大月市

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おおつきし ウィキデータを編集
大月市
大月市旗 大月市章
大月市旗 大月市章
1954年10月1日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 山梨県
市町村コード 19206-6
法人番号 8000020192066 ウィキデータを編集
面積 280.25km2
総人口 20,783[編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度 74.2人/km2
隣接自治体 上野原市都留市甲州市笛吹市南都留郡富士河口湖町北都留郡小菅村
市の木 八重桜
市の花 山ゆり
大月市役所
市長 小林信保
所在地 401-8601
山梨県大月市大月二丁目6番20号
北緯35度36分38秒 東経138度56分24秒 / 北緯35.61056度 東経138.94000度 / 35.61056; 138.94000 (大月市)座標: 北緯35度36分38秒 東経138度56分24秒 / 北緯35.61056度 東経138.94000度 / 35.61056; 138.94000 (大月市)
大月市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

大月市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
岩殿山麓から大月市街を望む

大月市(おおつきし)は、山梨県東部の郡内地方に位置する人口約2.2万人のである。

地理

県東部に位置しており、東京都心からは約80kmの距離にある関東大都市圏の都市である。市域面積は広大で、郡内地方は秩父山地御坂山地丹沢山地などに属する山間部にあり、市街地は南部を東流する桂川(相模川)や支流の笹子川、葛野川などに沿って急峻な山と深い渓谷に挟まれた平坦地に形成されている。北部は山岳地帯。市街中心地は大月駅周辺の南部に集中しており、この付近に中央自動車道中央本線国道20号甲州街道)が東西に通り、南北を国道139号が通じる。また、富士吉田市方面に通じる富士急行大月線等も通じる。1981年から2010年までの平年値による年平均気温は13.0℃、年降水量は1406.5mm[1]

梁川町、富浜町、猿橋町、七保町、賑岡町、大月町、初狩町、笹子町の地域区分がある。

1975年(昭和50年)撮影の大月市中心部周辺の空中写真。
1975年撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

隣接している自治体

歴史

先史・古代

市街地の北側に岩殿山がそびえる。

郡内地方は相模川水系をはじめとする河川の河岸段丘上に多くの考古遺跡が散在し、市域でも縄文時代の遺跡は80か所以上が確認されており、定住痕跡もみられる。郡内では平坦地に乏しいため縄文後晩期には遺跡数が減少し、弥生時代以降の遺跡は極めて少ない。

律令制下には都留郡福地郷・征茂郷に比定されている。奈良・平安時代の遺跡では大月遺跡、原田遺跡、太田ヶ原遺跡などがあり、古墳時代から継続的に集落が営まれてきた。また、笹子川流域においては甲府盆地東端との交流も考えられている。

中世

市域西部の波加利荘平安時代武蔵七党横山党の分流古郡氏の旧領で、鎌倉時代建暦3年(1213年)に古郡氏が和田合戦に荷担して滅亡した後には宣陽門院領となり、武田氏島津氏地頭となっている。

戦国期に郡内領主として出現する小山田氏が都留市域に本拠を構え、大月市域でも郷村支配が確認されている。岩殿山修験者からの信仰を集めた霊山で、小山田氏や国中地方の武田氏、江戸期には谷村藩秋元氏らの保護をうけた円通寺があった。

市域東部の猿橋百済渡来人が架橋した伝説を伝え日本三奇橋の一つに数えられているが、交通の要衝でもある付近の地域呼称でもあった。『鎌倉大草紙』に拠れば、応永34年には関東公方足利持氏武田信長追討のために一色持家を派遣し、猿橋の地で合戦が行われたという。また、戦国時代には大永4年(1524年)に武田信虎が猿橋を拠点に相模国奥三方(神奈川県津久井郡)まで出陣して北条氏綱と戦っている。郡内領主の小山田氏は武田に服属し、岩殿山に岩殿山城を築いている。

近世・近現代

江戸時代には甲州街道の宿場が整備され、街道の45の宿場のうち12宿が現在の大月市内にあった。江戸からの往来が盛んとなり、奇橋猿橋は荻生徂徠峡中紀行』や歌川広重などの旅行者によって紹介された。山間部である郡内の特徴として田地は少なく、市域の生業は焼畑による畑作のほか宿場での駄賃稼ぎや林業などの山稼ぎや養蚕、農間余業として郡内織と呼ばれる織物生産を行い、谷村や上野原の市場へ出荷していた。

第二次世界大戦後期は日本を空襲するB-29富士山から東京空襲のため東に向かう経路にあることから、陸軍の防空監視哨が複数設けられた。1945年8月13日、終戦の2日前に市内の工場への空襲があり勤労動員されていた生徒らが被害を受けた。

織物産業は戦後一時期まで基幹産業であったが、現在では衰退している。市内に勤務先は乏しく交通機関の整備により東京圏に汲み込まれ、勤労者の多くが東京都多摩地域の企業などに通勤している。ただし2000年頃から長期不況による都心回帰現象により通勤者及び人口は減少しつつある。

行政区画の変遷

人口


大月市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


地域

現行行政町名等

大月市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。

町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
笹子町黒野田 ささごまちくろのだ 1954年8月8日 未実施
笹子町白野 ささごまちしらの 1954年8月8日 未実施
笹子町吉久保 ささごまちよしくぼ 1954年8月8日 未実施
初狩町下初狩 はつかりまちしもはつかり 1954年8月8日 未実施
初狩町中初狩 はつかりまちなかはつかり 1954年8月8日 未実施
大月一〜三丁目 おおつき 1967年4月1日 1967年4月1日 大月町大字大月、大月町大字駒橋の各一部
駒橋一〜三丁目 こまはし 1967年4月1日 1967年4月1日 大月町大字駒橋、大月町大字大月の各一部
御太刀一・二丁目 みたち 1967年4月1日 1967年4月1日 大月町大字駒橋、大月町大字大月の各一部
大月町大月 おおつきまちおおつき 1954年8月8日 未実施
大月町駒橋 おおつきまちこまはし 1954年8月8日 未実施
大月町花咲 おおつきまちはなさき 1954年8月8日 未実施
大月町真木 おおつきまちまぎ 1954年8月8日 未実施
賑岡町浅利 にぎおかまちあさり 1954年8月8日 未実施
賑岡町岩殿 にぎおかまちいわどの 1954年8月8日 未実施
賑岡町奥山 にぎおかまちおくやま 1954年8月8日 未実施
賑岡町強瀬 にぎおかまちこわぜ 1954年8月8日 未実施
賑岡町畑倉 にぎおかまちはたぐら 1954年8月8日 未実施
賑岡町ゆりケ丘 にぎおかまちゆりがおか 未実施 町名地番整理実施区域
七保町浅川 ななほまちあさかわ 1954年8月8日 未実施
七保町葛野 ななほまちかずの 1954年8月8日 未実施
七保町駒宮 ななほまちこまみや 1954年8月8日 未実施
七保町下和田 ななほまちしもわだ 1954年8月8日 未実施
七保町瀬戸 ななほまちせと 1954年8月8日 未実施
七保町奈良子 ななほまちならご 1954年8月8日 未実施
七保町林 ななほまちはやし 1954年8月8日 未実施
猿橋町朝日小沢 さるはしまちあさひおざわ 1954年8月8日 未実施
猿橋町伊良原 さるはしまちいらばら 1954年8月8日 未実施
猿橋町小沢 さるはしまちおざわ 1954年8月8日 未実施
猿橋町小篠 さるはしまちおしの 1954年8月8日 未実施
猿橋町桂台一〜三丁目 さるはしまちかつらだい 未実施 町名地番整理実施区域
猿橋町猿橋 さるはしまちさるはし 1954年8月8日 未実施
猿橋町殿上 さるはしまちとのうえ 1954年8月8日 未実施
猿橋町藤崎 さるはしまちふじさき 1954年8月8日 未実施
富浜町鳥沢 とみはままちとりさわ 1954年9月8日 未実施
富浜町宮谷 とみはままちみやたに 1954年9月8日 未実施
梁川町新倉 やながわまちあらくら 1954年8月8日 未実施
梁川町塩瀬 やながわまちしおぜ 1954年8月8日 未実施
梁川町立野 やながわまちたちの 1954年8月8日 未実施
梁川町綱の上 やながわまちつなのうえ 1954年8月8日 未実施

郵便

郵便番号

  • 401-00xx - 大月郵便局管轄(下記以外)
  • 409-05xx - 上野原郵便局管轄(富浜町、梁川町)
  • 409-06xx - 上野原郵便局管轄(七保町、猿橋町)

郵便局

電話番号

市外局番

  • 0554-xx - 大月MA(上野原市、大月市、都留市、道志村)

行政

教育

市内の小中学校は小規模校が多く、児童数減少で複式学級化も予測されたため、2006年6月に小学校5校、中学校2校への統合計画が作成され[3]、2016年までに統合を完了した。

短期大学

高等学校

中学校

市立

  • 大月市立大月東中学校
  • 大月市立猿橋中学校

小学校

市立

  • 大月市立大月東小学校
  • 大月市立猿橋小学校
  • 大月市立鳥沢小学校
  • 大月市立七保小学校
  • 大月市立初狩小学校

交通

鉄道

路線バス

道路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

JR東日本中央本線は東京駅からの直通電車があり、中央自動車道大月インターチェンジがある等、東京方面からの交通の便が良く、本格的な自然、甲州街道沿いの歴史文化や富士山の眺望などを特徴としている。一方、富士五湖地域や観光果樹園などが多い峡東地域に比べると観光の魅力が弱く、これらの観光地への通過地となっているという指摘もなされている[4]

名所・旧跡

  • 宮谷白山遺跡 - 縄文時代中期のものと考えられる竪穴住居跡。
  • 鎌田氏館跡 - 鎌田兵衛尉の屋敷跡
  • 猿橋 - 日本三奇橋の一つ。付近の桂川とともに名勝指定。
  • 八ツ沢発電所一号水路橋 - 水路橋を含む発電施設が国の重要文化財に指定。
  • 星野家住宅 - 旧宿場町の下花咲の本陣跡。国の重要文化財に指定。
  • 旧今井医院 - 大正初期の洋風建築。国の登録有形文化財
  • 笹子隧道 - 国の登録有形文化財。
  • 岩殿山城 - 岩殿山ふれあいの館。県指定史跡。

観光施設

温泉

  • 真木温泉

無形文化財

  • 追分の人形芝居 - 笹子峠のふもと、新田地区に18世紀の頃より受け継がれてきた人形浄瑠璃芝居。
  • 笹子餅-みどりや(初狩)
  • 猿橋饅頭-猿橋で売っている白餡饅頭。
  • にごみ-大月で売っているうどんに白味噌と大根と油揚げで煮込んだもの。

登山・ハイキング

  • 秀麗富嶽十二景 - 大月市域内にあり、富士山を望む優れた景観がある場所として、 山梨県大月市が1992年に定めた12の山域(山頂)。
  • 笹子峠

娯楽施設

  • 白猿座 - 劇場・映画館(~1960年代)
  • 鳥沢映画劇場 - 映画館(~1960年代)
  • 七保映画劇場 - 映画館(~1960年代)
  • 橋栄映画劇場 - 映画館(~1960年代)
  • えくらん座 - 劇場・映画館(~1960年代)
  • 明月座 - 劇場・映画館(~1970年代)
  • 大月シネマ - 映画館(~1980年代)

著名な出身者

方言

大月などの郡内方言は、西関東方言のエリアになるが、アとエの中間のような発音に置き換えられるものがある。(例)泣いている→にゃーてる。これは、静岡弁の影響が強いという説がある。

また、「食べるら?(食べるでしょ)」「もう行くら?(もう行くでしょ)」と語尾に「ら」をつけることも多い。これは長野・山梨・静岡方言(ナヤシ方言)で広く用いられる話法でもある。

脚注

  1. ^ 平年値(年・月ごとの値) 気象庁、2018年1月20日閲覧
  2. ^ 大月市 今後の選挙
  3. ^ 大月市立小・中学校適正配置審議会答申
  4. ^ 平成21年大月市観光振興計画 - 大月市公式サイト内

外部リンク