エーリッヒ・マリア・レマルク

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エーリッヒ・マリア・レマルク
Erich Maria Remarque
Bundesarchiv Bild 102-10867, Erich Maria Remarque.jpg
エーリッヒ・マリア・レマルク(1929年)
誕生 エーリッヒ・パウル・レマルク
1898年6月22日
Flag of the German Empire.svgドイツ国オスナブリュック
死没 1970年9月25日(満69歳没)
スイスの旗 スイスロカルノ
職業 小説家
国籍 ドイツの旗 ドイツアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
代表作 西部戦線異状なし』(1929年)
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エーリッヒ・マリア・レマルク(Erich Maria Remarque、1898年6月22日 - 1970年9月25日)は、ドイツ作家。本名は、Erich Paul Remark(エーリッヒ・パウル・レマルク)という。

経歴[編集]

ドイツオスナブリュックの生まれ。父は製本業。本名はRemarkで、Remarqueというフランス風の綴りは1921年ころから使い始め、1924年から正式に使用を始めている。Mariaという筆名は1922年から使い始めた。

第一次世界大戦が始まった当時はギムナジウムの生徒で、1916年に級友たちと共に徴兵されて西部戦線に配属。戦場に出て翌月には榴弾砲弾の破片を首や腕に受け、終戦までデュイスブルクの野戦病院で過ごした。ドイツの敗戦後、負傷兵として帰還し復学、卒業後は教員など経て、ベルリンに出てジャーナリストになる。

1929年に『西部戦線異状なし』を発表し、大ベストセラーとなる。早くも翌年にはハリウッドで映画化された。やや通俗的だが反戦的内容でもあったため、右傾化するドイツを避け1932年スイスに移住した。

1933年ナチスが政権を握ってからは彼の本は焼却されたり、「彼は実はフランス系ユダヤ人の末裔だ」「実の本名はクレーマーというのだ」(本名を逆に綴ったもの)といったデマが広まり、書籍の焚書処分を受けた。1938年にドイツ国籍を剥奪され、1939年アメリカ合衆国亡命し、のち帰化した。

レマルクはダンサーだった女性と二度結婚したが、他にもマレーネ・ディートリッヒグレタ・ガルボなどとも浮名を流した。1958年にはチャールズ・チャップリンの元妻で女優のポーレット・ゴダードと結婚している。晩年はスイスのロカルノに住み、1970年に動脈硬化に起因する大動脈瘤で死去した。

1967年にドイツ連邦共和国功労勲章大十字章を受章。1991年に故郷オスナブリュック市は「レマルク平和賞」を設立した。

主要作品[編集]

1930年にルイス・マイルストーン監督で映画化された。映画作品については「西部戦線異状なし (映画)」を参照。
  • 『その後に来るもの』黒田礼二訳 朝日新聞社、1931 
  • 『還り行く道』(1931) 岩淵達治訳 三笠版世界文学全集 1955
  • 『3人の戦友』(1937)
    • 『三人の仲間』柳田泉訳 春秋社、1937
  • 『汝の隣人を愛せ』(1941) 山西英一訳 新潮文庫、1959 
  • 凱旋門』(1946)
1948年ルイス・マイルストーン監督によって映画化。宝塚歌劇団によって舞台化もされた。
  • 『生命の火花』(1952) 山西英一訳 潮書房 1953
    • 『ドイツ強制収容所での勇者たちの群像』小倉正宏訳 日本図書刊行会 1994.4 ※『生命の火花』新訳
    • 『生命の火花 ドイツ強制収容所の勇者たち』小倉正宏訳  彩流社 2012.08 ※上記の改訂版
  • 愛する時と死する時』(1954)、山西英一訳、新潮文庫(上下巻)、1958
  • 『黒いオベリスク』山西英一訳 河出書房新社 1958
  • 『リスボンの夜』(1963)松谷健二訳 早川書房 1972 のち文庫 
  • 『モンテカルロに死す』古沢安二郎訳 読売新聞社 1968
  • 『楽園のかげり』松谷健二訳 早川書房 1975