小杉町
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| こすぎまち 小杉町 | |||||
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| 廃止日 | 2005年11月1日 | ||||
| 廃止理由 |
新設合併 新湊市・射水郡大島町・小杉町・大門町・下村 → 射水市 | ||||
| 現在の自治体 | 射水市 | ||||
| 廃止時点のデータ | |||||
| 国 |
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| 地方 | 中部地方(北陸地方) | ||||
| 都道府県 | 富山県 | ||||
| 郡 | 射水郡 | ||||
| 市町村コード | 16381-3 | ||||
| 面積 | 41.22 km2 | ||||
| 総人口 |
32,892人 (2004年10月1日) | ||||
| 隣接自治体 | 富山市、高岡市、新湊市、砺波市、大島町、大門町、下村 | ||||
| 町の木 | スギ | ||||
| 町の花 | キク | ||||
| 町の花木 | ツツジ | ||||
| 小杉町役場 | |||||
| 所在地 |
〒939-0393 富山県射水郡小杉町戸破1511番地 | ||||
| 外部リンク | 小杉町(Internet Archive) | ||||
| 座標 | 北緯36度42分44秒 東経137度05分58秒 / 北緯36.71222度 東経137.09956度座標: 北緯36度42分44秒 東経137度05分58秒 / 北緯36.71222度 東経137.09956度 | ||||
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| ウィキプロジェクト | |||||
小杉町(こすぎまち)は、かつて富山県射水郡に属していた町である。
江戸時代には加賀藩の宿駅である小杉新町として栄えた。富山市と高岡市の間に位置しており、近年は両市のベッドタウンとして宅地開発が活発である。
地理
[編集]射水市として合併した5市町村(新湊市、射水郡の全町村)の中で、小杉町のみが山岳を有していた[1]。面積は5市町村で最も大きかった。
隣接している自治体
[編集]歴史
[編集]明治の町村制施行時に町制施行したばかりの町のなかでは、小杉町の面積は6.14 km2と大きい部類に入る[2]。これはかつての小杉新町が農村地域である三ヶ(さんが)と戸破(ひばり)をつなぐ形で発足して、農村部としての機能を維持しながら、市街地を形成してきたことと関係するといわれる。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、射水郡戸破村、小杉三ヶ村及び大手崎村の区域をもって、射水郡小杉町が発足する。旧小杉町時代の町役場は大字戸破村の既に空き家になっていた寺林清憲宅に置かれていた[3][4]。初代町長は佐渡美成[5]。
- 1923年(大正12年) - 小杉小学校増築により旧小学校分校舎を改築し、町役場庁舎に充てる[4]。
- 1934年(昭和9年) - 工費2万9千円かけて戸破4143に町役場を新築[6]。
- 1938年(昭和13年)末 - この時点での人口は5,776人[7]。
- 1942年(昭和17年)
- 1953年(昭和28年)11月15日 - 射水郡金山村を編入する。
- 1953年(昭和28年)12月1日 - 射水郡大江村を編入する。
- 1954年(昭和29年)3月27日 - 射水郡黒河村を編入する。
- 1959年(昭和34年)
- 1964年(昭和39年)1月 - 小杉町を含む富山・高岡広域都市圏が新産業都市に指定される。
- 1964年(昭和39年)頃 - 太閤山ニュータウンの建設を開始する。
- 2005年(平成17年)11月1日 - 新湊市並びに射水郡大島町、小杉町、大門町及び下村が合併して、射水市が発足する。
災害
[編集]行政
[編集]歴代町長
[編集]- 旧町時代
出典→[10]
| 氏名 | 就任 |
|---|---|
| 佐渡美成 | 1894年4月1日 |
| 1896年4月27日 | |
| 1900年5月4日 | |
| 1904年7月4日 | |
| 赤壁徳平 | 1908年8月27日 |
| 梅川新多郎 | 1911年3月16日 |
| 1915年3月16日 | |
| 1919年3月16日 | |
| 片口安太郎 | 1919年8月23日 |
| 1923年10月29日 | |
| 松永茂 | 1923年11月18日 |
| 老田伊三郎 | 1924年10月11日 |
| 片口安太郎 | 1926年9月10日 |
| 結城孫四郎 | 1930年9月15日 |
| 1934年9月13日 | |
| 老田伊三郎 | 1934年9月30日 |
| 1935年10月5日 | |
| 近江善重 | 1939年10月18日 |
| 老田伊三郎 | 1943年10月18日 |
| 中谷義三郎 | 1947年2月4日 |
| 1947年4月6日 | |
| 田町久和 | 1950年11月10日 |
- 新町時代
| 氏名 | 就任 | 退任 |
|---|---|---|
| 田町久和 | 1954年5月28日 | 1958年5月27日 |
| 1958年5月28日 | 1962年5月27日 | |
| 1962年5月28日 | 1963年9月7日 | |
| 林除宅 | 1963年10月26日 | 1967年10月25日 |
| 渡辺孝 | 1967年10月26日 | 1971年10月25日 |
| 1971年10月26日 | 1975年10月25日 | |
| 1975年10月26日 | 1979年10月25日 | |
| 竹内和義 | 1979年10月26日 | 1983年10月25日 |
| 三上和夫 | 1983年10月26日 | 1987年10月25日 |
| 1987年10月26日 | 1991年10月25日 | |
| 1991年10月26日 | 1995年10月25日 | |
| 1995年10月26日 | 1999年10月25日 | |
| 土井由三 | 1999年10月26日 | 2003年10月25日 |
| 2003年10月26日 | 2005年10月31日 |
市町村合併
[編集]射水市への合併の際は、町を二分する騒動となった。小杉町は、2002年8月に行われた住民アンケートを根拠に新湊市を除く射水郡3町1村での合併を主張していた。2003年2月16日の住民投票では新湊市を含めた5市町村合併派が優勢であったが、町議会の意向をうける形で射水郡3町1村合併の方針を維持し、2004年3月9日の議会で射水地区広域圏合併協議会からの離脱を決定した。5市町村合併派住民から土井由三町長をリコールしようとする動きが見られたため、それを回避する目的で2004年8月29日に住民投票が行われ、新湊市を含む5市町村の合併賛成の票が多数となった[11]。それを受けて小杉町は合併協議会に再加入し、当初予定の2005年3月31日より遅れて同年11月1日に5市町村で射水市として合併した。
教育
[編集]小学校
[編集]中学校
[編集]高等学校
[編集]大学・短期大学
[編集]その他の学校
[編集]- 放送大学富山学習センター
- 富山情報ビジネス専門学校
姉妹都市・提携都市
[編集]国内
[編集]海外
[編集]交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 太閤山ランド
- 太閤山温泉
- 蓮王寺 - 俵藤太(藤原秀郷)由緒の、真言宗寺院。小杉大仏がある。
- 薬勝寺 - 火の宮城(日宮城)に隣接する真言宗寺院。上杉謙信に追われた神保長職が霊験をうけ「薬師如来に勝る」と名付けた。
- 黒河夜高祭
- 小杉劇場 - 映画館(~1960年代)[12]
関連人物
[編集]出身人物
[編集]名誉町民
[編集]- 片口安太郎(1959年11月9日議決)
- 滝田実(1995年9月26日議決)
- 郷倉和子(2002年9月19日議決)
脚注
[編集]- ^ 頂上の有無を基準とした場合
- ^ 『富山県町村合併誌 上巻』(1961年9月1日、富山県発行)262頁。
- ^ 『小杉町史 通史編』(1997年3月31日、小杉町役場発行)853頁。
- ^ a b c 『小杉町史』(1959年11月15日、小杉町役場発行)後編32頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)351頁。
- ^ 『小杉町史』(1959年11月15日、小杉町役場発行)後編32頁および巻末。
- ^ 『富山県町村合併誌 上巻』(1961年9月1日、富山県発行)253、262頁。
- ^ 『小杉町史』(1959年11月15日、小杉町役場発行)後編35頁。
- ^ 「北陸三県に豪雨禍」『朝日新聞』昭和23年7月26日.2面
- ^ 『小杉町史』(1959年11月15日、小杉町役場発行)後編32 - 33頁。
- ^ 『北日本新聞』2004年8月30日付朝刊1面『5市町村合併「賛成」上回る 小杉町住民投票 756票差 町方針と逆 投票率66.91% 9月議会で最終判断』より。
- ^ 『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。1960年の映画館(北陸・甲信越地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。
参考文献
[編集]- 『小杉町史』小杉町役場(1997年)