1946年のスポーツ

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できごと[編集]

総合競技大会[編集]

アイスホッケー[編集]

アメリカンフットボール[編集]

大相撲[編集]

できごと 

  • 11月場所は、進駐軍に接収されていた旧国技館で開催された。
  • この場所、相撲くじが実施されたが、不評でこの場所限りで廃止された。

ゴルフ[編集]

世界4大大会(男子)[編集]

終戦に伴い、この年からすべてのゴルフ・メジャー大会の開催が再開される。

自転車競技[編集]

ロードレース[編集]

テニス[編集]

グランドスラム[編集]

終戦に伴い、この年からすべてのグランドスラム大会の開催が再開される。

野球[編集]

日本[編集]

プロ野球[編集]

第二次世界大戦が終わった翌年の1946年、日本プロ野球は1944年以来2年ぶりに公式戦を再開したが、兵役についていた選手たちが元の球団に復帰するかどうかで揉め事があった。当時は「元いたチームが敗戦前に解散していれば元のチームに戻る必要はないが、元いたチームが敗戦後も解散せずかつチームから何らかの形で給与を受けていた場合は、敗戦前に所属していたチームに復帰しなければならない」という決まりがあった。しかし東京巨人軍からはヴィクトル・スタルヒン白石敏男が、阪神からも藤井勇が、球団の許可なくパシフィックへ入団してしまった。これによりパシフィックは連盟から問題が解決するまで3選手の出場を禁止するように言い渡されたが、藤本定義監督は3選手を5月下旬に行われた4試合に出場させてしまった。このことで巨人と阪神はパシフィックを提訴した。提訴が受け入れられ、3選手が出場した4試合は全て0-9でパシフィックの敗戦となったが、パシフィックの実際の勝敗は1勝3敗であった。その1勝はこの年巨人と優勝争いをしていたグレートリングから上げたものだったため、ライバルに1勝をプレゼントしてしまう結果となった。最終的に1ゲーム差でグレートリングが優勝し、同率でプレーオフとなるはずが提訴をしたために巨人は優勝を逃した。

中学野球[編集]

アメリカ大リーグ[編集]

誕生[編集]

死去[編集]