ユリウス・リーツ

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ユリウス・リーツ
Julius Rietz
Julius Rietz.jpg
基本情報
出生名 August Wilhelm Julius Rietz
出生 1812年12月28日
Flag of the Kingdom of Prussia (1803-1892).svg プロイセン王国 ベルリン
死没 1877年9月12日(満64歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国 ドレスデン
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
チェリスト
作曲家
教育者
担当楽器 チェロ

アウグスト・ヴィルヘルム・ユリウス・リーツAugust Wilhelm Julius Rietz, 1812年12月28日 ベルリン1877年9月12日[1]ドレスデン)は、ドイツ指揮者チェリスト作曲家教育者としても活躍し、門下にヴォルデマール・バルギール[2]ザロモン・ヤーダスゾーンアーサー・サリヴァン[3]フーゴ・リヒャルト・ユンクストらを擁する。また、1874年から1877年まで、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社の『メンデルスゾーン全集』の監修者として、フェリックス・メンデルスゾーンの作品の多くを校訂した。

略歴[編集]

プロイセン王立宮廷楽団のヴァイオリニストであったヨハン・フリードリヒ・リーツ(Johann Friedrich Rietz, 1767年6月12日 リュッベン - 1828年12月25日 ベルリン)を父にベルリンに生まれる[4][5]。夭折した兄エドゥアルト(1802年10月17日 ベルリン - 1832年1月22日 ベルリン[6])はヴァイオリニスト・指揮者で、メンデルスゾーンと親しかった。

チェロを8歳からフランツ・シュミット、モーリッツ・ガンツ、そしてベルンハルト・ロンベルクに、作曲をカール・フリードリヒ・ツェルターに師事する。16歳でプロイセン王立劇場管弦楽団の団員に任命され[7]、兄エドゥアルトとメンデルスゾーンとの親交を通じて、作曲家としても知られるようになる。メンデルスゾーンの紹介で1834年デュッセルドルフ劇場の次席指揮者に就任。1835年にはメンデルスゾーンの後任としてデュッセルドルフ市の首席指揮者になり、1836年には音楽監督に昇進した。1847年に招聘されてライプツィヒに赴任し、1854年までライプツィヒ劇場の楽長とライプツィヒ・ジングアカデミーの指揮者を引き受けた。さらに1848年には、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者と、ライプツィヒ音楽院作曲科の教員にも就任した。また、バッハ協会ドイツ語版のためにバッハマタイ受難曲の校訂(1854年)とミサ曲 ロ短調の校訂(1856年)を行い、1855年から1860年までバッハ協会の事務局長も務めた[8]。作曲家・指揮者・学者としての彼の業績に、1859年にはライプツィヒ大学から名誉博士号が授与された。1860年ドレスデン宮廷楽長に招聘されて就任し、1870年にドレスデン王立音楽院の芸術監督にも就いた。1874年よりザクセン王国音楽総監督に任命された。

主要作品一覧[編集]

4つの歌劇や、劇付随音楽合唱曲リート、3つの交響曲演奏会用序曲協奏曲室内楽曲を遺している。作曲家としてのリーツは、メンデルスゾーンを受け継ぎ[8]新ドイツ楽派に反対した[9][10]。以下に主な作品を挙げる。

  • 歌劇
    • 海賊 (Der Korsar1850年
    • ゲオルク・ノイマルクとガンバ (Georg Neumark und die Gambe1859年
    • イェリーとベーテリーまたは異国の娘たち (Jery und Bätely, Das Mädchen aus der Fremde1839年
  • 序曲
  • 交響曲
    • 交響曲第1番 ト短調 作品13 1843年
    • 交響曲第2番 イ長調 作品23 1846年
    • 交響曲第3番 変ホ長調 作品31 1854/55年
  • 協奏曲
    • クラリネット協奏曲 ト短調 作品29 (Klarinettenkonzert g-Moll Opus 29)
    • オーボエ小協奏曲 ヘ短調 作品33  (Konzertstueck f-Moll Opus 33)
  • その他
    • 古いドイツのいくさの歌 (Altdeutscher Schlachtgesang
    • 酒神賛歌 (Dithyrambe

参考文献[編集]

註記[編集]

  1. ^ Dwight, John Sullivan (October 27, 1877). “Dr. Julius Rietz.”. Dwight's Journal of Music: A Paper of Art and Literature 37 (15): 113. http://books.google.com/books?id=anE_AAAAMAAJ&pg=PA113&dq=%22julius+rietz%22+dwight+john&ei=pk8RR5ySH4P06wLBq-XQBw.  (『ロンドン・ミュージカル・タイムズ』誌の訃報欄からの抜粋)
  2. ^ Sleeve-notes for Recording of Bargiel and Mendelssohn Octets”. Hyperion Records (1989年). 2007年11月2日閲覧。
  3. ^ Arthur Sullivan in Memoriam”. Musical Times (1900年12月). 2007年11月2日閲覧。
  4. ^ Zimmer (1943)、1ページ。
  5. ^ Fürstenau (1889)。
  6. ^ Albert Mell. “Rietz, Eduard.” Grove Music Online. Oxford Music Online”. Oxford University Press. 2013年10月26日閲覧。
  7. ^ David (1883)、133ページ。
  8. ^ a b Albert Mell and Matthias Wiegandt. “Rietz, Julius.” Grove Music Online. Oxford Music Online”. Oxford University Press. 2013年10月26日閲覧。
  9. ^ “Rietz, Julius”. In Daniel Coit Gilman, Harry Thurston Peck, and Frank Moore Colby, eds. (1905) New International Encyclopedia. New York: Dodd, Mead and Company
  10. ^ Baker, Theodore, trans. (1915) “Pauline Viardot-Garcia to Julius Rietz: Letters of Friendship.”The Musical Quarterly 1: 350-380. 353ページの記述。

外部リンク[編集]