福山市女性強盗殺人事件

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福山市女性強盗殺人事件
場所 日本の旗 日本広島県福山市山野町大字山野字櫛ヶ端山国有林68林班て小班付近の林道[判決文 1]山野峡付近の山中[報道 1]
標的 顔見知りの高齢女性
日付 1992年(平成4年)3月29日[判決文 1]
午後2時頃[判決文 1] (UTC+9)
概要 無期懲役の仮釈放中だった男Nが、仕事仲間の男と共謀し、顔見知りの高齢女性をドライブに誘い込んだうえ、山中に連れ込んで絞殺、遺体を遺棄した[判決文 1]
Nは、女性を殺害後、女性の金品を騙し取った[判決文 1]
攻撃手段 首を絞める[判決文 1]
攻撃側人数 2人
武器 白いビニール紐(長さ約104cm、ポリエチレン製、平成5年押収第112号の5)[判決文 1]
死亡者 高齢女性A(事件当時87歳、広島県三原市在住)[判決文 1]
損害 Aの銀行普通預金5万7000円、普通郵便貯金49000円、郵便定額貯金20万9791円[判決文 1]
合計31万5791円
犯人 主犯の男N(犯行当時39歳、山口県宇部市生まれ、当時無期懲役仮釈放中)[判決文 1]
共犯の男X(犯行当時41歳、静岡県藤枝市生まれ)[判決文 1]
動機 強盗(金目当て)
対処 広島県警察逮捕[報道 1][報道 2]広島地方検察庁起訴[報道 3][報道 4]
刑事訴訟 Nは死刑未執行
Xは無期懲役
影響 犯行当時、無期懲役刑の仮釈放中だった被告人Nに対し、死刑を適用することの是非が、刑事裁判で争点となった[報道 5]
死刑求刑に対する無期懲役判決を不服として、検察側が最高裁判所上告したのは、永山則夫連続射殺事件(1990年、永山則夫被告人の死刑判決が最高裁で確定)以来、戦後2件目の事件だった[報道 5]
最高裁が、死刑を求めた検察側の上告を認め、控訴審の無期懲役判決を破棄差戻にしたことや[報道 6]、その後の差し戻し審で死刑判決が確定したことは、いずれも永山事件以来2件目で[報道 6][報道 7]、異例の展開だった[報道 7][報道 8]
管轄 広島県警察三原警察署[報道 1]広島地方検察庁[報道 3][報道 4]
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最高裁判所判例
事件名 有印私文書偽造、同行使、詐欺、強盗殺人被告事件
事件番号 平成9年(あ)第479号
1999年平成11年)12月10日
判例集 『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第53巻9号1160頁
裁判要旨
一人暮らしの老女を冷酷かつ残虐な方法で殺害しその金品を強取した強盗殺人の犯行において、被告人が、共犯者との関係で主導的役割を果たしたこと、強盗殺人罪により無期懲役に処せられて服役しながら、その仮出獄中に再び右犯行に及んだこと等の諸点(判文参照)を総合すると、被告人の罪責は誠に重大であって、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかなく、原判決が酌量すべき事情として述べるところはいまだ死刑を選択しない事由として十分な理由があると認められないから、第一審判決の無期懲役の科刑を維持した原判決は、甚だしく刑の量定を誤ったものとして破棄を免れない。
第二小法廷
裁判長 河合伸一
陪席裁判官 福田博北川弘治梶谷玄
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
刑法第11条,刑第240条法(以上、いずれも平成7年法律第91号による改正前のもの),刑事訴訟法第411条2号
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福山市女性強盗殺人事件(ふくやまし じょせい ごうとうさつじんじけん)は、1992年(平成4年)3月29日広島県福山市山野峡付近の山中で同県の三原市在住の高齢女性(事件当時87歳)が顔見知りの男2人に殺害され、遺体を遺棄された強盗殺人事件である[報道 1][報道 5]

主犯の男N(犯行当時39歳、現在は死刑囚)は過去に別の強盗殺人事件を起こして無期懲役刑に処された前科があり、その仮釈放中に本事件を起こした[報道 5]。そのため、刑事裁判では、Nに対する量刑が主な争点となった[報道 5]

永山則夫連続射殺事件に続き、死刑求刑に対する無期懲役判決を不服として、検察側が最高裁判所上告した戦後2件目の事件だった[報道 5]

そしてその上告が認められたため、最高裁で無期懲役が破棄されて差し戻し審で死刑判決が言い渡され、確定したのも永山事件に続いて戦後2件目の事例だった[報道 6]

目次

死刑囚N[編集]

主犯格の男Nは1953年昭和28年)1月13日、山口県宇部市内の家庭で[判決文 1][判決文 2]、炭鉱夫の父親とその妻の間に[判決文 1]戸籍上の第5子長男として生まれる[判決文 1][判決文 2]。一連の事件で逮捕された当時、福山市箕島町に在住していた[報道 1]

検察側の死刑求刑に対し、第一審・広島地方裁判所(1994年9月30日)[判決文 1][報道 9][報道 10]、控訴審・広島高等裁判所(1997年2月4日)とも、無期懲役判決を受けた[報道 11][報道 12]

しかし量刑不当を訴えた検察側の上告が最高裁判所第二小法廷で認められ、1999年12月10日、無期懲役判決破棄・高裁差戻の判決を受けた[報道 13][報道 14][報道 15]

その後2004年4月23日、差し戻しを受け再度審理した広島高裁で検察側の求刑通り死刑判決を受けた[判決文 2][報道 5][報道 16][報道 17]

死刑判決を不服として最高裁に上告したが2007年4月10日、最高裁第三小法廷で言い渡された判決により、上告が棄却されたことで死刑が確定した[報道 6][報道 18][報道 7][報道 8]

2018年(平成30年)現在[書籍 1]死刑囚として広島拘置所収監されている[書籍 2]

Nの生い立ち[編集]

Nは、両親にとって待望の男の子であったことから非常に甘やかされて育った[判決文 2]

1969年(昭和43年)3月、中学校を卒業後、父が病気療養中だったため高等学校への進学を断念した[判決文 2]

Nは山口県立の職業訓練所に進み、大工の技術を学んだ[判決文 1][判決文 2]

その1年後、工務店で大工見習いとして働き始めたが親方の妻と喧嘩をして約5か月で退職した[判決文 2]

その後、運輸会社でフォークリフト運転手として働いていたが1972年(昭和46年)8月頃、下請会社の従業員更衣室からカメラを盗んだ事件で逮捕された[判決文 2]

この件に関しては、家庭裁判所で不処分の決定を受けたが逮捕されたことにより、勤務先は退職した[判決文 1][判決文 2]

Nはその後、さらに別の運輸会社に転職した上でフォークリフト運転手などとして勤務し、両親を扶養していた[判決文 2]

ギャンブルによる借金[編集]

Nは、1972年1月頃からオートレースボートレースに興味を持ち、大当たりしたことがきっかけとなり、これらのギャンブルに熱中するようになった[判決文 2]

その資金にするため、勤務先から給与の前借りをしたり、知人や高利貸しから借金を重ねていた[判決文 2]

借金をしていた知人の1人から、再三にわたり強く借金の返済を迫られたNはオートレースなどで大穴を当てて、その配当金で借金の全てを返済しようと思い立った[判決文 2]

1973年(昭和48年)10月、Nはさらに他の知人から借金をしたほか、かねて家族ぐるみで親しく近所付き合いをし、その後転居していた宇部市内の知人女性を訪ねた[判決文 2]。Nは女性から金を借りると、そのままオートレース・ボートレースに出掛けた[判決文 2]

1973年10月25日、殺人前科[編集]

しかしNは1973年10月25日までに、所持金のほとんどを使い果たしてしまった[判決文 2]。帰宅途中、借金の返済に困ったNは返済資金を得る方法について考えた[判決文 2]

その結果、顔見知りである知人女性に刃物を突き付けて脅迫し、現金を奪った上で犯行を隠蔽するため、女性を殺害しようと思い付いた[判決文 2]。Nは、犯行の準備として、犯行の際に着用する軍手、女性の警戒心を逸らすための手土産のナシを購入した上で、1973年10月25日午後4時30分頃、知人女性宅を訪れた[判決文 2]

女性宅に招き入れられたNは犯行の機会を伺い、台所のガス台近くに包丁があることを確かめたが、この時点ではなお実行をためらっていた[判決文 2]。だが同日午後5時頃に最初の計画通り、女性から金員を強奪し殺害しようと決意した[判決文 2]

Nは両手に軍手をはめ包丁を手に持つとその包丁を女性の胸付近に突き付け、金を出すよう執拗に脅迫した[判決文 2]。Nは女性から現金5万3000円を差し出させると、犯跡を隠蔽しようと女性の首付近を包丁で2,3回、背部を3回、それぞれ突き刺し、女性を外傷性呼吸機能障害で窒息死させて殺害した[判決文 2]

Nはその後、現金・預金通帳2冊・印鑑などが入った手提げカバン・がま口財布を強奪し、現場から逃走した[判決文 2]

Nは犯行後、全国各地を転々として逃走生活を送っていたが親族の説得を受け、1973年12月、警察に出頭し逮捕された[判決文 2]

無期懲役判決を受け服役[編集]

1974年(昭和49年)4月10日、強盗殺人罪に問われたNは、山口地方裁判所で、無期懲役判決を受けた[判決文 1][判決文 2]

Nはこの判決を不服として広島高等裁判所控訴したが、同年9月26日に広島高裁で控訴棄却の判決を受け、同年10月12日、この判決が確定した[判決文 2]

これにより、Nは合計3つの刑務所で約14年9カ月間服役した[判決文 1][判決文 2]

Nは服役態度が真面目であり、母や姉との面会の際にも社会に出たら真摯に贖罪の道を歩む意思を示した[判決文 2]

また姉の夫(義兄)が身元引受人になったことから1989年(平成元年)7月20日付で仮釈放を許され[判決文 2]岡山刑務所から出所した[判決文 1]

この際、受刑中の領置金・作業賞与金として、約25万円を受け取った[判決文 2]

Nは、仮釈放の条件として帰住先の指定・更生保護施設における規律維持などのほか、「人命の尊さを自覚し、他人に粗暴なことはしないこと」、「被害者の冥福を祈り、慰謝に誠意を尽くすこと」、「決心したとおり、賭け事に手を出さないこと」、「辛抱強くまじめに働き、決して徒遊しないこと」を定められた[判決文 2]

仮釈放から結婚まで[編集]

Nは出所後から約1カ月間、岡山市内にある更生保護施設で過ごした[判決文 1][判決文 2]

施設にいた間[判決文 1]、、Nは、服役中に失効していた自動車運転免許を取り直すため、試験場に通った際、女性と知り合い、結婚を前提に交際するようになった[判決文 2]

しかしその間、知人の飲食店を数日間手伝っただけで定職には就かなかった[判決文 2]

なお、Nは出所時に受け取った領置金・作業賞与金のほか、仮釈放直後、両親から運転免許の取得費用20万円、結婚資金50万円、自動車購入費30万円などを受け取っていた[判決文 2]

しかしその一方で、更生保護施設入所中の時点で既に刑務所仲間の娘に高価な贈り物をしたり、知人とを飲んだ際、高級酒を奢るなどして散財した[判決文 2]

また、交際相手の女性とともにパチンコ店に行き、いわゆるフィーバー機で大当たりしたこともあった[判決文 2]

1989年8月20日頃、Nは事前の連絡をせずいきなり家財道具をトラックに積んで福山市に引っ越した[判決文 2]

Nはそのまま前述の姉に頼んでアパートを探してもらった上、保証人になってもらい、義兄が経営する会社に配管工として就職すると、間もなく交際女性との同居生活を始めた[判決文 2]

Nはその後、1990年(平成2年)4月、正式に交際女性と婚姻し同年11月には長女が誕生した[判決文 1][判決文 2]

雇用先を解雇[編集]

しばらくの間、Nは雑用を含めてまじめに勤務していたが身元引受人である姉に相談せず、自分の判断で仕事を進めたり、自動車を購入したりするようになった[判決文 2]

1990年9月下旬、Nは消費者金融業者からの借入れをするようになった[判決文 2]。また、仕事を終えた後や休日にパチンコ店に通い、次第に熱中するようになった[判決文 2]

パチンコではたまに勝つこともあるが、1万円から2万円くらい負けることが多く1日に4万円や7万円負けることもあった[判決文 2]

そして、負けを取り戻そうとしてさらに金をつぎ込むようになり、交際女性や母親などからパチンコをやめるように注意されてもパチンコ漬けの生活を改めなかった[判決文 2]

そのため、妻子を持つ身になったにもかかわらず、勤務先から支給される給料や健康飲料配達などのアルバイトをして得た収入だけでは、生活費・遊興費などが足りない状態が続いていた[判決文 2]

そのためNは母に何度も金を無心したほか、生活費や妻が支払いのために保管していた光熱費まで取り上げ、パチンコにつぎ込むようになった[判決文 2]

また、Nはパチンコ代や生活費、借金の返済資金などに充てるために、さらに消費者金融業者からの借入れを繰り返した[判決文 1][判決文 2]

Nは数百万円に上る借金を抱え、母に頼んで100万円弱の返済をしてもらった後も懲りずに借入れを続けた[判決文 1][判決文 2]

さらに勤務先の会社が忙しいため、後日工事を行うことでいったんは断ったはずの工事を甥(義兄・姉の次男)と2人で無断受注しその利益を折半した[判決文 1][判決文 2]

このことが、雇用主の義兄に発覚したため、Nは1991年(平成3年)11月20日、会社を解雇された[判決文 1][判決文 2]

受刑者X[編集]

共犯の男X(犯行当時41歳)は1951年(昭和26年)8月19日、静岡県藤枝市の栽培を営んでいた農家の夫婦に長男として生まれた[判決文 1]

一・二審とも、求刑通り無期懲役判決を受け[報道 10][報道 11][報道 12]確定した。

Xの生い立ち[編集]

Xは出生直後、両親が離婚し母親に引き取られた[判決文 1]。その後、ほどなくして母親が再婚したため、継父・実母の下で養育された[判決文 1]

高校卒業後、祖父の指導を受け家業の茶栽培に従事した[判決文 1]

1974年(昭和49年)6月、結婚して2児をもうけ、やがて継父・祖父が死去して以降は自らが中心となって家業の茶農家を営んでいた[判決文 1]

しかし大豆の先物取引を行ったことや残留農薬のため、茶の出荷ができなくなったことから約3000万円の負債を抱えるようになった[判決文 1]。その返済などのために財産の大半を処分せざるを得なくなったため家出を繰り返し、すさんだ生活を送るようになった[判決文 1]

そのため1978年(昭和53年)6月、妻と離婚し子供は妻が引き取った[判決文 1]

その後、Xは静岡県愛知県鹿児島県などを転々とした一方、窃盗・詐欺などの犯罪を繰り返し、通算9年余り刑務所に服役した[判決文 1]

Xは1991年(平成3年)3月27日、最終刑の仮釈放を許され宮崎刑務所を出所した[判決文 1]

その後、1991年7月ごろ山口県防府市内の会社に就職し、配管作業などに従事した[判決文 1]

事件の経緯[編集]

1992年1月、N・X両名が知り合う[編集]

Xは1991年10月頃、赴いた宮崎市内でNの刑務所仲間だった男性と知り合った[判決文 1]。その男性とともに、広島市に来て、土木作業員として働くようになったXは、知人男性が岡山刑務所で親しくしていた、Nと知り合った[判決文 1]

一方、Nは義兄の会社を解雇された後、別の同業者で配管工として就職した[判決文 1][判決文 2]

Nは1992年1月頃、前述の刑務所仲間の男性を通じてXと知り合った[判決文 1][判決文 2]

この頃からN・X両名は福山市内のアパートに居住し、知人男性を含め同じ会社に勤務し、配管工事業者として働いていた[判決文 1]

Xと相性が合い、親しくなったNはXらをこの勤務先に就職させたり、アパートを世話するなどした[判決文 1][判決文 2]

しかしNは1992年2月、同僚と口喧嘩したことなどが原因で退職した[判決文 1][判決文 2]

この間もXは貯金をすることもなく給料は飲食費などに使い切っていた[判決文 1]。これに加え消費者金融から約30万円の借金があり、金銭的には常時困窮している状態だった[判決文 1]

被害者女性Aと知り合う[編集]

XはNが退職後、会社に居づらくなったことから1992年2月末ごろにNの後を追うように退職した[判決文 1]。Xはその後、アパートを出てホテルやNの家に泊まるなどして、Nと行動を共にするようになった[判決文 1]

1992年3月中旬頃以降、N・Xは共同して茶の訪問販売を始めた[判決文 2]

当時、三原市に在住していたNの姉は、同市在住の被害者女性Aを含め10軒程度の紹介を受けた[判決文 2]

Aは1905年明治38年)3月20日生まれ、事件当時87歳で[判決文 1]、三原市西宮の民家に1人で在住していた[報道 1]

N・X両名はA方を訪問して茶を買ってもらうなどしていたが、足の悪いAに同情したNは同月24日、Aを自動車に乗せて病院まで送迎したり薬局まで薬を取りに行ったりした[判決文 2]

しかし茶の訪問販売では思うように利益が上がらなかったため、Nは消費者金融業者などに対する600万円余りの借金返済に窮するようになった[判決文 2]

犯行の謀議・準備[編集]

1992年3月28日、N・X両名は福山市内の明王台団地で茶の訪問販売をしたが一向に売れず、訪問販売を始めたことを後悔するようになった[判決文 1]

2人は団地の駐車場内に停車した自動車の中で、他の金策の方法について相談した[判決文 1][判決文 2]

この時、Xは「盗みでもするか」と提案したが、無期懲役の仮釈放中だったNは「犯行が発覚すると、自分は仮釈放が取り消され、長期の服役になる」と考えた[判決文 1][判決文 2]

そのため、Nは「半端なことじゃだめだ」[判決文 1]、「同じことをやるなら、でかいことを一発やろうか」、「サラ金強盗でもするか」などと、強盗を提案した[判決文 1][判決文 2]

その上で、Xは「一人暮らしとか、古い家に住んでいる、年寄りの方が金を持っているだろう」と発言した[判決文 1]

このことから、Nは「Aなら、金を貯めているかもしれない」と考え、「Aは金を貯めているかもしれない」と、Aに狙いを付けた[判決文 1][判決文 2]

Nはさらに、Xに対し「Aなら、殺して死体をどこかに隠せば、身寄りもないから発覚しないだろう」と発言した[判決文 1][判決文 2]

Xは一度は「殺さなくてもいいのではないか」と消極的な返事をしたが[判決文 1][判決文 2]、Nが「犯行の発覚を防ぐためには、Aに顔を知られているため、殺害するしかない」と言うと、Xも同意し強盗殺人を実行することを決めた[判決文 1][判決文 2]

次いで2人は殺害方法について相談した[判決文 1][判決文 2]

当初は包丁で刺殺する話も出たが[判決文 2]、Nは「前回の犯行と同じ方法は取りたくない」という気持ちから[判決文 2]、紐で首を絞めて殺すことに決めた[判決文 1][判決文 2]

そして、Xは犯行の準備として[判決文 2]、三原市内のコンビニエンスストア[判決文 1]、荷造り用のビニール紐・軍手2双を購入した[判決文 1][判決文 2]

その上で、Xはビニール紐1本では首を絞める際、強度が足りないと考えた[判決文 1]。そのため、紐の強度を増そうと紐を八重に重ね、その途中に4か所に結び目を作り、長さ1メートル余りの紐を作り上げた[判決文 2]

犯行直前[編集]

日が暮れるまでパチンコをして時間をつぶした2人は[判決文 2]カップラーメンを食べるためのお湯をもらうことを口実に、A方に上がり込むことにした[判決文 1]

2人はビニール紐・軍手、カップラーメン2個を持って同日午後7時頃、A方を訪れ室内に入れてもらった[判決文 1][判決文 2]

Aの隙を見て、Xは「ここでやるのか」とNに尋ねたが、Nは現金の有無を確認した上で殺害しようと考えた[判決文 1][判決文 2]

NはAが席を外した合間を突いたり、仮病を使ったりしてベッドのある奥の部屋に入った[判決文 1][判決文 2]

Nはその際、預金通帳の残額を確かめたが[判決文 1]、残額が少なかったためこの時点では「殺すまでのことはない」とも思った[判決文 2]

しかしAの所持金を調べようと[判決文 1]、Aに対し試しに借金を申し込んだところ[判決文 2]、Aは13万円(1万円札13枚)を[判決文 1]、すぐに貸してくれた[判決文 2]

このことからN・X両名はAが現金をかなり持っていると考え、Aを殺害する決意を固めた[判決文 1][判決文 2]

Nはその場でXに目配せをして[判決文 2]、殺害の凶器として用意していたビニール紐を出すように合図をしたが[判決文 1]、遺体の処分に困ると考えたXはここでの殺害を躊躇した[判決文 2]

そのため、NもAを外に連れ出して殺害した上で、A方に立ち戻って金品を奪い[判決文 1][判決文 2]、再びA宅に戻って、金品を物色した方が得策であると考えた[判決文 1][判決文 2]

N・X両名は互いにAを連れ出して殺害した上、A方に戻って金品を強奪する意思を相通じた上でAを騙してドライブに誘った[判決文 1][判決文 2]

同日午後10時頃、Nが運転する自動車にXも乗車した上でAを乗車させて出発した[判決文 1][判決文 1][判決文 2]

そのままNは、殺害場所として適当な人気のない場所を探し回った[判決文 2]

Aを連れ出し、殺害現場を探す[編集]

Nはまず翌3月29日午前1時頃、瀬戸大橋瀬戸中央自動車道)を渡った[判決文 1]。途中、与島パーキングエリアで休憩を挟んで、四国に渡り[判決文 1]香川県高松市栗林公園まで行った[判決文 1][判決文 2]

ところが、栗林公園は市街地の公園である上、門が閉まっていたため入ることはできなかった[判決文 2]。周囲にも適当な殺害場所は見つからなかったため[判決文 1]、ここでの殺害は断念した[判決文 2]

そして仮眠・休憩を取りつつ、高松港付近を走行し[判決文 1]、その付近で停車した[判決文 2]

その際、Xが「自分がAとホテルに泊まる。その間に、A宅に戻って金を取って来てくれ」と提案した[判決文 2]

しかしNは「もう連れ出しているし、盗みに入っても分かるから、殺すしかない」と答えた[判決文 2]

その後、Nは再び瀬戸大橋を戻り本州に戻ることにした[判決文 1]

途中、香川県坂出市与島付近の路側帯に駐車して仮眠していたが、翌29日午前8時頃、警察か日本道路公団のパトロールカーに呼び起こされた[判決文 2]

その後、Nは児島インターチェンジで高速道路から流出し、一般道を走行し、さらに適当な場所を探した[判決文 2]

しかし、適当な場所は見つからず岡山県都窪郡内の村にあった喫茶店で休憩した[判決文 2]

その後、空が既に明るくなっており、周囲に奥深い山もないことから「計画を実行するのは無理だ」という気持ちに傾きかけた[判決文 2]。そのためNはいったんはAを帰そうと、三原市方面へ向かった[判決文 2]

しかしNは福山市内の国道2号を走行中[判決文 2]、「北方の神辺町方面なら、人目に付かない奥深い山があるのではないか」と考えた[判決文 1]

NはXにそのことを伝えた上で、山間部へ向けて進行し山奥に向かった[判決文 2]

Nは神辺町方面へ向かって北上していたところ、「山野峡」と表示された道路標識を見た[判決文 1]。そのためNは「人目に付かない山深い場所だろう」と考え、標識に従い山野峡方面に向かった[判決文 1]

山野峡で殺害・遺体遺棄[編集]

N・X両名は、Aを乗車させたまま第二櫛ヶ端山林道を通り、1992年3月29日午後2時頃[判決文 1][判決文 2]、広島県福山市山野町大字山野字櫛ヶ端山国有林68林班て小班付近の林道に至った[判決文 1]

この場所は、一般車両通行止めの標識から約1.3kmは言った場所で、林道西側は急傾斜の谷になった場所だった[判決文 1]

2人が軍手をそれぞれ手にはめると、NはXに対し、「ここでやる。XがAと話をしている間に、俺が石でやる」と言った[判決文 2]

そのため、Xは「植木を抜いて行くという話をする」と答えた[判決文 2]

N・X両名は「植木を取りに行く」と称して、Aを下車させ[判決文 1]、林道西側の道端に連れて行った[判決文 1]。そしてXはAに対し、中腰でしゃがみこんで話をした[判決文 2]

Nはその隙に、付近にあった縦約15cm、横約10cmの石を拾った[判決文 2]

Nはそのまま、Aの背後から後頭部目がけて力一杯振り下ろして1回強打し、Aを転倒・失神させた[判決文 1][判決文 2]

そしてXがビニール紐(白色ポリエチレン製、長さ約104cm、平成5年押収第112号の5)を取り出し[判決文 1]、Aの首に1回巻き付けた[判決文 1][判決文 2]

2人はそのまま両端を交差させ、Nが一方の端を、Xが他方の端をそれぞれ握った[判決文 1][判決文 2]。されに2人は数分間互いに力一杯引っ張り、Aの首を絞め付け、Aを窒息死させて殺害した(強盗殺人罪)[判決文 1][判決文 2]

その後、N・X両名はAの遺体を持ち上げ、崖下めがけて投げ捨てたがすぐ近くの草むらの中に落ちてしまった[判決文 2]

このままでは、Aの遺体が林道の上から見える状態だったため、Nはさらに崖を降りた[判決文 2]

その上で、Aの遺体を崖の中腹まで引きずり落とすか転がり落として遺体を遺棄した[判決文 2]

その後、2人は殺害現場を離れる際、付近を走行中の自動車内で、Aの手提げバッグ内から[判決文 1][判決文 2]、現金3000円、A名義のせとうち銀行三原支店発行普通預金通帳1通・郵政省発行の郵便貯金通帳1通、印鑑2個を奪った[判決文 1]

同日午後9時頃、2人はさらに三原市内のA宅内に押し入り、中で金品を物色したがそこでは金品は発見できなかった[判決文 1][判決文 2]

殺害後の加害者らの動向[編集]

被害者Aの預金引き出し未遂[編集]

事件後も、Xと行動を共にしていたNは1992年4月2日頃、岡山市に住んでいる刑務所仲間であった知人を訪ねた[判決文 2]

Nはこの知人に対し、強奪したものであることを隠した上でA名義の郵便貯金通帳と印鑑を預け、「代理人名義で払戻しをしてくれ」と依頼した[判決文 2]

しかし手続きに手間取った上、払戻請求書の裏に代理人としてNの署名を求められたため、払戻しを断念しこの犯行は失敗に終わった[判決文 2]

Xの自首未遂・Nが阻止[編集]

その後、自責の念に駆られたXは「自分1人で罪をかぶって自首する」と言い出した[判決文 2]

Nは「Xが自首すれば、自分のことを隠し通せるはずもなく、自分の一生は破滅する」と思ったため、Xを説得し自首を思いとどまらせた[判決文 2]

Nはその後、自動車にXを乗車させ三重県まで送り届け、郷里の静岡県に帰らせた[判決文 2]

1992年4月6日、被害者Aの失踪が判明[編集]

1992年4月6日、A方を担当していた民生委員が、Aの不在を不審に思った[判決文 2]

民生委員は三原市福祉事務所の保護課長に連絡をし、警察に捜索願いを提出した[判決文 2]。このことから、Aが行方不明になったことが、広島県警察三原警察署に発覚した[判決文 2]

1992年4月9日、被害者Aの預金を銀行・郵便局から詐取[編集]

一方で、NはAの通帳の払戻しをする危険性を承知していたが、強奪した通帳・印鑑を使用し、その預貯金を騙し取ろうとした[判決文 2]

Nは、1992年4月9日午前10時頃、福山市沖野上町2丁目のせとうち銀行福山南支店で[判決文 1]、使用目的で偽造した(有印私文書偽造罪)[判決文 1][判決文 2]

その上で、Aの代理人を装って預金を引き出し、現金5万7000円を騙し取った(有印私文書行使罪・詐欺罪)[判決文 2]

同日午後2時46分頃、Nは福山市新涯町1丁目の福山新涯郵便局で[判決文 1]、A作成名義の郵便貯金払戻金受領証1通(平成5年押収第112号の2)を、使用目的で偽造した(有印私文書偽造罪)[判決文 1][判決文 2]

その上でAの代理人を装って預金を引き出し、現金4万9000円を騙し取った(有印私文書行使罪・詐欺罪)[判決文 1][判決文 2]

1992年4月27日、被害者Aの定額貯金を郵便局から詐取[編集]

Nはさらにパチンコ店で知り合った女性と共謀した[判決文 2]

その上で1992年4月27日午前10時40分頃、福山市東桜町の福山郵便局[判決文 1]、A作成名義の定額貯金用郵便貯金払戻金受領証2通(平成5年押収第112号の3及び4)を使用目的で偽造し、前述の郵便貯金通帳とともに一括提出し行使した(有印私文書偽造・同行使罪)[判決文 1][判決文 2]

これにより、Aの代理人を装いA名義の定額貯金を解約し、解約金を受領しようとして現金20万9791円を騙し取った(詐欺罪)[判決文 1][判決文 2]

事件後のNの動向[編集]

Nはこれらの事件後も1992年4月27日、預金を騙し取った際に共謀した女性とその内縁の夫の下でしばらくの間、ワックスの訪問販売の仕事を続けていた[判決文 2]

しかし同年6月頃以降からNはまじめに働かなくなり、母・姉に何度も金の無心を繰り返したり、「自己破産のための費用が必要だ」などと言って数万円から数十万円単位で金を受け取っていた[判決文 2]。だがNはパチンコに興じ、借金の返済はしていなかった[判決文 2]

そのため、借金取りが自宅に押し掛けて来るようになったため、自宅にいることができなくなった妻は同年11月、長女とともに岡山県内の実家に戻った[判決文 2]

Nも借金の取り立てを免れるため、三原市内の実家に身を寄せていた[判決文 2]

事件発覚[編集]

被害者親族からの届出[編集]

Aの次男は1992年11月、A方の家財道具を持ち帰り母Aの預貯金を調査した[判決文 2]。その結果、母Aが行方不明になった後、銀行・郵便局、それぞれの母親の口座から、現金が引き出されていることが判明した[判決文 2]

このため、三原市福祉事務所から広島県警察三原警察署へ捜索願が出された[報道 1]

被疑者Nが浮上・詐欺容疑で逮捕[編集]

捜索願を受けた広島県警三原警察署は1992年11月以降、Aが何らかの事件に巻き込まれた可能性があると見てこの件を捜査した[報道 1]。その結果、1992年4月9日、Aの預金が郵便局から払い戻された際、Nから運転免許証の提示を受けていたことが判明した[判決文 2]。その上、払戻金受領書から、Nの指紋が検出された[判決文 2]

これを受け、広島県警三原警察署は[報道 1]、翌1993年(平成5年)4月27日[判決文 2]、Aの郵便貯金通帳から、2回にわたって合計十数万円を引き出したとして[報道 1]、有印私文書偽造・同行使・詐欺の容疑で、被疑者Nを通常逮捕した[報道 1][判決文 2]。Nはその後、広島地方検察庁に詐欺容疑で送検された。

Nは取り調べに対し、詐欺容疑をほぼ認めた上で[報道 1]1993年5月1日、取り調べに対しXと共謀した上で強盗殺人を犯したことを自供した[判決文 2]

殺害事件が判明・Nを強盗殺人容疑で再逮捕[編集]

1993年5月3日、広島県警捜査一課・三原署は早朝から警察官70人を動員し、Nを同行、死体遺棄現場として前述の福山市山野町の山野峡まで案内させた[報道 1]。現場一帯の捜索を行ったところ、供述場所の付近の雑木林から高齢女性とみられる[報道 1]白骨死体が発見された[報道 1][判決文 2]

三原署は1993年5月4日[報道 19]広島大学法医学教室に遺体の鑑定を依頼し[報道 1][報道 19]、遺体の身元・死因の確認を進めた[報道 19]

広島県警捜査一課・三原署は1993年5月6日までに司法解剖の結果、体形、歯形などから遺体の身元を被害者Aとほぼ断定した[報道 2]。そのため、Aを殺害し、遺体を山中に遺棄したとして1993年5月6日、強盗殺人・死体遺棄容疑で被疑者Nを再逮捕した[報道 2]

取り調べに対しNは、強盗殺人などの容疑を認めた上で「金欲しさからやった」と供述した[報道 2]。広島県警は、身元の最終確認を急ぐとともに殺害・死体遺棄の詳しい方法について、Nをさらに追及した[報道 2]

共犯者Xが浮上[編集]

広島県警捜査一課・三原署は1993年5月7日までにNと共謀し、Aを山中で殺害した上で金品を奪ったとして、被疑者Xを強盗殺人・死体遺棄容疑で指名手配した[報道 20]。またこの日までに、最初の逮捕容疑である詐欺などに加え、強盗殺人・死体遺棄容疑で、Nを広島地検に送検した[報道 20]

これに加え、Nとともに1992年4月下旬ごろ被害者Aの通帳を使用し、福山市内の銀行・郵便局から計3回にわたり、31万5000円を引き出したとして当時42歳、福山市内在住の訪問販売業女性を有印私文書偽造、同行使、詐欺容疑で送検した[報道 20]

一連の容疑でNを起訴、Xを逮捕[編集]

1993年5月9日までに、広島地方検察庁は最初の逮捕容疑であった詐欺・有印私文書偽造・同行使の罪で、被疑者Nを広島地方裁判所起訴した[報道 3]

一方、前述の42歳女性について広島地検は、「一部報酬も受け取るなど、詐欺の犯罪事実はあったが、Nに利用された面もあり、さらに慎重に処分を検討する」として、処分保留として釈放した[報道 3]

1993年5月25日、広島地検は既に詐欺容疑などで起訴されていた被告人Nを、強盗殺人罪で広島地裁に追起訴した[報道 4]

Nが強盗殺人罪で起訴された、1993年5月25日時点でもXは逃亡を続けていたが[報道 4]その後逮捕・起訴され、Nとともに併合審理された[判決文 2]

刑事裁判[編集]

第一審・広島地裁[編集]

1994年6月28日、論告求刑公判[編集]

1994年(平成6年)6月28日、広島地方裁判所小西秀宣裁判長)で、論告求刑公判が開かれた[報道 21]

検察側は犯行を「計画的で残忍な犯罪」と指弾した上で、無期懲役の仮釈放中に、再び強盗殺人事件を起こしたことから被告人Nに対し、死刑を求刑した[報道 21]

また、共犯者の被告人Xについては「犯行の決断はなかったが、共犯の罪は重い」として無期懲役を求刑した[報道 21]

1994年9月30日、判決公判、2被告人に無期懲役判決[編集]

1994年9月30日、広島地裁(小西秀宣裁判長)にて判決公判が開かれた[報道 10]

広島地裁は被告人N・X両名に対し、それぞれ無期懲役判決(Nは求刑死刑・Xは求刑同)を言い渡した[判決文 1][報道 9][報道 10]

広島地裁は、量刑理由について、「犯行は計画的かつ悪質」と事実認定した一方で、被告人Nが反省しており、更生の可能性があることを指摘した[報道 10]

その上で、「先の事件における仮釈放の取り消しで10年、今回の事件で仮出所の要件を満たすのに20年の、合計最低30年程度服役することが必要」という独自・異例の量刑論を展開した[報道 11][報道 10][報道 22]

判決を不服として控訴[編集]

広島地方検察庁は1994年10月11日付で[報道 23]、広島地裁判決を「地裁の権限逸脱で、仮出所を許さない終身刑を定めない現行刑法の趣旨に反する」などと、Nについて量刑不当を訴え、広島高等裁判所控訴した[報道 23][報道 11]

弁護人側も被告人Xの判決に対し、「2度の強盗殺人を犯したNと同じ無期懲役なのは、刑が重すぎて量刑が不均衡である」と訴え、広島高裁に控訴した[報道 11][報道 12]

控訴審・広島高裁[編集]

1995年12月7日、控訴審初公判[編集]

1995年(平成7年)12月8日、広島高等裁判所にて控訴審初公判が開かれた[報道 24]

検察側は控訴趣意書にて、「広島地裁は、第一審判決にて、『無期懲役ならば最低30年は服役するはずだ』と判断したが、これは根拠がない。裁判所の判断に沿うよう、仮出獄制度の運用を、更生保護委員会に求めるのは、職権を逸脱した行為だ。ただ長期間服役すればいいという判断は、(当時、有期刑の上限が)最高20年で、30年の有期刑がない、刑法の趣旨からは許されない」と主張し、第一審の求刑同様、被告人Nに対し改めて死刑適用を求めた[報道 24]

一方、被告人Xの弁護人も「将来の服役態度で認められる仮出獄を、判決の際に評価に加えるのは、仮出獄制度を形骸化するものだ」として、Xに対する第一審・無期懲役判決を批判し、有期懲役刑の適用を求めた[報道 24]

1997年2月4日、控訴審判決、2被告人に二審も無期懲役判決[編集]

1997年(平成9年)2月4日、広島高裁(荒木恒平裁判長)で控訴審判決公判が開かれた[報道 11][報道 12]。広島高裁は広島地裁の無期懲役判決を支持し、いずれも控訴を棄却する判決を言い渡した[報道 11][報道 12]

検察側が死刑を求めていた、被告人Nについて広島高裁は「死刑に処するにはやむを得ない理由が必要だが、Nは犯行を素直に認めるなど、情状酌量の余地がある。犯行は計画的ではなく、Nは現在は反省しており、人間性の片鱗を見せている。極刑は妥当ではない」と認定した[報道 11][報道 12]

その上で、第一審判決について「無期懲役選択時の服役期間について検討しており、現行刑法の趣旨に反するとは言えない」と判断した[報道 11]

そして、計画性の低さ、更生の余地、他の事件と比較して悪質さが低い点を挙げ、無期懲役に留めた[報道 15]

被告人Xの無期懲役判決確定[編集]

被告人弁護人は判決後、Xは最高裁判所上告する予定であるとした一方で、Nは上告しない方針であることを示した[報道 12]

その後、Xは無期懲役判決が確定した[報道 13]

検察側上告から連続上告[編集]

1997年2月18日、検察側上告[編集]

最高検察庁堀口勝正刑事部長は報告を受けた広島高裁判決に、「これは度を超していないか」と疑問を投げかけた[報道 25]

堀口刑事部長は『読売新聞』の取材に対し、「この頃は甲府信金OL誘拐殺人事件のように、殺害された被害者数が1人の場合は、無期懲役を選択するなど、死刑をなるべく回避するという量刑傾向があり、検察内部にも諦めが根を張っていた」と振り返った[報道 25][報道 26]

量刑不当を理由とした上告は原則として認められないが、「仮釈放中の殺人が無期懲役では、国民が納得できない」という堀口刑事部長の意見に土肥孝治検事総長(当時)が同意した[報道 25]

その結果、広島高等検察庁は1997年2月18日付で[報道 27][報道 28]量刑不当として永山則夫連続射殺事件永山則夫以来、戦後2件目となる死刑を求めた上告に踏み切った[報道 25]

上告理由について山口克之・広島高検次席検事は「計画的な強盗殺人を2度も犯し、死刑ではなく無期懲役を言い渡した判決は、判例に違反し、国民の正義感に背くものだ」と語った[報道 28]

1997年8月19日、検察側上告趣意書提出[編集]

1997年8月19日、検察当局は「控訴審判決は、重要な量刑要素である、犯行態様の悪質性・無期懲役の前科を、十分評価していない。死刑の一般的基準(永山基準)に違反しており、判例違反に当たる」などとする上告趣意書を、最高裁に提出した[報道 29]

「連続上告」[編集]

この上告以降、1998年1月まで求刑死刑に対し控訴審で無期懲役判決が言い渡された4件について、検察側が相次いで上告した[報道 25]。これについては「連続上告」と呼ばれることがある[報道 25]

連続上告に対する最高裁の判決・決定はいずれも1999年11月・12月に出て、本件以外はすべて最高裁判決・決定により上告が棄却された[報道 25][注釈 1]。しかし、1992年に国立市で起きた主婦殺害事件(第一審・死刑判決、控訴審・無期懲役判決)における[注釈 1]、1999年11月の最高裁判決(検察側上告棄却)では、「殺害された被害者が1人でも、極刑がやむを得ない場合があることはいうまでもない」という文言が盛り込まれた[報道 30]

この連続上告に対し、堀口刑事部長は「それまでの裁判官の判断を抑圧してきた、極刑に慎重な流れのようなものを取り払った意味は大きかった」と評価している[報道 30]

また、殺人事件に対する判決数の割合が1996年から2004年までで約1.4倍であるのに対し、第一審から最高裁までで死刑判決を受けた被告人は2004年のみで42人で、1996年の8人と比べると5倍強となっており、連続上告以降急増している[報道 31]

1度目の上告審・最高裁第二小法廷[編集]

1999年11月15日、上告審口頭弁論公判開廷[編集]

1999年(平成11年)11月15日、無期懲役判決事件では異例となる[注釈 1][報道 32][報道 33]、上告審口頭弁論公判が、最高裁判所第二小法廷河合伸一裁判長)で開かれた[報道 34]

検察側は「無期懲役の仮釈放中、同じような重大犯罪を犯した者は、例外なく死刑となっており、一・二審判決はこれまでの判例に違反する」と主張し、無期懲役判決の破棄を求めた[報道 34]

弁護人側は、「一・二審判決は、最高裁が示した死刑選択の一般基準『永山基準』を踏まえて結論が出されており、検察側の主張は、上告理由にならない量刑不当に過ぎない」と反論し、上告棄却を求めた[報道 34]

1999年11月24日、上告審判決公判期日指定[編集]

1999年11月24日、最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)は上告審判決公判の開廷期日を翌12月10日に指定し、関係者に通知した[報道 35]

1999年12月10日、上告審判決、破棄差戻[編集]

1999年12月10日、上告審判決公判が開かれた[報道 13][報道 14][報道 15]

最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)は、検察側の上告を認め、広島高裁の無期懲役判決を破棄した上で、審理を同高裁に差し戻す判決を言い渡した[報道 13][報道 14][報道 15]

最高裁第二小法廷は「殺害された被害者数は1人だが、被告人Nの刑事責任は重大で、特段の事情がない限り、死刑の選択をするほかない」と判断した[報道 14]

その上で、永山基準に沿って検討し、犯行前の準備から、計画性の低さを否定するとともに、「恵まれた環境にいながら。パチンコで借金を重ねた挙句の犯行であり、遺族への慰謝の措置が講じられていない」として、矯正の余地を認めなかった[報道 15]

また永山判決以降、無期懲役の仮出所中に強盗殺人を犯した被告人はいずれも死刑判決を受けていたことを踏まえ、「被告人の情状は、死刑を回避し無期懲役を選択すべきほど、悪質さの程度が低いとはいえない」と判断した[報道 14]

最高裁による、無期懲役判決の破棄・差し戻し判決は1983年7月8日、永山則夫元死刑囚に対する判決以来16年ぶりであった[報道 15]

差し戻し控訴審・広島高裁[編集]

2000年8月10日、差し戻し控訴審初公判[編集]

2000年(平成12年)8月10日、広島高裁(重吉孝一郎裁判長)で、差し戻し控訴審初公判が開かれた[報道 36][報道 37]

この日の意見陳述で弁護人側は、「殺害に至る計画性は低く、被害者遺族に対しても慰謝の気持ちがある」などと、酌量事由について主張し、死刑回避を訴えた[報道 37][報道 36]

さらに弁護人側は、「死刑制度は憲法違反であり、死刑判断の基準とされる『永山基準』も成熟した基準ではない。判例は変更されるべきだ」と指摘し、今後は法学者を証人申請するなどして、死刑制度の違憲性を立証していく方針を明らかにした[報道 36]

2000年10月3日、第2回公判[編集]

同年10月3日、第2回公判が開かれた[報道 38]

同日、弁護人側は前述の「連続上告」5件に対する、最高裁の決定・判決を検討し、「前科の点を除けば、殺害された被害者数など、他の4件に比べて悪質性は低く、本件についてのみ検察側上告を認め、破棄差し戻ししたのは、量刑の均衡を著しく欠くものだ」などと主張した[報道 38]

また、「再犯予防など、服役中の処遇に大きな欠陥がある」として、処遇記録の取り寄せ・検討を求めた[報道 38]

2000年11月7日、第3回公判[編集]

2000年11月7日、第3回公判が開かれた[報道 39]

同日の意見陳述で弁護人側は、「死刑は、執行及び死刑確定者処遇の実体に照らせば、不必要な精神的・肉体的苦痛を与えるもので、残虐な刑罰を禁止している日本国憲法第36条違反する」と主張した[報道 39]

その上で、「被告人は、反省・謝罪の気持ちを書いた手紙を、被害者遺族に渡そうとしているなど、反省を深めており、更生の可能性がある」と訴えた[報道 39]

2002年12月10日、精神鑑定実施決定[編集]

2002年(平成14年)12月10日の公判で、広島高裁(久保眞人裁判長)は生育環境がNに与えた影響などを調べるため、弁護人側が請求していた、心理の専門家による精神鑑定の実施を決めた[報道 40]

2003年9月9日、精神鑑定結果発表[編集]

2003年(平成15年)9月9日の公判で精神鑑定の結果が明かされた[報道 41]

精神鑑定を実施した精神科医師はNについて「非社会性人格障害」「自己愛的人格障害」という診断結果を発表し、幼少期に甘やかされたが経済的理由から高校に通えなかったことで「欲求不満に対する耐性が乏しく、劣等感を抱いて育った」と指摘した[報道 41]

そして、「Nは犯行後、自分の行動を正当化するなど、刑罰による学習効果はあまり期待できない」とされた[報道 41]

2004年1月16日、最終弁論[編集]

2004年(平成16年)1月16日、検察側・弁護人側双方の最終弁論が開かれ、差し戻し控訴審が結審した[報道 42]

検察側は「仮釈放中は格段に法規範を守るべき立場にも拘らず、さらなる凶悪犯罪を犯したNには、新たに酌むべき事情も見当たらず、上告審の意を酌んで、死刑をもって臨むしかない」と訴えた[報道 42]

一方、弁護人側は『14年9カ月間受刑してきたNが、実社会に適応できなかったのは、刑務所の矯正機能に問題があった」[報道 42]、「Nは死刑を覚悟しており、贖罪のための臓器提供の意思もある。死刑はその『贖罪の自由』を奪う刑罰で、憲法違反だ」などと主張し[報道 43]、差し戻し前と同様、無期懲役の判決を求めた[報道 42]

2004年4月23日、被告人Nに死刑判決[編集]

2004年4月23日、判決公判が開かれ、広島高裁(久保眞人裁判長)は第一審の無期懲役判決を破棄し、被告人Nに対し検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した[判決文 2][報道 5][報道 16][報道 17]

広島高裁は量刑理由について、「犯行の悪質性、更生の困難さを考慮すると、極刑を選択するほかない」と指摘した[報道 5]

最高裁で無期懲役が破棄され、差し戻し審で死刑判決が言い渡されたのは1987年3月18日、東京高裁差し戻し審で永山に死刑判決が言い渡されて以来戦後2件目であった[報道 5]

弁護人側が主張していた、Nの贖罪のための臓器提供の意思について、広島高裁は「量刑を大きく左右する事情ではない」と事実認定した上で、死刑制度を違憲とする主張についても「刑の執行に必要な限度内で、基本的人権が制限されてもやむを得ない」と退けた[報道 5]

判決に対する評価・反応[編集]

本判決について、被害者Aの次男は「信頼していたNに殺された母はどれだけ悔しかったか。これで母も成仏できる」と、当時の捜査員は「あまりにも簡単に人の命を奪った。仮釈放は慎重にすべきだった」と、それぞれ語った[報道 16]

一方、被告人Nと、220回以上の接見を重ねてきた弁護団(主任弁護人・武井康年)は、広島弁護士会館での記者会見で「曖昧で修正を迫られている、永山則夫判決の死刑基準を見直す意欲が感じられない」(武井)と批判した上で、「贖罪のための臓器提供の問題提起は認められなかったが、最高裁で議論する下地はできた」(緒方俊平弁護士)として、上告を示唆した[報道 16]

判決について、当時の土本武司帝京大学教授は「無期懲役で仮釈放中の強盗殺人は死刑、との基準が確立され、被告人の反省などを過大評価する下級審の死刑回避傾向に歯止めをかけた判決。最低十年とされる無期懲役の服役年数見直しの契機にもなる」と評価した[報道 16]

逆に、当時の安田好弘弁護士日本弁護士連合会の「死刑制度問題に関する提言実行委事務局」・次長は、「結論ありきの、最高裁に合わせた事実認定。死刑はそれしかあり得ない時のみ選ばれるべきだが、一、二審で無期懲役の判断が示されただけに疑問」と指摘した[報道 16]

2004年4月30日、弁護人側が上告[編集]

弁護団は2004年4月30日付で、「精神鑑定結果が考慮されておらず、公判で主張した死刑の違憲性への説明が不十分だ」と、判決を不服として、最高裁に上告した[報道 44][報道 45][報道 46]

第2次上告審・最高裁第三小法廷[編集]

2006年11月、上告審口頭弁論公判開廷期日指定[編集]

2006年(平成18年)11月6日までに、最高裁判所第三小法廷(堀籠幸男裁判長)は上告審口頭弁論公判開廷期日を翌2007年2月27日に指定し、関係者に通知した[報道 47][報道 48][報道 49]

2007年3月、上告審判決公判開廷期日指定[編集]

2007年(平成19年)3月12日までに最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)は上告審判決期日を同年4月10日に指定し、関係者に通知した[報道 50][報道 51]

2007年4月10日、上告審判決公判、被告人Nの上告棄却[編集]

2007年4月10日、最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)は、差し戻し控訴審の死刑判決を支持し、被告人N・弁護人側の上告を棄却する判決を言い渡した[報道 6][報道 18][報道 7][報道 8]

最高裁は殺意・計画性を認定し、仮釈放後2年余りで犯行に及ぶ悪質性、反社会性、犯罪性を指摘した[報道 6]

死刑判決確定[編集]

この上告審判決により、Nの死刑が確定した[報道 6]

一・二審とも無期懲役判決だった被告人について、最高裁が判決を破棄して差し戻したのち、死刑判決が言い渡され、確定したのはこれが初の事例だった[報道 18]

また最高裁が控訴審の無期懲役判決を破棄差戻にしたのち、死刑判決が確定したのは永山則夫連続射殺事件(1990年、永山被告人の死刑判決が最高裁で確定。)以来2件目で[報道 7]、異例の展開だった[報道 7][報道 8]

死刑囚Nの現在[編集]

2018年(平成30年)現在[書籍 1]、Nは死刑囚として、広島拘置所収監されている[書籍 2]

国家賠償請求訴訟[編集]

死刑囚Nと弁護人2人は2008年(平成20年)5月から8月にかけ、再審請求の打ち合わせのため3回、広島拘置所で職員による立会人なしの面会を求めたが拒否されたため、具体的な打ち合わせができなかったとして、秘密交通権の侵害であるとして、国に対し計330万円の損害賠償を求めた[報道 52]

広島地裁(野々上友之裁判長)は2011年3月23日、秘密交通権の侵害は認めなかったが、「職員の立ち会いで再審請求の遅延を余儀なくされた」などとして慰謝料など計33万円の支払いを命じた[報道 52]。広島地裁は1回目の拒否は認めたが後の2回については十分な検討時間があったと指摘し、広島拘置所長の判断を社会通念に照らし著しく妥当性を欠いて違法、と判断した[報道 52]。再審請求にかかる面会時の立ち合いを違法と認めた判決は全国初である[報道 52]

国側は控訴したが2012年1月27日、広島高裁(小林正明裁判長)は全3回の違法性を認め、慰謝料などを54万円に増額して支払うよう国に命じた[報道 53]

国側は判決を不服として最高裁判所に上告したが[報道 54]2013年(平成25年)12月10日の上告審判決公判で、最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は、「再審請求の打ち合わせの場合、特段の事情がない限り、職員を立ち会わせることはできない。再審請求前でも、死刑囚と弁護士には、秘密に面会する利益がある」との初判断を示し、国の上告を棄却する判決を言い渡した[報道 55]。これにより、職員の立ち合いを違法とし、Nに計54万円の支払いを命じた、控訴審判決が確定した[報道 55]

参考文献[編集]

刑事裁判の判決文[編集]

  • 広島地方裁判所刑事第1部判決 1994年(平成6年)9月30日 『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第53巻9号1290頁、『判例時報』第1524号154頁、『判例タイムズ』第883号288頁、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28025083、平成5年(わ)第334号/平成5年(わ)第453号/平成5年(わ)第296号、『有印私文書偽造,同行使,詐欺,強盗殺人被告事件』「強盗殺人による無期懲役刑の仮出獄中に強盗殺人を犯した被告人に対して、再度無期懲役刑が科された事例」、”強盗殺人罪による無期懲役刑の仮出獄期間中であった被告人A(本文中N)及び同被告人と行動を共にしていた被告人B(本文中X)が、共謀の上、一人暮らしの老女を殺害して金品を強取し、更に被告人Aが、被害者から強取した預貯金通帳を利用して預貯金を引き出したという事案で、本件殺害行為とその後の被害者方の物色行為との間に時間的場所的離隔があるとしても、両行為は同一の範囲に基づく一連の行為であって1個の強盗殺人罪として包括して評価するのが相当であるとした上で、被告人Aになお人間性の片鱗を窺うことができるという点において、同被告人に対し、極刑をもって臨むことに一抹の躊躇を覚えるなどとして、被告人両名を無期懲役に処した事例。”。
    • 判決内容:被告人N・X両名に無期懲役(求刑…被告人Nに死刑、Xに無期懲役。検察側はNについて、弁護人側はXについて、それぞれ控訴)
    • 裁判官:小西秀宣裁判長)・齋藤正人柳本つとむ
  • 広島高等裁判所判決 1997年(平成9年)2月4日 『最高裁判所刑事判例集』第53巻9号1307頁、『判例時報』第1701号170頁、『判例タイムズ』第1023号130頁、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28055153、平成7年(う)第25号、『有印私文書偽造,同行使,詐欺,強盗殺人被告事件』、”強盗殺人罪による無期懲役刑の仮出獄中の被告人A(本文中N)及びAと行動を共にしていた被告人B(同X)が、サラ金への返済や生活費、遊興費に窮し、一人暮らしの老女を殺害して金品を強取し、更に被告人Aが、被害者から強取した預貯金通帳を利用して預貯金を引き出したことにつき、原判決が被告人両名を無期懲役に処したため、検察官は被告人Aにつき量刑不当を理由に、被告人Bは事実誤認、量刑不当を理由に、それぞれ控訴した事案で、原判決に所論の事実誤認はなく、被告人Aを無期懲役に処した原判決の量刑が、これを破棄した上で改めて極刑に処さなければならないほど著しく軽きに失して不当であるとは認められないなどとして、各控訴を棄却した事例。”。
    • 判決内容:被告人Nに対する検察側控訴、被告人Xの弁護人側控訴、それぞれ棄却(2被告人とも無期懲役判決支持。検察側は被告人Nについて上告)
    • 裁判官:荒木恒平(裁判長)
  • 最高裁判所第二小法廷判決 1999年(平成11年)12月10日 『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第53巻9号1160頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、『裁判所時報』第1258号7頁、『判例時報』第1701号166頁、『判例タイムズ』第1023号126頁、『最高裁判所裁判集刑事』(集刑)第277号27頁、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28045262、平成9年(あ)第479号、『有印私文書偽造、同行使、詐欺、強盗殺人被告事件』「(『最高裁判所刑事判例集』、裁判所ウェブサイト掲載判例、『判例タイムズ』)第一審判決の無期懲役の科刑を維持した控訴審判決が量刑不当として破棄された事例」、”(『最高裁判所刑事判例集』、裁判所ウェブサイト掲載判例)一人暮らしの老女を冷酷かつ残虐な方法で殺害しその金品を強取した強盗殺人の犯行において、被告人が、共犯者との関係で主導的役割を果たしたこと、強盗殺人罪により無期懲役に処せられて服役しながら、その仮出獄中に再び右犯行に及んだこと等の諸点(判文参照)を総合すると、被告人の罪責は誠に重大であって、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかなく、原判決が酌量すべき事情として述べるところはいまだ死刑を選択しない事由として十分な理由があると認められないから、第一審判決の無期懲役の科刑を維持した原判決は、甚だしく刑の量定を誤ったものとして破棄を免れない。”。
  • 広島高等裁判所刑事第1部判決 2004年(平成16年)4月23日 『高等裁判所刑事裁判速報集』平成16年185頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28095490、平成12年(う)第20号、『有印私文書偽造,同行使,詐欺,強盗殺人被告事件』「
    (『高等裁判所刑事裁判速報集』)強盗殺人を犯して無期懲役刑に処された被告人が、仮出獄中に1名を殺害した強盗殺人等事件につき、被告人を無期懲役に処した原判決を破棄自判して死刑に処した事例(いわゆる「広島県三原市内における独居老女強盗殺人等事件」差戻し後の控訴審判決)」、”
    (『高等裁判所刑事裁判速報集』)本件においては、殺害された被害者の数は1名であるが、被告人の罪責は誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑を選択するほかなく、量刑の前提となる事実の評価を誤り、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は、軽きに失し不当であるといわざるを得ず、原判決後に生じた被告人のために酌むべき事情を最大限考慮してみても、被告人の罪責を大きく軽減するような事情があるとはいえない。
    (『LEX/DBインターネット』)強盗殺人罪により無期懲役に処せられ、その仮出獄期間中であった被告人が、原審相被告人Bと共謀の上、一人暮らしの老女を殺害して金品を強取したなどの事実からなる強盗殺人、詐欺、有印私文書偽造、同行使被告事件につき、上告審が被告人を無期懲役に処した第一審判決を維持した控訴審判決を破棄して差戻した差戻控訴審において、現行の死刑制度は憲法31条、32条、36条等の規定に違反するものではなく、本件においては、殺害された被害者の数は1名であるが、被告人の罪責は誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑を選択するほかなく、量刑の前提となる事実の評価を誤り、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は軽きに失して不当であるとして、被告人を死刑に処した事例。
    ”。
  • 最高裁判所第三小法廷判決 2007年(平成19年)4月10日 『最高裁判所裁判集刑事』(集刑)第291号337頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25442981、平成16年(あ)第1554号、『有印私文書偽造,同行使,詐欺,強盗殺人被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(広島福山老女殺害事件)」、”(『LEX/DBインターネット』)強盗殺人罪により無期懲役刑に処され、その仮出獄中の被告人が、共犯者と共謀の上、顔見知りの女性を山中に連れ込んで殺害し、預金通帳等を強取するなどしたほか、単独で、あるいは知り合いの女性と共謀の上、前後3回にわたり、上記預金通帳等を利用して銀行等から現金を詐取するなどした事案の上告審において、本件強盗殺人は、確定的な殺意に基づく計画的な犯行であり、殺害の態様も、冷酷かつ残虐なものであり、その結果は極めて重大であり、原判決の死刑の科刑は、当裁判所もこれを是認せざるを得ないとし、上告を棄却した事例。”。

関連書籍[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b c 連続上告中、口頭弁論が開かれたのは、本件と、先に挙げた国立市の事件の2件である[報道 32]。それ以外の3件は、いずれも口頭弁論が開かれず、最高裁の決定により、検察側の上告が棄却された。

出典[編集]

刑事裁判の判決文[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df 広島地方裁判所刑事第1部、1994年(平成6年)9月30日判決 事件番号:平成5年(う)第334号/平成5年(わ)第453号/平成5年(わ)第296号、『有印私文書偽造,同行使,詐欺,強盗殺人被告事件』
    『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第53巻9号1290頁、『判例時報』第1524号154頁、『判例タイムズ』第883号288頁、『TKCローライブラリー』文献番号:28025083
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df dg dh di dj dk dl dm dn do dp dq dr ds dt du dv dw dx dy dz ea eb ec ed ee ef eg eh ei ej ek el em en eo ep eq er 広島高等裁判所刑事第1部、2004年(平成16年)4月23日判決 事件番号:平成12年(う)第20号 参考文献:裁判所ウェブサイト掲載判例『有印私文書偽造,同行使,詐欺,強盗殺人被告事件』

報道出典[編集]

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  2. ^ a b c d e 『中国新聞』1993年5月7日朝刊第一社会面23面「身元ほぼ断定 強殺で再逮捕 福山の白骨死体」
  3. ^ a b c d 『中国新聞』1993年5月10日朝刊第一社会面23面「N容疑者詐欺で起訴 三原の老女強盗殺人」
  4. ^ a b c d 『中国新聞』1993年5月26日朝刊第一社会面23面「N被告を起訴 三原の老人強盗殺人」
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『読売新聞』2004年4月24日東京朝刊第一社会面39面「仮釈放注に再び強盗殺人 差し戻し審で死刑 N被告、戦後2件目/広島高裁」
  6. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2007年4月11日東京朝刊第一社会面39面「仮釈放中に強殺 上告を棄却、死刑確定へ 最高裁『悪質性、極めて高い』」
  7. ^ a b c d e f 『毎日新聞』2007年4月11日中部朝刊第一社会面23面「仮釈放中の強盗殺人:男の死刑確定へ 最高裁上告棄却(記者:木戸哲)」
  8. ^ a b c d 『毎日新聞』2007年4月11日中部朝刊総合面27面「仮釈放中の強盗殺人:最高裁上告棄却、男の死刑確定へ(記者:木戸哲)」
  9. ^ a b 『読売新聞』1994年9月30日大阪夕刊第一社会面15面「老女強殺事件 2人に無期懲役を判決/広島地裁」
  10. ^ a b c d e f 『朝日新聞』1994年10月1日朝刊広島県版「強殺再犯者に無期懲役判決 広島地裁/広島」
  11. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』1997年2月4日大阪夕刊第一社会面15面「強殺再犯、二審も無期 『情状酌量の余地』と控訴棄却/広島高裁」
  12. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』1997年2月5日朝刊広島県版「三原の強盗殺人2被告の控訴を棄却 広島高裁が判決/広島」
  13. ^ a b c d 『読売新聞』1999年12月11日東京朝刊1面「広島の女性強殺事件 死刑回避は量刑不当 最高裁が無期判決差し戻し」
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    『朝日新聞』1999年12月11日東京朝刊第三社会面37面「死刑選択、一つの答え 強盗殺人最高裁判決<解説>」
  15. ^ a b c d e f 『毎日新聞』1999年12月11日東京朝刊1面「広島・福山の強盗殺人『無期』判決、最高裁が差し戻し--『死刑』の公算」
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  23. ^ a b 『朝日新聞』1994年10月12日朝刊広島県版「量刑不当とし地検が控訴 三原市の高齢女性強殺事件・広島」
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  26. ^ 『読売新聞』2009年5月23日大阪朝刊24面「【裁く時 第3部判断の重み】(2)死刑か無期か 流れを変えた連続上告」。
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  28. ^ a b 『朝日新聞』1997年2月19日朝刊広島県版「三原の強盗殺人事件、無期懲役の判決に高検が上告申し立て/広島」
  29. ^ 『読売新聞』1997年8月20日東京朝刊第二社会面30面「『死刑基準に違反』 検察当局が上告趣意書を提出 『強盗殺人の無期、不服』」
  30. ^ a b c 『読売新聞』2009年3月3日東京朝刊第二社会面34面「[死刑]選択の重さ(6)極刑抑制の流れ変わる」
  31. ^ 『読売新聞』2005年5月19日東京朝刊3面「『死刑』拡大の流れ? 被害者1人でも高裁“逆転”判決」
  32. ^ a b 『朝日新聞』1999年7月22日朝刊第一社会面39面「2件で口頭弁論を通知 死刑基準違反との検察上告で最高裁」
  33. ^ 『毎日新聞』1999年7月22日北海道朝刊20面「無期懲役判決の2強盗殺人事件、今秋に『弁論』開く--最高裁」
  34. ^ a b c 『朝日新聞』1999年11月16日東京朝刊第三社会面37面「仮釈放中に再び強盗殺人、『死刑か無期か』弁論 最高裁」
  35. ^ 『朝日新聞』1999年12月11日朝刊第二社会面34面「仮釈放中に強盗殺人 来月10日に最高裁判決 【大阪】」
  36. ^ a b c 『読売新聞』2000年8月11日大阪朝刊広島県面23面「『死刑制度は違憲』 強殺・N被告差し戻し控訴審 初公判で弁護人=広島」
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  40. ^ 『読売新聞』2002年12月11日大阪朝刊広島県面27面「仮釈放中に強殺再犯の被告 差し戻し審で精神鑑定実施へ 高裁=広島」
  41. ^ a b c 『読売新聞』2003年9月10日大阪朝刊広島県面31面「仮釈放中に強盗殺人再犯公判 『刑罰の学習効果期待無理』と医師 高裁=広島」
  42. ^ a b c d 『読売新聞』2004年1月17日大阪朝刊広島県面35面「仮釈放中に再び強盗殺人 差し戻し審結審 高裁判決は4月23日=広島」
  43. ^ 『読売新聞』2004年4月23日大阪夕刊第一社会面19面「仮釈放中の強盗殺人 差し戻し審、午後判決/広島高裁」
  44. ^ 『読売新聞』2004年4月28日西部夕刊第一社会面9面「差し戻し審で死刑 山口・小野田市出身の被告側が上告へ」
  45. ^ 『読売新聞』2004年5月1日西部朝刊第二社会面30面「差し戻し審死刑で上告 山口・小野田出身の強盗殺人罪被告」
  46. ^ 『読売新聞』2004年5月1日大阪朝刊第二社会面34面「仮釈放中の強盗殺人 広島高裁で死刑判決の被告が上告」
  47. ^ 『読売新聞』2006年11月7日東京朝刊第二社会面38面「仮釈放中の強盗殺人2次上告審 2月に口頭弁論/最高裁」
  48. ^ 『朝日新聞』2006年11月7日朝刊第三社会面33面「差し戻し審で死刑、最高裁で来年弁論 仮釈放中、強盗殺人」
  49. ^ 『産経新聞』2006年11月7日東京朝刊社会面「差し戻し上告審 2月に弁論」
  50. ^ 『産経新聞』2007年3月13日大阪朝刊社会面「広島・仮出所中に女性強殺 最高裁、死刑指示か 差し戻し後上告審」
  51. ^ 『産経新聞』2007年3月13日東京朝刊社会面「仮出所中の強盗殺人 差し戻し後上告 4月10日に判決」
  52. ^ a b c d 『毎日新聞』2011年3月24日大阪朝刊第一社会面23面「仮釈放中の強盗殺人:接見立ち会いで『再審請求遅延』 国賠勝訴--広島」
  53. ^ 『毎日新聞』2012年1月28日大阪朝刊第一社会面27面「仮釈放中の強盗殺人:接見時立ち会い『3回とも違法』--広島高裁判決」
  54. ^ 『読売新聞』2012年2月10日大阪朝刊第一社会面27面「接見妨害訴訟 国が上告=広島」
  55. ^ a b 『読売新聞』2013年12月10日東京夕刊第二社会面16面「拘置所員 立ち合い違法 最高裁判決 再審請求打ち合わせ」

書籍出典[編集]

関連項目[編集]

  1. ^ インパクト出版会 2017.