ヘルタ・ベルリン

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ヘルタ・ベルリン
原語表記 Hertha Berliner Sport-Club
愛称 Die Alte Dame
Blau-weiss
クラブカラー 青と白
創設年 1892年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ベルリン
ホームスタジアム
オリンピアシュタディオン・ベルリン
収容人数 76,065
代表者 ドイツの旗 ヴェルナー・ゲーゲンバウアー
監督 ハンガリーの旗 ダールダイ・パール
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ヘルタ・ベルリナー・シュポルト・クルプドイツ語: Hertha Berliner Sport-Club、ヘルタBSC)は、ドイツの首都ベルリンに本拠地を置くサッカークラブ。「ヘルタ」とは船の名前が由来で、クラブのエンブレムもその船が掲げていた旗がモチーフになっている。

歴史

戦前

1927-28シーズンでドイツ・サッカー選手権で決勝に進出したがハンブルガーSVに2-5で敗れ、準優勝に終わっている。がその翌シーズンから2連覇を達成している。

しかし、1945年からの2+4条約によりベルリンは占領地となり、クラブは長く雌伏の期間を過ごす。

ディーター・ヘーネス副会長時代

かつての名選手で、VfBシュトゥットガルトゼネラルマネージャーだったディーター・ヘーネス1996年に副会長に就任するとチームは躍進を遂げる。就任当時はスタッフは数人しか在籍していなかった。

1996-97シーズンにブンデスリーガ2部で3位となり、1990-91シーズン以来となる1部昇格を果たした。1998-99シーズンにはリーグ3位となりUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に成功する。

1999-00シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグに予備予選から参戦。アノルトシス・ファマグスタ(キプロス)を破って予備予選を突破し、1次リーグはチェルシー(イングランド)、ACミラン(イタリア)、ガラタサライ(トルコ)と同じグループとなった。ホームでチェルシー、ミランを撃破するなどの結果を残し、1次リーグを2位通過。しかし、2次リーグではFCバルセロナ(スペイン)、FCポルト(ポルトガル)、スパルタ・プラハ(チェコ)と同じグループとなり、6試合を戦って2分4敗の成績で2次リーグ敗退となった。

その後は、優勝を目指すため大物選手を補強していったが、2003-04シーズンにはこれが裏目に出てしまい、結局は12位でリーグを終える。翌シーズン以降は汚名返上して上位に食い込むものの、2006-07シーズンは終盤戦に失速し、10位に終わった。

2007年夏にはFWアシュカン・デヤガーやMFケヴィン=プリンス・ボアテングなど若手の主力を放出したが、苦しい台所事情から積極的な補強はできなかった。FCチューリッヒで2連覇を達成したルシアン・ファヴレ監督と3年契約を結び、ユース出身者や若手を重視してシーズンに臨んだ。この頃から補強も堅実路線に変更しており、後に2008-09シーズンの躍進に繋がった。

2007-08シーズンは若手MFパトリック・エベルトが順調な成長を見せ、2008年1月に獲得したMFゴイコ・カチャルが後半戦の全ての試合に出場するなど、若手主体の強化方針は一定の成功を収めた。

2008-09シーズン、フェアプレー枠により出場したUEFAカップのグループリーグは2分2敗で敗退した。UEFAカップ参戦によるリーグ戦への悪影響が心配されたが、22節から約1カ月の間首位に立つなど、大きなサプライズを残した。しかし、この頃からヘーネスとフロント上層部との対立、ファヴレの不可解な采配が大きく影響し、終盤に失速して結局4位でシーズンを終えて、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得することになった。シーズン終了後には、クラブ上層部との対立によって、長年チームの強化に携わってきたヘーネスがクラブを去っていった。

ディーター・ヘーネス退任以降

2009年夏、FWアンドリー・ヴォロニンとFWマルコ・パンテリッチの両エース、守備の要であるDFヨシプ・シムニッチが退団し、前シーズンのゴタゴタがチームに少なからず影響したこともあり、2009-10シーズンは最下位で2部降格となった。2010-11シーズンはキャプテンのアルネ・フリードリヒの移籍もあったが、マルクス・バッベル監督が早期にチームを掌握し、2部で優勝を成し遂げ、1年での1部復帰を果たした。しかし契約上の問題から2011年12月18日付でバッベルを解任[1]。後任にはミヒャエル・スキッベが就任した[2]が、就任後5試合で1勝も上げることが出来ず2012年2月12日に解任された[3]。その後オットー・レーハーゲルを監督に迎えたがこのシーズンは16位に終わり、2部3位のフォルトゥナ・デュッセルドルフとの入替戦に敗れ、1シーズンで2部に再び降格した。[4]ヨス・ルフカイを新監督に迎えた2012-13シーズンは2部で優勝を成し遂げ、1年で1部復帰を果たした[5]。2013年夏の移籍期間には細貝萌[6]、2014年の夏の移籍期間に原口元気が加入した。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズン ディビジョン DFBポカール
リーグ 順位
1963-64 ブンデスリーガ1部 30 9 6 15 45 65 24 14位 準決勝敗退
1964-65 ブンデスリーガ1部 30 7 11 12 40 62 25 14位 1回戦敗退
1965-66 レギオナルリーガ・ベルリン 30 29 0 1 136 25 58 1位
1966-67 レギオナルリーガ・ベルリン 30 28 1 1 114 28 57 1位 1回戦敗退
1967-68 レギオナルリーガ・ベルリン 30 26 3 1 104 11 55 1位 準々決勝敗退
1968-69 ブンデスリーガ1部 34 12 8 14 31 39 32 14位 1回戦敗退
1969-70 ブンデスリーガ1部 34 20 5 9 67 41 45 3位 準々決勝敗退
1970-71 ブンデスリーガ1部 34 16 9 9 61 43 41 3位 ベスト16
1971-72 ブンデスリーガ1部 34 14 9 11 46 55 37 6位 1回戦敗退
1972-73 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 53 64 30 13位 準々決勝敗退
1973-74 ブンデスリーガ1部 34 11 11 12 56 60 33 8位 ベスト16
1974-75 ブンデスリーガ1部 34 19 6 9 61 43 44 2位 1回戦敗退
1975-76 ブンデスリーガ1部 34 11 10 13 59 61 32 11位 準決勝敗退
1976-77 ブンデスリーガ1部 34 13 8 13 55 54 34 10位 準優勝
1977-78 ブンデスリーガ1部 34 15 10 9 59 48 40 3位 準々決勝敗退
1978-79 ブンデスリーガ1部 34 9 11 14 40 50 39 14位 準優勝
1979-80 ブンデスリーガ1部 34 11 7 16 41 61 29 16位 3回戦敗退
1980-81 ブンデスリーガ2部北部 42 31 2 9 123 42 64 3位 準決勝敗退
1981-82 ブンデスリーガ2部 38 20 8 10 84 47 48 2位 3回戦敗退
1982-83 ブンデスリーガ1部 34 5 10 19 43 67 20 18位 準々決勝敗退
1983-84 ブンデスリーガ2部 38 13 11 14 64 57 37 11位 準々決勝敗退
1984-85 ブンデスリーガ2部 38 10 15 13 50 59 35 14位 ベスト16
1985-86 ブンデスリーガ2部 38 8 15 15 50 62 31 17位 1回戦敗退
1986-87 オーバーリーガ・ベルリン 30 24 5 1 102 25 53 1位 1回戦敗退
1987-88 オーバーリーガ・ベルリン 30 22 4 4 75 22 48 1位 2回戦敗退
1988-89 ブンデスリーガ2部 38 11 14 13 45 44 36 13位
1989-90 ブンデスリーガ2部 38 22 9 7 65 39 33 1位 1回戦敗退
1990-91 ブンデスリーガ1部 34 3 8 23 37 84 14 18位 2回戦敗退
1991-92 ブンデスリーガ2部北部 32 13 9 10 46 41 35 3位 1回戦敗退
1992-93 ブンデスリーガ2部 46 19 15 12 82 55 53 5位 ベスト16
1993-94 ブンデスリーガ2部 38 11 15 12 48 42 37 11位 2回戦敗退
1994-95 ブンデスリーガ2部 34 10 12 12 41 45 32 11位 1回戦敗退
1995-96 ブンデスリーガ2部 34 11 12 11 37 35 34 14位 2回戦敗退
1996-97 ブンデスリーガ2部 34 17 7 10 57 38 58 3位 2回戦敗退
1997-98 ブンデスリーガ1部 34 12 7 15 41 53 43 11位 2回戦敗退
1998-99 ブンデスリーガ1部 34 18 8 8 59 32 62 3位 ベスト16
1999-00 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 39 46 50 6位 ベスト16
2000-01 ブンデスリーガ1部 34 18 2 14 58 52 56 5位 2回戦敗退
2001-02 ブンデスリーガ1部 34 18 7 9 61 38 61 4位 準々決勝敗退
2002-03 ブンデスリーガ1部 34 16 6 12 52 43 54 5位 1回戦敗退
2003-04 ブンデスリーガ1部 34 9 12 13 42 59 39 12位 ベスト16
2004-05 ブンデスリーガ1部 34 15 13 6 59 31 58 4位 2回戦敗退
2005-06 ブンデスリーガ1部 34 12 12 10 52 48 48 6位 3回戦敗退
2006-07 ブンデスリーガ1部 34 12 8 14 50 55 44 10位 準々決勝敗退
2007-08 ブンデスリーガ1部 34 12 8 14 39 44 44 10位 2回戦敗退
2008-09 ブンデスリーガ1部 34 19 9 6 48 41 63 4位 2回戦敗退
2009-10 ブンデスリーガ1部 34 5 9 20 34 56 24 18位 2回戦敗退
2010-11 ブンデスリーガ2部 34 23 5 6 69 28 74 1位 2回戦敗退
2011-12 ブンデスリーガ1部 34 7 10 17 38 64 31 16位 準々決勝敗退
2012-13 ブンデスリーガ2部 34 22 10 2 65 28 76 1位 1回戦敗退
2013-14 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 40 48 41 11位 2回戦敗退
2014-15 ブンデスリーガ1部 34 9 8 17 36 52 35 15位 2回戦敗退
2015-16 ブンデスリーガ1部 34 14 8 12 42 46 50 7位 準決勝敗退
2016-17 ブンデスリーガ1部 34 15 4 15 43 47 49 6位 ベスト16
2017-18 ブンデスリーガ1部 34 10 13 11 43 46 43 10位 2回戦敗退
2018-19 ブンデスリーガ1部 34 11 10 13 49 57 43 11位 ベスト16
2019-20 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 48 59 41 10位 3回戦敗退
2020-21 ブンデスリーガ1部 34 1回戦敗退

記録

2017年12月8日現在

欧州での記録

大会 勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 14 3 5 6 11 19 −8 021.43
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ 80 37 21 22 102 73 +29 046.25
UEFAインタートトカップ 2 1 1 0 2 0 +2 050.00
総通算 96 41 27 28 115 92 +23 042.71

欧州の成績

現所属メンバー

2018-19シーズン 基本フォーメーション
2020年10月5日現在[7]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ドイツ アレクサンダー・シュヴォロウ
2 DF スロバキア ペテル・ペカリーク (副主将)
5 DF ドイツ ニクラス・シュタルク
6 MF チェコ ヴラディミール・ダリダ
7 MF オーストラリア マシュー・レッキー
8 MF フランス マテオ・ゲンドゥージ ()
9 FW ポーランド クシシュトフ・ピョンテク
10 FW ブラジル マテウス・クーニャ
11 FW ベルギー ドディ・ルケバキオ ()
12 GK ドイツ ニルス=ヨナタン・ケアバー
13 DF ドイツ ルーカス・クリュンター
14 DF パラグアイ オマル・アルデレーテ
15 FW コロンビア ジョン・コルドバ
16 MF オランダ ジャバイロ・ディルロスン
No. Pos. 選手名
17 DF ドイツ マクシミリアン・ミッテルシュテット
18 MF アルゼンチン サンティアゴ・アスカシバル
20 DF ベルギー デドリック・ボヤタ ()
21 DF ドイツ マルヴィン・プラッテンハルト
22 GK ノルウェー ルネ・ヤーステイン
23 MF ドイツ エドゥアルト・レーヴェン
25 DF ドイツ ジョーダン・トルナリガ ()
27 FW ドイツ ジェシック・エンガンカム ()
29 MF フランス リュカ・トゥサール
31 DF ドイツ マールトン・ダルダイ ()
32 DF ドイツ ルカ・ネッツ
33 FW オランダ デイショーン・レダン ()
42 DF オランダ デヨファイシオ・ゼーファイク ()

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
8 MF フランス マテオ・ゲンドゥージ (アーセナルFC)
No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- MF ドイツ アルネ・マイアー (アルミニア・ビーレフェルト)
-- FW ドイツ デニス・ヤストルゼンブスキ (SCパーダーボルン07)
No. Pos. 選手名
-- FW ドイツ ダヴィー・ゼルケ (ヴェルダー・ブレーメン)

2020-21シーズン移籍

歴代監督

氏名 国籍 期間
デットマール・クラマー 西ドイツの旗 西ドイツ 1974
ユルゲン・レーバー ドイツの旗 ドイツ 1996.01.01 - 2002.02.06
ファルコ・ゲッツ ドイツの旗 ドイツ 2002.02.07 - 2002.06.30
フーブ・ステフェンス オランダの旗 オランダ 2002.07.01 - 2003.12.04
アンドレアス・トーム ドイツの旗 ドイツ 2003.12.04 - 2003.12.17
ハンス・マイアー ドイツの旗 ドイツ 2003.12.20 - 2004.06.30
ファルコ・ゲッツ ドイツの旗 ドイツ 2004.07.01 - 2007.04.10
カルステン・ハイネ ドイツの旗 ドイツ 2007.04.10 - 2007.06.30
ルシアン・ファヴレ スイスの旗 スイス 2007.07.01 - 2009.09.28
カルステン・ハイネ ドイツの旗 ドイツ 2009.09.28 - 2009.10.02
フリートヘルム・フンケル ドイツの旗 ドイツ 2009.10.03 - 2010.06.30
マルクス・バッベル ドイツの旗 ドイツ 2010.07.01 - 2011.12.18
ミヒャエル・スキッベ ドイツの旗 ドイツ 2011.12.21 - 2012.02.12
オットー・レーハーゲル ドイツの旗 ドイツ 2012.02.18 - 2012.06.30
ヨス・ルフカイ オランダの旗 オランダ 2012.07.01 - 2015.02.05
ダールダイ・パール  ハンガリー 2015.02.05 - 2019.06.30
アンテ・チョヴィッチ クロアチアの旗 クロアチア 2019.07.01 - 2019.11.27
ユルゲン・クリンスマン ドイツの旗 ドイツ 2019.11.27 - 2020.2.11
アレクサンダー・ヌーリ (暫定) ドイツの旗 ドイツ 2020.2.11 - 2020.4.9
ブルーノ・ラッバディア ドイツの旗 ドイツ 2020.4.9 - 2021.1.24

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

  1. ^ ヘルタ・ベルリンが監督解任Goal.com 2011年12月19日(12月22日閲覧)
  2. ^ ヘルタ・ベルリン スキッベ氏が新監督にスポーツニッポン電子版 2011年12月22日(12月22日閲覧)
  3. ^ ヘルタがスキッベ監督を解任UEFA公式HP 2012年2月12日(2月13日閲覧)
  4. ^ デュッセルドルフ 16季ぶり1部復帰スポーツニッポン電子版 2012年5月16日(5月16日閲覧)
  5. ^ ヘルタ・ベルリンがブンデスリーガ1部昇格決めるAPF BBニュース 2013年4月22日(4月27日閲覧)
  6. ^ 細貝が加入 ヘルタが発表ブンデスリーガ公式HP、2013年5月21日
  7. ^ [1]ヘルタ・ベルリン公式サイト 2020年10月11日閲覧

外部リンク