山本作兵衛

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山本 作兵衛(やまもと さくべい、さくべえ、1892年5月17日 - 1984年12月19日)は、福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家

日本で初めてユネスコ記憶遺産(世界の記憶)の登録を受けた炭鉱画で知られる。

人物[編集]

1892年(明治25年)、福岡県嘉麻郡笠松村鶴三緒(現・飯塚市)生まれ。7歳から父について兄とともに炭鉱に入り、立岩尋常小学校を卒業後、1906年(明治39年)に山内炭坑(現・飯塚市)の炭鉱員となった。以後、採炭員や鍛冶工員として、筑豊各地で働きながら、日記や手帳に炭鉱の記録を残した。福岡県田川市にある炭鉱事務所の宿直警備員として働き始めた60代半ばに、「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と絵筆を取るようになり、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後にいたる炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。余白に説明を書き加える手法で1000点以上の作品を残した。主要作は画文集『炭鉱に生きる』(1967年)。「ヤマの絵師」として知られた。1984年(昭和59年)、老衰のため死去、92歳没。

国内初のユネスコ記憶遺産[編集]

田川市は当初、市内に残る旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓など炭鉱遺産について「九州・山口の近代化産業遺産群」の一環として世界遺産登録を目指していた。2009年10月に選考から漏れたが、関連資料として紹介した作兵衛作品の記録画は、現地調査した海外の専門家らから高く評価された。このため、作兵衛作品を保管する田川市と福岡県立大学は、ユネスコ記憶遺産登録を目指すこととし、田川市が所蔵する福岡県指定有形民俗文化財584点を含む絵画585点と関連資料(日記6点、雑記帳や原稿など36点)と、山本家が所有し同大学が保管する絵画4点と関連資料(日記59点、原稿など7点)を合わせた計697点について、市と大学共同で2010年3月、ユネスコ本部(パリ)に推薦書を送付した。2011年5月25日に国内初の登録を受けることが決まった[1]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “筑豊の炭鉱画、国内初の「記憶遺産」に 山本作兵衛作”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年5月25日). オリジナル2011年5月28日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110528000201/http://www.asahi.com/culture/update/0525/SEB201105250050.html 2011年5月26日閲覧。