洞爺湖温泉

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Hot springs 001.svg洞爺湖温泉
View of Tōyako-onsen town.JPG
通称見晴台から望む洞爺湖温泉街(2008年5月)
温泉情報
所在地 虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉
交通 鉄道:JR北海道室蘭本線洞爺駅
バス:道南バス洞爺湖温泉ターミナル
車:道央自動車道虻田洞爺湖IC
泉質 ナトリウム・カルシウム-塩化物温泉[1]
泉温(摂氏 50.3[1]
湧出量 1410L/min(混合)[1](動力浮揚)[2]
pH 6.7[1]
液性の分類 中性[1]
浸透圧の分類 低張性[1]
宿泊施設数 20
統計年 2005年(平成17年)
外部リンク 洞爺湖温泉観光協会
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洞爺湖温泉(とうやこおんせん)は、北海道虻田郡洞爺湖町にある温泉

泉質[ソースを編集]

「洞爺湖温泉」(源泉名 洞爺5・6・9・12・13号、共同1・2・4・5・6号、KH-1混合泉)

  • 湧出地 : 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉78番地325[3]
  • ナトリウム・カルシウム-塩化物温泉(中性低張性高温泉)(旧泉質名:含塩化土類-食塩泉)[1]
    • 泉温 : 50.3℃[1]
    • 知覚 : 微黄色濁、微炭酸味、無臭[1]
    • pH値 : 6.7[1]
新源泉(KH-1)稼働に伴い、「洞爺湖温泉利用協同組合」が新たに発表した温泉分析書に基づく[1]

温泉街[ソースを編集]

洞爺湖温泉街(2013年9月)

洞爺湖南側湖畔に、ホテル旅館飲食店・みやげ物店等が温泉街を形成しており、無料の足湯手湯もある。

温泉街湖畔には遊覧船発着場があり、洞爺湖・中島への遊覧を楽しめる。また、湖畔に58基の野外彫刻が展示されている「とうや湖ぐるっと彫刻公園」(美しい日本の歩きたくなるみち500選)があり[4]、気軽に鑑賞することができる。山側には2000年(平成12年)の有珠山噴火で形成された噴火口があり、一部立ち入り制限はあるが至近距離で見学することができる。

また、周辺では年中様々なイベントが企画されており、ゴールデンウィークから10月末まで毎晩行われる「洞爺湖ロングラン花火大会」、毎年5月末に行われる「洞爺湖マラソン」、6月に行われる「TOYAKOマンガ・アニメフェスタ」、「洞爺湖温泉夏祭り」、「洞爺湖温泉冬祭り」などがある。2013年(平成25年)には初のトライアスロン大会「アイアンマン・ジャパン北海道」が開催された。

歴史[ソースを編集]

1917年(大正6年)6月、三松正夫、杉山春巳、安西岩吉の3人が、湖岸で43℃の源泉を発見。これは、1910年(明治43年)の有珠山の側火山四十三山(明治新山)の噴火により誕生したものと考えられている。三松らは翌月に北海道庁から利用許可を受け、同年秋には「竜湖館」[5]という温泉宿を始め、洞爺湖の温泉旅館第1号となった。開湯当初は「床丹温泉」(とこたん)という名前であったが、湖名にちなんで洞爺湖温泉に改名した[6]

1928年(昭和3年)に国鉄長輪線(現・室蘭本線)が全通。翌年虻田駅(現・洞爺駅)と洞爺湖畔との間に洞爺湖電気鉄道が開通(1941年に廃止)すると、洞爺湖温泉に温泉街が形成された。

1944年(昭和19年)、有珠山の活動で誕生した昭和新山は第二次世界大戦後に新たな観光地となり、1949年(昭和24年)には洞爺湖一帯が「支笏洞爺国立公園」に指定される[7]1960年(昭和35年)に「洞爺湖温泉利用協同組合」が設立されて源泉の共同管理が始まる[8]

1977年(昭和52年)、有珠山が噴火。水蒸気爆発は翌年まで続いた。1982年(昭和57年)から連夜花火を打ち上げる「洞爺湖ロングラン花火大会」が始まる。2000年(平成12年)、有珠山が噴火。2008年(平成20年)、「第34回主要国首脳会議」(北海道洞爺湖サミット)がザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパを会場に行われた[9]。また、洞爺湖有珠山ジオパークが「日本ジオパーク」に認定され[10]2009年(平成21年)には「世界ジオパーク」に認定された[10]

2010年(平成22年)、温泉誕生100年を迎えた。

周辺[ソースを編集]

温泉

参考画像[ソースを編集]

洞爺湖温泉が舞台(ロケ地)となった作品[ソースを編集]

アクセス[ソースを編集]

その他[ソースを編集]

  • 所在地については、一般的に温泉街の大半以上が洞爺湖町(旧・虻田町)の地域に存在することから、洞爺湖町に所在するものとして世間一般では認識されているが、旧・日鐵湖翠荘[5]より東側は壮瞥町域となり、壮瞥町側にも「洞爺湖温泉」という地名が存在する[11]
  • 地元では、地名としての「洞爺湖温泉」を指す場合の呼称に「湖」を抜いて「洞爺温泉」と称する場合がある。旧・洞爺村温泉が「洞爺温泉」を名乗るようになった現在でも、郵便局[14]・NTTの電話交換ビル(旧・電話交換所)[15][16]・地元信用金庫支店名[17]ほか、一部一般店舗名[18]にわたるまで「洞爺温泉」の表記が見られる。
    • 地元では、地区通称として「温泉」地区という呼称[19]がある。地元住民が、洞爺湖温泉地区に出かけることを「温泉に行く」というほど久しまれた通称でもある。
      • 昭和5年10月1日、小学校が洞爺湖温泉町179番地に開校した当初の校名は「虻田温泉尋常小学校」[20]。当初の学校名に「洞爺湖」は付かなかった。
    • 反面、地名「洞爺」の語源となったアイヌ語「トヤ」は、本来旧・洞爺村洞爺町(とうやまち)附近をさす地名であるが、洞爺湖南岸の温泉湧出地から発展したことから地元では、旧・洞爺村洞爺町附近を通称「向洞爺」(むこうどうや)と呼称されている。

脚注[ソースを編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 温泉分析書 - 洞爺湖温泉利用協同組合。資料ページによると、「この分析書及び分析別表は新たに掘削されたKH-1源泉を含む11源泉の混合泉を、平成27年2月に北海道立衛生研究所へ分析依頼し、作成された物です。」とのこと。
  2. ^ 配湯のしくみ - 洞爺湖温泉利用協同組合。資料ページによると、地下から水中ポンプにより汲み上げて一旦中央タンクに貯湯してから、各温泉利用施設に配湯されていることが示されている。
  3. ^ 当該住所のGoogleストリートビュー。「洞爺湖温泉利用協同組合」の中央タンクの位置住所である。
  4. ^ とうや湖ぐるっと彫刻公園”. 洞爺湖町. 2014年8月10日閲覧。
  5. ^ a b 虻田町史によると、「竜湖館」は1917年創業後、1927年(昭和2年)「一号館」へ、1935年(昭和10年)「第一ホテル」へと改称している。その後、1941年(昭和16年)日本製鐵が買収し「日鉄会館(洞爺会館)」と改称、戦後財閥解体により1950年(昭和25年)に発足した後継会社の富士製鐵が引継ぎ「富士鉄会館」となるが、現在この場所に建物は所在しない。1944年(昭和19年)当時、日鉄会館のすぐ西隣となる場所(町境界を跨いで壮瞥町側)に所在した「洞爺湖温泉ホテル」を日本製鐵が保養施設として買収し「湖翠荘」と改称(ここまでの出典:北海道地質研究所報告第82号(2011)資料「鳥瞰図に見る洞爺湖温泉街の変遷」 - 地方独立行政法人北海道立総合研究機構)、平成26年3月31日に閉鎖となるまで「日鐵湖翠荘」として所在、閉鎖後、新日鉄住金健康保険組合は「湖翠荘」を株式会社政建(東京都台東区)へ売却している(出典 : 株式会社政建 - InternetArchive2016年1月9日閲覧)。
  6. ^ 行政により床丹温泉が洞爺湖温泉に地名変更になったのは、昭和6年いう説[1]がある。
  7. ^ 支笏洞爺国立公園”. 北海道地方環境事務所. 環境省. 2014年8月8日閲覧。
  8. ^ 洞爺湖温泉利用協同組合のホームページ”. 2014年8月8日閲覧。
  9. ^ 北海道洞爺湖サミット”. 外務省. 2014年8月10日閲覧。
  10. ^ a b 日本ジオパークネットワーク”. 2014年8月8日閲覧。
  11. ^ 日本郵便株式会社の郵便番号検索 有珠郡壮瞥町洞爺湖温泉1~7番地 有珠郡壮瞥町洞爺湖温泉(その他)
  12. ^ 洞爺湖温泉観光協会 - Information(ページ最下部)
  13. ^ 洞爺湖温泉観光協会 宿泊施設案内 - 洞爺サンパレスは壮瞥町に存在する。
  14. ^ 洞爺温泉郵便局 - 日本郵政株式会社
  15. ^ 北海道地方非常通信協議会 会報第34号 有珠山噴火時における通信確保等の対応状況について - 総務省北海道総合通信局
  16. ^ 壮瞥町壮瞥温泉西部地区周辺の電話回復について 平成12年4月27日 - NTT東日本
  17. ^ 店舗のご案内 - 伊達信用金庫
  18. ^ (株)洞爺給油センター 洞爺温泉SS - 出光興産公式サービスステーション検索
  19. ^ 洞爺湖町地域おこし協力隊 洞爺湖町議会 - 議会日程 - H26.11月日程 - 洞爺湖町役場(どちらも) 
  20. ^ 洞爺湖温泉小学校 - 学校案内 - 学校概要

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]

防災