殺人事件報道訴訟」を参照。
    • 名古屋地方裁判所民事第4部判決 1999年(平成11年)6月30日 最高裁判所民事判例集57巻3号254頁、平成9年(ワ)5034号、『損害賠償請求控訴・同附帯控訴事件』。
      • 判決内容:一部請求認容、一部請求棄却
      • 裁判官:水谷正俊(裁判長)・佐藤真弘・今泉愛
    • 名古屋高等裁判所民事第4部判決 2000年(平成12年)6月29日 最高裁判所民事判例集57巻3号265頁、平成11年(ネ)第648号/平成12年(ネ)第24号、『損害賠償請求事件』。
      • 判決内容:被告側控訴棄却、附帯控訴棄却
      • 裁判官:宮本増(裁判長)・玉田勝也・永野圧彦
    • 最高裁判所第二小法廷判決 2003年(平成15年)3月14日 最高裁判所民事判例集57巻3号229頁、平成12年(受)第1335号、『損害賠償請求事件』。
    • 名古屋高等裁判所民事第2部判決 2004年(平成16年)5月12日 判例時報1870号29頁、平成15年(ネ)第275号、『損害賠償請求控訴事件』。
      • 判決内容:一部原判決取消・請求棄却
      • 裁判官:熊田士朗(裁判長)・川添利賢(玉越義雄裁判官は転官のため署名押印不能)
    • 最高裁判所第三小法廷判決 2004年(平成16年)6月30日 、事件番号不明、『損害賠償請求事件』。
      • 判決内容:原告側上告棄却
      • 裁判官:上田豊三(裁判長)

参考雑誌記事[編集]

  • 週刊文春』(文藝春秋)各報道
    • 『週刊文春』(文藝春秋)1995年7月6日号p.175-178「短期集中連載1 大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件『道頓堀で始まった「少年ヤクザ」4人の凶行』」(山本徹美:ジャーナリスト)
    • 『週刊文春』(文藝春秋)1995年7月13日号p.173-176「短期集中連載2 大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件『十日間で四人惨殺 少年ヤクザの「冷血」』」(山本徹美:ジャーナリスト)
    • 『週刊文春』(文藝春秋)1995年7月20日号p.150-153「短期集中連載3 大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件『四人を虐殺した少年Kの「生い立ち」』」(山本徹美:ジャーナリスト)
    • 『週刊文春』(文藝春秋)1997年7月24日号p.34-37「徹底追及 J(神戸連続児童殺傷事件の被害者実名)君惨殺『「少年」にわが子を殺されたこの親たちの悲鳴を聞け』 長良川リンチ殺人・名古屋アベック殺人山形マット殺人
    • 『週刊文春』(文藝春秋)1997年8月7日号p.44-48「『少年犯』残虐●命乞いをしたのに角パイプで殴打●煙草をうなじに押し付けて生死の確認●法廷で着替えて主役を気取る 法廷メモ独占公開『わが子を殺された両親が綴った700日の涙の記録』」(山本徹美:ジャーナリスト)
      • 以上記事の本文中においてKMは「少年K」「主犯格K」、KAは「大森順」、HMは1995年の記事では「真渕忠良」、1997年8月7日号の記事では「真淵忠良」と、それぞれ仮名で表記されている。
  • 週刊新潮』(新潮社)各報道
    • 『週刊新潮』(新潮社)2001年7月26日号p.48-49「ワイド特集『この卑怯者め!』1『「連続リンチ殺人」で少年の死刑と無期をわけた境目」』」
    • 『週刊新潮』(新潮社)2005年10月27日号巻頭グラビア、p.33-37「[特集]「史上最凶『リンチ殺人』で死刑判決なのに新聞が載せない 元少年3人の『実名と顔写真』」
      • KM・KA・HMの3人の実名及びKM・KA両名の顔写真が掲載された。

参考書籍[編集]

参考新聞記事[編集]

  • 中日新聞』(中日新聞社)など各新聞報道(詳細は出典脚注を参照)
    • 『中日新聞』朝刊社会面連載特集「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』」(2017年3月30日より4月5日まで連載、4月2日は休載)
      • 『中日新聞』2017年3月30日朝刊39面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 1『法の壁 遺族置き去り』」
        • 長良川事件の被害者Eの遺族である両親の「被害者や遺族にとって犯人が何歳だろうと苦しみに変わりはない」などの苦悩が綴られた。
      • 『中日新聞』2017年3月31日朝刊38面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 2『「ええ子」寂しさ抱え』」
        • HMが幼少期所属していた大阪市内の少年野球チームのコーチだった男性がその過去を語った。
      • 『中日新聞』2017年4月1日朝刊38面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 3『「居場所」を失い転落』」
      • 『中日新聞』2017年4月3日朝刊26面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 4『集団心理 引けず凶行』」
        • 長良川事件の捜査でKMの取り調べを担当した大垣署元捜査員が取り調べ当時について語った。
      • 『中日新聞』2017年4月4日朝刊22面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 5『反省願いつつ 探す墓』」
        • 死刑判決確定直前にKAと養子縁組した長野県在住の支援者女性が取材に答えた。
      • 『中日新聞』2017年4月5日朝刊26面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 6『議論尽くし 全員極刑』」
        • 裁判長として控訴審判決を担当した川原が公判当時の心境を語った。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 逮捕当時の報道では本籍愛知県稲沢市[新聞報道 3]
  2. ^ 和歌山県[新聞報道 14][新聞報道 15][新聞報道 16][新聞報道 17]西牟婁郡串本町(当時、現在は東牟婁郡串本町)生まれで[新聞報道 18][雑誌報道 1]、出生直後に松原市に移住し、同市立の松原市立松原第六中学校を1990年に卒業した[雑誌報道 1]
  3. ^ 逮捕・公判当時の報道では兵庫県[新聞報道 17]神戸市生まれ[新聞報道 18]
  4. ^ 第一審判決では暴力団幹部と認定された[判決文 1]
  5. ^ KMは厳密には一宮市もしくは稲沢市生まれだが、名古屋駅まで電車で20分以内、もしくは7,8分の距離と極めて近かったため、KAらには「名古屋生まれ」と名乗っていた[雑誌報道 1]
  6. ^ 事件当時、明石海峡大橋神戸淡路鳴門自動車道)は未開通だったため、関西から四国への車での移動はフェリーに乗船するか、瀬戸大橋瀬戸中央自動車道)を経由する必要があった。
  7. ^ なお、殺害されたC・Eの2人がリンチされている間、Dは堤防道路上の車に監禁されており、犯行グループから「あの音が聞こえるか。あれはCたちを殴っている音だ」「あの人たちはヤクザだ」などと脅されていた[新聞報道 38][雑誌報道 5]
  8. ^ a b 前者は控訴審(名古屋高裁)で無期懲役に減軽され確定、後者は被告人側控訴及び上告棄却(それぞれ東京高裁・最高裁)で死刑確定し、平成の少年犯罪では初の少年死刑囚になった。
  9. ^ 後の闇サイト殺人事件でも刑事裁判で実行犯3人の仲違い、またそれによる責任の押し付け合いが見られた。
  10. ^ 「4人殺害すべての実行行為者で、反社会性は顕著。当時少年で反省の兆しが現れるようになったことなど情状を最大限考慮しても極刑はやむを得ない」とされた[新聞報道 9]
  11. ^ KMとの共謀共同正犯が認定されたものの、「追従的な立場で、暴行や矯正可能性などの程度がKMと異なる」として死刑選択を回避した[新聞報道 9]
  12. ^ 東京高裁判事、名古屋地裁判事、津地裁津家裁所長などを経て2002年3月より名古屋高裁判事に就任した[新聞報道 10]。名古屋高裁転属前は勝田清孝事件の死刑判決や、別件逮捕を理由に無罪判決を言い渡した蛸島事件判決などにも関わった[新聞報道 10]。2003年のドラム缶女性焼殺事件控訴審判決では第一審死刑判決を支持して被告人側控訴棄却、2003年11月18日愛知県扶桑町で発生した強盗殺人事件の控訴審判決では第一審・名古屋地裁一宮支部の懲役15年判決(2004年9月8日付、法定刑である無期懲役求刑に対し自首を認定して減軽)を破棄し、2005年2月3日に求刑通り無期懲役を言い渡した[新聞報道 10]。この事件の控訴審判決の直後の11月16日に定年退官した[新聞報道 10]
  13. ^ 「重大な結果を導く発端を作るなど終始主導的立場で、他の共犯者らを被害者4人の殺害に向かわせ、自ら積極的に激しい攻撃を執拗に加えるなどして犯行を強力に推進し、最も中心的で際立って重要な役割を果たしている」とされた[判決文 2]。なお、本文で述べた通り木曽川事件については「傷害致死→殺人」と事実認定そのものを見直したため、第一審同様死刑判決を受けたKMについても控訴棄却ではなく、検察側の控訴を認めて一旦原審を破棄した上でKA・HMとともに改めて死刑判決が言い渡された。
  14. ^ 「所属暴力団の中では3人の中で最上位であることの影響力を行使し、KMとともに主導的立場で犯行を推進するとともに、被害者らに激しい暴行を加えるなど、実行行為にも積極的に加わり、木曽川・長良川事件においても、事件全体を通じて極めて重要な役割を果たしており、その点ではKMやHMとの間にはさほどの差異はない」とされた[判決文 2]
  15. ^ 所属暴力団における序列が3人の中では一番下ではあったが「殺害の動機を形成するに至った暴行に自ら積極的に関与し、KM・KAから被害者の殺害を暗に促されるや、ためらうことなく賛成し、進んで殺害に着手したり、凶器を準備し、殺害の早期実行を決め、率先して被害者への攻撃に出るなど、犯行を強力に推進し、重要な役割を果たした」とされた[判決文 2]
  16. ^ 『朝日新聞』は2004年6月5日付の報道より適用している指針「事件の取材と報道2004」において「犯行当時少年でも死刑判決が確定した場合、匿名報道する最大の理由である更生(社会復帰)への配慮の必要性が基本的に消える。死刑が誰に対して執行されるのかは、権力行使の監視の意味でも社会に明確にされるべきだ」として、少年死刑囚については原則実名報道することを決めた[新聞報道 123][書籍 3]
  17. ^ 毎日新聞』を除く『読売新聞[新聞報道 5]・『朝日新聞[新聞報道 6]・『産経新聞[新聞報道 7]・『日本経済新聞』の各全国紙[新聞報道 8]時事通信共同通信NHK在京キー局日本テレビフジテレビTBSテレビ朝日テレビ東京)が実名報道に切り替えた[新聞報道 2]。このうち、フジテレビは実名に加えて『週刊新潮』に顔写真が唯一掲載されなかったHMも含め、3人の顔写真も放送した[新聞報道 2]。テレビ朝日は最高裁判決時点では「判決が確定していない段階では少年法の精神を尊重する」として匿名で報じたが[新聞報道 2]、訂正申し立て棄却により正式に判決が確定したのをもって、4月1日のインターネットでのニュースから実名報道に切り替えた[新聞報道 124]。なお、後の光市母子殺害事件石巻3人殺傷事件では本事件と異なり最高裁判決時点から実名報道に切り替えたテレビ朝日を除き、各マスメディアは本事件での対応を踏襲している。
  18. ^ 免田事件財田川事件松山事件島田事件の4件で、いずれの元死刑囚も事件当時既に成年していた。
  19. ^ このような反論に対して『読売新聞』は「もし、そのような(再審請求が認められて結論が覆るなどの)結果となれば、なおさら重大な出来事であり、やはり実名とともに歴史に記載されるべきだと考える」としている[新聞報道 5]。『朝日新聞』も、少年死刑囚の実名報道を是認した指針「事件の取材と報道2004」の中で「冤罪が認められ再審で無罪になった例はこれまでに極めて少なく[注釈 18]、死刑囚の再審無罪というような事態は、それ自体が歴史的重大ニュースであって、別の面で実名とともに歴史に記録する必要がある。死刑執行時ではなく確定時点からの実名報道は、万一無実であった場合に、新証拠の発見や社会の再審に向けた運動の可能性を開くことになろう」としている[書籍 3]
  20. ^ 7月24日号ではHMを「主犯格K」(Kは当時の姓)と報じ、8月7日号では本名の漢字4文字のうち2文字の読みが同じで、全体的な音も似ている仮名「真淵忠良」を使用したと主張した[新聞報道 128]。「主犯格K」表記については第一審で違法性が認定されたが、控訴審では「一般読者にはHMと認識できない」と訴えを退けていた[新聞報道 128]
  21. ^ 本事件以降にも2000年までに神戸連続児童殺傷事件光市母子殺害事件西鉄バスジャック事件などが発生していた。
  22. ^ 当時19歳の少年だったT・Xの2人は懲役4年以上8年以下の不定期刑[新聞報道 24][新聞報道 142]、当時既に成人だったUは懲役1年8月の実刑判決[新聞報道 24]、V・Zの2人は共に懲役3年執行猶予4年の有罪判決[新聞報道 143][新聞報道 144]

判決文[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 名古屋地方裁判所刑事第2部 2001年(平成13年)7月9日判決:平成7年(わ)459号/平成7年(わ)460号/平成7年(わ)629号/平成7年(わ)1035号/平成7年(わ)2078号/平成7年(わ)535号 裁判官:石山容示(裁判長)・島田一・右田晃一(出典:D1-Law.com判例体系 ID:28065269)
    『中日新聞』2001年7月10日朝刊31面「連続リンチ殺人判決要旨(上)中心的立場 極刑やむを得ず」「連続リンチ殺人判決要旨(下)」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 名古屋高等裁判所刑事第2部 2005年(平成17年)10月14日判決:平成14年(う)27号 裁判官:川原誠(裁判長)・村田健二・堀内満(出典:高等裁判所刑事裁判速報集〈平17〉号270頁/D1-Law.com判例体系 ID:28115419)
    『中日新聞』2005年10月15日朝刊33面「連続リンチ殺人 控訴審判決要旨」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 最高裁判所第一小法廷判決 2011年(平成23年)3月10日、事件番号:平成17(あ)2358
    『中日新聞』2011年3月11日朝刊26面「連続リンチ殺人最高裁判決要旨」
  4. ^ a b c d e f g h i j k 長良川リンチ殺人事件報道訴訟 第一審(名古屋地方裁判所民事第4部 1999年(平成11年)6月30日判決:平成9年(ワ)5034号)

出典[編集]

以下の出典において、記事名に本事件当事者らの実名が使われている場合、その箇所を本項目で用いているその人物の仮名とする。

新聞報道出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 中日新聞』2017年3月30日朝刊39面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 1『法の壁 遺族置き去り』」
    『中日新聞』2017年3月31日朝刊38面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 2『「ええ子」寂しさ抱え』」
    『中日新聞』2017年4月1日朝刊38面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 3『「居場所」を失い転落』」
    『中日新聞』2017年4月3日朝刊26面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 4『集団心理 引けず凶行』」
    『中日新聞』2017年4月4日朝刊22面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 5『反省願いつつ 探す墓』」
    『中日新聞』2017年4月5日朝刊26面「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 6『議論尽くし 全員極刑』」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 中日新聞』2011年3月10日夕刊1面「元少年3人死刑確定へ 連続リンチ殺人 事件から17年『社会への影響大』最高裁が上告棄却」
    『中日新聞』2011年3月11日朝刊1面「元少年3人死刑確定へ 連続リンチ殺人 最高裁が上告棄却 『結果重大 やむなし』」「―なぜ匿名報道か― 更生になお配慮必要」
    『中日新聞』2011年3月11日朝刊7面社説「3少年に死刑 市民も直面する『問い』」
    『中日新聞』2011年3月11日朝刊30面「少年の確定 複数は初」「実名『更生する可能性なく』 報道各社対応割れる 匿名『少年法の精神基づく』」
    『中日新聞』2011年3月11日朝刊31面「リンチ殺人死刑確定へ 遺族『一歩踏み出せる』 無念耐えた16年 法廷に深々と一礼」「罪と向き合い償いの日々 3被告、文通や面会で胸中」「『更生に努力…胸痛い』面会13年 被告の支援者」
    『東京新聞』2011年3月11日朝刊31面「リンチ殺人死刑確定へ 遺族『一歩踏み出せる』 無念耐えた16年 法廷に深々と一礼」「悔悟の元少年 『自分がしたこと。死刑覚悟』 写経5000枚、聖書に救い」「『少年事件特質触れていない』 弁護側が判決批判」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『中日新聞』1994年10月15日朝刊社会面31面「主犯格の少年逮捕 長良・木曽川のリンチ殺人 同じ仲間の犯行 逃走中、別の事件も 一宮署に出頭 全面的に容疑認める」「第三号事件に指定 中部管区警察局」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『中日新聞』2000年12月28日朝刊1面「木曽・長良川リンチ殺人 3被告に死刑求刑 名地検 『少年(当時)でも矯正無理』」
    『中日新聞』2000年12月28日朝刊25面「息子奪われた悔しさ今も 木曽・長良川リンチ求刑 涙の遺族『死刑に』 『少年でも許されぬ』」
  5. ^ a b c d e f g h 読売新聞』2011年3月11日東京朝刊1面「元少年3人死刑確定へ 連続リンチ殺人 最高裁、上告棄却」
    『読売新聞』2011年3月11日大阪朝刊1面「元少年3人死刑確定へ 連続リンチ殺人 最高裁、上告棄却『執拗で残虐』」
    『読売新聞』2011年3月11日東京朝刊37面「元少年3人の死刑確定へ 実名、報道すべき関心事」『読売新聞』2011年3月11日東京朝刊39面「元少年3人死刑確定へ 『やっと無念晴らせた』 遺族ら涙ぬぐう」
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  131. ^ a b c d 『中日新聞』2000年6月29日夕刊1面「実名類似の仮名報道 違法 リンチ殺人記事の文春 名高裁も賠償命令」
    『中日新聞』2000年6月30日朝刊34面「実名にも余地『基準不明瞭』 仮名報道判決 文春側上告へ」
  132. ^ 『中日新聞』2003年2月8日朝刊33面「少年事件報道で新判断か 仮名記事めぐる訴訟 最高裁が弁論開く」
  133. ^ a b 『中日新聞』2003年5月31日朝刊30面「原告側が書面陳述 『不法行為が成立』 リンチ殺人文春 報道差し戻し審」
  134. ^ a b 『中日新聞』2004年5月12日夕刊13面「長良川・木曽川リンチ殺人 『少年報道』で文春勝訴 差し戻し審 名高裁判決 『記事に公益性』」
    『中日新聞』2004年5月13日朝刊30面「知る権利と報道被害 逆転判決 揺れた司法 『少年報道』文春が勝訴 名高裁差し戻し審」
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  138. ^ 『中日新聞』2005年12月24日中部朝刊26面「連続リンチ殺人事件 ズボンや腕時計、11年ぶり両親に」
  139. ^ a b c d e 『中日新聞』2011年2月9日朝刊27面「連続リンチ殺人 あす最高裁弁論 16年余…向き合う日々 死刑を願い現場めぐり 被告と交流する遺族も」
  140. ^ a b 『中日新聞』1994年12月17日朝刊26面「少女を少年院送致 木曽川リンチ殺人」
  141. ^ a b 『中日新聞』1994年11月26日夕刊12面「19歳少年を地検送致 木曽川リンチ殺人」
  142. ^ a b 『中日新聞』1995年7月6日夕刊14面「リンチ殺人木曽川事件 少年に不定期刑 名地裁判決」
  143. ^ a b 『中日新聞』1996年3月20日朝刊39面「X被告、猶予付き判決 連続リンチ殺人で名地裁 『脅され加担』と減軽」
  144. ^ a b 『中日新聞』1997年3月6日朝刊39面「連続リンチ殺人 ほう助男性に猶予判決 名古屋地裁 殺人の共謀関係否定」
  145. ^ 『中日新聞』1995年4月21日夕刊14面「元組員に懲役1年8月判決 リンチ殺人事件」
  146. ^ 『中日新聞』1994年11月4日朝刊30面「強盗致傷などで2容疑者を起訴 長良川リンチ殺人」
  147. ^ 『中日新聞』1994年12月6日朝刊23面「『木曽川事件』で2容疑者を起訴」
  148. ^ 『中日新聞』1995年12月8日夕刊19面「『執ようで冷酷非情』X被告に7年求刑 連続リンチ事件」
  149. ^ a b c 『中日新聞』1996年11月15日夕刊15面「Z被告に懲役7年求刑 木曽川・長良川リンチ殺人 『冷酷、非情』と検察」
  150. ^ 『中日新聞』1994年11月3日朝刊30面「少年と少女を家裁送致」
  151. ^ 『中日新聞』1994年12月2日朝刊38面「一宮の少年も起訴 木曽川リンチ事件」
  152. ^ 『中日新聞』1995年5月18日夕刊11面「連続リンチ殺人木曽川事件 少年に懲役5 - 10年求刑 名地検『追従でも責任重い』」

雑誌報道出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci 週刊文春』(文藝春秋)1995年7月6日号p.175-178「短期集中連載1 大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件『道頓堀で始まった「少年ヤクザ」4人の凶行』」(山本徹美:ジャーナリスト)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『週刊文春』(文藝春秋)1995年7月20日号p.150-153「短期集中連載3 大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件『四人を虐殺した少年Kの「生い立ち」』」(山本徹美:ジャーナリスト)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 週刊新潮』(新潮社)2005年10月27日号巻頭グラビア、p.33-37「[特集]「史上最凶『リンチ殺人』で死刑判決なのに新聞が載せない 元少年3人の『実名と顔写真』」
  4. ^ a b c d e f 『週刊文春』(文藝春秋)1997年8月7日号p.44-48「『少年犯』残虐●命乞いをしたのに角パイプで殴打●煙草をうなじに押し付けて生死の確認●法廷で着替えて主役を気取る 法廷メモ独占公開『わが子を殺された両親が綴った700日の涙の記録』」(山本徹美:ジャーナリスト)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be 『週刊文春』(文藝春秋)1995年7月13日号p.173-176「短期集中連載2 大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件『十日間で四人惨殺 少年ヤクザの「冷血」』」(山本徹美:ジャーナリスト)
  6. ^ a b c 『週刊文春』(文藝春秋)1997年7月24日号p.34-37「徹底追及 J(神戸連続児童殺傷事件の被害者実名)君惨殺『「少年」にわが子を殺されたこの親たちの悲鳴を聞け』 長良川リンチ殺人・名古屋アベック殺人山形マット殺人

日本弁護士連合会(日弁連、会長:宇都宮健児)2011年3月10日付声明[編集]

  1. ^ 少年の実名報道を受けての会長声明”. 日本弁護士連合会(日弁連)会長 宇都宮健児 (2011年3月10日). 2017年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月19日閲覧。
    少年に対する死刑判決の確定に関する会長声明”. 日本弁護士連合会(日弁連)会長 宇都宮健児 (2011年3月10日). 2017年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月19日閲覧。

書籍出典[編集]

  1. ^ a b 成田青央 『壊れた少年』 総和社2004年1月21日、146-160頁。ISBN 978-4901337779
  2. ^ a b c d e 年報・死刊廃止編集委員会 『死刑と憲法 年報・死刑廃止2016』 インパクト出版会2016年10月10日、231-232頁。ISBN 978-4755402692
  3. ^ a b c 朝日新聞出版 『事件の取材と報道』 朝日新聞社2005年3月25日、58頁。ISBN 978-4022199010

関連項目[編集]