自由が丘
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自由が丘(じゆうがおか)は、東京都目黒区の一地区。自由が丘一丁目から三丁目まで存在する。
また、東急東横線と東急大井町線の交差する自由が丘駅を中心として目黒区自由が丘と世田谷区奥沢に広がる住商業地域が、一般に自由が丘地域として認識されることが多い。
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[編集] 地理
服飾・雑貨を売る店やレストランが住宅街のところどころに点在し、洗練された街並みを形成している。また雑誌などのアンケートでは、「住みたい街」として上位に名を連ねることが多く、最近はしばしば1位に選ばれており、城南地区を代表する住宅街でもある。ラ・ヴィータというイタリア系の家をモチーフにした店により、北側は洋風の家が目立つ。
自由が丘駅正面口ロータリーに立つ女神像「あおぞら」(澤田政廣作)にちなんだ「自由が丘女神まつり」が毎年10月に開催される。
自由が丘駅周辺を循環する無料バスは菜種油により走るもので、環境にやさしいバスとして注目を浴びている。
自由が丘二丁目、自由が丘三丁目には丘が多い。これは、自由が丘の南に九品仏川があり、そこへ流れていた雨水が削っていったためである。
近年遠方から来る観光客が車で自由が丘に来るため自由が丘駅周辺は慢性的な交通渋滞に悩まされている。 自由通りや学園通り、すずかけ通りなど主要道路の狭さや路上駐車等の問題、東横線や大井町線踏切によるボトルネックなど抱える問題は多い。 これらを解消しようと駅周辺道路の拡幅を含めた道路整備構想などもあるが、いずれも地元商店街の反対が強く、実現の目処は立っていない。
- 河川
[編集] 隣接する地域
[編集] 歴史
自由が丘の名は第二次世界大戦の戦前に起こったもので、自由ヶ丘学園に由来する。自由が丘一帯は、もとは東京府荏原郡衾(ふすま)村字谷畑といった。1927年、この地に手塚岸衛が自由ヶ丘学園を開設した。
この校名は当地の地名として定着し、碑衾町(ひぶすまちょう。旧衾村と碑文谷町が合併)大字自由ヶ丘となり、1932年(昭和7年)の東京市域拡張による目黒区成立時(目黒町と碑衾町が合併)に東京市目黒区自由ヶ丘となったものである。
付近に、東京横浜電鉄九品仏前駅(くほんぶつまえ。現・東急東横線自由が丘駅)があったが、東急大井町線の延伸により九品仏の門前に駅が開設されることになり、この新駅が九品仏駅を名乗ることになったことから、九品仏前駅は、地名より衾駅に改称することとなったが、直前に地名が変更になったため新しい地名を採り「自由ヶ丘駅」と改称した。
1965年(昭和40年)に住居表示が実施され、表記は「自由が丘」となった。翌年1966年(昭和41年)には、駅名も「自由が丘駅」に改称されている。
自由が丘は東急東横線が開通するまでは竹やぶだったが、東急グループが開発をしていった。1970年ごろには町の形がほぼ整ったが、住宅街には木が多く、また、熊野神社に竹やぶの一部が残っている。 また、駅周辺は戦前に衾沼と言う沼地を埋め立てて造成された土地であるため、丘と言う地名ながら、周辺と比較して低地となっている。
[編集] 交通
道路
鉄道
[編集] 自由が丘が舞台の作品
[編集] 関連項目
- 自由が丘駅
- 産業能率大学
- 自由が丘産能短期大学
- 自由ヶ丘学園高等学校
- 東京急行電鉄
- ランキンランキン
- トレインチ自由が丘
- 自由が丘スイーツフォレスト
- 東急バス目黒営業所
- シェルガーデン
- 亀屋万年堂
- グレッグ外語専門学校
[編集] 外部リンク
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