イクノディクタス

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イクノディクタス
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品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1987年4月16日(27歳)
ディクタス
ダイナランディング
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産 高田栄治
馬主 勝野憲明
調教師 福島信晴(栗東
厩務員 西谷憲
競走成績
生涯成績 51戦9勝
獲得賞金 5億3112万4000円
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イクノディクタスとは、日本の元競走馬である。中央競馬で51戦ものレースをこなしながら、デビュー以来一度も故障せずに走り続け、「鉄の女」と呼ばれた。全妹に小倉3歳ステークス2着のエミノディクタスがいる。重賞4勝を含む9勝をあげ、当時の賞金女王にも輝いた。現役時代の主戦は村本善之

  • 馬齢については原則旧表記(数え)とする。

来歴[編集]

イクノディクタスは、1988年夏の2歳馬セリ市にて930万円で購買された(そのとき同じセリ市にて1億円で購買されたのは、競馬版『華麗なる一族』の一員である良血馬・ダイイチルビーであった)。

しかし、3歳時に屈腱炎を発症。デビューどころか安楽死処分も検討された状況であった。そこで関係者は「骨折以外の足の故障は装蹄で治せる」という持論を持った装蹄師福永守に相談し、彼に一時預けられた後、故障が完治し競走馬としてのデビューが可能になった[1]

1989年7月小倉競馬場でデビューし、新馬戦、フェニックス賞を連勝。順調なスタートであったが、単枠指定馬として圧倒的人気となった小倉3歳ステークスハギノハイタッチの9着に敗れその後も3戦も全て敗退に終わった。

1990年も春は桜花賞11着、優駿牝馬9着など全くいいところ無く敗れる。秋はサファイヤステークスで3着、ローズステークスで差の無い2着、エリザベス女王杯で4着とその後に期待を持たせる結果だったが、結局この年は7戦して勝ち星をあげることは出来なかった。

1991年マイラーズカップまで3戦して全敗。ここまで14連敗と勝ち星から遠ざかっていたが、コーラルステークスで久々の勝利をあげた。この後一戦をはさんで京阪杯で初の重賞制覇をしている。その後は6連敗であったが、北九州記念朝日チャレンジカップの2着を最高に勝ち負けには絡んでいた。この後一時休養に入り、そのままこの年を終えた。

1992年。関門橋ステークスから始動するも新潟大賞典まで6戦して全敗。エメラルドステークスで久々に勝利する。続く金鯱賞では自身2度目の重賞制覇を果たした。高松宮杯で12着と大敗するが、小倉記念レッツゴーターキンをハナ差退け勝利。続くオールカマーではオグリキャップの持っていたレコードタイムを塗り替えると共に重賞2連勝を果たし、この後の毎日王冠ではGI優勝馬ダイタクヘリオスに喰らい付いての2着と、好走を続けていた。この後4戦したGIレースでは敗退したが、そのレース振りが評価されてこの年のJRA賞最優秀5歳以上牝馬(部門名は当時)を受賞した。

1993年日経賞産経大阪杯で敗れ、天皇賞(春)にも出走するが9着と敗退。しかし続く安田記念ヤマニンゼファーの2着に入り、ダイイチルビーの持っていた記録を抜き、当時の歴代賞金女王の座に着いた[2]。この安田記念では、イクノディクタスは14番人気だったため大万馬券となったが、陣営としても予想外の走りだったようで、主戦の村本をして「こんな走りをするとは…出てみるものですね。」とコメントするほどだった[3]。続く同年の宝塚記念でもメジロマックイーンの2着に健闘し、初の賞金5億円獲得牝馬となった。この後テレビ愛知オープンで勝利するが、その後はまたも勝ちきれないレースが続き、富士ステークスを最後に現役を引退した。

主な勝ち鞍[編集]

  • 京阪杯(1991年・GIII
  • 金鯱賞(1992年・GIII
  • 小倉記念(1992年・GIII
  • 産経賞オールカマー(1992年・GIII
  • テレビ愛知オープン(1993年・OP)
  • 1992年 - JRA賞「最優秀5歳以上牝馬」 受賞

引退後[編集]

引退後は北海道新冠町の五丸農場にて繁殖牝馬となった。繁殖入りしてからは発情がなかなか来ず、初年度は注射の力を借りて受胎させている。この時の配合相手はメジロマックイーンであった。武豊の「イクノディクタスに想いを寄せていたのでは?」[4]といった証言もあった。産駒はキソジクイーンという競走名で中央競馬デビューし、そのデビュー戦では武豊が騎乗するなど期待されていたが計11戦して未勝利で引退となった。その後も産駒はコンスタントに出しているが、産駒の成績自体は現在のところ国内では中央未勝利であり、競走馬時代の自身の成績ほど奮ってはいない。2003年生まれのヤワタベルグ(父キャプテンスティーヴ)は韓国に競走馬として輸出され当地で3勝をあげ重賞にも出走するなどした[5]。なお2008年ノーリーズンとの交配を行なったが不受胎に終わり、これを持って繁殖牝馬からも引退して現在は功労馬として引き続き五丸農場に繋養されている。

エピソード ・その他[編集]

  • 3歳(現2歳)でフェニックス賞を勝ちその後連敗し続けたことで単なる早熟馬として評価されていたが、古馬になってから重賞を4勝している。フェニックス賞勝ち馬で古馬となってから重賞を勝ったのはイクノディクタス、メイショウボーラーラフオンテースの3頭である。
  • 全9勝の内8勝が5月 - 9月の夏場に勝ったものであり、このことから夏女という異名もあった。
  • 担当の厩務員は西谷憲。彼は当時、後に15歳まで現役を続けたミスタートウジンも担当している。以前はヤマピットも担当していた。

血統表[編集]

イクノディクタス血統ファイントップ系Lady Angela5×4=9.38%)

*ディクタス
Dictus 1967
栗毛フランス
Sanctus 1960
鹿毛(仏)
Fine Top Fine Art
Toupie
Sanelta Tourment
Saranella
Doronic 1960
鹿毛(仏)
Worden Wild Risk
Sans Tares
Dulzetta Bozzetto
Dulcimer

ダイナランディング 1980
鹿毛日本
*ノーザンテースト
Northern Taste 1971
栗毛 (加)
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
*ナイスランディング
Nice Randing 1965
鹿毛(米)
First Landing Turn-to
Hildene
Pashamina Le Pacha
Perfume F-No.1-w

※祖母・ナイスランディングから分岐した牝系からは天皇賞(春)勝ちのジャガーメイルが出ている。

脚注[編集]

  1. ^ 優駿たちの蹄跡集英社ヤングジャンプ・コミックス
  2. ^ この年の秋にはシンコウラブリイに賞金女王の記録を塗り替えられている。
  3. ^ 産業経済新聞社発行 週刊Gallop臨時増刊『週刊100名馬 イクノディクタス』より
  4. ^ 光栄出版部編集 『名馬列伝 メジロマックイーン』より
  5. ^ 2006年 釜山広域市長杯(外国産G3・ダート2000m) 11着

外部リンク[編集]