佐藤観次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
さとう かんじろう
佐藤 観次郎
生誕 1901年8月19日
愛知県海部郡蟹江町
死没 1970年3月3日(1970-03-03)(68歳)
出身校 早稲田大学政治経済学部
職業 政治家ジャーナリスト
政党 日本社会党

佐藤 観次郎(さとう かんじろう、1901年8月19日 - 1970年3月3日[1])は、愛知県海部郡蟹江町出身の政治家ジャーナリスト日本社会党に所属して衆議院議員を8期務め、さらには中央公論編集長を務めた。愛称は「サトカン」[2]

来歴[編集]

1901年(明治34年)、愛知県海部郡蟹江町に生まれる[1][2]旧制海城中学校を経て、1928年(昭和3年)に早稲田大学政治経済学部を卒業する[1]。1930年(昭和5年)に中央公論社に入社し、1933年(昭和8年)には『中央公論』編集長となった[1]検閲が激しく厳しい時代であったが、1936年(昭和11年)まで編集長を務めた。1937年(昭和12年)には中京新聞取締役編集総務となった[1]太平洋戦争中には主計大尉としてフィリピンに進駐。1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙愛知県第3区から出馬して初当選。日本社会党に所属した。1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙で落選するも、1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で返り咲き、以後は第31回衆議院議員総選挙まで連続当選を果たす。衆議院文教委員長などを歴任した。中日本自動車短期大学の学長も務めている。1970年(昭和45年)3月3日に死去。死後に従三位勲一等瑞宝章を贈られた。

人物[編集]

永井荷風吉川英治谷崎潤一郎ら著名な作家と親交があった。吉川は佐藤に勧められて蟹江町を何度も訪れて、水郷地帯の様子を「東海の潮来」と呼んでおり、日光川の川べりには句碑が建てられている[3]。佐藤は釣り好きとしても知られ、著書には『つり自慢』(つり人社、1968年)などがあるほか、「地方遊説や各地の応援には、つとめて釣り道具を持参する。演説や応援弁士は夜の仕事。釣りの時問は朝からお昼まで」などの名言を残している[2]。晩年には自身と同じく釣り好きの国会議員に声をかけ、超党派の「国会つりの会」を結成している[2]。自身の蔵書など約8,000冊を故郷の蟹江町に寄贈しており、蟹江町は佐藤からの寄贈書を基にして1966年(昭和41年)に蟹江町立図書館を開館させた[4]

家族[編集]

衆議院議員の佐藤観樹は息子である。佐藤観樹は自治大臣国家公安委員会委員長を務めた。

政治家経歴[編集]

選挙 選挙区 当落
1947年(昭和22年) 第23回衆議院議員総選挙 愛知県第3区 当選(1期目)
1949年(昭和24年) 第24回衆議院議員総選挙 愛知県第3区 落選
1952年(昭和27年) 第25回衆議院議員総選挙 愛知県第3区 当選(2期目)
1953年(昭和28年) 第26回衆議院議員総選挙 愛知県第3区 当選(3期目)
1955年(昭和30年) 第27回衆議院議員総選挙 愛知県第3区 当選(4期目)
1958年(昭和33年) 第28回衆議院議員総選挙 愛知県第3区 当選(5期目)
1960年(昭和35年) 第29回衆議院議員総選挙 愛知県第3区 当選(6期目)
1963年(昭和38年) 第30回衆議院議員総選挙 愛知県第3区 当選(7期目)
1967年(昭和42年) 第31回衆議院議員総選挙 愛知県第3区 当選(8期目)

主な著書[編集]

  • 『自動車部隊』 高山書院 1940年
  • 『少年通信兵』 倉島竹二郎共著 東亜書院(陸軍少年兵叢書)  1944
  • 『文壇えんま帖―一編集長の手記』 学風書院 1952年
  • 『編集長の回想』 東京書房 1958年
  • 『代議士編集長』 雪華社 1962年
  • 『新しい世界にふれて』 河出書房新社 1963年
  • 『新しい世界の窓』 経済往来社 1966年
  • 『つり自慢』 つり人社 1968年

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 佐藤 観次郎 コトバンク
  2. ^ a b c d 金森直治『つり百景 とっておきのおもしろ釣り話』つり人社、2001年、p.8
  3. ^ 吉川英治句碑 蟹江町
  4. ^ 『愛知図書館協会々報』第69号、愛知図書館協会、1969年11月、p.18。