ブルマー
ブルマー (bloomers) は、女性が運動などを行う際に下半身に着用する衣類の一種で、ブルマあるいはブルーマ、ブルーマーとも呼ぶ。20世紀に世界的に広く普及した。
学校教育で体育の授業の運動時に着用する体操着や、スポーツ用パンツとしても広く用いられる。女子バレーボールや陸上競技の選手が試合や練習で穿くユニフォームパンツもあり、用途に応じてバレーブルマー、バレーショーツ、陸上ブルマーと呼ぶこともある。チアリーダーが穿くコスチュームパンツにもブルマーが用いられる。また、オーバーパンツとしても用いられる。
誕生
ブルマーの起源は諸説あるが、その中で有力なのは19世紀のアメリカ合衆国の女性解放運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマーの発案説である。ブルマーの名称は彼女の名前に由来する。
ブルーマーは、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家によって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服からの女性衣服の転換という革新的なものであった。後にこれが運動着として使えるようなものに改良された。当時は女性用の適当な運動着はなく、この発明は極めて画期的なものであった。ブルーマーはニッカーボッカーズボンのようにだぶつきがあり、膝あたりまで丈があった。
また、別の説では乗馬用のズボンが変形したものともいう。
ちょうちんブルマー
1970年前後まで製造されていた、伸縮性のない生地を用いたタイプ。腰と裾口にゴムが入っている以外はだぶつきのある作りで、運動時の可動性を確保するためにギャザーあるいはプリーツがつけられていた。これらはニット製ブルマーの誕生以降、その形状的な特徴から「ちょうちんブルマー」と呼んで区別されるようになった。
日本では太平洋戦争などの戦時中に有事演習の一環で水泳訓練を行っていた女学校もあった。
当時の女子生徒の体育の服装は、膝上10センチほどの濃紺のちょうちんブルマーに白の開襟シャツ、運動足袋、ハチマキの格好である。水着がなかった為、水泳でも同じく膝上10センチほどの濃紺のちょうちんブルマーに白の開襟シャツ、運動足袋、必勝ハチマキまたは白の手ぬぐいを頭にして水中に潜って泳いでいた例もある。
ショーツ型ブルマー
発生の経緯
化学繊維とニット素材の発達により、ブルマーは臀部にぴったりフィットしたショーツ型へと進化した。このタイプのブルマーが日本で普及していくのは、東京オリンピック以降の1960年代後半からである。
ショーツ型ブルマーをオリンピックの場面で最初に採用した国は旧ソビエト連邦で(アメリカでも同時期に採用)、このことは日本テレビ伊東家の食卓内の1コーナーである「教科書にのらないウラ昭和史」にて紹介された。日本でも現代型ブルマーの試作品を女子バレー日本代表に持ち込んだりしたが、当時の日本代表は「下着みたいだから嫌だ」という理由で[要出典]採用せず、特注の改良型ショートパンツを愛用していた。
他方、義務教育の現場において体操服が指定されるようになったのもこの頃からである。小学校・中学校・高校・大学でもこのようなショーツ型のブルマーが体操着やユニフォームとして採用された。極めて機能的でずり落ちたり引きつったりせず軽量であり、どんな動きに対しても体に密着しており、この性能から前述のとおりオリンピックや国際競技の場で公式に使用されている向きがあったことで「ブルマー=女子の体操服の代名詞」として当然のように意識されるようになった。
また、幼稚園や保育所でも男女共用の体操着としても使用されたところもある。メディアに取り上げられた事例としては、1988年の月刊『明星』(集英社)5月号に掲載された、内海光司の幼少時代のブルマー姿の写真がある[1]。
特徴
ショーツ型ブルマーの特徴はだぶつきのない形状で、アスレチックブルマー、スポーツブルマー、スクールショーツなどとも呼ばれる。メーカーによってはニットブルマー、スクールブルマーともいう。
色は濃紺が主流であったが、えんじ色、緑ほか様々で、ブルマーの側面には白などのラインが入るデザインなど、ジャージー同様に様々なバリエーションが存在する。学年ごとに色を変え、区別できるようにしている学校もあった。 ブルマーの裾はゴム仕様が多く、オペロンゴムやスパンゴムと呼ばれウエストや足口にソフトにフィットする平ゴムタイプ、運動時に腹部にくい込みにくい2重または3重ゴムタイプのものとに大別できる。
主に、前身頃と後身頃というシンプルな構成になっている。製造元によっては一枚布で縫製されたものもある。
ショーツとほぼ変わらない形状、および丈になっているが、内側にショーツを穿いた上に着用する。そのため、ショーツを2枚重ねて穿く格好となり、下からショーツがはみ出ることがある。この現象は俗にハミパンと呼ばれている。
脚ぐりの位置は通常、ラインがウエストラインとヒップラインの中間あたりまで切り込まれ、ハイレグはヒップラインよりやや上まで切り込まれ、ローレグはヒップラインの少し下くらいまで切り込まれている。ショーツで言うとローレグカットかレギュラーカットとほぼ同じである。
ショーツとの相違点
ブルマーは下着のショーツに対し、概ね以下の相違点がみられる。
- 素材はナイロンやポリエステル等の厚地で伸縮性がある。
- 色が濃紺やえんじ色等の濃い色調の色が用いられる。
- 腰のゴムが太く、裾にゴムが入っている。
- 内側にショーツを穿いた上から重ねて穿く。
- クロッチが必要ないため、二枚布を股間で縫製する。
- 股上が下着に比べて深い。
スポーツ用
バレーボール
- バレーボール全日本女子代表選手は、白の長袖ユニフォームシャツに赤のバレーブルマー、膝サポーター、白のハイソックス、白の運動靴というユニフォームであった。
- 競技の特性上、転がったり滑ったりするのを想定し腰丈(股上)が長く厚手の丈夫な生地が用いられていた。その後、女子バレーボール選手のユニフォームも大幅に変わり、裾の短いスパッツのようなショートズボンにとって代わり、上着のシャツは長袖だったが現在はノースリーブのものもよく見られるようになった。
- 近年、ブルマーを使用しているのはフランス・ギリシャ・スペイン・ポルトガル・スロベニア・ポーランドなど、ヨーロッパのクラブチームの幾つかを数えるのみである。それらのほとんどは日本のバレーブルマーとは異なり、薄い生地でハイレグタイプになっている。最近ではヨーロッパのクラブチームでも相次いで廃止されているが、南米のアルゼンチンでは今なおブルマーが主流である。
チアリーダー
この節の加筆が望まれています。 |
学園祭などのイベントや高校野球、大学駅伝といった競技でのチアリーディングにおけるチアリーダーのユニフォームとしてスカートの下にブルマーが着用される場合がある。
陸上競技
この節の加筆が望まれています。 |
女子陸上競技の選手、特に激しい動きを要する競走、跳躍の選手においてブルマーが多用されている。近年は動きやすさを重視し、短距離及び跳躍においていわゆるセパレート型のレーシングショーツの着用が増加している。一方、マラソン、中長距離ではブルマーからランニングパンツ及びスパッツ、被服以上の機能(サーキュレーション、スタビライゼーション、ヒーリング等)も持ち合わせた機能性タイツ(コンプレッションタイツ等)への転換が進みブルマーは過去のものとなり衰退の途についている[要出典]。
その他のスポーツ
この節の加筆が望まれています。 |
1980年代までは女子バスケットボールおよびハンドボールでもブルマーが用いられていた。また、各学校の女子テニス部ではアンダースコートの代わりにブルマーが着用されることもあった。
日本における普及と衰退
大国化と近代化を目指していた戦前の日本で、ブルマーが普及するまでは教育現場や学校で体操時に女性が着用した運動着は従来からのもんぺぐらいであったため、新しいウェアは非常に斬新に映り、全国の学校の標準運動着として採用された。女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)では、留学先のアメリカから井口阿くりが持ち帰ったブルマーが体操着として1903年に最初に紹介され、大正末期から昭和初期にかけて女学校で採用されるようになった[2][3]。
敗戦後は日本は国力に極めて乏しく、東京オリンピック前後まで文部省や教育現場では、義務教育において体操着を学校標準指定で強制することはなかった。当時、小中学校の女子生徒のブルマーは紺色のちょうちん型が圧倒的に多数を占めていた。親の手製も見受けられた時代でもあった。ショートパンツ型や現在に近い形の製品も混在していた。尚、ちょうちん型とニット生地ショーツ型の過渡期的なものとして1960年代後半にはサイドファスナーでウエストリアがゴムシャーリングとなり、すそが折り返しになった紺サージ生地のショートパンツ型が一般的で、このタイプは1980年代いっぱい伝統と格式を重んじる一部の私立校で採用され続け来た。このタイプを「ショート」あるいは「短パンブルマー」と呼ぶ場合がある。
学校等の指定体操着としての普及
小・中学校、高校、日本人学校などの学校では、女子児童・生徒が私服や制服のスカートの下に着用し、また幼稚園や保育所の一部では、男女共通の体操着として着用していた。学校によっては、体育の授業をはじめ運動会(体育祭)や学校行事において着用することが定められていた。
戦後には小学校などで遭難時の訓練目的で着衣水泳の授業が行われ、その際に体操着が用いられることがあった。
1970年代になると、永井豪の漫画『ハレンチ学園』などの影響によってスカートめくりが流行した。これに対する防衛策として、女児が普段からスカートの下にブルマーを重ね穿きするケースが多く見られるようになり、女子小学生をはじめ中学、高校の女子生徒も制服のスカートの下にブルマーを着用するようになった。
水着としての着用例
ブルマーを水着として使用する場合もあるが、一般的にも難しく思われている。理由としてはブルマーの素材が水着と違って、水を多く含み重さで脱げてしまいやすい。体操服も水を含んでしまうと、首回りが広がったり肩が下がったりする為に水着として採用されなかった。
学校を卒業し社会に出た後、ブルマーを穿くことはほとんどなくゴミとして捨てられてしまうのが現実であるが、中には捨てずに仕事で使用しているところもある。
その代表例のひとつが伊勢、志摩、鳥羽の海女さんである。小学校から高校まで夏場(6月後半から9月前半)の体育の授業で、スクール水着に水泳帽子、裸足、(競泳ゴーグル)の格好で水泳の授業を受けてきた女子も、海女の仕事に就けば冬場の寒い日でも冷たい海にも潜らなければならないのが普通である。着替え方も人によって様々であるが、海女が白の磯着に着替える時は衣服を脱ぎ白のショーツ、ブラジャー姿になるが、白の磯シャツを着込み白の磯ナカネを巻きつけ、白の足袋を履いて軍手をした後に、頭に白の磯頭巾をして、磯メガネ(鼻隠し一つメガネ)で両目と鼻を被いながら海に潜って作業を行うこととなる。年齢を問わず、白の磯シャツ、白のナカネを身につける前にブルマーだけでなく体操服もセットにして下着の上から着用して防寒対策をする場合がある。
反対運動と廃止
1970年代以降、ブルマーは従来のもんぺ・ちょうちん型からショーツのように大腿部を完全に露出するスタイルに変貌した。当時の人気スポーツであったバレーボールの影響から、スポーティーで格好いいと好意的に受け止められる向きがあった反面、性的な羞恥心の芽生え始める第二次性徴期・思春期の女子にとっては潜在的な抵抗感もあったという。軽量で動きに対する追従性が良く、各種スポーツに好適であった。しかし、初経の1年前後からヒップが大きくなり始めて[4]ブルマーの裾からヒップが露出したり、ヒップが露出しなくても同時期から履き始めるの女子生徒・児童向けのジュニアショーツがフルバックタイプで、ブルマーの裾からショーツが露出するいわゆるハミパンが生じやすいという問題もあった。
1990年代に入ると、それまでは一部のマニアたちの間だけのものであったブルセラ趣味が商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーやセーラー服などを買取り販売するブルセラショップが誕生した。またインターネットなどの普及によって、こうした嗜好の存在が一般にも広く知られるようになり、ブルマーが性的好奇心の対象として認知されるようになると、運動会などの学校行事においてブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマーの窃盗をはたらいたりして逮捕される者が続出し、社会問題として取り上げられるようになっていった。
こうした時代背景の中、当の女子生徒たちの間からもブルマー着用の必然性に対して疑問の声が上がり始め、新聞にブルマー廃止を訴える女子中高生の投書が掲載されるようになった。1995年には東京都小金井市議会で女性議員が問題提起を行うなど[5]、ブルマーの廃止が提議され始めると、学校や保護者の多くもこれに賛同した。また男女同権論者・ジェンダーフリー教育論者の中からは、通常体育の授業時は男女別服装である合理的理由はなく、男女平等教育の観点に照らして男子・女子とも同じ運動着を着るべきであると主張する人々も現れた。
これらの動きにマスコミも追従し、ブルマー反対派の女性著名人らが雑誌などで論陣を張った結果、追放運動は1990年代中盤にピークを迎えた。1994年にいくつかの県で廃止が決定されると、教育現場の強い横並び意識も手伝い、ブルマーの着用廃止は数年のうちに全国に広がった。こうして公立校は2004年、私立校でも2005年を最後に、女子の体操着としてブルマーを指定する学校は日本から消滅した。多くの学校では、ブルマーの代わりにハーフパンツ(短パン)が採用されることとなった。中にはブルマー完全廃止の為に教職員になった人もいるため[要出典]、学校の規則としてブルマーの着用を禁止したところもあり、ひどい場合は規則違反として処罰を与える学校もいくつかある。
ただし、前述のようにオーバーパンツ(見せパン及び保温性の高さ)としてもブルマーは重宝されており、重ねばき用オーバーパンツとしての用途で現在でも生産され、利用されている。
性的フェティシズムの対象として
前述の経緯から現実の校庭からはほぼ完全に消え失せたブルマーだが、それが却ってフィクションにおける地位を高めることになり、萌え属性の一つとして定着している[6]ほか、「ロリコン&フェチの王道」とまで言われるほどの確固たる地位を占めるようになっている[7]。ブルマーによってくっきりと見える臀部のラインや露出された太腿などが人気の背景にある。
学園物の成年コミックやアダルトゲーム、場合によっては全年齢対象の作品[8]においても、キャラクターにブルマーを着用させているケースが見られ、ブルマーに対するフェティシズムを前面に押し出した「ブルマー物」と呼ばれる作品ジャンルも存在する。
現在もコスチュームショップやブルセラショップ、体操着を取り扱っているオンラインショップでは購入可能であり、日本におけるブルセラショップで取り扱われるフェティシズム対象物として制服と並べて取り上げられる代表格に挙げられるものである[9]。また、収集するマニア(自らが穿く事も兼ねて収集する者もいる)がいるほか、コスプレ物AVやイメクラにおいても散見される。ただし、ネット販売でブルマー扱っていた業者でも、ブルマーの販売を打ち切ったところがある。
メーカー・ブランド
脚注
- ^ 「光GENJIスーパー・ストーリー(1)ベジタブル・ジュースに乾杯! ヒーロー達の夢伝説」のヒーローたちのメモリアルアルバムにて掲載された。「近所のお祭りに行くとこ。ブルマーはいてまるで女の子!」というキャプションがつけられていた。
- ^ Allen Guttmann and Lee Thompson, Japanese Sports: a History, University of Hawaii Press, 2001, pp. 93ff. ISBN 0824824148.
- ^ 興水はる海、外山友子、萩原美代子「女子の運動服の変遷: 東京女子高等師範学校に関して」『日本体育学会大会号』No. 30, p. 116, 1979.
- ^ バストと初経のヒミツの関係
- ^ “なぜブルマーなの 乙女心を女性市議が代弁 小金井市議会”. 2012年4月29日閲覧。
- ^ 『萌え大全〈Vol.2〉すぽーつうぇあ大全』すぽーつうぇあ大全制作委員会、秀和システム、2009年4月、p.82頁。ISBN 978-4798022277。
- ^ 『コスプレ娘の服の下』コスプレ脱衣図鑑制作委員会、イーグルパブリシング、2009年11月14日、p.10頁。ISBN 978-4861461699。
- ^ 作品によっては遠近法を使ってブルマーを着用したキャラクターを小さく描いたり、上半身のアップを描くなどして、なるべくブルマーが見える描写を少なくするよう配慮がなされているものも存在する。
- ^ Ryang, Sonia (2006-10-18). Love in modern Japan: its estrangement from self, sex, and society. pp. p.99. ISBN 978-0415770057
関連項目
関連書籍
- 中嶋聡『ブルマーはなぜ消えたのか - セクハラと心の傷の文化を問う』春風社、2007年 ISBN 4861101034