中朝友誼橋
| 中国語表記 | |
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| 各種表記 | |
| 繁体字: | 中朝友誼橋 |
| 簡体字: | 中朝友谊桥 |
| 拼音: | Zhōngcháo Yǒuyíqiáo |
| 発音: | ヂョンチャオ ヨウイーチャオ |
| 日本語読み: | ちゅうちょうゆうぎきょう |
| 英文: | Sino-Korea Friendship Bridge |
| 朝鮮語表記 | |
|---|---|
| 画像 朝中友誼橋
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| 各種表記 | |
| チョソングル: | 조중우의교 |
| 漢字: | 朝中友誼橋 |
| 平仮名: (日本語読み仮名) |
ちょうちゅうゆうぎきょう |
| 片仮名: (現地語読み仮名) |
ジョチュンウイギョ |
| ローマ字表記: | Jo-chung Uŭigyo |
中朝友誼橋(ちゅうちょうゆうぎきょう)は中華人民共和国遼寧省丹東市と朝鮮民主主義人民共和国平安北道新義州市を結ぶ橋で、中国側の正式名称は鴨緑江大橋で、 [1] 以前このように呼ばれていた時代もあった。鴨緑江に架かる全長946.2m、橋脚12の橋である。下流側を鉄道、上流側を道路が通る鉄道道路併用橋である。
1990年10月に中朝両国の合意に基づき現在の橋の名前となる。鴨緑江鉄橋・鴨緑江大橋などとも呼称される。アジアハイウェイ1号線 AH1 の一部となっている。
目次 |
[編集] 概要
橋の上には道路や線路(単線)が通っており、有効な出入国書類(パスポートやビザ、中朝辺境地区出入境通行証など)があれば、自動車や鉄道で中朝国境を行き来できる。なお原則、歩行者が歩いて橋を渡ることはできないため、後述のタクシーを利用することになる。中朝友誼橋を通る鉄道は基本的に、旅客列車については週4本の列車(北京-平壌間の国際列車 K28/27次)が定期運行され、貨物列車については毎日運行されている。また、中朝双方の税関には国境間のみ営業を許されている特別な乗り合いタクシーがあり、行商人や旅行者が利用することができる。政治的な事情、特殊な事情がない限り、双方の国境は国慶節や旧正月の時期でも完全に閉鎖されるということはなく、土日も含め、中国時間の8時頃から17時頃まで開いている。
[編集] 歴史
新義州・丹東(旧・安東)間の鴨緑江に架けられた最初の橋は鴨緑江橋梁といい、道路と鉄道(単線)を通していた。この橋の朝鮮側の新義州市は、新義州駅前の市街地から発達した国境都市である。日中戦争が勃発すると大陸への鉄道の複線化が課題となり、鴨緑江橋梁の上流側に鴨緑江第二橋梁が建設された。鴨緑江に架かるこの二本の橋は、朝鮮戦争中にアメリカ軍の爆撃を受けた。現在使用されている中朝友誼橋は、かつての鴨緑江第二橋梁である。
[編集] 鴨緑江橋梁
「鴨緑江断橋」も参照
鴨緑江橋梁は、韓国統監府の鉄道当局(のち朝鮮総督府鉄道局)によって1909年に着工、1911年10月に完工。1911年11月1日に開通式を行って京義線と安奉線(南満州鉄道)との接続を行った。この橋は全長944.2m、幅11mで、12連のトラス橋で構成され、中央部分が横に90度回転する可動橋(旋回橋)であった(1934年3月に開閉を終了)。
朝鮮戦争中の1950年11月8日、アメリカ軍機の爆撃によって破壊され、その後修復はなされなかった。鴨緑江断橋と呼ばれて現在は観光用に整備されており、爆撃を受けた時のままの先端の破断面を見ることができる。
[編集] 鴨緑江第二橋梁
鴨緑江第二橋梁は鴨緑江橋梁の上流約60mに建設され、1943年4月に完成した。朝鮮戦争中は鴨緑江橋梁(断橋)同様、第二橋梁もアメリカ軍機の爆撃を受けたが、のちに修復されて「鴨緑江大橋」と改められた。観光用に、おもに「中朝友誼橋」とも呼ばれていた時期もある。
[編集] 新鴨緑江大橋
鴨緑江のさらに下流に新鴨緑江大橋の建設が進んでいて、2010年12月に鍬入れ式を終り、2011年5月に建設開始儀式をしている。片側2車線の車道のつり橋で、丹東の新開発区浪頭と新義州の南にある龍川を結び、全長は川をまたぐ前後も含めて20.4㎞の工事とされている。 [2]
[編集] ギャラリー
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断橋入口のモニュメント 中央は朝鮮戦争時の彭徳懐司令官
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 鴨緑江大橋(百度百科) (中国語)
- ^ 新鴨緑江大橋(百度百科) (中国語)
[編集] 外部リンク
- 百年の鉄道旅行 - 京義線鴨緑江鉄橋の絵はがきと解説
座標: 北緯40度06分34秒 東経124度23分43秒 / 北緯40.10944度 東経124.39528度
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