ハレンチ学園

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ハレンチ学園』(ハレンチがくえん)は、永井豪による日本ギャグ漫画作品、及びこの作品を原作とするテレビドラマ映画1968年11号から1972年41号まで『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載された。

概要[編集]

当時の少年漫画としては過激な表現で物議を醸し社会現象になった、永井豪の出世作であり代表作の一つである。便宜上、内容によって大きく3部に分けられる。

第1部連載中期の1969年(昭和44年)14(7/24)号にて「モーレツごっこ」を登場させ、スカートめくり流行の一因となった。

1970年1月8日と9日、『朝日新聞』『毎日新聞』が『ハレンチ学園』を紹介したことで、多くの大人の知ることになり、本作を巡る騒ぎが拡大したものと見られる。なお、『朝日新聞』は永井本人や擁護派の意見も載せており、『毎日新聞』も紹介程度の内容であり、本作を一方的に非難するという記事ではない[1]

主に問題とされたのは2点、性描写と教師批判である[2]

1970年1月に三重県四日市市の中学校長会が問題視し、四日市市少年センターが三重県議会に有害図書指定を働きかけるが実現には至らなかった[3]。同年には福岡県でも問題になった[4]。『少年ジャンプ』編集部へも、各地のPTA教育委員会から多数の苦情が寄せられた[5]

PTA等からの激しい批判の標的となり、永井個人の人格攻撃にまで発展した。ただ永井本人としては、学生時代に先生が女子生徒の体を触り、その場は先生特有の冗談も含んだ一過性の性的行為と思ったが、後で隠れて泣いている女子生徒を目の当たりにし、その目撃談を元にデフォルメしてマンガにしたという行為であって、糾弾にまで至った事に困惑していた。

一方、批判ばかりでなく擁護の声もあり、『週刊少年ジャンプ』で活躍していた教育評論家の阿部進はその筆頭であった。阿部は会合に出かけて議論するとともに、テレビにも出演してかばった。『毎日新聞』は1970年1月19日の社説で規制に疑問を呈し、2月6日の記事でも子供の精神発達の阻害になる可能性は少ないとの記事を掲載した。『少年ジャンプ』編集部には読者から多数の応援の手紙と電話が寄せられたという。警視庁少年防犯関係者は、「大したことはない」と問題視していなかった[1][3][5][6]

後年の永井は、当時の糾弾者達は、ハレンチ描写よりも、余りに理想の教師像からかけ離れた教師達の描写を問題視したのではないかという推測を述べている。評論家の石子順造や編集部員だった西村繁男も同様に、教師という権威をからかったのが怒りを買ったのだと見ている[6][7]

これを逆手に取り、1970年に連載されていた第1部後半では「ハレンチ大戦争」と題するハレンチ学園と「大日本教育センター」の教育関係者たちとの戦争に突入した。この批判派(=既存権力側)対漫画(=若者・子供)の構図は、敵も味方もなくただ倒れていくのみという激しい展開を生む。永井は、当時の教育制度に対しての痛烈な皮肉と、戦争を生むのは醜い人間の欲望と偏った思想であるとの思いを込め、この戦争描写を展開させた[8]

一方、ギャグ漫画としては、神である作者に死の不条理を拒否し異議を申し立てるというメタフィクション的なギャグまで生み出した。

また、週刊少年ジャンプの後継連載作品である『マジンガーZ』主人公・兜甲児のキャラクターは、山岸八十八の深く考えず状況に順応して行動するという性格設定を継承している。

1970年には日活で映画化された。他にも数社から映画化の話が持ち込まれたが、日活を見込んで永井本人が選択したが、その出来には落胆したと語っている。読者からもイメージが違うとのクレームが永井に寄せられた[9]

同年には、日活板の監督だった丹野雄二が東京12チャンネル:現テレビ東京に企画を持ち込んでテレビドラマ化された。こちらの主演の児島美ゆきは好評を得たと永井は述べている[9]。「大戦争」と同時期の作品だけに原作とした話は比較的おとなしい連載初期が元になっていたため、当時としては挑発的なハレンチ描写こそあれど、物語の構造自体はあくまで学園内の大人と子供の戦い程度の図式にとどまり、原作のような過激な展開は見せていない。

2010年より『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)で連載されている永井豪の自伝的漫画『激マン!』において、主人公である「ながい激」は『ハレンチ学園』の連載を終了することになったのは、第1部で主要キャラクターの多くが死んでしまったことやストーリーが迷走し始めたこと、そして当時連載の始まった『デビルマン』の執筆で異常なまでに体力を消耗するので連載を減らしたいと思ったことなどが理由であると語っている。しかし、実際には『ハレンチ学園』最終回の翌週から『少年ジャンプ』で『マジンガーZ』の連載が開始されたため、連載作品を減らすことはできなかった。

連載時期[編集]

単行本[編集]

主な登場人物[編集]

( )内が本名

親分(山岸八十八)
暴れん坊だが純情な主人公。肉屋の息子。第1部最終回で敵に突撃して生死不明となるが、第2部では生きていたことになった。
十兵衛(柳生みつ子)
柳生忍者一族の末裔の美少女。本作のヒロインで、第1部最終回では山岸とともに突撃して生死不明となるが、同じく生きていたことになった。
イキドマリ(袋小路)
山岸の子分。ハレンチ戦争の際、過酷な状況に耐えられず砲弾病となり自殺のような形で死ぬ。
ヒゲゴジラ(吉永さゆり)
学園の教師。口の周りにひげを生やし、虎の毛皮を着て、原始人のような風貌をしている。喋り方はいわゆるオネエ言葉。永井豪の初連載作品「ちびっこ怪獣ヤダモン」の登場人物をハレンチ学園に流用した。使用武器は棍棒。第1部最終回で、屍の山の中ただ一人重傷を負いつつ生き延びようとあがく。第2部では生きのびていたことになった。名前の由来はあだ名は「ヒゲゴジラ」で、本名は女優の吉永小百合
丸ゴシ(荒木又五郎)
極貧の学園の教師。褌に「お買い物は丸ゴシへ」と広告を入れて家計の足しにしている(ネーミングのもとは永井の出身地石川県の老舗、丸越百貨店)。第1部最終回で槍を片手に突撃、敵もろとも爆死したように見えたが、のちに3部で生存が確認される。
アユちゃん
みつ子と並ぶ学園一の美少女。なにかと脱がされる。永井は第1部最終回での彼女の死でもう作品が後戻りできなくなったことを自覚したという。
パラソル
学園の教師。スカートが開いたパラソルの形で手には閉じたパラソルを持つ。第1部最終回で死亡。
マカロニ
学園の教師。第1部最終回で死亡。
亜振
頭に髑髏をのせ、鼻の下にホネを付けた人食い人種のような格好をしている。学園の教師。ヒゲゴジラ、丸ゴシとは、一緒にハイキングに行くなど行動を共にすることが多い。第1部最終回で死亡。
スパゲッティ・ジェーン
学園の女教師。マカロニの恋人。
ねんねこ
学園の教師。第3部の教師。
美蔵
学園の女教師。美貌の二刀流使い。第3部から最終回のラスボス。ナミダちゃんの服を斬る。
オッピャイ
学園の教師。美蔵の実兄。ピンクの長靴と手袋のみで乳丸出し全裸女のようなスタイル。股間も作り物乳房で男性器を隠している。
ナンジャモンジャ
学園の教師。第3部の教師。体育教師。
ナミダ
新ヒロイン。美蔵に水着を斬られ裸にされる。
校長
精神病院にいて登場はあまりしなかったが実はまともな人物。精神病を完治し復帰した時、運悪くハレンチ戦争が起こっており、あまりの状況に狂い再度、精神病院に送られた。

TVドラマ[編集]

パチンコ台[編集]

1999年に三星(現:サンセイR&D)からリリース。

小説[編集]

コバルト文庫より全3巻。1983年~1984年発行。表紙イラストや挿絵は永井豪が描き下ろしている。

映画[編集]

  • 青春喜劇 ハレンチ学園(1970年・日活
  • ハレンチ学園 身体検査の巻(1970年・ダイニチ映配)
  • ハレンチ学園 タックルキッスの巻(1970年・ダイニチ映配)
  • 新・ハレンチ学園(1971年・ダイニチ映配)

脚注[編集]

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  1. ^ a b 竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年、p.99。
  2. ^ 竹内オサム「マンガの差別・発禁・規制の事件史」『誌外戦』コミック表現の自由を守る会編、創出版、1993年、p.122。
  3. ^ a b 中村紀、大久保太郎「漫画の事件簿 漫画と社会、激闘の歴史50年」『まんが秘宝 つっぱりアナーキー王』洋泉社、1997年、pp.194-196。
  4. ^ 竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年、p.132。
  5. ^ a b 西村繁男『さらばわが青春の『少年ジャンプ』飛鳥新社、1994年、p.155
  6. ^ a b 西村繁男『まんが編集術』白夜書房、1999年、p.100
  7. ^ 石子順造『戦後マンガ史ノート』紀伊國屋書店、1980年、p.154
  8. ^ 『永井豪クロニクル』ゼスト、1998年、p.56。
  9. ^ a b 永井豪『漫画家』実業之日本社、1992年、p.149-150。
  10. ^ 『いきなり最終回 PART2』(JICC出版局ISBN 4-7966-0134-1)インタビューより。