Made in Japan

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Made in Japanの置時計
山田訓氏所蔵「MADE IN JAPANの置時計 1960年代を中心に」展より

Made in Japanメイド・イン・ジャパン日本製)とは、日本で製造された製品であることを示す表記である。

概要

日本は第二次大戦後の復興と高度経済成長の中、1960年代からの数十年は「世界の工場」と呼ばれる程に製造業が躍進した[要出典]。しかし、経済成長の過渡期であった為[要出典]、当時の日本製品は必ずしも良質とは言えぬ場合も少なからずあり[要出典]、海外での評判も現在ほど良い物ではなかった(ただ上の場合が起因している訳ではないのでは?という意見もある)[1][2]1990年代には、東西冷戦の終結による企業のグローバル化や、バブル経済の崩壊による円高から、国内外の各企業はより人件費の安い中華人民共和国タイ王国へ生産拠点の移転を進めた。

この頃から日本の製造業は本格的に空洞化が始まり、各地で貸工場や廃工場が目立ち出す。後者では商業施設宅地への転用もされ出したが、今後の世界競争力を維持する事も欠かす事は出来ない。そこで、製造業各社は従来以上に「品質」を重視した製品開発に転換し、国全体で見ても発展の進んだ「経済先進国」として前述した新興国で製造された廉価製品と差別化を図る事になる。上記の様な経緯と、日本の経済水準自体が向上した事から、総合的に高品質化した日本製品の価値は次第に高くなり、21世紀現在では世界に通用する高評価を得られる様になった。

Assembled in Japan

パーソナルコンピューターを始めとする製品群には、主要な構成部品を世界製造し、筐体への組立てや製品検査のみを日本で行う事例がある。

この場合、「Made in Japan」と表記することはできず、代わりに「Manufactured in Thailand, Assembled in Japan」(タイ王国で製造、日本で組立ての場合)のように表記するか、主要構成部品の製造国のみを記す。

Made in Occupied Japan

MADE IN OCCUPIED JAPANと表示されたヘンミ計算尺

戦後占領期の日本では、1947年(昭和22年)2月の連合国軍最高司令官指令として、輸出向け製品に Made in Occupied Japan (占領下日本製)と表示することが義務付けられた。1949年(昭和24年)12月には連合国軍最高司令官指令として"Made in Japan"や"Japan"表示も認められ、義務ではなくなった。これらは"Made in Japan"から想起される品質であるとは限らないが、コレクターの間では「Occupied Japanもの」「MIOJもの」などと呼ばれ、特別な価値を持って取引されている。北米では人気が高い。陶磁器や玩具がよく知られているが、カメラ双眼鏡のような光学機器、計算尺のような製品もある。

同様に、枢軸国側のドイツでも連合軍軍政期(1945年 - 1955年)において Made in U.S.Zone Germany (合衆国統治地域のドイツ製)などと表示された。

日本製ブランドの復活

前述した様に、日本では製造工場を世界へ移転させているものの、2007年以降になると中国製品の安全性が問われ始め、日本製品の品質が注目され出した。

大手ファッションブランドなどは諸外国から日本へ工場を移したり、技術や知的財産情報漏洩を危惧した日系企業が、世界から工場を撤退させ、シャープ亀山工場の様に、日本を中心とした生産拠点を持つ場合も多くなっている。

2000年代以降は中国の賃金が上昇しコスト的な有意差が少なくなったこともあり、1000円台の腕時計であっても定番商品であれば、工場の自動化により中国生産と同等のコストで製造が可能となっている[3]

宝飾品メーカーなどでは海外への生産拠点移行後も高額なモデルの製造を国内で続けており、高級腕時計ではザ・シチズングランドセイコーなど国内生産をブランド化しているシリーズもある。またMINASEノットのように日本製を強調して新規参入するメーカーもある[4]

吉田カバンのように一貫して国内生産を続けることでブランドイメージを保つ例もある。

日本製を強調している主な企業

各媒体にて「日本製」や「国内製造」を強調した企業や製品群もある。

企業名 製品名
KATO Nゲージ製品
グリーンマックス Nゲージ製品
タビオ 靴下
富士通 FMVの一部製品
パナソニック Let'snoteの一部製品
バンダイ ガンプラポケプラ
ユーレックス オイルヒーター
JINS メガネフレームの一部製品
ファイントラック アウトドア用品
コンバース スニーカーの一部製品
吉田カバン

外国の観光客による購入

東京秋葉原新宿渋谷池袋有楽町大阪日本橋難波心斎橋梅田などに来訪する中国人にとって日本製品の人気は高く、おみやげ転売の目的から高価格帯の製品を多数買い求める例も多い。

批評

  • 2011年3月11日に発生した東日本大震災に端を発する東京電力の福島第一原子力発電所事故によって、海外の取引先から輸出前の放射性物質付着検査や、それに関する証明書の発行を求める声が多数あるとの報道が各メディアでなされた。
  • 映画バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3の劇中、1955年のドクが「安物を使うからだ。見ろ、Made in Japanと書いてある。」と言ったのに対し、マーティが「なに言ってんのドク。最高のものはみんな日本製だよ。」と返し、「(敗戦国の日本とは)信じられん。」とドクが驚くというシーンがある[5]

Used in Japan

日本で使用されていた中古品Made in Japan とは限らない。それでも世界では、日本市場で日本人に売買され、使われていたものは『高品質』と思われていて、人気だという。特に中古車に関しては車検制度の存在、「10年10万キロは廃車」と間々言われるような走行距離の短さと買い替えサイクルの早さといった背景から来る「高品質・低価格」という現状から活発に貿易の対象となっている。

脚注

  1. ^ ソニー盛田昭夫は「戦前から、日本製の高級品は外国ではほとんど知られていなかった。それどころか、日本製のレッテルをつけた商品は(一般には)品質が悪いというイメージが定着していた」と述べている。(盛田昭夫『MADE IN JAPAN―わが体験的国際戦略』、朝日新聞社、1987年)
  2. ^ 宇垣一成は昭和21年に昭和11年を回想して「(陸軍の動きに対し)これはどうも大変な事だ。その当時の日本の勢というものは産業も着々と興り、貿易では世界を圧倒する。南洋、豪州、インドは無論のこと、南米からアフリカまでどんどん行って、英国をはじめ合衆国ですら悲鳴をあげている。日本が安い品物をどんどん造って押し出してくる、日本品とは競争が出来ぬ、ということになって来かけておる時である。この調子を五年か八年続けていったならば、日本は名実ともに世界一等国になれる。……だから今下手に戦などを始めてはいかぬ。……」と述べている。(『宇垣一成日記』第3巻)、以上は坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』からの孫引き。
  3. ^ カシオ、ロングセラー腕時計の組み立て自動化 人気の「日本製」を低コストに - 産経ニュース
  4. ^ この冬買いたいMade in JAPANウォッチ。いま注目のメイド・イン・ジャパン 2ブランド(&GP)
  5. ^ 1955年から見れば日本の戦後の独立回復はわずか3年半前の1952年であり、本格的な工業製品の輸出はかなわなかった1955年の日本と、貿易摩擦問題に発展するまでの品質の進化を遂げた(マーティの憧れの車はトヨタのピックアップトラックである)1985年当時の日本製品との対比が描写されている。

関連項目

外部リンク