水野晃樹
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | コーキ、カーキ、天才 | |||||
カタカナ | ミズノ コウキ | |||||
ラテン文字 | MIZUNO Kouki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1985年9月6日(38歳) | |||||
出身地 | 静岡県清水市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 柏レイソル | |||||
ポジション | MF(SH) | |||||
背番号 | 29 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2004-2007 2008-2010 2010- |
ジェフユナイテッド市原 セルティックFC 柏レイソル |
86 (13) 11 (1) | ||||
代表歴 | ||||||
2007 | 日本 | 4(0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
水野 晃樹(みずの こうき、1985年9月6日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身のプロサッカー選手。Jリーグディビジョン1(J1)の柏レイソル所属。ポジションはミッドフィールダー。
サッカー選手の鈴木啓太は従兄。S.C.相模原(関東サッカーリーグ2部)所属の水野和樹は兄。
来歴
学生時代
静岡県清水市(現在の静岡市)生まれ。小学校時代は清水FCに所属[1]。清水商業高校に進学し[2]、高校2年次には高校総体に出場し、ベスト4に進出する。同高校総体では、2回戦(国士舘)、3回戦(玉野光南)、準々決勝(渋谷教育幕張)などで3試合連続得点を挙げるも、準決勝では平山相太[3]擁する国見高校に敗れた。高校卒業後の2004年、ジェフユナイテッド市原(当時)に入団。
ジェフ市原/ジェフ市原・千葉時代
2004年7月にレアル・マドリード戦に出場し、10月17日の清水エスパルス戦で後半37分から出場しトップ初出場を果たす。12月にU-20日本代表に選出され、2005年6月のFIFAワールドユース選手権(オランダ)ではメンバーに選出。本戦ではグループステージで3戦連続途中出場。初戦のオランダ戦では平山の得点をアシストし、第2戦のベナン戦では同点となるフリーキックを決めた。決勝トーナメントの初戦・モロッコ戦では先発出場を果たした。
2007年、ジェフ千葉では阿部勇樹の退団により、コーナーキックやフリーキック等、全てのセットプレーのキッカーを任され[4]、チーム最多の9得点を挙げた。A代表では3月24日のペルー戦でのメンバーに初招集され、後半40分から初出場を果たす。
セルティック時代
2008年1月、セルティックFCへの移籍が決定し、3年半の契約を結んだ。しかし、2007-2008シーズンは1度もトップチームでプレーできず、ジェフ時代の恩師であるイビチャ・オシムに電話で叱られたという。先輩である巻誠一郎にも何度か叱られたことがある[5]。一年後の12月21日、スコティッシュ・プレミアリーグ第19節 対フォルカーク戦に初先発しフル出場。後半44分、中村俊輔からのパスをセンターサークル付近で受けると、約40m独走して初ゴールを決めた。なお、このゴールの際に過剰なゴールパフォーマンスとして、初のイエローカードも受けている。2009-2010シーズンにおいては、「今後の人生がかかっている」[6]と語っていたが公式戦は2試合のみの出場に止まった。セルティック在籍期間の2年半で公式戦出場はわずか12試合。移籍前にはレギュラーを務めていた北京五輪代表から落選するなど、海外への挑戦は厳しい結果に終わった。
柏レイソル時代
出場機会を求め、FIFAワールドカップによるリーグ中断期間中の2010年6月に、J2の柏レイソルに移籍。しかし、国内復帰戦となった古巣ジェフ千葉戦で右膝を負傷。前十字靭帯損傷で全治約6ヶ月の診断を受けた。
所属クラブ
- 1998年 - 2000年 清水市立第六中学校
- 2001年 - 2003年 清水商業高校
- 2004年 - 2007年 ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2008年 - 2010年6月 セルティックFC
- 2010年6月 - 現在 柏レイソル
個人成績
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないで下さい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国内成績表_topを使用して下さい。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 市原 | 29 | J1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8 | 1 |
2005 | 千葉 | 25 | 3 | 5 | 0 | 2 | 1 | 32 | 4 | ||
2006 | 8 | 25 | 0 | 5 | 2 | 1 | 0 | 31 | 2 | ||
2007 | 29 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 34 | 9 | |||
スコットランド | リーグ戦 | S・リーグ杯 | スコティッシュ杯 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | セルティック | 29 | S・プレミア | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2008-09 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | |||
2009-10 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 柏 | 34 | J2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | |
2011 | 29 | J1 | 10 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 14 | 0 | |
2012 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 96 | 13 | 16 | 2 | 7 | 1 | 119 | 16 | |
日本 | J2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
スコットランド | S・プレミア | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | ||
総通算 | 108 | 14 | 17 | 2 | 7 | 1 | 132 | 17 |
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないでくだい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国際成績表_topを使用して下さい。 |
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2011 | 柏 | 29 | - | 3 | 0 | |
2012 | ||||||
通算 | AFC | 3 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
経歴
- 2004年10月17日 - Jリーグ初出場:J1 2nd第9節 対清水エスパルス戦(日本平スタジアム、後半37分から出場)
- 2004年10月31日 - Jリーグ初先発:J1 2nd第11節 対ガンバ大阪戦(横浜国際総合競技場)
- 2004年11月20日 - Jリーグ初得点:J1 2nd第13節 対ヴィッセル神戸戦(市原臨海競技場)
- 2007年3月24日 - A代表初出場:国際親善試合 対ペルー戦(横浜国際総合競技場、後半40分から出場)
- 2008年11月8日 - スコティッシュ・プレミアリーグ初出場:第12節 対マザーウェル戦(後半43分から出場)
- 2008年12月21日 - スコティッシュ・プレミアリーグ初得点:第19節 対フォルカーク戦(後半44分に得点)
個人タイトル
- ヤマサキナビスコカップ最優秀選手賞(2006年)
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点(2007年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2007 | 4 | 0 |
通算 | 4 | 0 |
関連項目
脚注
- ^ 山本海人も所属していた
- ^ 1学年上には菊地直哉が在籍していた。
- ^ 晃樹は「相太」とは呼ばず、「でかいの」と呼んでいた
- ^ 2006年は阿部の得点力を生かすため、コーナーキックを主に任されていた。
- ^ SANSPO.COM 2008年5月21日の記事より
- ^ 今年は今後の人生がかかっている。今は戦場に行く感じ