山城町 (徳島県)
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(山城谷村から転送)
やましろちょう 山城町 | |||||
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廃止日 | 2006年3月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 三野町・池田町・山城町・井川町 東祖谷山村・西祖谷山村→三好市 | ||||
現在の自治体 | 三好市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 徳島県 | ||||
郡 | 三好郡 | ||||
市町村コード | 36484-3 | ||||
面積 |
131.59 km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
4,928人 (国勢調査、2005年10月1日) | ||||
隣接自治体 |
(北部・北東部)三好郡池田町 (南東部)三好郡西祖谷山村 (西部)愛媛県四国中央市 (南部)高知県長岡郡大豊町 | ||||
町の木 | 杉 | ||||
町の花 | 杏 | ||||
町の鳥 | メジロ | ||||
山城町役場 | |||||
所在地 |
〒779-5395 徳島県三好郡山城町大川持518-9 | ||||
座標 | 北緯33度57分38秒 東経133度45分11秒 / 北緯33.96047度 東経133.75319度座標: 北緯33度57分38秒 東経133度45分11秒 / 北緯33.96047度 東経133.75319度 | ||||
ウィキプロジェクト |
山城町(やましろちょう)は、徳島県の北部最西端、吉野川の中流域西岸に位置していた町。
概要
[編集]景勝地の大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)はラフティングや大歩危峡遊覧船、三傍示山や塩塚高原で知られる。本項では町制前の名称である山城谷村(やましろだにそん)についても述べる。
4月の第1土曜日には塩塚峰に広がる草原(塩塚高原)で野焼きがあり、20haを焼き尽くす。吉野川と銅山川(伊予川)、そして四国山地によって作り出された山地は今日でも落石や土砂崩れが絶えない交通の難所である。
2006年(平成18年)3月1日、三好郡内の5町村と合併(新設合併)して市制施行し、三好市となった。
地理
[編集]高知県吾川郡いの町(旧:土佐郡本川村)を水源とする吉野川が町東端を南北に貫く。
愛媛県新居浜市を水源とする銅山川が町北部を東西に貫き、吉野川に合流する。三傍示山が町南西部と愛媛県四国中央市と高知県長岡郡大豊町に跨る。山間へき地で平坦な個所が極めて少ない。
例年、濃霧や積雪がある。降雨量が比較的多く、林業に適している。総面積に占める森林面積の割合は85%にのぼる。東西17km、南北19km。
なお池田町佐野大宗有安と山城町佐連に境界未定区域があるため、町域面積を正確に求めることは出来ない。
山岳
[編集]河川
[編集]隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]- 12世紀後半の屋島の戦いに敗れた平家の落人伝説や阿波山岳武士の伝説が残る。
- 1612年、修行僧の筑後坊が長崎から山城谷村へタバコの種を持ち帰って蒔いた。これが徳島産葉タバコ(阿波葉)の起源とされ、かつては近隣町村と共にタバコの一大生産地であった。
- 17世紀前半、白川谷川と小歩危以北の街道(現:徳島県道271号粟山殿野線と国道32号の一部)が土佐藩の初期の参勤交代道として利用されていた。
- 1841年、山城谷の百姓631人が伊予国今治藩へ逃亡した(山城谷一揆)。これをきっかけに騒動が加茂・祖谷山・井内谷・東山・太刀野・郡里などへ広がり、「上郡一揆」と呼ばれる大規模な百姓一揆となった。
- 江戸時代には、地名の後に、地勢と職を表す字を加えて、自治単位の名称としていた。当時は、地名の「山城」に、谷が多い地勢と農民が多いことを理由に「谷」を加えて山城谷(やましろだに)と呼ばれていた。
- 明治の町村制施行時に、「山城谷」を地名として解釈し、山城谷村となった。
地名の由来
[編集]- いつ頃から「山城」と呼ばれていたのかは不明である。「山城」の由来は諸説ある。
- 地勢が山城国に類似していることから。 - 山城国と同じ地名がある。
- 山を背にしている地勢から「山背(やましろ)」となり、後に「山城」に転じた。 - 山背と表記している文献もある。
- 山に田尾城があったことから。 - 近隣にも山城が沢山あったことを考慮すれば、やや不自然である。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、近世以来の山城谷村が単独で自治体を形成。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 山城谷村が三名村を編入し、町制施行・改称して山城町となる。
- 2006年(平成18年)3月1日 - 三野町・池田町・井川町・東祖谷山村・西祖谷山村と合併して三好市が発足。同日山城町廃止。
習俗
[編集]- 山城谷村当時、村内の娘と寡婦は村の若者の共有であったため、他の村の者が娘もしくは寡婦と通じる場合は、若者たちの承認を得るために酒をふるまわなければならなかった[1]。
行政
[編集]- 町長:西徹
経済
[編集]産業
[編集]- 主な産業 建設業、サービス業、製造、卸売業・小売業、農業、林業
- 産業人口 2,367人 (平成12年国勢調査)
- 山城町の林業は、金額ベースで徳島県全体の林業収入の10%を占める。
- 茶、ゼンマイ等の山菜が自生する。60haと規模は大きくないが徳島県内最大の茶産地で茶畑が山間傾斜地に点在する。山菜や栗の産地でもある。
地域
[編集]教育
[編集]中学校
[編集]小学校
[編集]交通
[編集]国道32号と土讃線が町東端を南北に貫く。国道319号が町北部を東西に貫き、国道32号に合流する。
鉄道路線
[編集]道路
[編集]- 一般国道
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- 国道32号、国道319号
- 路線バス
観光地
[編集]公園
[編集]名所
[編集]社寺・史跡
[編集]- 四所神社
- 賢見神社
- 杖立神社
- 梅宮神社
- 大日孁神社
- 長福寺 - 阿波秘境七福神・福禄寿。新四国曼陀羅霊場。
- 持性院 - 阿波秘境七福神・寿老人。新四国曼陀羅霊場。
- 圓明寺 - 阿波秘境七福神・布袋尊。
- 田尾城 - 三好市指定史跡。
その他
[編集]- ラピス大歩危
- レオマ高原ゴルフ倶楽部 山城コース - 市内唯一のゴルフ場。
- 奥小歩危温泉
- 賢見温泉
- 大歩危峡まんなか
- 大川持農林業体験施設
催事
[編集]- 4月
- 塩塚高原 野焼き - 塩塚峰周辺を焼き尽くす、写真家が集まるイベント。
- 田尾城つつじ祭り
- 6月
- 野鹿池のしゃくなげまつり
- 黒川谷ほたる祭り
- 7月
- カヌーフェスティバル
- 8月
- 山城鉦踊り(かねおどり) - 長宗我部氏に敗れた大西氏鎮魂の念仏踊り。
- 10月
- 11月
- 塩塚高原フェスティバル
- 伊予川芋炊き - 秋の社日にその年の小芋を神に供えて、その年の豊作を祈願する風習をイベント化したもの。愛媛県の芋炊きと同様。
- もみじ祭り
- 大歩危観光ウォーキング
有名人
[編集]山城町出身有名人
[編集]山城町関係有名人
[編集]- 小笠原長清(武将。阿波小笠原氏の初代。一族で吉野川流域各地を支配した)
- 三好長慶(戦国時代の武将。室町幕府を支配した。三好氏の起源は小笠原氏とする説が有名だが、史料が乏しく真偽は不明。)
- 大西元武(武将。山城町から池田町西部にかけての大西郷を拠点に田井荘を支配した。長宗我部氏に阿波国を追われてからは川之江・轟城を再建して居城とした。大西氏の起源は諸説ある)
- 中元真樹(歌手。母親が山城町出身)
その他
[編集]山城町を舞台にした作品
[編集]映画
[編集]- 村の写真集(2004年)
ラジオドラマ
[編集]- NHKラジオドラマ「雲とオルガン」(奥小歩危温泉)
歌
[編集]- 北島三郎「青い旅人 〜吉野川〜」「四国三郎 〜旅行く川〜」 - 吉野川と三好郡などがテーマの演歌