岩城亘太郎

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岩城 亘太郎(いわき せんたろう、1898年5月10日 - 1988年9月23日[1])は、日本の造園家作庭家小川治兵衛(植治)の甥。本名は千太郎。

人物[編集]

京都府出身[1]。1916年(大正5年)に植治に入門。植治で修行後、1927年(昭和2年)に京都植治の工事長兼支配人に就任。1930年(昭和5年)に植治の関東の仕事すべてを引き受けて上京。1939年(昭和14年)に独立、岩城造園を設立する。岩城造園はその後の1948年(昭和23年)に株式会社となる。

1971年勲五等瑞宝章受章。ジュッセルドルフ日本庭園ドイツ)他一連の造園設計で、昭和50年度日本造園学会賞(設計計画作品部門)受賞。

代表作[編集]

岩城亘太郎と水琴窟[編集]

今日一般に知られている水琴窟は、30数年前には昔の工法が失われていて、幻の水琴窟と言われていた。30数年前に、岩城亘太郎が昔に作庭した庭で水琴窟が施行されていたことが分かっている。水琴窟は、江戸時代から始まり明治時代には盛んに用いられたが、次第に廃れていった。1980年代に新聞やテレビ番組で取り上げられたことをきっかけにその存在が広く知られるようになった

脚注[編集]

  1. ^ a b 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.90

関連項目[編集]

外部リンク[編集]