ホワイトストーン

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ホワイトストーン
品種 サラブレッド
性別
毛色 芦毛
生誕 1987年4月2日
死没 1998年2月4日
シービークロス
ワイングラス
生国 日本の旗 日本北海道厚真町
生産 大川幾男
馬主 安藤博
調教師 高松邦男美浦南
競走成績
生涯成績 32戦4勝
獲得賞金 4億2178万1600円
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ホワイトストーン日本競走馬シービークロスとワイングラスの間に生まれた芦毛牡馬中央競馬で32戦4勝の成績を残した。主に柴田政人田面木博公が手綱を取っている。

馬齢は全て旧表記で統一する。

戦歴[編集]

3歳~4歳春[編集]

ホワイトストーンは1989年6月、札幌競馬場でデビュー。この新馬戦では5着だったが、4ヶ月後の未勝利戦で柴田政人とのコンビで逃げ切り勝ちを収めた。次走の朝日杯3歳ステークスでも柴田が騎乗し、アイネスフウジンの5着と好走、3歳時を終えている。

年が明けて4歳になると、ホワイトストーンは1月の京成杯で2着になった後、皐月賞トライアルの弥生賞で3着となり、皐月賞の優先出走権を獲得した。

クラシックの第1弾の皐月賞では、ホワイトストーンは1番人気だったアイネスフウジンとスタート直後に接触し落馬しそうになるというアクシデントが影響して道中かかってしまい、勝ったハクタイセイから0.8秒離れた8着に終わった。

ダービートライアルのNHK杯で3着になり、ダービーの優先出走権を獲得したホワイトストーンは日本ダービーに出走する事になったが、柴田がホワイトストーンと同厩のビッグマウスに騎乗する事になったため、田面木に乗り替わる事になった。レースでは乗り替わりが影響して12番人気[1]だったが、道中後方から直線で鋭く追い込み、レコードタイム(当時)で逃げ切ったアイネスフウジンの3着と好走した。

4歳秋[編集]

秋初戦となったセントライト記念で再び柴田が騎乗する事になったホワイトストーンは単枠指定の1番人気に応え1着となり、未勝利戦以来の勝利を挙げた。クラシック最終戦の菊花賞では2番人気に推されたが、メジロマックイーンを捉え切れず2着に惜敗[2]した。

ジャパンカップでは5番人気[3]だったが、南半球最強馬ベタールースンアップ、北米の強豪カコイーシーズ、フランスのオードに続き、日本馬で最先着の4着と健闘した。

有馬記念では、ジャパンカップでの好走もあって1番人気に支持されたが、ラストランを勝利で飾ったオグリキャップから約1馬身離れた3着に敗れた。

5歳[編集]

5歳になったホワイトストーンは産経大阪杯から始動した。鞍上が田面木に戻ったこのレースでは、先行策を採ったのが効を奏し、2着のダイユウサクに1馬身1/4の差をつけて完勝した。だが、春の天皇賞では3番人気に支持されたが6着、宝塚記念でも3番人気になったが4着に敗れた。

秋はオールカマーから復帰したが、このレースでは地方馬のジョージモナークを捉え切れず2着に終わった。続く秋の天皇賞では不良馬場が祟って7着、アルゼンチン共和国杯では1番人気に推されながら、60キロの斤量が堪えて15着と大敗し、この年を終えている。

6歳[編集]

6歳になったホワイトストーンは鞍上を柴田に戻したが、復帰初戦となった中山記念は3着、連覇を狙った大阪杯では5着と掲示板には載るものの勝てず、京成杯以来のマイル戦となった安田記念ではスピードについていけず9着と惨敗した。

秋はぶっつけで秋の天皇賞に出走したが5着、鞍上が田面木になった福島記念では59.5キロの斤量が祟って9着と惨敗、有馬記念では鞍上を柴田に戻したが、全くいいところなく10着に終わり、この年を終えている。

7歳以降[編集]

7歳になったホワイトストーンの初戦はAJC杯。このレースで柴田は思い切って逃げる事を選択。この作戦が見事当たり、ホワイトストーンは直線で追い込んできたレガシーワールド以下の追撃を振り切って、約2年ぶりの勝利を挙げた。これがホワイトストーンの現役最後の勝利となった。

その後、ホワイトストーンは8歳まで現役を続けたが、GI勝利を挙げる事なく、8歳夏の札幌記念で10着に終わったのを最後に引退した。

ホワイトストーンはデビュー3戦目に朝日杯3歳ステークスに出走してから現役最後のレースとなる札幌記念出走する前に札幌日経オープンに出走するまで28戦連続して重賞競走に出走していた[4]

引退後[編集]

ホワイトストーンは1995年に種牡馬入りしたが、1998年小腸癒着のため、12歳の若さで死亡した。残した産駒の中から2000年東京王冠賞を制したアローウィナーが出ている。

血統表[編集]

ホワイトストーン血統フォルティノ系(グレイソヴリン系)・5号族(5-a) / Nearco 5×5=6.25%

シービークロス
1975 芦毛
* フォルティノ
Fortino 1959
芦毛
Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Ranavalo Relic
Navarra
ズイショウ
1968 芦毛
* パーソロン Milesian
Paleo
キムラス *Turk's Reliance
*Royal Deal

ワイングラス
1983 鹿毛
* ナイスダンサー
Nice Dancer 1969
鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Nice Princess Le Beau Prince
Happy Night
ワインカラー
1978 鹿毛
* Fuji Onward Ribot
Riji
クニハヤヒメ ヒカルメイジ
雪姫

脚注[編集]

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  1. ^ 人気は低評価だったが、レース前に1番人気だったメジロライアンを管理する奥平真治が「高松さんのところの葦毛の馬が一番怖い」と発言していた[要出典]
  2. ^ 騎乗していた柴田はのちに1枠で後入りの馬を待たされていなければ、勝ったメジロマックイーンを6馬身はちぎっていたと述懐している[要出典]
  3. ^ ジャパンカップのレセプションパーティーで陣営を見舞った競馬関係者が「勝つ雰囲気がある」と報じた事から、人気が上がったという[要出典]
  4. ^ 当時の記録であったが、のちにナイスネイチャに更新されている。

外部リンク[編集]