ジミー・ウェッブ

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ニューヨークのボトムラインのウェッブ2003年夏

ジミー・ウェッブは本名ジェームズ・レイン・ウェッブ[1] (James Layne "Jimmy" Webb 1946年8月15日 - )、アメリカ合衆国のソングライター、作曲家、歌手。

概要[編集]

「ビートでジャンプ(Up, Up and Away)」「恋はフェニックス(By the Time I Get to Phoenix)」「ウィチタ・ラインマン」「ガルヴェストン」「The Worst That Could Happen」「オール・アイ・ノウ」「マッカーサー・パーク」などを書いた。[2]

フィフス・ディメンション、グレン・キャンベル、スプリームスリチャード・ハリス、Johnny Maestro、フランク・シナトラテルマ・ヒューストン英語版テンプテーションズバーブラ・ストライサンドアート・ガーファンクルジョー・コッカー、Judy Collins、ドナ・サマーリンダ・ロンシュタットアメリカエイミー・グラントジョン・デンバーマイケル・ファインスタインローズマリー・クルーニーR.E.M.カーリー・サイモンなどが歌った。[3]

1986年にソングライターの殿堂入り。放送音楽協会(BMI)によると彼の「恋はフェニックス」は1940年から1990年までの放送頻度が世界3位。[4] 作曲・作詞・オーケストレーションの三つの部門でグラミー賞を受賞した唯一の人物。[4]

初期[編集]

1946年オクラホマ州エルク市生まれ。[1]父はバプテスト派の牧師だった。母親の励ましでピアノとオルガンを習い、12歳の頃には父親の教会でオルガンを演奏。父がギター、母がアコーデオンで伴奏した。[2]保守的で宗教的な家庭だったのでカントリー音楽・白人ゴスペル音楽をラジオで聴くことを禁じられていた。

1950年代後半、音楽にめざめ、しばしば即興演奏し、讃美歌変奏曲を演奏した。[2]この時期 宗教歌を書くが、[2]ラジオできいたエルヴィス・プレスリーなどに影響された。1961年,14歳で初めてのレコード「Turn Around, Look at Me」(グレン・キャンベル)を買い、独特な声に引き込まれた。 [5]1964年、家族で南カリフォルニアに引っ越し。大学で音楽を専攻。

1965年に母が亡くなり、父はオクラホマに帰ることにする。ウェッブはカリフォルニアに残り、音楽の勉強を続け、ロサンゼルスでソングライターのキャリアを模索した。

父はウェッブの野望をとがめ、「歌を書くなんてお前、心がこわれてしまうぞ」と警告したが、ウェッブの決心が固いのを見、40ドルをわたし、「多くないが、これだけしかないんだ」と言ったと、ウェッブは後年回想している。[5]

初期の成功[編集]

小さな音楽出版社でひとの音楽をアレンジする仕事をしたあと、モータウン・レコードの出版社ジョベッタ・ミュージックと作曲契約。

ウェッブ作品初の商業レコーディングはシュープリームスの「My Christmas Tree」だった。彼女たちの1965年アルバム『Merry Christmas』におさめられた。

翌1966年、歌手・プロデューサーのジョニー・リヴァースと出会う。リヴァースはウェッブと出版契約を結び、「By the Time I Get to Phoenix」を1966年のアルバム『Changes』で録音。[6]

ブレイク[編集]

1967年、リヴァースは新グループ・フィフス・ディメンションのための曲をウェッブに依頼。彼らのデビュー作『Up, Up and Away』に5曲提供。タイトル曲「Up, Up and Away」は1967年5月に発売、トップ10になった。セカンド・アルバム『The Magic Garden』も1967年に発売。ウェッブ作品は「The Worst That Could Happen」を含む11曲だった。[6]

1967年11月、グレン・キャンベルは「By the Time I Get to Phoenix」をカバー、26位になり、すぐにポップ・スタンダードになった。[7] 1967年のグラミー賞で「Up, Up and Away」は主要二部門(「レコード・オブ・ザ・イヤー」と「ソング・オブ・ザ・イヤー」)を受賞。「Up, Up and Away」と「By the Time I Get to Phoenix」あわせて8つのグラミー受賞となった。

成功はジレンマとなった。洗練されたメロディーと編曲は大衆に愛されたが、彼はカウンター・カルチャーのサウンドに惹かれており、急速に時代との同調性をなくしていく。[7]

1968年タイム誌はウェッブ特集を組み「多様なリズム・構造の工夫・豊かなハーモニー」と書いた。[4]

同年もフィフス・ディメンションの成功は続き、「ペイパー・カップ」と「カーペット・マン」がトップ40入り。

グレン・キャンベルは「Wichita Lineman」をミリオンにし、en:Johnny Maestro & The Brooklyn Bridgeは「The Worst That Could Happen」をゴールド(50万枚)にした。後者は元はフィフス・ディメンションが録音していた。[7]

独立[編集]

ウェッブは自身の事務所と出版社Canopyを設立。

最初の作品はアイルランド系俳優リチャード・ハリスがウェッブ作品だけを歌ったアルバムで、ヒットした。収録曲の「マッカーサー・パーク英語版」は長く複雑な作品で、複数の楽章からなっており、アソシエイションが演奏するのを拒否した。同曲の7分21秒のハリスのバージョンは1968年6月22日に二位になる。

ハリスのアルバム『A Tramp Shining』は一年間ほどチャート上にあった。二人の次のアルバム『The Yard Went On Forever』も成功した。1968年のグラミー賞で「By the Time I Get to Phoenix」「Wichita Lineman」「MacArthur Park」で受賞。[7]1969年グレン・キャンベルはゴールド・アルバム『Galveston』と『Where's the Playground Susie』でウェッブ作品を歌った。

キャンベルとはGMのCM曲制作中に初対面。その際、ビートルズのような長髪のウェッブから挨拶を受けたキャンベルは、ギターから顔を上げ、ウェッブに向かって「髪を切れ」と言った。[5]

1969年、アイザック・ヘイズが「恋はフェニックス英語版」を、ウェイロン・ジェニングスが「MacArthur Park」をカバーし、後者はグラミー奪取。年の暮れにテルマ・ヒューストン英語版のデビュー作『Sunshower』の作曲・編曲・録音をした。[6]

1960年代が去り、ウェッブのヒット曲の波もやんだ。かつての方程式に沿ったやり方から離れ実験を始めた。ブロードウェイで半自伝的ミュージカル『His Own Dark City』を興行。この作品は彼が当時感じていた疎外感を表現している。映画『水色のビキニのマドモアゼル英語版』や映画『夕陽に向って走れ英語版』に曲を書いた。[7]

シンガーソングライターとして[編集]

アルバム『Jim Webb Sings Jim Webb』でエピック・レコードから1968年にデビュー。ウェッブいわく、「あれは古いデモ音源からかけらをかき集めて『マッカーサー・パーク』みたいに飾り立てただけのもの」。[8]

1970年以降,ウェッブは『Words and Music』(1970)『And So: On』 (1971)『Letters』 (1972)『Land's End』 (1974)『El Mirage』(1977)『Angel Heart』(1982)の6枚のアルバムをリリースした。批評家は称賛したが、あまり売れなかった。が、工夫ある曲と覚えられる詞を持っていた。[5]

  • 『Words and Music』はReprise Recordsで1970年発表。Rolling Stone誌のジョン・ランドーはシングル・カット"P.F. Sloan"を「傑作。改良の余地なし」と書いた。歌の三部作『作られなかった映画のための音楽』を収録。
  • 1971年の『And So: On』は前作同様批評家に受けた。
    • ローリング・ストーン評:「アメリカの専業主婦の心を歌ったもの。彼が同時代の作曲家のうち最前線に立っていることがわかる」。
    • 民衆のうわさに上った/ている収録曲は"Met Her on a Plane", "All My Love's Laughter","Marionette"など。[9]
  • 1972年作『Letters』で"Galveston"をセルフ・カバー。称賛された。
    • 音楽批評家Bruce Eder評:「いちばんビックリさせる、多様で、たぶん最も満足のいく初期作品。議論の余地はあるけどウェッブのソロでは最良かも」。[10]
    • 雑誌ステレオ・レビュー評:「ウェッブはディラン以来最も重要」[5]
    • アルバム収録曲はエンシノでの滞在を歌った"Campo de Encino", "When Can Brown Begin","Piano"など。[10]
  • 1974年作『Land's End』はアサイラム・レコード発売。イギリス録音でジョニ・ミッチェル,リンゴ・スター,Nigel Olssonなどが参加。[11]アルバムを通して「愛の混乱というテーマの持続がある」。[11]本人いわく「まだ歌手としての本分が分からなかった」。[11]花形収録曲は"Ocean in His Eyes", "Just This One Time","Crying in My Sleep"など。

1980年代以降[編集]

  • 1992年にミュージカルInstant Intimacyを完成。収録曲"What Does a Woman See in a Man", "I Don't Know How to Love You Anymore","Is There Love After You"は後にカバーされた。ライブで古い民謡讃美歌"I Will Arise"を歌った。
  • 1994年ナンシー・グリフィスと組んで『If These Old Walls Could Speak』をエイズ・チャリティーCD『Red Hot + Country』に提供。
  • 1997年カーリー・サイモンのアルバム『フィルム・ノワール』を共同制作。サイモンの2008年作『This Kind of Love』にも参加。

ソロ活動[編集]

1993年以降に出したアルバムは『Suspending Disbelief』 (1993), 『Ten Easy Pieces』 (1996), 『Twilight of the Renegades』(2005), 『Just Across the River』(2010),『Still Within the Sound of My Voice』(2013)の5枚である。

ミュージカル・CM・ジングル・映画のスコアも担当している。

1998年、最初の著作『Tunesmith: Inside the Art of Songwriting』を出版。ベストセラーとなり[14]、「真剣なソングライターの友。何度も読むべし」と評価された[15]

2000年代、ウェッブはキリスト教信仰に戻ったことを明かし、「神なしでは一曲も書けなかったろう。少しでも意味のあるものを書こうと思ったら、神とともに曲に入り込まなくてはいけない」と話している[16]

受賞[編集]

2005年のライブにて

盤歴[編集]

自作アルバム[編集]

参加アルバム[編集]

編集盤[編集]

  • Tribute to Burt Bacharach and Jim Webb (1972)
  • Archive (1994)
  • And Someone Left the Cake Out in the Rain... (1998)
  • Reunited with Jimmy Webb 1974–1988 (1999)
  • Tunesmith: The Songs of Jimmy Webb (2003)
  • The Moon's a Harsh Mistress: Jimmy Webb in the Seventies (2004) (limited edition box set, including Live at the Royal Albert Hall from 1972)
  • Archive & Live (2005) (including Live at the Royal Albert Hall from 1972)

参照[編集]

  1. ^ a b Heisch, Melvena Thurman. “James Layne Webb”. Oklahoma Historical Society. 2013年12月1日閲覧。
  2. ^ a b c d Eder, Bruce. “Jimmy Webb Biography”. AllMusic. 2013年12月1日閲覧。
  3. ^ Jimmy Webb Writing & Arrangement Credits”. Discogs. 2013年12月1日閲覧。
  4. ^ a b c Jimmy Webb Biography”. Songwriters Hall of Fame. 2013年12月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e Shane, Ken (2006年4月). “Words and Music: Jimmy Webb”. Thrive (Community Media) 1 (12). http://archive.is/LDU1Z 2012年5月18日閲覧。 
  6. ^ a b c Jimmy Webb Discography”. An Unofficial Jimmy Webb Homepage. 2011年10月12日閲覧。
  7. ^ a b c d e Jimmy Webb Biography”. musiciansguide.com. 2010年5月17日閲覧。
  8. ^ Torn, Luke (2004年). “Interview: Jimmy Webb”. Uncut. 2009年11月22日閲覧。
  9. ^ Ruhlmann, William. “And So: On”. AllMusic. 2012年10月25日閲覧。
  10. ^ a b Eder, Bruce. “Letters”. AllMusic. 2013年12月1日閲覧。
  11. ^ a b c Eder, Bruce. “Land's End”. AllMusic. 2013年12月1日閲覧。
  12. ^ a b c d Ruhlmann, William. “El Mirage”. AllMusic. 2013年12月1日閲覧。
  13. ^ a b Ruhlmann, William. “Angel Heart”. AllMusic. 2013年12月1日閲覧。
  14. ^ Webb, Jimmy. Tunesmith: Inside the Art of Songwriting. http://books.google.com/books/about/Tunesmith.html?id=eH4WOv8aTYQC 2011年10月29日閲覧。. 
  15. ^ Carlton, Jace. “Book Review”. The Songwriter's Connection, July 2000. 2011年10月29日閲覧。
  16. ^ Bovey, Nigel (2007年10月7日). “I'm a bit like the Prodigal Son” (PDF). The War Cry (The Salvation Army): p. 5. http://www1.salvationarmy.org.uk/uki/www_uki.nsf/0/8F460986AA4A4779802573B8003731F0/$file/War%20Cry%2027%20Oct%202007.pdf May 18, 20067閲覧。 

外部リンク[編集]