野呂一生

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野呂一生
基本情報
出生 1957年1月1日(57歳)
出身地 日本の旗 日本, 東京都
血液型 A型
ジャンル フュージョン
職業 ギタリスト, 作曲家, 編曲家
担当楽器 エレクトリックギター
エレクトリック・アコースティックギター
活動期間 1977年 -
1977年 - 2006年 , 2012年 - (カシオペア)
2008年 - (ISSEI NORO INSPIRITS)
レーベル ハッツアンリミテッド
事務所 カシオペアインターナショナル
共同作業者 カシオペア
ISSEI NORO INSPIRITS
公式サイト ISSEI NORO OFFICIAL WEB
著名使用楽器
YAMAHA SG-I
YAMAHA IN-1
YAMAHA SG-MELLOW

ジミー・ペイジジョー・パス

野呂 一生(のろ いっせい、1957年1月1日 - )は、日本を代表するフュージョンバンド、カシオペア(2012年よりCASIOPEA 3rdの名義で活動)のギタリスト兼リーダー。

人物[編集]

東京都目黒区出身。趣味は料理手品血液型A型。1月1日に生まれたので“一生”と名付けられる。小学生時代に趣味の工作キットで作り上げたガットギターを「飾って置いているだけじゃなくせっかくなので弾いてみよう」ということになったのがギターとの出会いだった。中学生になって本格的にフォークギターから弾き始め、すぐにエレキギターに転向していった。

1977年にカシオペアを結成し、1979年にメジャーデビュー。結成以来、リーダーとしてバンドを牽引し、大半の曲も作曲している中心人物である。2012年にCASIOPEA 3rdとして活動再開させたカシオペアの他に、ソロ・プロジェクトのISSEI NORO INSPIRITS、同年齢の天野清継とのアコースティック・ギターのデュオであるお気楽ギグも併行して活動中。また、一ギタリストとして様々なレコーディング&ライブ・セッションにも意欲的に参加している。

1982年、カシオペアは本格的な海外活動を開始していくその前に、当時所属のレコード会社、アルファレコードの計らいで、メンバーがバラバラで世界の好きなところに一人旅に出掛けて海外渡航経験を積むことになり、野呂はインドを選んだ。滞在中、日本人特有の実年齢よりも若く見られる顔を隠すために、現地人男性のように口ひげとあごひげを生やす。そのままの姿で帰国し、以来それが野呂のトレードマークとなった。1988年から1996年までの一時期は剃っていたが、1997年から再び口ひげとあごひげを生やしている。

来歴[編集]

アマチュア時代・1970年代前半[編集]

中学生の時に友達が学校に持ってきて弾いたフォークギターの格好良さに憧れ、自らも始める。この多感な時期、様々な音楽を聴き、弾いていくうちに、フォークギターからすぐにエレキギターに転向していく。そして、中学三年生のときに観に行ったグランド・ファンク・レイルロードの来日公演が自身の中で一大センセーションとなり、東京都立玉川高等学校在学中はハードロックに傾倒して、リアルタイムで活動していたレッド・ツェッペリンジミー・ペイジ)やジェフ・ベック・グループのコピー演奏に没頭するようになった。学校以外の演奏活動の場として、後にプリズムを結成する和田アキラ久米大作ら同年代の者たちも居た都内のロック演奏のコミュニティにも所属。そこで野呂が高校三年生の時に高校二年生であった櫻井哲夫と出会って意気投合し、ベック・ボガート & アピスを目標として都内の練習スタジオでセッションしだすようになる。これが後に結成するカシオペアの始まりとなる。この頃、ジャズにも音楽的興味を持ちだし、ジャズ喫茶に通い出した他、ジャズギターの名手、ジョー・パス著の理論書「ジョー・パス・ギター・スタイル」と渡辺貞夫著の理論書「ジャズスタディ」を購入。独自で徹底解析して理論を身に付けていく。それらを元にして作った曲で、後にカシオペアの初期アルバムにも収録される曲を次々と櫻井に披露し、櫻井は野呂の才能にいっそう惚れ込むようになった。

カシオペアを結成してプロデビュー・1970年代後半[編集]

野呂は高校卒業後、明星大学に進学。すぐにその大学の軽音楽同好会のメンバーで構成されたセミプロのロックバンドのファンシーハウスに加入する。しかし、大学のほうはほとんど教室に通うことなくバンド活動やギターの練習に明け暮れていたために一年で中退し、以後は大学に行っている時間の代わりとして将来に向けての音楽活動の修行に費やすことにした。この間、ファンシーハウスの次に中山ラビのバックバンドにも参加するが、どちらも短期で離脱して、自作曲を元にした櫻井とのバンド活動にシフトが置かれるようになる。ボーカルを従える時期などもあったが、野呂と櫻井以外は常にメンバーは流動的で、次第にハードロックやファンクをベースとして、そこにジャズのエッセンスを加えたインスト音楽にバンドの方向性は持って行かれた。

バンドの名称をカシオペアと改めた後、櫻井の提案で1976年に日本楽器製造(ヤマハ)東京支店主催のアマチュア・バンド・コンテスト「EastWest '76」に出場。決勝大会まで進出して、ベストギタリスト賞を受賞したことで広くカシオペアと野呂一生の名が知られるようになる。翌1977年、バンドに向谷実を加えて同コンテスト(「EastWest '77」)に再出場。二年連続のベストギタリスト賞と優秀グループ賞を受賞する。これを足がかりにカシオペアはプロデビュー目指して都内近郊でライブ活動開始。また、野呂は「EastWest '77」の審査員でカシオペアを絶賛したベーシストの鳴瀬喜博に見いだされて、鳴瀬のリーダー・セッションライブや鳴瀬が請け負ったレコーディングにプロとして参加しだすようにもなる。

1979年5月にカシオペアはアルバム『CASIOPEA』でレコードデビューする。野呂の優れた作・編曲の能力と共に、ライブで完全再現させる演奏力で高い評価を得ていく。とくに、自分の担当楽器であるギター中心の音楽にせず、一つの曲の中でバンド全員をバランスよく目立たせながらアンサンブルをも重視する野呂の編曲手法はそれまでになかったもので、その後の日本のフュージョンのスタイルに多大な影響を与えた。1980年、カシオペアは4枚目のアルバム『MAKE UP CITY』において4人のメンバー全員の自作曲を入れることにした際、野呂はひとりだけ作曲経験の無かったドラマーの神保彰に自分が覚えてきた作曲方法を伝授。以後、神保はソングライターとしての才能も開花させることになった。

1980年代[編集]

1983年に発表したカシオペアの9枚目のアルバム『PHOTOGRAPHS』からプロデュースも担当するようになる。カシオペアが12枚目のアルバム『DOWN UPBEAT』を発表した後の1985年に初めてのソロ・アルバム『SWEET SPHERE』をセルフ・プロデュースで制作して発表。1987年には是方博邦の呼びかけでティー・スクエア(現・THE SQUARE)の安藤まさひろとの3人でオットットリオというギタートリオを組み、結成当時から散発的な活動ながらも現在に至るまで継続されている。1989年、2枚目のソロ・アルバム『VIDA』を制作して発表。このようにして1980年代後半からソロ活動も徐々に行うようになっていくが、国内外で年間100本近くのライブをこなしていたカシオペアの当時の活動方針でソロ活動はあくまでも余暇の範囲内で留めていてカシオペアとしてのグループ活動の方を優先して行っていた。

1990年代[編集]

1989年、野呂と向谷はカシオペア結成時からのメンバーである櫻井と神保と彼らが組んだボーカル・バンドのシャンバラの処遇を巡って対立。話し合いは平行線に終わり、櫻井と神保のふたりは脱退。翌1990年、それを受けての新メンバーに旧知の鳴瀬喜博日山正明を迎え入れる。1991年、デビュー時から親交のある作曲家・三枝成彰の誘いにより、カシオペアの同じメンバーの鳴瀬喜博とともに東京音楽大学の講師に就任し、ポピュラー・インストゥルメンツコースで学ぶ生徒達にギター奏法や電気楽器のノウハウを指導していく。その後、同大学の客員教授に昇格する。

1990年代前半はメンバー交代で再編したばかりのカシオペアの活動に集中していてソロ活動は少なかったのだが、1990年代後半になると徐々にソロ活動が増えていくようになる。1996年に7年ぶりのソロアルバム『TOP SECRET』を発表。また、ベーシストの青木智仁やパーカッション奏者の斎藤ノブらとのライブ・セッションに頻繁に参加していく。

2000年代[編集]

2001年ヴァイオリンのように指板フレットがないフレットレス・ギターを全編に使ったソロアルバム『UNDER THE SKY』制作。カシオペアの余暇の範囲で作っていた過去のソロとは違うことに会心を得て、フレットレスギターを使ったリーダープロジェクトが立ち上げられ、レコーディングメンバーでのライブ活動、そして続編にあたるアルバム『LIGHT UP』も制作した。同時期、斉藤ノヴのリーダー・バンド、Vibesにも立ち上げから参加するなどソロ活動が活発化する。

2006年8月1日、野呂からの「CASIOPEA の一切の活動を休止したい」との意向により、カシオペアのレコーディング・ライブ活動を休止する。

2008年2月14日、カシオペアとそれまでのソロ活動を分け隔てなく考えて作ったアルバム『INNER TIMES』をソロ名義ではなくリーダー・プロジェクトのISSEI NORO INSPIRITS名義で発表。同時にライブ活動も開始。これがカシオペア休止以降のメインな活動となっていた。また、カシオペアのオリジナル・メンバーの櫻井哲夫と共にデビュー30周年記念としてアコースティック・ディオ、PEGASUSを組んで活動していた。

近年における主な活動・2010年代[編集]

2012年4月20日、カシオペアが6年振りの活動再開を表明。同時に向谷が脱退し、替わりに大高清美の加入も告げられた(神保は引き続きサポートメンバーとして参加)。デビュー以来のメンバーは野呂だけとなり、向谷がデビュー以来担当していたライブのMCも担当するようになった。

2013年、ISSEI NORO INSPIRITSのアルバム『MOVEMENT』、CASIOPEA 3rdのアルバム『TA・MA・TE・BOX』、お気楽ギグのアルバム『昭和ニッポンⅡ』を制作し発表。それぞれの主要プロジェクトにおいて精力的に制作活動を行っていた。

2014年4月、DREAMS COME TRUEのアルバム・レコーディングに、同年8月には吉川晃司日本武道館ライブにサポート・メンバーとして、いずれも初参加したことから話題を呼んだ。

エピソード[編集]

  • 田中康夫の1980年発表の処女作、「なんとなく、クリスタル」で主人公の女性の恋人、“淳一”のモデルとなった人物と言われるが、当時の野呂本人と“淳一”の性格やスタイルはあまりにかけ離れていると野呂を知る当時の友人達は語っていた。1981年に映画化の際、その“淳一”役として出演を持ちかけられたが断った。なお、田中康夫が一橋大学在学時代に学園祭の実行委員としてカシオペアを招き寄せたことがつながりとして挙げられるが、個人的面識は今も昔もない。
  • 子供の頃から現在に至るまで絵画を描くことや鑑賞することが好きである。自身のブログ「ISSEI NORO LIFE」では、過去に自身が描いたものや海外の旅先で購入したコレクションをその時の思い出話と共に度々披露している。また、カシオペアのアルバム『JIVE JIVE』(1983年発表)をはじめ、近年のソロ・プロジェクト、ISSEI NORO INSPIRITSの多くの作品でも自らでジャケットのイラストを描いている。

使用楽器[編集]

高中正義とともにヤマハ・SGの代表的なユーザーであり、1979年のメジャーデビューから現在に至るまで一貫してヤマハ製のエレクトリック・ギターをメインに使い続けている。

近年[編集]

ヤマハ IN-1
  • 1993年から使用。本人考案のオリジナルデザインのヘッド/ボディシェイプを持つシグネイチャーモデル(ボディの色は青で、その名称はプラネット・ブルー・サンバースト)。ピックアップはディマジオ製のソープバータイプのハムバッカーを搭載したH-S-Hレイアウト。ボディ構造は前シグネイチャーのSG-Iを踏襲した本体をくり貫いたセミホロウ構造(トップ材はメイプルからスプルースに変更)でロック式トレモロユニットが搭載されている。おもにCASIOPEA 3rdとソロで参加するロック・セッションのライブやレコーディング等で使われている。一時市販もなされていたが、既に生産完了につき販売が終了している。
ヤマハ SG-Mellow
  • 2007年から使用。SGの市販モデルをベースとしながらも、その市販モデルにはない軽量なセミホロウ構造を持つ特注のシグネイチャーモデル。指版がフレッテッドのもの(ボディの色は茶で、その名称はブラウン・サンバースト)とフレットレスのもの(ボディの色はIN-1と同じ青で、プラネット・ブルー・サンバースト)がそれぞれある。フレッテッドの方はIN-1と使い分けられ、ISSEI NORO INSPIRITSとソロで参加するスムースジャズ系のライブやレコーディング等で使われている。フレットレスの方はCASIOPEA 3rdの活動でも使われている。どちらも市販はなされていない。
ヤマハ CPX15EA
  • PEGASUSやお気楽ギグなどで使うエレクトリック・アコースティック・ギターもヤマハ製のものを使用。CPXの市販モデルで、砂漠に眠る古代エジプトの神秘的な情景をモチーフにしたCPX15のイーストバージョンである(メーカーの公式WEB商品説明より)。既に生産完了となっているが、ほぼ同一仕様の後継モデルとしてCPX15EII イーストバージョンが現行で販売されている。

過去[編集]

1976年にカシオペアで出場した日本楽器製造(ヤマハ)東京支店主催のアマチュア・バンドコンテスト「EastWest'76」で最優秀ギタリスト賞を獲得し、その賞品として発売間近のSG-2000を授かり、それまで使っていたギブソン・レスポールから乗り換え、1979年のメジャーデビュー以降も使用。その後、SGの特注モデル(ベースとなっているのはプロトタイプのSG-3000)、SGをベースモデルにした本人考案のオリジナルデザインのヘッド/ボディシェイプを持つシグネイチャーモデルのISSEI MODEL、その市販モデルのSG-I、SG-IをベースモデルにしたIN-1(プロトタイプの通称・モモちゃんを含む)へと継がれた。

フレットレス・ギターは1970年代後半に手持ちの安価なギターで自ら試作した後、1979年発表のカシオペアのセカンドアルバム『SUPER FLIGHT』レコーディングからSG-1000の指板をフレットレスに特注にしたもので本格的に使用開始。後にメインで使っていたSG-2000の特注モデルも指板をフレッテッドからフレットレスに仕直されて、その二本体制で2001年発表のフレットレス・ギターを全編に使ったソロアルバム『UNDER THE SKY』のレコーディングまで長年に渡って使っていく。そして、その後のフレットレス・ギターをフィーチャーしたリーダー・プロジェクトが行われていた2000年代前半から中盤には、IN-1のフレッテッドとフレットレスをダブルネック・ギターにした特注モデルが作られ、SG-Mellow フレットレスに代わるまで使っていく。

ディスコグラフィ[編集]

ソロアルバム[編集]

  • スィート・スフィア (SWEET SPHERE1985年
  • ヴィーダ(VIDA1989年
  • トップ・シークレット(TOP SECRET1996年
  • アンダー・ザ・スカイ(UNDER THE SKY2001年
  • ライト・アップ(LIGHT UP2002年
  • ベスト・イッセイ(BEST ISSEI2003年

ISSEI NORO INSPIRITS[編集]

  • インナータイムズ(INNER TIMES2008年
  • モーメンツ(MOMENTS2009年
  • スマッシュ・ギグ(SMASH GIG2010年
  • ビューティー(BEAUTY2011年
  • ムーヴメント(MOVEMENT2013年

お気楽ギグ[編集]

PEGASUS[編集]

  • PEGASUS/アコースティックデュオ(2009年)※LIVE CD

オットットリオ[編集]

  • SUPER GUITAR SESSION HOT LIVE!(1988年)
  • SUPER GUITAR SESSION RED LIVE!(1988年)
  • TRIPTYCH(1998年)

プロデュース作品[編集]

  • 子供向け企画アルバム『スーパーマンサンタ』(1986年)向谷実との共同プロデュース
  • 楠木勇有行「CHOOSE ME」(1987年)
  • S.S.T.BAND「SUPER SONIC TEAM」(1989年)、「HYPER DRIVE」(1990年)、「Formula」(1991年)

ゲスト参加[編集]

  • TOKYO FUSION NIGHT (1978年)
  • 是方博邦「FISH DANCE」(1987年)
  • 織田哲郎「CANDLE IN THE RAIN」(1989年)
  • 内海みゆき「セピアムーン」 (1989年)
  • TOKI CLUB「TWEENER」(1989年)
  • 亜蘭知子「Sunny Side Memories」(1990年)
  • 中西圭三 シングル「TICKET TO PARADISE」(1992年)
  • 中西圭三「Steps」(1993年)
  • ジンサク「WIND LOVES US」(1993年)
  • ジンサク「BLAZE OF PASSION」(1995年)
  • 櫻井哲夫「21世紀の扉」(1999年)
  • 本田雅人「Real-Fusion」(2000年)
  • 青木智仁「EXPERIENCE」(2000年)

映像作品[編集]

  • REAL TIMES (2008年)※ISSEI NORO INSPIRITS LIVE DVD
  • アコースティックショー(2009年)*PEGASUS LIVE DVD

関連項目[編集]

外部リンク[編集]