リッカルド・シャイー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

リッカルド・シャイーRiccardo Chailly, 1953年2月20日 - )は、イタリア出身の指揮者

目次

[編集] 人物・来歴

著名な音楽学者・作曲家ルチアーノ・シャイーの息子としてミラノに生まれる。ミラノ音楽院とキージ音楽院に入学し、作曲は父に、指揮法はフランコ・フェラーラに学ぶ。弱冠14歳で指揮者としての活動を始め、19歳でマスネオペラウェルテル』を指揮してオペラ指揮者としてのデビューを飾る。また一時期ではあるがクラウディオ・アバドのもとで、ミラノ・スカラ座の副指揮者を務めている。

1974年にシカゴ・リリック・オペラでプッチーニの『蝶々夫人』を指揮してアメリカでのデビューを果たす。また1977年サンフランシスコ歌劇場で『トゥーランドット』(パヴァロッティとカバリエとの共演)を指揮して大成功を収めている。1978年にはミラノ・スカラ座ヴェルディの『群盗』を指揮してスカラ座でデビューをすると同時に国際的な注目を集める。以降はロイヤル・オペラ・ハウスバイエルン国立歌劇場ウィーン国立歌劇場メトロポリタン歌劇場など世界の主要な歌劇場に客演している。

1982年から1989年までベルリン放送交響楽団(現在のベルリン・ドイツ交響楽団)の首席指揮者を務めた。また1982年から1985年までロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者を務める。1986年から1993年までボローニャのテアトロ・コムナーレの音楽監督も務める。

1988年9月ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任、2004年まで在任した。同楽団とはマーラーブルックナーブラームスの交響曲全集、ヴァレーズ全集などの録音を残し、同時に同楽団の名声を高めている。1999年ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の音楽監督に就任。現在は桂冠指揮者として活動する。2005年からはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第19代カペルマイスターに就任、またライプツィヒ歌劇場の音楽総監督を兼任する。

1984年に初来日して以降、多く日本に来日しており、最近ではNHK音楽祭にも出演している。

[編集] レコーディング

1978年デッカ・レーベルに最初のレコーディングを行って以降、専属となり、多くの作品を録音する。レパートリーは幅広く、ロマン派から20世紀の前衛音楽作品、及び現代音楽などが含まれ、これらを多く演奏している。

これまで録音してきた作品は多く、ロッシーニの序曲集やワーグナーの管弦楽作品集、ヴェルディの秘曲作品、現代音楽ではメシアンの『トゥランガリーラ交響曲』やルチアーノ・ベリオの『シンフォニア』などを残す。

一時期ではあるがフィリップス・レーベルにメンデルスゾーン交響曲第2番『讃歌』第3番『スコットランド』を録音している。1980年代ユンゲ・ドイチェ・フィルハーモニー管弦楽団と共にドイツ・グラモフォンプロコフィエフ交響曲第3番を録音も行っている。

近年はJ.S.バッハの宗教音楽作品(マタイ受難曲クリスマス・オラトリオ)と協奏曲ブランデンブルク協奏曲ピアノ協奏曲)を取り組んでいる。

[編集] ディスコグラフィ

[編集] デッカ・レーベルへの録音

[編集] 外部リンク

先代:
ロリン・マゼール
ベルリン放送交響楽団
首席指揮者
1982 - 1989
次代:
ヴラディーミル・アシュケナージ
先代:
 ?
ボローニャ市立劇場
音楽監督
1986 - 1993
次代:
ダニエレ・ガッティ
先代:
ベルナルド・ハイティンク
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
常任指揮者
1988 - 2004
次代:
マリス・ヤンソンス
先代:
-
ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団
初代音楽監督
1999 - 2005
次代:
クラウス・ペーター・フロール
ヘルムート・リリング
リュー・ジャ
首席客演指揮者 
先代:
イルジー・コウト
ライプツィヒ歌劇場
音楽総監督
2005 - 2008
次代:
ウルフ・シルマー
先代:
ヘルベルト・ブロムシュテット
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
楽長
2005 -
次代:
個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語