コンテンツにスキップ

グレン・キャンベル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グレン・キャンベル
Glen Campbell
1967年
基本情報
出生名 グレン・トラヴィス・キャンベル
Glen Travis Campbell
生誕 (1936-04-22) 1936年4月22日
アメリカ合衆国アーカンソー州ディライト
死没 (2017-08-08) 2017年8月8日(81歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル
ジャンル カントリーロックフォークポップフォークロックゴスペル
職業 ミュージシャンソングライター俳優
担当楽器 ヴォーカルギターバンジョーベースバグパイプ[1]
活動期間 1958年 - 2013年
レーベル キャピトルアトランティックMCAリバティサーフドッグ、ニュー・ヘイヴン
共同作業者 チャンプスザ・ビーチ・ボーイズボビー・ジェントリーアン・マレージミー・ウェッブジョン・ハートフォードジェリー・リード
公式サイト glencampbellmusic.com

グレン・キャンベルGlen Campbell1936年4月22日 - 2017年8月8日[2])は、アメリカ合衆国カントリー・ミュージック歌手、ギター奏者、テレビ司会者、俳優。1960年代および1970年代に多くのヒット曲を生み出し、CBSのバラエティ番組『The Glen Campbell Goodtime Hour』の司会で知られる。

概要

[編集]

ショー・ビジネスにおける約50年間で、キャンベルは70枚以上のアルバムを発表した。レコード4,500万枚を売り上げ、12枚のゴールド・アルバム、4枚のプラチナ・アルバム、1枚のダブル・プラチナ・アルバムが認定された。『ビルボード』誌のカントリー・チャート、ホット100、アダルト・コンテンポラリー・チャートに80曲がランクインし、うち29曲がトップ10に入り、うち9曲が第1位になった。

ヒット曲にはジョン・ハートフォードの「ジェントル・オン・マイ・マインド」、ジミー・ウェッブの「恋はフェニックス」、「ウィチタ・ラインマン」、「ガルベストン」、「思わせぶり」、ラリー・ワイスの「ラインストーン・カウボーイRhinestone Cowboy)」、アラン・トゥーサンの「サザン・ナイツ」などがある。

1967年、「ジェントル・オン・マイ・マインド」がカントリー・アンド・ウエスタンで、「恋はフェニックス」がポップで、カントリーとポップの双方でグラミー賞を獲得した[3]。初期のヒット曲3曲が2000年、2004年、2008年にグラミーの殿堂入りを果たし、2012年、自身がグラミー生涯功労賞を受賞した。CMAアワードおよびACMアワード双方で男性ヴォーカリスト賞を受賞したことがあり、1968年にはCMAの最高賞エンターテイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。1969年、俳優ジョン・ウェインが映画『勇気ある追跡』にキャンベルを出演させ、キャンベルはゴールデングローブ賞新人賞にノミネートされた。キャンベルが歌ったこのタイトル曲はアカデミー賞にノミネートされた。

2011年、アルツハイマー病の診断を受けたと発表。

2017年8月8日午前10時頃、アメリカ・ナッシュビルの施設で死去。81歳[2]

経歴

[編集]

生い立ち

[編集]

アーカンソー州パイク郡ディライト近くの小さな町ビルズタウンにて、ジョン・ウエズリー・キャンベルとキャリー・デル(旧姓ストーン)のもとに12人きょうだいの7番目として生まれた[4]。彼の父親はスコットランド系の小作人であった[5][6]。幼い頃に譜読みを学ばずに叔父からギターの弾き方を習った[7]。 1954年、キャンベルはアルバカーキに転居し、叔父のバンドであるディック・ビルズ&サンディア・マウンテン・ボーイズに参加し[8]、叔父のラジオ番組にも出演し[7]、さらにKOBの子供ローカル番組『K Circle B Time 』にも出演した[9]。1958年、キャンベルは自身のバンドであるウエスタン・ラングラーズを結成した[8]

1960年 - 1966年: 初期の経歴

[編集]

1960年、キャンベルはスタジオ・ミュージシャンになるべくロサンゼルスに転居した[10][11]。この頃、チャンプスにも参加した。すぐにキャンベルはスタジオ・ミュージシャンとして高い評価を受け、のちのレッキング・クルーとなるスタジオ・ミュージシャン・グループに参加した[11][12]。この時期にボビー・ダーリンリッキー・ネルソンディーン・マーティンナット・キング・コールモンキーズナンシー・シナトラマール・ハガードジャン&ディーン[10]エルヴィス・プレスリー[13]フランク・シナトラフィル・スペクターらとレコーディングを行なった[11][12]。1964年12月から1965年3月上旬、キャンベルはブライアン・ウィルソンの代役としてザ・ビーチ・ボーイズのツアー公演に参加した[10]。また彼らのアルバム『ペット・サウンズ』などのレコーディングにギター奏者として参加した。ツアー公演ではベース・ギターおよびファルセットのハーモニーを演奏した。1966年4月、リック・ネルソンの極東ツアーにベース奏者として参加した[14]。1967年、キャンベルはスタジオ・グループであるサジタリウスの『My World Fell Down』にクレジット無しのリード・ヴォーカルとして歌った。この曲は『ビルボード』誌ホット100の第70位になった[15]

1961年 - 1966年: ソロ活動初期

[編集]

1961年1月までに[16]、キャンベルは出版社アメリカン・ミュージックで昼間の職を見つけ、作曲やデモ演奏を行なった[7]。1961年5月、チャンプスを脱退し[17]、アメリカン・ミュージックの子会社クレスト・レコードと契約した。1枚目のレコード『Turn Around Look At Me』は『ビルボード』誌ホット100で第61位となった[18]。チャンプスの元メンバーとギー・シーズを結成し、ロサンゼルス郊外ヴァン・ナイズにあるクロスボー・インにて演奏するようになった[19]。ギー・シーズとしてもクレストからA面『Buzz Saw』、B面『Annie Had A Party』のインストゥルメンタルのシングルを発表したがチャート入りしなかった。

1962年、キャピトル・レコードと契約した[20]。キャピトルからの1枚目『Too Late to Worry, Too Blue to Cry』はややヒットしたが、グリーン・リバー・ボーイズft.グレン・キャンベルとしての『Kentucky Means Paradise』以降シングルもアルバムを成功には至らなかった。

1964年から、ロッド・キャメロンが司会のシンジケートのテレビ番組『Star Route[21]ABCの『Shindig!』、『Hollywood Jamboree』にレギュラー出演するようになった[22]。1965年、バフィー・セントメリーの「Universal Soldier」のカヴァーがホット100で第45位になった程度で、まだ大ヒットには至らなかった。ただし、歌詞に込められた平和へのメッセージについて聞かれた彼は「戦争反対を主張する人々は、首を吊るべきだ」と応じた[23]

1967年 - 1972年: Burning Bridges およびGoodtime Hour

[編集]

その後のシングルも成功せず、1966年、キャピトルはキャンベルの契約終了を検討し、キャンベルはプロデューサーのアル・ド・ロリーとチームを組んだ[24]。1967年初頭、最初のコラボレート作品『Burning Bridges 』および同名アルバムがカントリー・チャートで第20位に入った[25]

1967年、キャンベルとド・ロリーはジョン・ハートフォード作曲の「ジェントル・オン・マイ・マインド」で再びコラボレートした。

「ジェントル・オン・マイ・マインド」はすぐにヒットし、1967年後期の「恋はフェニックスBy the Time I Get to Phoenix)」、1968年の「I Wanna Live」、「ウィチタ・ラインマンWichita Lineman)」が大ヒットした。1969年、キャンベルが出演した映画『勇気ある追跡』において、作曲家エルマー・バーンスタイン、作詞家ドン・ブラックによるテーマ曲「True Grit」を歌い、アカデミー賞楽曲賞およびゴールデングローブ賞にノミネートされた。「ジェントル・オン・マイ・マインド」と「恋はフェニックス」でグラミー賞を受賞した。

1960年代後期の最大のヒットはジミー・ウェッブ作曲の「恋はフェニックス」、「ウィチタ・ラインマン」、「ガルベストン」、「Where's the Playground Susie」であった。「トライ・ア・リトル・カインドネス(Try a Little Kindness)」はビルボードチャートで1970年2月に12位を記録した[26]。1974年のアルバム『Reunion: The Songs of Jimmy Webb』でもウェッブが主に作曲を行なったが、シングルのヒットにはならなかった。

1997年の『モジョ』誌、2001年の『ブレンダー』誌が選ぶ20世紀の代表曲に、「ウィチタ・ラインマン」が選ばれた。

1968年夏、テレビのバラエティ番組『The Smothers Brothers Comedy Hour』の司会を務めた後、1969年1月から1972年6月、CBSのバラエティ番組『The Glen Campbell Goodtime Hour』の司会を務めた。彼の人気が上昇し、1970年、フレダ・クレイマーによる伝記『The Glen Campbell Story』が出版された。

1970年頃、ミシガン・ステート・フェア

番組内でキャンベルはビートルズ(映像)、デヴィッド・ゲイツブレッドモンキーズニール・ダイアモンドリンダ・ロンシュタットジョニー・キャッシュマール・ハガードウィリー・ネルソンウェイロン・ジェニングスロジャー・ミラーなどの著名なアーティストとセッションを行ない、またアン・マレーのキャリアアップに繋がった。なおこの番組にはメル・ティリスジェリー・リードがレギュラー出演していた。

1960年代後期から1970年代初頭、キャンベルはシングルを出し続け、また1969年、ジョン・ウェインやキム・ダービーと共に映画『勇気ある追跡』に、1970年、キム・ダービーやジョー・ネイマスと共に映画『Norwood』に出演した。

1973年 - 1979年: Rhinestone CowboyおよびSouthern Nights

[編集]

1972年、『Goodtime Hour』が終了した後も、キャンベルは全国ネットに出演し続けた。ロバート・カルプやティーン・アイドルのレイフ・ギャレットと共にテレビ映画『Strange Homecoming』に出演した。1976年にオリビア・ニュートン=ジョンと共に司会を務めた『Down Home, Down Under』などを含め、多くのテレビ番組の司会を務めた。1976年から1978年、アメリカン・ミュージック・アワードの共同司会を務め、1976年のNBCのスペシャル番組『Glen Campbell: Back To Basics』にゲストのシールズ&クロフツやブレンダ・リーと共に出演した。また『Donny & Marie』、『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン』、『シェール』、『Redd Foxx Comedy Hour』、『マーヴ・グリフィン』『The Midnight Special with ウルフマン・ジャック』、『DINAH!』『Evening at Pops with アーサー・フィードラー』、『The Mike Douglas Show』など全国放送の多くのトーク番組やバラエティ番組にゲスト出演した。1982年から1983年、NBCの30分間のシンジケートの音楽番組『The Glen Campbell Music Show』の司会を務めた。

1970年代中期、「Rhinestone Cowboy」、「サザン・ナイツ」(共にUS第1位)、ニール・ダイアモンド作曲「Sunflower」(US第39位)、「Country Boy (You Got Your Feet in L.A.)」(US第11位)などのヒット曲を生み出した。

Rhinestone Cowboy』は当初200万枚以上を売り上げ、キャンベルにとって最大のヒットとなった。1974年、オーストラリアのツアーでラリー・ウエイスがこれをカヴァーした。この曲はディッキー・グッドマンによる映画『ジョーズ』のパロディ曲『ミスター・ジョーズ』に組み込まれ、1975年10月4日の『ビルボード』ホット100のトップ10にどちらの曲もランクインした。『Rhinestone Cowboy』はその後も『デスパレートな妻たち』、『チャーリーと14人のキッズ』、『High School High』など映画やテレビ番組で使用されている。1984年のドリー・パートンシルヴェスター・スタローンの映画『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』はこの曲から着想を得られた。

2002年、イギリスのリッキー&ダズと共にこの曲のテクノ・ポップ版を製作し、ダンス版やミュージック・ビデオと共にイギリスのチャートのトップ10にランクインした。

1975年には日本側からの企画で日本コカ・コーラのCMソング「カミング・ホーム」を歌い、これが呼び水となり来日公演につながる。この曲はアルバム『Rhinestone Cowboy』のボーナス・トラックとしてCD化されている。

アラン・トゥーサン作曲の「サザン・ナイツ」はポップ、ロック、カントリーのチャートで第1位を獲得し、クロスオーヴァー・ヒット、および1977年にジュークボックスで最も流された曲となり、この曲のイントロ部分のギター演奏はジミー・ウエブやジェリー・リードに影響を与えた(編曲はチャーリー・カレロ)。

1971年から1983年、PGAツアーのプロゴルフ・トーナメントにおいて、ロサンゼルス・オープンの司会を務めた。

1980年代 - 2000年代: キャリア後期およびカントリー・ミュージックの殿堂入り

[編集]

1980年、クリント・イーストウッド主演の映画『ダーティファイター燃えよ鉄拳』でタイトル曲を歌い、カメオ出演した。

1991年、ドン・ブルース監督の映画『Rock-A-Doodle』でエルヴィス・プレスリーに声が似た主役の雄鶏シャンティクリア役の声を担当した。

1999年、VH1の『Behind the Music』、2001年にA&E Networkの『Biography』、そしてカントリー・ミュージック・テレビジョン(CMT)の多くの番組で特集された。2003年、『CMT's 40 Greatest Men of Country Music』で第29位となった。

2004年

また彼はアラン・ジャクソンのブレイクの一躍を担った。キャンベルはピードモント航空のフライト・アテンダントであったジャクソンの妻とアトランタ空港で出会い、彼女に出版マネージャーの名刺を渡した。1990年代初頭、キャンベルの音楽出版ビジネスにジャクソンが関わることになり、のちにキャンベルの会社であるセヴンス・サン・ミュージックから多くのヒット曲を生み出すこととなった。[27]またキース・アーバンはキャンベルから多大な影響を受けたと語った[28][29]

2005年、カントリー・ミュージック殿堂に殿堂入りした[30]

2008年4月、新たなアルバム『Meet Glen Campbell』の出版のために15年ぶりにキャピトル・レコードに戻ることを発表し[31]、8月19日にこのアルバムを出版した。このアルバムでトラヴィスU2トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズジャクソン・ブラウンフー・ファイターズなどの曲をカヴァーし、様々な音楽の方向性を示した。チープ・トリックジェリーフィッシュのミュージシャンもこのアルバムに参加した。このアルバムからの1枚目のシングルカットはグリーン・デイの『Good Riddance (Time of Your Life)』のカヴァーであり、2008年7月にラジオで最初に流された。2010年3月、『Meet Glen Campbell』の続編となる『Ghost on the Canvas』の出版を発表し[32]、ポール・ウエスタバーグがタイトル曲を作曲し、ウォールフラワーズのジェイコブ・ディランクリス・アイザック、リック・ネルソン、スマッシング・パンプキンズビリー・コーガンなどとコラボレートし、2011年8月30日に出版した[要出典]

2013年1月、ロサンゼルスで「I'm Not Gonna Miss You」をレコーディングした。この曲は2014年9月30日公開のドキュメンタリー映画『Glen Campbell: I'll Be Me』で使用された[33][34]。2015年1月15日、キャンベルおよびジュリアン・レイモンドがこの曲で第87回アカデミー賞においてアカデミー歌曲賞にノミネートされた。2月22日、ドルビー・シアターで行われた授賞式において、病床で参加できないキャンベルの代わりにティム・マグロウが歌った[35]

2017年6月23日、自身の終活として2012年から13年にかけてレコーディングしていた12曲を最後のアルバム「Adiós」として発売。それからわずか1ヶ月半後の8月8日、このアルバムを遺言とするかのように、ナッシュビルの療養施設でこの世に別れを告げた。

プライベート

[編集]

家族

[編集]

キャンベルはこれまで4回結婚し、1956年から1986年に生まれた5名の息子と3名の娘の父親である。第一子長女デビーはダイアン・カーク(婚姻期間1955年-1959年)との間に生まれた[36]。カークとの離婚後、ニューメキシコ州カールズバッド出身の美容師ビリー・ジーン・ナンリーと再婚し、ケリー、トラヴィス、ケインをもうけ、1975年に離婚した。その直後に不倫の末、1976年にマック・デイヴィスの2番目の妻サラ・バーグと再々婚した。ディロンをもうけたが、生後3週間の1980年に離婚した[37]

1980年から1981年、キャンベルは21歳のカントリー歌手タニヤ・タッカーと親しく交際し、数か月間タブロイド紙の恰好のネタになっていた[38]。1982年、キンバリー・ウーレン(愛称キム)と再々々婚した[39][40]。1982年にブラインドデートした時、ウーレンはラジオシティ・ミュージックホールロケッツの一員であった。カール、シャノン、アシュリーをもうけ[41]、子供たちは2010年からキャンベルのツアー・バンドに参加している[42]Church of Christ を信仰してきたが[43]ウーレンと共にアリゾナ州フェニックスのバプティスト教会に参加した[44]。2008年のインタビューで、約20年メシアニック・ジュダイズムを信仰していると語った[45]

ゴルフ

[編集]

前述の通り、70年代から80年代にかけてPGAツアーのロサンゼルス・オープン(現在のジェネシス・インビテーショナル)のホストを務めるなど、大のゴルフ好きとしても知られていた。日本でも『11PM』の招きにより来日し、大橋巨泉と2度、マッチプレーを戦っている[46]。対戦成績は1勝1敗。

政治

[編集]

ツアー『The Glen Campbell Goodtime Hour 』において、キャンベルは政治的話題を避けた[47][48][49]。この時期のインタビューにおいて、「民主党支持者であるが、何度か共和党に投票したことがある」と語り[50][51][52]、共和党、民主党双方の政治家のために演奏したこともある[51][53][54]。1980年、共和党全国大会で国歌を演奏し[55]、1980年代から1990年代、共和党候補者の多くのキャンペーンで演奏を続けた[56][57][58]

アルツハイマー

[編集]

2011年6月、半年前にアルツハイマーと診断されたことを発表した[59]

最後のツアーとして『Goodbye Tour』を行ない、自身の子供3名がバック・バンドに参加し[60][61]、2012年11月30日、カリフォルニア州ナパで幕を閉じた[62]。2012年2月12日、グラミー賞授賞式において、さよならとして『Rhinestone Cowboy 』歌った[63]

2014年4月、78歳で長期間のアルツハイマー治療施設に入所したことが報じられた[64][65]

ディスコグラフィ

[編集]

フィルモグラフィ

[編集]
[66][67] 特記事項
1965 ハイウェイ
Baby the Rain Must Fall
バンド・メンバー(クレジット無し)
1967 FBIアメリカ連邦警察
The F.B.I.
Larry Dana エピソード: Force of Nature
1967 The Cool Ones Patrick
1969 勇気ある追跡
True Grit
La Boeuf
1969年 - 1972 The Glen Campbell Goodtime Hour 司会
1970 Norwood Norwood Pratt
1976/1977/1978 アメリカン・ミュージック・アワード
American Music Awards
司会
1980 Solid Gold 共同司会 2エピソード
1980 ダーティファイター 燃えよ鉄拳
Any Which Way You Can
ライオン・ダラー・カウボーイ・バーの歌手
1982 The Glen Campbell Music Show 司会 24エピソード
1986 元気の出るウエスタン/荒野は最高!
Uphill All the Way
Capt. Hazeltine
1991 子猫になった少年
Rock-A-Doodle
シャンテクレア(声)
1997 Players Jesse Dalton エピソード: In Concert
2014 I'll Be Me ドキュメンタリー

受賞歴

[編集]

グラミー賞

受賞年 部門 作品 結果
1967 男性カントリー・ヴォーカル賞 ジェントル・オン・マイ・マインド」 - "Gentle on My Mind" 受賞
カントリー・アンド・ウェスタン・レコーディング賞 「ジェントル・オン・マイ・マインド」 - "Gentle on My Mind" 受賞
男性ヴォーカル賞 恋はフェニックス」 - "By the Time I Get to Phoenix" 受賞
コンテンポラリー・グループ賞 「恋はフェニックス」 - "By the Time I Get to Phoenix" 受賞
1968 アルバム・オブ・ジ・イヤー 『恋はフェニックス』 - By the Time I Get to Phoenix 受賞
男性カントリー・ヴォーカル賞 "I Wanna Live" ノミネート
男性ポップ・ヴォーカル賞 ウィチタ・ラインマン」 - "Wichita Lineman" ノミネート
レコード・オブ・ジ・イヤー 「ウィチタ・ラインマン」 - "Wichita Lineman" ノミネート
1976 男性カントリー・ヴォーカル賞 "Country Boy (You Got Your Feet in L.A.)" ノミネート
男性ポップ・ヴォーカル賞 "Rhinestone Cowboy" ノミネート
レコード・オブ・ジ・イヤー "Rhinestone Cowboy" ノミネート
1981 カントリー・デュオ/グループ・パフォーマンス賞 "Dream Lover"(タニヤ・タッカーとのデュエット) ノミネート
1982 子供向けアルバム賞 Sesame Country(複数のアーティスト。『セサミストリート』サウンドトラック) 受賞
1986 インスピレーショナル・パフォーマンス賞 No More Night ノミネート
1988 カントリー・アンド・ウエスタン・ヴォーカル賞 "The Hand That Rocks the Cradle"(スティーヴ・ウォリナーとのデュエット) ノミネート
カントリー・アンド・ウエスタン・ヴォーカル賞 "'You Are"(エミルー・ハリスとのデュエット) ノミネート
2000 グラミーの殿堂 「ウィチタ・ラインマン」 - "Wichita Lineman" (1968年) 受賞
2004 グラミーの殿堂 「恋はフェニックス」 - "By the Time I Get to Phoenix" (1967年) 受賞
2008 グラミーの殿堂 「ジェントル・オン・マイ・マインド」 - "Gentle on My Mind" (1967年) 受賞
2012 グラミー生涯功労賞[68] 受賞
2015 カントリー楽曲賞 "I'm Not Gonna Miss You"(共作者ジュリアン・レイモンドと) 受賞
最優秀楽曲賞映画、テレビ、その他映像部門 "I'm Not Gonna Miss You" ノミネート

ACM賞[69]

受賞年 部門 作品 結果
1967 シングル賞 ジェントル・オン・マイ・マインド 受賞
アルバム賞 Gentle on My Mind 受賞
男性ヴォーカリスト賞 Gentle on My Mind 受賞
1968 アルバム賞 Bobbie Gentry & Glen Campbell 受賞
男性ヴォーカリスト賞 受賞
TV司会者賞 受賞
1971 TV司会者賞 受賞
1975 シングル賞 Rhinestone Cowboy 受賞
1998 パイオニア賞 受賞
2015 ビデオ賞 I'm Not Gonna Miss You[70] 未決定
  • CMAアワード
    • 1968年: エンターテイナー・オブ・ザ・イヤー(最高賞)
    • 1968年: 男性ヴォーカリスト賞
  • GMA Dove Awards[71](ゴスペル・ミュージック・アソシエーションによる)
    • 1986年: 非宗教的アーティストによるアルバム賞 – No More Night
    • 1992年: 南部ゴスペル楽曲賞 – Where Shadows Never Fall
    • 2000年: カントリー・アルバム賞 – A Glen Campbell Christmas

日本公演

[編集]
  • 1975年
5月16日 中野サンプラザ、19日,20日 大阪厚生年金会館、24日 名古屋市公会堂、25日 中野サンプラザ、28日,29日 東京厚生年金会館

脚注

[編集]
  1. ^ Planer, Lindsay. “Old Hometown review”. allmusic. November 12, 2011閲覧。
  2. ^ a b 米カントリー界の大御所グレン・キャンベルさん死去 81歳”. AFP (2017年8月9日). 2017年8月9日閲覧。
  3. ^ Grammy Winners 1967”. Grammy Awards Official Site. November 12, 2011閲覧。
  4. ^ https://encyclopediaofarkansas.net/entries/glen-campbell-603/
  5. ^ Dwyer, Michael (November 20, 2009). “Through a rhinestone darkly”. The Age (Australia). https://www.theage.com.au/entertainment/music/through-a-rhinestone-darkly-20091120-ge8712.html June 26, 2011閲覧。 
  6. ^ Gray, Michael (December 2, 1998). “A Glen Campbell Christmas The Rhinestone Cowboy Celebrates Holiday Season with New Album, TNN Special and Tour”. Country Music Television. https://www.cmt.com/news/country-music/1473574/a-glen-campbell-christmas.jhtml June 26, 2011閲覧。 
  7. ^ a b c Antus, Paul L.. “'Turn Around, Look at Me' A Glen Campbell Invitation”. Branson's Review. June 10, 2012閲覧。
  8. ^ a b CMT.com : Glen Campbell : Biography
  9. ^ Hollis, Tim (2001). Hi There, Boys and Girls!: America's Local Children's TV Shows. University Press of Mississippi. pp. 180. ISBN 1-57806-395-7. https://books.google.nl/books?id=h3nCJAlg5qUC&pg=PA180&dq=k+circle+b+time+dick+bills&hl=nl&sa=X&ei=8mPUT6v5O4So8AO16rSkAw#v=onepage&q=k%20circle%20b%20time%20dick%20bills&f=false 
  10. ^ a b c Kubernik, Harvey (2009). Canyon of Dreams: The Magic and the Music of Laurel Canyon. New York: Sterling. pp. 37. ISBN 978-1-4027-9761-3. https://books.google.nl/books?id=bANZjtz2qUkC&pg=PA37&dq=%22glen+campbell%22+%22los+angeles%22+1960&hl=nl&sa=X&ei=cvvUT9jsC4Ss0QXO0-W1BA&redir_esc=y#v=onepage&q=%22glen%20campbell%22%20%22los%20angeles%22%201960&f=false 
  11. ^ a b c Hartman, Kent (2012). The Wrecking Crew: The Inside Story of Rock and Roll's Best-Kept Secret. Thomas Dunne. ISBN 0-312-61974-X 
  12. ^ a b Thrills, Adrian (December 11, 2008). “Glen Campbell: I'm done with the drinking and cussing, and life's good”. Daily Mail. https://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1094007/Glen-Campbell-Im-drinking-cussing-lifes-good.html June 10, 2012閲覧。 
  13. ^ Flynn, Keith. “Keith Flynn's Elvis Presley pages”. June 10, 2012閲覧。
  14. ^ Homer, Sheree (2012). Rick Nelson Rock 'n' Roll Pioneer. Jefferson, North Carolina: McFarland & Company Inc.. p. 68. ISBN 978-0-7864-6060-1. https://books.google.nl/books?id=DBiPOnnsslwC&pg=PA85&dq=%22glen+campbell%22+%22rick+nelson%22+tokyo&hl=nl&sa=X&ei=TaKeVLPbJoKWOImKgfgG&ved=0CCAQ6AEwAA#v=onepage&q=%22glen%20campbell%22%20%22rick%20nelson%22%20tokyo&f=false 27 December 2014閲覧。 
  15. ^ Present Tense – Sagittarius – Charts & Awards”. allmusic. May 22, 2012閲覧。
  16. ^ “Glen Campbell”. Billboard Magazine 1 (36): 26. (January 30, 1961). https://books.google.nl/books?id=jiEEAAAAMBAJ&pg=PA26&dq=%22glen%20campbell%22&hl=en&sa=X&ei=jv7dT6StCMeo8APZkvDBCw&ved=0CE4Q6AEwAw#v=onepage&q=%22glen%20campbell%22&f=false June 17, 2012閲覧。. 
  17. ^ Campbell, Glen (1994). Rhinestone Cowboy. New York: Villard Books. pp. 50. ISBN 0-679-41999-3 
  18. ^ Allmusic – Glen Campbell – Awards”. Rovi Corp.. June 17, 2012閲覧。
  19. ^ Kramer, Freda (1970). The Glen Campbell Story. New York: Pyramid Publications Inc.. pp. 63 
  20. ^ Graff, Gary. “Like a rhinestone cowboy: Glen Campbell soldiers on through Alzheimer’s disease”. The News Herald. June 17, 2012閲覧。
  21. ^ “Glenn Campbell Gets Role in New TV Show”. Albuquerque Tribune. (January 27, 1964). https://newspaperarchive.com/albuquerque-tribune-jan-27-1964-p-19/ June 17, 2012閲覧。 
  22. ^ “Color C&W seg for tv in january”. Billboard Magazine 76 (52): 32. (December 26, 1964). https://books.google.co.jp/books?id=LiAEAAAAMBAJ&pg=PA32&dq=%22hollywood+jamborees%22&hl=nl&ei=P2qjTdyuNsqDOrmYhDU&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false June 17, 2012閲覧。. 
  23. ^ Walker, Rose Marie (January 27, 1965). “Singer thinks Draft Card Burners Should Be Hung”. Albuquerque Tribune: pp. 13. https://newspaperarchive.com/albuquerque-tribune-oct-22-1965-p-13/a June 17, 2012閲覧。 
  24. ^ "Glen Campbell Behind the Music". Behind the Music. シーズン3. Episode 8. 19 September 1999.
  25. ^ Whitburn, Joel (1996). The Billboard Book of Top 40 Country Hits. New York: Billboard Publications Inc.. pp. 59. ISBN 978-0-8230-8291-9 
  26. ^ Glen Campbell Chart History”. billboard. 2017年12月4日閲覧。
  27. ^ Country Trivia – Which Country Legend Helped Alan Jackson Get His Big Break? Read More: Country Trivia – Which Country Legend Helped Alan Jackson Get His Big Break?”. WGNA-FM. Townsquare Media (September 26, 2012). February 23, 2015閲覧。
  28. ^ Keith Urban Interview”. About.com (February 5, 2001). February 23, 2015閲覧。
  29. ^ Glen Campbell Remembers Keith Urban as a Kid”. The Boot. Townsquare Media (August 11, 2008). February 23, 2015閲覧。
  30. ^ Inductees » Glen Campbell”. Country Music Hall of Fame. ©2014 Country Music Hall of Fame® and Museum. 16 October 2014閲覧。
  31. ^ The Return of the Wichita Lineman review by Robert Forster in The Monthly
  32. ^ Graff, Gary (March 26, 2010). “Glen Campbell enlists Jakob Dylan, Paul Westerberg”. Reuters. https://www.reuters.com/article/idUSTRE62Q05Y20100327 July 3, 2010閲覧。 
  33. ^ Betts, Stephen (September 8, 2014). “Glen Campbell's Final Song to Be Released This Month”. Rolling Stone. pp. 1. September 8, 2014閲覧。
  34. ^ Kreps, Daniel (October 12, 2014). “Glen Campbell Shares Last Poignant Music Video 'I'm Not Gonna Miss You”. Rolling Stone. October 15, 2014閲覧。
  35. ^ https://www.usatoday.com/story/life/movies/2015/02/26/tim-mcgraw-final-reflections-on-glen-campbell-oscar-song/24062967/
  36. ^ Kramer, Freda (January 1970). The Glen Campbell Story. New York: Pyramid Books. pp. 39–42 
  37. ^ Lague, Louise (January 31, 1983). “Glen Campbell Finds Life with New Wife Kim Woollen Lies Gentle on His Mind”. People. https://people.com/people/archive/article/0,,20084173,00.html August 25, 2011閲覧。 
  38. ^ Campbell, Glen Biography: Contemporary Musicians
  39. ^ “Singer Glen Campbell Is Wed for the Third Time at Age 46”. Ocala Star-Banner (Ocala, FL): pp. 5B. (October 26, 1982). https://news.google.com/newspapers?id=4esTAAAAIBAJ&sjid=-wUEAAAAIBAJ&pg=5337,5094072&dq=campbell+woolen&hl=en August 19, 2010閲覧。 
  40. ^ Lague, Louise (January 31, 1983). “Glen Campbell Finds Life with New Wife Kim Woollen Lies Gentle on His Mind”. People. https://people.com/people/archive/article/0,,20084173,00.html August 25, 2011閲覧。 
  41. ^ [1]
  42. ^ Harris, Becky (December 15, 2010). “Campbell, kinfolk leave crowd with delightful feeling”. Log Cabin Democrat (Conway, Arkansas). https://www.thecabin.net/entertainment/events/2010-12-15/campbell-kinfolk-leave-crowd-delightful-feeling/ December 19, 2010閲覧。 
  43. ^ Hattenstone, Simon (August 26, 2011). “Glen Campbell: One last love song”. The Guardian. https://www.theguardian.com/music/2011/aug/26/glen-campbell-interview August 27, 2011閲覧。 
  44. ^ David, Paul (May 1, 1990). “Glen Campbell: The 1960s country pop star rediscovered his spiritual roots”. Cross Rhythms Magazine. May 1, 1990閲覧。
  45. ^ Goodman, Dean (August 12, 2008). “Campbell Has Rock, Religion on his Mind”. Reuters. http://in.reuters.com/article/2008/08/11/us-campbell-idINN0639059820080811 September 11, 2011閲覧。 
  46. ^ 大橋巨泉『ゲバゲバ70年! 大橋巨泉自伝』講談社、2004年3月25日、332頁。ISBN 4062121735 
  47. ^ Crosby, Joan (February 27, 1969). “Glen Picks at Guitars Not Social Sore Spots”. Altoona Mirror: p. 25. https://newspaperarchive.com/altoona-mirror-feb-27-1969-p-25/ September 9, 2013閲覧。 
  48. ^ “TV Family Goal of Seventh Son”. The Baltimore Sun: p. 271. (July 26, 1970) 
  49. ^ Roland, Tom. “Glen Campbell Recalls Good Times”. CMT.com. October 27, 2013閲覧。
  50. ^ Lucas, Urith (May 2, 1974). “Glen Campbell Finds 'Hometown' Welcome”. Albuquerque Tribune: p. 45. https://newspaperarchive.com/albuquerque-tribune-may-02-1974-p-45/ October 27, 2013閲覧。 
  51. ^ a b Shearer, Ed (June 13, 1969). “True Grit Premiere Scene of Political Sniping”. Blytheville Courier: p. 8. https://newspaperarchive.com/blytheville-courier-news-jun-13-1969-p-8/ October 27, 2013閲覧。 
  52. ^ Pavilllard, Dan (April 2, 1972). “Delight's Delight Heads for Tucson”. Tucson Daily Citizen: p. 40. https://newspaperarchive.com/tucson-daily-citizen-apr-01-1972-p-40/ October 27, 2013閲覧。 
  53. ^ Keever, Jack (January 21, 1969). “Austin Ready for Big Gala”. Avalanche Journal: p. 1. https://newspaperarchive.com/avalanche-journal-jan-21-1969-p-1/ October 27, 2013閲覧。 
  54. ^ “Glen Campbell to Give Concert”. Albquerque Tribune: p. 34. (April 18, 1974). http://newspaperarchive.com/albuquerque-tribune/1974-04-18/page-34 October 27, 2013閲覧。 
  55. ^ “Jubilant Republicans Cheer Reagan Promise of a Crusade”. The Montreal Gazette: p. 2. (July 15, 1980). https://news.google.com/newspapers?id=ojkyAAAAIBAJ&sjid=o6QFAAAAIBAJ&pg=2872,1744081&dq=republican+convention+glen-campbell&hl=en September 10, 2011閲覧。 
  56. ^ Scott, Vernon (January 16, 1981). “Reagan brings out the stars”. The Telegraph. https://news.google.com/newspapers?id=QKcrAAAAIBAJ&sjid=7PwFAAAAIBAJ&pg=5537,2888368&dq=glen-campbell+republican&hl=en September 7, 2011閲覧。 
  57. ^ “Texas-sized parties await Grand Old Party”. The News and Courier. (August 19, 1984). https://news.google.com/newspapers?id=GZJJAAAAIBAJ&sjid=PAwNAAAAIBAJ&pg=2907,5698118&dq=glen-campbell+republican&hl=en September 7, 2011閲覧。 
  58. ^ Dowd, Maureen (October 13, 1988). “Country music, ballet among Bush favorites”. The Palm Beach Post. https://web.archive.org/web/20130827170313/https://news.google.com/newspapers?id=GggjAAAAIBAJ&sjid=3c0FAAAAIBAJ&pg=2708,8416077&dq=democrat+glen-campbell&hl=en September 7, 2011閲覧。 
  59. ^ Clark, Champ (June 22, 2011). “Glen Campbell Has Alzheimer's Disease”. People News. people.com. June 22, 2011閲覧。
  60. ^ “Glen Campbell”. CBS Sunday Morning Show. (February 12, 2012). https://www.cbsnews.com/stories/2010/10/26/sunday/main6993125.shtml?tag=hdr;cnav February 12, 2012閲覧。 
  61. ^ Glen Campbell Won’t Let Alzheimer’s Take Him Offstage”. CBS News Chicago (January 25, 2012). February 12, 2012閲覧。
  62. ^ “Glen Campbell’s Last Show In Napa Marks End of an Era”. San Francisco: KCBS-TV. (November 30, 2012). https://www.cbsnews.com/sanfrancisco/news/glen-campbells-last-show-marks-end-of-an-era/ December 26, 2012閲覧。 
  63. ^ Gorman, Steve (February 13, 2012). “Glen Campbell brings audience to its feet at Grammys”. Reuters. https://www.reuters.com/article/2012/02/13/us-grammys-campbell-idUSTRE81C0AX20120213 May 5, 2012閲覧。 
  64. ^ Brandle, Lars (April 17, 2014). “Glen Campbell Moved Into A Care Facility”. Billboard. billboard.com. April 17, 2014閲覧。
  65. ^ “Music News: Glen Campbell moved into care facility”. MSN Entertainment. (April 16, 2014). http://music.msn.com/music/article.aspx?news=862706 
  66. ^ Main actor filmography IMDB; Retrieved December 27, 2008
  67. ^ Glen Campbell Filmography Allmovie; Retrieved June 8, 2009.
  68. ^ Lifetime Achievement Award – Past recipients”. The Recording Academy. June 18, 2012閲覧。
  69. ^ Search for a Winner”. Academy of Country Music. 12 November 2014閲覧。
  70. ^ 2015 Academy of Country Music Awards Nominees Announced Read More: 2015 Academy of Country Music Awards Nominees Announced”. February 24, 2015閲覧。
  71. ^ Annual GMA Dove Awards Past Winners
  72. ^ Morris, W.R. (December 15, 1974). “The Country Sound”. Times Daily: 19. https://news.google.com/newspapers?id=4f4rAAAAIBAJ&sjid=pccEAAAAIBAJ&pg=4751,3848699&dq=glen-campbell&hl=en January 2, 2010閲覧。. 
  73. ^ Country Music Hall of Fame & Museum - Glen Campbell
  74. ^ Musicians Hall of Fame & Museum - The Wrecking Crew
  75. ^ Q Awards 2008 Campbell: A 'Q Legend'
  76. ^ Morris, Edward. “Country Broadcasters Honor Glen Campbell, Seven Radio Luminaries”. CMT. February 29, 2012閲覧。
  77. ^ hmma”. 5 November 2014閲覧。
  • Allen, Bob. (1998). "Glen Campbell". In The Encyclopedia of Country Music. Paul Kingsbury, Editor. New York: Oxford University Press. pp. 76–77

外部リンク

[編集]