岡崎徹
おかざき とおる 岡崎 徹 | |
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本名 | 岡崎 徹 |
別名義 | 片岡 義昌(旧芸名) |
生年月日 | 1948年12月3日(75歳) |
出生地 | 日本 長崎県 |
身長 | 173 cm[1][2] |
職業 | |
ジャンル | |
活動期間 | 1971年 - 1976年 |
活動内容 |
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主な作品 | |
岡崎 徹(おかざき とおる、1948年[注釈 1]12月3日[2][3][4][5] - )は、日本の元俳優、元歌手。本名は同じ[2]。旧芸名は片岡義昌[6][3]。
長崎県[2][4]長崎市出身[3]。長崎県立長崎北高等学校卒業[4][2]。太陽プロモーションに所属していた[2]。
人物
三人兄妹で、妹が二人いる。少年時代は絵画が得意で、小学校で開催された模型飛行機のコンテストで入賞したことがあると父親は述懐している[7]。
高校卒業後、友人の紹介で上京。日活の研究生、歌手・水原弘の付き人を経て[8][9]、モデルとして活動する一方で作曲家の北原じゅんに師事し、1971年に片岡義昌の芸名でシングル「心に準備のない私」で歌手デビューする[3]。しかし、ヒットには至らず芸名を本名に戻して、東映のオーディションに合格[10]。
1972年、『不良番長 のら犬機動隊』で俳優デビューし[4][10]、同じく不良番長シリーズの『一網打尽』にも出演。1974年、日活制作のアクションドラマ『電撃!! ストラダ5』で主役のペガサス / 堀田貫介を演じ[4]、同年『仮面ライダーアマゾン』の主役であるアマゾン(山本大介)役に抜擢された[1]。
その後、ドラマ『非情のライセンス』の撮影中にオートバイで転倒し、右足複雑骨折という重傷を負ってしまい、長期入院後、芸能界に復帰せず引退。長崎に帰郷して、父親とともに釣りに出かけるなど3年ほどの療養生活を送り、知人の勧めで福岡市でスナック「a&b」を経営していたが、閉店[11][注釈 2][注釈 3]。
その間、1986年に書籍『仮面ライダー大全集』にコメントを寄せ[12][1]、1991年のイベント「仮面ライダーワールド」に出席したが、「a&b」閉店後は所在がつかめず、1999年に刊行された歴代仮面ライダー主演俳優のインタビュー本『不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説』には両親がインタビューに応じている[13]。
2005年に自伝本『アマゾンから帰った男』(星雲社)を出版[注釈 4]。それに合わせて、同年8月28日に開催された「第13回東京トイフェスティバル」に登場し健在ぶりをアピールした。この時に「芸能界に戻るつもりはない」と語っているが、何度か自身の出演作品に関するインタビューには応じている。
2010年7月4日に開催されたスーパーフェスティバル「特撮アーカイブ」サイン会に久しぶりに公の場に登場した。
2011年7月17日と7月18日には、『仮面ライダー40周年記念 ライダー大集合!』に参加。
2012年2月5日に開催された「昭和のヒーロー 荒木しげるvs岡崎徹 トークショー」に出演[14]。『電撃!! ストラダ5』出演当時の裏話や歌を披露した。
2012年10月6日の速水亮のブログには、佐々木剛が経営する居酒屋に速水と訪れた様子が掲載されている[15]。
2017年8月5日、約40年ぶりの全国ネット番組となる『こんなところにあるあるが。土曜・あるある晩餐会』(テレビ朝日系列)の歴代仮面ライダー俳優特集に出演。藤岡弘、、倉田てつをらと共に撮影当時の苦労話を語った[出典無効]。
エピソード
1971年の歌手デビューに際しての紹介記事では「歌をヒットさせてから、もう一度映画をやってみたい」と述べている[3]。1972年の『不良番長』出演時のプロフィールでは、「ラッキーなスタートでも、これからが大変だと覚悟はしている」と述べており、「アラン・ドロンに挑戦する意気込みである」と紹介されている[10]。
『仮面ライダーアマゾン』への出演はオーディションではなく、東映の渡邊亮徳の推薦によるものであった[9]。しかし、雑誌では「500人を超えるオーディションで選ばれた」と掲載されたこともあったという[9]。
『仮面ライダーアマゾン』は所属事務所を通してのオファーで決定したが、それ以前の『電撃!! ストラダ5』の主演時に作品が短命に終わったことに責任を感じており、特撮番組の主演に抵抗があったことから当初は断っていた[16]。しかし、梅宮辰夫にそのことを相談したところ、梅宮自身も子供番組の出演経験があったために叱責を受けた[9]。結局、自身が『ターザン』や『狼少年ケン』が好きであったこともあり、「ターザンのような異色の仮面ライダー」ということで「これなら演ってみたい」という衝動に駆られ主演を決心したと語っている[16]。「裸を見せる」ということでクランクイン前に、プールに連日通って泳いでいた[16]。
『アマゾン』撮影時、三浦半島のロケ時に集合時間に数分間に合わずに遅刻してしまい、連絡ミスからロケバスが自身を置いて出発したことに憤慨したことがある。その後は、スタッフの車に同乗して撮影所に通うことになった[17]。
『アマゾン』撮影時のコスチュームは第9話まで腰蓑1枚で、インタビューでは「林の中で撮影するシーンなどが多かったことから、やぶ蚊が最大の敵だった」「体毛が濃くなった」などと回想している[17][12]。撮影にあたっては、映画『燃えよドラゴン』を参考にしており、ブルース・リーも上半身裸姿であったことから、裸での演技には違和感はなかったと述べており[9]、後半ではベストを着用するようになるが、「裸で通したかった」と述べている[18]。また、最終回で着用した白のスーツは自前であった[19]。
オートバイには高校生時代から無免許で乗っており、小学生時代にも教師のスーパーカブを運動場で走らせてもらっていたという[9]。『アマゾン』出演決定後に受けた研修では、「今までの仮面ライダー俳優の中で抜群」と評されていた[1]。
当時の自身の演技については半人前であったと述べており、共演した子役の松田洋治に助けられていたと感じていたという[9]。
岡崎の母親は書籍『仮面ライダー伝説』のインタビューの中で、所属事務所から復帰を促す電話が何度もあったものの、岡崎は断り続けていたと述べている[20]。
故郷に戻ってから知り合いの少年から「誰にも言わないから変身してみせて」とせがまれたが、「ベルトを撮影所に置いてきたから出来ないよ」と断ってしまい、その時の少年の寂しそうな表情を未だに忘れられない、とも語っている[21]。
出演
テレビドラマ
- 勝海舟 (NHK大河ドラマ、1974年) - 小曽根正樹
- 電撃!! ストラダ5 (NET、1974年) - 主演・ペガサス / 堀田貫介
- 白い牙 (NTV)- 吉川刑事
- 第1話「悪徳刑事・有光洋介」 - 第4話「愛憎悲歌(エレジー)・有光洋介」、第6話「事件渡世・有光洋介」
- 仮面ライダーシリーズ(MBS) - 山本大介(アマゾン) / 仮面ライダーアマゾン
- 仮面ライダーアマゾン(1974-1975年) 主演
- 仮面ライダーストロンガー 第36話「三人ライダー対強力デルザー軍団」、第39話「さようなら! 栄光の七人ライダー!」(1975年)
- 全員集合!7人の仮面ライダー!!(1976年)
- 刑事くん 第4部 第36話 「青春に乾杯!」(1975年、TBS)
- Gメン'75
- 第21話「ニューヨーク市警 黒人刑事」(1975年、TBS) - 秀島(まりの弟)
映画
- 不良番長シリーズ (東映)
- 不良番長 のら犬機動隊 (1972年) - ゴーカン
- 不良番長 一網打尽 (1972年) - 金庫
- 男組 (1975年、東映) - 阿部
- さらば夏の光よ (松竹、1976年) - 平岡[注釈 5]
音楽
シングル
著書
脚注
注釈
- ^ 書籍『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー Vol.6 仮面ライダーアマゾン』では、生年を1950年と記載し、「1948年説もある」としているが[1]、1971年のプロフィールおよび『仮面ライダーSPIRITS』第16巻の巻末インタビューでは生年を1948年と明記している。
- ^ 『仮面ライダーSPIRITS』のプロフィールでは1983年に福岡市に転居し、1995年に長崎に帰郷したと記述している[4]。
- ^ 書籍『仮面ライダー大全集』では「スナックなど数点を経営」と記述している[12]。
- ^ 本人のサイトより注文が可能だったが今はサイトが閉鎖になっている。
- ^ アフレコは荒木しげるが担当。
出典
- ^ a b c d e OFM仮面ライダー6 2004, p. 26, 「主演俳優の横顔 岡崎徹」
- ^ a b c d e f 『日本タレント名鑑'81』VIPタイムズ社、1981年、46頁。
- ^ a b c d e 『福島民友』1971年5月19日付夕刊、2面。
- ^ a b c d e f 村枝 2009, p. 180.
- ^ “自己紹介|岡崎徹 Official Cite Welcome Jungle”. 2018年5月6日閲覧。
- ^ “「ナガジン」歌で巡る長崎”. 長崎Webマガジン ナガジン. 2018年5月6日閲覧。
- ^ 岡謙二 1999, pp. 119–120
- ^ 岡謙二 1999, p. 120
- ^ a b c d e f g 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 288–291, 「INTERVIEW 岡崎徹」
- ^ a b c 『福島民友』1972年5月25日付夕刊、2面。
- ^ 岡謙二 1999, pp. 122–123
- ^ a b c 仮面ライダー大全集 1986, p. 233, 「仮面ライダーSTAFF CASTインタビュー 岡崎徹」
- ^ 岡謙二 1999, pp. 119–124
- ^ “昭和のヒーロー 荒木しげるvs岡崎徹 トークショー”. ツアープランナーのここだけの話. 近畿日本ツーリスト (2011年12月13日). 2017年11月8日閲覧。
- ^ 速水亮 (2012年10月6日). “復活!!!”. 速水亮アクターズブログ. Yahoo!ブログ. 2017年11月8日閲覧。
- ^ a b c 村枝 2009, p. 182.
- ^ a b 村枝 2009, p. 183.
- ^ 村枝 2009, p. 186.
- ^ 村枝 2009, p. 189.
- ^ 岡謙二 1999, p. 123
- ^ 村枝 2009, pp. 181–182.
参考文献
- 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』講談社、1986年5月3日。ISBN 4-06-178401-3。
- 岡謙二 著、ソニー・マガジンズ 編『不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説』ソニー・マガジンズ、1999年2月26日。ISBN 4789713385。
- 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』 Vol.6《仮面ライダーアマゾン》、講談社、2004年8月25日。ISBN 4-06-367089-9。
- 村枝賢一『仮面ライダーSPIRITS』 16巻、講談社、2009年4月23日。ISBN 978-4-06-349426-6。
- 講談社 編『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』講談社、2014年11月20日。ISBN 978-4-06-218566-0。