恵比寿 (渋谷区)

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恵比寿(えびす)は、東京都渋谷区地名である。現在の町名は恵比寿一丁目から四丁目。郵便番号は、150-0013である。

概要

住所が「恵比寿」である町域はJR恵比寿駅東部周辺の区域に限られるが、一般には恵比寿駅西部周辺の「恵比寿西」町域、「恵比寿南」町域、さらには目黒区三田の一部まで含めた地域が「恵比寿」として呼び示される。

恵比寿の地名は「ヱビスビール」に由来する。サッポロビールの本拠地として、ビール広場・ビール坂・ビール橋[1]などの名称が残っている。ローマ字表記の場合にも、「Ebisu」のほか、「ヱビスビール」の商標と同じく「Yebisu」と表記されることもある。

1994年平成6年)、ビール工場跡地の再開発事業として「恵比寿ガーデンプレイス」が開業、街は大きな変貌を遂げた。現在メディアでは、お洒落な街、住みたい街としても取り上げられることがある。

地理

渋谷区・渋谷地域の最東・最南部に位置し、港区白金白金台南麻布)・品川区上大崎)・目黒区三田)との区境にあたる。

河川

歴史

江戸時代

この周辺は江戸時代には、下渋谷村・三田村と呼ばれており、渋谷川三田用水に挟まれる農村で、大名の下屋敷が点在していた。

明治以降

1887年明治20年)、日本麦酒醸造会社(サッポロビールの前身)がこの地に工場建設用地を取得し[2]、2年後の1890年(明治23年)に発売されたビールは、「ゑびすビール」と名づけられて人気を博した[3][2]。翌1891年(明治24年)には、ビールの運搬のために日本鉄道品川線(現在の山手線)に貨物駅が開設され、「恵比寿停留所」と命名された[2]

1906年(明治39年)には、貨物駅のそばに同名の旅客駅が開始され[2]た。その頃から駅周辺地域が「恵比寿」と呼ばれ始め、それが定着していたこともあり、駅の東側から白金に向う現在のバス通りに沿って、「恵比寿通り1・2丁目」という町名がつけられたのが1928年昭和3年)のことである[3][2]。その後幾度かの地名改正を受け、他に隣接する町などを統合して現在の恵比寿という地名に至る。

恵比寿神社

戦後

1959年(昭和34年)、ヱビスビールの名にあやかって西宮神社(兵庫県)の恵比寿様の分霊を勧請され、恵比寿神社がつくられた。恵比寿の地名の起源となったビール工場は1988年(昭和63年)、千葉県に移転、跡地は再開発されて恵比寿ガーデンプレイスとなった[4]

地名の変遷

現在の恵比寿一丁目は山下町、恵比寿二丁目は新橋町および豊沢(とよさわ)町、恵比寿三丁目が伊達(だて)町、恵比寿四丁目が景丘(かげおか)町であった[5]

伊達町の名称は宇和島藩の下屋敷があったことに由来する。景丘は、近代以前は欠塚(かけづか)と呼ばれていた地域で、現在は同地域にある加計塚(かけづか)小学校にその名残がある。その他にも旧地名は町会名として残っており(豊沢町会、伊達町会)、また、恵比寿二丁目交差点を頂上とする坂を「伊達坂」と呼び、恵比寿二丁目交差点の別称は「伊達坂上」である。また、現在でも、児童遊園名、マンション名やビル名などに伊達町、豊沢町の名を散見することができる)

観光

恵比寿ガーデンプレイス
恵比寿ガーデンプレイスタワー

恵比寿ガーデンプレイス内の店舗ほかイベント等については同項目を参照。

名所

地域

公園
  • 恵比寿東公園
  • アメリカ橋公園
  • 景丘公園
  • 豊沢児童公園
教育
施設
企業

交通

鉄道
発車メロディーには、ヱビスビールのコマーシャルソングである第三の男のテーマソングが採用されている。
道路
首都高速道路・出入口

ゆかりある人物

居住者

脚注

  1. ^ 恵比寿橋。1901年明治34年)、当時の日本麦酒醸造会社が加計塚小学校前に製品搬出路を通し、赤煉瓦アーチ状の橋を築いたもの
  2. ^ a b c d e 端田晶「第三講義 慶応元年のビール王子」『もっと美味しくビールが飲みたい! - 酒と酒場の耳学問』(第1刷)講談社〈講談社文庫〉、2008年7月15日、130から134ページ頁。ISBN 978-4062761130 
  3. ^ a b 地名の由来 渋谷区ウェブサイト、平成23年4月16日閲覧
  4. ^ サッポロビール本社もここにある
  5. ^ [1]

関連項目

外部リンク