来宮神社

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来宮神社
KinomiyaShrine.jpg
拝殿
所在地 静岡県熱海市西山町43-1
位置 北緯35度06分01.8秒
東経139度04分04.1秒
主祭神 大己貴命
五十猛命
日本武尊
社格 旧村社・別表神社
創建 和銅3年(710年
本殿の様式 流造
例祭 7月15日
主な神事 こがし祭(7月15・16日)
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阿豆佐和気神社の大クス
第2大クス

来宮神社(きのみやじんじゃ)は、静岡県熱海市にある神社である。社格旧村社

社名[編集]

古くは「木宮明神」や「来宮大明神」などと呼ばれ、明治維新後、式内社「阿豆佐和気命神社」に比定されたため、「阿豆佐和気神社」(あずさわけじんじゃ)を称したが、その非が判り現社名に復称した。

祭神[編集]

上記3柱を主祭神として、稲荷神社・柿本社・天神社を相殿に祀る。『走湯山縁起』は伊豆山神社地主神としている。

「きのみや」を「忌の宮」と解し、禁酒など断ち物の祈願をする者も多い。

歴史[編集]

創建時期は定かではないが、社伝によると和銅3年(710年)、熱海湾で網に木の根が掛かる事が3度重なり、不思議に思った漁師があらためると神像のようであったので、近くの松の下に祀って、持っていた麦こがしを供えたところ、その夜の夢に五十猛命が現れ、潮騒が耳障りであるとの神託があり、現在地に遷祀したといい、木の根を神体としたところから「木の宮」と称えたという。漂着物を祀ったのに始まり、祭神を木の神五十猛命とするなど、キノミヤ信仰が顕著に認められる神社である。なお、坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、当社の分霊を東北地方を始め各地に鎮座させたという伝承もある。

旧社格は村社であったが、戦後その歴史や活動状況に鑑み、神社本庁別表神社に加えられた。

主な神事[編集]

創建の事情に因んで、麦こがしを中心に百合根ところを供える。また例祭にあわせて、7月15・16日の両日、木の根を拾った大浜海岸まで神輿の渡御がある。その道中、天狗面に高足駄を履き猿田彦神に扮した者が、麦こがしを撒き散らすので、こがし祭と呼ばれ、これを浴びると夏の病気に罹らないという。また鹿島踊の奉納も行われる。なお、木の根を拾ったのが旧暦6月15日であったので、この日に祭典を行っていたが、明治以降新暦に改めた。

社殿[編集]

本殿流造幣殿拝殿を連結する権現造となっている。

境内社[編集]

三峯社・稲荷社・弁才天ほか7社。

文化財[編集]

阿豆佐和気神社の大クス

天然記念物(国指定)[編集]

  • 阿豆佐和気神社の大クス(あずさわけじんじゃのおおくす)
本殿裏にあり、推定樹齢2000年以上、一部枯れているが樹高約20m、幹周り約24mの大楠で、昭和8年に天然記念物に指定された。これを1周すると寿命が1年延びるとか、願い事が叶うなどと信仰されている。以前は境内に7株の大楠があったが、嘉永年間(1848~53年)、大網事件という漁業権を巡る争論が起こり、訴訟費等捻出のために5株を伐採した。旧記によると、この木も伐ろうとしたところ、白髪の老翁が現れて立ち塞がり、樵夫の持つ大鋸を2つに折ってどこかへ消えたので、それ以来神木として崇めるようになったという。もう1株も神社の入口付近に残存し第2大楠と呼ばれている。なお、天然記念物指定名称に「阿豆佐和気神社」と冠せられているのは、それが指定当時の社名であったためである。

静岡県指定無形民俗文化財[編集]

  • 来宮神社 鹿島踊(かしまおどり)
こがし祭において、境内、熱海駅前、渚小公園、銀座通にある木像を拾った漁師の子孫と伝える家の前で奉納され、古式をよく伝えるものとして静岡県指定無形民俗文化財に指定されている。踊り手は来宮神社鹿島踊保存会の男性30名程度で構成され、色紙をいれた柄杓を持つ。柄杓からこぼれ落ちた色紙は稲米を表し、五穀豊穣・厄払いの意味を持つという。

その他[編集]

  • 2011年5月、鳥居脇のホルトノキ(樹齢約300年)が根元から倒壊、鳥居(1920年建立)を直撃、破損した。[1]

交通[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]