シェフィールド (軽巡洋艦)
| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | ヴィッカース・アームストロング社 |
| 起工 | 1935年1月31日 |
| 進水 | 1936年7月23日 |
| 就役 | 1937年8月25日 |
| 退役 | |
| その後 | 1967年にファスレーンで廃棄 |
| 除籍 | |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 基準:9,100トン、 満載:11,350トン |
| 全長 | 558ft |
| 全幅 | 61 ft 8 in |
| 吃水 | 21 ft 6 in |
| 機関 | 海軍式三胴型重油専焼缶4基+パーソンズ式オール・ギヤードタービン4基4軸推進、75,000 shp |
| 最大速 | 32ノット (59 km/h) |
| 乗員 | 748名 |
| 兵装 | Mk XXIII 15.2cm(50口径)三連装砲4基 Mk XVII 10,2cm(45口径)高角砲連装4基 2ポンド4連装ポムポム砲2基 12.7mm四連装機銃2基 53.3cm水上魚雷発射管三連装2基 |
シェフィールド (HMS Sheffield, C24) は、イギリス海軍のタウン級軽巡洋艦。艦名はイングランド中部の都市シェフィールドに因む。
目次 |
[編集] 艦歴
シェフィールドはヴィッカース・アームストロング社で1935年1月31日に起工した。1936年7月23日に進水し、1937年8月25日に就役した。
[編集] 第二次世界大戦
第二次世界大戦が勃発すると、シェフィールドは第18巡洋艦戦隊に所属しデンマーク海峡の哨戒を行う。1940年4月にはノルウェーの戦いに参加した。イギリス海峡での作戦活動後、ジブラルタルを拠点とするH部隊に合流した。その後は年末まで地中海と大西洋で活動した。
1941年2月9日にはジェノヴァに対する砲撃を行い、ヴィシー政権の船団に対する作戦活動およびマルタへの空襲の支援を担当した。5月にはビスマルク追撃戦に参加し、アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) 所属のフェアリー ソードフィッシュによる誤認攻撃をかろうじて回避した。6月12日、油槽船フリードリヒ・ブレム (Friedrich Breme) を撃沈する。別のドイツ補給船コタ・ペナン (Kota Penang) を10月初めに駆逐艦ケニア (HMS Kenya, C14) と共に破壊した後、シェフィールドは帰還した。
その後は北極船団の護衛に従事するが、1942年3月3日にアイスランド沖で触雷、7月まで修理が行われた。修理後は船団護衛に復帰し、11月にトーチ作戦に参加、連合軍の北アフリカ上陸を支援した。12月にシェフィールドとジャマイカ (HMS Jamaica, 44) は R部隊 を形成、シェフィールド座乗のロバート・L・バーネット少将が部隊の指揮を執り、JW51B船団の護衛を担当した。船団は強力なドイツ水上艦隊の攻撃を受けたものの、バレンツ海海戦でドイツ艦隊は敗北し、シェフィールドは駆逐艦フリードリヒ・エックホルト (Friedrich Ekholdt) を撃沈した。
1943年2月、シェフィールドはビスケー湾で活動するために移動し、7月および8月にはサレルノ上陸(アヴァランチ作戦)を支援した。その後北極海に戻り、12月後半にはノルウェーで北岬沖海戦に参加、シャルンホルストの撃沈に貢献した。
1944年には4月から8月まで行われた戦艦ティルピッツ (Tirpitz) との戦闘で、空母部隊の護衛を担当した。しかしながらこの時の戦果は限定的なものであった。
大戦の後半はイギリスおよびボストンでの長期に及ぶ修理のため戦闘に参加することはなかった。
[編集] 戦後
修理作業は1946年5月に完了し、シェフィールドは西インド諸島(1954年には第8巡洋艦戦隊の旗艦となる)、本国海域および地中海での活動を交互に行った。この間1949年、50年および54年にさらなる修理が行われた。1959年1月に予備役となり、本国艦隊の旗艦任務を1964年9月まで務める。その後は廃棄リストに置かれ保管された。
シェフィールドの装備は1967年にロサイスで撤去され、船体はファスレーンで解体された。ステンレス製の艦内時鐘はシェフィールド大聖堂に軍艦旗と共に飾られている。
[編集] 外部リンク
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