「日本の市町村の廃置分合」の版間の差分
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'''日本の市町村の廃置分合'''(にほんのしちょうそんのはいちぶんごう)とは、[[日本]]における[[市町村]]の'''廃止・設置・分割・合併'''をいう。[[地方自治法]]第7条の「市町村の'''廃置分合'''又は市町村の'''境界変更'''」の一形態に |
'''日本の市町村の廃置分合'''(にほんのしちょうそんのはいちぶんごう)とは、[[日本]]における[[市町村]]の'''廃止・設置・分割・合併'''をいう。[[地方自治法]]第7条の「市町村の'''廃置分合'''又は市町村の'''境界変更'''」の一形態に当たる。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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日本では、過去「'''明治の大合併'''」([[1889年]]の市町村制施行に伴い基礎自治体の数が[[1888年]]の71314から15859に減少)と「'''昭和の大合併'''」([[1953年]]の町村合併法施行から新市町村建設促進法[[1956年]]を経て[[1961年]]までに9868の基礎自治体が3472に減少)の大規模な市町村合併があった。現在は「'''平成の大合併'''」が進行中である。 |
日本では、過去「'''明治の大合併'''」([[1889年]]の市町村制施行に伴い基礎自治体の数が[[1888年]]の71314から15859に減少)と「'''昭和の大合併'''」([[1953年]]の町村合併法施行から新市町村建設促進法[[1956年]]を経て[[1961年]]までに9868の基礎自治体が3472に減少)の大規模な市町村合併があった。現在は「'''平成の大合併'''」が進行中である。 |
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合併の協議の決裂により飛地が |
日本では、[[明治]]以降、一貫して市町村数は減少する傾向にあり、合併の例が分割の例に比べて圧倒的に多い。又、合併や分割の協議の決裂により、[[飛地]]が発生する場合もある。 |
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尚、市町村の所属都道府県の変更については、地方自治法第6条に規定されている(→[[都道府県#廃置分合]])。 |
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===地方自治法第七条=== |
===地方自治法第七条=== |
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[[1953年]]から[[1950年代]]末頃にかけて起こった合併ブーム。 |
[[1953年]]から[[1950年代]]末頃にかけて起こった合併ブーム。 |
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新制[[中学校]]の発足により、その財源に見合う規模の基礎自治体が求められた事が要因であった。1953年の[[町村合併促進法]]施行から、[[1956年]]の[[新市町村建設促進法]]を経て、[[1961年]]までに、9868の基礎自治体が3472に減少した。 |
新制[[中学校]]の発足により、その財源に見合う規模の基礎自治体が求められた事が要因であった。 |
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1953年の[[町村合併促進法]]施行から、[[1956年]]の[[新市町村建設促進法]]を経て、[[1961年]]までに、9868の基礎自治体が3472に減少した。 |
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===高度経済成長期=== |
===高度経済成長期=== |
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[[1965年]]に「[[市町村の合併の特例等に関する法律]]」(合併特例法)が制定されたが、 |
[[1965年]]に「[[市町村の合併の特例等に関する法律]]」(合併特例法)が制定されたが、この時期にも合併ブームが起こった。 |
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[[高度経済成長]]期には、「''大きいことは良いことだ''」が[[流行語]]となり、[[首都]]たる[[東京都]][[特別区|区部]]への人口の流出も重なって、地方の市町村では、地域拠点になることを目指した合併(例:[[岡山市]]、[[倉敷市]]、[[富士市]])や、[[新産業都市]]の指定を目指した大規模な合併が行われた(例:[[平市]]・[[小名浜|磐城市]]など14市町村→[[いわき市]])。 |
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又、高度経済成長期には、山間部の過疎が進行したため、隣接する都市が山間部を取り込むという動きもあった([[静岡市#旧静岡市|静岡市]]など)。 |
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市制施行のための人口要件が緩和され、人口3万人以上での市制施行を目指した合併も行われた(例:[[鴨川市]]、[[備前市]]、[[東予市]]など)。 |
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===平成の大合併=== |
===平成の大合併=== |
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そのような中、[[1980年代]]末頃から、[[商工会議所]]などの経済団体や[[青年会議所]]を中心として、市町村合併を推進する提言が各地で行われ、これを報道機関が、明治の大合併、昭和の大合併に続く「第三次合併ブーム」と報じた。 |
そのような中、[[1980年代]]末頃から、[[商工会議所]]などの経済団体や[[青年会議所]]を中心として、市町村合併を推進する提言が各地で行われ、これを報道機関が、明治の大合併、昭和の大合併に続く「第三次合併ブーム」と報じた。 |
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これを受けた形で、[[1995年]]に改定された合併特例法では、住民の直接請求により[[#合併協議会|法定合併協議会]]の設置を発議できる制度や、[[合併特例債]]制度の |
これを受けた形で、[[1995年]]に改定された合併特例法では、住民の直接請求により、[[#合併協議会|法定合併協議会]]の設置を発議できる制度や、[[合併特例債]]制度の設置などが盛り込まれた他に、政令指定都市への移行<!--「昇格」という表現は、小都市や村落に対する侮蔑の意味合いが強い。そもそも全部の市町村は「対等な関係」であるはず。-->や町村の市への移行のための人口要件の緩和なども数度の改定で盛り込まれ、合併論議が加速される事になった。 |
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特に、合併特例債を初めとした政府(旧[[自治省]]、現[[総務省]])による行財政面での支援などが、[[2005年]][[3月31日]]までに合併が完了した場合に行うと定められた事から、[[2003年]]から2005年にかけて、合併の動きはピークを迎えた。 |
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政府などが掲げる目的は、概ね以下の通りである。 |
政府などが掲げる目的は、概ね以下の通りである。 |
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*[[政令指定都市]]や[[中核市]]・[[特例市]]になれば、権限が移譲される。 |
*[[政令指定都市]]や[[中核市]]・[[特例市]]になれば、権限が移譲される。 |
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これら以外に、政府が地方自治体へ支出する[[地方交付税交付金]]の削減 |
これら以外に、政府が地方自治体へ支出する[[地方交付税交付金]]の削減する側面が大きい。政府は、合併する市町村を[[合併特例債]]で優遇する一方、合併しない市町村に対する財政支援や権限の制限を掲げている。 |
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しかし、政府主導による平成の市町村合併ブームには、以下のような批判も少なくない。 |
しかし、政府主導による平成の市町村合併ブームには、以下のような批判も少なくない。 |
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#合併後にも、旧市町村の議員が、そのまま新市町村の議員として任期を延長できる「在任期間の特例」に関する問題がある。財政難を理由にして合併をしても、合併後には議員の任期と給与を上げる事例が目立つ。 |
#合併後にも、旧市町村の議員が、そのまま新市町村の議員として任期を延長できる「在任期間の特例」に関する問題がある。財政難を理由にして合併をしても、合併後には議員の任期と給与を上げる事例が目立つ。 |
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#合併後の市町村の名称が、歴史的な地名を軽視した「方角とひらがな」ばかりになっている。(→[[#合併後の名称問題]]) |
#合併後の市町村の名称が、歴史的な地名を軽視した「方角とひらがな」ばかりになっている。(→[[#合併後の名称問題]]) |
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#「そもそも、どんな基礎自治体を造りたいのか?」という根本的な考えが軽視されている。 |
#「そもそも、どんな基礎自治体を造りたいのか?」という根本的な考えが軽視されたまま、合併が行われている。このため、[[県]]の面積に匹敵する巨大な市町村が次々と作られている。 |
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#住民発議で合併に誘導する制度はあっても、合併の是非を問う[[住民投票]]が法制化されていない。このため、一応は議会の議決はあるものの住民に歓迎されない合併も行われている。 |
#住民発議で合併に誘導する制度はあっても、合併の是非を問う[[住民投票]]が法制化されていない。このため、一応は議会の議決はあるものの、住民に歓迎されない合併も行われている。 |
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#合併に関する特例法は存在するが、分割に関する特例法が存在しない。 |
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#財政問題解決 |
#財政問題の解決を口実にした合併が目立つため、[[原子力発電所|原発]]が立地することで国からの支援が降りる小規模自治体、[[空港]]などの[[固定資産税]]、あるいは大企業・大きな工場・莫大な収入を持つ個人からの[[地方税]]によって裕福な小規模自治体などは、合併によって周囲の財政難自治体の債務の肩代わりを嫌って、合併しない例が多かった。そのため、将来の財政難を理由に合併した市町村は「貧民連合」と侮蔑的に呼ばれた。 |
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#大都市とその周囲の市町村との合併が進まなかった。[[バブル経済]]期の計画そのままに公共投資を続けた大都市の財政難を、合併で周辺の市町村が肩代わりするのを嫌ったためである。ただし、大都市側は、公共施設を周囲の市町村の住民にも開放しているため、[[フリーライダー]]だと批判している(→[[広島市]]周辺など)。 |
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#各市町村の思惑が絡み合い、歪な飛 |
#各市町村の思惑が絡み合い、歪な[[飛地]]が多数発生した。(例:[[津軽半島]]周辺) |
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これらの問題点が挙げられている事から、[[矢祭町]]や[[加茂市]]や[[栄村]]のように、合併を拒絶して、自立・自律や独自性を謳う市町村も現れている。これらの中には、山間部などに位置していて、合併によ |
これらの問題点が挙げられている事から、[[矢祭町]]や[[加茂市]]や[[栄村]]のように、合併を拒絶して、自立・自律や独自性を謳う市町村も現れている。これらの中には、山間部などに位置していて、合併によって一層の[[過疎]]化が懸念されている所も少なくない。 |
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反面、住民が合併を望んでいるにも拘らず、「自立」を謳って合併を拒絶したり、合併協議の破談や首長と議会の対立の末に「自立」を謳う市町村もまま見受けられる。 |
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勿論、住民が分割を望んでいるにも拘らず、議会や首長が分割を拒絶する市町村もある。 |
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===編入と合体=== |
===編入と合体=== |
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*'''編入''' |
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:合併しようとする複数の市町村のうち、1個を存続法人とし、それ以外の市町村を廃止して境界を変更する合併方法である。 |
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:合併する市町村の大きさが大きく異なる場合に行われる事が多い。'''編入合併'''ともいう。 |
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*'''合体''' |
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:合併しようとする市町村を全て廃止して、新規に市町村を設置する合併方法である。合併に関る全ての市町村の首長と議員は失職し、首長と議員の選挙が行われる。ただし、議員については最長で2年まで新しい市町村の議員となることも可能。 |
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:同規模のの市町村同士の合併で行われる事が多い。'''新設合併'''ともいう。 |
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;類義語 |
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編入の類義語として'''吸収合併'''、合体の類義語として'''対等合併'''という語が使われる事が多い。但し、これらの語は手続ではなく理念に基づくものである為、必ずしも編入や合体と同義ではない。 |
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===越境合併=== |
===越境合併=== |
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通常の合併は、同一都道府県内の市町村同士で行われることがほとんどだが、県境に隣接していて、地理的、経済的理由等で同一都道府県内よりも他県市町村との交流が深ければ、県境を越えた合併が模索される場合がある。これを'''越境合併'''(越県合併、県境合併)と呼ぶ。 |
通常の合併は、同一都道府県内の市町村同士で行われることがほとんどだが、県境に隣接していて、地理的、経済的理由等で同一都道府県内よりも他県市町村との交流が深ければ、県境を越えた合併が模索される場合がある。これを'''越境合併'''(越県合併、県境合併)と呼ぶ。 |
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合併後に再分離した例は下記の通り。 |
合併後に再分離した例は下記の通り。 |
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*福岡県[[田川郡]][[金田町]] - [[2006年]][[3月6日]]に[[方城町]]・[[赤池町]]と対等合併し、[[福智町]]となる。--> |
*福岡県[[田川郡]][[金田町]] - [[2006年]][[3月6日]]に[[方城町]]・[[赤池町]]と対等合併し、[[福智町]]となる。--> |
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===合併 |
===合併と分割の両用=== |
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通常の合併は、廃止された市町村の全ての区域を他市町村に編入したり、廃止された複数の市町村の全ての区域を |
通常の合併は、廃止された市町村の全ての区域を他市町村に編入したり、廃止された複数の市町村の全ての区域を以って、新しい市町村が設置される場合が大半である。 |
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又、通常の分割は、廃止された市町村の区域内で、新たに複数の市町村が設置される場合が大半である。 |
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しかし、廃止された市町村の地区を複数に分割した上で、別々の市町村と合併する場合がある。又、市町村の一部を分割して、分割された地域同士で合併するパターンもある。 |
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即ち: |
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#A市のB地区と、C市のD地区をそれぞれ分離して、B地区とD地区が合体してE市を設置する方法。 |
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#A市のうち、B地区を分離してC市に編入し、D地区を分離してE町に編入する方法。 |
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#A市を分割して、B地区がC市に編入され、D地区がE市と合体してFとなる方法。 |
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などといったパターンである。 |
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==合併協議会== |
==合併協議会== |
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合併する際の自治体の新名称は、特に合体合併をする場合は公募によって決める事が多い。公募は合併対象市町村の住民を対象にする場合、住民と通勤通学者、出身者を対象にする場合、全国対象(居住地域を限定しない)などがあるが、公募に基づいて新名称を決める際、住民の意見を無視した名称を採用して批判が出る事は少なくない。 |
合併する際の自治体の新名称は、特に合体合併をする場合は公募によって決める事が多い。公募は合併対象市町村の住民を対象にする場合、住民と通勤通学者、出身者を対象にする場合、全国対象(居住地域を限定しない)などがあるが、公募に基づいて新名称を決める際、住民の意見を無視した名称を採用して批判が出る事は少なくない。 |
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とりわけ、[[2001年]]の「[[西東京市]]」「[[さいたま市]]」「[[東かがわ市]]」以後は、「南○○市」風の[[方角地名|'''方角'''地名]]や、[[ひらがな・カタカナ地名|'''ひらがな・カタカナ'''地名]]が目立つ |
とりわけ、[[2001年]]の「[[西東京市]]」「[[さいたま市]]」<!--これら2市は2001年春に発足し、2000年春に名称が決定された。-->「[[東かがわ市]]」<!--2001年秋に名称を決定。-->以後は、「南○○市」風の[[方角地名|'''方角'''地名]]や、[[ひらがな・カタカナ地名|'''ひらがな・カタカナ'''地名]]が目立つ。 |
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それ以外にも、[[広域地名|'''広域'''地名]]、[[合成地名|'''合成'''地名]]、[[瑞祥地名|'''瑞祥'''地名]]には、「地名が示す地域の範囲から逸脱している(僭称・借用である)」「地域色を無視するものだ」「安易過ぎる」として、「地名は文化財である」という立場から従来の[[伝統]]的な地名の付け方の維持を強く望む[[地名研究家]]などから強い批判が寄せられている([http://www8.ocn.ne.jp/~timeiken/kadai.html 日本地名研究所・緊急声明])。 |
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いずれにしろ、これらのネーミングをされた市町村の地域を指す時、合併前の旧市町村名や、付近の[[駅名]]で呼ばれることも多い。この場合、新しい名称が定着し、人口に膾炙するまでの間には長期間を要する。 |
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[[西東京市#地域|西東京市]]のように、重複している地名を旧市町村名に変更する場合もあるが、稀なケースである(「田無市本町」→「西東京市田無町」、「保谷市本町」→「西東京市保谷町」)。 |
[[西東京市#地域|西東京市]]のように、重複している地名を旧市町村名に変更する場合もあるが、稀なケースである(「田無市本町」→「西東京市田無町」、「保谷市本町」→「西東京市保谷町」)。 |
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====[[安土市]]==== |
====[[安土市]]==== |
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[[滋賀県]][[神崎郡 (滋賀県)|神崎郡]][[能登川町]]・[[五個荘町]]、[[蒲生郡]][[安土町]]の合併によって誕生する予定であった新しい市の名称。一般公募で集まった新しい市名案の内「安土市」「きぬがさ市」「近江安土市」「東近江市」の4点に絞られ、2002年9月27日に委員による投票の結果「安土市」に内定したが、五個荘町の委員から「現存の町名を使うのは吸収合併を発想させる」として反対の意見があり、また能登川町の住民からも「3町の中で最大規模で、町役場を新市役所に使う事になった能登川が、なぜ最小規模の安土の名称を使うのか」と反対の声が上がり、「きぬがさ市」に変更するよう動きがあった。ところが合併協議会では「協議結果を尊重する」として住民の意向を無視して「安土市」に正式に決定した。この決定に激怒した五個荘町が2002年12月15日に脱退を表明。さらに安土町の露骨な町名存続工作が発覚。合併自体が白紙撤回となり合併協議会は解散した。その後五個荘町は[[八日市市]]などとの合併で[[東近江市]]となり、能登川町も後に東近江市に加わったが、安土町は[[近江八幡市]]との合併協議が決裂(しかも原因が再び新市名問題)し、結果的に孤立してしまう羽目となった。 |
[[滋賀県]][[神崎郡 (滋賀県)|神崎郡]][[能登川町]]・[[五個荘町]]、[[蒲生郡]][[安土町]]の合併によって誕生する予定であった新しい市の名称。 |
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一般公募で集まった新しい市名案の内「安土市」「きぬがさ市」「近江安土市」「東近江市」の4点に絞られ、2002年9月27日に委員による投票の結果「安土市」に内定したが、五個荘町の委員から「現存の町名を使うのは吸収合併を発想させる」として反対の意見があり、また能登川町の住民からも「3町の中で最大規模で、町役場を新市役所に使う事になった能登川が、なぜ最小規模の安土の名称を使うのか」と反対の声が上がり、「きぬがさ市」に変更するよう動きがあった。 |
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ところが、合併協議会では「協議結果を尊重する」として住民の意向を無視して「安土市」に正式に決定した。この決定に激怒した五個荘町が2002年12月15日に脱退を表明。さらに安土町の露骨な町名存続工作が発覚。合併自体が白紙撤回となり、合併協議会は解散した。 |
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その後、五個荘町は[[八日市市]]などとの合併で[[東近江市]]となり、能登川町も後に東近江市に加わったが、安土町は[[近江八幡市]]との合併協議が決裂(しかも原因が再び新市名問題)し、結果的に孤立してしまう羽目となった。 |
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====[[平泉市]]==== |
====[[平泉市]]==== |
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2005年9月に[[岩手県]][[一関市]]と[[西磐井郡]][[平泉町]]・[[花泉町]]、[[東磐井郡]][[大東町 (岩手県)|大東町]]・[[藤沢町]]・[[千厩町]]・[[東山町]]・[[室根村]]・[[川崎村]]が合併し、平泉市になる予定だった |
2005年9月に[[岩手県]][[一関市]]と[[西磐井郡]][[平泉町]]・[[花泉町]]、[[東磐井郡]][[大東町 (岩手県)|大東町]]・[[藤沢町]]・[[千厩町]]・[[東山町]]・[[室根村]]・[[川崎村]]が合併し、平泉市になる予定だった。しかし、最終段階で破談となり、2005年9月20日に平泉町と藤沢町を除く1市4町2村で新「一関市」が発足するに至った。 |
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破談は、合併協議会での新市名「平泉市」決定を前に平泉町の委員が他町の委員に対し「(平泉市に決定しなければ)一緒に退席してほしい」と要請していたとの風聞から不信感が広がったことが原因とされるが(このとき、一部東磐井郡と花泉では新市名「磐井市」派だった)、背景には旧一関市において新市名への抵抗が大きかったこともあるといわれる。藤沢町は合併せず、単独で存続することになった。 |
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===その他=== |
===その他=== |
2006年10月9日 (月) 12:42時点における版
日本の市町村の廃置分合(にほんのしちょうそんのはいちぶんごう)とは、日本における市町村の廃止・設置・分割・合併をいう。地方自治法第7条の「市町村の廃置分合又は市町村の境界変更」の一形態に当たる。
概要
日本では、過去「明治の大合併」(1889年の市町村制施行に伴い基礎自治体の数が1888年の71314から15859に減少)と「昭和の大合併」(1953年の町村合併法施行から新市町村建設促進法1956年を経て1961年までに9868の基礎自治体が3472に減少)の大規模な市町村合併があった。現在は「平成の大合併」が進行中である。
日本では、明治以降、一貫して市町村数は減少する傾向にあり、合併の例が分割の例に比べて圧倒的に多い。又、合併や分割の協議の決裂により、飛地が発生する場合もある。
尚、市町村の所属都道府県の変更については、地方自治法第6条に規定されている(→都道府県#廃置分合)。
地方自治法第七条
第七条
- 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府県知事が当該都道府県の議会の議決を経てこれを定め、直ちにその旨を総務大臣に届け出なければならない。
- 前項の規定により市の廃置分合をしようとするときは、都道府県知事は、あらかじめ総務大臣に協議し、その同意を得なければならない。
- 都道府県の境界にわたる市町村の境界の変更(越境合併)は、関係のある普通地方公共団体の申請に基き、総務大臣がこれを定める。
- 第一項及び前項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
- 第一項、第三項及び前項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない。
- 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第三項の規定による処分をしたときは、総務大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
- 第一項又は第三項の規定による処分は、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
第七条の二
- 法律で別に定めるものを除く外、従来地方公共団体の区域に属しなかつた地域を都道府県又は市町村の区域に編入する必要があると認めるときは、内閣がこれを定める。この場合において、利害関係があると認められる都道府県又は市町村があるときは、予めその意見を聴かなければならない。
- 前項の意見については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない。
- 第一項の規定による処分があつたときは、総務大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。前条第七項の規定は、この場合にこれを準用する。
合併ブーム
昭和の大合併
新制中学校の発足により、その財源に見合う規模の基礎自治体が求められた事が要因であった。
1953年の町村合併促進法施行から、1956年の新市町村建設促進法を経て、1961年までに、9868の基礎自治体が3472に減少した。
高度経済成長期
1965年に「市町村の合併の特例等に関する法律」(合併特例法)が制定されたが、この時期にも合併ブームが起こった。
高度経済成長期には、「大きいことは良いことだ」が流行語となり、首都たる東京都区部への人口の流出も重なって、地方の市町村では、地域拠点になることを目指した合併(例:岡山市、倉敷市、富士市)や、新産業都市の指定を目指した大規模な合併が行われた(例:平市・磐城市など14市町村→いわき市)。
又、高度経済成長期には、山間部の過疎が進行したため、隣接する都市が山間部を取り込むという動きもあった(静岡市など)。
市制施行のための人口要件が緩和され、人口3万人以上での市制施行を目指した合併も行われた(例:鴨川市、備前市、東予市など)。
平成の大合併
2000年頃から現在にかけて起こっている合併ブーム。
1965年に十年の時限立法として制定された合併特例法は、1975年以降も十年毎に延長を繰り返して来たが、1970年代後半からは合併の動きが低調になった。
そのような中、1980年代末頃から、商工会議所などの経済団体や青年会議所を中心として、市町村合併を推進する提言が各地で行われ、これを報道機関が、明治の大合併、昭和の大合併に続く「第三次合併ブーム」と報じた。
これを受けた形で、1995年に改定された合併特例法では、住民の直接請求により、法定合併協議会の設置を発議できる制度や、合併特例債制度の設置などが盛り込まれた他に、政令指定都市への移行や町村の市への移行のための人口要件の緩和なども数度の改定で盛り込まれ、合併論議が加速される事になった。
特に、合併特例債を初めとした政府(旧自治省、現総務省)による行財政面での支援などが、2005年3月31日までに合併が完了した場合に行うと定められた事から、2003年から2005年にかけて、合併の動きはピークを迎えた。
政府などが掲げる目的は、概ね以下の通りである。
これら以外に、政府が地方自治体へ支出する地方交付税交付金の削減する側面が大きい。政府は、合併する市町村を合併特例債で優遇する一方、合併しない市町村に対する財政支援や権限の制限を掲げている。
しかし、政府主導による平成の市町村合併ブームには、以下のような批判も少なくない。
- 合併後にも、旧市町村の議員が、そのまま新市町村の議員として任期を延長できる「在任期間の特例」に関する問題がある。財政難を理由にして合併をしても、合併後には議員の任期と給与を上げる事例が目立つ。
- 合併後の市町村の名称が、歴史的な地名を軽視した「方角とひらがな」ばかりになっている。(→#合併後の名称問題)
- 「そもそも、どんな基礎自治体を造りたいのか?」という根本的な考えが軽視されたまま、合併が行われている。このため、県の面積に匹敵する巨大な市町村が次々と作られている。
- 住民発議で合併に誘導する制度はあっても、合併の是非を問う住民投票が法制化されていない。このため、一応は議会の議決はあるものの、住民に歓迎されない合併も行われている。
- 合併に関する特例法は存在するが、分割に関する特例法が存在しない。
- 財政問題の解決を口実にした合併が目立つため、原発が立地することで国からの支援が降りる小規模自治体、空港などの固定資産税、あるいは大企業・大きな工場・莫大な収入を持つ個人からの地方税によって裕福な小規模自治体などは、合併によって周囲の財政難自治体の債務の肩代わりを嫌って、合併しない例が多かった。そのため、将来の財政難を理由に合併した市町村は「貧民連合」と侮蔑的に呼ばれた。
- 各市町村の思惑が絡み合い、歪な飛地が多数発生した。(例:津軽半島周辺)
これらの問題点が挙げられている事から、矢祭町や加茂市や栄村のように、合併を拒絶して、自立・自律や独自性を謳う市町村も現れている。これらの中には、山間部などに位置していて、合併によって一層の過疎化が懸念されている所も少なくない。
反面、住民が合併を望んでいるにも拘らず、「自立」を謳って合併を拒絶したり、合併協議の破談や首長と議会の対立の末に「自立」を謳う市町村もまま見受けられる。
勿論、住民が分割を望んでいるにも拘らず、議会や首長が分割を拒絶する市町村もある。
合併と分割の種類
編入と合体
- 編入
- 合併しようとする複数の市町村のうち、1個を存続法人とし、それ以外の市町村を廃止して境界を変更する合併方法である。
- 廃止される市町村の首長と議員は失職する(議員については編入した自治体の議員になることも特例として可能)。首長選挙や議員選挙は、存続市町村で合併直後に任期満了になった場合と、合併前後に首長が任期途中で死去もしくは辞職した場合のみ行われる。
- 合併する市町村の大きさが大きく異なる場合に行われる事が多い。編入合併ともいう。
- 合体
- 合併しようとする市町村を全て廃止して、新規に市町村を設置する合併方法である。合併に関る全ての市町村の首長と議員は失職し、首長と議員の選挙が行われる。ただし、議員については最長で2年まで新しい市町村の議員となることも可能。
- 同規模のの市町村同士の合併で行われる事が多い。新設合併ともいう。
- 類義語
編入の類義語として吸収合併、合体の類義語として対等合併という語が使われる事が多い。但し、これらの語は手続ではなく理念に基づくものである為、必ずしも編入や合体と同義ではない。
以前からの市町村の名称を引き継ぐなど、実質上は吸収合併の様相を呈するケースでも、「吸収」というイメージを極力排除して、対等な関係を強調したい場合には、手続として新設合併の手法を採ることがある。このようなケースでは、合併を機に市町村章を変更するなど、対等な関係を強調する為の手続きの変更が為される事もある。
越境合併
- ※詳細については「越境合併」を参照する事。
通常の合併は、同一都道府県内の市町村同士で行われることがほとんどだが、県境に隣接していて、地理的、経済的理由等で同一都道府県内よりも他県市町村との交流が深ければ、県境を越えた合併が模索される場合がある。これを越境合併(越県合併、県境合併)と呼ぶ。
分割と分立
1個の市町村を廃止して、複数の区域に分けて市町村を新設する事を分割という。又、1個の市町村の一部の区域が、新たな市町村として分離される事を分立という。
風土や交通体系、住民の生活圏が異なる複数の地域を併せ持っている市町村に見られる。過去には、第二次世界大戦中に国策で合併した町村が戦後に再分離されたり、昭和の大合併で合併した町村が、新市町村内の対立で分離されるといった例があった。
合併後に再分離した例は下記の通り。
- 1956年9月 - 昭和町・豊川村が合併して昭和町に。
- 埼玉県北足立郡志木町・宗岡村・内間木村・水谷村 - 1944年2月に同郡志木町、宗岡村、内間木村(荒川東岸を除く)、入間郡水谷村が合併、志紀町が発足。1948年4月に合併前の1町3村に再分離。尚、合併前は入間郡に属していた水谷村も北足立郡の村となった。
- 志木町と宗岡村は1955年5月に合併して足立町となり、1970年10月に改称・市制施行し志木市に。
- 内間木村は1955年4月に同郡朝霞町と合併して新たに朝霞町となり、1967年3月に市制施行して朝霞市に。
- 水谷村は1956年9月に入間郡鶴瀬村・南畑村と合併して入間郡富士見村となり、1967年4月に町制施行、1972年4月に市制施行して富士見市に。
- 1954年に市制施行し逗子市に。
- 長野県上伊那郡宮田町 - 1954年に上伊那郡赤穂町・中沢村・伊那村と新設合併し駒ヶ根市、1956年に宮田村として分離。
- 岐阜県土岐郡笠原町 - 1951年に多治見市に編入合併、1952年に一部地域を除き分離。
- 2006年に多治見市に再編入。
- 2005年に山口市・吉敷郡小郡町・秋穂町・佐波郡徳地町と新設合併、新「山口市」に。
合併後または合併決定後に、再分離の動きがみられる主な地域。
合併と分割の両用
通常の合併は、廃止された市町村の全ての区域を他市町村に編入したり、廃止された複数の市町村の全ての区域を以って、新しい市町村が設置される場合が大半である。
又、通常の分割は、廃止された市町村の区域内で、新たに複数の市町村が設置される場合が大半である。
しかし、廃止された市町村の地区を複数に分割した上で、別々の市町村と合併する場合がある。又、市町村の一部を分割して、分割された地域同士で合併するパターンもある。
即ち:
- A市のB地区と、C市のD地区をそれぞれ分離して、B地区とD地区が合体してE市を設置する方法。
- A市のうち、B地区を分離してC市に編入し、D地区を分離してE町に編入する方法。
- A市を分割して、B地区がC市に編入され、D地区がE市と合体してFとなる方法。
などといったパターンである。
「昭和の大合併」ではこの例も多かったが、「平成の大合併」では唯一、山梨県西八代郡上九一色村の例がある。同村は山地を隔てて北側の梯・古関地区と、南側の富士ケ嶺・本栖・精進地区に分かれ、北側と南側では住民の生活圏が異なっていたが、2006年3月1日に北側の2地区は東八代郡中道町とともに甲府市に、南側の3地区は南都留郡富士河口湖町に編入された(上九一色村#分村合併を参照)。
上九一色村の外にも、三重県一志郡美杉村や、栃木県上都賀郡粟野町など、幾つかの地域で、同一市町村内の他の地域と生活圏が異なる地域の住民らにより「分合両用」による他市町村への編入を求める声が上がったが、住民投票や議会の反対などにより、実現には至らなかった(美杉村#分村合併問題、粟野町#分町合併問題を参照)。しかし、岩手県下閉伊郡川井村でも、盛岡市の生活圏にある村西端の門馬地区で、盛岡市との合併を望む声も根強く、今後分村合併に動く可能性もある(川井村#分村合併論を参照)。
合併協議会
市町村合併を行う際には、関係市町村の長および議会や職員、住民の代表者らによって構成される「合併協議会」を設置し、合併の期日、合併の方式、新市町村の名称と庁舎の位置、合併後の事務事業の調整方針、新市町村建設計画などを協議し、「合併協定書」を締結する。新市町村建設計画は素案を作成後、合併協定書の締結前に都道府県と協議し了承を得た後、合併協定書の中に盛り込む。
合併協議会には、「法定合併協議会」(法定協)と「任意合併協議会」(任意協)の2種類がある。法定合併協議会とは、地方自治法第二百五十二条の二、合併特例法第三条の規定により、関係市町村議会の議決を経て設置されるもので、一方、任意合併協議会は、法定合併協議会の設置前に、関係市町村が任意で設置するものである。任意合併協議会を設置せず、「研究会」または「勉強会」での協議を経て法定合併協議会を設置するケースもある。
市町村によっては、任意合併協議会で合併協定書記載項目のほとんどの協議を終え、法定合併協議会は形式的に設置して2、3回程度の協議で合併協定書を締結することもある(新潟市など)。
合併特例法制定後、長い間、法定合併協議会の設置は関係市町村の長または議会の発議によって設置されてきたが、1995年の改正により、有権者の1/50以上の連署をもって、法定合併協議会の設置を市町村長に直接請求できる「住民発議制度」が創設された(第四条)。静岡市と清水市の合併は、住民発議によって法定合併協議会が設置されて合併に至った例ではある。ここは、青年会議所の発議によって協議会が設置されたもので、他にも青年会議所の組織的な住民発議で協議会が設置された事例が全国に見られるが、「あたかも住民が主張して来たかのように見えるが、中央の思惑に乗っかった物」という見方もある。
しかし、住民発議によって法定合併協議会が設置された場合、任意合併協議会や研究会・勉強会での協議の積み重ねがないケースが大半であり、協議会を設置しても合併に至らない事例が続出した。
合併協定書の調印は、多くの場合、ホテルや文化ホールなどの大会場で都道府県知事、地元選出の都道府県議会議員や国会議員らを招いて盛大に行われ、関係市町村長が協定書に署名後に、報道陣のカメラの前で握手を交わすのが通例となっているが、この後開かれる市町村議会で合併関連議案が否決される事例も多々見られ、中には合併協議会の解散に至ってしまう事例もあった。
協議段階で紛糾した市町村では、これを避けるためか、まず市町村議会で合併関連議案を可決した後に、合併協定書の調印式を行ったり、岡山市のように調印式そのものを行わず、県に申請する事例もあった。
合併関連議案が関係市町村議会で可決されると、関係市町村長は都道府県知事に廃置分合(合併・分割)を申請し、都道府県議会で廃置分合が諮られる。
都道府県議会で廃置分合が可決されれば、知事は「廃置分合処分の決定」を行い、決定書を関係市町村長に交付するとともに総務大臣に届け出、その約2週間~1ヶ月後に総務大臣が官報に告示することをもって、合併・分割が法的に決定する。
住民投票
住民投票で合併・分割の賛否を問う方法も、一般化する方向にある。この方法では、(1)合併・分割自体に賛成との前提で、合併の相手先や合併後の名称次第とするもの、(2)合併・分割自体に反対である、といった選択肢が設けられる。
合併後の名称問題
合併する際の自治体の新名称は、特に合体合併をする場合は公募によって決める事が多い。公募は合併対象市町村の住民を対象にする場合、住民と通勤通学者、出身者を対象にする場合、全国対象(居住地域を限定しない)などがあるが、公募に基づいて新名称を決める際、住民の意見を無視した名称を採用して批判が出る事は少なくない。
とりわけ、2001年の「西東京市」「さいたま市」「東かがわ市」以後は、「南○○市」風の方角地名や、ひらがな・カタカナ地名が目立つ。
それ以外にも、広域地名、合成地名、瑞祥地名には、「地名が示す地域の範囲から逸脱している(僭称・借用である)」「地域色を無視するものだ」「安易過ぎる」として、「地名は文化財である」という立場から従来の伝統的な地名の付け方の維持を強く望む地名研究家などから強い批判が寄せられている(日本地名研究所・緊急声明)。
一方で、従来から無批判に行われてきた、中心部の自治体の名称がそのまま合併後の新名称となって合併で拡張した周辺部にまで及び、あたかも中心部による周辺部の「地名の征服」のようなことが起こることについては、これらの地名研究家はおおむね「従来どおりの地名の付け方」として肯定的であるが、主に周辺部の住民感情を無視していることが少なくない。「地名は誰のものであるか」が問われる問題である。
いずれにしろ、これらのネーミングをされた市町村の地域を指す時、合併前の旧市町村名や、付近の駅名で呼ばれることも多い。この場合、新しい名称が定着し、人口に膾炙するまでの間には長期間を要する。
また、合併後に住所表記で旧市町村名を冠する場合もある(「A町B→C市A町B」など)。旧市町村名を冠しない場合、一つの市町村で同じ地名が複数個所存在する場合は各々区別するために、その部分のみ旧市町村名を冠する場合もある(「岡山県上道郡上道町北方」→「岡山市上道北方」など)。
西東京市のように、重複している地名を旧市町村名に変更する場合もあるが、稀なケースである(「田無市本町」→「西東京市田無町」、「保谷市本町」→「西東京市保谷町」)。
廃案になった自治体名
南セントレア市
愛知県知多郡美浜町と南知多町が合併する際に命名される予定であった新市名。合併協議会は、中部国際空港(常滑市沖)の南側にあることから、同空港の愛称にちなんだ「南セントレア市」に決定したことを公表した。
しかし、公募には1票もなかった市名を採用したうえ、外国風の市名を採用することに内外から抗議が殺到。その後、住民公募の上位11案を含む12案の中から最多得票案を新市名にすることを条件に、2005年2月27日に住民アンケートを実施した結果、新市名は「南知多市」と決定したものの、同時に行われた合併の是非を問う住民投票で両町ともに反対票が過半数を占めたため、新市名どころか合併自体が白紙になった。
白神市
秋田県能代市と藤里町を除く山本郡全町村が合併する際に命名される予定であった新市名。新市名公募の際、要項で「現在の市町村名以外」という条件をつけて公募した結果、近くにある「白神山地」からとった「白神○○(○○には別の地名や方角など)」などの応募があり、協議会での協議の結果、最終候補10案のうち4案が白神のついた名称となり、その中から「白神市」が新市名に決定した。
しかし、「白神はもともと青森県の地名」「白神山地の世界遺産登録地域が新市域には含まれていない」などの理由で青森県側の市民団体などが猛反発し、署名運動などが起こり、最終的には協議会解散に追い込まれた。その後、「能代市と二ツ井町」(新設合併で新市名は「能代市」)、「山本郡山本町、琴丘町、八竜町」→(三種町-みたねちょう)、「同郡八森町、峰浜村」→(八峰町-はっぽうちょう)で合併が決まった。
中央アルプス市
長野県駒ヶ根市と上伊那郡飯島町・中川村が合併する際に命名される予定であった新市名。一般公募で集まった新市名案が、合併協議会での協議の結果、「伊南市」「駒ケ岳市」「駒ヶ根市」「駒美市」「中央アルプス市」「美駒市」の6点に絞られ、この6点について2005年2月に住民アンケート調査を行った結果、駒ヶ根市では「駒ヶ根」が、飯島町・中川村では「伊南」が1位となり、3市町村の合計では「駒ヶ根」が1位となったが、「駒ヶ根市だと吸収合併というイメージが強く、地元住民からの賛同が得られにくい」「伊南(いなん)は隣接する伊那(いな)市と混同しやすい」などの理由で、アンケートでは「駒ヶ根」「伊南」に続く3位だった「中央アルプス市」が新市名に選ばれた。
しかし、「(山梨県の)南アルプス市の二番煎じだ」といった批判が殺到し、2月27日に行われた3市町の住民投票・意向調査の結果、駒ヶ根市と飯島町で合併反対票が賛成票を上回り、新市名どころか合併自体が白紙撤回された。
安土市
滋賀県神崎郡能登川町・五個荘町、蒲生郡安土町の合併によって誕生する予定であった新しい市の名称。
一般公募で集まった新しい市名案の内「安土市」「きぬがさ市」「近江安土市」「東近江市」の4点に絞られ、2002年9月27日に委員による投票の結果「安土市」に内定したが、五個荘町の委員から「現存の町名を使うのは吸収合併を発想させる」として反対の意見があり、また能登川町の住民からも「3町の中で最大規模で、町役場を新市役所に使う事になった能登川が、なぜ最小規模の安土の名称を使うのか」と反対の声が上がり、「きぬがさ市」に変更するよう動きがあった。
ところが、合併協議会では「協議結果を尊重する」として住民の意向を無視して「安土市」に正式に決定した。この決定に激怒した五個荘町が2002年12月15日に脱退を表明。さらに安土町の露骨な町名存続工作が発覚。合併自体が白紙撤回となり、合併協議会は解散した。
その後、五個荘町は八日市市などとの合併で東近江市となり、能登川町も後に東近江市に加わったが、安土町は近江八幡市との合併協議が決裂(しかも原因が再び新市名問題)し、結果的に孤立してしまう羽目となった。
平泉市
2005年9月に岩手県一関市と西磐井郡平泉町・花泉町、東磐井郡大東町・藤沢町・千厩町・東山町・室根村・川崎村が合併し、平泉市になる予定だった。しかし、最終段階で破談となり、2005年9月20日に平泉町と藤沢町を除く1市4町2村で新「一関市」が発足するに至った。
破談は、合併協議会での新市名「平泉市」決定を前に平泉町の委員が他町の委員に対し「(平泉市に決定しなければ)一緒に退席してほしい」と要請していたとの風聞から不信感が広がったことが原因とされるが(このとき、一部東磐井郡と花泉では新市名「磐井市」派だった)、背景には旧一関市において新市名への抵抗が大きかったこともあるといわれる。藤沢町は合併せず、単独で存続することになった。
その他
新名称に批判が続出しながらも名称を再検討することなく合併した例は、北九州市、あきる野市、最近ではさいたま市、西東京市、さくら市、東かがわ市、丹波市、淡路市、四国中央市、ふじみ野市、つくばみらい市、奥州市、みどり市などがある。
一方、新名称に批判が続出するなどして、名称を再検討した例としては、以下の例がある。
- 福島県ひばり野市(正式決定後に飯舘村の離脱を受け再検討、南相馬市として合併)
- 千葉県太平洋市(関係町村間で合意、批判続出で再検討し山武市として合併)
- 岐阜県ひらなみ市(正式決定後に批判続出で再検討、海津市として合併)
- 滋賀県西近江市(正式決定後に批判続出で再検討、高島市として合併)
- 島根県石見銀山市(最終候補として提案されたが、旧大田市の反発で空転した後再検討、大田市として合併)
- 鹿児島県れいめい市(正式決定後に批判続出で再検討、いちき串木野市として合併)
- 沖縄県宮古市(関係市町村間で合意、岩手県宮古市の反発と住民アンケートの結果を受け再検討し、宮古島市として合併)
また合併後に変更した例として、昭和の大合併時のものだが徳島県鳴南市(鳴門市)がある。
市町村数の推移
年 | 市の数 | 町の数 | 村の数 | 市町村数 |
---|---|---|---|---|
1965年4月 | ||||
1995年4月 | ||||
2003年4月 | ||||
2005年4月 | ||||
2006年4月 |
市町村合併の一覧
- 1990年から2002年までの市町村合併
- 2003年の市町村合併
- 2004年の市町村合併
- 2005年前半の市町村合併 - 2005年後半の市町村合併
- 2006年の市町村合併
- 2007年以降の市町村合併
- 都道府県別市町村合併一覧
関連項目
- 市町村の合併の特例等に関する法律
- 合併特例区
- 全国市町村一覧
- 消滅した日本の市町村の一覧
- 消滅した郡の一覧:消滅した郡について
- 大字
- 消防本部 - 市町村合併により組織の見直し、トラブルなど。
- 警察 - 市町村合併により警察署の署名変更や統廃合が進んでいる。
- 住民投票