上越妙高駅
脇野田駅 | |
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駅舎(2004年7月) | |
わきのだ Wakinoda | |
◄北新井 (3.4 km) (1.7 km) 南高田► | |
所在地 | 新潟県上越市大和二丁目1-1 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■信越本線 |
キロ程 | 73.9 km(篠ノ井起点) |
電報略号 | ワノ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
119人/日(降車客含まず) -2010年- |
開業年月日 | 1921年(大正10年)8月15日* |
備考 | 業務委託駅 |
脇野田駅(わきのだえき)は、新潟県上越市大和二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の駅である。
駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎(東側)とは構内踏切で連絡している。列車の行き違いがない場合は、両方面の列車とも2番線からの発着となる。通過列車は上下とも2番線を通過する。交換時は上り長野方面普通列車は1番線を使用する。交換時の下り普通列車は原則2番線を使用するが前述の通り上り通過列車は交換時も2番線を使用するため、上り通過列車と交換する下り直江津方面普通列車は1番線を使用する。
ジェイアール新潟ビジネスが駅業務を受託する業務委託駅だが、みどりの窓口は設置されていない。直江津駅が当駅を管理している。
のりば
1 | ■信越本線(上り) | 新井・妙高高原・長野方面 |
2 | ■信越本線(下り) | 直江津・長岡・新潟方面 |
駅舎内には1998年3月に行われた北陸新幹線・長野 - 上越間起工式の神事に使用された鎌、鍬、鋤が展示されており、駅前には記念植樹もされている。
駅前には顕彰碑が立っている。顕彰碑に名を刻まれている長谷川八郎は脇野田地区の大地主で、駅建設を要望して自ら所有の土地を提供するなど、積極的に運動を行ったことが後に評価された。
後述するように、設置予定の北陸新幹線の新駅が現在の脇野田駅から西に120mほど離れていることと、現駅設置のままでは新幹線駅東側の駅前空間が狭小となることから、新幹線開業に合わせて新駅へと発展的解消する予定になっている。
北陸新幹線は高架駅で、ホームは通過線なしの島式2面4線、併設の在来線駅ホームは地平の島式1面2線となる予定である。
北陸新幹線「上越駅(仮称)」への転換計画
2015年春に予定されている北陸新幹線金沢延伸の際には、現・脇野田駅から西に120mの地点に新幹線の新駅「上越駅(仮称)」が設置される予定である。
この新駅の位置は新幹線と信越本線との交点(現・脇野田駅の南約300mの地点)ではないため、在来線駅を併設できるように、脇野田駅の南に位置する矢代川近辺から、駅北の市道中田原下箱井線までの区間の信越本線の路線1,695mは撤去され、上越駅(仮称)を経由するように新たな路線1,781mが設置される。この上越駅(仮称)に併設される在来線新駅が現・脇野田駅の機能を受け持つことになり、現在の位置にある脇野田駅は廃止されることになる。現・脇野田駅の駅舎は信越本線の旧線区間とともに撤去され、新幹線駅の東口広場の一部となる予定である。
同区間の信越本線は、並行在来線として経営分離されるため、JR東日本は自ら運営しない路線の移設工事を行うことに難色を示してきた。一方、並行在来線を運営する会社はまだ設立前だった(新潟県並行在来線株式会社の設立は2010年11月22日)ことから、上越市は鉄道事業の認可を得て自前で工事を行う方針だったが、在来線の運営主体ではないために事業認可が得られず、移設費用を市が負担してJRに委託することになった。上越市は新潟県とともに2010年4月28日、JR東日本に対して脇野田駅周辺の信越線移設工事を行うことを要望[1]。JR東日本は2010年6月21日、条件付きで設計・施工を引き受ける旨を回答[2]。市議会で関連予算案が議決された後、JRと移設についての協定を締結することとなった。
ただし、仮称の「上越駅」に関しては、同じ新潟県内の上越新幹線や上越線との混同も考えられるため、駅名は再考される可能性がある。逆に、上越新幹線と上越線の名前が再考されることも考えられる。 平成23年4月に設立した「新幹線まちづくり推進上越広域連携会議」では、駅名等検討部会を設置し、上越市にできる北陸新幹線の駅名について検討しており、平成23年7月15日~9月16日まで全国から駅名を公募している。
なお、新幹線が延伸開業後、上越市の概算では東京 - 上越間が1時間50分程度で結ばれる予定[3]で、上越駅が東日本旅客鉄道(JR東日本)と西日本旅客鉄道(JR西日本)の境界となる。
利用状況
- 2010年度の1日平均乗車人員は119人である。近年の推移は下記のとおり。
駅周辺
上越市の郊外に立地する。駅周辺は1970年代まではわずかな商店、住宅、工場等を除いてはほぼ一面の水田であったが、中心部のベッドタウンとして徐々に宅地化が進み、水田は少なくなっている。近くには蓮如上人が滞在したと伝えられる願清寺(真宗大谷派)、大和神社、上越大和郵便局などがある。
歴史
- 1918年(大正7年)11月1日 - 脇野田信号場として開設。
- 1921年(大正10年)8月15日 - 駅に昇格。脇野田駅が開業。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
駅スタンプ
- 『銀河と夜景 南葉高原キャンプ場』(シヤチハタ式)
隣の駅
脚注
- ^ [http://www.joetsutj.com/users/files/2010/20100428youbousyo.pdf 要望書 信越本線(脇野田駅)移設事業について ]
- ^ [http://www.joetsutj.com/users/files/2010/20100621kaitousyo.pdf 信越本線(脇野田駅)移設事業に係る弊社へのご要望に対する回答 ]
- ^ 北陸新幹線全体の概要 上越市公式サイトより
関連項目
外部リンク
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