大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件
場所 大阪府大阪市中央区愛知県尾西市(現・一宮市)、岐阜県輪之内町
標的 男性5人(うち1人はグループの仲間、残り4人は面識なし)
日付 1994年平成6年)
9月28日午前1時頃 – 10月8日未明
概要 3人の少年を中心としたグループ計10人が、10日間の間に強盗目的などで計5人の男性を集団リンチしうち4人を死亡させた。
攻撃側人数 10人(主犯格は3人)
武器 アルミニウムパイプなど
死亡者 4人
負傷者 1人
犯人 少年グループ(主犯格3人は事件当時18歳及び19歳の暴力団組員)
動機 強盗など
謝罪 あり
賠償 主犯格3人は死刑、その他起訴された5人は最高で懲役4-8年の不定期刑、2人は少年院送致
最高裁判所判例
事件名 木曽川長良川等連続リンチ殺人事件
事件番号 平成17年(あ)2358
2011年(平成23年)3月10日
判例集 集刑 第303号133頁
裁判要旨
  • 本件上告を棄却する。
  • 僅か11日間という短期間のうちに3回にわたってその都度新たな殺意を形成しながら殺人、強盗殺人の犯行を重ねており、その間いささかのためらいすらもうかがえない。
  • 19歳から26歳までの4名もの青年の生命を次々と奪い去った結果は誠に重大であって、被害者らの恐怖、無念は言うに及ばず、遺族らの被害感情も極めて厳しい。連続リンチ殺人事件として、地域社会に与えた衝撃も計り知れない。
第一小法廷
裁判長 桜井龍子
陪席裁判官 宮川光治金築誠志横田尤孝白木勇
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
参照法条
強盗殺人殺人死体遺棄強盗致傷傷害逮捕・監禁(以上いずれも全3名)、恐喝(KM)、暴力行為等処罰に関する法律違反(KM・KA)
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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(おおさか・あいち・ぎふ れんぞくリンチさつじんじけん)とは、1994年平成6年)9月28日から10月7日までに大阪府愛知県岐阜県の3府県で発生した未成年者の少年グループによるリンチ殺人連続殺人少年犯罪事件である。主犯格3人は全員が犯行当時未成年でありながら死刑判決確定した(少年死刑囚[新聞報道 1]3府県連続リンチ殺人事件(さんふけん れんぞくリンチさつじんじけん)、また単に連続リンチ殺人事件(れんぞくリンチさつじんじけん)とも呼ばれる。

事件の概要[編集]

一連の事件では未成年者7人を含めた男女計10人(うち成人は暴力団組員1人を含めた3人)が犯行に関与したと認定されて8人の有罪判決が確定、2人が少年院送致された[新聞報道 2]が、確定判決となった控訴審・上告審判決で主犯格と認定されたのは以下の3事件すべてに関与した犯行当時18歳及び19歳の少年3人(後述するKM・KA・HM)である[判決文 1][判決文 2]

主犯格3人は犯行当時、いずれも自ら暴力団に加わるなど反社会的な生活を送っていた[判決文 3][判決文 1][判決文 2]。このうち、第一審から主犯格と認定された[新聞報道 3][新聞報道 4][新聞報道 1][判決文 1][判決文 2]少年KM[新聞報道 5][新聞報道 6][新聞報道 7]1975年昭和50年〉3月19日[判決文 3] - 、当時19歳、愛知県一宮市生まれ[新聞報道 1][新聞報道 4][注釈 1])は1994年8月初めに愛知県津島市杁前町パチンコ店駐車場で、岐阜県海津郡の当時18歳の少年(一連の事件とは無関係、保護観察処分)と共謀して会社員から現金3万円を奪い、会社員の顔を殴って顔に2週間の怪我を負わせた事件[新聞報道 9][雑誌報道 1]を起こして強盗致傷容疑で指名手配され大阪府に逃亡していた[新聞報道 8][新聞報道 10]。KMは犯行グループを含めた十数人の遊び仲間のリーダー的存在で、素行の悪さが目立ち、愛知県警察尾張にある各警察署が動きをマークしていた[新聞報道 8]

KMは奪った金をもとに大阪に向かい、第一審では従犯認定されていた[新聞報道 3][判決文 3]が、控訴審・上告審で同じく主犯格と認定された[新聞報道 4][新聞報道 1][判決文 1][判決文 2]少年KA[新聞報道 5][新聞報道 6][新聞報道 7](1975年7月21日[判決文 3] - 、当時19歳、大阪府松原市生まれ[新聞報道 1][新聞報道 4][注釈 2])と大阪市内のパチンコ店で出会い、KAから千日前スナックバー徳島県出身の[新聞報道 18]大阪市生野区の元暴力団組員の男U(当時45歳、第一審判決では暴力団幹部と認定[判決文 3]、山口組系暴力団山健組内にある山本組の構成員[雑誌報道 1][新聞報道 19]を「Uさんは殺人罪で13年間も懲役に入ってた。2年前(1992年)に出所し、このスナックのママが奥さんだ」と紹介された[雑誌報道 1]。KAは出所直後のUと知り合って子分にしてもらったという[雑誌報道 1]。Uは刑務所を出所してからまだ日が浅く、手下の少ない中でKMに「自分も舎弟にしてください」と頭を下げられ、すぐに了承した[雑誌報道 1]。Uの配下には他に少年T(当時18歳、大阪市出身[新聞報道 20]東大阪市在住の暴力団組員[新聞報道 21]生野区在住との報道あり[新聞報道 22])がおり[雑誌報道 1]、またKMの他に、KA同様に控訴審から主犯格と認定された少年HM[新聞報道 5][新聞報道 6][新聞報道 7](1975年10月23日[判決文 3] - 、当時18歳、大阪市西成区生まれ[新聞報道 1][新聞報道 4][注釈 3])もUの配下に加わった[雑誌報道 1]

KM・KA・HMの3人は同学年であったが、杯を交わした順番でKA>KM>HMの序列ができた[雑誌報道 1]。KAはKMを、自分たちのたまり場だった大阪市中央区島之内2丁目[新聞報道 22]マンション(1階にはブティックなど店舗があった)の4階408号室、2LDKの「事務所」(借主はUの知人だと『週刊文春』で報道された[雑誌報道 1]が、判決ではU自身と認定[判決文 3])へと案内し[雑誌報道 1]、暴力団配下の3人組が形成された[新聞報道 10]

3人は大阪市内で「シノギ」として恐喝事件を繰り返していた[雑誌報道 1][新聞報道 10]。標的は真面目そうな社会人などは「すぐに警察に通報される」として避け、自分たちに似た相手である暴走族風やヤンキー不良学生などに絞っていた[雑誌報道 1]。手口は橋のたもとや路上で標的に声をかけ、最初は和気あいあいと話を合わせているが、ちょっとしたことで「なんやと?」「もういっぺん言うてみい」などと態度を豹変させて詰め寄り、小突く、殴る蹴るなどの暴行を加えて金品を巻き上げるというものであった[雑誌報道 1]

第一審判決では「いずれの犯行も、経緯などを見ると、自らの欲望、感情の赴くまま行動して傷害や強盗などを犯した少年たちが、被害者らを解放すれば警察に捕まるなどと考え、自らの行動によって生じた結果の処置に困惑し、その際、虚勢を張る心理も混じって声高に激化した言動をする者に影響され、相手に弱みを見せられないという少年期特有の心理状態も手伝い、これに同調し、お互いが適切に事態を収束させることができないまま、最悪の結果を招いた」と認定された[判決文 3]

最初の事件(大阪事件)[編集]

最初の事件(大阪事件、殺人・死体遺棄事件[判決文 3])は1994年9月28日午前1時頃に幕を開けた[新聞報道 23][雑誌報道 1]

KM・HMの2人[判決文 2]は、自分たちの「シマ」であった大阪市中央区の道頓堀[雑誌報道 1]繁華街で、大阪府柏原市在住[新聞報道 23]の元寿司店店員[新聞報道 21]で無職の男性A(当時26歳)と友人男性(同26歳)の2人に言いがかりをつけ[新聞報道 23]、2人を小突きながら事務所前まで来たところで友人男性が逃げた[雑誌報道 1]ため、A1人をたまり場のマンションの一室に連れ込んで監禁し、KAを加えた主犯格3人とTの計4人で、裸にしたAの両手首、両足首を縛り、Aの顔面にガムテープを巻き付けるなどして身動きできない状態にした[判決文 2]上で、Aに対し19時間にわたって殴る蹴るなどの暴行を繰り返した[新聞報道 23][判決文 3]

身長160cm前後で童顔、染髪はしておらず、前を少し立たせたような長髪であったKMはAに住所氏名を明かせと強要したが、Aにしてみれば明らかに自分よりも年下の少年らに生意気な口を聞かれ、素直に従う気にはなれず、反抗的な態度を取った[雑誌報道 1]。これに対しKMは逆上して拳で殴りつけたが、見ていたKAが「(お前の生まれた)名古屋ではそういうやり方か、甘いのう。ほな、大阪のどつき方を教えたるわ」と。地元意識から競争心を燃え上がらせたかのようにAを殴りつけ、名古屋と大阪が張り合う格好で暴行がエスカレートした[雑誌報道 1]。Tも背中を殴る蹴るなどの暴行を加え、HMも加えて計4人でAを袋叩きにした[雑誌報道 1]

ぐったりとしたAの衣服をはぎ取ってトランクス1枚にし、携帯電話指輪を強奪してAを押し入れに閉じ込めた[雑誌報道 1][新聞報道 23]KMらはAを土木作業場(飯場)に売り飛ばそうと相談したが、取引相手が都合で来られなくなり、Aが抵抗した[新聞報道 24]ために処置に困り、犯跡を隠蔽するために殺害を決意した[判決文 2][判決文 3]

同日午後8時頃、Aを押し入れから引きずり出すと[雑誌報道 1]、命乞いをし、体を痙攣させて苦悶するA[判決文 3]の首にAが着けていたベルトを巻き付け、最初はHMが両端を両手で持って引っ張り上げて絞め付け、抵抗できずに苦しむAに構わず執拗にベルトの両端を力いっぱい引き合うなどして絞殺した[判決文 2][判決文 3][判決文 1][判決文 2][雑誌報道 1]。Aがの混じった鼻水を出したり失禁した後も、確実に死亡させるためにさらに首を絞め、その後、たばこの火をAの身体に押し付けてその死亡を確認するという非情、残忍な犯行であった[判決文 3]

4人はその後、同じビルにある中華料理店で平然と食事をした後[雑誌報道 2]、前述の取引に関与したマンションの部屋の借主であるUにAの遺体の処分を相談し[雑誌報道 1][判決文 3]、遺体の口から血や体液が流れ出すのを封じるためにガムテープを張り、遺体を布団で包んで二重巻きにしてロープで縛り[雑誌報道 1][判決文 4]、4人がかりで外へと運び出してUの乗用車のトランクに押し込んだ[雑誌報道 1]

徳島県出身のUは四国山中の人目に付かない場所、それも足が付かないように大阪から離れた場所に遺体を遺棄しようと考えた。KA・Tが事務所に残った上でKM・HMの2人がUとともに遺体を積んだ車に乗り、神戸市六甲アイランドフェリーターミナルから徳島港行きのカーフェリーに乗船して四国に渡った[雑誌報道 1][新聞報道 23]。翌29日午前4時頃[判決文 4]国道55号を南下して辿り着いた[雑誌報道 1]高知県安芸郡奈半利町の山中(奈半利町須川甲の国道55号から山中に入った林道の約50m下の斜面、室戸岬夫婦岩近く)に、Aの遺体を林道のガードレール越しに山中の斜面めがけて投げて遺棄した[雑誌報道 1][新聞報道 23][判決文 3]

11月22日に発見されたAの遺体はわずか9.1kgしかなく[雑誌報道 2]腐敗が進行して多数のが発生し、全身がほぼ白骨化した無惨な状態だった[判決文 3]

KMは取り調べの中で、行きずりの何の恨みもない人を惨殺した挙句遺体をゴミのように捨てた当時の状況について「明け方の海(土佐湾)がきれいで印象深かった」と答えており、『週刊文春』1995年7月6日号では「凶行への呵責はそこにはない。むしろ一仕事終えた爽快感さえ漂っている」と綴られた[雑誌報道 1]

第2の事件(木曽川事件)[編集]

大阪事件の2日後の10月1日、KMら4人はまたも道頓堀で高校生3人組を恐喝して現金、ネックレスなどを強奪し、うち1人を事務所に拉致、監禁した[雑誌報道 1]。殺害には至らなかったが、逃げた被害者らが親に被害を打ち明け、警察に通報した[雑誌報道 1]。翌2日、パトロール中の大阪府警察南警察署署員によりTが逮捕され、それを聞いたKMら3人は直ちに逃走にかかった[雑誌報道 1][新聞報道 10][新聞報道 25]。10月4日[新聞報道 26]、3人は兄貴分のKAの提案で、近鉄南大阪線でKAの育った松原市に向かい、同市内のパチンコ店に遊びとカツアゲを目的に入店した[雑誌報道 1]。暴走族風の男に狙いを定めて当たり障りのない会話を振った相手は福岡県生まれの当時20歳の男V[新聞報道 27][新聞報道 26]だった[雑誌報道 1]。Vは自家用車(白いホンダ・シビック)を持っていた一方で定職を持たずにぶらぶらしており、3人の仲間に入れてほしいと頭を下げ、KAは「運転手をやれ。俺たちに従うなら飯はただで食わせてやる。女も紹介してやろう。給料も払ってやる」と条件を提示し、Vが快諾した[雑誌報道 1]

4人はVのシビックに乗り、八尾市高槻市と府内をドライブするが、深夜になって「女を紹介するという約束はどうなったんだ」と半信半疑でVがKAに尋ねてきた[雑誌報道 1]。Vを信用させるため、KMはかつてシンナー仲間だった愛知県一宮市在住の家事手伝いの当時18歳の少女W子[新聞報道 27]に電話を掛け、シンナーパーティーをやろうと持ち掛け、W子も快諾した[雑誌報道 1]。Vは夜通しで車を走らせ、10月5日午前7時半頃に一宮市内にあるW子宅に到着した[雑誌報道 1]。W子はシンナー仲間であり、KMとも面識があった[雑誌報道 1]同市在住の当時19歳の少年X[新聞報道 27]を誘い、この時点で計6人のグループとなった[雑誌報道 1]。稲沢市内のボウリング場(後述の長良川事件の現場「稲沢グランドボウル」)、木曽川町内のパチンコ店を回って時間を潰した[雑誌報道 1]

翌10月6日午前1時頃、W子が仲間の少女Y子(一宮市内在住の当時16歳)[新聞報道 27]を呼び出し、名古屋市内にシンナーの買い出しに向かった[雑誌報道 1]。シビックにはY子を加えて7人が乗り込み、名古屋市中区でシンナーを入手して一宮市にUターンした[雑誌報道 1]。一宮市内の名神高速道路一宮インターチェンジ(IC)付近にあるラブホテル[新聞報道 28]に入ると、7人は午前3時40分頃からシンナーを吸い、カラオケを歌い、酒を飲むなどの乱痴気騒ぎをし、午後1時10分頃にチェックアウトした後もその日の午後をパチンコなどで過ごした[雑誌報道 1]。午後6時頃になってシンナーを吸いたくなったKがXに「落ち着いて(シンナーを)吸える場所はないか」と尋ね、Xはシンナー仲間の古株である愛知県稲沢市在住の当時21歳の男Z[新聞報道 27]宅を提案した[雑誌報道 1]。Vの運転で寿司詰め状態の車は午後6時半頃にY宅に到着した[雑誌報道 1]。たまり場となっていた平屋建ての離れにある4畳半の和室でV以外の6人と、家の住人であるZ、Zの妹とその女友達の計9人でシンナーを吸い始め、シンナーパーティーが始まった[新聞報道 26]が、しばらくして突然KMが「Zが睨んだ」と言いがかりをつけ、場所を提供している家人のZに襲い掛かった[雑誌報道 1]。KMがZの顔面を3発続けて殴りつけ、よろけたZをKAが掴んで右目に集中打を浴びせ、KMが腹部めがけて殴りつけようとしたところでZの妹が割って入り、暴行は中断した[雑誌報道 1]。Zの両親は不在がちで、近所の話ではZ宅は5年ほど前からKMらのたまり場になっていたという[新聞報道 26]

1時間後、シンナーが足りなくなったため、Zが近くに住む少年グループの仲間の1人である土木作業員の男性B(当時22歳)に「シンナーを持ってきてくれ」と電話し、Bはジュースの空き瓶に小分けされたシンナーを2500円で購入して持参し、Z宅を訪れた[雑誌報道 1][新聞報道 28]。家に来たBはKMに女友達を強姦された恨みからKMを睨み付け[雑誌報道 1]、逆上したKMがBに掴みかかった[雑誌報道 1]。BはKMを牽制しようと「お前のしたことを刑事に言うぞ」と言い放ったが、殺人を犯して警察に追われていると思い込んでいたKMはその言葉に逆上してBに殴り掛かった[雑誌報道 1][新聞報道 28]。KAも「刑事」という言葉に対して弟分のKM同様過剰反応し「誰の下の者に文句をつけている」と殴り掛かった[雑誌報道 1]。Zの時と違い、シンナー仲間たちは「せっかくいい気分で楽しもうとしているのにBが水を差した」と受け取ったために誰もBへの暴行を止めようとせず、大阪事件とは無関係のXまでもBへのリンチに加わった[雑誌報道 1]

逆上したKMはBの血を見てますます興奮したらしく[雑誌報道 1]、これに加えて「(Bが邪魔で)テレビが見えにくい」「(Bが)にらむような目つきをする」という理由でKA・HMら仲間5人[判決文 3]を加えた計6人(本事件の犯行グループは主犯格3人を含めた全員が翌日の木曽川事件にも関与した[新聞報道 8]。部屋には他にも男1人と女2人の計3人がいたが、いずれもリンチが始まった際には姿を消していた[新聞報道 28])で、Bの頭や身体をビール瓶鉄パイプほうきなどで数百回[新聞報道 10]殴る、フォークで傷口をつつく[新聞報道 10]、頭から醤油ウィスキー、シンナーをかける[新聞報道 10][新聞報道 29]、目の前に包丁を突き付ける[新聞報道 10]などして約7時間にわたって激しく暴行した[判決文 3][新聞報道 28][新聞報道 29][雑誌報道 3]。BがKMらの従った行動をとらなかったため、KMらは更に逆上しさらなる暴行に発展した[判決文 3]。Bは「ごめんなさい。許してください」と懇願したが、W子がリンチの真っ最中に注文した宅配ピザを食べているとき以外は暴行を続けた[雑誌報道 3][新聞報道 10]。Bは午後10時半頃に一度逃げ出したがすぐに連れ戻され[雑誌報道 3]、車で木曽川堤防まで連れて行かれた[新聞報道 10]

翌10月7日未明(午前1時頃)、KMらは同県中島郡祖父江町(現・稲沢市)の愛知県木曽川の祖父江緑地公園駐車場で、Bの頭を殴打し、腹部を蹴るなどの暴行を加えた[判決文 4][雑誌報道 3]。さらに午前2時頃にKMらは愛知県尾西市(現・一宮市)祐久[新聞報道 30]の木曽川左岸河川敷(尾西文化広場テニスコート付近、長良川事件の現場から直線距離で約7km[新聞報道 31])でBの頭や背中をカーボン製パイプで殴りつけて瀕死の重傷を負わせた[判決文 4]。KMは「死ね」と叫びつつBを乱打しており、それを見たW子が「本当に殺してしまう」と制止したが、KMらは聞き入れなかった[雑誌報道 3]

Bは瀕死の重傷を負い、自力で立ち上がることさえも困難となり、地面に横たわった状態で首筋や腹に置かれたシンナー入りビニール袋をライターで点火して燃やされても、緩慢で微弱な反応しかできないほどに重篤な状態に陥っていた[判決文 2]。KMらはBを堤防から蹴って突き落とし、更に雑木林へ両手足を持って引きずり[判決文 4]シンナーをかけた上でライターで火をつけ、河川敷雑木林に放置して殺害した(木曽川事件、第一審では傷害致死事件、控訴審・上告審では殺人事件と認定)[新聞報道 10][判決文 3][判決文 1][判決文 2][新聞報道 28][新聞報道 29][雑誌報道 3]。KMらはBを木曽川に流すつもりだった[雑誌報道 3]が、河川敷を引きずってBを移動させている途中でKMが「もうそこらへんでいいわ。そこなら見えん」と指示、堤防から10mほど離れた雑木林の茂みに放置した[新聞報道 10][雑誌報道 3]

10月13日に発見されたBの遺体はわずか12.5kgしかなく[雑誌報道 2]、A同様腐敗が進行して大量のが発生し、皮膚、筋肉、内臓などはほとんど食い尽くされてほぼ白骨化し、頭蓋骨脊椎から分断されて死因すら断定できないほどの惨状だった[雑誌報道 3][判決文 3]。確定判決ではBの死因は硬膜下血腫、内臓損傷又は全身打撲による外傷性ショック死のいずれかと推定された[判決文 2]

木曽川事件の凄惨な犯行の直前、KMらは友人のネコ獣医師のところに連れて行き診察を受けさせていた[新聞報道 10]

第3の事件(長良川事件)[編集]

Bを殺害した後8人のうち男女2人(後述するX、W子)がグループから分かれて帰宅し[雑誌報道 3]、KMら残る6人は前述のラブホテルの一室で雑魚寝をした[雑誌報道 3][新聞報道 28]

翌日10月7日午後4時頃にKMらはホテルを立ち去り[雑誌報道 3]、パチンコなどで時間潰しをした後、午後8時頃に週末で込み合う稲沢市内のボウリング場(稲沢グランドボウル[判決文 4])に現れた[雑誌報道 3][新聞報道 28]

同日午後10時頃[雑誌報道 3][判決文 4]、KM・KA・HMと仲間5人(うち2人は前日の木曽川事件にも関与)の計8人[新聞報道 8]はボウリングの球を選んでいた当時20歳の男性2人(会社員の男性Cと大学生の男性D)、アルバイトの男性E(当時19歳)の3人組を見つけた[雑誌報道 3][新聞報道 28][判決文 3]。殺害されたCとEは中学時代の同級生で親しい間柄にあり[新聞報道 32]、Dも含めて3人で偶然ボウリング場に遊びに来ていた[雑誌報道 3][新聞報道 28][判決文 3]。KMは3人を「お前ら、どこの者や」と脅し、KA・HMらも加勢してボウリング場の外に連れ出し、金品を強奪する目的でCら3人を約3時間にわたって自動車2台の車内(うち1台はDから強奪した軽自動車[新聞報道 27])に監禁し、金品を奪って拉致した[新聞報道 28][判決文 3][判決文 1][判決文 2]。動機はKM・KAがすれ違ったCらを見て、自分たちが笑われたと感じて腹を立てたことだった(「髪の毛が赤っぽかったから」という理由で因縁をつけたとする報道もある[新聞報道 28][雑誌報道 3][新聞報道 28]

Dの軽自動車後部座席にCとEを監禁してKA・HMが乗り込み、Vのシビックの後部座席にDを監禁してKMらが乗った[雑誌報道 3]。DはKMらに襲われた際、とっさに財布から現金1万1000円とキャッシュカードを抜き取り、トレーナーの袖口の中に隠したが、KMはDの顔を車内で殴りつけて金銭を要求した[雑誌報道 3]。ここで出し渋っては更に暴行されると判断したDは言われるがままに現金3000円が入った財布を渡したが、KMはうち2000円を奪い「キャッシュカードは」と聞いた[雑誌報道 3]。Dが首を横に振るとKMは「他の2人(C、E)はいくらぐらい持っているんだ」と聞いたが、Dは「知らない」と答えた[雑誌報道 3]。KMらは午後11時半頃に津島市内のコンビニエンスストアに立ち寄り、そこで弁当などを購入したが、この店のフェンスにあった長さ約70cmの四角い鋼管(凶器に用いられた)を発見し、KMが4本、HMが2本盗んで車内に持ち込んだ[雑誌報道 3]

KMらはC、E両名から現金8000円を奪った上に両名に監禁した車内で顔を殴るなどの暴行を加え、ボウリング場駐車場から江南緑地公園木曽川左岸グランド駐車場、養老公園(岐阜県こどもの国)駐車場などを経て、岐阜県安八郡輪之内町楡俣の長良川右岸堤防まで車内に監禁して連れ回した[雑誌報道 3][判決文 4]。KMらはCらの口封じをして犯行を隠蔽するため、午前1時頃に輪之内町楡俣の長良川右岸河川敷で、命乞いをするC、E2人の全身を農機具小屋から盗んだ太いアルミニウムパイプや角材などで頭部や胸部をめった打ちにするなど執拗に暴行し、多発損傷による組織間出血により失血死させた(長良川事件、強盗殺人事件)[判決文 2][判決文 4][新聞報道 28][判決文 3][判決文 1][判決文 2]。2人は頭蓋骨陥没、左肩や両腕などの全身骨折と、体中の血管が裂けたことによる大量出血により失血死するというあまりにも無惨な死を遂げた[雑誌報道 2]。KMらは2人を遺棄して立ち去った後も「つるはしでとどめを刺しておけばよかった」とUターンして現場に2人が死亡したことを確認しに戻っており[雑誌報道 2]、またKM・HMは2人がぐったりした後も、たばこの火を押し付けてみたり、ダメ押しするかのようにさらに殴打した[判決文 3][雑誌報道 2]

Dには顔を殴る蹴るなどして全治1週間の怪我を負わせ、監禁した車内で現金3000円と財布を奪うなどした[判決文 4][判決文 3]。Dは殺害された2人とは異なり身を守ろうとするなどの抵抗をせず、殴られるまま無抵抗だったため、殺害せずに同県江南市の江南緑地公園木曽川左岸グランド駐車場、輪之内町の長良川右岸堤防(前述のCらの殺害現場)などを経て大阪市中央区内まで車内に監禁して連れ回し[判決文 4][雑誌報道 3](この間、DはHMから「琵琶湖に沈めてやろうか、それとも瀬戸大橋から突き落としてやろうか」などと脅されていた[雑誌報道 3])、翌8日午前8時30分頃(この時点で後述のように既にC、E両名の遺体が発見されていた[雑誌報道 3])にKAが奪った現金のうち近鉄名古屋駅までの電車賃として現金3000円を返した上で近鉄難波駅(現・大阪難波駅)近くで解放した[雑誌報道 3][新聞報道 28][判決文 1][判決文 2][注釈 4][新聞報道 34]

翌10月8日、一宮IC付近(一宮市役所丹陽町出張所の駐車場)でDの車がエンジンをかけたまま乗り捨てられているのが発見され、車は消火器を噴射して指紋を消そうとしたためか車内まで消火剤にまみれていたが、消火剤は逆に窓ガラスに付着していたKMの指紋を鮮明に浮かび上がらせていた[新聞報道 35][新聞報道 28]。KMらは犯行直後にコンビニエンスストアに立ち寄り、防犯カメラがその姿を捉えていた[新聞報道 28]

事件の発覚・検挙[編集]

長良川事件の翌日の10月8日午前6時15分頃、現場付近の長良川堤防道路を通りかかったトラック運転手が、車を整備しようと路肩に停車したところ、堤防道路の駐車帯から約30m下ったところの雑草地で頭から血を流してうつぶせに倒れ死亡しているC、E2人の遺体を発見し、近くの民家を通じて110番通報した[雑誌報道 3][新聞報道 36]。現場は安八郡安八町との境界の名神高速道路から南に約2kmの地点で、堤防の外側は水田や民家が点在している[新聞報道 36]。普段は夜間、この駐車帯にトラックが何台も停まっているが、事件発覚当時は週末のせいかほとんど車は停まっていなかったという[新聞報道 36]。また、警察に通報した近隣住民によれば現場一帯は自動車の転落事故が多発していたが、現場に車がないことから不審に思ったものの、これが殺人事件によるものだとは思わなかったという[雑誌報道 3]

C、Eの遺体は激しい暴行により頭部がべっとりと血に染まり、衣服はズタズタに裂けていた[雑誌報道 3]。現場で発見されたC、Eの遺体の両腕は、振り下ろされる凶器を必死で防ごうとしたためか傷でボロボロになっていた[新聞報道 28]。その後の調べで、現場一帯に多くの足跡や車のわだちが見つかり、近くの堤防法面の雑草の上や、遺体の足元から約3m離れた直径10cmほどの石の上に少量の血痕があり、堤防道路上に中央線をまたぐ形で乗用車より幅の広いスリップ痕が長さ5、6mにわたり確認された[新聞報道 36]。このため岐阜県警察捜査一課などはC、Eは殺人、もしくはひき逃げなどにより死亡し、何者かが遺体を運んで遺棄したとみて捜査した[新聞報道 36]

Dが警察に通報したためにKMらの犯行が明らかとなり、[要出典]岐阜県警は少年グループ6人のうち、KMら男3人、女1人の計4人を特定した[新聞報道 37]。このうち、既に愛知県警に指名手配されていたKMは関係者への事情聴取から真っ先に長良川事件への関与が浮上した[新聞報道 8]

事件発覚翌日の10月9日には大阪から運転手役のVが一宮市に戻り、X、W子、Y子らと合流して車内でシンナーを吸っていたが、その現場を一宮警察署の署員に押さえられた[雑誌報道 3]。10月13日に稲沢市在住の当時21歳の男Zと一宮市内在住の当時16歳の少女Y子の2人が岐阜県警察捜査一課大垣警察署捜査本部に長良川事件での殺人逮捕・監禁強盗などの容疑で逮捕され、KMや福岡県生まれの当時20歳の男Vら4人も含めて指名手配された[新聞報道 27]。また、事件の参考人として聴取していた一宮市在住の当時19歳の少年Xと家事手伝いの当時18歳の少女W子が「仲間数人で友人を暴行して木曽川に捨てた」と自供し、供述通りに尾西市の木曽川河川敷でBの遺体が発見されたため、愛知県警察は同日夜にX、W子を殺人容疑で逮捕した[新聞報道 27]。X、W子は木曽川事件直後にグループから分かれており[新聞報道 28]、長良川事件には関与していなかった[新聞報道 38]

KMは事件発覚後も一宮市周辺に潜伏してシンナー仲間や少年院に入所していた際の知人を頼りに転々としつつ、逃亡を続けていた[雑誌報道 3]。その際の知人男性XXによれば「KMは10月10日夜に自分の知り合いの女の子の紹介で自分の家に『人を殺してしまったので逃げる場所を教えてほしい』と相談に来た。別に動転しているようでもなかった。自分も人を殺した者と会うのは初めてじゃなかった」といい、KMはこの知人宅に泊まった後いったん外出したが、仲間(後輩の男)とともに戻ってきたが、KMはその後輩を「自分の前を横切った」などの些細な理由で殴っていたという[雑誌報道 3]

KMは逃走中に「第3の事件」(厳密には逮捕時点では発覚していなかった大阪事件を含めて「第4の事件」)を起こしていた可能性もあった[新聞報道 8]。10月13日深夜、KMは一宮市内のコンビニエンスストア前に駐車して車内で弁当を食べていた18歳の若者の車にいきなり乗り込み、車の鍵を奪って仲間とみられる男女2人(XXと友人の少女)とともに若者を拉致して江南市方面へと走行した[雑誌報道 3][新聞報道 8]。被害者の若者によれば、KMは関西弁を用いて脅したため「大阪のヤクザだ、逆らうとまずい」と直感してKMの言いなりになったといい、またKMとともに乗り込んできた男女はどちらもシンナー臭かったという[雑誌報道 3]。この様子を若者の知人が目撃しており、若者の家族が連絡を受けて110番通報したためにパトカーが出動、KMが奪った乗用車を追跡する騒ぎとなった[雑誌報道 3][新聞報道 8]。約3時間後の10月14日午前零時過ぎ、KMが運転していた乗用車は江南市東野郷前で街路樹に衝突し、乗っていた4人(KM、XX、仲間の少女の計3人と、連れ去られた若者1人)全員が負傷しうち1人は入院した(助手席に乗っていたXXがフロントガラスを割って前方に投げ出され、右大腿骨骨折の重傷を負った[雑誌報道 3])がKMは再び逃げ去った[新聞報道 8]。KMはその後、相談に行った先で説得され、この日の深夜愛知県警一宮警察署に出頭し、指名手配容疑である木曽川事件での殺人容疑で逮捕された[雑誌報道 3][新聞報道 8]。逮捕当時KMは前述の衝突事故による怪我のため、右足を引きずっていた[新聞報道 30]。その後、KMは11月4日には長良川事件での殺人容疑で[新聞報道 39]、11月26日にも一連の事件前の指名手配容疑である津島市の強盗致傷事件でも愛知県警捜査一課と津島警察署にそれぞれ再逮捕された[新聞報道 9]

KMが逮捕された翌日の10月15日、前述の福岡県生まれ(大阪市平野区在住)の当時20歳の男Vが岐阜県警捜査一課と大垣署に殺人、逮捕・監禁致傷などの容疑で逮捕された[新聞報道 40]

岐阜県警察の長良川事件捜査本部は10月15日、同事件の犯行グループ6人のうち行方不明になっていたKAを殺人容疑で指名手配したが、KAは既に別の事件で大阪府警に逮捕されていることが判明した[新聞報道 11]。10月23日に大垣署にKAの身柄が移され、KAは殺人と逮捕・監禁致傷の疑いで逮捕された[雑誌報道 3][新聞報道 12]。その後KAは11月14日に木曽川事件の殺人容疑で再逮捕された[新聞報道 13]

また、KMがグループの仲間である2人の少女(W子、Y子)の殺害も他の仲間に対して漏らしていたことが11月1日までの愛知・岐阜両県警の共同捜査本部による捜査で判明した[新聞報道 41]。犯行グループは木曽川事件が男6人、少女2人の合計8人が犯行に関与したが、少女1人を含め6人が長良川事件にも関与した[新聞報道 41]。少女は主犯格のKMらがBらにリンチを加えている時も手を出さず、苦しんでいるBらを見かね「もう死んでしまうからやめて」などと犯行を阻止しようとする態度も見せていた[新聞報道 41][新聞報道 26]。グループ内の仲間によると、KMは少女らが被害者に同情的だったことから「警察に通報されるかもしれない」と恐れ、「あとで殺すつもりだ」「1人殺すのも100人殺すのも同じだ」などと発言していたという(この発言がリーダーとしての虚勢及び仲間割れを防ぐための脅しなのか、本気なのかは不明)[新聞報道 41]。両事件で計3人を殺害した上に犯行を隠蔽するために仲間までも抹殺しようとエスカレートしていくKMに、比較的絆が強かったという仲間たちでさえ「もうついていけない。今度は自分たちがやられるかも」と恐れ、身の危険を感じ自ら警察に通報して逮捕されるに至った[新聞報道 41]

さらに11月18日までにKMが「9月下旬、大阪市内でも男性を殺害し高知県内に捨てた」と自供し、翌11月19日に報じられた[雑誌報道 3][新聞報道 14][新聞報道 42]。木曽川・長良川事件の愛知・岐阜両県警共同捜査本部は11月21日までに被害者男性の身元を大阪市在住[新聞報道 42](後の報道では大阪府柏原市在住[新聞報道 23])の当時23歳(誤報、正しくは当時26歳[新聞報道 23])男性Aと断定した[新聞報道 42]。岐阜・愛知両県警の合同捜査本部と大阪府警察高知県警察はKMの供述に基づきAの遺体捜索のため捜査員を派遣し、岐阜県警もKMを捜査に立ち会わせるため高知県に移送した[新聞報道 18]。遺体捜索は11月23日朝からの予定であったが、岐阜県警がKMを高知県警安芸警察署に移送する途中、KM本人が希望したため捜査員が遺棄場所を案内させ大阪府警察、高知県警察とともに捜索に入ったところ、11月22日午後7時過ぎに室戸岬北西の高知県安芸郡奈半利町の山中で布団に巻かれた裸の男性の遺体を発見した[新聞報道 23]。これを受けて4府県警は広域連続強盗殺人・死体遺棄事件として共同捜査本部を設置した[新聞報道 23]。翌11月23日、岐阜・愛知・高知各県警及び大阪府警の共同捜査本部は大阪大学医学部で遺体を司法解剖[新聞報道 23]、歯形から遺体の身元をAと断定した[新聞報道 24]。このように大阪事件を自供したことについてはKMの自首が成立していると確定判決でも認定されている[判決文 1][判決文 2]。なお、大阪事件に関与したTは10月2日に[新聞報道 22]別の強盗致傷事件で大阪府警南警察署に逮捕され、大阪家庭裁判所送致を経て保護観察処分になり[新聞報道 23][新聞報道 22]、その後行方を晦ましていたが、11月26日午前に両親に付き添われて南署に出頭し逮捕された[雑誌報道 3][新聞報道 20][新聞報道 22]。大阪事件においてKM・KA両名は殺人と死体遺棄の容疑で12月5日に大阪府警南署捜査本部により殺人、死体遺棄容疑で再逮捕された[新聞報道 43]。KM・KA・Tの3人は大阪地方検察庁により、12月27日までに「刑事処分相当」の意見付きで大阪家庭裁判所に送致された[新聞報道 44]

HMは一連の事件の容疑者の中で最後まで逃亡していたが、翌1995年(平成7年)1月17日に発生し、出身地の神戸市に甚大な被害をもたらした兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)の混乱の中で和歌山市内に逃走、翌1月18日に和歌山市内のラブホテルに女性とともにいたところを大阪事件の殺人容疑で大阪府警南署に逮捕された[新聞報道 45][雑誌報道 3]。大阪事件の死体遺棄容疑で指名手配されていたUも同日までに大阪府警南署に逮捕された[新聞報道 45]。HMは長良川事件についても強盗殺人、強盗致傷、逮捕・監禁容疑で2月9日に大垣署に[新聞報道 46]、木曽川事件についても殺人容疑で3月3日に愛知県警捜査一課と一宮署にそれぞれ再逮捕された[新聞報道 47]

KMら犯行グループと被害者らの接点は前述のようにボウリング場で偶然出会ったCらにKMらが因縁をつけたことであり、また最初に逮捕された当時16歳の少女W子は「6人の犯行グループのうち、3,4人は当日まで顔を見たこともない」と供述した[新聞報道 27]。些細なことで面識のない6人の非行グループが出会い頭的に見も知らぬ相手を襲い、鉄パイプ(厳密には前述のようにアルミニウム製)で滅多打ちにして殺害するという凶行に、捜査員は「昔の殺しには必ず目的や動機があった。こんな理由なき殺しはしなかった。何がいったい彼らを駆り立てたのか」とその異常さにショックを受けた[新聞報道 27]。別の捜査関係者は「最近、20歳前後の若者でこうしたタイプの犯罪が増えている」と指摘し、中日新聞紙上では同年7月に岐阜市内で起きた別の殺人事件についても「『むしゃくしゃして誰かに当たりたかった』という理由にもならない理由で殺人が起きた」と言及された[新聞報道 27]。また、合同捜査本部の幹部は「本当の動機なんてないじゃないか。結果を考えず衝動任せ。人を殴ったり、金を奪ったりということを悪いと思う意識が欠落している。まるでゲーム感覚だ」と憤った[新聞報道 26]。『週刊文春』1995年7月13日号では「(KMら)少年ヤクザは殺害した4人を、いずれもゴミのように乱雑にうち捨てた。死者の尊厳も何もあったものではない」「一般的な価値観さえ備えていれば、なにも生命まで奪わなくてもすむような単純な『動機』である」と綴られた[雑誌報道 3]

主犯格らの裁判[編集]

第一審(大阪地裁→名古屋地裁)[編集]

主犯格らは、KM・KAは1995年1月18日に名古屋家庭裁判所猪瀬俊雄裁判官)の審判により「刑事処分が相当」として名古屋地方検察庁逆送致され[新聞報道 45]3月24日に名古屋地検により強盗殺人や逮捕・監禁などの容疑で名古屋地方裁判所起訴された[新聞報道 48]。HMは1995年3月24日に名古屋地検から名古屋家裁に送致され[新聞報道 48]、その後逆送致を経て4月28日に名古屋地検により起訴された[新聞報道 49]
刑事裁判の初公判はKMは1995年5月29日に、KAは同年6月8日に大阪地方裁判所でいずれも大阪事件について開かれた[新聞報道 4]が、同年6月26日に名古屋地裁で3被告人が揃った木曽川・長良川事件の初公判[新聞報道 2]が開かれた[新聞報道 15][新聞報道 4]。この時点では弁護側が「打ち合わせが不十分」などと主張したために罪状認否は8月21日の次回公判に持ち越された[新聞報道 15]
1995年8月21日に開かれた第2回公判で冒頭陳述や罪状認否が行われ、木曽川・長良川事件の起訴事実について、3人とも事実関係は大筋で認めたものの殺意はすべて否認した[新聞報道 50]。3人の弁護人も殺意の有無について争うとともに、事件の特殊性や少年法の趣旨から、精神鑑定などを含めた多角的な情状を訴える方針を明らかにした[新聞報道 50]。検察側は冒頭陳述で「3人は大阪で知り合って暴力団に入り恐喝行為を繰り返し、その結果引き起こした大阪事件の発覚を恐れて愛知県に逃走してきた」「3人の間には序列(一連の裁判で分かっているのはKA>KM>HM)があり、木曽川・長良川事件も初めはいつもの”カツアゲ”のつもりだったが、『兄貴』分の俺が、あるいは『兄貴』より格下の自分がやらねば、などとの思いが犯行をエスカレートさせた。特に長良川事件では、ある1人は『昨日やって(木曽川事件)今日もか」と躊躇いもあったが、結局警察への通報を恐れて口封じのためにもC、E両名を殺害した」などと述べた[新聞報道 50]
1998年(平成10年)5月13日には名古屋地裁(佐藤学裁判長)にて裁判官の交代に伴う更新手続き(第54回公判[新聞報道 2])が行われ、木曽川事件・長良川事件について、それまで共謀や殺意を否定してきた被告人(HM[新聞報道 2])が一転して「法的な理解ができていなかったため、意に反する認否をした。確定的な殺意や殺害の企てはなかったが、このまま(被害者らを)放置すれば死んでしまうかもしれないと思った」などと、共謀や殺意などを認める供述をした[新聞報道 51]。次回公判の5月27日(第55回公判[新聞報道 2])にはもう1人(KA[新聞報道 2])も他の被告人との共謀や殺意を認める意見陳述をした[新聞報道 52]
1998年8月13日までに、名古屋地裁(佐藤学裁判長)はそれまで大阪地検によって起訴され、大阪地裁で開かれてきた(2人については1995年に名古屋地裁に移されたが審理は中断、残り1人は大阪地裁で審理が続いていた)大阪事件の審理について、木曽川・長良川事件の審理に併合して3事件を一括して審理することを決めた[新聞報道 25]。手続きは次回公判の9月21日に行われた[新聞報道 25]
裁判の当初、主犯格3人は反省のない態度をみせ、入廷したKMが傍聴席にいる知り合いに笑みを浮かべる、入廷するたびにわざとらしくため息をつくなど傍若無人な態度を繰り返した[雑誌報道 2]「自分は未成年だから死刑にはならない」[注釈 5]「俺の刑はどれくらいなの」と発言したり、被害者遺族に対して笑みを見せるなどの行動もあった。[要出典]また、裁判の傍聴を続けてきた司法記者曰く「裁判の途中で3人が仲違いし、誰が主導的に犯罪を行ったかで被告人らの主張が異なってきた。1人は合同の審理から分離され、別々に裁判が進行した」という[雑誌報道 2][注釈 6]
第一審の名古屋地裁(石山容示裁判長)では2000年(平成12年)12年27日に開かれた第106回目公判(論告求刑公判)にて、このような反省なき態度、あまりに残虐な犯行から、検察側は「(各事件での3人の関与の度合いについて)それぞれの事件で果たした役割に軽重を見出すことはできず、刑事責任は同等」との判断を示した上で「犯行は、場当たり的に何の落ち度もない4人を殺害したもので、命乞いをしながら嬲り殺された被害者もおり、遺族の悲嘆も強烈」と断罪し、「わずか10日間で4人を殺害した少年犯罪史上、まれに見る凶悪かつ残虐な事件。犯行当時少年とはいえ矯正可能性は全くなく、極刑をもって臨むしかない」として、3人全員にいずれも死刑を求刑した[新聞報道 2]
この頃から3人の態度は変化し、後の最終弁論の際には「生きて償いたい」「宗教に帰依」「キリスト教の洗礼を受ける」などの発言がなされるようになったが、被害者遺族にはかつて命乞いをする被害者らを惨殺しておきながら、いけしゃあしゃあと命乞いしているようにしか聞こえず、反省と謝罪の態度を示すことで刑の減軽を勝ち取ろうとする露骨な態度に、ますます嫌悪感が増幅していったという[雑誌報道 2]。長良川事件の被害者Cの遺族の下には、Cの命日の10月8日が近づくたびにKM・KAから手紙が届くようになったが、Cの兄曰く「一体こういうものを誰が書かせるのか。とても自発的に書いているとは思えない」という[雑誌報道 2]
2001年(平成13年)2月28日には弁護側による最終弁論(約10時間という異例の長時間となり、3回の休憩を挟みながら午後9時まで続いた)が開かれ、3人は弁論後の最終陳述で「命ある限り被害者の冥福を祈り、遺族に出来る限りの償いをしたい」などと述べ、初公判から4年8か月ぶりに結審した[新聞報道 53]
同年7月9日、名古屋地裁(石山容示裁判長)で判決公判が開かれ、3事件いずれについても3人の殺意は認めたものの、木曽川事件だけは「暴行後、殺すつもりでBを河川敷雑木林に放置したが、放置と死亡の因果関係が立証されていない」として殺人罪を認めず、傷害致死罪の成立にとどまると判断した上で、特に長良川事件で「強固な殺意」があったとされたKMは「中心的な立場で、重要で不可欠な地位にあり、集団の推進力になった」(事件を主導した)として殺人罪で死刑[注釈 7]、KAとHMは傷害致死罪無期懲役[注釈 8]判決が言い渡された[判決文 3][新聞報道 3]。少年事件での死刑判決は1983年永山則夫連続射殺事件の最高裁判決以降では、第一審では1989年の名古屋地裁・名古屋アベック殺人事件判決と、1994年の千葉地裁市川一家4人殺人事件判決に続き3件目[注釈 9]で、平成の事件では市川一家4人殺人事件に続き2件目であった[新聞報道 3]
3人全員を死刑としなかったこの判決に被害者遺族からは「何だ、これは」との不満の声が上がり、「墓前にどう報告していいのか」という怒りとやりきれない思いが口にされた[新聞報道 3]。3人の弁護側は死刑及び無期懲役判決を事実誤認及び量刑不当を理由に不服として、検察側もKA・HMの無期懲役判決は量刑不当である上に、殺人罪ではなく傷害致死罪とされた木曽川事件についての事実誤認を理由に不服として、それぞれ3人全員について名古屋高等裁判所控訴した[新聞報道 54]。求刑通り死刑判決を受けた被告人について検察側が控訴したのは史上初だが、名古屋地検は「(KMを含めた)全員について控訴しなければ、犯罪事実が被告人によって異なることになる。放置することはできない」として、求刑通り死刑判決を受けたKMも含めて控訴期限の7月23日に控訴に踏み切った[新聞報道 54]

控訴審(名古屋高裁)[編集]

名古屋高裁(川原誠裁判長[注釈 10])での控訴審初公判は2003年(平成15年)5月26日に開かれ、検察側は傷害致死と認定された木曽川事件について殺人罪の適用を求め、2人を無期懲役とした第一審判決量刑について「著しく軽く不当。矯正はもはや不可能」と第一審求刑通り改めて3人全員への死刑を求め、KMの弁護側は「主犯ではなく、3人の罪責に差はない」と、KAは「形式上兄貴とされていたが、KMに追随していた」と、HMは「他の被告人の手下に過ぎない」とそれぞれ強調、矯正可能と訴えた[新聞報道 55]
控訴審の公判は計36回開かれ、長良川事件の被害者Eの遺族夫妻は高齢の身を押してほぼ全てを傍聴し、2005年(平成17年)3月の公判では父親がそれまでに1ヶ月かけて練った原稿を意見陳述の場で読み上げ「貴様らは生きて償いたいと言っている。ぜひ聞かせてほしい。具体的にどのような償いをしようとしているのか。私はまだ聞いていない」「私は貴様らが社会に出てくるのを望んでいない」などと3人を厳しく問い詰めた[新聞報道 56]
同年8月19日に検察側と弁護側が双方意見を述べ合う最終弁論が開かれ、検察側は「何ら落ち度のない4人の若者に激しい集団暴行を加え、犯行を隠すために次々と殺害した自己中心的な犯行で、結果はあまりにも悲惨で重大。死刑以外に選択肢はない」と、弁護側は「(各被告人の事件での主体的役割を否定し)『死刑や無期懲役は重すぎる』、(一連の犯行について殺意や計画性を否定し)『未成年者の未熟な集団が引き起こした最悪の結果』」とそれぞれ主張し、控訴審は結審した[新聞報道 57]
同年10月14日、名古屋高裁で控訴審判決公判が開かれ、川原誠裁判長は「犯行は極めて悪質で残虐。非道さは言うべき言葉を見いだせない」「4人の生命が無残にも奪われた結果は誠に重大。3被告人の役割には大差はなく、犯行時少年だったことを考慮しても極刑はやむを得ない」と断罪して第一審判決で傷害致死罪とされた木曽川事件を含めすべての事件について殺人罪を認定、死刑積極適用に動き、KMのみを死刑、KA・HMの2人を無期懲役とした第一審判決を破棄し、一転してKM[注釈 11]・KA[注釈 12]・HM[注釈 13]の全3名にいずれも死刑判決を言い渡した[新聞報道 4]。高裁で犯行当時少年の被告人に死刑判決が言い渡されたのは1996年の東京高裁における市川一家4人殺人事件(1992年発生、2001年最高裁で判決確定)控訴審判決以来であり、日本における同じ少年犯罪で複数の被告人に死刑判決が下された初めての判例でもあった[新聞報道 4]
死刑判決宣告の瞬間3人は青ざめた顔で体をこわばらせ、一方で全員の極刑を求めていた遺族らは涙を拭い頷き、被害者遺族のうち2人(長良川事件被害者Eの両親)は閉廷後の記者会見で「裁判所は実態をきっちり見分けてくれた」と判決を評価しながらも「判決が1つの区切りになったとしても、彼らを許すかどうかは別問題」と語り、別の被害者遺族(長良川事件の別の被害者Cの兄)は「極刑が下っても弟は帰ってこない。私達の苦しみ、悲しみは一生癒やされない」「被告人らは『生きて償いたい』と言う。だが、殺された弟たちはもっと『生きたい』という思いが強かったはず」と、晴れることのない胸の内を語った[新聞報道 4]
3被告人側は判決を不服として10月26日までに全員が上告した(KAは10月18日付、HMは10月24日付、KMは10月26日付)[新聞報道 58]

上告審(最高裁)[編集]

2010年(平成22年)7月8日までに最高裁判所第1小法廷(桜井龍子裁判長)は上告審口頭弁論公判の日程を翌年2月10日に決定した[新聞報道 59]
2011年(平成23年)2月10日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護側は「控訴審判決は少年の精神的未熟さを考慮していない」などとして死刑回避を、検察側は「動機や結果の重大性、遺族の処罰感情に照らし、死刑を回避すべき事情は認められない」と上告棄却を求めた[新聞報道 60]。被害者遺族の一人(Eの父親)は傍聴後、中日新聞の取材に対し「責任転嫁が多い。自分さえよければ、という主張は今回も変わらなかった」と被告人らを批判した上で、「被告人からの(謝罪の)手紙を受け取るのも、法廷での主張との違いを見つけるため」と断言し、未熟な少年には死刑を適用すべきではないとの主張には「法律(少年法)で18歳以上の死刑はあり、回避の理由に当たらない。犯した行為で裁かれるべきだ」と一蹴した[新聞報道 61]
同年3月10日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は「11日間という短期間に犯行を重ねており、執拗で残虐。地域社会に与えた影響は大きい」として上告を棄却し、控訴審で言い渡された元少年3人への死刑判決が確定した[判決文 2][新聞報道 1]。少年事件で死刑判決が確定するのは1992年に発生した市川一家4人殺人事件(2001年判決確定)の犯行当時19歳の少年死刑囚(2016年現在東京拘置所収容中)以来、平成の少年事件では2件目(4人目)であり、少年事件で複数の被告人の死刑が同時に確定するケースは最高裁判所が把握している1966年以降初となる[新聞報道 1]
KMは所内のラジオ放送で判決内容を知り、判決翌日の2011年3月11日午前、名古屋拘置所で弁護人の山下幸夫[新聞報道 62]と面会した[新聞報道 63]。弁護人が判決要旨を読み上げるとKMは「少年事件への厳罰化と受け止めた。判決は政治的な判断」という趣旨の感想を伝え、再審請求の希望を口にした[新聞報道 63]。判決に動揺した様子はなく、今回の判決で事件当時未成年だった自分たち3人を実名報道するか匿名報道を続けるかで各報道機関の対応が分かれた(後述)点にも関心を示していたという[新聞報道 63]。また、同日午前にKAと面会した別の弁護人によれば、KAはこの判決について「重く受け止めている」と話したという[新聞報道 63]
弁護側は3月22日付で最高裁に判決訂正を申し入れた[新聞報道 64]が同30日付で棄却され、3人の死刑判決が正式に確定した[新聞報道 65][新聞報道 66]

実名報道[編集]

主犯格の被告人であるKM・KA・HMの3人全員に控訴審判決で死刑判決が下された直後に発売された『週刊新潮』2005年10月27日号は「史上最凶『リンチ殺人』で死刑判決なのに新聞が載せない元少年の『実名と顔写真』」と題した記事でKM・KA・HMの3人を実名報道し、うちKM・KAの2人については顔写真も掲載した[雑誌報道 2][新聞報道 67][新聞報道 68]。同誌編集部はこの事件について『3人が死刑判決を受けるほどの凶悪無比な犯罪であり、被害者遺族の被害感情も峻烈であることを考慮し、実名報道すべきと判断した」とコメントし[新聞報道 67][新聞報道 68]、誌上でも同様の説明を入れた[雑誌報道 2]。これに対し、日本弁護士連合会(日弁連)は「少年法の精神を守って同様の報道がないよう強く要望する」との声明を出した[新聞報道 68]。この時点では在京の新聞・テレビ各社は「少年の更生を目的とする少年法の精神を尊重した」として匿名報道を継続したが、一方で朝日新聞テレビ朝日は死刑が確定した場合は実名報道する方針を既に決めていた[新聞報道 68][注釈 14]。またTBS堺市通り魔事件に関連して触法少年の実名報道を合法とした大阪高裁判決以降、社内で少年犯罪と実名報道について議論を重ねており、テレビ東京日本テレビNHK読売新聞毎日新聞もそれぞれ「今後も検討を続けていく」とした[新聞報道 68]
そして最高裁判決により、「死刑が確定して更生や社会復帰の可能性が事実上なくなった」(読売産経日経)「国家によって人命が奪われる死刑の対象は明らかにされるべき」(読売・朝日)「事件の重大性を考慮」(産経・日経)などの理由から、毎日新聞中日新聞東京新聞)を除く各報道機関[注釈 15]はKM・KA・HMの3人を実名報道した。地元紙の中日新聞東京新聞)は最高裁での死刑判決が覆る可能性がほぼないことから実名報道への切り替えも検討したが、「少年法が求める更生への配慮の必要性はなお消えていない」として結局匿名で報じた[新聞報道 1]。ちなみに、朝日新聞市川一家4人殺人事件の判決確定後の2004年に少年死刑囚については「国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにされているべきだとの判断」から原則実名報道する方針を決めており[新聞報道 5][新聞報道 69]読売新聞産経新聞日本経済新聞もそれぞれ「死刑が確定すれば、更生(社会復帰)の機会はなくなる一方、国家が人の命を奪う死刑の対象が誰なのかは重大な社会的関心事」[新聞報道 6]「死刑が事実上確定し、社会復帰などを前提とした更生の機会は失われます。事件の重大性も考慮」「犯行当時少年だった被告に死刑判決が下された重大性に加え、被告の更生の機会がなくなることも考慮」[新聞報道 7]と実名報道切り替えの理由をそれぞれ紙面で説明している[新聞報道 70]。一方、全国メディアで唯一匿名報道を続けた毎日新聞は「4人の命が奪われた残虐極まりない事件ですが、事件当時は少年だった被告の名前は少年法の理念を尊重し匿名で報道するという原則を、最高裁判決が出たからと行って変更すべきではないと判断しました」「死刑確定後も再審恩赦が認められて社会復帰する可能性が全くないとは言い切れません」[注釈 16]とした上で、「死刑が執行されるような事態になれば、更生可能性はその時点で消えたと解釈することができ、実名報道に切り替えることも改めて検討します」とも補足した[新聞報道 71]。日弁連の宇都宮健児会長は同日、「少年の更生・社会復帰を阻害する実名報道を禁止した少年法の理念は死刑判決でも変わらず、それに反する事態で極めて遺憾。再審や恩赦で少年が社会復帰する可能性は残っており、実名が報道に不可欠な要素とも言えない。今後、実名報道することがないよう強く要望する」との声明を出した[新聞報道 72][新聞報道 1][新聞報道 6]
なお、名古屋拘置所は「撮影はできない」との拘置所長名の注意書きを面会室に掲示している[新聞報道 16]法務省矯正局刑事収容施設法に基づく拘置所長の施設管理権で拘置所面会室への撮影機器の持ち込みを認めていない[新聞報道 73])が、写真週刊誌フライデー』(講談社)2011年5月12日号はKA(当時O姓)と名古屋拘置所で面会した際に撮影したとする写真(KAが面会室で涙をぬぐう様子などを写した3枚)を掲載した[新聞報道 73][新聞報道 16]。フライデー編集部は「本人の同意があったかや撮影方法はコメントしない。編集部独自の判断で、報道に意義があると考えている」としている[新聞報道 16][新聞報道 73]。これを受けて矯正局成人矯正課は「調査結果を踏まえて対処する』とコメント、KAの弁護人の村上満宏は「写真掲載に少年法上の問題はあるが、写真を掲載することで、この死刑囚(KA)を死刑にしてよいのかとの是非を問う意味では理解できる」とコメントした[新聞報道 73]

被害者遺族の動向[編集]

長良川事件の被害者遺族夫妻(同事件で殺害された当時19歳のEの両親)は3人全員の死刑を望んでおり、2003年には長良川河川敷で発見された息子の遺体の写真を初めて名古屋高等検察庁で閲覧した[新聞報道 56]。高検からは「見ないほうがいい」と言われたが、控訴審での証人尋問を前に「息子がどう息を引き取ったのか確認しておきたかった」(母親)ために閲覧を決意したという[新聞報道 56]。控訴審では3人は傍聴席の被害者遺族に会釈するようになったが、夫妻からは裁判官の心証をよくするための演技にしか見えなかったという[新聞報道 56]。父親は控訴審では前述のように意見陳述で「私は貴様らが社会に出てくるのを望んでいない」などと3人を厳しく問い詰め、母親も「私たちは息子を殺されるために育てたのではない。私の大事な宝物を元気な姿で返してもらいたい」と訴えた[新聞報道 56]。控訴・上告中のKMら3人や弁護人からの謝罪の手紙の申し出に対しても「誠実な理由が伝わってこない」として受け取りを拒否した[新聞報道 56][新聞報道 59][新聞報道 74]。上告審口頭弁論期日決定後の2010年10月初旬には息子が殺害された輪之内町の長良川河川敷を含め、事件の経過と同じ時刻に息子がKMらに連れ回された5つの現場を「追悼というより、上告審の前に気持ちを再確認したい」として初めて巡った[新聞報道 75]。上告審口頭弁論直前や判決直後には『中日新聞』『朝日新聞』の取材に対し「私たちの気持ちは事件当時と少しも変わらない。この16年間は長く、負担でした。(死刑)判決が確定しなければ、新しい一歩を踏み出せないのです」(母親)[新聞報道 75]、「(控訴審で死刑の)判決が出た以上、(謝罪の)手紙はいらない。謝罪も贖罪も死刑の二文字にすべて含まれる」(父親)と語っていた[新聞報道 74]。後述のように3人が再審請求を起こしたことについても、Eの父親は『中日新聞』の取材に対し「死刑判決の確定から6年近く経ち、新しい視点や証拠があるとは考えられない。再審請求は、遺族を苦しめるだけで、これまでの反省の言葉は信用できない」と話した[新聞報道 76]
一方で木曽川事件の被害者遺族男性(殺害されたBの兄)は、上告中の2009年4月から弁護人の勧めをきっかけにKAとの面会を重ねるようになり、最高裁に3人の減軽を求める嘆願書も提出していた[新聞報道 75][新聞報道 74]。男性はKAの言動に直接触れ「その場の雰囲気に流されて犯行に及んだのではないか」と考え始め「自分が助けなくては、(KAは)独りぼっちだ」と思うようになったという[新聞報道 75]。男性は面会の度に、分厚いアクリル板越しにKAと手を合わせる「握手」をし、「体温を感じるか」「人を信じろ」と言葉をかけたこともあった[新聞報道 75]。最高裁判決直前の3月4日が最後の面会となり、『朝日新聞』記者が同席する中で男性は「お前は一人じゃないよ。俺の友人だと思っているから」と語りかけた[新聞報道 74]。KAが「最高裁判決の後は会えなくなります」と説明すると、男性は「手紙、待っとるわ。元気でな」と伝えた[新聞報道 74]。KAは「(男性からの)言葉が重い。しっかり反省して償わないといけない。それを少しでも形にしたい」と『朝日新聞』記者に語った[新聞報道 74]。最高裁判決でKAらの死刑が確定することとなった際、男性は『朝日新聞』記者に対し「やるだけのことはやったので仕方ない」と語った[新聞報道 74]

死刑囚らのその後[編集]

2017年(平成29年)現在、収監先は全員が同一ではない。第一審から一貫して死刑判決を受けたKMは東京拘置所名古屋拘置所に収容されていたが、判決確定前の2010年(平成22年)12月に拘置所職員に対し他の収容者に関する情報の漏洩を唆した容疑により国家公務員法違反で書類送検され東京拘置所に移送された。なおこれについては不起訴処分[要出典])に、控訴審で初めて死刑判決を受けたKA・HMは名古屋拘置所に収監されている。

3人の弁護人は2011年5月28日、東京都新宿区内で開かれた市民団体の集会で「互いに虚勢を張りながら暴行をエスカレートさせた少年事件の特質に触れず、第一審で傷害致死罪認定された木曽川事件を殺人罪と認定した最高裁判決は不当」として、いずれの死刑囚も再審を望んでいるとして、近く再審請求する方針を明らかにした[新聞報道 77]

2016年(平成28年)12月、KM・KA両名は第1次再審請求が最高裁の特別抗告審で棄却されたことを受けて直ちに名古屋高裁に第2次再審請求を行い、またこれまで再審請求をしてこなかったHMも同じく名古屋高裁に初の再審請求を起こした(いずれも後述)ことが、2017年(平成29年)3月3日に報じられた[新聞報道 76]

KM
KMは2011年12月16日付で精神科医による精神鑑定の内容を新証拠として提出し「各犯行時は離人症の症状を伴う慢性化した解離性障害であり、心神喪失もしくは心神耗弱状態[新聞報道 78]だった疑いがある」として名古屋高裁に再審請求した[新聞報道 79][新聞報道 80]。これについては2013年(平成25年)2月4日付で名古屋高裁刑事2部(柴田秀樹裁判長)で「再審請求にはこれまでの公判で明らかにならなかった新証拠が必要だが、今回の精神鑑定は新規性を欠く上、証拠価値としても信用性に乏しい」などとして請求棄却の決定がなされた[新聞報道 78][新聞報道 81]。KMは棄却を不服として異議申し立てしたが、2015年(平成27年)12月24日付で名古屋高裁(石山容示裁判長、本事件でかつて第一審判決を担当した)は「証拠は新規性を欠き、価値も乏しい。再審請求の棄却決定に事実誤認や判断の誤りはない」と指摘してKAとともに異議申し立てを棄却した[新聞報道 82]。KMは最高裁に特別抗告するも2016年12月にKA同様棄却され、木曽川事件の被害者Bの死因について事実誤認を主張して直ちに名古屋高裁に第2次再審請求を行った[新聞報道 76]
この再審請求の際、2005年(当時控訴審公判中)に当時KMが収監されていた名古屋拘置所が、KMから預かった公判記録を廃棄していたことが判明した[新聞報道 83][新聞報道 84]。KMは「必要不可欠な資料を廃棄され精神的苦痛を受けた」として2011年5月、国に約600万円の損害賠償を求めて名古屋地裁に提訴した(訴状によると、拘置所は2005年4月に公判記録などを入れた段ボール10箱を預かり、うち3箱を廃棄した[新聞報道 84]。廃棄された段ボール箱の中には少なくともA4用紙8400枚分の資料が入っていたという[新聞報道 83]。その直後名古屋拘置所はKMから閲覧を求められたため、廃棄に気付いて謝罪した[新聞報道 83]。KMはその際にコピー代の負担などを申し出たが話はまとまらなかった[新聞報道 83]。KM側は「記録には自分の意見なども書き込んでいたため、復元はできない」と主張した[新聞報道 83][新聞報道 83][新聞報道 84]。名古屋拘置所は「廃棄は事実だが、裁判中なので詳細は答えられない。当時、その件で処分が出たかどうかも、記録が残っていないため分からない」とした[新聞報道 83][新聞報道 84]
KMとその弁護人は死刑確定後の2011年9月から2014年(平成26年)6月にかけて名古屋、東京両拘置所で、再審請求や民事訴訟の打ち合わせの際に職員が立ち会わないよう求めたが認められなかった[新聞報道 85]。このためKMと弁護士2人は、職員の立ち会わない面会を拘置所が拒んだのは違法として国に損害賠償を求め、東京地方裁判所谷口豊裁判長)は2016年(平成28年)2月23日、「弁護士との『秘密面会』を拒否できるのは、死刑囚が拘置所の秩序を乱したり動揺したりする恐れがある場合に限られる」と指摘した上で「今回はその恐れはなく、裁量の範囲を逸脱している。秘密で面会する利益を侵害した」として国に対し損害賠償計約53万円の支払いを命じた[新聞報道 85][新聞報道 86]
KA
KAは2013年1月8日付で、捜査段階での自白を「捜査官に迎合することで全く虚偽の事件が作られた」と否定するKA本人の上申書と、木曽川事件の被害者Bの死因について「BはKAが暴行を加える以前に他の共犯者らによる暴行によって既に致命傷を負っていた」とする法医学者の鑑定書を新証拠として提出し、名古屋高裁に再審請求した[新聞報道 87]。弁護人は会見の中で「本人の思いは『とにかく事実をもって裁いてほしい』の一点に尽きる。暴行自体に関与したことは争わないが、共謀はなく、殺意もなかった。無罪を言い渡すべき明らかな証拠だ」と述べた[新聞報道 87]。2013年8月19日、名古屋高裁(柴田秀樹裁判長)は「上申書や鑑定書は新規性を欠き、証拠価値についても信用性が乏しい。確定判決は自白調書のみによって認定したものではない。自白調書の信用性を否定する理由は具体的根拠に乏しく、一般論にすぎない」などとして再審請求を棄却した[新聞報道 88]。KAは棄却を不服として異議申し立てしたが、2015年12月24日付でKM同様名古屋高裁(石山容示裁判長)に棄却された[新聞報道 82]。KAは最高裁に特別抗告するも2016年12月にKM同様棄却され、「大阪事件・木曽川事件の当時はシンナーを吸引しており心神喪失状態だった」とする自身の上申書を新証拠として直ちに名古屋高裁に第2次再審請求を行った[新聞報道 76]
HM
HMは控訴中の2003年、閲読後の雑誌3冊を親族に送ることを認められなかったことを不服として弁護士会に人権救済の申し立てを行った[新聞報道 89]。その際、HMはその雑誌を証拠物として提出しようとしたが「閲読後の雑誌は廃棄するのが原則で、既に廃棄済みである」と当時収監されていた名古屋拘置所から告知され、「人権救済の申し立てを侵害された」と主張、国などを相手に約30万円の損害賠償支払いを求めた民事訴訟を起こした[新聞報道 89]。上告中の2006年(平成18年)10月27日、名古屋地裁(松並重雄裁判官)は「裁量権を逸脱し、原告(HM)に精神的苦痛を与えた」として名古屋拘置所所長らの過失を一部認め、国に賠償金5000円の支払いを命じた[新聞報道 89]
死刑確定後の2011年4月から2013年1月にかけて計17回、HMは弁護士や支援者との手紙のやり取りを試みたが、名古屋拘置所により不許可にされた[新聞報道 90]。HMはこれを違法と訴え、国に対し90万円の損害賠償請求訴訟を起こした[新聞報道 90]。2016年(平成28年)2月16日、名古屋地裁(倉田慎也裁判長)は「不許可の判断は権限のある拘置所長ができるが、これを所長ではなく一般職員がした。また、第三者機関からのHMに対する寄付に関する内容で必要性があった」などとして全17回のうち一部の4回を違法だと認め、国に対し3万円の損害賠償を命じた[新聞報道 90]。2017年3月9日付で控訴審・名古屋高裁(藤山雅行裁判長)は弁護士への年賀状など9件の不許可を新たに違法と認定し、一審判決から10万円増額して13万円の賠償を命じた[新聞報道 91]
HMは上告中の2008年(平成20年)8月から2010年2月、計26回にわたって面会者の氏名や面会の日付、手紙や差し入れの内容などの情報を名古屋拘置所の職員(副看守長と看守の2人)によって収容中の共犯者(KM)に漏らされたなどとして、名古屋地裁に対し国に慰謝料160万円の支払いを求める訴訟を起こした[新聞報道 92]。名古屋地裁(堀内照美裁判長、判決は朝日貴浩裁判長が代読)は2014年4月18日「原告(HM)は事件で共犯者と主従関係を争っており、HMが特に情報提供を望まないことは容易に推測できる」「職員の行為は精神的苦痛を与えるものであると言わざるを得ない」として訴えの一部を認め、国に慰謝料10万円の支払いを命じた[新聞報道 92][新聞報道 93]。また、HMは名古屋拘置所の職員2人が2007年(平成19年)から2009年(平成21年)の計21回、当時上告中のHMの手紙や面会の相手・日付、差し入れの内容のほか、事件の鑑定や提訴に関する会話の内容を共犯者に漏らしたとして国に180万円の損害賠償を求め、2016年9月2日に名古屋地裁(加島滋人裁判長)は「情報漏洩はプライバシーの権利や通信の秘密、死刑囚の防御権を侵害しており違法だ」と指摘して国に慰謝料39万円の支払いを命じた[新聞報道 94]
HMは2013年及び2014年の計2回、死刑の執行方法(絞首刑)が記された書籍計6冊のコピーを名古屋地裁に郵送するよう名古屋拘置所に願い出た[新聞報道 95]。これは自身が起こしている国家賠償訴訟の証拠として提出するためだったが、所長は死刑執行方法を記した内容を閲覧させないため不許可処分にした[新聞報道 95]。HM側は裁量権の逸脱を訴えて国に20万円の損害賠償を求めた一方、国側は「証拠となれば死刑の執行方法を閲覧でき、精神的に不安定な死刑囚が拘置所の規律や秩序を害する恐れがあった」と反論していた[新聞報道 95]。2016年1月19日に名古屋地裁(倉田慎也裁判長)は「書籍の閲覧制限が許されるのは、刑事施設内の規律や秩序の維持のため放置できない程度の障害が生ずる蓋然性が必要だが、今回は認められない。所長は裁量の判断を誤った過失がある」と指摘して国に1万円の支払いを命じた[新聞報道 95]。またこれとは別に、HMは2010年から2013年の計13回、死刑執行状況を描写した記事や刑場の写真が掲載された新聞記事や雑誌記事、書籍を読もうとしたが、拘置所がこれらを隠して閲覧させたのに対して国に100万円の損害賠償を求めた訴訟を起こし、2016年8月30日に名古屋地裁(倉田慎也裁判長)「閲覧制限は必要な限度内と法律で定められており、死刑囚が閲覧しても逃走や自殺に及び、拘置所の規律や秩序が維持できなくなる恐れがあったとは認められない」と指摘して国に慰謝料65000円の支払いを命じた[新聞報道 96]
HMはさらに2011年から2014年、弁護士に訴訟の助言や証拠収集などの協力を依頼する文書を送付しようとしたり、死刑執行の状況を記した書籍のコピーを閲覧しようとしたが、名古屋拘置所がいずれも認めなかったのを不服として国に慰謝料70万円の損害賠償請求訴訟を起こし、名古屋地裁(朝日貴浩裁判長)は2017年(平成29年)1月14日に「これらの処分は刑事収容施設法に違反する。HMは権利侵害により精神的損害を被った」として国に慰謝料5万円の支払いを命じた[新聞報道 97]
HMは2016年12月、判決確定前に作成された医師や専門家らの鑑定書を新たな証拠に「一連の事件当時はてんかんの影響で心神喪失状態だった疑いがある。木曽川事件の被害者Bの死因についても確定判決の前提事実に誤りがあり、殺人罪は認定できない」として、名古屋高裁に初の再審請求を行った[新聞報道 76]。HMは関係者への手紙の中で「確定判決の事実認定には誤りがある」などと主張している[新聞報道 76]

HMによる文藝春秋への訴訟[編集]

HM[新聞報道 2](当時K姓)は第一審公判中の1997年(平成9年)、『週刊文春』1997年7月24日号・8月7日号にて「愛知、岐阜、大阪、高知にまたがる連続強盗殺人」などと題した本事件を報じる記事の中で実名にある字と同じ読みの字などを使った仮名(7月24日号ではHMを「主犯格K」(Kは当時の姓)と報じ、8月7日号では本名の漢字4文字のうち2文字の読みが同じで、全体的な音も似ている仮名を使用した[新聞報道 98]。「主犯格K」という表記については第一審で違法性が認定されたが、控訴審では「一般読者にはHMと認識できない」と訴えを退けていた[新聞報道 98])で報じられた(前述の通り、高知県はAの遺体が遺棄された場所であり同県内では殺人は犯しておらず、また強盗殺人罪で起訴されたのは長良川事件のみである)[新聞報道 99]。これに対しHMは「仮名は関係者が見て容易に本人を推測でき、(本人とわかるような記事や写真の報道、出版を禁じた)少年法第61条に違反している。連続した複数の強盗殺人犯と断定され、全く反省がないかのような記述もされた」として[新聞報道 99]プライバシー権の侵害と名誉毀損で大変な精神的苦痛を受けたとし[新聞報道 100]、代理人の弁護士を付けずに[新聞報道 99]同年12月25日付で[新聞報道 2]『週刊文春』の発行元である文藝春秋を相手取り100万円の損害賠償を訴える民事訴訟を名古屋地裁に起こした[新聞報道 100]
文藝春秋側は「仮名は実名を隠すために使われており、容易に本名は分からない。起訴事実から連続の強盗殺人は明らかで、反省がないのは事実」と反論していたが、1999年(平成11年)6月30日、名古屋地裁(水谷正俊裁判長)は「(少年法第61条の趣旨について)たとえ仮名を用いたとしても、本人が容易にわかるような記事の掲載は、将来の更生の観点から実名報道と同様に大きな障害になり、少年法に違反する」「(今回の仮名記事について)仮名は氏及び名ともに全体として音が実名と類似している上、本人の経歴に合う内容が詳細に記述されており、面識のある不特定多数の読者は容易に本人と推知できる」としてHMの訴えの一部を認め、文藝春秋側に30万円の損害賠償を支払うよう命じた[新聞報道 99]。これに対し、文藝春秋の雨宮秀樹社長室長(当時)は「少年法の精神を遵守し、加害少年の氏名を仮名として一般読者からプライバシーの推知ができないようにした。判決は極めて心外」「少年事件をめぐる裁判はこのところ、当たり前の市民感覚とかけ離れてきているのではないか」と批判し[新聞報道 99]、文春側が控訴した。文藝春秋側の代理人の古賀正義弁護士は「仮名が実名に似ていたとしても、それが加害少年を指すとわかるのは少年の知り合いだけ。その人たちは既に(HMが)犯人と知っている」と指摘し、「仮名報道で賠償を認めた例など聞いたことがない。驚くべき判決だ」「19歳と成人に限りなく近い少年の実名を出すことにあまりに神経質になるのはどうなのか。公益性がある場合なら、少年でも実名報道があってもいいのでは」と指摘した[新聞報道 99]。この判決の約1か月前の6月9日には堺市通り魔事件の少年被告人の実名・顔写真を新潮社月刊誌新潮45』が報じたことに対し「実名や写真を掲載する特段の公益上の必要性はなかった」として、大阪地裁から新潮社に対し損害賠償を命じる初判断が示されていた[新聞報道 99](その後破棄、2000年2月の大阪高裁控訴審では実名報道を容認する判決)。
2000年(平成12年)6月29日、名古屋高裁(宮本増裁判長)は「仮名は氏・名ともに音が実名と類似しており、面識のある不特定多数の読者は容易に本人と分かるとしてプライバシー侵害を認定、記事掲載は「少年法に基づいたHMの法的利益より、社会的利益が強く優先される特段の事情があったとは言えない」と結論付け、第一審判決を支持して控訴を棄却した[新聞報道 101]。少年による凶悪犯罪が多発していた当時[注釈 17]の現状に触れ、刑事裁判を受けている少年まで匿名で保護する必要があるか否かについては「この問題は高度の立法裁量に属する事柄」とし「保護の必要性については、少年の権利などを総合的に検討し、慎重に決定されるべきだ」とした[新聞報道 101]。判決の中では日本国憲法第13条個人の尊厳)のほか国連子どもの権利条約」も引用し、実名報道などを禁じた少年法第61条について「少年の人権を守るための制約であり、国民の知る権利も一定の限度で譲歩すべきだ」と総合的に判断した一方「少年の利益よりも社会的利益を擁護する要請が強く優先されるなど、特段の余地がある場合には実名報道などの違法性が免責される」と認定し、少年事件でも実名報道が許される余地を認めた[新聞報道 101]。文藝春秋側は判決についてのコメントで「仮名にしてさえ、少年殺人犯の名誉が傷つくというのか。同じことなら、いっそ実名報道すればよかったとすら思わせかねない。判断は根本的に間違っている」と反発し[新聞報道 101]上告した。
2003年(平成15年)2月7日、最高裁第2小法廷(北川弘治裁判長)は上告審口頭弁論を開き、文藝春秋側は「(控訴審の)名古屋高裁判決は、少年法の規定は公益目的でも一律に報道を禁止するものだと解釈しているが、表現の自由を謳った日本国憲法第21条を優先すべきだ」と主張した[新聞報道 102]。同年3月14日、最高裁は「本人と分かる報道を禁じた少年法に違反するのは、面識のない不特定多数が推測できる場合」とする最高裁としての初判断を示し、その上で、記事がHMのプライバシー権を侵害していることは認めたが「使用された仮名では不特定多数の人が本人だと推し量ることはできない」と述べ、少年法に違反しないと判断した[新聞報道 98]。そして、仮に名誉を毀損する内容の記事であったとしても、違法となるかどうかは「公益性などとの比較で個別・具体的に判断すべきだ」と述べ、文藝春秋側への損害賠償を命じた控訴審判決を破棄して審理を名古屋高裁に差し戻しした[新聞報道 98]。少年法第61条の規定が、少年の「報道されない権利」まで認めたものかどうかは判断しなかった[新聞報道 98]
2003年5月30日、名古屋高裁(熊田士郎裁判長)で差し戻し控訴審第一回口頭弁論が開かれ、HM側は「記事掲載によって名誉毀損やプライバシー侵害、成長発達権の侵害という不法行為が成立する」との準備書面を陳述した[新聞報道 103]。文藝春秋側は9月12日の口頭弁論で反論した[新聞報道 103]
2004年(平成16年)5月12日、名古屋高裁(熊田士郎裁判長)は本事件の刑事裁判を傍聴した被害者遺族の両親の手記で構成した記事の内容に触れ「記事に私利私欲を追及する意図はない。少年犯罪に対する国民の関心が高まっていたことを考慮すると、記事を公表する理由は公表されない法的利益より優越する」(ただし、記事中で刑事裁判を傍聴したことになっている筆者が実は一度も傍聴に行っていなかったという虚偽を認定した)「極めて凶悪かつ重大な犯罪であり、少年犯罪に関心が高まっていたことや社会への影響を考慮すると、HMは犯罪事実などの公表を受認しなければならない。将来の更生に妨げになる可能性を否定できないとしても、HMの経歴を含めて公表の必要性は認められ、社会的な意義がある」とし、文藝春秋側が逆転勝訴した[新聞報道 104]。文藝春秋側は「我々は少年法の精神を遵守し、かつ加害者のプライバシーにも十分配慮して仮名報道とした。今回(HM側の)訴えがすべて退けられたのは当然のことだ。これを機に、迷走する司法という昨今の悪い風潮への歯止めとなることを願っている」とコメントした[新聞報道 104]
HM側は上告したが、2004年11月2日付で最高裁第3小法廷(上田豊三裁判長)は『記事に書かれたプライバシーの範囲は限定的でHMの被害は小さく、更生の妨げとなる可能性はあるが記事を公表する社会的意義が勝る」としてHMの上告を棄却し、文藝春秋側逆転勝訴とした差し戻し控訴審判決が確定した[新聞報道 105]

共犯者らの裁判[編集]

共犯者の少女2人(W子、Y子)は少年院送致された[新聞報道 2][新聞報道 106][新聞報道 107]。その他5人の共犯者らは主犯格3人同様に起訴され、主犯格3人の第一審結審までに刑事裁判でいずれも有罪判決(当時19歳の少年だったTとXの2人は懲役4年以上8年以下の不定期刑[新聞報道 21][新聞報道 108]、当時既に成人だったUは懲役1年8月の実刑判決[新聞報道 21]、VとZの2人は共に懲役3年執行猶予4年[新聞報道 109][新聞報道 110])が確定した[新聞報道 2]

T(大阪事件)
Tは1995年9月12日、大阪地裁(谷口敬一裁判長)で「遊び仲間にバカにされたくないため、直視しがたいほど残忍な犯行に加わった。身勝手な犯行だが、反省しており更生の可能性もある」として懲役4年以上8年以下の不定期刑(懲役5年以上10年以下求刑)を受けた[新聞報道 21]
U(大阪事件)
Uは大阪事件の死体遺棄罪で1995年4月21日に大阪地裁(竹田隆裁判官)から「遺体を廃棄物のように捨てるなど刑事責任は重いが、反省もしている」として懲役1年8月(求刑懲役2年6月)の実刑判決を受けた[新聞報道 111]
Z、Y子、V(木曽川事件・長良川事件)
1994年11月3日、木曽川事件での殺人容疑で愛知県警捜査一課と一宮署はZ、X両名(同日、長良川事件の逮捕・監禁、強盗致傷罪で起訴)とY子(同日、長良川事件については処分保留)の3人を再逮捕した[新聞報道 112]
Y子は12月16日に名古屋家裁一宮支部(寺本嘉弘裁判官)での審判で少年院に送致する決定が下された[新聞報道 106]
1994年12月5日、名古屋地検はZを木曽川事件での殺人罪で、Vを同事件での傷害致死ほう助罪(現場には居合わせたが殺害には加担しなかったため)でそれぞれ名古屋地検に起訴した[新聞報道 113]
1995年1月31日に木曽川・長良川事件で殺人、強盗致傷の罪に問われたZと逮捕・監禁、傷害致死ほう助の罪に問われたVの初公判が名古屋地裁で開かれ、検察側は木曽川事件について「Bへの集団リンチや殺害の際、Zはシンナーを吸っていて暴行を止めず、KMらと共にぐったりしたBを河川敷の雑木林に引きずり、放置して殺害した。Vは車を運転し、BやKMらを犯行現場に運んだ」と、長良川事件については「両名はKMらと行動を共にした上、Dを車内に監禁して連れ回した際に逃げ出さないように監視していた。CとEが暴行を受けて殺害される際、パイプで殴る音が聞こえると、Vが『あの音、なんの音かわかるか』『あの人たちはヤクザだ』と言ってDを脅していた」とそれぞれ冒頭陳述で述べ、Vは「両事件とも犯行現場には同行したが、共謀も含め犯行には加わっていない」として無罪を主張した一方、Xは「実行犯ではないが、事件への関与は間違いない」と大筋で容疑を認めた[新聞報道 33]。12月8日、Vに対し名古屋地検は「犯行の態様は執拗で冷酷、非情で、結果は重大。被害感情も厳しい。Vの犯行は事件で必要不可欠だった」として懲役7年を求刑した[新聞報道 114]
1996年(平成8年)3月19日、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)「Vは加害者側の立場にあった反面、KMらに脅されるなど同情すべき点があり(最も罪の重い)強盗致傷罪での共謀は認められない」「(捜査当局の取り調べについて)誘導的な理詰めの取り調べで、犯行を認める供述を引き出した面がある」としてVに懲役3年執行猶予4年(保護観察付)の有罪判決を言い渡した[新聞報道 109]。控訴せず確定[新聞報道 115]
Zについては1996年11月15日、「共犯者の暴行で重傷を負ったBを木曽川河川敷の雑木林に引きずり込み放置して死亡させるなど、犯行は冷酷、非情で、被害者感情も厳しい。刑事責任は厳しく追及されるべきだ」として検察側から懲役7年が求刑されたのに対し弁護側は「共謀も含め犯行には関わっていない」と無罪を主張した[新聞報道 115]1997年(平成9年)3月5日、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)は「Zは加害者側の立場にあった反面、KMらに脅されるなど同情すべき点があり、殺人や強盗の共謀は認められない」「殺害の動機はなく、Bを遺棄しKMらの殺人行為を容易にしたに過ぎない」として、殺人ほう助などでZに対し懲役3年執行猶予4年の有罪判決を言い渡した[新聞報道 110]
X、W子(木曽川事件)
1994年11月2日、名古屋地検一宮支部は木曽川事件についてXを殺人、W子を傷害致死の容疑で名古屋家裁一宮支部に送致した[新聞報道 116]
その後、名古屋家裁一宮支部(寺本嘉弘裁判官)は11月25日に審判を開き、Xを殺人罪で刑事処分相当として名古屋地検に逆送致し、W子を傷害致死罪で少年院に送致する決定を下した[新聞報道 107]。Xは12月2日、名古屋地検により殺人、傷害の罪で名古屋地裁に起訴された[新聞報道 117]
Xの初公判は1995年1月31日に名古屋地裁で開かれ、罪状認否でXは起訴事実を大筋で認めたものの「殺人に当たるかどうかわからない」と述べ、弁護人は「未必の故意の限度で殺人罪の成立を認める」と述べた[新聞報道 29]。5月18日の論告求刑公判で、検察側は「事件はシンナー吸引癖との関連を否定できず、厳重な更生教育が必要」「些細な動機から無抵抗の被害者に執拗な集団暴行を加え、重大な結果をもたらした。追従的立場であっても刑事責任は重い」としてXに懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑(当時、少年に対する有期懲役としては上限の求刑)、弁護側は最終弁論で「Xの犯罪行為への関与は従属的で、深く反省している」として寛大な判決を求めた[新聞報道 118]
7月6日の判決公判で名古屋地裁(油田弘佑裁判長)は「Yの加えた暴行はKMらと暗黙の共謀関係があった。殺意も確定的だった」「執拗かつ残忍な暴行の上、落ち度のない被害者を理由もなく殺害した刑事責任は重い」などとし、情状面では「Xの暴行は致命傷を与えたとはいえず更生の可能性もある」としてXに懲役4年以上8年以下の不定期刑を言い渡した[新聞報道 108]。控訴せず確定[新聞報道 115]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 逮捕当時の報道では本籍愛知県稲沢市[新聞報道 8]
  2. ^ 逮捕・公判当時の報道では和歌山県[新聞報道 11][新聞報道 12][新聞報道 13][新聞報道 14]西牟婁郡串本町〈当時、現在は東牟婁郡串本町〉生まれ[新聞報道 15]。3人の中では所属暴力団において最も上位[判決文 1][判決文 2]で、KMとの初対面時は山口組所属と自称した[雑誌報道 1]。最高裁判決時点では旧姓Ko[新聞報道 5][新聞報道 6][新聞報道 7]、死刑確定後Oに改姓[新聞報道 16]、現姓Ku[新聞報道 17]
  3. ^ 逮捕・公判当時の報道では兵庫県[新聞報道 14]神戸市生まれ[新聞報道 15]。旧姓K[新聞報道 5][新聞報道 6][新聞報道 7]
  4. ^ なお、殺害された2人がリンチされている間Dは堤防道路上の車に監禁されており、犯行グループから「あの音が聞こえるか。あれはCたちを殴っている音だ」「あの人たちはヤクザだ」などと脅されていた[新聞報道 33][雑誌報道 3]
  5. ^ この時点で既に永山則夫連続射殺事件以降にも、名古屋アベック殺人事件市川一家4人殺人事件で犯行当時少年の被告人に第一審で死刑判決が出ているにも関わらずである。
  6. ^ 後の闇サイト殺人事件でも裁判で実行犯3人の仲違い、またそれによる責任の押し付け合いが見られた。
  7. ^ 「4人殺害すべての実行行為者で、反社会性は顕著。当時少年で反省の兆しが現れるようになったことなど情状を最大限考慮しても極刑はやむを得ない」とされた[新聞報道 3]
  8. ^ KMとの共謀共同正犯が認定されたものの、「追従的な立場で、暴行や矯正可能性などの程度がKMと異なる」として死刑選択を回避した[新聞報道 3]
  9. ^ 前者は控訴審(名古屋高裁)で無期懲役に減軽され確定、後者は被告側控訴及び上告棄却(それぞれ東京高裁・最高裁)で死刑確定し、平成の少年犯罪では初の少年死刑囚になった。
  10. ^ 東京高裁判事、名古屋地裁判事、津地裁津家裁所長などを経て2002年3月より名古屋高裁判事に[新聞報道 4]。名古屋高裁転属前は勝田清孝事件の死刑判決や、別件逮捕を理由に無罪判決を言い渡した蛸島事件判決などにも関わった[新聞報道 4]。2003年のドラム缶女性焼殺事件控訴審判決では第一審死刑判決を支持して被告人側控訴棄却、2005年2月3日に言い渡された愛知県扶桑町強盗殺人事件(2003年11月18日発生)控訴審判決では第一審・名古屋地裁一宮支部の懲役15年判決(2004年9月8日付、法定刑である無期懲役求刑に対し自首を認定して減軽)を破棄して求刑通り無期懲役を言い渡した[新聞報道 4]。この事件の控訴審判決の直後の11月16日に定年退官した[新聞報道 4]
  11. ^ 「重大な結果を導く発端を作るなど終始主導的立場で、他の共犯者らを被害者4人の殺害に向かわせ、自ら積極的に激しい攻撃を執拗に加えるなどして犯行を強力に推進し、最も中心的で際立って重要な役割を果たしている」とされた[判決文 1]。なお、本文で述べた通り木曽川事件については「傷害致死→殺人」と事実認定そのものを見直したため、第一審同様死刑判決を受けたKMについても控訴棄却ではなく、検察側の控訴を認めて一旦原審を破棄した上でKA・HMとともに改めて死刑判決が言い渡された。
  12. ^ 「所属暴力団の中では3人の中で最上位であることの影響力を行使し、KMとともに主導的立場で犯行を推進するとともに、被害者らに激しい暴行を加えるなど、実行行為にも積極的に加わり、木曽川・長良川事件においても、事件全体を通じて極めて重要な役割を果たしており、その点ではKMやHMとの間にはさほどの差異はない」とされた[判決文 1]
  13. ^ 所属暴力団における序列が3人の中では一番下ではあったが「殺害の動機を形成するに至った暴行に自ら積極的に関与し、KM・KAから被害者の殺害を暗に促されるや、ためらうことなく賛成し、進んで殺害に着手したり、凶器を準備し、殺害の早期実行を決め、率先して被害者への攻撃に出るなど、犯行を強力に推進し、重要な役割を果たした」とされた[判決文 1]
  14. ^ 朝日新聞は2004年6月5日付の報道より適用している指針「事件の取材と報道2004」において「犯行当時少年でも死刑判決が確定した場合、匿名報道する最大の理由である更生(社会復帰)への配慮の必要性が基本的に消える。死刑が誰に対して執行されるのかは、権力行使の監視の意味でも社会に明確にされるべきだ」として、少年死刑囚については原則実名報道することを決めた[新聞報道 69]
  15. ^ 全国メディアでは毎日新聞を除く各全国紙読売新聞[新聞報道 6]朝日新聞[新聞報道 5]産経新聞日本経済新聞[新聞報道 7])と時事通信共同通信NHK在京キー局日本テレビフジテレビTBSテレビ朝日テレビ東京)が実名報道に切り替えた(フジテレビは『週刊新潮』に顔写真が唯一掲載されなかったHMも含め、3人の顔写真も報じた。テレビ朝日は最高裁判決時点では匿名で報じたが、正式に確定後実名報道に切り替えた)[新聞報道 1]。なお、後の光市母子殺害事件石巻3人殺傷事件では本事件と異なり最高裁判決時点から実名報道に切り替えたテレビ朝日を除き、各マスメディアは本事件での対応を踏襲している。
  16. ^ このような反論に対して『読売新聞』は「もし、そのような(再審請求が認められて結論が覆るなどの)結果となれば、なおさら重大な出来事であり、やはり実名とともに歴史に記載されるべきだと考える」としている[新聞報道 6]
  17. ^ 本事件以降にも2000年までに神戸連続児童殺傷事件光市母子殺害事件西鉄バスジャック事件などが発生していた。

判決文[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 名古屋高等裁判所刑事第2部 2005年(平成17年)10月14日判決:平成14年(う)27号 裁判官:川原誠(裁判長)・村田健二・堀内満(出典:高等裁判所刑事裁判速報集〈平17〉号270頁/D1-Law.com判例体系 ID:28115419)
    『中日新聞』2005年10月15日朝刊33面「連続リンチ殺人 控訴審判決要旨」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 最高裁判所第一小法廷判決 2011年(平成23年)3月10日、事件番号:平成17(あ)2358
    『中日新聞』2011年3月11日朝刊26面「連続リンチ殺人最高裁判決要旨」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 名古屋地方裁判所刑事第2部 2001年(平成13年)7月9日判決:平成7年(わ)459号/平成7年(わ)460号/平成7年(わ)629号/平成7年(わ)1035号/平成7年(わ)2078号/平成7年(わ)535号 裁判官:石山容示(裁判長)・島田一・右田晃一(出典:D1-Law.com判例体系 ID:28065269)
    『中日新聞』2001年7月10日朝刊31面「連続リンチ殺人判決要旨(上)中心的立場 極刑やむを得ず」「連続リンチ殺人判決要旨(下)」
  4. ^ a b c d e f g h i j k 長良川リンチ殺人事件報道訴訟 第一審(名古屋地方裁判所民事第4部 1999年(平成11年)6月30日判決:平成9年(ワ)5034号)

出典[編集]

以下の出典において、記事名に本事件当事者らの実名が使われている場合、その箇所を本項目で用いているその人物の仮名とする。

新聞報道出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 中日新聞』2011年3月10日夕刊1面「元少年3人死刑確定へ 連続リンチ殺人 事件から17年『社会への影響大』最高裁が上告棄却」
    『中日新聞』2011年3月11日朝刊1面「元少年3人死刑確定へ 連続リンチ殺人 最高裁が上告棄却 『結果重大 やむなし』」「―なぜ匿名報道か― 更生になお配慮必要」
    『中日新聞』2011年3月11日朝刊31面「実名『更生する可能性なく』 報道各社対応割れる 匿名『少年法の精神基づく』」
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『中日新聞』2000年12月28日朝刊1面「木曽・長良川リンチ殺人 3被告に死刑求刑 名地検 『少年(当時)でも矯正無理』」
    『中日新聞』2000年12月28日朝刊25面「息子奪われた悔しさ今も 木曽・長良川リンチ求刑 涙の遺族『死刑に』 『少年でも許されぬ』」
  3. ^ a b c d e f g 『中日新聞』2001年7月10日朝刊1面「主導の19歳(当時)に死刑 リンチ殺人で名地裁判決 『強固な殺意 集団の推進力』追従2人は無期」
    『中日新聞』2001年7月10日朝刊33面「遺族『何だ、これは』 連続リンチ殺人判決 7年間の涙乾かず『墓前にどう報告…』」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『中日新聞』2005年10月15日朝刊1面「元少年3人に死刑 連続リンチ殺人 『役割に大差ない』名高裁 2人無期の一審破棄」
    『中日新聞』2005年10月15日朝刊3面「少年事件厳罰化拍車か 連続リンチ殺人元少年3人に死刑 死刑の選択基準明確化」
    『中日新聞』2005年10月15日朝刊33面「連続リンチ殺人控訴審判決要旨『連続リンチ事件の経過』」
    『中日新聞』2005年10月15日朝刊36面「遺族癒えぬ悲しみ あの子は帰らない」
    『中日新聞』2005年10月15日朝刊37面「3被告身じろぎせず 連続リンチ殺人全員『死刑』 遺族に深々一礼も 弁護人は『頭真っ白』」
  5. ^ a b c d e f g 朝日新聞』2011年3月11日朝刊1面「元少年3人死刑確定へ 最高裁 4人殺害『責任重大』」
  6. ^ a b c d e f g h i 読売新聞』2011年3月11日朝刊1面「元少年3人死刑確定へ 連続リンチ殺人 最高裁、上告棄却」
    『読売新聞』2011年3月11日朝刊37面「元少年3人の死刑確定へ 実名、報道すべき関心事」
  7. ^ a b c d e f g 日本経済新聞』2011年3月11日朝刊43面「元少年3人死刑確定へ 連続リンチ殺人 最高裁上告棄却『4人次々 結果重大』」
  8. ^ a b c d e f g h i j k 『中日新聞』1994年10月15日朝刊社会面31面「主犯格の少年逮捕 長良・木曽川のリンチ殺人 同じ仲間の犯行 逃走中、別の事件も 一宮署に出頭 全面的に容疑認める」
  9. ^ a b 『中日新聞』1994年11月26日夕刊13面「別の強盗で再逮捕 連続リンチ主犯格少年 津島で3万円奪う」
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m 『朝日新聞』1995年2月1日朝刊23面「陰惨な犯行、克明に 連続リンチ殺人冒頭陳述【名古屋】」
  11. ^ a b 『中日新聞』1994年10月16日朝刊31面「さらに1人逮捕 長良川事件」
  12. ^ a b 『中日新聞』1994年10月24日朝刊23面「大垣へ身柄移送 手配の少年逮捕 長良川リンチ殺人」
  13. ^ a b 『中日新聞』1994年11月15日朝刊29面「少年を再逮捕 木曽川事件殺人容疑」
  14. ^ a b c 『中日新聞』1994年11月19日朝刊31面「長良川・木曽川リンチ殺人 大阪でも人殺した 第4の殺人 少年自供『高知に捨てた』」
  15. ^ a b c d 『中日新聞』1995年6月27日朝刊23面「罪状認否持ち越す リンチ殺人の主犯格初公判」
  16. ^ a b c d 死刑囚との面会写真を掲載 週刊誌「フライデー」”. 日本経済新聞 (2011年5月12日). 2017年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月8日閲覧。
  17. ^ 『朝日新聞』2015年12月26日朝刊29面「連続リンチ殺人の異議棄却【名古屋】」
  18. ^ a b 『中日新聞』1994年11月22日夕刊13面「4人目被害者の遺体本格捜査へ リンチ殺人」
  19. ^ 『中日新聞』1994年11月30日夕刊13面「Aさん殺害容疑で2人指名手配 連続リンチ殺人」
  20. ^ a b 『中日新聞』1994年11月27日朝刊31面「大阪出身少年も逮捕 連続リンチ Aさん殺害 さらに1人手配へ」
  21. ^ a b c d e 『中日新聞』1995年9月12日夕刊10面「連続リンチ殺人 少年に不定期刑 大阪の事件で判決」
  22. ^ a b c d e 『朝日新聞』1994年11月22日夕刊11面「高知の山中であす遺体捜索 連続リンチ殺人事件【大阪】」
    『朝日新聞』1994年11月22日朝刊27面「大阪の少年を逮捕 Aさん殺害し、死体遺棄容疑【大阪】」
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  24. ^ a b 『中日新聞』1994年11月24日朝刊27面「歯形でAさんと断定 リンチ・高知の遺体」
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    『朝日新聞』1998年8月14日夕刊11面「『大阪事件』を併合、一括審理に 3府県連続リンチ殺人【大阪】」
  26. ^ a b c d e f 『中日新聞』1994年11月13日朝刊オピニオン7面「記者の眼/凶暴な若者 その心模様は… 上田寿行」
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    『中日新聞』1994年10月14日朝刊31面「長良川・木曽川リンチ殺人 若者、歯止めなき暴走 動機不明、命もてあそぶ」
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『朝日新聞』1994年10月30日朝刊27面「口論になった、髪が赤い だからリンチして死なせた(第2報)」
  29. ^ a b c d 『中日新聞』1995年1月31日夕刊11面「連続リンチ殺人木曽川事件初公判『殺人に当たるかわからない』少年 起訴事実は大筋認める」
  30. ^ a b 『朝日新聞』1994年10月15日朝刊31面「主犯格の少年出頭 岐阜・愛知リンチ殺人」【名古屋】
  31. ^ 『朝日新聞』1994年10月14日朝刊27面「木曽川河川敷にも遺体 長良川リンチ事件の2参考人が供述」【名古屋】
  32. ^ 『中日新聞』1994年10月9日朝刊31面「岐阜・輪之内の河川敷遺体 2人とも尾西の男性 暴行後に現場に運ぶ?」
  33. ^ a b 『中日新聞』1995年2月1日朝刊27面「連続リンチ殺人 3被告初公判 V被告は無罪主張 検察側冒頭陳述 Bさん放置し殺害」
  34. ^ 『中日新聞』1994年10月16日朝刊社会面31面「叫ぶ被害者めった打ち 連続リンチ殺人 シンナーかけ火・木曽川事件 無抵抗者助かる・長良川事件」
  35. ^ 『朝日新聞』1994年10月13日夕刊11面「グループ1人逮捕、ほか2人指名手配 長良川リンチ事件【名古屋】」
  36. ^ a b c d e 『中日新聞』1994年10月8日夕刊13面「河川敷に男性2遺体 殺人?頭部に殴打痕 周りに血痕 岐阜・輪之内町 長良川堤防下」
  37. ^ 『朝日新聞』1994年10月12日夕刊「容疑の4人特定 長良川のリンチ 岐阜・輪之内町【名古屋】」
  38. ^ 『朝日新聞』1994年10月14日夕刊7面「『木曽川』も関与 長良川リンチ容疑者の6人【名古屋】」
  39. ^ 『中日新聞』1994年11月4日夕刊13面「主犯格の少年再逮捕 長良川リンチ殺人」
  40. ^ 『中日新聞』1994年10月15日夕刊13面「手配の容疑者 さらに1人逮捕 長良・木曽川リンチ」
  41. ^ a b c d e 『中日新聞』1994年11月2日朝刊31面「長良・木曽川リンチ殺人 主犯格の容疑者 仲間2少女殺害も計画 グループ内で漏らす 通報を恐れ?別の仲間 怖くなり警察へ」
  42. ^ a b c 『中日新聞』1994年11月22日朝刊31面「4人目の被害者は大阪の23歳男性 長良・木曽川リンチ殺人」
  43. ^ 『中日新聞』1994年12月6日朝刊23面「さらに2人を再逮捕 連続リンチ殺人事件」
  44. ^ 『中日新聞』1994年12月28日朝刊21面「大阪の事件で3人家裁送致 連続リンチ殺人」
  45. ^ a b c 『中日新聞』1995年1月19日朝刊第二社会面30面「主犯格少年ら2人『刑事処分が相当』長良川・木曽川リンチ殺人」
  46. ^ 『中日新聞』1995年2月10日朝刊39面「連続リンチ殺人 残る少年を逮捕 大垣署、長良川事件」
  47. ^ 『中日新聞』1995年3月4日朝刊35面「19歳少年を再逮捕 長良・木曽リンチ殺人」
  48. ^ a b 『中日新聞』1995年3月25日朝刊34面「リンチで主犯格ら起訴」
  49. ^ 『中日新聞』1995年4月29日朝刊31面「主犯格の少年起訴 連続リンチ殺人 木曽・長良川事件」
  50. ^ a b c 『中日新聞』1995年8月21日夕刊11面「少年3人、殺意を否認 リンチ殺人第2回公判 事実関係は認める 名古屋地裁」
  51. ^ 『中日新聞』1998年5月14日朝刊27面「連続リンチ殺人 愛知、岐阜2事件 一転、共謀認める 3被告のうち1人 名地裁公判」
  52. ^ 『中日新聞』1998年5月28日朝刊30面「新たに1被告が起訴事実認める 連続リンチ殺人公判」
  53. ^ 『中日新聞』2001年3月1日朝刊34面「木曽川・長良川連続リンチ殺人 涙流し『生きて償う』名古屋地裁 3被告訴え結審」
  54. ^ a b 『中日新聞』2001年7月24日朝刊25面「連続リンチ殺人 殺人罪求め控訴 名地検『3被告共通の事実』」
  55. ^ 『中日新聞』2003年5月26日夕刊1面「3被告の死刑求める 木曽川・長良川リンチ殺人控訴審 検察『悪質さ同じ』名高裁初公判」
    『中日新聞』2003年5月27日朝刊1面「長良川・木曽川連続リンチ殺人 3被告『矯正可能』名高裁控訴審で主張」
  56. ^ a b c d e f 『中日新聞』2005年10月12日朝刊33面「木曽川・長良川連続リンチ死 名古屋高裁14日判決 償いの言葉響かない」「無念胸に11年 3被告見つめる遺族」
    『東京新聞』2005年10月14日夕刊11面「連続リンチ高裁判決 『殺人認定』つば飲む被告 遺族は大きくうなずく」「3被告に極刑 思い変わらず」
  57. ^ 『中日新聞』2005年8月20日朝刊37面「木曽川・長良川連続リンチ殺人 死刑妥当の是非争点 控訴審結審 判決は10月14日」
  58. ^ 『中日新聞』2005年10月19日朝刊30面「被告1人が上告 連続リンチ殺人」
    『中日新聞』2005年10月24日夕刊11面「元少年上告2人目 連続リンチ殺人」
    『中日新聞』2005年10月27日朝刊30面「元少年全員が上告 連続リンチ殺人」
  59. ^ a b 『中日新聞』2010年7月9日朝刊28面「来年2月に最高裁弁論 連続リンチ殺人 二審死刑3被告」「遺族『待っていた』」
  60. ^ 『中日新聞』2011年2月11日朝刊1面「元3少年の死刑回避を 連続リンチ殺人 上告審弁論で弁護側」
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    『中日新聞』2004年5月13日朝刊30面「知る権利と報道被害 逆転判決 揺れた司法 『少年報道』文春が勝訴 名高裁差し戻し審」
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  113. ^ 『中日新聞』1994年12月6日朝刊23面「『木曽川事件』で2容疑者を起訴」
  114. ^ 『中日新聞』1995年12月8日夕刊19面「『執ようで冷酷非情』X被告に7年求刑 連続リンチ事件」
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  116. ^ 『中日新聞』1994年11月3日朝刊30面「少年と少女を家裁送致」
  117. ^ 『中日新聞』1994年12月2日朝刊38面「一宮の少年も起訴 木曽川リンチ事件」
  118. ^ 『中日新聞』1995年5月18日夕刊11面「連続リンチ殺人木曽川事件 少年に懲役5 - 10年求刑 名地検『追従でも責任重い』」

雑誌報道出典[編集]

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  2. ^ a b c d e f g h i j k l 週刊新潮』2005年10月27日号巻頭グラビア、p.33-37「[特集]「史上最凶『リンチ殺人』で死刑判決なのに新聞が載せない 元少年3人の『実名と顔写真』」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 『週刊文春』1995年7月13日号p.173-176「短期集中連載2 大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件『十日間で四人惨殺 少年ヤクザの「冷血」』(山本徹美:ジャーナリスト)」

参考文献[編集]

参考判決文[編集]

  • 名古屋地方裁判所刑事第2部 2001年(平成13年)7月9日判決:平成7年(わ)459号/平成7年(わ)460号/平成7年(わ)629号/平成7年(わ)1035号/平成7年(わ)2078号/平成7年(わ)535号 裁判官:石山容示(裁判長)・島田一・右田晃一(出典:D1-Law.com判例体系 ID:28065269)
  • 名古屋高等裁判所刑事第2部 2005年(平成17年)10月14日判決:平成14年(う)27号 裁判官:川原誠(裁判長)・村田健二・堀内満(出典:高等裁判所刑事裁判速報集〈平17〉号270頁/D1-Law.com判例体系 ID:28115419)
  • 最高裁判所第一小法廷判決 2011年(平成23年)3月10日、事件番号:平成17(あ)2358

参考文献[編集]

  • 週刊文春』(文藝春秋)各報道
    • 『週刊文春』1995年7月6日号p.175-178「短期集中連載1 大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件『道頓堀で始まった「少年ヤクザ」4人の凶行』(山本徹美:ジャーナリスト)」
    • 『週刊文春』1995年7月13日号p.173-176「短期集中連載2 大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件『十日間で四人惨殺 少年ヤクザの「冷血」』(山本徹美:ジャーナリスト)」
  • 週刊新潮』(新潮社)各報道
    • 『週刊新潮』2001年7月26日号p.48-49「ワイド特集『この卑怯者め!』1『「連続リンチ殺人」で少年の死刑と無期をわけた境目」』」
    • 『週刊新潮』2005年10月27日号巻頭グラビア、p.33-37「[特集]「史上最凶『リンチ殺人』で死刑判決なのに新聞が載せない 元少年3人の『実名と顔写真』」 - 3人の実名及びKM・KA両名の顔写真が掲載された

関連リンク[編集]

関連項目[編集]