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「奄美黒糖焼酎」の版間の差分

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[[ファイル:Bottled amami kokuto shochu.jpg|280px|thumb|市販の各種奄美黒糖焼酎]]
'''奄美黒糖焼酎'''(あまみこくとうしょうちゅう)は、[[奄美群島]]で造られている[[サトウキビ]]からとれた[[黒糖]]より醸造された[[焼酎]]。
'''奄美黒糖焼酎'''(あまみこくとうしょうちゅう)は、[[鹿児島県]]の[[奄美群島]]で造られている、[[米麹]]と[[サトウキビ]]からとれた純[[黒砂糖]]を原料に[[醸造]]し、単式[[蒸留]]した[[焼酎|本格焼酎]]。奄美大島酒造協同組合の[[地域団体商標]]である<ref name=shohyo>{{Cite web|date=2012年|url=http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/toroku_syo.html|title=地域団体商標「奄美黒糖焼酎」について|publisher=鹿児島県酒造組合奄美支部・奄美大島酒造協同組合|accessdate=2014-10-12}}</ref>。


==概要==
==概要==
奄美黒糖焼酎は、サトウキビ栽培が盛んな奄美群島に[[20世紀]]から伝わる[[もろみ]]取り焼酎で、『[[酒税法]]』(第3条)上の用語では「'''単式蒸留しようちゆう'''」(旧「しようちゆう乙類」)<!--法に記載の用語は「しょうちゅう」や「焼酎」ではない-->に属し、一般には焼酎乙類と表記されている。水色は明澄(透明)で、多くは無色であるが、[[オーク]]([[コナラ属]])の[[酒樽|木樽]]熟成により淡い[[琥珀]]色を呈し、洋酒のような樽香を持つものもある。
奄美群島に伝わる焼酎で、水色は透明。サトウキビの汁を10日から14日かけて[[米麹]]で[[発酵]]させ、14度から16度の[[アルコール度数]]としたうえで[[蒸留]]させて[[醸造]]され、アルコール度数が25度のものが一般的である<ref name="one">[http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/history.html 鹿児島県酒造組合奄美支部:奄美黒糖焼酎について]</ref>。


サトウキビの絞り汁から作る純黒砂糖と米麹が主原料であり、1回だけ行われる蒸留の際に黒砂糖と米由来の芳醇な風味は加わるが、[[糖|糖分]]は加えない<ref>もし蒸留後に[[砂糖]]やエキスを加えると本格焼酎とは名乗れず、焼酎乙類または単式蒸留焼酎という表示しかできない。</ref>ので、糖分ゼロの辛口焼酎である。糖分以外の他の微量成分による[[甘味]]が感じられる銘柄もある。黒砂糖は奄美群島の[[奄美大島]]、[[徳之島]]、[[加計呂麻島]]、[[喜界島]]産の他、[[沖縄県]]産のものが使われる場合が多い。沖縄県の方が『[[離島振興法]]』に基づく産業振興補助金や格差補給金があり、価格が安いためである。
なお、『奄美黒糖焼酎』は、[[地域団体商標]]である<ref name="un">[http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/toroku_syo.html 鹿児島県酒造組合奄美支部:地域団体商標「奄美黒糖焼酎」について]</ref>。


『[[酒税法]]』に関連した[[国税庁]]の通達によって、含糖物質([[砂糖]]、[[蜂蜜]]、[[メープルシロップ]]など)を使って「[[焼酎]]」が作れるのは[[熊本国税局]]大島税務署が所管する奄美群島に限られる。[[愛知県]]に米麹と黒砂糖を使って蒸留酒を製造していた例<ref>[[清洲桜醸造|清洲桜醸造株式会社]]の「黒糖太郎」。減圧蒸留、25度。</ref>や[[タイ王国|タイ]]に米麹と黒糖で作る蒸留酒の例もあるが、『酒税法』上はいずれも[[スピリッツ]]と扱われ、アルコール度数37度未満では、酒税が割高となる。
日本全国にて流通している。

[[2015年]]現在、奄美群島内の5つの島にある25場の蔵元が18社の納税企業名(共同瓶詰め専門の2社を含む)で製造、出荷を行っている。

奄美群島内での消費の他、日本全国に流通している。平成25[[醸造年度]]([[2013年]]7月から1年間)の鹿児島県外への出荷比率は約6割に達しているが、黒糖焼酎の知名度はまだ[[芋焼酎]]、[[麦焼酎]]、[[米焼酎]]や[[泡盛]]よりも低く、全国で消費される焼酎の中に占める割合は2%程度にとどまっており、県外の飲食店では提供している例が少数派であるのが実情である。県外の地域別では、以前は奄美出身者が多い[[大阪府]]や[[兵庫県]]などの[[関西地方]]への出荷が最も多かったが、1990年代以降は[[東京都]]などの[[関東地方]]向けが最も多くなった。関東、関西の[[スーパーマーケット]]などで買える銘柄は大手数社のものに限られており、それ以外は専門の酒販店に行くか[[通信販売]]の利用でないと希望の銘柄が買えない場合が多い。東京、大阪、名古屋などの[[百貨店]]の鹿児島物産展などの催事で売られる場合がある。

== 名称 ==
[[奄美方言]]で[[酒]]は「'''せー'''」(奄美大島、喜界島)、「せぅー」([[宇検村]])、「さき」(沖永良部島)、「さい」(与論島)などと呼ばれるが、何も[[修飾語]]をつけないと、黒糖焼酎を指す。
喜界島酒造は自社の製品に「くろちゅう」という略称を併記しているが、他社製品に浸透した呼び方ではない。

'''黒糖酒'''(こくとうしゅ)という呼び方も過去にあったが、現在は[[ラム酒]]と同じく[[スピリッツ]]に分類される徳之島、[[沖縄本島]]、[[南大東島]]や、[[高知県]]などの、米麹を使わない蒸留酒に対して用いられることが多い。

== 製法 ==
洗った[[コメ]](多くは[[タイ王国|タイ]]産)を蒸して[[コウジカビ|麹菌]]を散布し、2日間弱棚で熟成させた[[米麹]]に水を加えて5-7日間一次仕込みした後、[[サトウキビ]]の黒砂糖を水に溶かした糖液と[[酵母]]を加えて10日から14日かけて二次仕込みし、酵母による[[アルコール発酵]]([[醸造]])を行い、[[アルコール度数]]14度から16度程度のもろみとする。場合によっては米麹の熟成時間を半分にした半麹を使ったり、さらに糖液を加えて三次仕込みをする例もある。仕込みに使う容器も[[甕]]、[[琺瑯]]タンク、[[繊維強化プラスチック|FRP]]タンクなどの違いがある。発酵したもろみを単式蒸留機で[[蒸留]]し、検査、度数調整、貯蔵の後、場合により[[酒樽|木樽]]やタンクで熟成させてから、必要に応じて度数調整して瓶詰めする<ref name=rekisi>{{Cite web|date=2012年|url=http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/history.html|title=奄美黒糖焼酎について|publisher=鹿児島県酒造組合奄美支部・奄美大島酒造協同組合|accessdate=2014-10-12}}</ref>。

なお、仕込みの最盛期は1月から5月で、伝統的には夏場(7-9月)は温度が上がりすぎて[[酵母]]の働きが悪くなり、[[アルコール発酵]]がうまくいかないため、仕込みはされない。もろみが35℃を越えると発酵が止まり、特に[[果糖]]が残存するなどの障害がでるが、現在は高温に強い酵母も分離培養されている<ref>安藤義則 ほか、「黒糖焼酎用酵母の分離について」『鹿児島県工業技術センター研究成果発表会予稿集』、2003年、鹿児島県工業技術センター。 [http://www.kagoshima-it.go.jp/pdf/kenkyu_happyo/happyo_2003_12_3.pdf]</ref>。一次仕込みからもろみ完成までの全てを甕ひとつの中で行う仕込み方法は'''どんぶり仕込み'''などと呼ばれるが、現在は別の容器で一次仕込み、二次仕込みを行う例が多い。

米、[[サツマイモ|甘藷]]などと比べて、黒砂糖は原料単価が高いため、一般に原料コストが割高である<ref>また、サツマイモは奄美群島や沖縄県では[[イモゾウムシ]]などの害虫被害により、栽培に限界がある。</ref>。一般に米と黒糖の重量比は1.4倍から2倍程度までの範囲で蔵元、銘柄毎に設定が行われている。壱乃醸朝日は例外的に4倍近く使っている。米の比率を上げたり、半麹を使うと芳醇な香りが強まり、黒糖の比率を上げるとすっきりした味わいになる傾向がある。また、米や黒糖の違いによっても風味に差が出る。

蒸留はほとんどが90℃程度に熱して行う[[蒸留|常圧蒸留]]であるが、[[奄美大島酒造]]、[[町田酒造]]、[[奄美大島開運酒造]]、[[沖永良部酒造]]などのように銘柄によって[[蒸留|減圧蒸留]]も取り入れている蔵元もある。減圧蒸留では、低温の50℃前後で[[アルコール]]が蒸発して分離されるため、材料独特の香りや持ち味は減るが、すっきりした風味となる。

原酒は[[アルコール度数]]が40度以上あり、特に初垂れ(はなたれ)と呼ばれる最初の部分では60度以上あるが、『酒税法』上の「しようちゆう」(焼酎)とするには、割り水を加えて45度以下に薄める必要がある。従来は30度に調整したものが一般的であったが、現在は25度がもっとも売れている。より原酒に近い44度、43度、40度のものや、近年は飲みやすくする目的で20度、15度、12度に薄めたものなどもある。

焼酎や泡盛は、熟成することによって[[バニリン]]が生成され、その香りが加わる<ref>渡邉泰祐、塚原正俊、外山博英、「沖縄の伝統発酵食品と微生物~泡盛を中心に~」『生物工学会誌』第90巻6号、pp311-314、2012年、日本生物工学会。[https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/9006/9006_tokushu-2_2.pdf]</ref>。このため、ほとんどの製品が1年以上の熟成を経てから出荷され、コスト、売価との見合いで2-3年熟成の製品が多い。熟成に用いる容器も琺瑯タンク、[[オーク]]の[[酒樽]](俗に樫樽と呼ばれているがコナラ属の木を使う)、[[シェリー (ワイン)|シェリー酒]]に使った酒樽、甕などの違いがあり、蔵元によってはタンクに取り付けた音響装置によって微妙な振動を与えて熟成を促している例もある。

奄美群島の内、奄美大島は森林が多く[[軟水]]もあるが、その他の島は隆起[[珊瑚礁]]によってできており、サンゴの骨格の[[炭酸カルシウム]]が溶け、[[カルシウム]]を多く含む[[硬水]]となっている。仕込みに使う水の水質も製品の持ち味に関係するが、割り水は[[イオン交換樹脂]]などでカルシウムを除去処理した水で行われるのが一般的である。

=== 仕込み方法 ===
現在、主に二段仕込みが行われているが、芳醇な甘味が出せる三段仕込みを行う例もある。また、ごく一部に黒糖を糖液にせず、ブロックのまま投入する銘柄もある。
* 二段仕込み
# [[製麹]](せいきく) - 粳米を蒸して、種麹を巻き、[[コウジカビ]]類を繁殖させる。
# 甕などに移し、水を加え全麹とする。
# 糖液 - 黒砂糖を蒸気などで温めた湯に溶かして、糖液を作る。
# 二次仕込み - 一次仕込みでできたもろみに糖液と[[酵母]]を加え、酵母の作用で糖分をアルコールに変える。
# 蒸留 - アルコール発酵が完成したもろみを蒸留器にかけて、蒸発したアルコールを冷やして集める。
# 検査、アルコール度数調整
# [[熟成]] - タンク、木樽、甕などに入れて風味を良くする。
# 割り水・包装 - 必要な場合、出荷する度数に水で薄めて、瓶などに入れ、ラベルを貼って出荷する。

* 三段仕込み
# 製麹(せいきく) - 粳米を蒸して、種麹を巻き、[[コウジカビ]]類を繁殖させる。
# 甕などに移し、水を加え2日程度かけて全麹とする。また1日程度だけの半麹を用意する。
# 二次仕込み - 一次仕込でできたもろみに半麹を加える。
# 糖液 - 黒砂糖を蒸気などで温めた湯に溶かして、糖液を作る。
# 三次仕込み - 二次仕込みでできたもろみに糖液と酵母を加え、酵母の作用で糖分をアルコールに変える。
# 蒸留 - アルコール発酵が完成したもろみを蒸留器にかけて、蒸発したアルコールを冷やして集める。
# 検査、アルコール度数調整
# 熟成 - タンク、木樽、甕などに入れて風味を良くする。
# 割り水・包装 - 必要な場合、出荷する度数に水で薄めて、瓶などに入れ、ラベルを貼って出荷する。

=== 麹 ===
米の[[デンプン]]を[[グルコース|ブドウ糖]]に変え、黒砂糖の[[スクロース|ショ糖]]など[[糖]]をアルコール発酵させるための仕込みには主にアスペルギルス属(''Aspergillus'')の3種の麹が使い分けられる。[[種麹]]は乾燥させ、粉末状にして保管されるが、一般に麹屋と呼ばれる専門の純粋培養業者から仕入れられている。

* 黄麹(きこうじ) - 蒸した米に[[コウジカビ]](''Aspergillus oryzae'')を繁殖させたもの。胞子の色が黄土色から緑色を呈する。[[清酒]]、[[味噌]]、[[醤油]]など、日本の本土で発酵食品に多用されている。独特の華やかな香りを産み出す。旧来の薩摩芋焼酎や[[明治]]、[[大正]]時代の奄美の各種焼酎にも使われたが、現在はやんご花など、ごく一部の銘柄に限られる。
* 黒麹(くろこうじ) - 蒸した米に[[アワモリコウジカビ]](''Aspergillus awamori'')または[[サイトウコウジカビ]](''Aspergillus saitoi'')を繁殖させたもの。コロニーは[[胞子]]の性質で黒く見える。泡盛の製造に伝統的に用いられているもので、黄麹に代わって使い始められた。重厚な風味がでるため、コクのある焼酎になる。龍宮、まーらん舟、うかれけんむん、あじゃ黒、黒奄美などが使っている。アルコール以外に[[クエン酸]]を生成する性質があり、高い気温条件に強く、鹿児島県[[霧島市]]などの[[黒酢]]作りにも利用される。
* 白麹(しろこうじ) - 白麹と呼ばれるものには黄麹の変種もあるが、黒糖焼酎を含む焼酎に用いられているのは[[1910年]]に[[霧島市|霧島]]で[[河内源一郎]]が黒麹から分離した突然変異の変種[[カワチコウジカビ]](''Aspergillus awamori var. kawachii''。通称河内菌)である。胞子は純白ではなく、淡いベージュ色。軽い風味で、すっきりと飲みやすく、柔らかい口当たりの焼酎になるだけでなく、黒麹同様に品質も安定するため、現在の黒糖焼酎や芋焼酎などにも主流として使われている。木樽熟成して樽の風味を生かすのにも適する。西平本家、西平酒造などが最初に使い始めて広がった。

=== 蒸留 ===
もろみを単式蒸留装置に入れ、加熱し、蒸発したアルコール分、[[エステル]]類などの風味成分、水分を冷却して、集めたものが原酒となる。最初に集まったものを「初垂れ」(はなたれ。初留取り)、中間の部分を「本垂れ」、最後の部分を「末垂れ」と呼ぶ。一般に、最初に近いほうがアルコール度数が高く、香りもよいので、FAU、浜千鳥乃詩極、南の島の貴婦人などのように、初垂れだけを使った製品もある。

=== もろみかす ===
蒸留し終えた液状の残り、すなわち蒸留残液をもろみかすという。さらに発酵させて、[[クエン酸]]や[[アミノ酸]]類に富むもろみ酢として利用する場合(奄美大島開運酒造など)があるが、沖縄県の[[泡盛]]の例ほど盛んではない。[[アグー|黒豚]]などの[[飼料]]の一部として配合して使う他、[[肥料]]として利用される。

== 類似の酒との違い ==
=== 泡盛との違い ===
[[沖縄県]]の[[泡盛]]作りの技術が基礎となっているなど、地域的、歴史的に泡盛とは密接な関連があったが、現在作られている一般的な泡盛と奄美黒糖焼酎には、原料、製造工程に大きな違いがある。

* 泡盛のアルコール発酵のための原料が[[コメ|米]]のみであるのに対し、奄美黒糖焼酎は固形の[[黒砂糖]]と米である。
* 泡盛が蒸した米に麹を混ぜて発酵させて[[もろみ]]とするのに対し、奄美黒糖焼酎は米に麹を混ぜて発酵させる一次仕込みの後、黒砂糖を溶かした糖液と混ぜて二次仕込みで発酵させ、もろみとする。(できたもろみを1回だけ蒸留する点は同じ)
* 米麹には、泡盛では黒麹が使われるのに対して、現在の奄美黒糖焼酎は白麹が主流であるが、例外もある。

なお、[[奄美群島の歴史#現代|アメリカ統治時代]]に奄美群島や宮古、八重山などで「泡盛」と称して売られていたものは、実際は米麹に黒糖を加えた黒糖焼酎であった場合もある。米のみのものと区別する意味で'''純良泡盛''''と称する例もあった。

=== 糖蜜を使う甲類焼酎との違い ===
日本の本土や[[大韓民国|韓国]]の甲類焼酎(現在の『[[酒税法]]』上では「連続式蒸留しようちゆう」と称する)の多くは、現在[[糖蜜]]を原料に使用している。原料植物の[[サトウキビ]]は黒糖焼酎と共通であるが、次のような違いがある。
* アルコール発酵の原料は、奄美黒糖焼酎が固形(ブロック)の[[黒砂糖]](含蜜糖)を湯に溶かした糖液と米麹であるのに対して、甲類焼酎は[[砂糖]]を作る際に副産する黒い[[糖蜜|廃糖蜜]](モラセス)が主で、場合によっては少し煮詰めたサトウキビ絞り汁も使われる。また、甲類焼酎は糖蜜以外にイモ類、[[タピオカ]]、[[トウモロコシ|コーン]]グリッドなどサトウキビや米以外の糖化用[[デンプン]]原料を組み合わせて使うことも可能である。
* [[蒸留]]方法は、奄美黒糖焼酎が[[もろみ]]を一定量ずつに分けて[[単式蒸留器]]で一度だけ蒸留する単式蒸留(多くは[[蒸留|常圧蒸留]])であるのに対して、甲類焼酎は[[連続式蒸留器]](多くは[[蒸留|減圧蒸留]])で自動の流れ作業的に行われる。このため、甲類焼酎は風味に乏しいが、[[酎ハイ]]や[[リキュール]]などの原料としては癖のないものとなる。
* 蒸留した酒は、本格焼酎である奄美黒糖焼酎には度数調整用の水以外のものを加えられないのに対して、甲類焼酎は風味調整用の成分を加えることも可能である。また、風味を加えるために乙類焼酎を混和する場合もある。

=== ラム酒との違い ===
[[ラム酒]]は原料植物の[[サトウキビ]]が黒糖焼酎と共通であるが、次のような違いがある。
* ラム酒はサトウキビの絞り汁または製糖の際の副産物である[[糖蜜|廃糖蜜]]といった液体が原料であるのに対し、奄美黒糖焼酎は固形の[[黒砂糖]]と米麹である。また、ラム酒に米が使われることはない。
* ラム酒は絞り汁、糖蜜だけでなく、黒砂糖のような含蜜糖で作ることも、[[上白糖]]、[[中双糖|ざらめ]]の様な分蜜糖で作ることも規定の上では可能であるが、奄美黒糖焼酎は含蜜糖を冷やし固めた固形(ブロック)の黒砂糖しか使えない<ref>なお、規定上はサトウキビの他に[[モロコシ属|サトウモロコシ]](スイート・[[モロコシ|ソルガム]])、[[トウモロコシ]]の絞り汁から作った固形の含蜜糖も使えるが、使われてはいない。</ref>。
* 蒸留方法は、奄美黒糖焼酎が[[もろみ]]を一定量ずつに分けて[[単式蒸留器]]で一度だけ蒸留する単式蒸留(多くは常圧蒸留)であるのに対して、ラム酒は[[連続式蒸留器]](多くは減圧蒸留)でも作れるし、単式蒸留器で複数回蒸留することも一般的である。このため、ラム酒の蒸留ではアルコール度数の高いものを効率的に作ることができる。
* ラム酒は木樽熟成を行うのが基本であるが、奄美黒糖焼酎は木樽熟成をしないものが多い。ただし、近年は洋酒に近い風味を持たせるために、タンク熟成後に木樽熟成を行うものも増えている。
* ラム酒はスパイスド・ラム、または、フレーバード・ラムと称して、[[バニラ]]などの香辛料で香り付けをすることも可能であるが、本格焼酎として販売される奄美黒糖焼酎には水以外のものを加えることが許されていない<ref>規定上、焼酎乙類と表示する場合で、エキス分2度未満ならば可能であるが、実際には作られていない。</ref>。
* 製品のアルコール度数は単式蒸留焼酎の一種である奄美黒糖焼酎が日本の『酒税法』で45度以下と規定されているのに対して、ラム酒はこの規定が適用されない。日本での販売に関しては[[スピリッツ]]の95度以下が適用される。なお、現在の酒税は37度未満の場合、ラム酒を含むスピリッツは固定のため、単式蒸留焼酎よりも高い酒税が課せられる。37度-45度では酒税は同額である。


==歴史==
==歴史==
鹿児島県では焼酎という語が書かれた[[1559年]]の木片<ref>大口市焼酎資料館蔵</ref>が見つかっており、[[どぶろく]]同様に米、[[ムギ|麦]]、[[キビ]]などが使われていたと考えられる。[[1623年]]ごろよりは、奄美群島から[[薩摩藩]]への焼酎献上が行われていたことも、文献に残されている<ref name=rekisi>{{Cite web|date=2012年|url=http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/history.html|title=奄美黒糖焼酎について|publisher=鹿児島県酒造組合|accessdate=2014-10-12}}</ref>が、その原料は不明である。奄美大島にサトウキビ栽培は[[直川智]](すなおかわち)が[[1610年]]ころ[[中国]][[福建省|福建]]から持ち帰ったものに始まるという説があるが、醸造に使われるようになるには一定の時間を要したと考えられる。
[[1623年]]ごろより、奄美群島で焼酎が造られたことが、文献上明らかになっている<ref name="one">[http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/history.html 鹿児島県酒造組合奄美支部:奄美黒糖焼酎について]</ref>。その後、サトウキビ汁による焼酎が作られたのははっきりしているが、文献に出てくるのは、[[1850年]]ごろから[[1853年]]ごろに奄美諸島に遠島となった[[名越左源太]]によって書かれた『[[南島雑話]]』であり、「留汁焼酎」として登場する<ref name="one">[http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/history.html 鹿児島県酒造組合奄美支部:奄美黒糖焼酎について]</ref>。


[[江戸時代]]、[[1850年]]ごろから[[1853年]]ごろに[[奄美大島]]に[[遠島]]となった[[名越左源太]](なごやさげんた)によって書かれた『[[南島雑話]]』には、[[シイ]]の実、[[ソテツ]]の実の[[デンプン|でん粉]](なり)、[[アワ]]、[[ムギ]]、[[サツマイモ]]、[[ユリ]]の根によるものに加えて、サトウキビ汁([[糖蜜]])による焼酎作り記録されており、「留汁焼酎」(とめじるしょうちゅう)として登場する。しかし、この頃、薩摩藩は奄美で作られる黒糖を全て納めさせて資金源としていたので、サトウキビによる焼酎作りは禁止されたことも記されている。実際には密造もあったのか、江戸時代後期の『江戸買物独案内』には「砂糖せうちう」が銘酒として挙げられている<ref>原口泉、「焼酎の歴史と文化」『柴田書店MOOK 薩摩焼酎・奄美黒糖焼酎』p88、2001年、東京、柴田書店</ref>。
[[明治時代]]になって、自家製造焼酎としての『奄美黒糖焼酎』が、奄美群島各地で造られる<ref name="one">[http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/history.html 鹿児島県酒造組合奄美支部:奄美黒糖焼酎について]</ref>。[[大正時代]]に入ると、[[1916年]]に[[朝日酒造 (鹿児島県)|朝日酒造]]が開業するなどして、販売を目的とした『奄美黒糖焼酎』の醸造が本格化する<ref ma,e="ji">[http://www.kokuto-asahi.co.jp/ 朝日酒造株式会社ホームページ]</ref>。


[[明治|明治時代]]になって、自家製造焼酎としての黒糖焼酎が、奄美群島各地で造られる<ref name=rekisi>{{Cite web|date=2012年|url=http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/history.html|title=奄美黒糖焼酎について|publisher=鹿児島県酒造組合奄美支部・奄美大島酒造協同組合|accessdate=2014-10-12}}</ref>。[[ソテツ]]でん粉で黄麹を作り、煮た[[サツマイモ]]と砂糖を加えて発酵させるのが一般的であった<ref name=dento>蟹江松雄、藤本滋生、水元弘二、「黒糖焼酎の登場」『鹿児島の伝統製法食品』、pp112-114、2001年、鹿児島、春苑堂出版、ISBN 4-915093-74-3</ref>。[[大正|大正時代]]に入ると、[[1916年]]に[[喜界島]]で喜禎酒造所(現[[朝日酒造 (鹿児島県)|朝日酒造]])が開業<ref>[http://www.kokuto-asahi.co.jp/ 朝日酒造株式会社ホームページ]</ref>、[[1922年]]に[[奄美大島]]の[[名瀬市|名瀬村]]で[[弥生焼酎醸造所]]が開業、[[1925年]]には沖縄の[[首里]]から西平家(現[[西平本家]])が喜界島に移り住み[[泡盛]]を製造するなどして、販売を目的とした蒸留酒の製造が本格化した。しかし、[[第二次世界大戦]]によって、米不足となり、原料としての黒糖の重要性が増す一方、[[海軍]][[特別攻撃隊|特攻隊]]の中継地となっていた喜界島の蔵元は[[1945年]]に米軍の[[爆撃]]被害を受けて壊滅した。
[[1953年]]の奄美群島の日本復帰以降、米麹の使用を条件に、黒糖を原料にした焼酎の製造が、奄美群島のみに認められることとなる<ref name="one">[http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/history.html 鹿児島県酒造組合奄美支部:奄美黒糖焼酎について]</ref>。


[[1945年]]の敗戦により、奄美群島は[[沖縄本島]]、[[宮古列島]]、[[八重山列島]]などとともに[[アメリカ合衆国]]の統治下に置かれ、奄美大島に臨時北部南西諸島政庁が開設された。奄美群島はもともと経済的自立が難しかった地域の上に、戦後は物資不足となり、11月から特例的に課税を前提に自家用酒の製造許可が出された。これによって奄美群島では各地の集落に小規模な醸造所が多数生まれた。もともと[[泡盛]]を作っていた蔵元は、米での製造を始めたが、やはり米の確保が難しく、生産量は限られた。米に代わって使われた原料は[[黒砂糖|黒糖]]や[[ソテツ]][[デンプン|でん粉]]であった<ref name=joukyou1>吉田元、「軍政下奄美の酒(1)」『日本醸造協会誌』第101巻第11号pp862-866、2006年、東京、公益財団法人日本醸造協会 [https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/101/11/101_11_862/_pdf]</ref>。当時、稲の作付面積は少なく、不足した上に、従来日本の本土に出荷していた黒糖は出荷ができなくなって余ったため、代替の焼酎原料として使われた。
==有名な銘柄==

*喜界島
[[1947年]]には大島中央農業会が[[名瀬市|名瀬]]の[[蘇鉄味噌]]工場で焼酎の製造を開始し、一般販売された<ref name=joukyou1>吉田元、「軍政下奄美の酒(1)」『日本醸造協会誌』第101巻第11号pp862-866、2006年、東京、公益財団法人日本醸造協会 [https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/101/11/101_11_862/_pdf]</ref>。他にも[[西平酒造]]など、専門の蔵元が製造を開始し、同年の奄美群島の焼酎生産量は1000石(18万[[リットル]])程度になり、食用にしにくいソテツでんぷんや屑芋だけで作るように呼びかけられることもあったが、自家用酒から得られる[[酒税]]は政庁の最大の税収となっていた。
:喜界島酒造株式会社

*里の曙
[[1950年]]2月、大島酒造組合が衛生問題や脱税問題を理由に自家用酒製造の禁止を[[陳情]]、協議の結果、4月から自家用酒の製造は禁止となり、税務署の暫定的な免許を取得した上で集落毎に月産1石(180リットル)までの酒造所を設けることを認める方式となった<ref name=joukyou1>吉田元、「軍政下奄美の酒(1)」『日本醸造協会誌』第101巻第11号pp862-866、2006年、東京、公益財団法人日本醸造協会 [https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/101/11/101_11_862/_pdf]</ref>。
:町田酒造株式会社

*れんと
[[1951年]]の[[サンフランシスコ講和条約]]調印によって、[[1952年]]4月1日から奄美群島は沖縄本島の琉球政府奄美地方庁の管理下に変わった。法律も琉球立法院が定めることとなり、[[1952年]][[7月28日]]には琉球政府『酒税法』が定められた。焼酎の原料として、米、麦、[[アワ|粟]]、[[キビ|黍]]などの穀物や[[バレイショ|馬鈴薯]]、甘藷などの芋の他、ソテツ、でんぷん、砂糖、[[糖蜜]]、糖水(サトウキビの絞り汁など)、[[酒粕]]が明記され、年間100石以上でないと製造免許が与えられなくなった<ref>吉田元、「軍政下奄美の酒(2)」『日本醸造協会誌』第101巻第12号pp862-866、2006年、東京、公益財団法人日本醸造協会 [https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/101/12/101_12_935/_pdf]</ref>。
:株式会社[[奄美大島開運酒造]]

[[1953年]][[12月25日]]の奄美群島[[本土復帰]]によって、日本の法体系が適用されるようになった。当時の[[酒税法]]では、焼酎の原料として[[砂糖]]などの[[含糖物質]]の記載がなかった。黒糖を使った蒸留酒は[[ラム酒]]と同じ[[スピリッツ]]に属し、約3割高い税額となり、販売に支障がでるおそれがあったが、[[国税庁]]に陳情の結果、政令によって奄美群島への酒税法適用が[[1954年]]6月まで猶予された。合わせて、1954年5月には酒税法施行規則が改正されて、黒糖を原料にした乙類焼酎の製造が可能となり、さらに[[1959年]]12月25日に国税庁が基本通達を出し、大島税務署の所管する奄美群島でのみ米麹の使用を条件に認められることとなった<ref name=yamamoto1>山本一哉、「奄美の黒糖焼酎産業について(1)」『奄美ニューズレター』No.17 pp12-21、2005年4月、鹿児島大学 [http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/17744/1/AA12147817_n17_p12-21.pdf]</ref>。当時、[[宮古列島|宮古]]や[[八重山列島|八重山]]にも黒糖を原料とする焼酎はあったが、重要ではないとみなされ、作れなくなった。

[[1960年代]]以降、[[名瀬市]]街での個人酒造場の廃業や法人化により、蔵元の数は減少した。また、[[1964年]]に施行された『甘味資源特別措置法』や国内での分蜜糖生産振興策によって、奄美群島のサトウキビ資源の多くが大規模な製糖工場で使われるようになり、黒糖生産量は減少したが、焼酎原料分はなんとか確保できていた。[[1970年代]]までの黒糖焼酎の生産量は一酒造年度で4000キロリットル程度に過ぎなかったが、[[1980年代]]前半の焼酎ブームで、倍増した年もあった。地元で確保しきれなくなった黒糖は[[沖縄県]]から調達された。[[1989年]]には『[[砂糖消費税法]]』が廃止され、『酒税法』の改正が行われた。

[[1990年]]の米不足と在庫過多により、製造量は減少し、米麹の原料は国産米から[[タイ王国|タイ]]米へ切り替えられた<ref>松岡美根子、八久保厚志、須山聡、「奄美大島における黒糖焼酎生産の新展開」『奄美大島の地域性-地理学調査法 野外調査報告書-』、2003年、駒澤大学 [http://www.k2.dion.ne.jp/~ironcat/gyoseki/amami2003.html]</ref>。ただし、一部には風味を尊重して、現在も国産の破砕米を使用している蔵元もある。[[1990年代]]から、奄美大島内の周辺町村で新規事業者の参入や事業の拡大のための工場の移転などによって、蔵元は各市町村に分散化した。また、[[1991年]]には初の減圧蒸留装置を備えた大型工場が[[富国製糖]]内に誕生した<ref>現奄美大島酒造。</ref>。原料需要も増えたことで、[[1993年]]以降、一部の工場では外国産の黒糖も使用されるようになった<ref name=yamamoto1>山本一哉、「奄美の黒糖焼酎産業について(2)」『奄美ニューズレター』No.18 pp39-47、2005年5月、鹿児島大学 [http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/17761/1/AA12147817_n18_p39-47.pdf]</ref>。

[[2000年代]]に入ると出荷量が拡大、特に[[関東地方]]などの県外への出荷が増え、2003年には生産量が10000キロリットルを突破した<ref name=yamamoto1>山本一哉、「奄美の黒糖焼酎産業について(1)」『奄美ニューズレター』No.17 pp12-21、2005年4月、鹿児島大学 [http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/17744/1/AA12147817_n17_p12-21.pdf]</ref>。出荷量が増え、減圧蒸留や低度数で飲みやすさを追求した製品が増えた一方で、地元の黒糖使用にこだわった銘柄や、熟成方法に工夫を凝らした銘柄など、香りなどに特長を出して差別化を図る例も見られた。

[[2007年]]、[[東京農業大学]]の[[小泉武夫]]教授の提案で、[[5月9日]]と[[5月10日|10日]]が「こくとう」の[[語呂合わせ]]で'''奄美黒糖焼酎の日'''となる。

[[2008年]]に改正された現行の『酒税法』(第23条)の規定では、1キロリットル当たりの酒税は、黒糖焼酎を含む蒸留酒類はアルコール度数21度未満は一律20万円、21度以上は1度ごとに1万円が加算され、度数×1万円となっているのに対して、[[ラム酒]]を含む[[スピリッツ]]、[[ウィスキー]]、[[ブランデー]]は例外的に37度未満は一律37万円となった。このため、37度以上の場合、ラム酒と黒糖焼酎にかかる酒税は同額となった。

[[2009年]][[2月6日]]、地域団体商標「奄美黒糖焼酎」の[[商標|文字商標]]を登録。[[2010年]][[8月6日]]、地域団体商標「奄美黒糖焼酎」の[[商標|図形商標]]([[ロゴマーク]]。太陽と海と奄美群島の地図をデザイン)を登録。産地、商品を明確に識別できるようにした。

==地区別の蔵元と銘柄==
太字は主要銘柄。作られなくなった銘柄、限定銘柄も一部含まれる。
<!---地区内は五十音順--->
=== 奄美大島 ===
==== 奄美市 ====
* [[大島食糧|大島食糧株式会社]] - '''緋寒桜'''、あまみ六調、あまみ六調原酒、あまみ六調ちぢん、六調黒、六調白フロスト、金作原、まじむん、愛加那
* [[富田酒造場|有限会社富田酒造場]] - '''龍宮'''、まーらん舟(せん)、かめ仕込、らんかん、宝もん、古酒だもん
* [[西平酒造|西平酒造株式会社]] - '''珊瑚'''、純金入寿珊瑚、加那、加那伝説華、加那伝説源、目母路志(まぼろし)
* [[西平本家|株式会社西平本家]] - '''せえごれ'''、八千代、八千代ゴールド、氣(き)、氣黒こうじ仕込、原酒氣、天孫岳(あまんでぃー)、原酒天孫岳、奄美大島、よーおりよーおり、奄美海咲(みさき)、和のらむ
* [[弥生焼酎醸造所|合資会社弥生焼酎醸造所]] - '''彌生'''(やよい)、ゴールド彌生、彌生みんがめ、彌生原酒、まんこい、まんこい白、荒ろか、碧い海、瓶仕込(かめじこみ)、太古の黒うさぎ、紬の里(つむぎのさと)

==== 龍郷町 ====
* [[奄美大島酒造|奄美大島酒造株式会社]] - '''浜千鳥乃詩'''、浜千鳥乃詩和、浜千鳥乃詩原酒、浜千鳥乃詩極、高倉、JOUGO(じょうご)、やんご、やんご花、赤翡翠(あかしょうびん)、ガジュマルの樹の下で
* [[町田酒造|町田酒造株式会社]] - '''里の曙'''、里の曙瑞祥、里の曙GOLD、里の曙原酒、奄美の杜、一村、住の江、江戸町奉行
* [[山田酒造|有限会社山田酒造]] - '''あまみ長雲'''(ながくも)、長期熟成貯蔵あまみ長雲、長雲一番橋、大古酒長雲、花おしょろ、嶺義、きょらじま

==== 瀬戸内町 ====
* [[天海の蔵|株式会社天海の蔵]] - '''天海'''(てんかい)、蔵郷(くらご)、瀬戸の灘、加計呂麻(かけろま)

==== 宇検村 ====
* [[奄美大島開運酒造|株式会社奄美大島開運酒造]] - '''れんと'''、FAU、うかれけんむん、紅さんご、東富士、ネリヤカナヤ、武宏、開運伝説

=== 喜界島 ===
* [[朝日酒造 (鹿児島県)|朝日酒造株式会社]]<ref name=kya>[[喜界町]]。</ref> - '''朝日'''、壱乃醸朝日、飛乃流(ひのりゅう)朝日、奄美黒潮、陽出る國の銘酒(ひいずるしまのせえ)、島育ち、たかたろう、南の島の貴婦人、黒糖物語、慶杯
* [[喜界島酒造|喜界島酒造株式会社]]<ref name=kya>喜界町。</ref> - '''喜界島'''、喜界島荒濾過黒糖、喜界島クレオパトラアイランド、喜界島黒つぼ、しまっちゅ伝蔵、キャプテンキッド、三年寝太蔵、咲酒由羅王、沙羅、俊寛、せいら、重千代

=== 徳之島 ===
* [[奄美大島にしかわ酒造|株式会社奄美大島にしかわ酒造]]<ref>徳之島町。</ref> - '''島のナポレオン'''、あじゃ、あじゃ黒、天水百歳、あまんゆ、KUPIKUPI、ざわわ、王紀、帝、倭
* [[奄美酒類|奄美酒類株式会社]](有限会社亀澤酒造場、高岡醸造株式会社<ref>他に自社名義の[[スピリッツ]]([[ラム酒]])であるルリカケス、徳州、原酒、神酒を製造。</ref>、天川酒造株式会社、中村酒造株式会社、有限会社松永酒造場<ref>5蔵の共同瓶詰め事業。中村酒造は[[天城町]]、松永酒造場は[[伊仙町]]、他は[[徳之島町]]。</ref>) - '''奄美'''、黒奄美、ブラック奄美、奄美エイジング、奄美フロスティー、奄美瑠璃色の空、奄美の匠、煌の島奄美(きらめきのしまあまみ)、ときめきの島奄美、奄美夢紀行、奄美神之嶺、古酒奄美、奄美祝酒、奄美益益繁盛、秋利神、徳三宝(とくさんぽう)、奄美の隠し酒、杜氏の隠し酒、トライアスロンIN徳之島、徳之島闘牛、情熱、長寿の酒

=== 沖永良部島 ===
* [[沖永良部酒造|沖永良部酒造株式会社]]<ref>[[和泊町]]。</ref>([[沖酒造|有限会社沖酒造]]、[[神崎産業|有限会社神崎産業]]、[[竿田酒造|有限会社竿田酒造]]<ref>4蔵の共同瓶詰め事業。神崎産業は[[知名町]]、他は[[和泊町]]。</ref>) - '''稲乃露'''、稲乃露祝、白ゆり、はなとり、花恋慕(はなれんぼ)、わだつみの雫、えらぶ
* [[新納酒造|新納酒造株式会社]](にいなしゅぞう)<ref name=china>[[知名町]]。</ref> - '''天下一'''、天下無双、黒糖焼酎、寿、水連洞、水連洞秘蔵酒
* [[原田酒造|原田酒造株式会社]]<ref name=china>知名町。</ref> - '''昇龍'''(しょうりゅう)、満月、バーレル1983、奇跡の嶌、好太郎、蔵椿

=== 与論島 ===
* [[有村酒造|有村酒造株式会社]] - '''島有泉'''(しまゆうせん)、有泉(ゆうせん)、ヨロン島(よろんとう)

== 奄美大島酒造協同組合 ==
現在、上記の蔵元および共同瓶詰め会社のすべてが奄美大島酒造協同組合に加盟しており、組合員が黒糖を原料に作る本格焼酎に奄美黒糖焼酎の[[地域団体商標]]を使用している。

== 利用 ==
飲用の他、[[豚骨料理]]、煮物などの[[奄美料理]]の風味付けに使われる場合もある。奄美群島で[[風邪]]気味の時に飲む[[卵酒]]にも黒糖焼酎が使われる。また、[[リキュール]]を仕込む原料や製菓原料としても使われている。

=== 飲み方 ===
他の焼酎と同様に、ストレート、オンザロック、水割り、お湯割り、[[炭酸水|ソーダ]]割り、サワー、[[ウーロン茶]]割りなどにする。また、一部では、[[沖縄県]]における泡盛と同じように、[[牛乳]]割り、[[コーヒー]]割りなども行われている。水割りの場合、前日に割り水をして、冷蔵庫で冷やしておく方が、その場で作るよりも水とアルコールがなじんでまろやかになるという意見もある。お湯割りでは、[[芋焼酎]]などと同様に、先に湯を入れてから焼酎を注ぐ方が香りがよいとされる。鹿児島県で栽培が盛んな[[タンカン]]、[[スモモ]]などの[[果汁]]を加えることもある。喜界島では特産の[[花良治みかん]]をスライスして沿えたり、果汁で割ったりもされる。また、奄美群島独特の飲み方として、[[クダモノトケイソウ|パッションフルーツ]]の実を切って[[猪口]]代わりにし、中の果汁や[[種]]とともに飲む方法も行われている<ref>久留ひろみ、濱田百合子、「パッション酒」『奄美の食と文化』p147、鹿児島、南日本新聞社、ISBN 978-4-86074-185-3</ref>。他に、[[ミント]]、[[パプリカ]]、[[トウガラシ]]、[[シソ]]の葉などを添える飲み方も提案されている。

==== 文化 ====
労働の後の[[晩酌]]のことを奄美大島では'''だれぅやめぅ'''、'''だりやみ'''(垂れ止め)などというが、だるさを取るという意味が込められていて、[[薩隅方言]]でもだれやめという。

鹿児島県と[[宮崎県]]の一部では、酒席で二人が向かい合って座り、互いの手の中に握った木の棒(短く折った箸も使われる)の数(0-3本)の合計を当てる'''[[薩摩拳|なんこ]]'''という遊びがあり、相手に当てられて負けると杯の焼酎を飲み干す。本土では芋焼酎を使うが、奄美では黒糖焼酎を使う。[[鹿児島市]]、奄美市[[笠利町]]や[[喜界町]]、[[都城市]]などで酒宴の際に盛んに行われる。また、旧時は片手を出すと同時に、相手の指との合計数を言って、正答が出れば相手が負けて酒を飲む'''さめ'''も行われた<ref>川越政則、『焼酎文化図譜』pp497-499、1987年、鹿児島、鹿児島民芸館</ref>。

[[与論島]]では'''与論献奉'''(よろんけんぽう)という、主人が口上を述べながら、客人に順に杯に注いだを勧め、客人も口上を述べてから黒糖焼酎を飲み干す儀礼がある。[[1965年]]ごろまでは杯が1リットル以上入るほど大きく、大杯酒反対運動を与論島の婦人会が行った結果、各人に小さいめいめい杯が用意され、献奉'にもそれを使うように変わった<ref>川越政則、『焼酎文化図譜』pp956-958、1987年、鹿児島、鹿児島民芸館</ref>。

奄美群島では正月に'''[[三献]]'''(さんごん、さんぐん)と呼ばれる、順に料理出して、黒糖焼酎を飲む儀礼を行う。奄美大島では、一の膳のむちぬすいむん(餅の吸い物、[[雑煮]])、二の膳([[刺身]])、三の膳のうゎーぬすいむん([[塩豚]]と[[ダイコン|大根]]などの吸い物。または[[鶏肉]]などの吸い物)を出し、膳毎に主人が同席者に黒糖焼酎を注いで飲み、最後に塩盛りと呼ばれる[[干物]](するめや魚)、[[昆布]]、[[塩]]を食べる。[[浜下り]]、[[八月踊|八月踊り]]、[[豊年祭]]などの[[年中行事]]にも黒糖焼酎は欠かせない。

[[徳之島]]では、旧時[[仲人]]が娘のいる家に縁談を持ちかけに行く時は、三合瓶小(さんごびんぐぁ)に入れた黒糖焼酎を着物の中に「懐酒(ほしころぜえ)」として入れて行き、縁談がまとまると取りだして、酌み交わすことが行われていた<ref>川越政則、『焼酎文化図譜』pp474-477、1987年、鹿児島、鹿児島民芸館</ref>。

なお、同じ鹿児島県でも、薩摩地方で[[芋焼酎]]を[[銚子|黒ぢょか]]と呼ばれる[[急須]]に似た[[陶器]]の[[銚子]]で燗をしながら飲むような飲み方は通常行われない。
=== リキュール原料 ===
黒糖焼酎に[[ホンハブ]]、[[タンカン]]、[[スモモ]]、[[ウメ]]の実、[[ショウガ]]などを漬け込み、[[リキュール]]としたものが奄美大島、徳之島などで作られ、[[ハブ酒]]、たんかん酒、すもも酒、[[梅酒]]、生姜酒などの名で販売されている。[[クダモノトケイソウ|パッションフルーツ]]果汁を加えたものもある。[[徳之島町]]は[[国税庁]]から「徳之島地域資源果実酒・リキュール特区」に認定されており、リキュール製造免許の最低製造数量基準が年間1,000リットルに下げられている。なお、家庭内消費用に自分で黒糖焼酎にウメを漬け込んでも香り高い梅酒が作れる。ただし、全国的なブランドから「黒糖梅酒」として市販されているものは[[焼酎|ホワイトリカー]](焼酎甲類)を使用し、黒砂糖で甘味を付けたものであって、黒糖焼酎にウメを漬け込んだものではない。

=== 製菓原料 ===
奄美大島開運酒造のれんとは[[ゼリー]]や[[チョコレート]]の原料にも使われている。他にも[[ケーキ]]の香り付けなどの例がある。奄美群島以外では、北隣の[[宝島 (鹿児島県)|宝島]]([[トカラ列島]]、[[鹿児島郡]][[十島村]])で特産の[[ビワ]]と奄美黒糖焼酎を使った[[ジャム]]が製造されている。


==脚注==
==脚注==
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== 参考文献 ==
* 株式会社フードビジネス、『柴田書店MOOK 薩摩焼酎・奄美黒糖焼酎』、2001年、東京、柴田書店


==外部リンク==
==外部リンク==
*[http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/ 鹿児島県酒造組合奄美支部:奄美大島酒造組合]
*[http://www1.ocn.ne.jp/~kokutyu/ 鹿児島県酒造組合奄美支部奄美大島酒造協同組合]


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2015年3月2日 (月) 21:12時点における版

市販の各種奄美黒糖焼酎

奄美黒糖焼酎(あまみこくとうしょうちゅう)は、鹿児島県奄美群島で造られている、米麹サトウキビからとれた純黒砂糖を原料に醸造し、単式蒸留した本格焼酎。奄美大島酒造協同組合の地域団体商標である[1]

概要

奄美黒糖焼酎は、サトウキビ栽培が盛んな奄美群島に20世紀から伝わるもろみ取り焼酎で、『酒税法』(第3条)上の用語では「単式蒸留しようちゆう」(旧「しようちゆう乙類」)に属し、一般には焼酎乙類と表記されている。水色は明澄(透明)で、多くは無色であるが、オークコナラ属)の木樽熟成により淡い琥珀色を呈し、洋酒のような樽香を持つものもある。

サトウキビの絞り汁から作る純黒砂糖と米麹が主原料であり、1回だけ行われる蒸留の際に黒砂糖と米由来の芳醇な風味は加わるが、糖分は加えない[2]ので、糖分ゼロの辛口焼酎である。糖分以外の他の微量成分による甘味が感じられる銘柄もある。黒砂糖は奄美群島の奄美大島徳之島加計呂麻島喜界島産の他、沖縄県産のものが使われる場合が多い。沖縄県の方が『離島振興法』に基づく産業振興補助金や格差補給金があり、価格が安いためである。

酒税法』に関連した国税庁の通達によって、含糖物質(砂糖蜂蜜メープルシロップなど)を使って「焼酎」が作れるのは熊本国税局大島税務署が所管する奄美群島に限られる。愛知県に米麹と黒砂糖を使って蒸留酒を製造していた例[3]タイに米麹と黒糖で作る蒸留酒の例もあるが、『酒税法』上はいずれもスピリッツと扱われ、アルコール度数37度未満では、酒税が割高となる。

2015年現在、奄美群島内の5つの島にある25場の蔵元が18社の納税企業名(共同瓶詰め専門の2社を含む)で製造、出荷を行っている。

奄美群島内での消費の他、日本全国に流通している。平成25醸造年度2013年7月から1年間)の鹿児島県外への出荷比率は約6割に達しているが、黒糖焼酎の知名度はまだ芋焼酎麦焼酎米焼酎泡盛よりも低く、全国で消費される焼酎の中に占める割合は2%程度にとどまっており、県外の飲食店では提供している例が少数派であるのが実情である。県外の地域別では、以前は奄美出身者が多い大阪府兵庫県などの関西地方への出荷が最も多かったが、1990年代以降は東京都などの関東地方向けが最も多くなった。関東、関西のスーパーマーケットなどで買える銘柄は大手数社のものに限られており、それ以外は専門の酒販店に行くか通信販売の利用でないと希望の銘柄が買えない場合が多い。東京、大阪、名古屋などの百貨店の鹿児島物産展などの催事で売られる場合がある。

名称

奄美方言は「せー」(奄美大島、喜界島)、「せぅー」(宇検村)、「さき」(沖永良部島)、「さい」(与論島)などと呼ばれるが、何も修飾語をつけないと、黒糖焼酎を指す。 喜界島酒造は自社の製品に「くろちゅう」という略称を併記しているが、他社製品に浸透した呼び方ではない。

黒糖酒(こくとうしゅ)という呼び方も過去にあったが、現在はラム酒と同じくスピリッツに分類される徳之島、沖縄本島南大東島や、高知県などの、米麹を使わない蒸留酒に対して用いられることが多い。

製法

洗ったコメ(多くはタイ産)を蒸して麹菌を散布し、2日間弱棚で熟成させた米麹に水を加えて5-7日間一次仕込みした後、サトウキビの黒砂糖を水に溶かした糖液と酵母を加えて10日から14日かけて二次仕込みし、酵母によるアルコール発酵醸造)を行い、アルコール度数14度から16度程度のもろみとする。場合によっては米麹の熟成時間を半分にした半麹を使ったり、さらに糖液を加えて三次仕込みをする例もある。仕込みに使う容器も琺瑯タンク、FRPタンクなどの違いがある。発酵したもろみを単式蒸留機で蒸留し、検査、度数調整、貯蔵の後、場合により木樽やタンクで熟成させてから、必要に応じて度数調整して瓶詰めする[4]

なお、仕込みの最盛期は1月から5月で、伝統的には夏場(7-9月)は温度が上がりすぎて酵母の働きが悪くなり、アルコール発酵がうまくいかないため、仕込みはされない。もろみが35℃を越えると発酵が止まり、特に果糖が残存するなどの障害がでるが、現在は高温に強い酵母も分離培養されている[5]。一次仕込みからもろみ完成までの全てを甕ひとつの中で行う仕込み方法はどんぶり仕込みなどと呼ばれるが、現在は別の容器で一次仕込み、二次仕込みを行う例が多い。

米、甘藷などと比べて、黒砂糖は原料単価が高いため、一般に原料コストが割高である[6]。一般に米と黒糖の重量比は1.4倍から2倍程度までの範囲で蔵元、銘柄毎に設定が行われている。壱乃醸朝日は例外的に4倍近く使っている。米の比率を上げたり、半麹を使うと芳醇な香りが強まり、黒糖の比率を上げるとすっきりした味わいになる傾向がある。また、米や黒糖の違いによっても風味に差が出る。

蒸留はほとんどが90℃程度に熱して行う常圧蒸留であるが、奄美大島酒造町田酒造奄美大島開運酒造沖永良部酒造などのように銘柄によって減圧蒸留も取り入れている蔵元もある。減圧蒸留では、低温の50℃前後でアルコールが蒸発して分離されるため、材料独特の香りや持ち味は減るが、すっきりした風味となる。

原酒はアルコール度数が40度以上あり、特に初垂れ(はなたれ)と呼ばれる最初の部分では60度以上あるが、『酒税法』上の「しようちゆう」(焼酎)とするには、割り水を加えて45度以下に薄める必要がある。従来は30度に調整したものが一般的であったが、現在は25度がもっとも売れている。より原酒に近い44度、43度、40度のものや、近年は飲みやすくする目的で20度、15度、12度に薄めたものなどもある。

焼酎や泡盛は、熟成することによってバニリンが生成され、その香りが加わる[7]。このため、ほとんどの製品が1年以上の熟成を経てから出荷され、コスト、売価との見合いで2-3年熟成の製品が多い。熟成に用いる容器も琺瑯タンク、オーク酒樽(俗に樫樽と呼ばれているがコナラ属の木を使う)、シェリー酒に使った酒樽、甕などの違いがあり、蔵元によってはタンクに取り付けた音響装置によって微妙な振動を与えて熟成を促している例もある。

奄美群島の内、奄美大島は森林が多く軟水もあるが、その他の島は隆起珊瑚礁によってできており、サンゴの骨格の炭酸カルシウムが溶け、カルシウムを多く含む硬水となっている。仕込みに使う水の水質も製品の持ち味に関係するが、割り水はイオン交換樹脂などでカルシウムを除去処理した水で行われるのが一般的である。

仕込み方法

現在、主に二段仕込みが行われているが、芳醇な甘味が出せる三段仕込みを行う例もある。また、ごく一部に黒糖を糖液にせず、ブロックのまま投入する銘柄もある。

  • 二段仕込み
  1. 製麹(せいきく) - 粳米を蒸して、種麹を巻き、コウジカビ類を繁殖させる。
  2. 甕などに移し、水を加え全麹とする。
  3. 糖液 - 黒砂糖を蒸気などで温めた湯に溶かして、糖液を作る。
  4. 二次仕込み - 一次仕込みでできたもろみに糖液と酵母を加え、酵母の作用で糖分をアルコールに変える。
  5. 蒸留 - アルコール発酵が完成したもろみを蒸留器にかけて、蒸発したアルコールを冷やして集める。
  6. 検査、アルコール度数調整
  7. 熟成 - タンク、木樽、甕などに入れて風味を良くする。
  8. 割り水・包装 - 必要な場合、出荷する度数に水で薄めて、瓶などに入れ、ラベルを貼って出荷する。
  • 三段仕込み
  1. 製麹(せいきく) - 粳米を蒸して、種麹を巻き、コウジカビ類を繁殖させる。
  2. 甕などに移し、水を加え2日程度かけて全麹とする。また1日程度だけの半麹を用意する。
  3. 二次仕込み - 一次仕込でできたもろみに半麹を加える。
  4. 糖液 - 黒砂糖を蒸気などで温めた湯に溶かして、糖液を作る。
  5. 三次仕込み - 二次仕込みでできたもろみに糖液と酵母を加え、酵母の作用で糖分をアルコールに変える。
  6. 蒸留 - アルコール発酵が完成したもろみを蒸留器にかけて、蒸発したアルコールを冷やして集める。
  7. 検査、アルコール度数調整
  8. 熟成 - タンク、木樽、甕などに入れて風味を良くする。
  9. 割り水・包装 - 必要な場合、出荷する度数に水で薄めて、瓶などに入れ、ラベルを貼って出荷する。

米のデンプンブドウ糖に変え、黒砂糖のショ糖などをアルコール発酵させるための仕込みには主にアスペルギルス属(Aspergillus)の3種の麹が使い分けられる。種麹は乾燥させ、粉末状にして保管されるが、一般に麹屋と呼ばれる専門の純粋培養業者から仕入れられている。

  • 黄麹(きこうじ) - 蒸した米にコウジカビAspergillus oryzae)を繁殖させたもの。胞子の色が黄土色から緑色を呈する。清酒味噌醤油など、日本の本土で発酵食品に多用されている。独特の華やかな香りを産み出す。旧来の薩摩芋焼酎や明治大正時代の奄美の各種焼酎にも使われたが、現在はやんご花など、ごく一部の銘柄に限られる。
  • 黒麹(くろこうじ) - 蒸した米にアワモリコウジカビAspergillus awamori)またはサイトウコウジカビAspergillus saitoi)を繁殖させたもの。コロニーは胞子の性質で黒く見える。泡盛の製造に伝統的に用いられているもので、黄麹に代わって使い始められた。重厚な風味がでるため、コクのある焼酎になる。龍宮、まーらん舟、うかれけんむん、あじゃ黒、黒奄美などが使っている。アルコール以外にクエン酸を生成する性質があり、高い気温条件に強く、鹿児島県霧島市などの黒酢作りにも利用される。
  • 白麹(しろこうじ) - 白麹と呼ばれるものには黄麹の変種もあるが、黒糖焼酎を含む焼酎に用いられているのは1910年霧島河内源一郎が黒麹から分離した突然変異の変種カワチコウジカビAspergillus awamori var. kawachii。通称河内菌)である。胞子は純白ではなく、淡いベージュ色。軽い風味で、すっきりと飲みやすく、柔らかい口当たりの焼酎になるだけでなく、黒麹同様に品質も安定するため、現在の黒糖焼酎や芋焼酎などにも主流として使われている。木樽熟成して樽の風味を生かすのにも適する。西平本家、西平酒造などが最初に使い始めて広がった。

蒸留

もろみを単式蒸留装置に入れ、加熱し、蒸発したアルコール分、エステル類などの風味成分、水分を冷却して、集めたものが原酒となる。最初に集まったものを「初垂れ」(はなたれ。初留取り)、中間の部分を「本垂れ」、最後の部分を「末垂れ」と呼ぶ。一般に、最初に近いほうがアルコール度数が高く、香りもよいので、FAU、浜千鳥乃詩極、南の島の貴婦人などのように、初垂れだけを使った製品もある。

もろみかす

蒸留し終えた液状の残り、すなわち蒸留残液をもろみかすという。さらに発酵させて、クエン酸アミノ酸類に富むもろみ酢として利用する場合(奄美大島開運酒造など)があるが、沖縄県の泡盛の例ほど盛んではない。黒豚などの飼料の一部として配合して使う他、肥料として利用される。

類似の酒との違い

泡盛との違い

沖縄県泡盛作りの技術が基礎となっているなど、地域的、歴史的に泡盛とは密接な関連があったが、現在作られている一般的な泡盛と奄美黒糖焼酎には、原料、製造工程に大きな違いがある。

  • 泡盛のアルコール発酵のための原料がのみであるのに対し、奄美黒糖焼酎は固形の黒砂糖と米である。
  • 泡盛が蒸した米に麹を混ぜて発酵させてもろみとするのに対し、奄美黒糖焼酎は米に麹を混ぜて発酵させる一次仕込みの後、黒砂糖を溶かした糖液と混ぜて二次仕込みで発酵させ、もろみとする。(できたもろみを1回だけ蒸留する点は同じ)
  • 米麹には、泡盛では黒麹が使われるのに対して、現在の奄美黒糖焼酎は白麹が主流であるが、例外もある。

なお、アメリカ統治時代に奄美群島や宮古、八重山などで「泡盛」と称して売られていたものは、実際は米麹に黒糖を加えた黒糖焼酎であった場合もある。米のみのものと区別する意味で純良泡盛'と称する例もあった。

糖蜜を使う甲類焼酎との違い

日本の本土や韓国の甲類焼酎(現在の『酒税法』上では「連続式蒸留しようちゆう」と称する)の多くは、現在糖蜜を原料に使用している。原料植物のサトウキビは黒糖焼酎と共通であるが、次のような違いがある。

  • アルコール発酵の原料は、奄美黒糖焼酎が固形(ブロック)の黒砂糖(含蜜糖)を湯に溶かした糖液と米麹であるのに対して、甲類焼酎は砂糖を作る際に副産する黒い廃糖蜜(モラセス)が主で、場合によっては少し煮詰めたサトウキビ絞り汁も使われる。また、甲類焼酎は糖蜜以外にイモ類、タピオカコーングリッドなどサトウキビや米以外の糖化用デンプン原料を組み合わせて使うことも可能である。
  • 蒸留方法は、奄美黒糖焼酎がもろみを一定量ずつに分けて単式蒸留器で一度だけ蒸留する単式蒸留(多くは常圧蒸留)であるのに対して、甲類焼酎は連続式蒸留器(多くは減圧蒸留)で自動の流れ作業的に行われる。このため、甲類焼酎は風味に乏しいが、酎ハイリキュールなどの原料としては癖のないものとなる。
  • 蒸留した酒は、本格焼酎である奄美黒糖焼酎には度数調整用の水以外のものを加えられないのに対して、甲類焼酎は風味調整用の成分を加えることも可能である。また、風味を加えるために乙類焼酎を混和する場合もある。

ラム酒との違い

ラム酒は原料植物のサトウキビが黒糖焼酎と共通であるが、次のような違いがある。

  • ラム酒はサトウキビの絞り汁または製糖の際の副産物である廃糖蜜といった液体が原料であるのに対し、奄美黒糖焼酎は固形の黒砂糖と米麹である。また、ラム酒に米が使われることはない。
  • ラム酒は絞り汁、糖蜜だけでなく、黒砂糖のような含蜜糖で作ることも、上白糖ざらめの様な分蜜糖で作ることも規定の上では可能であるが、奄美黒糖焼酎は含蜜糖を冷やし固めた固形(ブロック)の黒砂糖しか使えない[8]
  • 蒸留方法は、奄美黒糖焼酎がもろみを一定量ずつに分けて単式蒸留器で一度だけ蒸留する単式蒸留(多くは常圧蒸留)であるのに対して、ラム酒は連続式蒸留器(多くは減圧蒸留)でも作れるし、単式蒸留器で複数回蒸留することも一般的である。このため、ラム酒の蒸留ではアルコール度数の高いものを効率的に作ることができる。
  • ラム酒は木樽熟成を行うのが基本であるが、奄美黒糖焼酎は木樽熟成をしないものが多い。ただし、近年は洋酒に近い風味を持たせるために、タンク熟成後に木樽熟成を行うものも増えている。
  • ラム酒はスパイスド・ラム、または、フレーバード・ラムと称して、バニラなどの香辛料で香り付けをすることも可能であるが、本格焼酎として販売される奄美黒糖焼酎には水以外のものを加えることが許されていない[9]
  • 製品のアルコール度数は単式蒸留焼酎の一種である奄美黒糖焼酎が日本の『酒税法』で45度以下と規定されているのに対して、ラム酒はこの規定が適用されない。日本での販売に関してはスピリッツの95度以下が適用される。なお、現在の酒税は37度未満の場合、ラム酒を含むスピリッツは固定のため、単式蒸留焼酎よりも高い酒税が課せられる。37度-45度では酒税は同額である。

歴史

鹿児島県では焼酎という語が書かれた1559年の木片[10]が見つかっており、どぶろく同様に米、キビなどが使われていたと考えられる。1623年ごろよりは、奄美群島から薩摩藩への焼酎献上が行われていたことも、文献に残されている[4]が、その原料は不明である。奄美大島にサトウキビ栽培は直川智(すなおかわち)が1610年ころ中国福建から持ち帰ったものに始まるという説があるが、醸造に使われるようになるには一定の時間を要したと考えられる。

江戸時代1850年ごろから1853年ごろに奄美大島遠島となった名越左源太(なごやさげんた)によって書かれた『南島雑話』には、シイの実、ソテツの実のでん粉(なり)、アワムギサツマイモユリの根によるものに加えて、サトウキビ汁(糖蜜)による焼酎作り記録されており、「留汁焼酎」(とめじるしょうちゅう)として登場する。しかし、この頃、薩摩藩は奄美で作られる黒糖を全て納めさせて資金源としていたので、サトウキビによる焼酎作りは禁止されたことも記されている。実際には密造もあったのか、江戸時代後期の『江戸買物独案内』には「砂糖せうちう」が銘酒として挙げられている[11]

明治時代になって、自家製造焼酎としての黒糖焼酎が、奄美群島各地で造られる[4]ソテツでん粉で黄麹を作り、煮たサツマイモと砂糖を加えて発酵させるのが一般的であった[12]大正時代に入ると、1916年喜界島で喜禎酒造所(現朝日酒造)が開業[13]1922年奄美大島名瀬村弥生焼酎醸造所が開業、1925年には沖縄の首里から西平家(現西平本家)が喜界島に移り住み泡盛を製造するなどして、販売を目的とした蒸留酒の製造が本格化した。しかし、第二次世界大戦によって、米不足となり、原料としての黒糖の重要性が増す一方、海軍特攻隊の中継地となっていた喜界島の蔵元は1945年に米軍の爆撃被害を受けて壊滅した。

1945年の敗戦により、奄美群島は沖縄本島宮古列島八重山列島などとともにアメリカ合衆国の統治下に置かれ、奄美大島に臨時北部南西諸島政庁が開設された。奄美群島はもともと経済的自立が難しかった地域の上に、戦後は物資不足となり、11月から特例的に課税を前提に自家用酒の製造許可が出された。これによって奄美群島では各地の集落に小規模な醸造所が多数生まれた。もともと泡盛を作っていた蔵元は、米での製造を始めたが、やはり米の確保が難しく、生産量は限られた。米に代わって使われた原料は黒糖ソテツでん粉であった[14]。当時、稲の作付面積は少なく、不足した上に、従来日本の本土に出荷していた黒糖は出荷ができなくなって余ったため、代替の焼酎原料として使われた。

1947年には大島中央農業会が名瀬蘇鉄味噌工場で焼酎の製造を開始し、一般販売された[14]。他にも西平酒造など、専門の蔵元が製造を開始し、同年の奄美群島の焼酎生産量は1000石(18万リットル)程度になり、食用にしにくいソテツでんぷんや屑芋だけで作るように呼びかけられることもあったが、自家用酒から得られる酒税は政庁の最大の税収となっていた。

1950年2月、大島酒造組合が衛生問題や脱税問題を理由に自家用酒製造の禁止を陳情、協議の結果、4月から自家用酒の製造は禁止となり、税務署の暫定的な免許を取得した上で集落毎に月産1石(180リットル)までの酒造所を設けることを認める方式となった[14]

1951年サンフランシスコ講和条約調印によって、1952年4月1日から奄美群島は沖縄本島の琉球政府奄美地方庁の管理下に変わった。法律も琉球立法院が定めることとなり、1952年7月28日には琉球政府『酒税法』が定められた。焼酎の原料として、米、麦、などの穀物や馬鈴薯、甘藷などの芋の他、ソテツ、でんぷん、砂糖、糖蜜、糖水(サトウキビの絞り汁など)、酒粕が明記され、年間100石以上でないと製造免許が与えられなくなった[15]

1953年12月25日の奄美群島本土復帰によって、日本の法体系が適用されるようになった。当時の酒税法では、焼酎の原料として砂糖などの含糖物質の記載がなかった。黒糖を使った蒸留酒はラム酒と同じスピリッツに属し、約3割高い税額となり、販売に支障がでるおそれがあったが、国税庁に陳情の結果、政令によって奄美群島への酒税法適用が1954年6月まで猶予された。合わせて、1954年5月には酒税法施行規則が改正されて、黒糖を原料にした乙類焼酎の製造が可能となり、さらに1959年12月25日に国税庁が基本通達を出し、大島税務署の所管する奄美群島でのみ米麹の使用を条件に認められることとなった[16]。当時、宮古八重山にも黒糖を原料とする焼酎はあったが、重要ではないとみなされ、作れなくなった。

1960年代以降、名瀬市街での個人酒造場の廃業や法人化により、蔵元の数は減少した。また、1964年に施行された『甘味資源特別措置法』や国内での分蜜糖生産振興策によって、奄美群島のサトウキビ資源の多くが大規模な製糖工場で使われるようになり、黒糖生産量は減少したが、焼酎原料分はなんとか確保できていた。1970年代までの黒糖焼酎の生産量は一酒造年度で4000キロリットル程度に過ぎなかったが、1980年代前半の焼酎ブームで、倍増した年もあった。地元で確保しきれなくなった黒糖は沖縄県から調達された。1989年には『砂糖消費税法』が廃止され、『酒税法』の改正が行われた。

1990年の米不足と在庫過多により、製造量は減少し、米麹の原料は国産米からタイ米へ切り替えられた[17]。ただし、一部には風味を尊重して、現在も国産の破砕米を使用している蔵元もある。1990年代から、奄美大島内の周辺町村で新規事業者の参入や事業の拡大のための工場の移転などによって、蔵元は各市町村に分散化した。また、1991年には初の減圧蒸留装置を備えた大型工場が富国製糖内に誕生した[18]。原料需要も増えたことで、1993年以降、一部の工場では外国産の黒糖も使用されるようになった[16]

2000年代に入ると出荷量が拡大、特に関東地方などの県外への出荷が増え、2003年には生産量が10000キロリットルを突破した[16]。出荷量が増え、減圧蒸留や低度数で飲みやすさを追求した製品が増えた一方で、地元の黒糖使用にこだわった銘柄や、熟成方法に工夫を凝らした銘柄など、香りなどに特長を出して差別化を図る例も見られた。

2007年東京農業大学小泉武夫教授の提案で、5月9日10日が「こくとう」の語呂合わせ奄美黒糖焼酎の日となる。

2008年に改正された現行の『酒税法』(第23条)の規定では、1キロリットル当たりの酒税は、黒糖焼酎を含む蒸留酒類はアルコール度数21度未満は一律20万円、21度以上は1度ごとに1万円が加算され、度数×1万円となっているのに対して、ラム酒を含むスピリッツウィスキーブランデーは例外的に37度未満は一律37万円となった。このため、37度以上の場合、ラム酒と黒糖焼酎にかかる酒税は同額となった。

2009年2月6日、地域団体商標「奄美黒糖焼酎」の文字商標を登録。2010年8月6日、地域団体商標「奄美黒糖焼酎」の図形商標ロゴマーク。太陽と海と奄美群島の地図をデザイン)を登録。産地、商品を明確に識別できるようにした。

地区別の蔵元と銘柄

太字は主要銘柄。作られなくなった銘柄、限定銘柄も一部含まれる。

奄美大島

奄美市

  • 大島食糧株式会社 - 緋寒桜、あまみ六調、あまみ六調原酒、あまみ六調ちぢん、六調黒、六調白フロスト、金作原、まじむん、愛加那
  • 有限会社富田酒造場 - 龍宮、まーらん舟(せん)、かめ仕込、らんかん、宝もん、古酒だもん
  • 西平酒造株式会社 - 珊瑚、純金入寿珊瑚、加那、加那伝説華、加那伝説源、目母路志(まぼろし)
  • 株式会社西平本家 - せえごれ、八千代、八千代ゴールド、氣(き)、氣黒こうじ仕込、原酒氣、天孫岳(あまんでぃー)、原酒天孫岳、奄美大島、よーおりよーおり、奄美海咲(みさき)、和のらむ
  • 合資会社弥生焼酎醸造所 - 彌生(やよい)、ゴールド彌生、彌生みんがめ、彌生原酒、まんこい、まんこい白、荒ろか、碧い海、瓶仕込(かめじこみ)、太古の黒うさぎ、紬の里(つむぎのさと)

龍郷町

  • 奄美大島酒造株式会社 - 浜千鳥乃詩、浜千鳥乃詩和、浜千鳥乃詩原酒、浜千鳥乃詩極、高倉、JOUGO(じょうご)、やんご、やんご花、赤翡翠(あかしょうびん)、ガジュマルの樹の下で
  • 町田酒造株式会社 - 里の曙、里の曙瑞祥、里の曙GOLD、里の曙原酒、奄美の杜、一村、住の江、江戸町奉行
  • 有限会社山田酒造 - あまみ長雲(ながくも)、長期熟成貯蔵あまみ長雲、長雲一番橋、大古酒長雲、花おしょろ、嶺義、きょらじま

瀬戸内町

  • 株式会社天海の蔵 - 天海(てんかい)、蔵郷(くらご)、瀬戸の灘、加計呂麻(かけろま)

宇検村

喜界島

  • 朝日酒造株式会社[19] - 朝日、壱乃醸朝日、飛乃流(ひのりゅう)朝日、奄美黒潮、陽出る國の銘酒(ひいずるしまのせえ)、島育ち、たかたろう、南の島の貴婦人、黒糖物語、慶杯
  • 喜界島酒造株式会社[19] - 喜界島、喜界島荒濾過黒糖、喜界島クレオパトラアイランド、喜界島黒つぼ、しまっちゅ伝蔵、キャプテンキッド、三年寝太蔵、咲酒由羅王、沙羅、俊寛、せいら、重千代

徳之島

  • 株式会社奄美大島にしかわ酒造[20] - 島のナポレオン、あじゃ、あじゃ黒、天水百歳、あまんゆ、KUPIKUPI、ざわわ、王紀、帝、倭
  • 奄美酒類株式会社(有限会社亀澤酒造場、高岡醸造株式会社[21]、天川酒造株式会社、中村酒造株式会社、有限会社松永酒造場[22]) - 奄美、黒奄美、ブラック奄美、奄美エイジング、奄美フロスティー、奄美瑠璃色の空、奄美の匠、煌の島奄美(きらめきのしまあまみ)、ときめきの島奄美、奄美夢紀行、奄美神之嶺、古酒奄美、奄美祝酒、奄美益益繁盛、秋利神、徳三宝(とくさんぽう)、奄美の隠し酒、杜氏の隠し酒、トライアスロンIN徳之島、徳之島闘牛、情熱、長寿の酒

沖永良部島

与論島

  • 有村酒造株式会社 - 島有泉(しまゆうせん)、有泉(ゆうせん)、ヨロン島(よろんとう)

奄美大島酒造協同組合

現在、上記の蔵元および共同瓶詰め会社のすべてが奄美大島酒造協同組合に加盟しており、組合員が黒糖を原料に作る本格焼酎に奄美黒糖焼酎の地域団体商標を使用している。

利用

飲用の他、豚骨料理、煮物などの奄美料理の風味付けに使われる場合もある。奄美群島で風邪気味の時に飲む卵酒にも黒糖焼酎が使われる。また、リキュールを仕込む原料や製菓原料としても使われている。

飲み方

他の焼酎と同様に、ストレート、オンザロック、水割り、お湯割り、ソーダ割り、サワー、ウーロン茶割りなどにする。また、一部では、沖縄県における泡盛と同じように、牛乳割り、コーヒー割りなども行われている。水割りの場合、前日に割り水をして、冷蔵庫で冷やしておく方が、その場で作るよりも水とアルコールがなじんでまろやかになるという意見もある。お湯割りでは、芋焼酎などと同様に、先に湯を入れてから焼酎を注ぐ方が香りがよいとされる。鹿児島県で栽培が盛んなタンカンスモモなどの果汁を加えることもある。喜界島では特産の花良治みかんをスライスして沿えたり、果汁で割ったりもされる。また、奄美群島独特の飲み方として、パッションフルーツの実を切って猪口代わりにし、中の果汁やとともに飲む方法も行われている[26]。他に、ミントパプリカトウガラシシソの葉などを添える飲み方も提案されている。

文化

労働の後の晩酌のことを奄美大島ではだれぅやめぅだりやみ(垂れ止め)などというが、だるさを取るという意味が込められていて、薩隅方言でもだれやめという。

鹿児島県と宮崎県の一部では、酒席で二人が向かい合って座り、互いの手の中に握った木の棒(短く折った箸も使われる)の数(0-3本)の合計を当てるなんこという遊びがあり、相手に当てられて負けると杯の焼酎を飲み干す。本土では芋焼酎を使うが、奄美では黒糖焼酎を使う。鹿児島市、奄美市笠利町喜界町都城市などで酒宴の際に盛んに行われる。また、旧時は片手を出すと同時に、相手の指との合計数を言って、正答が出れば相手が負けて酒を飲むさめも行われた[27]

与論島では与論献奉(よろんけんぽう)という、主人が口上を述べながら、客人に順に杯に注いだを勧め、客人も口上を述べてから黒糖焼酎を飲み干す儀礼がある。1965年ごろまでは杯が1リットル以上入るほど大きく、大杯酒反対運動を与論島の婦人会が行った結果、各人に小さいめいめい杯が用意され、献奉'にもそれを使うように変わった[28]

奄美群島では正月に三献(さんごん、さんぐん)と呼ばれる、順に料理出して、黒糖焼酎を飲む儀礼を行う。奄美大島では、一の膳のむちぬすいむん(餅の吸い物、雑煮)、二の膳(刺身)、三の膳のうゎーぬすいむん(塩豚大根などの吸い物。または鶏肉などの吸い物)を出し、膳毎に主人が同席者に黒糖焼酎を注いで飲み、最後に塩盛りと呼ばれる干物(するめや魚)、昆布を食べる。浜下り八月踊り豊年祭などの年中行事にも黒糖焼酎は欠かせない。

徳之島では、旧時仲人が娘のいる家に縁談を持ちかけに行く時は、三合瓶小(さんごびんぐぁ)に入れた黒糖焼酎を着物の中に「懐酒(ほしころぜえ)」として入れて行き、縁談がまとまると取りだして、酌み交わすことが行われていた[29]

なお、同じ鹿児島県でも、薩摩地方で芋焼酎黒ぢょかと呼ばれる急須に似た陶器銚子で燗をしながら飲むような飲み方は通常行われない。

リキュール原料

黒糖焼酎にホンハブタンカンスモモウメの実、ショウガなどを漬け込み、リキュールとしたものが奄美大島、徳之島などで作られ、ハブ酒、たんかん酒、すもも酒、梅酒、生姜酒などの名で販売されている。パッションフルーツ果汁を加えたものもある。徳之島町国税庁から「徳之島地域資源果実酒・リキュール特区」に認定されており、リキュール製造免許の最低製造数量基準が年間1,000リットルに下げられている。なお、家庭内消費用に自分で黒糖焼酎にウメを漬け込んでも香り高い梅酒が作れる。ただし、全国的なブランドから「黒糖梅酒」として市販されているものはホワイトリカー(焼酎甲類)を使用し、黒砂糖で甘味を付けたものであって、黒糖焼酎にウメを漬け込んだものではない。

製菓原料

奄美大島開運酒造のれんとはゼリーチョコレートの原料にも使われている。他にもケーキの香り付けなどの例がある。奄美群島以外では、北隣の宝島トカラ列島鹿児島郡十島村)で特産のビワと奄美黒糖焼酎を使ったジャムが製造されている。

脚注

  1. ^ 地域団体商標「奄美黒糖焼酎」について”. 鹿児島県酒造組合奄美支部・奄美大島酒造協同組合 (2012年). 2014年10月12日閲覧。
  2. ^ もし蒸留後に砂糖やエキスを加えると本格焼酎とは名乗れず、焼酎乙類または単式蒸留焼酎という表示しかできない。
  3. ^ 清洲桜醸造株式会社の「黒糖太郎」。減圧蒸留、25度。
  4. ^ a b c 奄美黒糖焼酎について”. 鹿児島県酒造組合奄美支部・奄美大島酒造協同組合 (2012年). 2014年10月12日閲覧。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "rekisi"が異なる内容で複数回定義されています
  5. ^ 安藤義則 ほか、「黒糖焼酎用酵母の分離について」『鹿児島県工業技術センター研究成果発表会予稿集』、2003年、鹿児島県工業技術センター。 [1]
  6. ^ また、サツマイモは奄美群島や沖縄県ではイモゾウムシなどの害虫被害により、栽培に限界がある。
  7. ^ 渡邉泰祐、塚原正俊、外山博英、「沖縄の伝統発酵食品と微生物~泡盛を中心に~」『生物工学会誌』第90巻6号、pp311-314、2012年、日本生物工学会。[2]
  8. ^ なお、規定上はサトウキビの他にサトウモロコシ(スイート・ソルガム)、トウモロコシの絞り汁から作った固形の含蜜糖も使えるが、使われてはいない。
  9. ^ 規定上、焼酎乙類と表示する場合で、エキス分2度未満ならば可能であるが、実際には作られていない。
  10. ^ 大口市焼酎資料館蔵
  11. ^ 原口泉、「焼酎の歴史と文化」『柴田書店MOOK 薩摩焼酎・奄美黒糖焼酎』p88、2001年、東京、柴田書店
  12. ^ 蟹江松雄、藤本滋生、水元弘二、「黒糖焼酎の登場」『鹿児島の伝統製法食品』、pp112-114、2001年、鹿児島、春苑堂出版、ISBN 4-915093-74-3
  13. ^ 朝日酒造株式会社ホームページ
  14. ^ a b c 吉田元、「軍政下奄美の酒(1)」『日本醸造協会誌』第101巻第11号pp862-866、2006年、東京、公益財団法人日本醸造協会 [3]
  15. ^ 吉田元、「軍政下奄美の酒(2)」『日本醸造協会誌』第101巻第12号pp862-866、2006年、東京、公益財団法人日本醸造協会 [4]
  16. ^ a b c 山本一哉、「奄美の黒糖焼酎産業について(1)」『奄美ニューズレター』No.17 pp12-21、2005年4月、鹿児島大学 [5] 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "yamamoto1"が異なる内容で複数回定義されています
  17. ^ 松岡美根子、八久保厚志、須山聡、「奄美大島における黒糖焼酎生産の新展開」『奄美大島の地域性-地理学調査法 野外調査報告書-』、2003年、駒澤大学 [6]
  18. ^ 現奄美大島酒造。
  19. ^ a b 喜界町引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "kya"が異なる内容で複数回定義されています
  20. ^ 徳之島町。
  21. ^ 他に自社名義のスピリッツラム酒)であるルリカケス、徳州、原酒、神酒を製造。
  22. ^ 5蔵の共同瓶詰め事業。中村酒造は天城町、松永酒造場は伊仙町、他は徳之島町
  23. ^ 和泊町
  24. ^ 4蔵の共同瓶詰め事業。神崎産業は知名町、他は和泊町
  25. ^ a b 知名町引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "china"が異なる内容で複数回定義されています
  26. ^ 久留ひろみ、濱田百合子、「パッション酒」『奄美の食と文化』p147、鹿児島、南日本新聞社、ISBN 978-4-86074-185-3
  27. ^ 川越政則、『焼酎文化図譜』pp497-499、1987年、鹿児島、鹿児島民芸館
  28. ^ 川越政則、『焼酎文化図譜』pp956-958、1987年、鹿児島、鹿児島民芸館
  29. ^ 川越政則、『焼酎文化図譜』pp474-477、1987年、鹿児島、鹿児島民芸館

参考文献

  • 株式会社フードビジネス、『柴田書店MOOK 薩摩焼酎・奄美黒糖焼酎』、2001年、東京、柴田書店

外部リンク