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前述の同じ育成選手出身である[[内村賢介]]とは、2008年は[[野球の背番号|背番号]]'''98'''、'''99'''として1・2番コンビを組んでいた。背番号99を希望している[[中村紀洋]]加入後に背番号が変更されたが、2009年シーズンより中村の背番号が'''00'''、内村の背番号が'''0'''となることが決定され、結果的に背番号連番のコンビは保たれた。
前述の同じ育成選手出身である[[内村賢介]]とは、2008年は[[野球の背番号|背番号]]'''98'''、'''99'''として1・2番コンビを組んでいた。背番号99を希望している[[中村紀洋]]加入後に背番号が変更されたが、2009年シーズンより中村の背番号が'''00'''、内村の背番号が'''0'''となることが決定され、結果的に背番号連番のコンビは保たれた。

ニックネームである「マメ」の由来は、ワールドカップ日本代表でチームメイトだった[[草野大輔]](当時[[ホンダ硬式野球部|ホンダ技研熊本]]所属)からちょこまかと動き回る中村の様子を見て、「'''豆粒が動いているようにしか見えない'''」と言われたのがきっかけである。本人曰く当初は「代表チーム限定」との事であったが、後に楽天でチームメイトとなった草野と再会した事から、再び定着したという<ref>『週刊ベースボール』2012年2月24日増刊号、p.46より</ref>。


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2012年3月1日 (木) 15:33時点における版

中村 真人
東北楽天ゴールデンイーグルス #00
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県御所市
生年月日 (1982-02-02) 1982年2月2日(42歳)
身長
体重
176 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2006年 育成選手ドラフト2巡目
初出場 2008年7月1日
年俸 1,760万円(2011年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中村 真人(なかむら まさと、1982年2月2日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手外野手)。

チーム内での愛称は「マメ[1][2]

来歴

プロ入り前

篠塚和典に憧れ、香芝ボーイズで小学3年生から野球を始める。同チームには中学3年生まで在籍。智弁学園高校では2年夏に三番・右翼手として選手権大会に出場した。3年夏は四番・右翼手として奈良県大会で3本塁打を記録し[3]選手権大会に出場。3回戦で由田慎太郎を擁する桐蔭学園に敗れるも、この試合で本塁打を放っている[4]。高校通算では公式戦通算31本塁打の成績を残した[5]

近畿大学では糸井嘉男と同期で、1年次からレギュラーとして出場。関西学生リーグで通算67試合出場、230打数68安打、打率.296、0本塁打、32打点の成績を残す。2004年野村克也が監督を務めるシダックス入りした。

同年の都市対抗ではアントニオ・パチェコオレステス・キンデラン佐藤二郎のクリーンアップへつなぐ役割を果たしてチームのベスト8入りに貢献。2回戦の日本生命戦では9回裏に逆転サヨナラタイムリーを放つなどの活躍で、若獅子賞を獲得した。同年は社会人ベストナインに選ばれている。

2005年第36回IBAFワールドカップ日本代表にも選出されたが、2006年にシダックス野球部が廃部となる。シダックス時代の背番号は26同年のドラフト会議にて東北楽天より育成枠2巡目指名を受け、入団。社会人時代の恩師である野村克也の元で再び野球を続けることになった。背番号はシダックス時代の背番号にちなみ126

プロ入り後

2007年
育成選手ながら春季キャンプでは一軍メンバーに入っている。同年は二軍で52試合に出場して打率.346、153打数で三振はわずか7つ、チームトップの二塁打18本、長打率は5割を超えるなどの好成績を残した。
2008年
二軍で打率.354の活躍が認められて6月25日に支配下選手として登録され、背番号は99に変更された[6]。支配選手登録後、早速一軍戦に出場し、9月4日オリックス戦で加藤大輔からプロ初ホームラン10月4日西武戦では10回裏無死満塁で大沼幸二からプロ初のサヨナラタイムリーを放つなど、結果を残す。オールスター明け後は1番打者としてレギュラーに定着。同じく7月に育成選手から支配下登録された内村賢介と共に1・2番コンビとして活躍した[7]
2009年
背番号を00に変更。オープン戦では絶不調で開幕は二軍スタートだったが、他の選手も軒並み不調だったため早々に一軍に昇格。5月25日の横浜戦(横浜スタジアム)では自身初となる初回先頭打者ホームランを放った。6月11日のドラゴンズ戦ではプロ入り初の3番スタメンで出場した。満塁の場面で9打数5安打8打点と、シーズン打点の3分の1を満塁時にマークした。左投手を.229と苦手にしていたため終盤は宮出隆自と併用された。右翼手のレギュラーとして初の100試合出場を果たし、打率.270、3本塁打、9盗塁の成績を残した。
2010年
同年監督に就任したブラウン監督の方針で悪球打ち(後述)が禁止され、不振に陥る[8]。開幕一軍入りを果たせず。4月11日に一軍に昇格したものの3日で抹消。7月2日に再度一軍登録されて以降は抹消されることはなかったものの、出場機会は一軍初出場を果たした2008年以降で最も少ない26試合にとどまった。
2011年
牧田明久の故障や鉄平の不振などもあり、主に右投手先発時の左翼手として中島俊哉と併用された。

プレースタイル

一塁到達3.99秒の俊足と巧打を持ち味とする外野手[9]で、主に中堅手として起用される。プロ入り後は右翼手や左翼手として出場することも多い。高校時代は4番打者として通算31本塁打を放ったが、社会人時代は主に2番打者としてチームを支えた。

難しい球も芯でとらえる高いミートセンスを持ちながら[9]、ツボに入れば飛ばすパンチ力も兼ね備える[10]。その打撃センスはシダックス・楽天時代の監督である野村監督にも評価され[6][8]メジャーリーグの解説経験のある本西厚博コーチには「メジャーで通用する」と評された[1]。「悪球打ち」の技術を備え、2009年にはボールゾーン打率.228を残すなど、大きく外されたウエストボールやワンバウンドの球に対してでもバットを合わせて安打にする[1][8][11]。一方でストライクの絶好球をあっさり見逃したり(ど真ん中のボールを見逃し、ストライクのコールをされた後さも不服そうに球審を見ていた事もある)打ち損じるなど淡白な打撃をしてしまうことも多く[9]、「苦手なのはど真ん中」とも評される[2]。2009年はファーストストライクでの打率が.390と初球に強かったが、2ストライク後の打率は.211と追い込まれてからの打撃に課題を抱えた。

人物・エピソード

プロ入り後は、スポーツ新聞などでシダックス時代からの恩師、野村克也監督の「秘密兵器」や「秘蔵っ子」と紹介された[6][7]。また週刊ベースボールで「安物の天才」と称されたこともある。

シダックス時代に『探偵!ナイトスクープ』の依頼で、野村監督率いるシダックス軍団の一員として一般人と三角ベースで勝負をしたことがある。

チームメイトとの関係

入団直後の自主練習のオフ時に、その年の大物ルーキーで当時運転免許証を持っていなかった田中将大を車に乗せて美容室に連れ立って行くなど、一緒に行動していることがしばしば報道された。

前述の同じ育成選手出身である内村賢介とは、2008年は背番号9899として1・2番コンビを組んでいた。背番号99を希望している中村紀洋加入後に背番号が変更されたが、2009年シーズンより中村の背番号が00、内村の背番号が0となることが決定され、結果的に背番号連番のコンビは保たれた。

ニックネームである「マメ」の由来は、ワールドカップ日本代表でチームメイトだった草野大輔(当時ホンダ技研熊本所属)からちょこまかと動き回る中村の様子を見て、「豆粒が動いているようにしか見えない」と言われたのがきっかけである。本人曰く当初は「代表チーム限定」との事であったが、後に楽天でチームメイトとなった草野と再会した事から、再び定着したという[12]

チーム内ではいじられキャラである[2]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2008 楽天 49 162 144 15 42 6 3 1 57 12 6 3 6 0 12 0 0 14 0 .292 .346 .396 .742
2009 101 353 318 34 86 13 2 3 112 25 9 4 10 2 22 0 1 32 5 .270 .318 .352 .670
2010 26 41 40 2 9 2 0 0 11 2 0 1 0 0 1 0 0 2 3 .225 .244 .275 .519
2011 91 283 247 20 67 7 2 1 81 24 0 1 9 4 19 0 4 35 7 .271 .328 .328 .656
通算:4年 267 839 749 71 204 28 7 5 261 63 15 9 25 6 54 0 5 83 15 .272 .323 .348 .671
  • 2011年度シーズン終了時

年度別守備成績


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2008 41 63 1 2 0 .970
2009 94 145 2 0 0 1.000
2010 15 19 1 1 0 .952
2011 83 108 8 1 1 .991
通算 233 335 12 4 1 .989

表彰

記録

背番号

  • 126 (2007年 - 2008年6月24日)
  • 99 (2008年6月25日 - 同年終了)
  • 00 (2009年 - )

登場曲

関連項目

出典

  1. ^ a b c 中村“細マメバット”で外野手の定位置取り…楽天」 スポーツ報知(2011年11月16日)、2011年11月17日閲覧。
  2. ^ a b c 中村に球団から珍指令「ミタになれ!」…楽天」 スポーツ報知(2011年12月25日)、2011年12月25日閲覧。
  3. ^ 朝日新聞、1999年8月2日付朝刊、奈良地方面
  4. ^ 第81回全国高校野球選手権大会 桐蔭学園 対 智辯学園
  5. ^ 朝日新聞、1999年8月3日付朝刊、P.18
  6. ^ a b c ノムさんの秘蔵っ子が支配下選手登録」 スポーツニッポン(2008年6月26日)、2011年11月20日閲覧。
  7. ^ a b 「育成」中村10回V打で楽天の連敗止めた」 日刊スポーツ(2008年9月6日)、2011年11月20日閲覧。
  8. ^ a b c ノムさんも認めた「天才バカボン」 復活へ悪球打ち解禁」 スポーツニッポン(2011年2月18日)、2011年11月17日閲覧。
  9. ^ a b c 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、230頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8 
  10. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』白夜書房、2009年、66頁頁。ISBN 978-4-86191-508-6 
  11. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、100頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6 
  12. ^ 『週刊ベースボール』2012年2月24日増刊号、p.46より
  13. ^ 【楽スポ】中村、雨中のヘッドスライディング!」 楽天スポーツ(2008年7月18日)、2011年11月20日閲覧。
  14. ^ 楽天・中村、水たまりダイブ! その頃ベンチは・・・ 4月27日 西武-楽天」 パ・リーグチャンネル、2011年11月16日閲覧。
  15. ^ 爆笑!!ヘッドスライディング3連発」デイリースポーツ(2011年4月27日)、2011年11月20日閲覧。

外部リンク