今川焼き

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今川焼き
調理の手順
円柱形の浅い窪みに片面分の生地を入れて焼く(屋台
中身の餡を入れる(神戸三宮駅の常設店舗)
最後に両面を合わせて焼く(ブラジルサンパウロリベルダージにおける「リベルターデ東洋市」の屋台)

今川焼き(いまがわやき)は、小麦粉を主体とした生地を入れて金属製焼き型で焼成した和菓子である。全国各地で大判焼き(おおばんやき)と呼ばれるほか、その形状からの由来や販売店名を使用するなど、地域や店舗ごとに多数の別称が存在する(後述[1][2][3][4]

概要

小麦粉玉子砂糖を水で溶いた生地を鉄や銅製の円形に窪んだ焼き型へ流し込み、餡を包埋して、高さの低い円筒形ないしは分厚い円盤状に焼成したものである。全国各地で同様な食品が様々に呼称され、固定や常設の店舗だけではなく神事仏事に限らずいわゆる祭りの露天屋台で販売される場合も多く、日本人になじみ深い菓子である。

また、世界の日本人街がある都市などでも売られている[5]

出来たての販売のほか、冷凍食品としても流通している。

名称

「今川焼き」の名称の由来に確たる史料はないが、今日主流とされる説に以下が挙げられる。

江戸時代中期の安永年間、江戸市内の名主今川善右衛門が架橋した今川橋[† 1]の神田側に存在した神田西今川町や神田東今川町の店がこれらの焼き菓子を発売し[6]、後に「今川焼き」が一般名詞化して広がったとする説がある。

現在の静岡県中部にあたる駿河国などを治めた守護大名戦国大名今川氏家紋である二つ引両(引両紋)を由来とする説もある。

この和菓子の名称は全国的には統一されておらず、地域や各店舗によってさまざまに呼称されている。(表は五十音順)

形状や製法に基づく名称 店舗や地域による名称

JRA競馬場内で販売する「G1焼き」などイベントや祭り開催場所に関連する名称を用いる場合もある。日本統治時代から国外でも食べられており、韓国ではオバントック (obang-ttok)[† 5]台湾では車輪餅・紅豆餅・太鼓饅頭などの名称で販売されている。

派生品

様々な味で冷凍食品としても流通している。

餡は小豆あんが主流だが、白あんカスタードクリームいちごクリームなどの他、蒸しじゃがいもマヨネーズで和えたポテマヨ、ハンバーグソーセージなど具材を用いた様々な派生商品[7]も散見される。

類似品

  • 生地を金属製の型へ流し入れて焼成する菓子では、の魚体を模した「たい焼き」が著名である。
  • 卵と各種具材を円形に焼成する通称「大阪焼き」なども散見され、台湾では餡以外にタロイモ、ゴマ餡とピーナツキャベツ炒めやカレーなどの具材も好まれている。

脚注

注釈

  1. ^ 日本橋 - 神田境の竜閑川にかかっていた橋。竜閑川は現存しないが、今川橋は交差点名として残っている。
  2. ^ 長野県おやきとは別種である。
  3. ^ 銀座富士アイス(甲府市観光課)。銀座富士アイスが商標権を持っている(登録商標第4092241号)。
  4. ^ じまんやきライブカメラUCV上田ケーブルビジョン提供 長野県上田市の富士アイス店頭で「じまんやき」を焼いている様子。「今川焼き」「大判焼き」等と同じものであることが分かる。
  5. ^ トック」は餅を意味する。

出典

参考文献

  • 中山圭子『辞典 和菓子の世界』岩波書店、2006年。ISBN 9784000803076 
  • 俵屋吉富『和菓子の絵事典-見て、知って、作ってみよう 五感で味わう「和の文化」』PHP研究所、2008年。ISBN 9784569687957 
  • 『御菓子之畫圖』1695(元禄8年)。 

関連項目

  • ケランパン - 韓国朝鮮の焼き菓子。今川焼に由来するとする説がある。