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矢頭高雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
矢頭 高雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県大月市
生年月日 (1934-06-25) 1934年6月25日
没年月日 (2003-03-09) 2003年3月9日(68歳没)
身長
体重
174 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手三塁手
プロ入り 1957年
初出場 1957年
最終出場 1967年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

矢頭 高雄(やとう たかお、1934年6月25日 - 2003年3月9日)は、日本プロ野球選手外野手三塁手)。

経歴

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プロ入りまで

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山梨県大月市出身。都留高校では、1952年の夏の甲子園にエースとして出場[1]。この時にバッテリーを組んだのは、1歳年下で、後に投手として大阪タイガースに入団し、新人王になった西村一孔であった[1]。この甲子園では、1回戦で豊田泰光を擁する水戸商に敗れた。

高校卒業後は立教大学へ進学し野手へ転向。東京六大学野球リーグでは1953年春季リーグで優勝を経験するが、その後は明大早大に圧倒され優勝には届かなかった。4年生時には主将を務めた。大学同期に東実堀本律雄、1年下に長嶋茂雄杉浦忠らがいる。リーグ通算86試合出場、289打数70安打、打率.242。

現役時代

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1957年大映ユニオンズに入団、開幕直後から中堅手のレギュラーを獲得し、規定打席(21位、打率.248)にも到達する[1]。しかし大映は翌1958年に毎日オリオンズに吸収合併され、大毎オリオンズとなる。同年は主に五番打者として活躍、打率.285(ベストテン8位)の好成績を記録した。

翌年から右翼手に回り、1960年にはチームのリーグ初優勝に貢献、ミサイル打線の脇役として活躍した[2]。しかし同年の大洋との日本シリーズでは無安打に終わり、真価を発揮できなかった。1962年には強肩を活かそうという宇野光雄監督の意向で、葛城隆雄とポジションを交換し三塁手に回る。しかし翌年は再び外野手としての起用が増え、1964年からは外野手に専念。その後は森徹の移籍入団、池辺巌の台頭もあって出場機会が減り、1967年限りで現役引退。

引退後

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引退後は東京・ロッテでコーチを務め、得津高宏にショートの頭上方向を狙う打撃を教え、一、二塁間を抜く当たりをスランプの前兆と口酸っぱくして言った[3]

1980年からは大沢啓二1971年途中 - 1972年までロッテ監督で大学の1年先輩)が監督を務めていた日本ハムの一軍打撃兼外野守備コーチを務め、1961年のリーグ優勝に貢献。1983年には打撃コーチ専任となる。1984年には大毎時代の同僚だった植村義信が監督に就任。矢頭はヘッドコーチを兼任するも[2]、シーズン途中に植村が辞任し、監督代理として2試合指揮をとった[1]

同年退団後、株式会社山元の取締役専務となった。

2003年3月9日肝細胞がんのため東京都内の病院で死去[4]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1957 大映 12241436731911449140466910631006710.248.307.381.688
1958 大毎
東京
1274984564713029661894813106132337817.285.336.414.751
1959 12442339155942141416549163671811717.240.276.422.698
1960 12842239641909351204056541720866.227.259.303.562
1961 135376351418212461203782521810589.234.271.342.613
1962 1193132872363415842721821501478.220.261.293.553
1963 138477443531122418162261051212110526.253.287.366.652
1964 14443039846106112313020941111911334.266.301.327.628
1965 1082402191852514711533311720132.237.292.324.617
1966 771161108295013751031200132.264.277.336.613
1967 1825230300030001010060.130.167.130.297
通算:11年 124037343441363852134266112213137343702619111652471.248.288.355.643
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大毎(毎日大映オリオンズ)は、1964年に東京(東京オリオンズ)に球団名を変更

通算監督成績

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  • 2試合 2勝0敗0分 勝率1.000

記録

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節目の記録
  • 1000試合出場:1964年8月8日 ※史上88人目
その他の記録

背番号

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  • 6 (1957年)
  • 7 (1958年 - 1967年)
  • 55 (1970年 - 1972年)
  • 85 (1973年 - 1984年)

脚注

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  1. 1 2 3 4 日本プロ野球偉人伝 vol.4、75ページ(2013年、ベースボール・マガジン社)
  2. 1 2 [完全保存版] 草創期から支え続けた147人の監督列伝 日本プロ野球昭和の名将、ベースボール・マガジン社、2012年、P100
  3. 二宮清純『プロ野球 名人たちの証言 (講談社現代新書)』講談社2014年3月19日ISBN 4062882566、p104。
  4. 朝日新聞、2003年3月10日付夕刊、4版、15面

関連項目

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外部リンク

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