ツインターボ (競走馬)

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ツインターボ
欧字表記 Twin Turbo[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1988年4月13日[1]
死没 1998年1月15日(11歳没・旧表記)[1]
登録日 1990年10月25日[1]
抹消日 1995年6月1日(JRA)
1996年11月5日(NAR)[2]
ライラリッジ[1]
レーシングジイーン[1]
母の父 サンシー[1]
生国 日本の旗 日本北海道静内郡静内町[1]
生産者 福岡敏宏[1]
馬主 黒岩晴男[1]
調教師 笹倉武久美浦
→秋葉清一(上山[1]
厩務員 谷本松次郎(美浦)
競走成績
生涯成績 35戦6勝[1]
中央:22戦5勝
地方:13戦1勝
獲得賞金 1億8670万8000円[1]
中央:1億8398万円
地方:272万8000円
勝ち鞍
GIII ラジオたんぱ賞 1991年
GIII 七夕賞 1993年
GIII オールカマー 1993年
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ツインターボ(欧字名:Twin Turbo1988年4月13日 - 1998年1月15日)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍は1991年ラジオたんぱ賞1993年七夕賞オールカマー

常に後続を大きく引き離す大逃げの戦法で知られ、勝つときは圧勝、負けるときは急激な失速から惨敗という、極端なレース運びから人気を博した(後述)。中央競馬において「最後の個性派」とも呼ばれた[3]

経歴[編集]

デビュー前[編集]

1988年、北海道静内町の福岡牧場に生まれる。幼駒時代から強い身体のバネを備えていたが、一方で食が細く非常に小柄な馬だった[4]。2歳時に日高ケンタッキーファームで育成調教が積まれたあと、競走年齢の3歳を迎えた1990年春に茨城県美浦トレーニングセンター笹倉武久厩舎へ入った[5]

馬房では大人しい馬だったが、人が跨ると徹底的に反抗する性格で調教に手間取り、デビューに向けての必修審査となるゲート(発馬)試験の通過にも4か月を要した[6]。このため初戦は翌1991年まで遅れた。

戦績[編集]

1991年3月2日、中山開催の新馬戦でデビュー。このとき笹倉は騎手の石塚信広に対して「好きなように走らせろ。ハナ(先頭)に立て。あとは舵をとるだけでいい」という「指示」のみを与えた[7]。レースは指示通りスタートからの逃げ切りで、2着に3馬身差を付けての初戦勝利を挙げた。

次走の条件戦も逃げ切って連勝。続いては東京優駿(日本ダービー)への出走権確保のため、鞍上を大崎昭一に替え、トライアル競走青葉賞に出走した。しかし最後の直線半ばで失速して9着に終わり、初の敗戦を喫する。続く条件戦も柴田政人騎乗で5着と敗れたが、重賞初出走となったラジオたんぱ賞(大崎昭一騎乗)では、向正面で後続に大きな差を付けるレース運びから最後の直線を逃げ切り、重賞初勝利を挙げた。これは笹倉にとっても初めてのサラブレッド系重賞勝利であった。

盛夏を休養に充て、秋季はセントライト記念から始動。引き続き大崎を背にストロングカイザーからクビ差の2着と逃げ粘り、また東京優駿2着のレオダーバンをクビ差抑えた。この後、4歳クラシック最終戦の菊花賞を回避し、ラジオたんぱ賞と同じく福島競馬場で行われるGIII・福島記念に出走。前走に続き2着となった。

年末にはグランプリ競走有馬記念でGIに初出走する。しかし14着と大敗を喫し、さらに競走後には鼻出血が判明。翌年には体調を崩して長期休養を余儀なくされた。翌1992年11月にオープン特別戦で復帰。当日1番人気に支持されるも、10着に終わった。以後も復調は見られず、翌1993年春季いっぱいまで連敗を重ねた。

7月に入り、良績を挙げていた福島競馬場で行われる七夕賞に出走。従来見られたスタートの遅さを解消するため、本競走からスタート巧者であり、逃げ戦法を得意とする中舘英二が鞍上に迎えられた[8]。中舘自身、新馬戦からツインターボの走りに注目し、「一度乗ってみたい」と考えていたという[8]。当日は福島競馬場の入場人員記録となる47391人が集まり、この中で中舘ツインターボは前半1000メートルを57秒4というハイペースで大逃げを打った。そのままゴールまで失速することなく、2着アイルトンシンボリに4馬身差を付けて逃げ切り、約2年ぶりの勝利を挙げた。中舘はこのときのレース振りを「僕は掴まっていただけ。馬が勝手に鮮やかに勝っちゃった」と語っている[9]

2か月後、秋初戦としてオールカマーに出走。当年の天皇賞(春)を含むGI競走2勝のライスシャワーら一線級が相手となったが、当日はライスシャワーと桜花賞優勝馬シスタートウショウに次ぐ3番人気に支持された。レースは常の通りスタートから先頭を奪い、向正面では2番手ホワイトストーンに約10馬身、さらにその後続集団まで10馬身以上という大差を付けて逃げ続けた。ただ1頭で最後の直線に入ると、ゴールまで脚は鈍らず、2着ハシルショウグンに5馬身差を付けて重賞2連勝を遂げた。2番手を進んだホワイトストーン騎乗の柴田政人が「あれ以上深追いしてたらホワイトストーンが潰れていた[10]」と語るように、後続が無理な追走で共倒れすることを恐れた結果であったが、ツインターボの前半1000メートル通過は59秒5と比較的早い程度のペースであった。中舘は競走後にパトロールフィルムを見た際の感想として「何でこんなに離れているんだろうって、信じられなかった」と述べている[10]

次走に臨んだ天皇賞(秋)では、前日発売で1番人気、当日は3番人気に支持されたが、逃げ潰れての最下位17着に敗れた。以後は大逃げを打っては直線手前で失速するといったレースを繰り返し[注釈 1]、結局オールカマー以降はJRAでは勝利を挙げられなかった。中舘は「オールカマーで燃え尽きちゃったような気もする」と語ったが[10]、不振の最中にあっても、その潔い「負けぶり」からファンの支持を集め続けた。

1995年には公営上山競馬へと転厩する。転厩後の初戦を勝利したもののその後は連敗し、9歳となった1996年クラスターカップを最後に引退。以後は宮城県齊藤牧場種牡馬入りするも、5頭の産駒を残したのみで、1998年1月15日に心不全で死亡した。

なお2014年に行った「JRA60周年記念記念競走メモリアルレース」として、この年の七夕賞(7月13日)の準メインレースとして「韋駄天 ツインターボカップ」が行われている。レース名はファン投票で決められたが、ツインターボは2位のミヤビランベリの倍以上の得票数を獲得している[13]

逃げ馬としての評価・人気[編集]

「大逃げ」が代名詞とされていた[14]。逃げ切り圧勝か、さもなければ失速惨敗というレース振りから、俗に「玉砕型」と呼ばれるタイプの逃げ馬の象徴的な存在となっており、2004年に日本中央競馬会の広報誌『優駿』が行った「個性派ホースベスト10」という企画において、1980-2000年代の逃げ馬部門で識者・読者双方の投票でいずれもサイレンススズカに次ぐ第2位に選ばれた[15]。サイレンススズカは「強い逃げ馬」の筆頭として名を挙げられており、選者を務めた須田鷹雄は、識者投票の席上で事前に「サイレンススズカを選ぶ方向なのか、ツインターボを選ぶ方向なのか」という議論があったとしている[16]

この企画でツインターボの講評を担当した山河拓也は、「玉砕また玉砕。しかし、99回玉砕しても百回目には逃げ切るんじゃないか、と期待された」「観客の頬はどれも『いつ止まる?』と緩んでいた。そして失速後退の瞬間、彼の馬券を握っていた者も握っていない者も大声で笑った。悲壮感なき玉砕。こんな馬、他に誰がいるか。いない。ツインターボだけだ」と評した[17]。また、競馬漫画家よしだみほは自著の中で「あの大逃げが決まったときは本当に気持ちよかったし、逆につかまるときも良かったよね」「大きいところは勝ってないけど、こういう馬がいないと競馬は楽しくないよね。大好きな馬でした」と語っている[18]。こうした人気は、日本中央競馬会が2000年に行った名馬選定企画「Dream Horses 2000」でファン投票により848票を集め、第91位に選ばれたところにも反映されており[19]、GI(グレード制導入前の八大競走を含む)未勝利馬の100位以内選出は、ほかにステイゴールド(34位、企画実施後にGI勝利)とナイスネイチャ(71位)のみであった。

「Dream Horses 2000」の誌上講評会においては、作家の吉川良がツインターボの選出に絡めて「今の競馬をつまらなくしているのは、みんな同じような乗り方をする騎手にも責任があると思うんだ」として[20]、画一的な騎乗の蔓延に苦言を呈した。なお、ツインターボが競走馬生涯で逃げを打たなかったのは、スタートで出遅れて最下位となった帝王賞(公営・大井)のみだった。このとき騎乗した武豊は「最初から逃げるつもりはなかった」という主旨の発言を行い、これに対してライターの加藤栄が、大逃げを見たいという主催者とファンの期待に背いたとして「武はまったくもってつまらない競馬をした」と批判[21]。また、逃げなかったことで「生涯逃げ馬じゃなくなっちゃった。ツインターボの経歴に傷を付けた」と非難した[21]

同時期に活躍していた個性派逃げ馬にはメジロパーマーがいる。よしだみほの漫画『馬なり1ハロン劇場』の「なんでもアリ馬記念」では、「ハナを切るメジロパーマー、ケンカを売るツインターボ」というシーンが描かれている。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名 頭数 枠番 馬番 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離馬場 タイム
上り3F
タイム差 勝ち馬/(2着馬)
1991. 3. 2 中山 4歳新馬 12 8 11 4.4 (3人) 1着 石塚信広 55 ダ1800m(良) 1:57.2 (40.4) -0.5 (コウチポート)
3. 24 中山 もくれん賞 500万下 11 2 2 17.6 (7人) 1着 石塚信広 55 芝2000m(稍) 2:03.4 (37.6) -0.2 (サンエイラック)
4. 27 東京 青葉賞 OP 17 8 16 21.2 (11人) 9着 大崎昭一 56 芝2400m(良) 2:28.9 (36.9) 1.3 レオダーバン
5. 26 東京 駒草賞 900万下 18 3 5 9.0 (5人) 5着 柴田政人 55 芝2000m(良) 2:02.0 (38.7) 0.4 ストロングカイザー
6. 30 福島 ラジオたんぱ賞 GIII 11 6 7 8.5 (5人) 1着 大崎昭一 54 芝1800m(良) 1:48.5 (37.3) -0.2 (カミノスオード)
9. 22 中山 セントライト記念 GII 13 2 2 9.9 (3人) 2着 大崎昭一 56 芝2200m(良) 2:12.8 (36.9) 0.1 ストロングカイザー
11. 17 福島 福島記念 GIII 14 7 11 3.5 (2人) 2着 大崎昭一 55 芝2000m(良) 2:01.4 (38.2) 0.2 ヤグラステラ
12. 22 中山 有馬記念 GI 15 7 12 55.6 (11人) 14着 大崎昭一 55 芝2500m(良) 2:34.4 (39.9) 3.8 ダイユウサク
1992. 11. 8 福島 福島民友C OP 10 1 1 2.9 (1人) 10着 柴田善臣 57 芝1800m(良) 1:52.0 (40.2) 2.4 ラビットボール
1993. 1. 5 中山 金杯(東) GIII 13 5 6 10.3 (5人) 6着 柴田善臣 55 芝2000m(良) 2:00.9 (37.7) 0.4 セキテイリュウオー
3. 14 中山 中山記念 GII 14 5 8 20.3 (8人) 6着 柴田善臣 57 芝1800m(良) 1:47.5 (36.8) 0.5 ムービースター
5. 16 新潟 新潟大賞典 GIII 14 5 8 5.1 (2人) 8着 大崎昭一 55 芝2200m(良) 2:14.4 (38.1) 0.9 ハシノケンシロウ
7. 11 福島 七夕賞 GIII 16 8 16 7.8 (3人) 1着 中舘英二 55 芝2000m(良) 1:59.5 (37.7) -0.7 アイルトンシンボリ
9. 19 中山 オールカマー GIII 13 7 11 7.1 (3人) 1着 中舘英二 56 芝2200m(良) 2:12.6 (37.8) -0.9 ハシルショウグン
10. 31 東京 天皇賞(秋) GI 17 2 3 7.5 (3人) 17着 中舘英二 58 芝2000m(良) 2:01.7 (39.2) 2.8 ヤマニンゼファー
1994. 1. 23 中山 AJCC GII 14 7 11 4.2 (3人) 6着 中舘英二 57 芝2200m(良) 2:14.7 (36.8) 0.6 マチカネタンホイザ
3. 20 中山 日経賞 GII 9 1 1 5.6 (3人) 6着 中舘英二 57 芝2500m(良) 2:34.4 (39.3) 1.6 ステージチャンプ
8. 21 札幌 函館記念 GIII 14 7 11 5.7 (4人) 11着 田面木博公 56 芝2000m(良) 2:03.8 (39.5) 2.2 ワコーチカコ
11. 20 福島 福島記念 GIII 14 4 6 5.2 (3人) 8着 宗像徹 57 芝2000m(良) 2:02.7 (38.9) 1.4 シルクグレイッシュ
12. 25 中山 有馬記念 GI 13 4 5 39.6 (10人) 13着 田中勝春 56 芝2500m(良) 2:37.2 (41.7) 5.0 ナリタブライアン
1995. 1. 22 中山 AJCC GII 10 2 2 13.7 (4人) 10着 中舘英二 57 芝2200m(良) 2:17.4 (39.7) 3.0 サクラチトセオー
4. 13 大井 帝王賞 重賞 15 2 3 (3人) 15着 武豊 55 ダ2000m(良) 2:10.9 7.2 ライブリマウント
5. 14 福島 新潟大賞典 GIII 14 7 11 8.9 (5人) 11着 宗像徹 56 芝2000m(重) 2:06.2 (40.8) 3.3 アイリッシュダンス
7. 23 上山 文月特別 A2 7 5 5 - (1人) 1着 海方栄二 55 ダ1700m(良) 1:52.5 -0.4 (アジュレーシンボリ)
8. 20 上山 A2 9 6 6 - (2人) 9着 海方栄二 56 ダ1700m(良) 1:55.1 3.8 タイガーベルク
9. 3 上山 A2 8 8 8 - (2人) 7着 海方栄二 56 ダ1700m(稍) 1:54.5 3.3 エアインハート
9. 19 上山 長月特別 A1 10 2 2 - (3人) 10着 田代義久 55 ダ1800m(稍) 2:00.0 3.8 タケデンマンゲツ
10. 15 上山 神無月特別 A2 9 5 5 - (2人) 9着 田代義久 55 ダ1700m(稍) 1:55.2 3.3 ホクサイローラー
10. 31 上山 A1 10 3 3 - (6人) 9着 田代義久 56 ダ1800m(稍) 2:02.3 4.1 エアインハート
11. 26 上山 A2 6 8 8 - - 除外 山中初 55 ダ1700m(重) - - リリパットクイン
1996. 4. 16 上山 A1 10 7 7 - (3人) 9着 海方栄二 54 ダ1800m(良) 2:05.2 6.3 ホクサイローラー
4. 29 上山 A1 9 2 2 - (3人) 9着 海方栄二 56 ダ1800m(良) 2:04.7 7.6 ノイズレスウイナー
6. 10 上山 水無月特別 A2 9 8 9 - (3人) 9着 遠藤五月 54 ダ1700m(良) 1:55.6 4.1 カガリスキー
7. 9 上山 文月特別 A1 9 3 3 - (3人) 7着 遠藤五月 54 ダ1800m(稍) 1:59.9 2.8 タンホイザー
7. 22 上山 A2 7 6 6 - (4人) 7着 遠藤五月 54 ダ1700m(良) 1:54.8 2.9 ナムラクリエイト
8. 13 盛岡 クラスターC GIII 12 1 1 - (4人) 11着 海方栄二 56 ダ1200m(良) 1:13.3 2.5 トキオクラフティー

産駒一覧[編集]

馬名 誕生年月日 毛色 戦績 重賞勝利 繁殖 出典
1 未登録 1998年3月19日 鹿毛 タイムマドンナ 未出走 [22]
2 ツインロック 1998年4月10日 鹿毛 カチトモロツク 2戦0勝 [23]
3 マックスウイナー 1998年5月3日 芦毛 イロンデール 48戦3勝 [24]
4 ターボ 1998年5月4日 黒鹿毛 ワイルドロツチ 6戦0勝 [25]
5 イズミストロング 1998年5月16日 黒鹿毛 ストームグローリー 35戦1勝 [26]

血統表[編集]

ツインターボ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 リファール系
[§ 2]

*ライラリツジ
Lyra Ridge
1981 鹿毛
父の父
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
父の母
Riverside
1966 鹿毛
Sheshoon Precipitation
Noorani
Renounce Big Game
Refreshed

レーシングジイーン
1982 鹿毛
*サンシー
Sancy
1969 黒鹿毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Wordys Worden
Princesse d'Ys
母の母
マウタジヨウオー
1977 鹿毛
*フアバージ
Fabarge
Princely Gift
Spring Offensive
ハードホープ *ダイハード
メジロホープ
母系(F-No.) オーイエー系(FN:3-e) [§ 3]
5代内の近親交配 Nearco S5×S5 = 6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ 『優駿』1993年11月号[27]、JBISサーチ[28]およびnetkeiba.com[29]
  2. ^ 競馬ラボ[30]、netkeiba.com[29]
  3. ^ 『優駿』1993年11月号[27]、JBISサーチ[28]
  4. ^ JBISサーチ[28]、netkeiba.com[29]

父ライラリッジはアメリカで競走生活を送ったが、下級競走で2勝を挙げたのみで終わっている[27]。種牡馬としてもツインターボ以外に目立った産駒は出していない。主な母系近親には、母の従兄弟にラジオたんぱ賞の勝利馬アキビンゴがいる[27]。またツインターボの半弟ゲイリーミナレットは4勝を挙げ、GIII・マーキュリーカップで3着の成績がある。輸入馬オーイエー(GB)を祖とする牝系は5代母キヨハからメジロムサシ(天皇賞春)などメジロ牧場を中心に活躍馬が散見される。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1994年の有馬記念では道中のリードを「70メートル」と実況が表現するほどの大逃げであった[11][12]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q ツインターボ”. JBISサーチ. 2022年11月7日閲覧。
  2. ^ 『優駿』1997年1月号、日本中央競馬会、126頁
  3. ^ 『優駿』1998年4月号 p.70「"最後の個性派"宮城に死す - ツインターボ、心不全で死亡」
  4. ^ 柴田(1998)p.8
  5. ^ 柴田(1998)p.9
  6. ^ 柴田(1998)pp.10-11
  7. ^ 柴田(1998)p.12
  8. ^ a b 柴田(1998)p.16
  9. ^ 柴田(1998)p.17
  10. ^ a b c 柴田(1998)p.19
  11. ^ 『優駿』2012年1月号、46頁。 
  12. ^ 1994年 有馬記念(GⅠ)”. YouTube. 2022年7月24日閲覧。
  13. ^ JRA60周年記念競走メモリアルホースファン投票 最終結果発表![リンク切れ] - JRA、2014年3月19日
  14. ^ 【復刻】韋駄天ツインターボ大逃走劇!ライスシャワーを完封/オールカマー”. 日刊スポーツ (2023年2月24日). 2023年7月12日閲覧。
  15. ^ 『優駿』2004年10月号 pp.16、20
  16. ^ 『優駿』2004年10月号 p.16
  17. ^ 『優駿』2004年10月号 p.18
  18. ^ よしだみほ『よしだみほの20世紀100名馬』(ワニブックス、2000年)p.172
  19. ^ 『優駿』2000年10月号 p.116
  20. ^ 『優駿』2000年10月号 pp.117-118
  21. ^ a b 『競馬名馬&名勝負読本'95』(宝島社、1996年)p.92
  22. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、タイムマドンナの産駒基本情報、2021年11月2日閲覧。
  23. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、ツインロック基本情報、2021年11月2日閲覧。
  24. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、マックスウイナー基本情報、2021年11月2日閲覧。
  25. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、ターボ基本情報、2021年11月2日閲覧。
  26. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、イズミストロング基本情報、2021年11月2日閲覧。
  27. ^ a b c d 『優駿』1993年11月号、日本中央競馬会、141頁
  28. ^ a b c 血統情報:5代血統表|ツインターボ”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2016年7月14日閲覧。
  29. ^ a b c ツインターボの血統表|競走馬データ - netkeiba.com”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2016年7月14日閲覧。
  30. ^ ツインターボ - Twin Turbo - 競走馬データベース”. 競馬ラボ. 株式会社Do innovation. 2022年7月17日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]