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橋立 (防護巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋立
呉軍港に停泊する橋立(1908年11月2日)[1]
呉軍港に停泊する橋立(1908年11月2日)[1]
基本情報
建造所 横須賀造船部[2][3]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 海防艦[4][5]、または防護巡洋艦[6]
建造費 1,553,405円[4]
母港 横須賀[7][3]
艦歴
発注 1887年10月10日[8]
起工 1888年8月6日[9]
進水 1891年3月24日[9]
竣工 1894年6月26日[9]
除籍 1922年4月1日[9]
その後 雑役船(練習船)編入[9]
1925年12月25日廃船[9]
1926年売却[10]
要目
排水量 4,210トン[4]
1894年6月時:4,278英トン[5][3]
長さ 301 ft 10+116 in (92.00 m)[3]
全長 325 ftin (99.21 m)[11]
水線長 301 ftin (91.74 m)[11]
垂線間長 310 ft 10+116 in (94.74 m)[4]
または、295 ftin (89.92 m)[11]
最大幅 51 ft 1+78 in (15.59 m)[3][4]
または、51 ftin (15.62 m)[11]
深さ 34 ft 10+34 in (10.64 m)[4]
または、35 ftin (10.67 m)[11]
吃水 平均:19 ft 10+316 in (6.05 m)[4][3]
または平均:20 ftin (6.10 m)[11]
ボイラー円缶 6基[12][13]
1920年時:宮原式 8基[3]
主機 横置3気筒3段膨張レシプロ機関[14] 2基[15]
推進 2軸[16] x 108rpm(内回り)[14]
出力 計画:5,400馬力[4][14][3]
公試:4,573馬力[17]
速力 16.0ノット[17][3]
燃料 石炭:680トン[13]
石炭庫量:683トン[4]
1904年:石炭満載660トン[18][17]
1920年時:石炭672トン[3]
乗員 1890年10月定員:377名[19]
1920年調:298名[3]
兵装 32cm砲 1門[4]
12cm砲 2門[4]
47mm重砲 6門[4]
8mm5連装砲 4基[4]
魚雷発射管 4門[4]
1920年[3]
加式32cm砲 1門
安式15cm砲 4門
安式12cm砲 7門
安式8cm砲 6門
保式8cm砲 6門
保式短5cm砲 2門
麻式6.5mm機砲 1挺(警備時は2挺)
探照灯 2基
装甲 甲板平坦部:1+9/16 in(40mm)[4]
同傾斜部:1+3/16 in(30mm)[4]
露出砲塔:11+13/16 in(300mm)[4]
または
甲板:2in(50.8mm)[20]
砲塔:12in(305mm)[20]
砲盾:4in(102mm)[20]
搭載艇 1920年:6隻[3]
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橋立(はしだて)は、日本海軍海防艦[9]、または防護巡洋艦[6]1898年に二等巡洋艦に類別、1922年に二等海防艦へ類別が変更された[9]。 艦名は名所の名前で天橋立による[9]。 艦名は砲艦「橋立」に受け継がれ、 海上自衛隊でも特務艇「はしだて」として受け継がれている[21]

概要

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建造にいたる経緯については、「松島」を参照。「三景艦」のうち、唯一の国産艦である。これは何としても主要艦艇の国産化を目指したい海軍の強い意向であったが、当時の日本の技術力ではまだ背伸びをしている感があった。結果として、建造期間が他2隻よりも長く、竣工したのが日清戦争開戦直前であった。一説には、この橋立の竣工を待って開戦に踏み切ったとも言われる。

日清戦争では松島、厳島とともに奮戦して北洋艦隊を撃破し、日露戦争では、松島、厳島、日本海軍船籍になっていた「鎮遠」の3隻と組んだ第三艦隊第五戦隊の旗艦をつとめた。

艦型

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主砲の32cm(38口径)単装砲は前部甲板に据え付けられ、「厳島」と艦形が似ているが、副砲以下の装備に若干相違がある。

修理用の艦内工場を設けた[22]1902年(明治35年)月にボイラーを全て宮原式水管缶に変更した[23]

艦歴

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建造

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1887年(明治20年) 10月10日、普第4962号をもって製造着手の旨が横須賀造船所に令達された[8]1888年(明治21年)8月6日起工[9]1891年(明治24年)3月24日進水[9]1894年(明治27年)6月26日竣工[9]。 第一種に編入された[2]

日清戦争

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8月1日 日清戦争開戦、連合艦隊本隊所属。 9月17日 黄海海戦に参加[2]大連旅順澎湖島攻略作戦などに参加[2]1895年(明治28年)2月 威海衛攻撃終了、清国降伏。

1898年

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1898年(明治31年)3月21日、二等巡洋艦に類別された[2]

遠洋航海

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1901年(明治34年) 2月から8月、少尉候補生の東南アジア、清方面の遠洋航海に従事した[2]

1901年 - 1902年

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横須賀造船廠でボイラーを円缶からベルビール缶に換装した[2]

遠洋航海

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1903年(明治36年)、 少尉候補生の遠洋航海に従事した[2]

日露戦争

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1904年(明治37年)2月10日 日露戦争開戦、第三艦隊第五戦隊旗艦。 旅順攻略作戦、黄海海戦に参加[2]1905年(明治38年)5月27 - 28日 日本海海戦[2]。 樺太攻略作戦などに参加[2]

1906年 - 1908年

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1906年(明治39年)10月まで、大修理(大改造)を施行した[3]

明治39年度、明治40年度、明治41年度の少尉候補生の遠洋航海に従事した[2]

1912年

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1912年(大正元年)8月28日 二等海防艦に類別が変更された[2]

1922年

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1922年(大正11年) 4月1日軍艦籍から除かれ(除籍)[9]、 雑役船に編入、練習船に指定、横須賀海兵団で使用された[2]

その後

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1925年(大正14年) 11月30日、修理の価値無しとして廃船の上申が出され[24]、 12月25日に認許[25]、 廃船とされた[9]1926年(大正15年)5月1日、船体は170,000円で売却され[10]、 横須賀で解体された[2]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

  • 日高壮之丞 大佐:1894年6月23日 - 1895年5月18日
  • 有栖川宮威仁親王 大佐:1895年5月18日 - 1895年7月25日
  • 有馬新一 大佐:1895年7月25日 - 1895年12月27日
  • 片岡七郎 大佐:1895年12月27日 - 1896年11月5日
  • 上村正之丞 大佐:1897年6月1日 - 1898年9月1日
  • 小倉鋲一郎 大佐:1898年9月1日 - 1899年5月1日
  • 桜井規矩之左右 大佐:1899年5月1日 - 1899年5月24日
  • 梨羽時起 大佐:1899年5月24日 - 1900年5月20日
  • 宮岡直記 大佐:1900年11月6日 - 1901年8月30日
  • 井手麟六 大佐:1902年10月6日 - 1903年9月11日
  • 加藤定吉 大佐:1903年10月12日 - 1905年1月7日
  • 福井正義 大佐:1905年1月7日 - 1905年11月21日
  • 石橋甫 大佐:1905年11月21日 - 1906年8月30日
  • 山縣文蔵 大佐:1906年8月30日 - 1907年8月5日
  • 西山実親 大佐:1907年8月5日 - 1908年8月28日
  • 山口九十郎 大佐:1908年9月25日 - 1908年12月10日
  • (兼)今井兼胤 大佐:1908年12月10日 - 1908年12月23日
  • 今井兼胤 大佐:1908年12月23日 - 1909年12月1日
  • 秋山真之 大佐:1909年12月1日 - 1910年4月9日
  • 町田駒次郎 大佐:1910年4月9日 - 1910年12月1日
  • 舟越楫四郎 大佐:1910年12月1日 - 1911年12月1日
  • 布目満造 大佐:1911年12月1日 - 1912年12月1日
  • 吉岡範策 大佐:1912年12月1日 - 1914年8月23日
  • 正木義太 大佐:1914年12月1日 - 1915年2月22日
  • (心得)犬塚助次郎 中佐:1915年2月22日 - 1915年9月13日
  • (心得)大石正吉 中佐:1915年9月13日 - 1916年4月1日
  • 大石正吉 大佐:1916年4月1日 - 1916年4月4日
  • (兼)岡田三善 大佐:1916年4月4日 - 1918年12月1日
  • (兼)村上鋠吉 大佐:1918年12月1日 - 1919年11月20日
  • (兼)増田幸一 大佐:1919年11月20日 - 1920年11月12日
  • 樺山信之 中佐:1920年11月12日[26] - 1921年9月17日[27]
  • 吉富新八 大佐:1921年9月17日[27] -

ギャラリー

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脚注

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出典

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  1. ^ #海軍艦艇史2(1980)p.68、写真No.2092
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 中川努「主要艦艇艦歴表」#全艦艇史(1994)資料篇p.3、橋立
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その一「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q #日本近世造船史明治(1973)355-358頁。
  5. ^ a b #海軍軍備沿革p.48
  6. ^ a b #日本の戦艦(上)2001p.27
  7. ^ #内令提要7版/艦船(1)画像1-3、艦艇本籍別一覧表 大正四年四月一日調。
  8. ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.384
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n #浅井(1928)pp.68-69、「72 橋立 はしだて Hasidate.」
  10. ^ a b #T15-S1公文備考30/公称第512号汽艇廃船処分の件(3)画像26、横廠第63号の2の11
  11. ^ a b c d e f #日本の戦艦(上)2001p.106
  12. ^ #日本近世造船史明治(1973)413頁。
  13. ^ a b 日本の戦艦(下)2001p.42
  14. ^ a b c 日本の戦艦(下)2001p.48
  15. ^ #日本近世造船史明治(1973)434頁。
  16. ^ #日本近世造船史明治(1973)376頁。
  17. ^ a b c #帝国海軍機関史(1975)下巻p.279、戦役従軍艦艇及其の最近高力運転成績。
  18. ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.263、戦役中艦艇石炭搭載成績表
  19. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.190-192、明治23年10月18日(勅令235)軍艦団隊定員
  20. ^ a b c #日本の戦艦(上)2001p.216
  21. ^ 特務艇「はしだて」型”. 海上自衛隊. 2022年7月16日閲覧。
  22. ^ #日本近世造船史明治(1973)377頁。
  23. ^ #日本近世造船史明治(1973)414頁。
  24. ^ #T14公文備考25/練習艦橋立売却画像5、大正14年11月30日横鎮機密第960号の3「練習艦橋立廃却ノ件 首題練習艦橋立ハ別紙検査證ノ通船体其ノ他一般ニ老衰甚シク修理ヲ加フノ価値無之ニ付廃却処分致度候條御認許相成度 右上申ス」
  25. ^ #T14公文備考25/練習艦橋立売却画像2、大正14年12月25日官房第4139号「十一月三十日附横鎮機密第九六〇号ノ三上申雑役船橋立廃却ノ件認許ス」
  26. ^ 『官報』第2486号、大正9年11月13日。
  27. ^ a b 『官報』第2741号、大正10年9月19日。
  28. ^ #艦艇写真集(2005)巡洋艦p.25、写真No.052909

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『第72号 7版 内令提要 完/第3類 艦船(1)』。Ref.C13072068600。 
    • 『大正14年 公文備考 艦船5 巻25/練習艦橋立を売却』。Ref.C08051373600。 
    • 『大正15年 昭和元年 公文備考 艦船5 巻30/呉鎮第32号の87の2公称第512号汽艇廃船処分の件(3)』。Ref.C04015131600。 
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 泉江三『軍艦メカニズム図鑑 日本の戦艦 上』グランプリ出版、2001年4月。ISBN 4-87687-221-X 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 「海軍軍備沿革」、海軍大臣官房、1921年10月。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 呉市海事歴史科学館 編『日本海軍艦艇写真集 巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。ISBN 4-478-95059-8 
  • 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『海軍艦艇史 2 巡洋艦コルベット・スループ』KKベストセラーズ、1980年6月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 横須賀海軍工廠/編『横須賀海軍船廠史』 明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。 
  • 官報

関連項目

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