ボタ山

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1950年代に撮影された飯塚市忠隈のボタ山
前掲写真反対側の飯塚駅から飯塚市忠隈のボタ山を望む
飯塚市住友忠隈炭鉱のボタ山のステレオ空中写真(1974年)。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

硬山(ボタやま)とは、炭鉱石炭亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場である。この捨石をトロッコなどを用いて長年積み上げられるとやがて山ができる。こうしてできた山をボタ山またはズリ山という[1]ぼた山と平仮名表記をすることもある。漢字では硬山と書く。ズリ山の一種で、主に石炭産業が栄えた北海道常磐九州北部等で見ることができる。過去の産業遺産ともいえる。

なお、日本の地すべり等防止法では「ぼた山」と表記され、

「石炭又は亜炭に係る捨石が集積されてできた山であって、この法律の施行の際現に存するものをいい、鉱山保安法及び経済産業省設置法の一部を改正する法律(平成十六年法律第九十四号)第一条の規定による改正前の鉱山保安法(昭和二十四年法律第七十号)第四条又は第二十六条の規定により鉱業権者又は鉱業権者とみなされる者がこの法律の施行の際必要な措置を講ずべきであったものを除く」 — 地すべり等防止法2条2項

と定義されている。

ズリ山とボタ山[編集]

鉱山で採掘された鉱石のうち、資源として使えず廃棄する岩石などの部分を捨石ないしは廃石、俗称でズリという。このズリは特定の場所に集められて捨てられるが、長年にわたり捨て続けているうちにズリは積み上げられてゆき、やがて山ができてくる。こうしてできた山をズリ山という。鉱山での廃棄物を捨てたものがズリ山で、炭鉱のズリ山はボタ山と呼ぶのが正しい。文字は硬山と標記。

茅沼炭鉱等の北海道西部の炭鉱では,他の本州以南の地域の炭鉱と同じく硬山(ボタ山)と呼ばれているが、その呼称はこの地域の方言であり、炭鉱の廃棄物の山は硬山が正式名称である。

以下では、石炭の採掘によって発生したズリ山.則ち硬山(ぼた山)に限定して記述する。

ボタ拾い [編集]

硬山には、わずかではあるが石炭が混入する。そこで、生活困窮者や子供が危険を承知で硬山に立ち入り、捨石の中から石炭を見つけては拾い集め、持ち帰った。これを硬拾い=ボタ拾いと称した。拾った石炭は、家庭用の燃料として使ったり、業者に売って生計の足しにしたりした。

硬山の頂上に新たな硬が投下されると、硬が勢いよく斜面を転がり落ちる。その直撃を避けつつ、新たに投下された硬の中から他人に先んじて石炭を見つける必要があり、危険とは常に隣り合わせであった。その一方で見つかる石炭は低品位のものが多く、一日中硬拾いをしても大した儲けにはならなかった。そもそも硬は石炭を採取したあとの石ころであり、混入していた石炭も低品質で出荷しても採算が合わないために、業者があえて硬として廃棄したものであった。

硬(ぼた)の利活用[編集]

硬拾い以外での硬(ボタ)の利用には硬混入石炭が有るので、雨天等で湿気を帯びると発熱をし自然発火をすることが有る。この様にして燃えた後の硬を,焼け硬(やけボタ)又は、シャモットと呼ばれ、耐火煉瓦の原料や道路工事、鉄道の敷設時の基礎材料として鉱山会社等が販売をしていた事が有る。

ボタ山崩壊事故[編集]

日本[編集]

中国[編集]

  • 2008年9月8日山西省臨汾市襄汾県の鉄鉱山でボタ山が崩壊。大量の土砂が土石流化して下流に流出し多数の死者、行方不明者を出す被害となった。鉱山は、安全基準を満たしていないため閉鎖されていたが、違法操業が続けられていたという[2]

イギリス[編集]

法的な規制など[編集]

ボタ山・ズリ山は鉱山保安法においては捨石集積場と呼ばれる。捨石集積場の比高は数10mから100mを超えるものもあり、安定性に欠け容易に崩壊しやすいのが特徴である。このため、鉱業権者は鉱山保安法、地すべり等防止法森林法等の法令により維持管理が義務づけられるほか、捨石の採取、土地の改変等が厳しく規制される。 一方で、殆んどのボタ山・ズリ山は廃棄物処理法の規制を受けない。これは現存するボタ山・ズリ山が同法の施行前に積成されたためであり、仮に同法を施行させると法の不遡及を定めた憲法39条に違反することになる。

問題点[編集]

  • 品質が低いとはいえ、捨石の中には石炭分が多く含まれることがあるために自然発火[4] や延焼などが原因で火災となることがある[5]
  • 子供などが興味本位で立ち入り、土砂崩れに巻き込まれるケースがある(古くて小規模のものは地元住民でも認知していないものがある)。
  • ボタ山の材質は均一であることから、無断で採取し他の開発事業の埋立材料に用いられることがある。この場合、残ったボタ山の敷地(平坦なサラ地)は転売されるが、法規制は掛かったままであるために購入者は一切の開発ができないという詐欺に近い商法が存在する。

現状[編集]

産業廃棄物であるうえに上記のような問題点を抱える硬(ボタ)山は、炭鉱閉山後は自治体から「負の遺産」として位置づけられることが多く、また石炭産業に代わる産業として炭鉱跡地に工業団地を造成するなどの理由もあって、近年では急速に数が減ってきている。

しかしながら、日本の近代化を支えた石炭産業の象徴として硬(ボタ)山を恒久的に残し、維持管理していこうとする動きも出始めており、硬(ボタ)山が保存される例も見られるようになった。

また、依然として再利用の目処が立たず、放置されている例も少なくない一方、選炭技術が未熟な時代のボタ山には比較的良質な石炭が含有されていることに着目して再利用する例も現れている[6]

一方、金属鉱山のズリ山は、それ自体が鉱害の発生源になったり、硬(ボタ)山に比較して規模が小さかったりする事から、覆土されて緑化工事が施されるなど安全対策が取られる事が多い。

福岡県水巻町には、町が硬(ボタ)山を取得して平地を造成、太陽光発電施設や大型商業施設との間で賃貸契約を結んでいる例もある[7]

硬(ボタ)山・ズリ山を保存している自治体[編集]

カッコ内は炭鉱名。

  • 北海道
    • 岩見沢市旧栗沢町域(万字炭鉱) 「万字炭山森林公園 ズリ山階段775段」(※直線部分の階段の段数)この公園のズリ山階段は色々な曲線ルートも存在し、2468段の階段が設置されている。ポンポロムイ川と幌向川という自然の河川も園内を流下し開園期間には管理員も駐在しており、植栽等の整備もよく優れた森林公園である。
    • 赤平市北炭赤間炭鉱) 「777段ズリ山階段 日本一のズリ山階段777(スリーセブン)旧北炭赤間炭鉱ズリ山」住友赤平炭鉱に隣接して存在した。北海道炭鉱汽船の赤間炭鉱の硬山に直線階段を777段設置し、大文字焼きの施設も併設をし整備をしたものである。直線階段の777段を売りにしている施設である[8]
    • 夕張市北炭夕張炭鉱) 「夕張市石炭博物館」 硬山よりかつての実際の坑道を再利用をした模擬坑道が最大の売りの石炭博物館である。
  • 福岡県
    • 飯塚市旧穂波町域(住友忠隈炭砿) 「筑豊富士=特に形状が美しい硬山」と云われ、人工物で産業廃棄物ではあるのだが、富士の名を持って呼ばれている硬山で、筑豊地域で特に美しい硬山ある。
    • 志免町須恵町粕屋町(国鉄志免鉱業所) 「第五坑の硬山」と云われる現在志免炭鉱跡として遺っている場所の坑ロから採掘されてきた石炭を、撰炭して出て来た硬を野積みして出来た。その硬山は、硬スキップと云う硬を運搬野積み用の運搬装置で作られたもので、いくつかの硬山が盛られたのだが、その中で丁度3町の境界上に盛られたのが「西原硬山(にしばるぼたやま)」と、小字の名称で名付けられた。
  • 長崎県
    • 佐世保市(旧世知原町) 「かじか健康公園硬山階段555!(けんこうこうえんボタやまかいだんGO!GO!ゴー!)」「硬山ステージ(ぼたやまステージ )」旧世知原町が飯野鉱業松浦炭鉱の硬山を利用し、健康公園と野外イベント会場のステージを建設したものである。付近の世知原町石炭記念館(佐世保市世知原石炭記念館)の隣には、実物の坑口が保存されている。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 赤平観光協会 - あかびら炭鉱遺産>ズリ山”. 2021年11月25日閲覧。
  2. ^ <土石流事故><続報>500人以上が生き埋めか、原因は鉱山の違法操業―山西省臨汾市”. レコードチャイナ (2008年9月9日). 2019年3月6日閲覧。
  3. ^ イギリス史上最悪の産業事故、ボタ山崩落から50年 子供たちを失った母親たちの半世紀”. Huffpost News (2016年10月23日). 2019年3月6日閲覧。
  4. ^ 森へおいでよ 筑豊の自然再発見<27>石炭採掘の不要物 景色の中にボタ山が”. 西日本新聞 (2017年3月23日). 2019年3月6日閲覧。
  5. ^ 「ボタ山」、2年間燃え続ける 消す方法は見つからず”. 朝日新聞デジタル (2019年3月5日). 2019年3月6日閲覧。
  6. ^ 地域資源「ズリ」の活用による夕張再生エネルギー創出事業”. 総務省 地域の元気総合プラットフォーム (2015年1月15日). 2019年3月6日閲覧。
  7. ^ ぼた山跡に大型商業施設 福岡・水巻町 炭鉱閉山半世紀、活用本格化へ”. 西日本新聞 (2019年1月18日). 2019年3月6日閲覧。
  8. ^ 赤平市 - 777段日本一のズリ山階段”. 2021年11月25日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『産業考古学会論文集』「志免炭鉱の硬山の研究」大石道義,長渡隆一.
  • 『随筆国鉄さんしっかりせい』田原喜代太

関連項目[編集]