笹子峠

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Japanese Route Sign Number 2.svgJapanese Route Sign Number 1.svgJapanese Route Sign Number 2.svg
山梨県道212号標識
笹子峠
Sasagotouge.JPG
笹子峠から甲府盆地方面を望む
標高 1,096 m
所在地 山梨県大月市甲州市
位置 北緯35度36分46.6秒 東経138度46分47.8秒 / 北緯35.612944度 東経138.779944度 / 35.612944; 138.779944座標: 北緯35度36分46.6秒 東経138度46分47.8秒 / 北緯35.612944度 東経138.779944度 / 35.612944; 138.779944
山系 大菩薩連嶺奥秩父山塊
通過する交通路 山梨県道212号日影笹子線笹子隧道
Japanese National Route Sign 0020.svg 国道20号新笹子隧道(トンネル)
Chuo Expwy Route Sign.svg 中央自動車道笹子トンネル
中央本線笹子トンネル・新笹子トンネル
Project.svg プロジェクト 地形
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笹子峠の位置
笹子峠の位置
笹子峠の
位置
笹子峠の位置

笹子峠(ささごとうげ)は、山梨県大月市甲州市の境にある標高1,096m

歴史[編集]

甲州街道江戸下諏訪のほぼ中間の、黒野田宿と駒飼宿の間にあたり、同街道の最大の難所と言われた。

1880年明治13年)明治天皇の山梨巡幸の際には、峠上から少し下った大月側の甘酒茶屋で休憩を取ったことから、後年、茶屋跡に「明治天皇御野立所跡」という石碑が建てられた[1]

1920年大正9年)旧道路法の施行により甲州街道は国道8号(現在の国道20号)に指定されるが、笹子峠経由にはならず大月から富士吉田を経由して御坂峠を越える(現在の国道137号139号)ルートになったため県道に降格される。

1938年昭和13年)峠の頂上のほぼ真下を貫く笹子隧道(全長:240m)が開通。1952年(昭和27年)、新道路法制定に伴い国道8号が国道20号に変更された際に御坂峠越えから再び笹子峠越えにルートが変更される。1958年(昭和33年)には新笹子隧道(トンネル)(全長:2,953m)が開通したことで、国道20号はこの峠道を通らなくなり、峠道は山梨県道212号日影笹子線とされた。

笹子峠を貫く各トンネル位置関係を示した甲斐大和駅付近(西口)の空中写真。黒色のラインが中央本線。青色のラインが中央道。オレンジ色のラインが国道20号。トンネル部はすべて赤色のラインで示した。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。1975年撮影。
笹子峠を貫く各トンネル位置関係を示した笹子駅付近(東口)の空中写真。黒色のラインが中央本線。青色のラインが中央道。オレンジ色のラインが国道20号。トンネル部はすべて赤色のラインで示した。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。1975年撮影。

矢立ての杉[編集]

二代広重『諸国名所百景 甲州矢立の杉』

笹子峠の大月市側にあるの木で、笹子峠を通って合戦に赴く武士が必勝を祈願して、この杉の木にを射ったことが由来と言われている。根周りは14.8m、高さは約26mで、幹の中は空洞になっている。 源頼朝もここを通った際に矢を射たとも言われている。

江戸時代後期には甲州街道の名所として知られ、文化13年(1816年)の渋江長伯『官遊紀勝』や嘉永3年の(1850年)の黒川春村『並山日記』、江戸後期の『甲斐捨図紀行』、十返舎一九金草鞋(かねのわらじ』などで描かれている。

文化14年(1817年)には浮世絵師葛飾北斎の『北斎漫画 七編 甲州矢立の杉』において描いている。また、歌川広重(二代目)も『諸国名所百景 甲州矢立の杉』において矢立杉を描いている。現在では、この峠の名物でもある「笹子餅」にもこの絵が描かれている。

1960年昭和35年)11月7日、山梨県指定天然記念物に指定された。近辺はハイキングコースとして整備されている。

都市圏[編集]

笹子峠は都市圏の境でもある。西側の国中地方中部地方との結びつきが強いのに対し、東側の郡内地方では関東地方との結びつきが強い。

脚注[編集]

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  1. ^ 打越孝明. “聖蹟を歩く第18回明治13年甲州・東山道巡幸(2)”. 明治神宮刊行物案内. 2018年5月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]