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{{Otheruses|オハイオ州のシンシナティ|アイオワ州シンシナティ|シンシナティ (アイオワ州)}}
{{Otheruses|アメリカ合衆国オハイオ州の都市|}}

{{世界の市
{{世界の市
|正式名称 = シンシナティ市
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|公用語名称 = City of Cincinnati
|公用語名称 = City of Cincinnati
|愛称 = The Queen City, Cincy, The Tri-State, The City of Seven Hills
|愛称= The Queen City, Cincy
|標語 = Juncta Juvant(ラテン語で強い団結力のこと)
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|位置図の見出し = [[オイオ州]]におけるシンシナティの位置
|位置図の見出し= 上: ミルトン郡におけるシンシナティの市域<br />下: オハイオ州におけるハミルトン郡の位置
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|下位区分名= [[アメリカ合衆国]]
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|最高行政執行者称号 = 市長
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|最高行政執行者名 = ジョン・クランリー([[民主党 (アメリカ)|民主党]])
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|成立区分 = 入植開始
|成立区分= 創設
|成立日 = 1802
|成立日= 1788
|規模 = 市
|規模= 市
|総面積(平方キロ) = 206.01
|総面積(平方キロ)= 206.01
|総面積(平方マイル) = 79.6
|総面積(平方マイル)= 79.54
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|陸上面積(平方キロ)= 201.86
|陸上面積(平方マイル) = 78.0
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|都市圏人口 = 1,503,262
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<!-- |緯度度= 41 |緯度分= 28 |緯度秒= 56 |N(北緯)及びS(南緯)= N
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'''シンシナティ''' (Cincinnati) は[[オハイオ川]]が流れる[[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]]南西部にある拠点都市であり[[ハミルトン郡 (オハイオ州)|ハミルトン郡]]の[[郡庁所在地]]である。The Queen City、The Queen of the West、The Blue Chip City、The City of Seven Hills、Cincy などのニックネームを持っている。


[[2000年]][[国勢調査]]にと、シンシナティの総人口は31万7361人で[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]、[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]に次ぎ、オハイオ内で3番目に人口が多い一方、シンシナティ周辺のオハイオ州、[[ケンタッキー州]]及び[[インディアナ州]]の一部を含む[[:en:Cincinnati/Northern Kentucky metropolitan area|ティ及び北ケンタッキー大都市圏]]に、220万近くが居住しておりMSA換算では州内で1番、CSA換算ではクリーブランド次ぐ2番目に大きな都市圏を形成している。
'''シンシナティ'''('''Cincinnati''')は、[[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]]南西端位置す都市。州都[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]の南西約170km、[[ケンタッキー州]]との州境になっている[[オハイオ川]]の河畔に位置する。人口は296,943人([[2010年]][[国勢調査]])<ref name="FactFinder">[http://factfinder2.census.gov/main.html American FactFinder]. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日. 2011年4月5日閲覧.</ref>で、コロンバス、[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]に次3の都市である。シンシナティに郡庁を置く[[ハミルトン郡 (オハイオ州)|ハミルトン郡]]を中心にオハイオ・ケンタッキー[[インディアナ州|ディア]]3州の15郡にまたがる都市圏は2,114,580人、これに2つの小都市圏を加えた広域都市圏は2,174,110人(いずれも2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />の人口を抱えている。


1788年に創設され、その翌々年に[[シンシナティ協会]]から名を取ってシンシナティという地名がつけられた。[[19世紀]]前半から中盤にかけては、シンシナティは食肉加工の中心地、そしてオハイオ川の河港都市として発展し、[[1850年]]には全米第6の都市へと成長した<ref name="USCensus1850">[http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0027/tab08.txt Table 8. Population of the 100 Largest Urban Places: 1850]. U.S. Bureau of the Census. 1998年6月15日.</ref>。しかし、19世紀も後半に入り、交通の主役が蒸気船から鉄道へと移ると、その連節点として高い成長を遂げるようになった[[シカゴ]]や[[セントルイス]]に追い抜かれ、シンシナティは成長しながらも、その相対的な地位は低下した。.その後も[[20世紀]]中盤までは緩やかではあるものの成長を続け、[[1950年]]には人口50万人を超えたが<ref name="USCensus1950">[http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0027/tab18.txt Table 18. Population of the 100 Largest Urban Places: 1950]. U.S. Bureau of the Census. 1998年6月15日.</ref>、その後は減少に転じている。
シンシナティには[[プロクター・アンド・ギャンブル|P&G]]、[[クローガー]]、[[:en:Macy's, Inc.|メイシーズ株式会社]]([[メイシーズ]]や[[ブルーミングデールズ]]をはじめとする[[デパート]]数社の親会社)、[[ユナイテッド・フルーツ]]、[[:en:American Financial Group|アメリカン・フィナンシャル・グループ]]、及び[[U.Sプレイング・カード社]]の本社がある。また、[[メジャーリーグベースボール|大リーグ]][[シンシナティ・レッズ|レッズ]]及び[[NFL]][[シンシナティ・ベンガルズ|ベンガルズ]]の両方の本拠地である。


== 歴史と概要 ==
== 歴史 ==
シンシナティは[[1788年]]、マシアス・デンマン、ロバート・パターソン、およびイスラエル・ルドローの3人の入植者によって、[[オハイオ川]]北岸のこの地に創設された。その後、ジョン・フィルソンがデンマンから800[[エーカー]](323ha)の入植地の1/3を購入し、ロサンティビルと名付けた。その翌々年の[[1790年]]、[[北西部領土 (アメリカ合衆国)|北西部領土]]総督[[アーサー・セントクレア]]は、[[ジョージ・ワシントン]]が会長を務め、自身も所属していた[[シンシナティ協会]]の名を取って、シンシナティと改称した。 初期の移民には[[ドイツ]]系が多く、そのうちの1人で、セントクレアの後任としてこの地にあったワシントン砦に入城していたデイビット・ジーグラーが[[1802年]]にシンシナティの初代市長となった<ref>Goss, Charles Frederic. ''Cincinnati: The Queen City, 1788-1912.'' Vol.2. p.9. Chicago: S.J. Clarke Publishing Co. 1912年.</ref>。やがて[[1819年]]、シンシナティは市として正式に法人化された。
シンシナティ市は[[:en:John Cleves Symmes|ジョン・シムズ]]と[[:en:Colonel Robert Patterson|ロバート・パターソン]]によって[[1788年]]に創設された。市名は[[古代ローマ]]の政治家で[[執政官]]と[[独裁官]]を務めた[[キンキナトゥス]]に由来する。


[[File:Cincinnati-in-1841.jpg|left|thumb|280px|シンシナティ遠景([[1841年]])。手前はマイアミ・エリー運河、奥はオハイオ川。]]
[[オハイオ川]]中流に位置し、古くから河港の交易都市として知られ、[[1811年]]の[[蒸気船]]就航後は、[[石炭]]の積出港として発展した。畜産業における集散地となったため「豚肉の町」とも呼ばれた。また[[南北戦争]]前は、南部から逃亡してオハイオ川を渡った[[黒人]][[奴隷]]をさらに北へ、さらには[[カナダ]]へと逃がす、「[[地下鉄道 (秘密結社)|地下鉄道]]」の重要な拠点でもあった。今日でも[[工業都市]]として知られており、[[機械]]、[[鉄鋼]]、[[化学]]、食品工業を始め、更にIT産業や[[出版]]・印刷業も発達している。[[本社]]を置く主な企業に[[プロクター・アンド・ギャンブル]]などがある。外国籍企業の進出も多く、日系企業も多く見られる。


初期のシンシナティは食肉加工、殊に[[豚肉]]加工の中心地として発展し、''Porkopolis''(豚肉の都)と呼ばれた<ref name="OhioHistoryCentral">[http://www.ohiohistorycentral.org/w/Cincinnati,_Ohio Cincinnati, Ohio]. Ohio History Central. 2015年3月25日閲覧.</ref>。また、オハイオ川の河港であったシンシナティは[[19世紀]]前半から[[蒸気船]]が寄港する水上交通の拠点、および蒸気船製造の拠点として発展し<ref name="OhioHistoryCentral" />、[[1825年]]に建設の始まった[[マイアミ・エリー運河]]がその成長を促した。マイアミ・エリー運河はオハイオ川の支流である[[グレートマイアミ川]]を起点に北進し、[[1827年]]に北郊の[[ミドルタウン (オハイオ州)|ミドルタウン]]まで開通し供用開始、その後[[1830年]]に[[デイトン (オハイオ州)|デイトン]]まで、そして[[1840年]]には[[エリー湖]]岸の[[トレド (オハイオ州)|トレド]]まで延伸した。加えて陸上においても、[[1836年]]にリトル・マイアミ鉄道の建設が認可され.<ref name="Vexler">Vexler, Robert. ''Cincinnati: A Chronological & Documentary History''.</ref>、[[1846年]]に[[スプリングフィールド (オハイオ州)|スプリングフィールド]]まで全通、[[1849年]]にはスプリングフィールドまで開通したマッド・リバー・アンド・レイク・エリー鉄道と接続して、エリー湖のサンダスキー湾の湖港へとつながった。[[1853年]]には、リトル・マイアミ鉄道の途中駅[[ゼニア (オハイオ州)|ゼニア]]でコロンバス・アンド・ゼニア鉄道と接続して、州都[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]へと至る鉄道交通も確立された。商業も早い時期から発展し、街にはオハイオ川を下ってさらに西を目指す入植者の需要に応えるようにホテルやレストラン、酒場が建ち並び<ref name="OhioHistoryCentral" />、[[1837年]]には[[プロクター・アンド・ギャンブル]]が創立した。市のこうした急成長の最中、シンシナティの住民は市を''Queen City''(女王都市)と呼ぶようになった。[[1850年]]には、シンシナティは115,435人の人口を抱え、[[ニューヨーク]](515,547人)、[[ボルチモア]](169,054人)、[[ボストン]](136,881人)、[[フィラデルフィア]](121,376人)、[[ニューオーリンズ]](116,375人)に次ぐ全米第6の都市に成長していた<ref name="USCensus1850" />。
シンシナティの[[治安]]は決して良いほうであるとは言えない。[[モーガン・クイットノー]]社の「全米の危険な都市」ランキングのワースト25にしばしば登場する。同社の[[2005年]]調査ではワースト20位であった。[[オハイオ州]]の他の主要都市と比較すると、[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]や[[デイトン (オハイオ州)|デイトン]]よりは治安が良く、[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]や[[アクロン (オハイオ州)|アクロン]]よりは悪い。しかし、全米の他の主要都市同様、市街地の再開発が進められている。


[[File:undergroundrailroadsmall2.jpg|right|thumb|400px|地下鉄道の経路図([[1830年|1830]]-[[1865年|65年]])]]
文化施設としては、西洋美術を多く扱うシンシナティ美術館、[[シンシナティ・ミュージアムセンター]]、[[ウィリアム・H・タフト|タフト]]大統領のコレクションを公開している[[タフト美術館]]などがある。また、市内には[[シンシナティ大学]]を抱えている。[[シンシナティ小児病院]]は[[シンシナティ大学]]の附属病院で、その医療レベルは常に全米十指に数えられている。

[[南北戦争]]前夜には、オハイオ川1本隔てた対岸は南部の奴隷州という立地から、シンシナティは自由を求めてオハイオ川を渡った逃亡奴隷をさらに北へと逃がす[[地下鉄道 (秘密結社)|地下鉄道]]の重要な拠点、そして[[奴隷制度廃止運動#アメリカ合衆国|奴隷制廃止運動]]の中心地となった。[[ハリエット・ビーチャー・ストウ]]はシンシナティに住んでいた間、逃亡奴隷に会い、その話を基にして「[[アンクル・トムの小屋]]」を書き上げた。[[リーヴァイ・コッフィン]]は[[1847年]]に[[インディアナ州]]からシンシナティに移り、ここを奴隷制廃止活動の拠点とした<ref>Levi Coffin, ''Reminiscences of Levi Coffin, the reputed president of the underground railroad: being a brief history of the labors of a lifetime in behalf of the slave, with the stories of numerous fugitives, who gained their freedom through his instrumentality, and many other incidents'', Cincinnati: Western tract society, University of Michigan Library.</ref>。

しかしそれと同時に、逃亡奴隷を捕捉して南部へ送り返そうとする者や、奴隷制廃止に反対の立場を取る者もまた多くいた。またこの時期のシンシナティの地域経済自体が、奴隷州との通商に大きく支えられていた。こうした背景から、19世紀中盤のシンシナティではしばしば人種がらみの暴動が起きた。[[1829年]]には、奴隷制廃止反対派が市内の黒人を攻撃し、暴動となった。この結果、1,200人の黒人が街を離れ、カナダに避難した<ref name="woodson">Woodson, Carter Godwin. ''The Negro in Our History''. p.140. Associated Publishers. 1922年.</ref>。この暴動と避難は全米で議論を呼び、[[1830年]]にフィラデルフィアで第1回黒人会議が開かれるに至った。[[1836年]]には、700人の奴隷制廃止反対派が群れを成して黒人居住地区に攻撃を仕掛け、また奴隷制廃止派の週刊誌、''The Philanthropist''誌の本社を破壊した<ref>[http://www.iath.virginia.edu/utc/abolitn/mobhp.html The Pro-Slavery Riot in Cincinnati]. Abolitionism 1830-1850, ''Uncle Tom's Cabin and American Culture''. University of Virginia. 1998-2007年. 2015年3月16日閲覧.</ref>。同種の暴動は[[1841年]]にも起きた<ref name="Aaron1992">Aaron, Daniel. ''Cincinnati, Queen City of the West: 1819-1838''. p.300. Ohio State University Press. 1992年. ISBN 0-8142-0570-4.</ref>。[[1850年]]に[[逃亡奴隷法#1850年法|逃亡奴隷法]]が成立すると、そうした緊張はさらに高まった。

南北戦争中には、シンシナティはその地理的条件から、[[北軍]]の重要な[[兵站]]拠点としての役割を果たすとともに、[[オハイオ軍管区]]の司令部が置かれた。また、郊外には新兵の徴集、訓練、および負傷兵の治療の拠点としてキャンプ・デニソンが設置された。その一方で、シンシナティは南軍にとっては格好の標的であった。[[1862年]]9月には、南軍の[[准将]]ヘンリー・ヒースが約8,000の兵を率いてシンシナティに侵攻しようとした。しかし、北軍の[[少将]][[ルー・ウォーレス]]が指揮する約25,000の[[オハイオ軍]]に加えて、州知事[[デイヴィッド・トッド (政治家)|デイビッド・トッド]]の号令で集結した、''Squirrel Hunters''(リス猟師)と呼ばれた約60,000の民兵が街の守りに就き、ヒース隊を撤退させた<ref>Roth, David E. [http://www.cincinnaticwrt.org/data/ohio%20in%20the%20war/1862%20Defense%20of%20Cincinnati/iii_squirrel.pdf Squirrel Hunters to the Rescue]. Ch.III. ''Panic on the Ohio!: Confederates March on Cincinnati, September 1962''. ''Blue & Gray Magazine''. Columbus, Ohio. 1986年4-5月. 2015年3月24日閲覧. (PDFファイル)</ref>。シンシナティの防衛成功により、ウォーレスは一躍、この地の英雄として讃えられた<ref>Walden, Geoffrey R. [http://www.cincinnaticwrt.org/data/ohio%20in%20the%20war/1862%20Defense%20of%20Cincinnati/iv_defenses.pdf The Defenses of Cincinnati]. Ch.IV. ''Panic on the Ohio!: Confederates March on Cincinnati, September 1962''. ''Blue & Gray Magazine''. Columbus, Ohio. 1986年4-5月. 2015年3月24日閲覧. (PDFファイル)</ref>。

[[File:Pork packing in Cincinnati 1873.jpg|left|thumb|250px|シンシナティの豚肉加工([[1873年]])]]

南北戦争が終わると、蒸気船に代わって、鉄道交通が目覚ましい成長を遂げたが、主要路線の多くは[[アメリカ合衆国東部|東部]]と北西部を結ぶものであった。シンシナティ市当局は工業化の進む[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]に[[アメリカ合衆国南部|南部]]の天然資源をもたらすのみならず、戦後復興の進む南部市場にアクセスする手段ともなる鉄道の必要性を認識し、[[1869年]]にシンシナティ・サザン鉄道を建設する法案を可決した。この鉄道は11年後の[[1880年]]に開通し、シンシナティと[[テネシー州]][[チャタヌーガ]]とが結ばれた<ref>[http://cincinnatisouthernrailway.org/about/ About]. Cincinnati Southern Railway. 2015年3月25日閲覧.</ref>。

19世紀後半のシンシナティでは食肉加工に加えて、[[鉄鋼業|製鉄]]、繊維、木材加工といった産業が発展した<ref name="OhioHistoryCentral" />。また、[[1889年]]には、もともとは[[馬車]]であったストリートカーが[[鉄道の電化|電化]]された<ref name="O'Neill">O'Neill, Tom. [http://www.enquirer.com/editions/2001/08/18/loc_exhibit_commemorates.html Exhibit commemorates the streetcar era]. ''The Cincinnati Enquirer''. 2001年8月18日. 2015年3月25日閲覧.</ref>。しかし、この頃になると、[[大陸横断鉄道]]の連節点となった[[シカゴ]]や[[セントルイス]]が急速な成長を遂げ、また州内でも製鉄をはじめとする重工業都市として[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]が台頭してきたこともあり、シンシナティは成長を続けながらもその相対的な地位を落とした。それでもなお、[[1900年]]に至るまで、シンシナティは全米10大都市の1つに名を連ねていた。[[1929年]]の[[世界恐慌]]の際には、シンシナティが受けた経済的打撃は、鉄道よりも安価であるという理由による河川交通の盛り返しで相殺され、結果として全米の他の大都市に比べると軽微なものにとどまった。

[[File:Fountain-square-1907.jpg|right|thumb|250px|ファウンテン・スクエア([[1907年]])]]

[[20世紀]]に入ると、シンシナティにも[[超高層ビル]]が建てられるようになった。[[1913年]]に完成したユニオン・セントラル・タワー<ref>Rolfes, Steven J. ''Cincinnati Landmarks''. p.20. Arcadia Publishing. 2012年. ISBN 9780738593951.</ref>(現称: PNCタワー)は、31階建て、高さ151mで、当時としては世界で5番目に高いビルであった<ref>[http://www.emporis.com/buildings/122082/pnc-tower-cincinnati-oh-usa PNC Tower]. Emporis. 2015年3月26日閲覧.</ref>。[[1931年]]には、カリュー・タワーが、世界恐慌の影響で建設費削減のためのデザイン変更を余儀なくされながらも完成した<ref name="Emporis_CarewTower">[http://www.emporis.com/buildings/122028/carew-tower-cincinnati-oh-usa Carew Tower]. Emporis. 2015年3月26日閲覧.</ref>。

シンシナティの人口は20世紀に入っても中盤まで緩やかではあるものの増え続け、[[1950年]]には人口503,998人でピークに達した<ref name="USCensus1950" />。しかし、それ以降は全米の、特に東部・中西部の他の多くの大都市と同様、高速道路網の発達による郊外への人口流出等の要因によって、シンシナティの人口は減少に転じた。

[[1970年代]]以降、シンシナティはダウンタウンを活性化する試みを行ってきた。[[1971年]]には、天候や路上の交通渋滞を気にせずにダウンタウン内を行き来できるよう、ダウンタウンの中心、ファウンテン・スクエアと、その3ブロック西のコンベンションセンターとを結ぶ[[スカイウォーク]]が設置された。このスカイウォークは1970-[[1980|80年代]]にかけて立て続けに延伸され、[[1997年]]に全長2.1kmが完成した。しかし[[2000年代]]に入ると、スカイウォークの存在によって地上を行き来する歩行者が減り、ダウンタウンの活性化の妨げになっているという指摘がなされるようになり、経路途中のビルや施設の取り壊しや改修もあいまって、スカイウォークの一部が取り壊されていき、途切れるようになった<ref>Alltucker, Ken. [http://enquirer.com/editions/2003/06/01/loc_skywalk01.html Downtown Skywalk Falls into Disfavor]. ''Cincinnati Enquirer''. 2003年6月1日. 2015年4月5日閲覧.</ref><ref>Yung, John. [http://www.bizjournals.com/cincinnati/blog/2012/02/the-story-behind-cincinnatis-slowly.html?page=all The Story behind Cincinnati's Slowly Disappearing Skywalk System]. ''Cincinnati Business Courier''. 2012年2月24日. 2015年4月5日閲覧.</ref>。[[2003年]]には、ダウンタウンやその北に隣接するオーバー・ザ・ライン地区の再生をミッションとする、シンシナティ都心開発公社(3CDC)が設立された<ref name="3CDC_WhoWeAre">[http://www.3cdc.org/who-we-are/ Who We Are]. Cincinnati Center City Development Corporation. 2015年4月5日閲覧.</ref>。


== 地理 ==
== 地理 ==
シンシナティは{{ウィキ座標度分秒|39|6|6|N|84|30|45|W|}}に位置している。州都[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]からは南西へ約170km、[[インディアナポリス]]からは南東へ約180km、[[シカゴ]]からは南東へ約470kmに位置する。市は[[ケンタッキー州]]との州境になっている[[オハイオ川]]に面しており、[[インディアナ州]]との州境からは東へ約35kmである。
[[ファイル:Cincinnati-skyline-from-kentucky-shore-night.jpg|thumb|300px|[[ケンタッキー州]]岸から、シンシナティの夜景]]
シンシナティは、北緯39度8分10秒、西経84度30分11秒 (39.136160, -84.503088) にある。[[アメリカ合衆国統計局]]によると、シンシナティは総面積206.1 [[平方キロメートル|km&sup2;]]である。このうち201.9 km&sup2; が陸地で4.1 km&sup2;が水地域である。総面積の2.01%は水地域となっている。


[[アメリカ合衆国国勢調査局]]によると、シンシナティ市は総面積206.01km<sup>2</sup>(79.54mi<sup>2</sup>)である。そのうち201.86km<sup>2</sup>(77.94mi<sup>2</sup>)が陸地で4.14km<sup>2</sup>(1.60mi<sup>2</sup>)が水域である。総面積の2.01%が水域となっている。都市圏は[[ハミルトン郡 (オハイオ州)|ハミルトン郡]]を中心に、[[オハイオ州]]南西部、ケンタッキー州北部、およびインディアナ州南東部の15郡にまたがり、その面積は10,798km<sup>2</sup>である。
== 人口動勢 ==
[[2000年]]の[[国勢調査]]によると、シンシナティの人口は31万7361人で、16万012世帯に7万2,566家族が暮らしている。[[人口密度]]は640.5/km² (4249.0/mi²) である。822.1/km²の平均的な密度に16万6012軒の住宅が建っている。この都市の人種的な構成は[[白人]]52.97%、[[アフリカ系アメリカ人|アフリカン・アメリカン]]42.92%、[[インディアン|先住民]]0.21%、アジア系1.55%、太平洋諸島系0.04%、その他の人種0.63%、及び混血1.68%である。人口の1.28%は[[ヒスパニック]]またはラテン系である。


=== 地形 ===
14万8095世帯のうち、25.1%が18歳未満の子供と一緒に生活しており、26.6%は夫婦で生活している。18.6%は未婚の女性が世帯主であり、51.0%は家族以外の住人と同居している。42.8%は独身の居住者が住んでおり、11.1%は65歳以上で独身である。1世帯の平均人数は2.15人であり、家庭の場合は、3.02人である。
[[File:Geographic regions ohio.svg|left|thumb|180px|オハイオ州における地形区分]]


オハイオ州南西端、オハイオ川中流域の北岸に位置するシンシナティは、アメリカ合衆国における地域区分では[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]とされるが、地形区分的には[[アップランドサウス]]の北縁とみなされ、ケンタッキー州北部と同様に[[ブルーグラス地域]]に含められる<ref>[http://geosurvey.ohiodnr.gov/portals/geosurvey/PDFs/Misc_State_Maps&Pubs/physio.pdf Physiographic Regions of Ohio]. Division of Geographical Survey, Department of Natural Resources, State of Ohio. 1998年. 2015年3月30日閲覧. (PDFファイル)</ref>。この地域は[[石灰岩]]性の地質で、なだらかな丘が連なり、オハイオ川をはじめとする河川が深さ120-150mにおよぶ谷を刻んでいる<ref>McFarlan, Arthur C. [http://www.uky.edu/OtherOrgs/KPS/goky/pages/gokych13.htm Blue Grass]. ''Geology of Kentucky''. University of Kentucky. 1943年. 2015年3月31日閲覧.</ref>。シンシナティは中心部こそ、オハイオ川が形成した[[盆地]]状の谷間に広がっており、平坦であるものの、周縁の住宅地は丘陵地帯へと広がっており、起伏に富んでいる。また中心部のすぐ東側のマウント・アダムズ地区などでは、丘陵がオハイオ河岸のかなり近くまで迫っており、オハイオ川を見下ろす高台という立地になっている。市中心部の標高は168mであるが、周縁部の標高は概ね200-280m程度である。
人口の24.5%が18歳未満で、12.9%が18歳から24歳、31.6%が25歳から44歳、18.7%が45歳から64歳、12.3%が65歳以上である。平均年齢は32歳である。女性100人に対し、89.4人が男性である。18歳以上の女性100人に対し、85.6人が18歳以上の男性である。


こうした地形のため、市内の丘の斜面には400ヶ所もの市営の歩道[[階段]]があり、実用のほか、ジョギングやハイキングにも使われている<ref>[http://www.cincinnati-oh.gov/dote/dote-programs/hillside-steps/ Hillside Steps]. Department of Transportation and Engineering, City of Cincinnati. 2015年3月31日閲覧.</ref>。また、19世紀後半から20世紀中盤にかけては、シンシナティには5本の[[ケーブルカー#インクライン|インクライン]]が運行されていた<ref>[http://www.cincinnativiews.net/cablecars%20inclines.htm Inclines & Cable Cars]. ''Greetings from Cincinnati''. 2015年3月31日閲覧.</ref>。
この都市の世帯ごとの平均的な収入は2万9493ドルであり、家族ごとの平均的な収入は37,543米ドルである。男性は3万3063米ドルに対して女性は26,946米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入は1万9962ドルである。人口の21.9%及び家族の18.2%は[[貧困線]]以下である。全人口のうち18歳未満の32.0%及び65歳以上の14.8%は貧困線以下の生活を送っている。


== スポーツ ==
=== 気候 ===
{{climate chart
=== メジャーリーグチーム ===
* [[シンシナティ・レッズ]]([[メジャーリーグベースボール|MLB]])
| シンシナティ
| -5.2 | 4.2 | 81.3
* [[シンシナティ・ベンガルズ]]([[NFL]])
| -3.7 | 6.6 | 63.5
| 0.8 | 12.1 | 99.1
| 6.1 | 18.9 | 91.4
| 11.4 | 24.1 | 114.3
| 16.4 | 28.5 | 99.1
| 18.8 | 30.4 | 104.1
| 17.8 | 29.7 | 91.4
| 13.7 | 26.0 | 81.3
| 7.1 | 19.9 | 68.6
| 1.9 | 12.7 | 83.8
| -2.9 | 6.3 | 78.7
| float = right
| clear = both
| source = [http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=675133&refer= Weatherbase.com]
}}


シンシナティの気候は中西部としては温暖な部類に入り、夏は[[アメリカ合衆国南部|南部]]同様に暑く湿気が多いものの、同緯度の[[アメリカ合衆国東海岸|東海岸]]諸都市と比べると冬の寒さが厳しい、内陸性の気候である。最も暖かい[[7月]]の平均気温は24℃、日中の最高気温の平均は30℃に達する。最も寒い[[1月]]の平均気温は氷点下0.5℃、最低気温の平均は氷点下5℃まで下がる。1年を通じて平均的に降水があり、降水量は月間約70-110mm、年間約1,060mmである。また、州北部・[[エリー湖]]岸の[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]等と比べるとかなり少ないものの、冬季には降雪も見られる。12月から3月までの降雪量は月間5-12cm程度、ひと冬では約37.5cmである<ref name=weatherbase />。[[ケッペンの気候区分]]では、シンシナティは[[温暖湿潤気候]](''Cfa'')に属する。
=== マイナーリーグチーム ===
* [[:en:Cincinnati Kings|シンシナティ・キングス]]、[[ユナイテッドサッカーリーグ]][[:en:USL Second Division|2部]]
* [[:en:Cincinnati Mighty Ducks|シンシナティ・マイティダックス]]、[[アメリカン・ホッケー・リーグ|AHL]]


{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
=== 開催地 ===
|+ '''シンシナティの気候'''<ref name=weatherbase>[http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=675133&refer= Historical Weather for Cincinnati, Ohio, United States of America]. Weatherbase.com. 2015年3月11日閲覧.</ref>
* [[グレート・アメリカン・ボール・パーク]]: レッズの本拠地
|-
* [[ポール・ブラウン・スタジアム]]: ベンガルズの本拠地、サッカーも行われる
!
* [[:en:Cincinnati Gardens|シンシナティ・ガーデンズ]]: ホッケー、野球、ボクシング
! [[1月]] !! [[2月]] !! [[3月]] !! [[4月]] !! [[5月]] !! [[6月]] !! [[7月]] !! [[8月]] !! [[9月]] !! [[10月]] !! [[11月]] !! [[12月]] !! 年
* [[:en:U.S. Bank Arena|US・バンク・アリーナ]]: ホッケー、野球、アメリカンフットボール、サッカー
|-
! 平均気温([[セルシウス度|℃]])
| -0.5 || 1.4 || 6.4 || 12.5 || 17.7 || 22.4 || 24.6 || 23.7 || 19.9 || 13.5 || 7.3 || 1.7 || 12.6
|-
! 降水量([[ミリメートル|mm]])
| 81.3 || 63.5 || 99.1 || 91.4 || 114.3 || 99.1 || 104.1 || 91.4 || 81.3 || 68.6 || 83.8 || 78.7 || 1,056.6
|}


=== 都市概観と建築物 ===
== 主要な大学 ==
[[File:FountainSquare.jpg|left|thumb|250px|ファウンテン・スクエア]]
* [[シンシナティ大学]]

* [[:en:Xavier University (Cincinnati)|ゼイヴィアー大学]]
シンシナティの街路はダウンタウンでこそ比較的整然と区画されているものの、周縁部では起伏に富んだ地形のために入り組んでいる。東西に通る通りはバイン・ストリートを境にE(東)とW(西)に分かれている。一方、南北に通る通りには南と北の区別は無い。東西に通る通りには、数字のついた通りがいくつかあり、オハイオ川から離れるほど数字が大きくなる。
* [[:en:Union Institute & University|ユニオン学院大学]]

* [[:en:College of Mount St. Joseph|マウント・セント・ジョセフ大学]]
ダウンタウンの中心となっているのは、バイン・ストリート、5thストリート、フィフス・サード・センター、およびフィフス・サード・タワーに囲まれた、ファウンテン・スクエアという広場である。この広場は、[[1871年]]に肉屋の跡地に造られたもので<ref name="FederalWritersProject_p179">Federal Writers' Project. ''Cincinnati, a Guide to the Queen City and Its Neighbors''. p.179. Best Books on. 1943年. ISBN 9781623760519.</ref>、[[2005年]]にダウンタウン再開発の一環として、3CDCによって大規模な改修が行われた<ref name="3CDC_WhoWeAre" />。その名が示す通り、ファウンテン・スクエアの中央にはタイラー・デイビッドソン・ファウンテンという[[噴水]]が設けられている。この噴水の池は緑色の[[花崗岩|御影石]]造で<ref name="FederalWritersProject_p179" />、''To the People of Cincinnati''(シンシナティ市民へ)と彫られている<ref>"Are You Ready for Cincinnati?" p.144. ''Cincinnati Magazine''. 2007年.</ref>。''Genius of Water''と名付けられている、この噴水の中央に立つ、両腕を広げた女神の銅像は、[[ミュンヘン]]の彫刻家フェルディナンド・フライハー・フォン・ミラーの手によるものである<ref>Hyac. Holland. "Ferdinand von Miller". pp. 401–409. ''Allgemeine Deutsche Biographie''. 52. Leipzig: Duncker & Humblot. 1906年. </ref>。また、冬季には、タイラー・デイビッドソン・ファウンテンの前(5thストリート側)に[[スケートリンク]]が設けられる。
* [[ヘブライ・ユニオン・カレッジ]]

* [[マイアミ大学 (オハイオ州)|マイアミ大学]]: 正確にはシンシナティの北西約55kmに位置する[[オックスフォード (オハイオ州)|オックスフォード]]にある([[フロリダ州]]の[[マイアミ大学 (フロリダ州)|マイアミ大学]]とは無関係)。
{{Double image aside|right|Cincinnati-carew-tower.jpg|180|Great American Tower.jpg|180|左: カリュー・タワー<br />右: グレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエア}}
* [[北部ケンタッキー大学]]: 正確にはグレーター・シンシナティ内の[[ケンタッキー州]][[ハイランド・ハイツ (ケンタッキー州)|ハイランド・ハイツ]]市内にある。

シンシナティで最も高い建物は、ダウンタウンの南東端、シカモア・ストリートと3rdストリートの北東角に建つ、41階建て、高さ203mのグレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエアである<ref name="Emporis_GreatAmericanTower">[http://www.emporis.com/buildings/137088/great-american-tower-cincinnati-oh-usa Great American Tower]. Emporis. 2015年3月26日閲覧.</ref>。[[2011年]]に完成したこの超高層ビルは[[小圃千浦]]の息子で、日系アメリカ人建築家の[[ギョウ・オバタ]]が設計したもので、[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ]]の[[ティアラ]]から着想を得た、市の愛称である''Queen City''にもちなんだティアラが屋上に被せられていることが特徴である。このティアラは鋼鉄の[[管]]でできており、高さ40m、重さは400tである<ref name="Emporis_GreatAmericanTower" />。このグレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエアに次いで高いビルが、ファウンテン・スクエアの南西に隣接するブロックに建ち、シンシナティのシンボルともなっている、49階建て、高さ175mのカリュー・タワーである。当時流行の[[アール・デコ]]様式で建てられたこのビルは、グレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエアが完成するまで80年にわたって、シンシナティで最も高いビルであった<ref name="Emporis_CarewTower" />。カリュー・タワーは[[1982年]]に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に<ref name="NRHP_HamiltonCountyOH">[http://www.nationalregisterofhistoricplaces.com/OH/Hamilton/state.html OHIO - Hamilton County]. ''National Register of Historic Places''. 2015年4月5日閲覧.</ref>、また[[1994年]]には[[アメリカ合衆国国定歴史建造物|国定歴史建造物]]に<ref>[http://tps.cr.nps.gov/nhl/detail.cfm?ResourceId=1849&ResourceType= Carew Tower-Netherland Plaza Hotel]. ''National Historic Landmarks Program''. National Park Service. 2015年4月5日閲覧.</ref>それぞれ登録された。

ダウンタウンの北に隣接するオーバー・ザ・ライン地区は、シンシナティ最古、かつ最大の歴史地区で、[[1842年]]に[[カトリック教会|カトリック]]のシンシナティ大司教区の本山であるオールド・セント・メアリーズ教会が建てられて以来の歴史を持っている。362.5[[エーカー]](1.47km<sup>2</sup>)の地区内にはギリシアリバイバル、イタリアネイト、クイーン・アンなどの建築様式の歴史的建築物約1,100棟が残されている<ref>[http://www.otrfoundation.org/OTR_Architecture.htm Guide to OTR Architecture]. Over-the-Rhine Foundation. 2015年4月8日閲覧.</ref>。オーバー・ザ・ライン地区は、[[1983年]]に地区全体が国家歴史登録財に登録された<ref name="NRHP_HamiltonCountyOH" />。

== 政治 ==
[[File:CincinnatiCityHall.jpg|left|thumb|250px|シンシナティ市庁舎]]

シンシナティは[[シティー・マネージャー制]]を採っている。シティー・マネージャーは市の行政実務の最高責任者であり、約6,300人の職員を抱える市政府の長である<ref>[http://cincinnati-oh.gov/manager/about-the-city-manager/ About City Manager]. City of Cincinnati. 2015年4月6日閲覧.</ref>。市の立法機関である市議会は9人の議員から成っており、その任期は4年で、連続2選までに制限されている<ref>"Article II. - LEGISLATIVE POWER". ''Charter of the City of Cincinnati''. City of Cincinnati. 2015年3月31日.</ref>。市長は市の公式な長であり、様々な場で市の代表としての役割を果たす。市議会においては、市長はその全会議に出席し、かつ特別会議を招集することもできるが、投票権は有さず、拒否権を有している。また、市長は市議員の中から、副市長や市議会議長を任命する。市長はシティー・マネージャーの任命権限も有しているが、任命したシティー・マネージャー候補者が実際に選出されるためには、過半数にあたる5人の市議員の賛成を得る必要がある<ref>"Article III. - MAYOR". ''Charter of the City of Cincinnati''.</ref>。市議会議員は全市からの投票で、上位9人が選出される。市長は市議会議員とは別に、全市からの投票で選出される<ref>"Article IX. - NOMINATIONS AND ELECTIONS". ''Charter of the City of Cincinnati''.</ref>。

シンシナティの市政選挙が現在の形になるまでには紆余曲折があった。[[1924年]]までは、シンシナティ市議会は選挙区制が採られていた。しかし、[[1880年代]]から[[1920年代]]にかけて、[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の[[マシーン (政治)|マシーン]]で、地元政界のボスであったジョージ・B・コックスの下、市議会は選挙区制によって共和党1党で占められ、腐敗の温床になっていた。そこで1924年に、別の共和党員マレー・シーズングッドが中心となって市政改革が行われ、選挙区を廃して全市からの投票に移行するとともに、シティー・マネージャー制を導入した。1924年から[[1957年]]までは、市議員は[[比例代表制]]で選出されていたが、[[1957年]]からは、上位9候補が選出される方式に改められた。この当時、市長は市議会によって選出されていたが、[[1987年]]にトップ当選者が自動的に市長に選出されるように改められ、その後[[1999年]]に、市議員とは別に選出されるように改められた。

== 治安 ==
[[File:Jan-thru-Jun-2008-Cincinnnati-Part-1-Crimes.jpg|right|thumb|400px|シンシナティの地区ごとの凶悪犯罪件数の割合([[2008年]])]]

シンシナティ消防局は[[1853年]]、全米で初めて創設された、満額支給の職業消防局である。同局は市内26ヶ所に、市全域をカバーできるように消防署を配置し、消火、[[救急隊]]、[[二次救命処置]]、[[放火]][[捜査]]、防火、および危険物事故処理を行っている<ref>[http://www.cincinnati-oh.gov/fire/about-fire/ About Fire]. Cincinnati Fire Department, City of Cincinnati. 2015年4月8日閲覧.</ref>。

シンシナティ市警察は約1,000人の警察官、および125人の文官を抱えており、巡回、捜査、およびサポートの3部隊に分かれている<ref>[http://www.cincinnati-oh.gov/police/about-police/ About Police]. Cincinnati Police Department, City of Cincinnati. 2015年4月8日閲覧.</ref>。

シンシナティの犯罪件数は[[2001年]]の暴動で急増した後、年を経るごとに減少傾向にはあるものの、治安はあまり良いほうであるとは言えない。CQプレス社傘下、[[モーガン・クイットノー]]による調査では、シンシナティはたびたび「全米の危険な都市」ワースト25に入る。同社の[[2013年]]の調査では、シンシナティは全米で20番目に危険な都市であると報じられた<ref>[http://os.cqpress.com/citycrime/2012/CityCrime2013_CityCrimeRateRankings.pdf 2012 City Crime Rate Rankings]. CQ Press. 2013年.</ref>。殺人の発生率が高く、人口100,000人あたりの年間発生件数は20件前後で推移している。前述のモーガン・クイットノーの調査の基となった、[[連邦捜査局]](FBI)の[[2011年]]のデータでは、人口100,000人あたり20.5件<ref>[http://www.fbi.gov/about-us/cjis/ucr/crime-in-the-u.s/2011/crime-in-the-u.s.-2011/tables/table8statecuts/table_8_offenses_known_to_law_enforcement_ohio_by_city_2011.xls Table 8 - Ohio]. Federal Bureau of Investigation. 2011年. 2015年4月8日閲覧.</ref>で、全米平均(人口100,000人あたり4.7件)<ref>[http://www.fbi.gov/about-us/cjis/ucr/crime-in-the-u.s/2011/crime-in-the-u.s.-2011/tables/table-1 Crime in the United States]. Federal Bureau of Investigation. 2011年. 2015年4月9日閲覧.</ref>の4倍を超える高い値である。州内の他の主要都市と比べると、シンシナティの治安は[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]よりはかなり良く、[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]よりは悪い。

しかし、全米の多くの都市同様に、犯罪件数の多い地域は限られている。シンシナティでは、ダウンタウン、およびその北西に位置するイースト・ウェストウッド、サウス・フェアマウント、ノース・フェアマウント、イングリッシュ・ウッズの各地区が犯罪多発地区となっており、これら5地区だけで全市の3割を占めている。このうち、ダウンタウンを除いた市中西部の4地区に共通しているのは、低所得者層向けのセクション8と呼ばれる集合住宅が建ち並ぶなど、住民の所得水準が低いことである。[[2000年代]]中盤までは、オーバー・ザ・ライン地区は麻薬がらみの暴力犯罪が頻発する、全市最悪の犯罪多発地区であったが、その後は市警察と3CDC協同の再開発の成功により、同地区における犯罪は激減した<ref>Janke, Richard. [http://cagisperm.hamilton-co.org/cpop/documents/qrtreps/4th06/Dist%20One%204th%20Quarter%20Problem%20Solving%20Report%202006.pdf District One 4th Quarter Problem Solving Report]. City of Cincinnati. 2007年2月26日. 2015年4月8日閲覧. (PDFファイル)</ref>。

== 経済 ==
[[File:Cincinnati-procter-and-gamble-headquarters.jpg|left|thumb|180px|プロクター・アンド・ギャンブル本社]]

シンシナティ市内には、アメリカ合衆国内34州に2,600店舗以上を有する<ref>[http://www.thekrogerco.com/about-kroger/operations Operations Overview]. Kroger. 2015年3月5日. 2015年4月10日閲覧.</ref>、世界最大の[[スーパーマーケット]]チェーンである<ref>Schulz, David P. [https://nrf.com/news/top-100-retailers Top 100 Retailers]. Washington, DC: National Retail Federation. 2015年4月10日閲覧.</ref>[[クローガー]]や、世界180ヶ国以上で製品を販売する<ref>[http://www.pg.com/en_US/company/global_structure_operations/index.shtml Global Structures & Governance]. Procter & Gamble. 2015年4月10日閲覧.</ref>一般[[消費財]]製造・商社である[[プロクター・アンド・ギャンブル]]をはじめ、[[フォーチュン500]]に入る企業が5社本社を置いている<ref>[http://fortune.com/fortune500/ Fortune 500]. ''Fortune''. 2014年. 2015年4月10日閲覧.</ref>。また、オハイオ州を代表する[[銀行]]の1つである[[フィフス・サード銀行]]は、ファウンテン・スクエアの隣に本社ビルを構えている。また、シンシナティには[[クリーブランド連邦準備銀行]]の支店も置かれている<ref>[https://www.clevelandfed.org/en/About%20Us/Who%20We%20Are/Our%20Offices.aspx Our Offices]. Federal Reserve Bank of Cleveland. 2015年4月14日閲覧.</ref>。

加えて、ケンタッキー州側の[[コビントン (ケンタッキー州)|コビントン]]には、石油化学をはじめとする総合化学グループの[[アシュランド (企業)|アシュランド]]が、また[[ハイランドハイツ (ケンタッキー州)|ハイランドハイツ]]には電気・通信[[電線|ケーブル]]の製造を行う[[ゼネラル・ケーブル]]がそれぞれ本社を置いている。また、[[シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港]]に程近い[[アーランガー (ケンタッキー州)|アーランガー]]には、[[トヨタ自動車]]の在米子会社であるトヨタ・モーター・エンジニアリング・アンド・マニュファクチャリング・ノース・アメリカが本社を置いている<ref>[https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/data/conditions/facilities/companies/overseas_coordinating_companies.html 海外統括管理会社]. トヨタ自動車. 2015年4月10日閲覧.</ref>。

{| class="wikitable" style="font-size:90%;width:100%;text-align:center;line-height:120%"
|-
! colspan=4 | シンシナティ都市圏に本社を置くフォーチュン500企業
|-
! 順位 !! 企業名 !! 業種 !! 本社所在地
|-
| 24 || クローガー || [[小売]] || シンシナティ
|-
| 31 || プロクター・アンド・ギャンブル || 一般消費財 || シンシナティ
|-
| 107 || [[メイシーズ]] || 小売 || シンシナティ
|-
| 344 || アシュランド || 化学 || コビントン
|-
| 361 || フィフス・サード・バンコープ || 銀行 || シンシナティ
|-
| 405 || ゼネラル・ケーブル || 電線 || ハイランドハイツ
|-
| 415 || [[オムニケア]] || [[医薬品]] || シンシナティ
|}

== 交通 ==
シンシナティの玄関口となる商業空港は、ダウンタウンの南西約15km<ref>[http://www.gcr1.com/5010web/airport.cfm?Site=CVG Cincinnati/Northern Kentucky Int'l]. ([http://www.gcr1.com/5010web/REPORTS/AFD03052015CVG.pdf Form 5010]) ''Airport Master Record''. Federal Aviation Administration. 2015年3月5日. 2015年4月12日閲覧.</ref>、[[ケンタッキー州]]ヘブロンCDPに立地する[[シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港]]([[IATA空港コード|IATA]]: '''CVG''')である。この空港は[[デルタ航空]]の[[ハブ空港]]の1つで、同社の直行便が[[パリ]]の[[パリ=シャルル・ド・ゴール空港|シャルル・ド・ゴール空港]]を含め、国内外40都市に就航している<ref>[http://news.delta.com/index.php?s=20309&cat=3191 Domestic Hubs]. Delta Air Lines. 2015年4月12日閲覧.</ref>ほか、[[アメリカン航空]]および[[ユナイテッド航空]]もそれぞれハブ空港からの便を発着させている。加えて、同空港は[[DHL]]が世界でわずか3港だけ置いている「スーパーハブ」のうちの1港であり<ref>Wetterich, Chris. [http://www.bizjournals.com/cincinnati/news/2013/06/13/dhl-opens-super-hub-at-cvg.html DHL opens super-hub at CVG]. ''Cincinnati Business Courier''. 2013年6月13日. 2015年4月12日閲覧.</ref>、旅客のみならず航空貨物においても、重要度の高い空港となっている。

[[File:Highways of Greater Cincinnati.png|right|thumb|300px|シンシナティの高速道路網]]

シンシナティでは[[州間高速道路71号線|I-71]]、[[州間高速道路74号線|I-74]]、および[[州間高速道路75号線|I-75]]の3本の[[州間高速道路]]が交わる。I-71は[[ルイビル (ケンタッキー州)|ルイビル]]と[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]を結ぶ高速道路で、州間高速道路としては短いものの、オハイオ州内においてはシンシナティから[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]、クリーブランドへと、州の3大都市を結ぶ、最も重要な道路である。I-74はシンシナティを南の起点/終点とし、[[インディアナポリス]]や[[イリノイ州]][[アーバナ (イリノイ州)|アーバナ]]・[[シャンペーン (イリノイ州)|シャンペーン]]を経由して[[アイオワ州]]東部の[[ダベンポート (アイオワ州)|ダベンポート]]へと至る高速道路である。I-75は[[ミシガン州]]と[[フロリダ州]]を結ぶ、南北の幹線の1つで、オハイオ州内ではシンシナティ、[[デイトン (オハイオ州)|デイトン]]、[[トレド (オハイオ州)|トレド]]と、州西部の主要都市を結んでいる。I-75の支線であるI-275は、シンシナティ都市圏の環状線で、シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港へのアクセス道路にもなっている。I-71の支線であるI-471は、ダウンタウンから南東への放射線となっており、ハイランドハイツでI-275に合流する。また、市北東部にはI-75とI-71をつなぐノーウッド・ラテラル・エクスプレスウェイ(州道562号線)が、北郊にはI-275・I-75・I-71をつなぐロナルド・レーガン・クロス・カウンティ・ハイウェイ(州道126号線)がそれぞれ通っており、シンシナティの高速道路網の一部をなしている。

[[File:Cincinnati-Union-Terminal.jpg|left|thumb|250px|シンシナティ・ユニオン・ターミナル]]

[[シンシナティ駅|シンシナティ・ユニオン・ターミナル]]はダウンタウンの北西に立地している。この[[アール・デコ]]様式の駅舎は[[1933年]]に建てられたもので、[[1972年]]には[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に指定された<ref name="NRHP_HamiltonCountyOH" />。この駅には、かつては[[ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道]]、[[ニューヨーク・セントラル鉄道]]、および[[ペンシルバニア鉄道]]が乗り入れ、最盛期には1日200本以上の列車が発着していたが、[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけての鉄道交通の衰退の後、[[1972年]]に使われなくなった<ref>Rose, Linda C. et al. ''Cincinnati Union Terminal: The Design and Construction of an Art Deco Masterpiece''. Cincinnati, Ohio: Cincinnati Railroad Club, Inc. 1999年10月. ISBN 0-9676125-0-0.</ref>。その後、駅は[[1990年]]に改修されて復活し、現在は[[ニューヨーク]]と[[シカゴ]]を南回りで結ぶ[[アムトラック]]の長距離列車、[[カーディナル (列車)|カーディナル]]号が西行、東行とも週3便ずつ停車する<ref>[http://www.amtrak.com/ccurl/601/735/Cardinal-Hoosier-Schedule-040615.pdf Cardinal and Hoosier State]. p.2. Amtrak. 2015年4月6日. 2015年4月13日閲覧. (PDFファイル)</ref>。改修後の駅舎内には駅としての施設のほか、博物館や劇場も設けられている。

[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]]のバスターミナルはダウンタウンの北東にあり、コロンバス・クリーブランド方面、ルイビル・[[ナッシュビル (テネシー州)|ナッシュビル]]方面、インディアナポリス・シカゴ方面、デイトン・トレド・[[デトロイト]]方面、[[レキシントン (ケンタッキー州)|レキシントン]]・[[ノックスビル (テネシー州)|ノックスビル]]方面と、多くの方面への長距離バスが発着する。

シンシナティにおける公共交通は専ら[[路線バス]]によってまかなわれている。南西オハイオ地域交通局(SORTA)の路線バス網であるMETROは普通30系統、急行19系統を有し、主にシンシナティ市内、および[[ハミルトン郡 (オハイオ州)|ハミルトン郡]]内をカバーしている<ref>[http://www.go-metro.com/uploads/Maps/map%20side.pdf Greater Cincinnati Area Map]. Southwest Ohio Regional Transit Authority. 2014年4月. 2015年4月13日閲覧. (PDFファイル)</ref>。ケンタッキー州側では、[[北部ケンタッキー交通局]](TANK)が[[コビントン (ケンタッキー州)|コビントン]]を中心に普通12系統、急行15系統の路線バス網を運営している<ref>[http://www.tankbus.org/Portals/0/Documents/Ft%20Wright%20System%20Map%20Aug%202014.pdf System Map]. Transit Authority of Northern Kentucky. 2014年. 2015年4月13日閲覧. (PDFファイル)</ref>。また、ハミルトン郡の東隣、[[クラーモント郡 (オハイオ州)|クラーモント郡]]のクラーモント交通コネクション(CTC)の急行バス2系統も、シンシナティのダウンタウンへと通じている<ref>[http://ctc.clermontcountyohio.gov/CTC+Service+Area+Map+04-28-14.pdf CTC Service Area Map]. Clermont Transportation Connection, Clermont County. 2014年4月28日. 2015年4月13日閲覧. (PDFファイル)</ref>。また、ダウンタウンおよびオーバー・ザ・ライン地区では、2016年9月の営業運転開始を目指して、全長5.8kmの[[路面電車|ストリートカー]]の建設が進められている<ref>[http://www.go-metro.com/riding-metro/cincinnati-streetcar Cincinnati Streetcar]. Southwest Ohio Regional Transit Authority. 2015年4月13日閲覧.</ref>。

== 教育 ==
[[File:050819 036 Univ Cincy.jpg|right|thumb|250px|シンシナティ大学]]

[[シンシナティ大学]]はダウンタウンの北約4km、クリフトン・ハイツ/ユニバーシティ・ハイツ/フェアビュー地区に194[[エーカー]](785,000m<sup>2</sup>)のアップタウン・キャンパスを構えている<ref name="UC_FactSheet">[http://www.uc.edu/content/dam/uc/about/docs/fact-sheet.pdf Basic Fact Sheet]. University of Cincinnati. 2015年春. 2015年4月15日閲覧.</ref>。同学は[[1819年]]に創立したシンシナティ・カレッジおよびシンシナティ医学校を前身とする、市立大学として創立した大学で、[[1977年]]に州に完全移管され、オハイオ大学システムに組み入れられた<ref>[http://www.uc.edu/about/uc-history.html UC History]. University of Cincinnati. 2015年4月15日閲覧.</ref>。同学は11学部を有し、学部生約32,500人、大学院生約11,000人を抱え、学部および大学院修士課程に100以上、博士課程に70以上の専攻プログラムを提供している<ref name="UC_FactSheet" />。同学は[[コーオプ教育]]発祥の大学であり<ref>笹岡 賢二郎. [http://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2013/10/articles/1310-06/1310-06_article.html 実践的人材育成のコーオプ教育]. ''産学官連携ジャーナル''. 科学技術振興機構. 2013年10月. 2015年4月15日閲覧.</ref>、[[2014年]]においても、全米4位という評価を得ている<ref name="UC_FactSheet" />。この他、同学は[[薬学]]や[[医学]]においても、全米50位以内に入る高い評価を得ている<ref name="UC_FactSheet" />。[[USニューズ&ワールド・レポート]]誌の大学ランキングでは、同学は全米の総合大学の中で150位以内に入る評価を受けている<ref name="USNews_BestColleges_NU_p12">[http://colleges.usnews.rankingsandreviews.com/best-colleges/rankings/national-universities/page+12 Best Colleges 2015: National Universities Rankings]. p.12. ''U.S. News & World Report''. 2014年. 2015年4月14日閲覧.<br />2015年版(2014年発行)では129位であった。</ref>。また、同学のスポーツチーム、ベアキャッツは[[全米大学体育協会|NCAA]]ディビジョンI(フットボールはFBS/旧I-A)の[[アメリカン・アスレチック・カンファレンス]]に所属しており、男子8種目、女子9種目で競っている<ref>[http://www.gobearcats.com/ Cincinnati Bearcats: Home]. University of Cincinnati. 2015年4月15日閲覧.</ref>。

[[File:Xavier University's campus.jpg|left|thumb|250px|ザビエル大学]]

[[ザビエル大学 (オハイオ州)|ザビエル大学]]はダウンタウンの北東約8km、ノース・エイボンデール地区に190エーカー(769,000m<sup>2</sup>)のキャンパスを構える<ref name="XavierFactsUpdate">''Xavier Facts Update''. Cincinnati, Ohio: Xavier University. 2013年.</ref>。同学は[[1831年]]に創立した、校名に[[フランシスコ・ザビエル]]の名を冠することからも判るように、[[カトリック教会|カトリック]]の[[イエズス会]]系の私立大学で、日本のイエズス会系私立大学である[[上智大学]]と交換留学提携を結んでいる<ref>[http://dept.sophia.ac.jp/fs/international/ryugaku/university_list/north_america/xavier-university/ 協定校紹介: Xavier University]. 上智大学. 2015年4月16日閲覧.</ref>。同学は教養学部を中心に、経営学部と社会・保健・教育学部の3学部を有し、90の専攻プログラムと55の副専攻プログラムを提供しており、学生対教授の比は12:1という少人数制の教育を行っている<ref>[http://www.xavier.edu/academics/ Academics]. Xavier University. 2015年4月16日閲覧.</ref>。同学は学部に約4,500人、大学院に約2,000人の学生を抱えている<ref name="XavierFactsUpdate" />。USニューズ&ワールド・レポート誌の大学ランキングでは、同学は中西部の「地方区の大学」の中で10位以内に入る評価を受けている<ref name="USNews_BestColleges_RU-MW_p1">[http://colleges.usnews.rankingsandreviews.com/best-colleges/rankings/regional-universities-midwest Best Colleges 2015: Regional Universities Midwest Rankings]. p.1. ''U.S. News & World Report''. 2014年. 2015年4月14日閲覧.<br />2015年版(2014年発行)では5位であった。</ref>。また、同学のスポーツチーム、マスケッティアーズはNCAAディビジョンI(フットボール無し)の[[ビッグ・イースト・カンファレンス]]に所属しており、男子8種目、女子8種目で競っている<ref>[http://www.goxavier.com/ Xavier Musketeers: Home]. Xavier University. 2015年4月16日閲覧.</ref>。特に男子[[バスケットボール]]においては、同学と前述のシンシナティ大学とは「クロスタウン・シュートアウト」と呼ばれるライバル関係を築いている。

このほか、 北郊の[[オックスフォード (オハイオ州)|オックスフォード]]には、USニューズ&ワールド・レポート誌において、全米で100位以内に入る評価を受けている<ref name="USNews_BestColleges_NU_p7">[http://colleges.usnews.rankingsandreviews.com/best-colleges/rankings/national-universities/page+7 Best Colleges 2015: National Universities Rankings]. p.7. ''U.S. News & World Report''. 2014年. 2015年4月14日閲覧.<br />2015年版(2014年発行)では76位であった。</ref>、中規模州立総合大学の[[マイアミ大学 (オハイオ州)|マイアミ大学]]が、また[[ケンタッキー州]]側の[[ハイランドハイツ (ケンタッキー州)|ハイランドハイツ]]には、同州立の[[北ケンタッキー大学]]が、それぞれキャンパスを置いている。

[[File:PLCH Main Library 1.jpg|right|thumb|180px|シンシナティ・ハミルトン郡公立図書館本館]]

シンシナティにおける[[K-12]]課程は主にシンシナティ公立学区(CPS)の管轄下にある公立学校によって支えられている。同学区は小学校(幼稚園・1-6年生)39校、中高一貫校(7-12年生)12校、小中高一貫校4校を有し、約33,000人の児童・生徒を抱えている<ref name="CPS_BasicFacts">[http://www.cps-k12.org/about-cps/about-the-district/basic-facts Basic Facts About Cincinnati Public Schools]. Cincinnati Public Schools. 2015年4月18日閲覧.</ref>。また、カトリックのシンシナティ大司教区はシンシナティ市内に10校の高校(うち2校は男子校、4校は女子校)を有している。ハミルトン郡全体では、約1/4の児童・生徒が私立の学校に通っており、これは全米の人口上位100郡の中で、[[ミズーリ州]][[セントルイス郡 (ミズーリ州)|セントルイス郡]]に次いで高い割合である<ref name="Alltucker">Alltucker, Ken. [http://www.enquirer.com/editions/2002/10/20/loc_privschool20coming.html Tristaters put stock in private schools]. ''Cincinnati Enquirer''. 2002年10月20日. 2015年4月18日閲覧.</ref>。その一方で、公立学校に児童・生徒を通わせている家庭は貧しいことが多く、CPS管轄下では貧困家庭の児童・生徒が全体の7割以上を占める<ref name="CPS_BasicFacts" />。またさらにその一方で、周縁部や郊外には、CPSとは別の学区に属する、優れた公立学校も多く、より良い教育環境を求めて都心部から周縁部や郊外への人口流出を招く一因ともなっている<ref name="Alltucker" />。

シンシナティの[[図書館]]システムはその蔵書数の多さにおいて、全米でも有数である。シンシナティ・ハミルトン郡公立図書館は約882万冊の蔵書数を誇り、公立図書館システムとしてはボストン公立図書館、ニューヨーク公立図書館に次いで全米第3位である。加えて、シンシナティ大学は約438万冊を所蔵しており、オハイオ州の大学としては[[オハイオ州立大学]](約616万冊)に次ぐ蔵書数を誇っている<ref>[http://www.ala.org/tools/libfactsheets/alalibraryfactsheet22 The Nation's Largest Libraries: A Listing By Volumes Held]. American Library Association. 2012年10月. 2015年4月18日閲覧.</ref>。
<!--
== 文化 ==
-->

== 人口動態 ==
{{Wikisource|オハイオ州シンシナティ市の人口統計データ}}

=== 都市圏人口 ===
シンシナティの都市圏、および広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />。

;シンシナティ都市圏
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
! 郡 !! 州 !! 人口
|-
| '''[[ハミルトン郡 (オハイオ州)|ハミルトン郡]]''' || [[オハイオ州]] || align="right" | 802,374人
|-
| [[バトラー郡 (オハイオ州)|バトラー郡]] || オハイオ州 || align="right" | 368,130人
|-
| [[ウォーレン郡 (オハイオ州)|ウォーレン郡]] || オハイオ州 || align="right" | 212,693人
|-
| [[クラーモント郡 (オハイオ州)|クラーモント郡]] || オハイオ州 || align="right" | 197,363人
|-
| [[ケントン郡 (ケンタッキー州)|ケントン郡]] || [[ケンタッキー州]] || align="right" | 159,720人
|-
| [[ブーン郡 (ケンタッキー州)|ブーン郡]] || ケンタッキー州 || align="right" | 118,811人
|-
| [[キャンベル郡 (ケンタッキー州)|キャンベル郡]] || ケンタッキー州 || align="right" | 90,336人
|-
| [[ディアボーン郡 (インディアナ州)|ディアボーン郡]] || [[インディアナ州]] || align="right" | 50,047人
|-
| [[ブラウン郡 (オハイオ州)|ブラウン郡]] || オハイオ州 || align="right" | 44,846人
|-
| [[グラント郡 (ケンタッキー州)|グラント郡]] || ケンタッキー州 || align="right" | 24,662人
|-
| [[ペンドルトン郡 (ケンタッキー州)|ペンドルトン郡]] || ケンタッキー州 || align="right" | 14,877人
|-
| [[ギャラティン郡 (ケンタッキー州)|ギャラティン郡]] || ケンタッキー州 || align="right" | 8,589人
|-
| [[ブラッケン郡 (ケンタッキー州)|ブラッケン郡]] || ケンタッキー州 || align="right" | 8,488人
|-
| [[ユニオン郡 (インディアナ州)|ユニオン郡]] || インディアナ州 || align="right" | 7,516人
|-
| [[オハイオ郡 (インディアナ州)|オハイオ郡]] || インディアナ州 || align="right" | 6,128人
|- style="background-color:#e0e0e0"
| colspan="2" | '''合計''' || align="right" | 2,114,580人
|}

;シンシナティ・ウィルミントン・メイズビル広域都市圏
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
! 都市圏/小都市圏 !! 郡 !! 州 !! 人口
|-
| colspan="3" | '''シンシナティ都市圏''' || align="right" | 2,114,580人
|-
| ウィルミントン小都市圏 || [[クリントン郡 (オハイオ州)|クリントン郡]] || オハイオ州 || align="right" | 42,040人
|-
| メイズビル小都市圏 || [[メイソン郡 (ケンタッキー州)|メイソン郡]] || ケンタッキー州 || align="right" | 17,490人
|- style="background-color:#e0e0e0"
| colspan="3" | '''合計''' || align="right" | 2,174,110人
|}

=== 市域人口推移 ===
以下にシンシナティ市における[[1800年]]から[[2010年]]までの人口推移を表で、また[[1850年]]から2010年までの人口推移をグラフでそれぞれ示す<ref>Gibson, Campbell. [http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0027/twps0027.html Population of the 100 Largest Cities and Other Urban Places in the United States: 1790 to 1990]. US Census Bureau. 2005年.</ref>。

{| class="wikitable" style="float:right; margin-left:3px; text-size:80%; text-align:right"
! 統計年 !! 人口 !! 順位
|-
| [[1800年]] || 850人 || -
|-
| [[1810年]] || 2,540人 || 46位
|-
| [[1820年]] || 9,642人 || 14位
|-
| [[1830年]] || 24,831人 || 8位
|-
| [[1840年]] || 46,338人 || 6位
|-
| [[1850年]] || 115,435人 || 6位
|-
| [[1860年]] || 161,044人 || 7位
|-
| [[1870年]] || 216,239人 || 8位
|-
| [[1880年]] || 255,139人 || 8位
|-
| [[1890年]] || 296,908人 || 9位
|-
| [[1900年]] || 325,902人 || 10位
|-
| [[1910年]] || 363,591人 || 13位
|-
| [[1920年]] || 401,247人 || 16位
|-
| [[1930年]] || 451,160人 || 17位
|-
| [[1940年]] || 455,610人 || 17位
|-
| [[1950年]] || 503,998人 || 18位
|-
| [[1960年]] || 502,550人 || 21位
|-
| [[1970年]] || 452,525人 || 29位
|-
| [[1980年]] || 385,460人 || 31位
|-
| [[1990年]] || 364,040人 || 45位
|-
| [[2000年]] || 331,285人 || 54位
|-
| [[2010年]] || 296,945人 || 62位
|}

<timeline>
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== 姉妹都市 ==
== 姉妹都市 ==
[[File:Cormorant Fisherman, a gift of Gifu, Japan - Eden Park, Cincinnati - DSC03898.JPG|right|thumb|175px|岐阜市からシンシナティに贈られた[[鵜飼い#漁法|鵜匠]]の像]]
シンシナティは世界の8つ都市と[[姉妹都市]]関係を結んでいる。

{{Col-begin}}
シンシナティは以下8都市と[[姉妹都市]]提携を結んでいる<ref>[http://www.cincinnatisistercity.org/ Home]. Cincinnati USA Sister City Association. 2015年3月13日閲覧.</ref>。
{{Col-break}}

* {{flagicon|JPN}} [[岐阜市]]
* {{flagicon|Japan}} [[岐阜市]]([[日本]]・[[岐阜県]])<ref>[http://www.city.gifu.lg.jp/13460.htm シンシナティ市(アメリカ合衆国)]. 岐阜市. 2015年3月13日閲覧.</ref>
* {{flagicon|Zimbabwe}} [[ハラレ]]([[ジンバブエ]])
* {{flagicon|Taiwan}} [[新北市]]([[中華民国]])
{{Col-break}}
* {{flagicon|UKR}} [[ハリコフ]]([[ウクイナ]])
* {{flagicon|France}} [[ナンシー]]([[ンス]])
* {{flagicon|CHN}} [[柳州]]([[中国]])
* {{flagicon|Zimbabwe}} [[ハラレ]]([[ジンバブエ]])
* {{flagicon|Ukraine}} [[ハルキウ]]([[ウクライナ]])
{{Col-break}}
* {{flagicon|GER}} [[ミュンヘン]]([[]])
* {{flagicon|India}} [[マイソール]]([[インド]])
* {{flagicon|FRA}} [[シー]]([[フランス]])
* {{flagicon|Germany}} [[ミュンヘン]]([[ドイツ]])
* {{flagicon|China}} [[柳州市]]([[中華人民共和国]][[広西チワン族自治区]])
{{Col-break}}

* {{flagicon|ROC}} [[台北市]]
== 註 ==
* {{flagicon|ROC}} [[新北市]]
{{Col-end}}
{{Reflist}}


== 推奨文献 ==
また[[イスラエル]]の[[ネタニヤ|ネタニヤ市]]と非公式な姉妹都市提携を行っている。<br />
* Engelhardt, George W. ''Cincinnati: The Queen City.'' Cincinnati, Ohio: George W. Engelhardt Co. 1901年.
シンシナティ市と岐阜市との姉妹提携は平成20年で20周年を迎え、同年3月に岐阜市内在住の小中高校生らが同市を訪問した。
* Goss, Charles Frederic. ''Cincinnati: The Queen City, 1788-1912.'' In Four Volumes. Chicago: S.J. Clarke Publishing Co. 1912年.
* Smith, William C. ''Queen City Yesterdays: Sketches of Cincinnati in the Eighties.'' Crawfordsville, Indiana: R.E. Banta. 1959年.
* Stradling, David. ''Cincinnati: From River City to Highway Metropolis.'' Mount Pleasant, South Carolina: Arcadia Publishing. 2003年. ISBN 0-7385-2440-9.


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Cincinnati, Ohio}}
{{Commonscat|Cincinnati, Ohio}}
* [http://www.cincinnati-oh.gov/index.html?CFID=3717429&CFTOKEN=1b4f45b64ad5902b-929DFEF1-B984-D881-B7220C90272A7B4B City of Cincinnati(英語版)]
* [http://cincinnati-oh.gov/ City of Cincinnati] - 市の公式サイト
* [http://www.cincyusa.com/ Greater Cincinnati Convention and Visitors Bureau(英語版)]
* [http://cincinnatiparks.com/ Cincinnati Parks]
* [http://www.filmcincinnati.com Cincinnati Film Commission(英語版)]
* [http://www.cincyusa.com/ Greater Cincinnati Convention & Visitors Bureau]
* [http://www.CincinnatiUSA.com/ Cincinnati USA: Official Visitors and Tourist Site]
* [http://maps.google.com/maps?ll=39.13616,-84.503088&spn=0.11,0.18 Google ローカル(日本語版)]
* [http://www.oscarwildeinamerica.org/lecture-tour/patti-in-cincinnati.html Adelina Patti and Oscar Wilde in Cincinnati 1882]
* [http://www.city-data.com/city/Cincinnati-Ohio.html Cincinnati, Ohio] - City-Data.com
* [http://maps.yahoo.com/maps_result.php?q1=Cincinnati%2C+OH Cincinnati, OH] - Yahoo!Mapの地図


{{オハイオ州}}
{{オハイオ州}}

[[Category:オハイオ州の都市|しんしなてい]]
[[Category:オハイオ州の都市|しんしなてい]]
[[Category:シンシナティ|*]]
[[Category:シンシナティ|*]]

2015年4月30日 (木) 11:30時点における版

シンシナティ市
City of Cincinnati
シンシナティのダウンタウン
シンシナティのダウンタウン
シンシナティ市の市旗 シンシナティ市の市章
市旗 市章
愛称 : The Queen City, Cincy
標語 : "Juncta Juvant (ラテン語: 団結は力なり)"
位置
上: ハミルトン郡におけるシンシナティの市域 下: オハイオ州におけるハミルトン郡の位置の位置図
上: ハミルトン郡におけるシンシナティの市域
下: オハイオ州におけるハミルトン郡の位置
座標 : 北緯39度6分6秒 西経84度30分45秒 / 北緯39.10167度 西経84.51250度 / 39.10167; -84.51250
歴史
創設 1788年
行政
アメリカ合衆国
 州 オハイオ州
 郡 ハミルトン郡
 市 シンシナティ市
地理
面積  
  市域 206.01 km2 (79.54 mi2)
    陸上   201.86 km2 (77.94 mi2)
    水面   4.14 km2 (1.60 mi2)
  都市圏 10,798 km2 (4,169 mi2)
標高 168 m (551 ft)
人口
人口 (2010年現在)
  市域 296,943人
    人口密度   1,470.7人/km2(3,807.0人/mi2
  都市圏 2,114,580人
その他
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
夏時間 東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : http://cincinnati-oh.gov/

シンシナティCincinnati)は、アメリカ合衆国オハイオ州南西端に位置する都市。州都コロンバスの南西約170km、ケンタッキー州との州境になっているオハイオ川の河畔に位置する。人口は296,943人(2010年国勢調査[1]で、コロンバス、クリーブランドに次ぐ州第3の都市である。シンシナティに郡庁を置くハミルトン郡を中心に、オハイオ・ケンタッキー・インディアナ3州の15郡にまたがる都市圏は2,114,580人、これに2つの小都市圏を加えた広域都市圏は2,174,110人(いずれも2010年国勢調査)[1]の人口を抱えている。

1788年に創設され、その翌々年にシンシナティ協会から名を取ってシンシナティという地名がつけられた。19世紀前半から中盤にかけては、シンシナティは食肉加工の中心地、そしてオハイオ川の河港都市として発展し、1850年には全米第6の都市へと成長した[2]。しかし、19世紀も後半に入り、交通の主役が蒸気船から鉄道へと移ると、その連節点として高い成長を遂げるようになったシカゴセントルイスに追い抜かれ、シンシナティは成長しながらも、その相対的な地位は低下した。.その後も20世紀中盤までは緩やかではあるものの成長を続け、1950年には人口50万人を超えたが[3]、その後は減少に転じている。

歴史

シンシナティは1788年、マシアス・デンマン、ロバート・パターソン、およびイスラエル・ルドローの3人の入植者によって、オハイオ川北岸のこの地に創設された。その後、ジョン・フィルソンがデンマンから800エーカー(323ha)の入植地の1/3を購入し、ロサンティビルと名付けた。その翌々年の1790年北西部領土総督アーサー・セントクレアは、ジョージ・ワシントンが会長を務め、自身も所属していたシンシナティ協会の名を取って、シンシナティと改称した。 初期の移民にはドイツ系が多く、そのうちの1人で、セントクレアの後任としてこの地にあったワシントン砦に入城していたデイビット・ジーグラーが1802年にシンシナティの初代市長となった[4]。やがて1819年、シンシナティは市として正式に法人化された。

シンシナティ遠景(1841年)。手前はマイアミ・エリー運河、奥はオハイオ川。

初期のシンシナティは食肉加工、殊に豚肉加工の中心地として発展し、Porkopolis(豚肉の都)と呼ばれた[5]。また、オハイオ川の河港であったシンシナティは19世紀前半から蒸気船が寄港する水上交通の拠点、および蒸気船製造の拠点として発展し[5]1825年に建設の始まったマイアミ・エリー運河がその成長を促した。マイアミ・エリー運河はオハイオ川の支流であるグレートマイアミ川を起点に北進し、1827年に北郊のミドルタウンまで開通し供用開始、その後1830年デイトンまで、そして1840年にはエリー湖岸のトレドまで延伸した。加えて陸上においても、1836年にリトル・マイアミ鉄道の建設が認可され.[6]1846年スプリングフィールドまで全通、1849年にはスプリングフィールドまで開通したマッド・リバー・アンド・レイク・エリー鉄道と接続して、エリー湖のサンダスキー湾の湖港へとつながった。1853年には、リトル・マイアミ鉄道の途中駅ゼニアでコロンバス・アンド・ゼニア鉄道と接続して、州都コロンバスへと至る鉄道交通も確立された。商業も早い時期から発展し、街にはオハイオ川を下ってさらに西を目指す入植者の需要に応えるようにホテルやレストラン、酒場が建ち並び[5]1837年にはプロクター・アンド・ギャンブルが創立した。市のこうした急成長の最中、シンシナティの住民は市をQueen City(女王都市)と呼ぶようになった。1850年には、シンシナティは115,435人の人口を抱え、ニューヨーク(515,547人)、ボルチモア(169,054人)、ボストン(136,881人)、フィラデルフィア(121,376人)、ニューオーリンズ(116,375人)に次ぐ全米第6の都市に成長していた[2]

地下鉄道の経路図(1830-65年

南北戦争前夜には、オハイオ川1本隔てた対岸は南部の奴隷州という立地から、シンシナティは自由を求めてオハイオ川を渡った逃亡奴隷をさらに北へと逃がす地下鉄道の重要な拠点、そして奴隷制廃止運動の中心地となった。ハリエット・ビーチャー・ストウはシンシナティに住んでいた間、逃亡奴隷に会い、その話を基にして「アンクル・トムの小屋」を書き上げた。リーヴァイ・コッフィン1847年インディアナ州からシンシナティに移り、ここを奴隷制廃止活動の拠点とした[7]

しかしそれと同時に、逃亡奴隷を捕捉して南部へ送り返そうとする者や、奴隷制廃止に反対の立場を取る者もまた多くいた。またこの時期のシンシナティの地域経済自体が、奴隷州との通商に大きく支えられていた。こうした背景から、19世紀中盤のシンシナティではしばしば人種がらみの暴動が起きた。1829年には、奴隷制廃止反対派が市内の黒人を攻撃し、暴動となった。この結果、1,200人の黒人が街を離れ、カナダに避難した[8]。この暴動と避難は全米で議論を呼び、1830年にフィラデルフィアで第1回黒人会議が開かれるに至った。1836年には、700人の奴隷制廃止反対派が群れを成して黒人居住地区に攻撃を仕掛け、また奴隷制廃止派の週刊誌、The Philanthropist誌の本社を破壊した[9]。同種の暴動は1841年にも起きた[10]1850年逃亡奴隷法が成立すると、そうした緊張はさらに高まった。

南北戦争中には、シンシナティはその地理的条件から、北軍の重要な兵站拠点としての役割を果たすとともに、オハイオ軍管区の司令部が置かれた。また、郊外には新兵の徴集、訓練、および負傷兵の治療の拠点としてキャンプ・デニソンが設置された。その一方で、シンシナティは南軍にとっては格好の標的であった。1862年9月には、南軍の准将ヘンリー・ヒースが約8,000の兵を率いてシンシナティに侵攻しようとした。しかし、北軍の少将ルー・ウォーレスが指揮する約25,000のオハイオ軍に加えて、州知事デイビッド・トッドの号令で集結した、Squirrel Hunters(リス猟師)と呼ばれた約60,000の民兵が街の守りに就き、ヒース隊を撤退させた[11]。シンシナティの防衛成功により、ウォーレスは一躍、この地の英雄として讃えられた[12]

シンシナティの豚肉加工(1873年

南北戦争が終わると、蒸気船に代わって、鉄道交通が目覚ましい成長を遂げたが、主要路線の多くは東部と北西部を結ぶものであった。シンシナティ市当局は工業化の進む中西部南部の天然資源をもたらすのみならず、戦後復興の進む南部市場にアクセスする手段ともなる鉄道の必要性を認識し、1869年にシンシナティ・サザン鉄道を建設する法案を可決した。この鉄道は11年後の1880年に開通し、シンシナティとテネシー州チャタヌーガとが結ばれた[13]

19世紀後半のシンシナティでは食肉加工に加えて、製鉄、繊維、木材加工といった産業が発展した[5]。また、1889年には、もともとは馬車であったストリートカーが電化された[14]。しかし、この頃になると、大陸横断鉄道の連節点となったシカゴセントルイスが急速な成長を遂げ、また州内でも製鉄をはじめとする重工業都市としてクリーブランドが台頭してきたこともあり、シンシナティは成長を続けながらもその相対的な地位を落とした。それでもなお、1900年に至るまで、シンシナティは全米10大都市の1つに名を連ねていた。1929年世界恐慌の際には、シンシナティが受けた経済的打撃は、鉄道よりも安価であるという理由による河川交通の盛り返しで相殺され、結果として全米の他の大都市に比べると軽微なものにとどまった。

ファウンテン・スクエア(1907年

20世紀に入ると、シンシナティにも超高層ビルが建てられるようになった。1913年に完成したユニオン・セントラル・タワー[15](現称: PNCタワー)は、31階建て、高さ151mで、当時としては世界で5番目に高いビルであった[16]1931年には、カリュー・タワーが、世界恐慌の影響で建設費削減のためのデザイン変更を余儀なくされながらも完成した[17]

シンシナティの人口は20世紀に入っても中盤まで緩やかではあるものの増え続け、1950年には人口503,998人でピークに達した[3]。しかし、それ以降は全米の、特に東部・中西部の他の多くの大都市と同様、高速道路網の発達による郊外への人口流出等の要因によって、シンシナティの人口は減少に転じた。

1970年代以降、シンシナティはダウンタウンを活性化する試みを行ってきた。1971年には、天候や路上の交通渋滞を気にせずにダウンタウン内を行き来できるよう、ダウンタウンの中心、ファウンテン・スクエアと、その3ブロック西のコンベンションセンターとを結ぶスカイウォークが設置された。このスカイウォークは1970-80年代にかけて立て続けに延伸され、1997年に全長2.1kmが完成した。しかし2000年代に入ると、スカイウォークの存在によって地上を行き来する歩行者が減り、ダウンタウンの活性化の妨げになっているという指摘がなされるようになり、経路途中のビルや施設の取り壊しや改修もあいまって、スカイウォークの一部が取り壊されていき、途切れるようになった[18][19]2003年には、ダウンタウンやその北に隣接するオーバー・ザ・ライン地区の再生をミッションとする、シンシナティ都心開発公社(3CDC)が設立された[20]

地理

シンシナティは北緯39度6分6秒 西経84度30分45秒 / 北緯39.10167度 西経84.51250度 / 39.10167; -84.51250に位置している。州都コロンバスからは南西へ約170km、インディアナポリスからは南東へ約180km、シカゴからは南東へ約470kmに位置する。市はケンタッキー州との州境になっているオハイオ川に面しており、インディアナ州との州境からは東へ約35kmである。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、シンシナティ市は総面積206.01km2(79.54mi2)である。そのうち201.86km2(77.94mi2)が陸地で4.14km2(1.60mi2)が水域である。総面積の2.01%が水域となっている。都市圏はハミルトン郡を中心に、オハイオ州南西部、ケンタッキー州北部、およびインディアナ州南東部の15郡にまたがり、その面積は10,798km2である。

地形

オハイオ州における地形区分

オハイオ州南西端、オハイオ川中流域の北岸に位置するシンシナティは、アメリカ合衆国における地域区分では中西部とされるが、地形区分的にはアップランドサウスの北縁とみなされ、ケンタッキー州北部と同様にブルーグラス地域に含められる[21]。この地域は石灰岩性の地質で、なだらかな丘が連なり、オハイオ川をはじめとする河川が深さ120-150mにおよぶ谷を刻んでいる[22]。シンシナティは中心部こそ、オハイオ川が形成した盆地状の谷間に広がっており、平坦であるものの、周縁の住宅地は丘陵地帯へと広がっており、起伏に富んでいる。また中心部のすぐ東側のマウント・アダムズ地区などでは、丘陵がオハイオ河岸のかなり近くまで迫っており、オハイオ川を見下ろす高台という立地になっている。市中心部の標高は168mであるが、周縁部の標高は概ね200-280m程度である。

こうした地形のため、市内の丘の斜面には400ヶ所もの市営の歩道階段があり、実用のほか、ジョギングやハイキングにも使われている[23]。また、19世紀後半から20世紀中盤にかけては、シンシナティには5本のインクラインが運行されていた[24]

気候

シンシナティ
雨温図説明
123456789101112
 
 
81
 
4
-5
 
 
64
 
7
-4
 
 
99
 
12
1
 
 
91
 
19
6
 
 
114
 
24
11
 
 
99
 
29
16
 
 
104
 
30
19
 
 
91
 
30
18
 
 
81
 
26
14
 
 
69
 
20
7
 
 
84
 
13
2
 
 
79
 
6
-3
気温(°C
総降水量(mm)
出典:Weatherbase.com
インペリアル換算
123456789101112
 
 
3.2
 
40
23
 
 
2.5
 
44
25
 
 
3.9
 
54
33
 
 
3.6
 
66
43
 
 
4.5
 
75
53
 
 
3.9
 
83
62
 
 
4.1
 
87
66
 
 
3.6
 
85
64
 
 
3.2
 
79
57
 
 
2.7
 
68
45
 
 
3.3
 
55
35
 
 
3.1
 
43
27
気温(°F
総降水量(in)

シンシナティの気候は中西部としては温暖な部類に入り、夏は南部同様に暑く湿気が多いものの、同緯度の東海岸諸都市と比べると冬の寒さが厳しい、内陸性の気候である。最も暖かい7月の平均気温は24℃、日中の最高気温の平均は30℃に達する。最も寒い1月の平均気温は氷点下0.5℃、最低気温の平均は氷点下5℃まで下がる。1年を通じて平均的に降水があり、降水量は月間約70-110mm、年間約1,060mmである。また、州北部・エリー湖岸のクリーブランド等と比べるとかなり少ないものの、冬季には降雪も見られる。12月から3月までの降雪量は月間5-12cm程度、ひと冬では約37.5cmである[25]ケッペンの気候区分では、シンシナティは温暖湿潤気候Cfa)に属する。

シンシナティの気候[25]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温( -0.5 1.4 6.4 12.5 17.7 22.4 24.6 23.7 19.9 13.5 7.3 1.7 12.6
降水量(mm 81.3 63.5 99.1 91.4 114.3 99.1 104.1 91.4 81.3 68.6 83.8 78.7 1,056.6

都市概観と建築物

ファウンテン・スクエア

シンシナティの街路はダウンタウンでこそ比較的整然と区画されているものの、周縁部では起伏に富んだ地形のために入り組んでいる。東西に通る通りはバイン・ストリートを境にE(東)とW(西)に分かれている。一方、南北に通る通りには南と北の区別は無い。東西に通る通りには、数字のついた通りがいくつかあり、オハイオ川から離れるほど数字が大きくなる。

ダウンタウンの中心となっているのは、バイン・ストリート、5thストリート、フィフス・サード・センター、およびフィフス・サード・タワーに囲まれた、ファウンテン・スクエアという広場である。この広場は、1871年に肉屋の跡地に造られたもので[26]2005年にダウンタウン再開発の一環として、3CDCによって大規模な改修が行われた[20]。その名が示す通り、ファウンテン・スクエアの中央にはタイラー・デイビッドソン・ファウンテンという噴水が設けられている。この噴水の池は緑色の御影石造で[26]To the People of Cincinnati(シンシナティ市民へ)と彫られている[27]Genius of Waterと名付けられている、この噴水の中央に立つ、両腕を広げた女神の銅像は、ミュンヘンの彫刻家フェルディナンド・フライハー・フォン・ミラーの手によるものである[28]。また、冬季には、タイラー・デイビッドソン・ファウンテンの前(5thストリート側)にスケートリンクが設けられる。

左: カリュー・タワー 右: グレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエア 左: カリュー・タワー 右: グレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエア
左: カリュー・タワー
右: グレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエア

シンシナティで最も高い建物は、ダウンタウンの南東端、シカモア・ストリートと3rdストリートの北東角に建つ、41階建て、高さ203mのグレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエアである[29]2011年に完成したこの超高層ビルは小圃千浦の息子で、日系アメリカ人建築家のギョウ・オバタが設計したもので、ダイアナティアラから着想を得た、市の愛称であるQueen Cityにもちなんだティアラが屋上に被せられていることが特徴である。このティアラは鋼鉄のでできており、高さ40m、重さは400tである[29]。このグレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエアに次いで高いビルが、ファウンテン・スクエアの南西に隣接するブロックに建ち、シンシナティのシンボルともなっている、49階建て、高さ175mのカリュー・タワーである。当時流行のアール・デコ様式で建てられたこのビルは、グレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエアが完成するまで80年にわたって、シンシナティで最も高いビルであった[17]。カリュー・タワーは1982年国家歴史登録財[30]、また1994年には国定歴史建造物[31]それぞれ登録された。

ダウンタウンの北に隣接するオーバー・ザ・ライン地区は、シンシナティ最古、かつ最大の歴史地区で、1842年カトリックのシンシナティ大司教区の本山であるオールド・セント・メアリーズ教会が建てられて以来の歴史を持っている。362.5エーカー(1.47km2)の地区内にはギリシアリバイバル、イタリアネイト、クイーン・アンなどの建築様式の歴史的建築物約1,100棟が残されている[32]。オーバー・ザ・ライン地区は、1983年に地区全体が国家歴史登録財に登録された[30]

政治

シンシナティ市庁舎

シンシナティはシティー・マネージャー制を採っている。シティー・マネージャーは市の行政実務の最高責任者であり、約6,300人の職員を抱える市政府の長である[33]。市の立法機関である市議会は9人の議員から成っており、その任期は4年で、連続2選までに制限されている[34]。市長は市の公式な長であり、様々な場で市の代表としての役割を果たす。市議会においては、市長はその全会議に出席し、かつ特別会議を招集することもできるが、投票権は有さず、拒否権を有している。また、市長は市議員の中から、副市長や市議会議長を任命する。市長はシティー・マネージャーの任命権限も有しているが、任命したシティー・マネージャー候補者が実際に選出されるためには、過半数にあたる5人の市議員の賛成を得る必要がある[35]。市議会議員は全市からの投票で、上位9人が選出される。市長は市議会議員とは別に、全市からの投票で選出される[36]

シンシナティの市政選挙が現在の形になるまでには紆余曲折があった。1924年までは、シンシナティ市議会は選挙区制が採られていた。しかし、1880年代から1920年代にかけて、共和党マシーンで、地元政界のボスであったジョージ・B・コックスの下、市議会は選挙区制によって共和党1党で占められ、腐敗の温床になっていた。そこで1924年に、別の共和党員マレー・シーズングッドが中心となって市政改革が行われ、選挙区を廃して全市からの投票に移行するとともに、シティー・マネージャー制を導入した。1924年から1957年までは、市議員は比例代表制で選出されていたが、1957年からは、上位9候補が選出される方式に改められた。この当時、市長は市議会によって選出されていたが、1987年にトップ当選者が自動的に市長に選出されるように改められ、その後1999年に、市議員とは別に選出されるように改められた。

治安

シンシナティの地区ごとの凶悪犯罪件数の割合(2008年

シンシナティ消防局は1853年、全米で初めて創設された、満額支給の職業消防局である。同局は市内26ヶ所に、市全域をカバーできるように消防署を配置し、消火、救急隊二次救命処置放火捜査、防火、および危険物事故処理を行っている[37]

シンシナティ市警察は約1,000人の警察官、および125人の文官を抱えており、巡回、捜査、およびサポートの3部隊に分かれている[38]

シンシナティの犯罪件数は2001年の暴動で急増した後、年を経るごとに減少傾向にはあるものの、治安はあまり良いほうであるとは言えない。CQプレス社傘下、モーガン・クイットノーによる調査では、シンシナティはたびたび「全米の危険な都市」ワースト25に入る。同社の2013年の調査では、シンシナティは全米で20番目に危険な都市であると報じられた[39]。殺人の発生率が高く、人口100,000人あたりの年間発生件数は20件前後で推移している。前述のモーガン・クイットノーの調査の基となった、連邦捜査局(FBI)の2011年のデータでは、人口100,000人あたり20.5件[40]で、全米平均(人口100,000人あたり4.7件)[41]の4倍を超える高い値である。州内の他の主要都市と比べると、シンシナティの治安はクリーブランドよりはかなり良く、コロンバスよりは悪い。

しかし、全米の多くの都市同様に、犯罪件数の多い地域は限られている。シンシナティでは、ダウンタウン、およびその北西に位置するイースト・ウェストウッド、サウス・フェアマウント、ノース・フェアマウント、イングリッシュ・ウッズの各地区が犯罪多発地区となっており、これら5地区だけで全市の3割を占めている。このうち、ダウンタウンを除いた市中西部の4地区に共通しているのは、低所得者層向けのセクション8と呼ばれる集合住宅が建ち並ぶなど、住民の所得水準が低いことである。2000年代中盤までは、オーバー・ザ・ライン地区は麻薬がらみの暴力犯罪が頻発する、全市最悪の犯罪多発地区であったが、その後は市警察と3CDC協同の再開発の成功により、同地区における犯罪は激減した[42]

経済

プロクター・アンド・ギャンブル本社

シンシナティ市内には、アメリカ合衆国内34州に2,600店舗以上を有する[43]、世界最大のスーパーマーケットチェーンである[44]クローガーや、世界180ヶ国以上で製品を販売する[45]一般消費財製造・商社であるプロクター・アンド・ギャンブルをはじめ、フォーチュン500に入る企業が5社本社を置いている[46]。また、オハイオ州を代表する銀行の1つであるフィフス・サード銀行は、ファウンテン・スクエアの隣に本社ビルを構えている。また、シンシナティにはクリーブランド連邦準備銀行の支店も置かれている[47]

加えて、ケンタッキー州側のコビントンには、石油化学をはじめとする総合化学グループのアシュランドが、またハイランドハイツには電気・通信ケーブルの製造を行うゼネラル・ケーブルがそれぞれ本社を置いている。また、シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港に程近いアーランガーには、トヨタ自動車の在米子会社であるトヨタ・モーター・エンジニアリング・アンド・マニュファクチャリング・ノース・アメリカが本社を置いている[48]

シンシナティ都市圏に本社を置くフォーチュン500企業
順位 企業名 業種 本社所在地
24 クローガー 小売 シンシナティ
31 プロクター・アンド・ギャンブル 一般消費財 シンシナティ
107 メイシーズ 小売 シンシナティ
344 アシュランド 化学 コビントン
361 フィフス・サード・バンコープ 銀行 シンシナティ
405 ゼネラル・ケーブル 電線 ハイランドハイツ
415 オムニケア 医薬品 シンシナティ

交通

シンシナティの玄関口となる商業空港は、ダウンタウンの南西約15km[49]ケンタッキー州ヘブロンCDPに立地するシンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港IATA: CVG)である。この空港はデルタ航空ハブ空港の1つで、同社の直行便がパリシャルル・ド・ゴール空港を含め、国内外40都市に就航している[50]ほか、アメリカン航空およびユナイテッド航空もそれぞれハブ空港からの便を発着させている。加えて、同空港はDHLが世界でわずか3港だけ置いている「スーパーハブ」のうちの1港であり[51]、旅客のみならず航空貨物においても、重要度の高い空港となっている。

シンシナティの高速道路網

シンシナティではI-71I-74、およびI-75の3本の州間高速道路が交わる。I-71はルイビルクリーブランドを結ぶ高速道路で、州間高速道路としては短いものの、オハイオ州内においてはシンシナティからコロンバス、クリーブランドへと、州の3大都市を結ぶ、最も重要な道路である。I-74はシンシナティを南の起点/終点とし、インディアナポリスイリノイ州アーバナシャンペーンを経由してアイオワ州東部のダベンポートへと至る高速道路である。I-75はミシガン州フロリダ州を結ぶ、南北の幹線の1つで、オハイオ州内ではシンシナティ、デイトントレドと、州西部の主要都市を結んでいる。I-75の支線であるI-275は、シンシナティ都市圏の環状線で、シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港へのアクセス道路にもなっている。I-71の支線であるI-471は、ダウンタウンから南東への放射線となっており、ハイランドハイツでI-275に合流する。また、市北東部にはI-75とI-71をつなぐノーウッド・ラテラル・エクスプレスウェイ(州道562号線)が、北郊にはI-275・I-75・I-71をつなぐロナルド・レーガン・クロス・カウンティ・ハイウェイ(州道126号線)がそれぞれ通っており、シンシナティの高速道路網の一部をなしている。

シンシナティ・ユニオン・ターミナル

シンシナティ・ユニオン・ターミナルはダウンタウンの北西に立地している。このアール・デコ様式の駅舎は1933年に建てられたもので、1972年には国家歴史登録財に指定された[30]。この駅には、かつてはボルチモア・アンド・オハイオ鉄道ニューヨーク・セントラル鉄道、およびペンシルバニア鉄道が乗り入れ、最盛期には1日200本以上の列車が発着していたが、1950年代から1960年代にかけての鉄道交通の衰退の後、1972年に使われなくなった[52]。その後、駅は1990年に改修されて復活し、現在はニューヨークシカゴを南回りで結ぶアムトラックの長距離列車、カーディナル号が西行、東行とも週3便ずつ停車する[53]。改修後の駅舎内には駅としての施設のほか、博物館や劇場も設けられている。

グレイハウンドのバスターミナルはダウンタウンの北東にあり、コロンバス・クリーブランド方面、ルイビル・ナッシュビル方面、インディアナポリス・シカゴ方面、デイトン・トレド・デトロイト方面、レキシントンノックスビル方面と、多くの方面への長距離バスが発着する。

シンシナティにおける公共交通は専ら路線バスによってまかなわれている。南西オハイオ地域交通局(SORTA)の路線バス網であるMETROは普通30系統、急行19系統を有し、主にシンシナティ市内、およびハミルトン郡内をカバーしている[54]。ケンタッキー州側では、北部ケンタッキー交通局(TANK)がコビントンを中心に普通12系統、急行15系統の路線バス網を運営している[55]。また、ハミルトン郡の東隣、クラーモント郡のクラーモント交通コネクション(CTC)の急行バス2系統も、シンシナティのダウンタウンへと通じている[56]。また、ダウンタウンおよびオーバー・ザ・ライン地区では、2016年9月の営業運転開始を目指して、全長5.8kmのストリートカーの建設が進められている[57]

教育

シンシナティ大学

シンシナティ大学はダウンタウンの北約4km、クリフトン・ハイツ/ユニバーシティ・ハイツ/フェアビュー地区に194エーカー(785,000m2)のアップタウン・キャンパスを構えている[58]。同学は1819年に創立したシンシナティ・カレッジおよびシンシナティ医学校を前身とする、市立大学として創立した大学で、1977年に州に完全移管され、オハイオ大学システムに組み入れられた[59]。同学は11学部を有し、学部生約32,500人、大学院生約11,000人を抱え、学部および大学院修士課程に100以上、博士課程に70以上の専攻プログラムを提供している[58]。同学はコーオプ教育発祥の大学であり[60]2014年においても、全米4位という評価を得ている[58]。この他、同学は薬学医学においても、全米50位以内に入る高い評価を得ている[58]USニューズ&ワールド・レポート誌の大学ランキングでは、同学は全米の総合大学の中で150位以内に入る評価を受けている[61]。また、同学のスポーツチーム、ベアキャッツはNCAAディビジョンI(フットボールはFBS/旧I-A)のアメリカン・アスレチック・カンファレンスに所属しており、男子8種目、女子9種目で競っている[62]

ザビエル大学

ザビエル大学はダウンタウンの北東約8km、ノース・エイボンデール地区に190エーカー(769,000m2)のキャンパスを構える[63]。同学は1831年に創立した、校名にフランシスコ・ザビエルの名を冠することからも判るように、カトリックイエズス会系の私立大学で、日本のイエズス会系私立大学である上智大学と交換留学提携を結んでいる[64]。同学は教養学部を中心に、経営学部と社会・保健・教育学部の3学部を有し、90の専攻プログラムと55の副専攻プログラムを提供しており、学生対教授の比は12:1という少人数制の教育を行っている[65]。同学は学部に約4,500人、大学院に約2,000人の学生を抱えている[63]。USニューズ&ワールド・レポート誌の大学ランキングでは、同学は中西部の「地方区の大学」の中で10位以内に入る評価を受けている[66]。また、同学のスポーツチーム、マスケッティアーズはNCAAディビジョンI(フットボール無し)のビッグ・イースト・カンファレンスに所属しており、男子8種目、女子8種目で競っている[67]。特に男子バスケットボールにおいては、同学と前述のシンシナティ大学とは「クロスタウン・シュートアウト」と呼ばれるライバル関係を築いている。

このほか、 北郊のオックスフォードには、USニューズ&ワールド・レポート誌において、全米で100位以内に入る評価を受けている[68]、中規模州立総合大学のマイアミ大学が、またケンタッキー州側のハイランドハイツには、同州立の北ケンタッキー大学が、それぞれキャンパスを置いている。

シンシナティ・ハミルトン郡公立図書館本館

シンシナティにおけるK-12課程は主にシンシナティ公立学区(CPS)の管轄下にある公立学校によって支えられている。同学区は小学校(幼稚園・1-6年生)39校、中高一貫校(7-12年生)12校、小中高一貫校4校を有し、約33,000人の児童・生徒を抱えている[69]。また、カトリックのシンシナティ大司教区はシンシナティ市内に10校の高校(うち2校は男子校、4校は女子校)を有している。ハミルトン郡全体では、約1/4の児童・生徒が私立の学校に通っており、これは全米の人口上位100郡の中で、ミズーリ州セントルイス郡に次いで高い割合である[70]。その一方で、公立学校に児童・生徒を通わせている家庭は貧しいことが多く、CPS管轄下では貧困家庭の児童・生徒が全体の7割以上を占める[69]。またさらにその一方で、周縁部や郊外には、CPSとは別の学区に属する、優れた公立学校も多く、より良い教育環境を求めて都心部から周縁部や郊外への人口流出を招く一因ともなっている[70]

シンシナティの図書館システムはその蔵書数の多さにおいて、全米でも有数である。シンシナティ・ハミルトン郡公立図書館は約882万冊の蔵書数を誇り、公立図書館システムとしてはボストン公立図書館、ニューヨーク公立図書館に次いで全米第3位である。加えて、シンシナティ大学は約438万冊を所蔵しており、オハイオ州の大学としてはオハイオ州立大学(約616万冊)に次ぐ蔵書数を誇っている[71]

人口動態

都市圏人口

シンシナティの都市圏、および広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)[1]

シンシナティ都市圏
人口
ハミルトン郡 オハイオ州 802,374人
バトラー郡 オハイオ州 368,130人
ウォーレン郡 オハイオ州 212,693人
クラーモント郡 オハイオ州 197,363人
ケントン郡 ケンタッキー州 159,720人
ブーン郡 ケンタッキー州 118,811人
キャンベル郡 ケンタッキー州 90,336人
ディアボーン郡 インディアナ州 50,047人
ブラウン郡 オハイオ州 44,846人
グラント郡 ケンタッキー州 24,662人
ペンドルトン郡 ケンタッキー州 14,877人
ギャラティン郡 ケンタッキー州 8,589人
ブラッケン郡 ケンタッキー州 8,488人
ユニオン郡 インディアナ州 7,516人
オハイオ郡 インディアナ州 6,128人
合計 2,114,580人
シンシナティ・ウィルミントン・メイズビル広域都市圏
都市圏/小都市圏 人口
シンシナティ都市圏 2,114,580人
ウィルミントン小都市圏 クリントン郡 オハイオ州 42,040人
メイズビル小都市圏 メイソン郡 ケンタッキー州 17,490人
合計 2,174,110人

市域人口推移

以下にシンシナティ市における1800年から2010年までの人口推移を表で、また1850年から2010年までの人口推移をグラフでそれぞれ示す[72]

統計年 人口 順位
1800年 850人 -
1810年 2,540人 46位
1820年 9,642人 14位
1830年 24,831人 8位
1840年 46,338人 6位
1850年 115,435人 6位
1860年 161,044人 7位
1870年 216,239人 8位
1880年 255,139人 8位
1890年 296,908人 9位
1900年 325,902人 10位
1910年 363,591人 13位
1920年 401,247人 16位
1930年 451,160人 17位
1940年 455,610人 17位
1950年 503,998人 18位
1960年 502,550人 21位
1970年 452,525人 29位
1980年 385,460人 31位
1990年 364,040人 45位
2000年 331,285人 54位
2010年 296,945人 62位

姉妹都市

岐阜市からシンシナティに贈られた鵜匠の像

シンシナティは以下8都市と姉妹都市提携を結んでいる[73]

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推奨文献

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  • Stradling, David. Cincinnati: From River City to Highway Metropolis. Mount Pleasant, South Carolina: Arcadia Publishing. 2003年. ISBN 0-7385-2440-9.

外部リンク