コリン・パウエル
コリン・パウエル Colin Powell | |
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生年月日 | 1937年4月5日(87歳) |
出生地 | アメリカ合衆国、ニューヨーク |
出身校 |
ニューヨーク市立大学シティカレッジ ジョージ・ワシントン大学大学院 |
所属政党 | 共和党 |
称号 | 経営学修士 |
サイン | |
第65代 国務長官 | |
在任期間 | 2001年1月20日 - 2005年1月26日 |
大統領 | ジョージ・W・ブッシュ |
第12代 統合参謀本部議長 | |
在任期間 | 1989年10月1日 - 1993年9月30日 |
大統領 |
ビル・クリントン ジョージ・W・ブッシュ |
第16代 国家安全保障問題担当 大統領補佐官 | |
在任期間 | 1987年11月23日 - 1989年1月20日 |
元首 | ロナルド・レーガン |
その他の職歴 | |
アメリカ合衆国陸軍 最終階級大将 (1958 - 1993) |
コリン・ルーサー・パウエル(Colin Luther Powell, 1937年4月5日 - )は、アメリカ合衆国の政治家、元軍人(退役陸軍大将)。ニューヨーク市サウス・ブロンクス地区出身。在米ジャマイカ人2世。学位は経営学修士。称号はイェシーヴァー大学名誉博士。
軍人としての最終階級は陸軍大将。政治家としての最高位はブッシュ政権第1期目の国務長官。軍人として輝いた栄誉には国防総省最高殊勲章、陸軍最高殊勲章、国防省第1等殊勲章、青銅章、多数の名誉負傷章、軍人殊勲章、勇猛戦士章、国防長官賞などがある。また、市民としては2度の大統領自由勲章、大統領国民栄誉賞、連邦議会栄誉賞、国務長官栄誉賞などがある。また、イギリス女王からバス勲章ナイト・コマンダー(KCB)に叙されている。
来歴
ニューヨーク市立大学シティカレッジで地学を専攻する傍ら、予備役将校訓練課程(ROTC)を受講した。1958年、ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒業。2度のベトナム出征を経て、1971年にはジョージ・ワシントン大学大学院経営学修士課程修了(ベトナムでの従軍は、1962-63、1968-69)。
大学卒業後にアメリカ陸軍に入隊。1958年、陸軍少尉に任官。ドイツ勤務を経てベトナム戦争に従軍し、2度負傷した。ニクソン政権時代には「ホワイトハウス・フェロー」に選ばれた。レーガン政権では国家安全保障担当大統領補佐官(1987年 - 1989年)を務め、ジョージ・H・W・ブッシュ政権では、アメリカ軍のトップである統合参謀本部議長(1989年 - 1993年)として、パナマ侵攻や湾岸戦争に従事。
1992年の大統領選挙では、支持率低迷にあえぐ共和党現職のブッシュ大統領が副大統領候補として指名を模索したが、結局断念している。[要出典]
バラク・オバマが大統領になった時は「アフリカ系アメリカ人の歴史を考えれば、非常に感動した」と涙を目に浮かべた[1]。
国務長官職
1993年に退役後、自伝「マイ・アメリカン・ジャーニー」を出版した。1996年の大統領選挙に向けての世論調査では幅広い層からの圧倒的な支持を示し、もし出馬したなら当選は確実とも言われたが[独自研究?]、「黒人が大統領になったら暗殺される」とする妻の反対もあり出馬しなかった。
2000年の大統領選挙ではジョージ・ウォーカー・ブッシュ陣営の外交問題アドバイザーを務めた。ブッシュの当選後、アフリカ系アメリカ人初の国務長官に任命された(上院では全会一致で承認)。同政権では、息子のマイク・パウエルが1997年11月から2005年1月までの間連邦通信委員会 (FCC) 委員長を務めた。国務副長官に任命されたレーガン政権からの盟友リチャード・アーミテージと共にブッシュ政権での穏健派を形成していた。2004年11月に国務長官辞任の意思を表明し、2005年に職を辞した。中道派で対国連協調路線であったため、有志連合指向の右派が主導する政権内での孤立が原因と考えられている。
国務長官在任時、国際連合安全保障理事会で「イラクが大量破壊兵器を開発している証拠」を列挙した[2]。しかしCBSの60 Minutesなどによると、イラクからドイツに出国した男性エージェント、コードネーム「癖玉」が永住権を得るためにドイツの情報機関に話した虚偽の話(例:生物兵器製造中に事故で12名が死亡した)をCIAが事実と誤認したものだった。長官退任後にパウエルはこの発言を間違いだったと認め[3]、「人生最大の恥」とまで述べている[要出典]。イラク戦争そのものについても、開戦賛成のブッシュ大統領、ディック・チェイニー副大統領に対し、パウエルは最後まで反対だったとされている。[要出典]
政治的立場
共和党員だがリベラルや中道にも理解を示すことがある。人工妊娠中絶や積極的差別是正措置を容認[4]、合理的範囲の銃規制にも賛成している。著書「マイ・アメリカン・ジャーニー A case of the munchies」によると、ベトナム戦争の経験から軍隊の抑制的使用という意見を持つようになった。ただし、軍事力の行使は、やるからには国際的協調を得た上で圧倒的な規模で行うべきという意見である。
2004年、イギリスのジャック・ストロー外相との電話会談でネオコンのことを「狂った連中(fucking crazies)」と述べた[5]。2004年の共和党大会を欠席するなど、共和党内で台頭するネオコンと距離を置いているとされる。そのため反対派からは「ロックフェラー・リパブリカン」というレッテルを貼られることがある。
2008年アメリカ大統領選挙では、当初は静観していたが、一般投票2週間前の10月19日に、NBCの「ミート・ザ・プレス」に出演し、民主党候補バラク・オバマへの支持を表明した。声明では共和党候補のジョン・マケインへの不支持は容易な決断ではなかったとし、マケイン陣営のネガティブ・キャンペーンが行き過ぎであり、金融危機への対処能力においてオバマがマケインを上回ると述べた[6][7]。またマケインが経験の浅いサラ・ペイリンを副大統領候補に据えたことを無責任であるとした[8]。また、オバマがムスリム(イスラム教徒)の家系であり、オバマ自身もそうだと強調したことについては、「共和党の中にはオバマ議員がムスリムではないかと問う者がいる。正しい答えはノーであり、彼はずっとキリスト教徒である。だが、もっと正しい答えは、『もし彼がそう(ムスリム)だったとして、それがなんだというのか?』というものだ。この国ではムスリムであることがいけないのか。もちろんノーだ、米国ではそんなことは問題ではない。7歳のムスリムの米国人たる子供が将来大統領になろうと思ったとして、一体どこに問題があるのか。」と言った。
一連のパウエル発言に、共和党内の右派は反発を示し、パウエルを「裏切り者」と一斉に批判。ディック・チェイニー元副大統領は、NBCテレビの番組収録でパウエルに離党を迫ったが、本人は同テレビの番組で一連の発言を撤回せず、逆にチェイニーを批判した。
2012年アメリカ合衆国大統領選挙では、10月25日、CBSテレビのインタビューで、再選を目指すオバマの支持を表明した[9]。政界引退後はブルームエナジーの社外取締役を務めている[10][11]。
著書
- My American Journey, with Joseph E. Persico, (Random House, 1995). ISBN 0-67-943296-5
- 同・ペーパーバック版(Ballantine Books,2003) ISBN 0-34-546641-1
- 鈴木主税訳『マイ・アメリカン・ジャーニー コリン・パウエル自伝』角川書店, 1995年 ISBN 4-04-791236-0
- 同・文庫版(少年・軍人時代編)角川書店、2001年 ISBN 4-04-287401-0
- 同・文庫版(ワシントン時代編)角川書店, 2001年 ISBN 4-04-287402-9
- 同・文庫版(統合参謀本部議長時代編)角川書店, 2001年 ISBN 4-04-287403-7
- It Worked For Me, with Tony Koltz, (Haper Collins, 2012). ISBN 978-0062135124
- 井口耕二訳『リーダーを目指す人の心得』飛鳥新社, 2012年 ISBN 4-86-410193-0
脚注
- ^ “オバマ大統領誕生に黒人の名士たちは涙”. 日刊スポーツ. (2008年11月6日) 2014年6月22日閲覧。
- ^ “Transcript of Powell's U.N. presentation” (英語). CNN. (2003年2月6日) 2014年6月22日閲覧。
- ^ “Powell admits Iraq evidence mistake” (英語). BBC. (2004年4月3日) 2014年6月22日閲覧。
- ^ Barbara Frankel (2000年8月1日). “Colin Powell Lauds Bush, Rebukes GOP on Affirmative Action” (英語). AAD project. 2011年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月22日閲覧。
- ^ Martin Bright (2014年6月22日). “Colin Powell in four-letter neo-con 'crazies' row” (英語). The Guardian 2014年6月22日閲覧。
- ^ “Colin Powell endorses Obama” (英語). CNN. (2008年10月20日) 2014年6月22日閲覧。
- ^ “Colin Powell backs Barack Obama” (英語). BBC. (2008年10月19日) 2014年6月22日閲覧。
- ^ Alex Johnson (2008年10月19日). “Powell endorses Obama for president” (英語). MSNBC 2014年6月22日閲覧。
- ^ 久留信一 (2012年10月27日). “パウエル氏がオバマ支持表明 党を超え再び”. 東京新聞 (はてな). オリジナルの2012年10月27日時点におけるアーカイブ。 20102-10-29閲覧。
- ^ “Board of Directors” (英語). Bloom energy. 2014年6月22日閲覧。
- ^ "「Bloomエナジーサーバー」国内初号機を福岡M-TOWERで運転開始" (Press release). SoftBank. 25 November 2013. 2014年6月22日閲覧。
関連項目
司法職 | ||
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先代 フランク・カールッチ |
アメリカ合衆国国家安全保障問題担当 大統領補佐官 第16代:1987 – 1989 |
次代 ブレント・スコウクロフト |
公職 | ||
先代 マデレーン・オルブライト |
アメリカ合衆国国務長官 政権: ジョージ・W・ブッシュ 2001年1月20日 - 2005年1月26日 |
次代 コンドリーザ・ライス |
軍職 | ||
先代 ウィリアム・J・クロウ (en) |
アメリカ合衆国統合参謀本部議長 第12代:1989 – 1993 |
次代 デヴィッド・E・ジェレマイア (en) |
受賞 | ||
先代 ミハイル・ゴルバチョフ |
ロナルド・レーガン自由賞 1993 |
次代 イツハク・ラビン |