ACコブラ

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ACコブラのエンブレム

ACコブラAC Cobra 、エーシーコブラ)は1960年代を中心に製造されたイギリス及びアメリカ合衆国スポーツカーである。

歴史[編集]

ACコブラ MK I
MK I
1961-ac-001.jpg
販売期間 1962年1963年
乗車定員 2
ボディタイプ ロードスター
エンジン 4.7L/V8(フォード・ウィンザー
後継 MK IIコブラ
-自動車のスペック表-
ACコブラ MK II
販売期間 1963年1965年
乗車定員 2
ボディタイプ ロードスター
エンジン 4.7L/V8(フォード・ウィンザー
先代 MK Iコブラ
後継 MK IIIコブラ
-自動車のスペック表-
ACコブラ MK III
MK III
'66 427 SC Cobra (Byward Auto Classic).jpg
AC Shelby Cobra
AC Shelby Cobra (Auto classique).JPG
販売期間 1965年1967年
乗車定員 2
ボディタイプ ロードスター
エンジン 7.0L/V8(フォードFE
全長 4.445m
全幅 1.702m
全高 1.295m
ホイールベース 2.438m
車両重量 1044kg
先代 MK IIコブラ
-自動車のスペック表-

構想・開発[編集]

1950年代までACカーズは他の多くのイギリス中小自動車メーカーと同様、ブリストル自動車製の直列6気筒エンジンをAC Aceなどに、その小規模な生産の中で取り入れていた。これらは製のフレームにイングリッシュ・ホイールで作成されたアルミニウムのボディをまとったハンドメイド、エンジンは第二次世界大戦前に設計されたBMW製のものであった。

1961年、ブリストル自動車はエンジンの生産を中止。そしてクライスラー製の313 in³(5.1 L)V8エンジンの採用を決めた。この事態を受けてAC自動車は経営難に陥った。その後、AC自動車はフォード・モーターZephyr(ゼファー)の2.6 L 直6エンジンを採用。同年9月、アメリカレーサーキャロル・シェルビーはV8エンジンを搭載した車の製作を同社に提案。シェルビー自身がエンジンを調達することを条件として合意が成立した。シボレーは同社のコルベットの対抗車種に成り得るという懸念からエンジン提供を断ったが、フォードから最新のウィンザーエンジン(260 in³ HiPo (4.2 L)V8)の供給を受けられることになった。

1962年1月、AC自動車のメカニック テムズ・ディットンは221 in³フォードV8エンジンを搭載した試作車シャシナンバーCSX0001を製作。同年2月2日、同試作車の走行テストを終えた後、エンジンとトランスミッションを取り外し、シャシのみをロサンゼルスのシェルビーの下に空輸。彼のチームは8時間足らずでエンジンを取り付け、さっそくロードテストを開始した。

ACカーズ自体もV8新型車を生産ラインに乗せることはフォード2.6 L ゼファーエンジン採用の経験と現行型ACエースのフロントエンドの拡張のみ、という点から比較的容易であった。それよりも重点的な改良が必要だったのは強大な出力に耐えうるリアデフで、旧式のENVユニットに代わり、ソールズベリー4HUユニットを選択、同時にインボードディスクブレーキを一体化し、バネ下重量の軽量化をも図った(ジャガー・Eタイプも同じ形式を採用している。ACエースのリアはドラムブレーキ。)。しかし、量産モデルではコスト削減の目的から、一般的なアウトボードタイプになっている。ACエース2.6から第一号コブラへのフロントエンドの改良は、幅の広いV8エンジンとの干渉を避けるために外側に移動されたステアリングギアボックスのみにとどまった。

MK I・MK II・MK III[編集]

初期型である75 Cobra Mk I(試作車も含む)は260 in³(4.2 L)エンジンを搭載。51 Mk Iモデルにはウィンザー・フォード・エンジンの289 in³(4.7 L)V8が載せられた。1962年末、AC自動車のチーフ・エンジニア アラン・ターナーはフロントエンドのデザインの最終決定を下し、前後共にアッパーが横置きリーフスプリング、ロワがウィッシュボーンの4輪独立サスペンションを引き続き使用しつつ、ラック・アンド・ピニオン式のステアリングギアボックスを流用した。初期型は1963年明けに本格的生産体制に乗ると共に、次期型のMK IIのデザインもスタートした。MK IIのステアリングラックはMGBの流用、ステアリングコラムフォルクスワーゲン・ビートルにも採用されていた新型のものを流用した。528 Mark II Cobra1965年夏より生産された。

1963年、シェルビーはコブラMK IIにフォードFEエンジン(390 in³/6.3 L)を搭載してレースに挑んだものの、ドライバーのケン・マイルズはコントロールすることができず、同車を"The Turd"(クソったれ)と罵った。これを期に、さらなる巨大出力に耐えうる新しいシャシを求めてMK IIIの開発が始まった。

新型のMk IIIはフォードの協力で開発が進められた。フレームの2本のメインチューブ径を3インチから4インチに上げ、前後にコイルスプリングによるダブルウィッシュボーンサスペンションを採用するなど、シャシはモダナイズされた。これに合わせてエクステリアデザインも変更を受け、大きく膨らんだ前後フェンダーと、ラジエーターが覗く大開口のグリルレスインテークのフロントエンドとなった。この結果、2,286 mm のホイールベースは変わらないものの、全幅は175 mmも拡大している。1963年のレースではうまくコントロールすることが出来なかった排気量427 in³(7.0 L)、最高出力425馬力(317 kW)のフォードFE エンジン(Ford FE engine)を搭載し、スタンダードモデルではトップスピードが262 km/h、コンペティションモデルの485馬力(362 kW)エンジンではトップスピードが290 km/h に達した。1964年10月に2台の試作車が未塗装のローリングシャシのみでアメリカに輸送され、エンジンなどはシェルビーのもとで組み上げられ、完成された。

1965年1月1日にMK IIIの生産が始まった。 MK IIIは強い印象を与えるモデルではあったがセールスの面ではあまり振るわず、ACカーズの経営は良い状態とはいえなかった。コスト削減から多くのMK IIIは一般道で使用するニーズに応え、スモールボア・ロングストロークでより低価格のフォード428 in³(7.0 L)エンジンが搭載された(427は107.5 mm x 96.1 mm、428は105.0 mm x 101.1 mm)。コンペティションモデルを含め、1965年から1966年にかけてアメリカのシェルビーの下に約300台のMK IIIが輸出されたとみられる。小ぶりなフェンダーAC289は主にヨーロッパ市場で販売された。不運なことに、Mk IIIのFIAホモロゲーション取得が1965年のレースシーズンに間に合わず、シェルビーチームによる参戦は叶わなかった。しかし市販されたコンペティションモデルは1970年代に入っても数多くのプライベーターを勝利に導き、圧倒的な強さを誇った。31台あった売れ残りのコンペティションモデルは、一般公道向けにデチューンされ、ストリート用のフロントウインドシールドが取り付けられており、S/C(セミ・コンペティション)と呼ばれている。これらは世界で最も希少価値のある自動車として有名で現在では市場で1億5000万円程度の値段が付けられたこともある。

ACカーズの倒産[編集]

ACコブラ427

コブラのレーシングキャリアにおいてはシェルビーが「打倒コルベット(Corvette-Beater)」を掲げた(コブラはコルベットよりも227kg軽い)。「イギリスの公道に速度制限が設けられたのはコブラのせい」と言われるほどで、1964年にはル・マン24時間レースを控えたレーシングドライバー ジャック・シアーズとピーター・ボルトンのテスト走行で、イギリスの幹線高速道路M1モーターウェイにて298 km/h を叩き出している。

レースでは輝かしい成績が残せたものの、ACカーズの事業体としての経営は悪化しており、1967年にはフォードとシェルビーともにイギリスから同社製の自動車輸入を止めるはめになってしまった。ACカーズはそれでもなおフォード289エンジンを積んだコイルスプリングのロードスターであるAC289の生産を続け、1969年末までヨーロッパ市場で販売していた。このモデルは後の1982年にMK IIIをベースとしたフォード製5.0 L V8エンジンにボルグワーナーT5トランスミッションを積んでAutokraft MkIVとして再発売された。

ACカーズはまた、1973年までAC Fruaを発売。同車の販売が落ち込むとともに生産数も当然減り、ついには1970年代後半に倒産した。同社の商標はオートクラフトに譲渡され、彼らはAC289の後継車としてMK IVの生産を行った。その直後シェルビーはACカーズとオートクラフトをロサンゼルス地方裁判所に提訴した。この裁判の結果、コブラの商標権はシェルビーのものとなった。シェルビー自動車は現在もシェルビー・コブラとしてFIA289427S/Cなど様々なヴァリュエーションでラスベガス工場で生産している。2006年にはシェルビー自身が所有していたシェルビー・コブラがアリゾナ州オークションにかけられ、実に280万ポンド(約4億円超)の値段が付けられた。

クーペ仕様[編集]

デイトナ・クーペ(1965年撮影)

ル・マン24時間レースで使用されるサルト・サーキットにおいてのトップスピードの向上を図るため、ACシェルビーMK IIをベースにしたクーペの開発が行われた。その中で最も有名なものはシェルビー・デイトナ・コブラ・クーペで、6台が製作され、フェラーリやポルシェなどのライバルを上回る大きな成功を収めた。

またAC自動車はル・マン・ク-ペ、JWAレーシングチームはウィルメント・コブラ・クーペを同様の手法により製作、実戦にも投入されたが、デイトナのような成功を得ることはなかった。

これらの車両は世界中のコレクターの元に保管されている。

Continuation Cars/後継車[編集]

ACコブラのインテリア

1980年代後半、キャロル・シェルビーと彼を取り巻く企業はシェルビー認可付きオリジナルACボディ及びシェルビー・コブラ・シリーズを(道楽的に)製作するコンセプト"Continuation Cars"(直訳:後継車)を立ち上げた。当初、Continuation Carsが望んだ車種はCSX4000シリーズとして知られる427S/Cモデルであった。これは1960年代、シリアルナンバーCSX3560当たりをめどに生産を中止した427S/Cの復刻が望まれていたことになる。

SCX4000シリーズはシェルビーが個人的に保有していたスペアのパーツを寄せ集め、新品を組み合わせての製作となった。ヴィンテージパーツと化した同モデルの部品の供給は非常に薄かったため、フレームは新品を製作しボディパネルは様々な場所から集められた。CSX4001からCSX4999までの約1000台を製作するのにおよそ20年の歳月を費やし、その中で新たなビジネスも展開していった。

260 Slab Side Street Car Mk I 260-289Mk II 289The FIA Race Cars, The Mk III 427、などの車種はContinuation(後継車)として現在も市場に出回っている。2009年にはCSX4999が完成しシリアルナンバー4000シリーズの終幕を迎え、今後は6000シリーズの製作・販売が進行中である。6000シリーズではコイルオーバー・サスペンションに改良が加えられる予定で、289FIAのリーフ・スプリング付レースモデルはCSX7000、オリジナルのSlab Side リーフ・スプリング・ストリートカーはCSX8000シリーズになる。これらの新型車種は基本的にグラスファイバー製のボーンを使用しているが、稀に顧客のカスタム仕様用としてアルミニウムカーボンファイバーが使用される場合がある。

備考[編集]