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ナスノカオリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナスノカオリ
欧字表記 Nasuno Kaori[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1968年4月7日[1]
死没 1997年7月28日
(30歳没)
パーソロン[1]
ナスノホシ[1]
母の父 フォウティラージュ[1]
生国 日本の旗 日本栃木県
那須郡那須町[1]
生産者 那須野牧場[1]
馬主 那須野牧場[1]
調教師 稲葉幸夫東京[1]
厩務員 谷村
競走成績
タイトル 啓衆社賞最優秀4歳牝馬1971年[1]
生涯成績 27戦8勝[1]
獲得賞金 7594万0000円[1]
勝ち鞍
八大競走 桜花賞 1971年
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ナスノカオリ(欧字名:Nasuno Kaori1968年4月7日 - 1997年7月28日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

1971年桜花賞を制し、同年の啓衆社賞最優秀4歳牝馬に選出された。全妹優駿牝馬(オークス)優勝のナスノチグサがいる。

経歴

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デビューまで

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1968年4月7日栃木県那須郡那須町那須野牧場にて誕生[2]。幼名を漢字で命名する牧場の方針があり、1968年産に共通して付される「映」に母ナスノホシから「星」を組み合わせて「映星」と命名された[3]。映星は、視力の弱さが懸念されたものの競走に影響するものではなかった。当歳秋に離乳、その1週間後に馬追い運動が行われた[3]。10頭ほどの同期とともに中団を走る姿は注目されていた。2歳秋には、ハミや鞍をつけて騎手が乗って育成された。坂路調教でも余裕で駆けあがっていた[4]

映星は牧場自身で所有し、冠名「ナスノ」に「カオリ」が組み合わせた「ナスノカオリ」と命名された[4]。2歳秋に東京競馬場に厩舎を構える稲葉幸夫厩舎に入厩した[4]

競走馬時代

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3歳(1970年)

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デリケートな性格で消化が悪く、追い切りをすると頻繁に熱発していた[5]

1970年7月25日福島競馬場新馬戦(芝1000m(良)メートル)に嶋田功が騎乗しデビュー。1番人気に支持されたが、2着に敗れた[4]。その3週間後の2戦目の新馬戦では、後方に9馬身離して逃げ切り初勝利を果たした[4]。その後、芙蓉ステークス5着を挟み、条件戦のサルビア賞ではカネヒムロに1馬身半差をつけて2勝目となった。その後、稲葉はナスノカオリの力がまだ発達していないことを考慮し、有力馬との対戦を避け、重賞ではなくオープン競走に進んだ。年末中山競馬場のマイル戦に出走し、1番人気に応えて逃げ切り3勝目となった[4]

4 - 5歳(1971 - 1972年)

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4歳となる1971年1月、新春4歳牝馬ステークスで始動したが、初の重馬場ということもあり6着に敗退した[4]。その後一休みして、2月28日に阪神競馬場に移動した。この頃より、抱えていた消化の悪さや熱発が見られなくなった[4]。3月28日の桜花賞トライアル競走である阪神4歳牝馬特別に出走した。9番人気の評価を受け、好位から直線で逃げ馬を捕らえて先頭に立ったが、ソラをつかうなどして伸びず、追い上げた人気薄のエリモジェニーにクビ差かわされた2着となった[4]。嶋田は「良馬場なら楽しみ」と桜花賞に期待した[4]

4月18日の桜花賞は、雨が降り不良馬場となった。稲葉は、重馬場が苦手だとして桜花賞を「七分あきらめている[4]」というほどであり、出走前日まで9番人気であった[4]。ナスノカオリは、調教内容、体調の両方が評価されたこともあり、当日直前には1番人気に支持された[4]。稲葉は、嶋田に「スタートで出遅れるな。それに負けてもいいから外を回ってこい」と指示した[4]。嶋田は出遅れないように右足に拍車を装着し、良いスタートを切った[5]。逃げ馬を臨む好位に位置した[4]。最終コーナーで大外から逃げ馬に迫り、残り100メートルで先頭となるとソラなどを使わずに伸び、後方に2馬身つけて勝利した。嶋田にとって初のクラシック勝利となった[5]

東京に戻り、優駿牝馬(オークス)のトライアル競走である東京4歳牝馬特別に2番人気で出走した[5]。3番手から直線コースの坂で先頭となり、後方に1馬身半離して勝利。連勝の身で、6月5日の優駿牝馬(オークス)に参戦し1枠1番に収まった[5]。これまでサルビア賞、桜花賞、東京4歳牝馬特別など4回1枠1番となり、そのすべてで勝利しているジンクスもあり1番人気に推された[5]。スタートから馬場の内側の好位につけていたが、最終コーナーではすでに後退。直線に入っても巻き返すことができず10着に敗退した。嶋田は敗因を重い馬場に求めていた[5]

夏を休養して、牝馬東京タイムズ杯で復帰し、トウメイに差をつけられて5着。それ以降定期的に出走したが、1年4か月間勝利することができなかった[5]。5歳秋に新潟競馬場福島競馬場のオープンを3勝し、有馬記念の推薦馬に選出されて出走。最低人気ながらタケデンバードに先着するなど9着となり、このレースを最後に競走馬を引退した[5]

繁殖牝馬時代

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引退後は那須野牧場で繁殖牝馬となり、初年度はムーティエが配合された[6]。初仔となる牡馬を出産し、評判だったが疝痛により2歳で死んだ[6]。続いてラディガを父に持つ2番仔(後のナスノアロマ)を生産した[6]。その後、卵巣の機能障害に見舞われて卵巣を片方失ったこともあり、テスコボーイノーザンテーストなど人気種牡馬を配合しても、不受胎、流産を繰り返してしまった[6]北海道様似郡様似町の瀬口信正牧場に場所を移して生産を試みたが、流産を繰り返して再び那須野牧場に戻った[6]

その後も不受胎を繰り返し、1991年以降種付けが実施されなかった[6]。1997年7月28日に30歳で死亡した。

競走成績

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以下の内容は、netkeiba.com[7]およびJBISサーチ[8]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬)
1970.07.25 福島 3歳新馬 芝1000m(良) 9 3 3 003.60(1人) 02着 1:00.4 0嶋田功 52 デルージターフ
0000.08.15 福島 3歳新馬 芝1000m(良) 9 4 4 002.30(1人) 01着 0:58.7 0嶋田功 52 (モラールターフ)
0000.09.13 中山 芙蓉S 芝1200m(良) 6 6 6 004.60(2人) 05着 1:13.2 0嶋田功 52 パワーエクスプレス
0000.10.04 中山 サルビヤ賞 2下 芝1200m(稍) 13 1 1 005.00(1人) 01着 1:11.9 0嶋田功 52 (カネヒムロ)
0000.11.07 東京 3歳オープン 芝1400m(重) 7 4 4 004.90(3人) 03着 1:26.9 0嶋田功 53 ヤシマライデン
0000.11.28 東京 3歳オープン 芝1400m(稍) 13 6 8 011.40(4人) 03着 1:26.3 0嶋田功 53 キヨハヤ
0000.12.26 中山 3歳オープン 芝1600m(良) 7 1 1 004.50(1人) 01着 1:37.2 0嶋田功 53 (ハツイチオー)
1971.01.23 東京 新春4歳牝馬S 芝1600m(重) 9 4 4 015.00(3人) 06着 1:42.8 0嶋田功 54 カネヒムロ
0000.03.28 阪神 阪神4歳牝馬特別 芝1400m(良) 21 5 11 028.10(9人) 02着 1:24.8 0嶋田功 54 エリモジェニー
0000.04.18 阪神 桜花賞 芝1600m(不) 25 1 1 010.20(1人) 01着 1:39.9 0嶋田功 55 (ホマレマツ)
0000.05.16 東京 東京4歳牝馬特別 芝1800m(良) 15 1 1 005.60(2人) 01着 1:50.2 0嶋田功 54 (ミスアリシドン)
0000.06.06 東京 優駿牝馬 芝2400m(不) 23 1 1 005.90(1人) 10着 2:38.3 0嶋田功 55 カネヒムロ
0000.10.31 東京 牝馬東京タイムズ杯 芝1600m(重) 13 8 12 012.40(4人) 05着 1:38.9 0嶋田功 54 トウメイ
0000.11.14 東京 カブトヤマ記念 芝2000m(良) 11 8 10 005.60(2人) 03着 2:02.7 0嶋田功 55 カツタイコウ
0000.12.05 中山 クモハタ記念 芝1800m(良) 9 8 8 006.10(3人) 04着 1:49.6 0嶋田功 51 トウショウピット
1972.04.02 福島 5歳上300万下 芝1600m 0 7 8 004.30(2人) 06着 1:39.0 0嶋田功 57 ハーバーローヤル
0000.05.03 東京 京王杯SHC 芝1800m(良) 16 2 4 010.50(5人) 07着 1:51.1 0嶋田功 51 ダイセンプー
0000.05.28 中山 中山牝馬S 芝2000m(良) 9 3 3 004.60(2人) 03着 2:04.3 0嶋田功 51 クリケント
0000.07.23 東京 安田記念 芝1600m(不) 13 4 4 020.70(9人) 07着 1:39.7 0嶋田功 50 ラファール
0000.09.03 新潟 BSN杯 芝1800m(良) 7 2 2 005.20(3人) 01着 1:48.8 0嶋田功 55 (グランドプロス)
0000.09.17 新潟 新潟記念 芝2000m(稍) 7 5 5 010.90(4人) 04着 2:04.0 0嶋田功 56 パッシングゴール
0000.10.01 新潟 新潟日報賞 芝1600m(良) 6 4 4 003.10(1人) 01着 1:35.8 0小島太 56 (メジロターマリン)
0000.10.15 新潟 関屋記念 芝1800m(良) 10 7 8 005.70(3人) 03着 1:49.6 0徳吉一己 56.5 パッシングゴール
0000.10.29 福島 河北新報杯 芝1600m(良) 6 6 6 002.70(1人) 01着 1:37.3 0小島太 57 (グランドプロス)
0000.11.19 福島 福島大賞典 芝1800m(良) 8 8 8 006.00(3人) 02着 1:50.4 0小島太 58 タクマオー
0000.12.03 東京 クモハタ記念 芝1800m(良) 19 7 15 022.90(7人) 15着 1:49.9 0小島太 57 タケデンバード
0000.12.17 中山 有馬記念 芝2500m(良) 14 6 9 064.7(14人) 09着 2:39.9 0小島太 54 イシノヒカル

血統表

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ナスノカオリ血統トウルビヨン系 / Pharos、Fairway 4×5、Tourbillon 5×5、Lady Juror 5×5、Blandford 5×5) (血統表の出典)

*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
父の父
Milesian
1953 鹿毛
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
父の母
Paleo
1953 鹿毛
Pharis Pharos
Carissima
Colonice Abjer
Colonis

ナスノホシ
1962 黒鹿毛
Faux Tirage
1946 鹿毛
Big Game Bahram
Myrobella
Commotion Mieuxce
Riot
母の母
*ロゼッタ
Rosetta
1954 栗毛
Fair's Fair Fair Trial
Fairy Godmother
Rose Marie Autopay
Diversity F-No.13-a


脚注

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出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ナスノカオリ”. JBISサーチ. 2021年5月15日閲覧。
  2. ^ 『優駿』1991年11月号 61頁
  3. ^ a b 『優駿』1991年11月号 62頁
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『優駿』1991年11月号 63頁
  5. ^ a b c d e f g h i 『優駿』1991年11月号 64頁
  6. ^ a b c d e f 『優駿』1991年11月号 65頁
  7. ^ ナスノカオリの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年5月20日閲覧。
  8. ^ 競走成績:年度別累計成績/主な成績|ナスノカオリ”. JBISサーチ. 2021年5月20日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 優駿』1991年11月号、日本中央競馬会、1991年11月1日。
    • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 66】那須野の名花"香と千草" ナスノカオリ」

外部リンク

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