恵迪寮

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北海道大学恵迪寮 (3代目)
恵迪寮 正面入口
恵迪寮正面入り口
情報
用途 学生寄宿舎
建築主 北海道大学
管理運営 北海道大学・恵迪寮自治会
延床面積 A-E各棟:1,614.63 m2
F棟:1,736.73 m2
G棟:1,309.88 m²
階数 共用棟3階
居住棟5階
戸数 A-E棟:490戸
F棟:90戸
竣工 1983年3月22日
所在地 060-0818
北海道札幌市北区北13条西18丁目3番地
座標 北緯43度04分48.6秒 東経141度19分53.1秒 / 北緯43.080167度 東経141.331417度 / 43.080167; 141.331417座標: 北緯43度04分48.6秒 東経141度19分53.1秒 / 北緯43.080167度 東経141.331417度 / 43.080167; 141.331417
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恵迪寮 裏口

北海道大学恵迪寮(ほっかいどうだいがくけいてきりょう)とは、北海道大学寄宿舎のひとつであり、日本三大自治寮のひとつである。

名称は、四書五経書経』の大禹謨 (だいうぼ)より、「恵迪吉、従逆凶、惟影響 —(みち)に恵(したが)えば吉にして、逆に従えば凶なり。惟れ影響たり—」 に由来する[1]

施設の概要[編集]

恵迪寮は北海道大学の札幌キャンパス構内に位置している。

恵迪寮は、A - F棟の6棟が、共用棟に放射状に連結している配置となっている。A - E棟は各棟5階建てでそれぞれ98部屋(1階が18部屋、2階以上が20部屋)、各階に補食談話室と洗面所が2か所ずつあり、1階には風呂が設置されている。F棟も5階建ての全階18部屋、全90部屋で、各階に補食談話室、洗面所とシャワーが2か所ずつある。共用棟にはホールや事務室などがある。なお、食堂は設置されていない。

定員は学部生男子482人、学部生女子90人、院生男子50人、留学生40人でA - E棟が学部生、F棟が院生と留学生の居住区画となっている。A - E棟は自治会員が居住しており、F棟は北海道大学当局の管轄である。

寄宿舎費は規定により月額4300円(留学生は4700円)と定められている。なお、寄宿舎費のほか、水道光熱費、自治会費(自治会員に限る)を別途徴収する。2013年現在、自治会費は1100円である。

第104回・北大惠迪寮祭

沿革[編集]

歴史[編集]

寄宿舎跡の碑。「恵迪」の由来が刻まれている
寄宿舎 - 初代恵迪寮時代
1876年に北大の前身となる札幌農学校が開校、同じ年に現在の時計台あたりに寄宿舎ができる(恵迪寮の前身)。その後、1905年に寄宿舎が新築された時に恵迪寮と名付けられた。
寮自治については、1899年の第一期委員会の発足とともに本格的に歩みだした。それまで「大学から与えられた自治」としての面が強かった自治制度が、この寮独自の方向へ進んでいく。具体的には、寮独自の自炊制度を確立、消費組合を結成して購買部の自営を行っていた。寮自治の全盛期と言われるほど、この頃の寮自治は充実していた。
寮内の雰囲気は、バンカラ気質に溢れ、連日連夜寮生たちが夜街を怒鳴り歩いていたこともありやりたい放題やっていた。
二代目恵迪寮
太平洋戦争が近づくにつれて大学当局は寮自治への介入を強めていった。1940年には、寮運営のシステムが寮生の選挙による執行委員会制から大学の任命による幹事会制に変更された。さらに物資不足などの影響もあり、自治の象徴であった自炊制度、購買組合までも廃止されてしまった。寮自治は一時崩壊を迎えていく局面を迎える。
寮はいわば戦争のための修練の場となり、朝礼や体操などの実行が強化され、寮生は空腹と束縛に苦しめられた。だがこんな時代の中でも、寮生たちは「いくら外面的に規定しても、内面的に我々の生活を規定できるものではない」という気持ちを持ち続けていた。
その後終戦を迎え1946年には新委員会が発足し、寮自治は再建され始めた。しかし、この頃の自治会会が対処しなければならなかったのは、対大学当局的な問題ではなく、深刻な食糧難だった。
執行委員は勉学を犠牲にして寮生の食料確保に努め、無断で北大の農場に入り芋などを盗んでいた。そんな辛い時代の中でも、「上級生は下級生よりも余計に食わない。もし食ったものがいたら軽蔑された」という礼儀は続けていた。
その後の安保闘争学生運動の時代を経て、1970年ごろになると寮の老朽化が深刻になり、建て替え問題が本格的になった。
当時の寮生たちは、4人部屋での共同生活を通して寮生間の幅広い交流を行い、濃密な人間関係を形成していた。しかし学生運動の影響もあり、文部省は学生の共同生活は社会の危険因子を産むと考え、完全個室で食堂のない寮でないと新しく建ててはならないと決めてしまった。そして大学側もそれに従って新しい寮を建てる意向であった。寮生は反対するが、新たな寮の建設は決定した。使命を終えた旧建物は、その一部が北海道開拓の村に移築復元され、「旧札幌農学校寄宿舎」として保存されている[3]
三代目恵迪寮
1983年に現在の三代目恵迪寮が建てられた。大学の管理強化の中でも、寮生は自分たちの望む生活を得るため創意工夫し、大学当局側と対立していった。
まず昔から続いていた共同生活を続けるために部屋サークル制を採用して、寮生同士が活発に交流を持てるように複数形態で暮らすことを考案した。当初は、完全個室性を主張していた大学側に反対されたが、寮生は共同生活の重要性を主張し続け、後には複数形態部屋が認められることとなる。
また、当時は大学の職員が寮の事務室を運営し、寮内の見回りまでしていた。寮生はそれを大学側による寮への一方的な干渉だと考え、事務員を追い出した。そして寮生の手で管理・運営していくことにした。
そして、1994年には男子寮だった恵迪寮に女子も入寮することが決まり、現在では男女混合寮として生活している。
近年は寮生の経済状況の悪化に伴う多忙化や、寮生活に対する考え方の変化などから、個室希望者や寮の自治に参加しない寮生がふえている。中でも自治に関しては、1フロア全てが自治に不参加だったり、寮長選挙が有効投票数(全寮生の2/3)ギリギリでなんとか成立するなど深刻だという[4]

寮歌[編集]

「都ぞ弥生」歌碑

恵迪寮では、現在でも毎年1曲ずつ寮歌が寮生の手によって作曲されている。 特に有名なものに都ぞ弥生1912年)(作歌:横山芳介、作曲:赤木顕次)があり、寮生のみならず、入学式・卒業式やコンパの場など広く全学で歌われている。

寮歌の一覧[5]
作成年 曲名
校歌 永遠の幸
明治40年(1907年) 一帯ゆるき
明治41年(1908年) 太虚の齢
明治42年(1909年) 希望の光
明治43年(1910年) 帝都を北に
明治44年(1911年) 藻岩の緑
明治45年(1912年) 都ぞ弥生
大正2年(1913年) 幾世幾年
大正3年(1914年) 我が運命こそ
大正4年(1915年) 時轍乾坤に
大正5年南寮寮歌(1916年) 蒼空高く
大正5年北寮寮歌(1916年) 荒潮繞る
大正6年(1917年) 魔人の呪い
大正7年(1918年) 花を褥
大正8年(1919年) 暗雲低く
大正9年(1920年) 無窮の空に
大正10年(1921年) 生命の争闘
大正11年(1922年) 起伏しらぬ
大正11年新寮記念寮歌(1922年) かがやく路
大正12年(1923年) 春雨に濡る
大正13年(1924年) 茫々はるか
大正14年(1925年) 敝れし衣
大正14年開舎20周年記念寮歌(1925年) 大地はなごやかに
大正15年(1926年) ああ青春の歓喜を
大正15年開学50周年記念寮歌(1926年) 爪紅の黎明の風
昭和2年(1927年) 蒼空高く翔らんと
昭和3年(1928年) 郭公の声に
昭和4年(1929年) 黒潮鳴れる
昭和5年(1930年) 嗚呼青春の
昭和6年(1931年) 平和の光輝ける
昭和6年閉寮記念寮歌(1931年) 別離の歌
昭和7年(1932年) 古城の春は
昭和8年(1933年) タンネの氷柱
昭和9年(1934年) 津軽の海
昭和10年(1935年) 噫妖雲は
昭和11年(1936年) 嗚呼茫々の
昭和12年(1937年) 魂の故郷
昭和12年第30回記念祭歌(1937年) 春未だ浅き
昭和13年(1938年) 津軽の滄海の
昭和14年(1939年) 時潮の流転
昭和15年(1940年) 弥生の空に
昭和16年(1941年) 湖に星の散るなり
昭和17年(1942年) 春来にけらし
昭和17年(1942年) あますなく拓きゆく道
昭和18年(1943年) 天地の奥に
昭和19年(1944年) 雪解の楡陵の
昭和20年(1945年) 生命の旅路
昭和21年(1946年) 時潮の波の
昭和22年(1947年) 暁の渚離りて
昭和22年第40回記念祭歌(1947年) 浅緑燃ゆる
昭和23年(1948年) 饗宴の杯に
昭和23年逍遙歌(1948年) 春静寂なる
昭和24年(1949年) 彷徨へる心のままに
昭和25年(1950年) 悠遠き日にあこがれて
昭和26年(1951年) 新らたなり天地
昭和27年(1952年) 永遠の水のひろごり
昭和28年(1953年) 手をとりて美しき国を
昭和30年(1955年) 悲歌に血吐きし
昭和32年(1957年) 花繚乱の
昭和32年(1957年) 花咲き散りて
昭和33年(1958年) 吾れ憧れし
昭和34年(1959年) 清き生命の
昭和35年(1960年) 茫洋の海
昭和36年(1961年) 甦えれ白き辛夷よ
昭和37年(1962年) 壁歌は語る
昭和38年(1963年) 凋落正に秋深し
昭和39年(1964年) 偉大なる北溟の自然
昭和40年(1965年) 新しき陽は
昭和41年(1966年) いつの日か生命結ばん
昭和42年(1967年) 寒気身を刺す
昭和42年第60回記念祭歌(1967年) 芳香漂う
昭和43年(1968年) 樹梢霧海に
昭和44年(1969年) 孤独に満てる
昭和45年(1970年) 秋逍遙
昭和46年(1971年) 朔北に
昭和47年(1972年) 楡陵に月は
昭和48年(1973年) 冬の大地に
昭和49年(1974年) 北の都は
昭和50年(1975年) 憧憬の故郷
昭和51年(1976年) いつの日にか
北大創基百周年東京同窓会寄贈歌 楡陵を去る日
北大創基百周年東京同窓会寄贈歌 北を恋う
昭和52年(1977年) 新たな燈火
昭和53年(1978年) 恵迪節
昭和53年第70回記念祭歌(1978年) 草は萌え出で
昭和54年(1979年) うす紅の
昭和55年(1980年) 楡は枯れず
昭和56年(1981年) 汝と我の
昭和57年(1982年) 東雲はるか
昭和57年閉寮記念寮歌(1982年) 寮友よ永遠に謳歌わん
昭和58年(1983年) 寮生の道
昭和59年新寮記念寮歌(1984年) 北に恵めし
昭和60年(1985年) 沈黙の杜に
昭和61年(1986年) 陽春新しき
昭和62年(1987年) 北斗遙かに
平成元年(1989年) 悪魔死す瞬間
平成2年(1990年) 我楡陵に―行秋哀歌―
平成3年(1991年) 若芽の出づる
平成4年(1992年) 熱き街
平成5年(1993年) 今日の寮歌
平成7年(1995年) 六華ぞ窓に
平成8年(1996年) 若き力
平成9年(1997年) 昇龍の夢
平成10年第90回記念祭歌(1998年) 天地人
平成10年(1998年) 生命萌え出で
平成11年(1999年) 清華の誓
平成12年(2000年) 若人よ
平成14年(2002年) 蒼天へ
平成15年(2003年) ああグッと
平成16年(2004年) 折れたポプラよ
平成17年(2005年) 遙かなる迪
平成18年(2006年) ただ一心に
平成19年(2007年) 恵迪小唄
平成20年(2008年) 星の舟唄
平成20年(2008年) 雲海貫く
平成21年(2009年) 六華雪解に
平成22年(2010年) 野生に吠えろ
平成23年(2011年) 広がるはただ青き旅路ぞ
平成24年(2012年) 快速エアポート
平成25年新々寮30周年記念寮歌(2013年) 北溟の我らぞ
平成25年(2013年) 二つの春
平成26年(2014年) 姫月に重ねて
平成27年(2015年) 咲く六華よ
平成28年(2016年) 此の寮よりの児

所在地[編集]

北海道札幌市北区北18条西13丁目3番地

恵迪寮が登場する作品[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 佐藤昌介初代総長揮毫の書額「恵迪吉」”. 恵迪寮同窓会. 2013年11月閲覧。
  2. ^ 恵迪寮での発掘から発見された木杭列とサケ漁撈 (PDF)”. 埋蔵文化調査室. 2013年11月閲覧。
  3. ^ 旧札幌農学校寄宿舎 - 北海道開拓の村
  4. ^ ドキュメント72時間 2015年1月30日放送分
  5. ^ 北海道大学恵迪寮寮歌集アプリ -収録曲一覧-” (2016年11月24日). 2016年12月16日閲覧。

外部リンク[編集]